巻ノ九十七 金の極意
穴山は雑賀から術を授けられていた、それは雑賀が驚く程の腕の上げ方でだ。雑賀は修行の合間に雑賀に言った。
「あと少しでじゃ」
「このままではですか」
「免許皆伝じゃ」
それになるというのだ。
「まさにな」
「そしてですな」
「その後はな」
「はい、免許皆伝の後もですな」
「修行を続けられよ」
これが雑賀の言いたいことだった。
「例え免許皆伝となってもな」
「それで何もしないのではですな」
「そこまで至った腕も鈍る」
「鍛錬は日々してこそですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だから免許皆伝でもそれで奢らず怠らずじゃ」
「励んで、ですな」
「そうじゃ、修行をしていくのじゃ」
それからもというのだ。
「よいな」
「わかりました、それでは」
「そうせよ、むしろ免許皆伝からじゃ」
「そこからですな」
「はじまると言ってよい」
「まことの術の道は」
「よく免許皆伝で終わったと思う者がいるが」
しかしというのだ。
「それで終わりではないのじゃ」
「むしろですな」
「そこからじゃ」
こう言うのだった。
「道ははじまる」
「金の術も」
「そして他の術もじゃ」
「忍術もですな」
「無論じゃ」
雑賀も忍術だ、そして穴山もひいては幸村もというのだ。
「忍術もな」
「免許皆伝からですな」
「はじまる」
「真の道がですな」
「貴殿は忍術は既にと思うが」
「はい、殿と共に稽古に励み」
確かな声でだ、穴山は雑賀に答えた。
「そしてです」
「授けられたな」
「大殿より殿と共に十一人で」
「そうであるな」
「はい、十一人で」
まさにというのだ。
「先に若殿が授けられましたが」
「確か今真田家の主であられる」
「源三郎様です」
信之、彼だというのだ。
「あの方が先に免許皆伝となられ」
「その後でか」
「我等となりました」
十一人にというのだ。
「そうなりました」
「そうであったか」
「はい、そしてです」
「今もじゃな」
「忍術の稽古に励んでいます」
「それと同じじゃ」
落ち着いた顔でだ、雑賀は穴山にあらためて話した。
「金の術もな」
「まずはですな」
「そうじゃ、免許皆伝からじゃ」
「はじまりますな」
「むしろな、だから頼んだぞ」
「修行は続けていきまする」
「是非な、そうすればじゃ」
「殿もお助け出来ますな」
「必ずな」
「そういうことになりますな」
「何もせぬのでは何も出来ぬ」
それこそというのだ。
「免許皆伝で終わっては」
「そこで満足しては」
「それまででじゃ」
「はじまってもおらず」
そしてというのだ。
「何にもならぬので」
「それで終わるからな」
「だからですな」
「是非修行を続けるのじゃ」
「そうさせて頂くつもりです」
「頼むぞ、ではな」
「今より」
「また修行じゃ」
こう言ってだ、幸村を入れて三人共だった。
立ち上がり修行をはじめた、修行は朝早くから夜遅くまで行われ。
そしてだ、遂にだった。
穴山は雑賀から免許皆伝を授けられた、その時にだ。
彼は見事に炮烙に鉄砲、短筒を使った。それを見て雑賀が言ったのだ。
「これで終わりじゃ」
「免許皆伝ですか」
「うむ」
その通りだというのだ。
「今のでな」
「そうですか」
「そうじゃ、見事であった」
「では」
「これからもな」
「はい、修行をしてですな」
「強くなるのじゃ」
こう言うのだった。
「さらにな」
「これをはじまりとして」
「前にお話してくれた様に」
「そうせよ、しかし鉄砲も短筒もな」
「そして炮烙も」
「全てよかった」
その使い方がというのだ。
「実にな、むしろわし以上じゃ」
「雑賀殿以上にですか」
「よい腕じゃった、しかしな」
「しかし?」
「御主の術は素直じゃな」
「素直ですか」
「うむ」
そうだというのだ。
「実にな」
「そうなのですか」
「御主の心が出ておるな」
穴山のそれがというのだ。
「確か真田殿とお会いして二十年程じゃな」
「はい、共におります」
「それまでは流れ者の忍であったな」
「鉄砲を使ってあちこちを巡ったりして」
「そうであったな」
「はい、ですが殿が旅に出られた時にです」
「お会いしてじゃな」
「それからずっと共におります」
こう雑賀に答えた。
「今もですが」
「それまでもそこまで荒んだものは見てもこなかったか」
「見てきましたが」
「しかしじゃな」
「それより遥かにです」
荒んだもの以上にというのだ。
「素晴らしき、美しきものを見てきました」
「真田殿と共にいてか」
「そうです、殿程見事な心根の方はおられませぬ」
今現在も共にいる幸村を見てだ、穴山は答えた。
「その殿を見て殿と共に多くのものを見て」
「そしてか」
「はい、そのせいでしょうか」
「素直なのじゃな」
「そう思いまする」
「おそらくそれは御主だけではあるまい」
こうもだ、雑賀は言った。
「やはり」
「そう言われますか」
「うむ、十人共じゃな」
十勇士全員がというのだ。
「同じ主に仕え同じものを見てきたからな」
「だからですか」
「やはり十人共じゃ」
「素直だとですか」
「そう思う」
「はい、どの者もです」
その幸村も言ってきた、彼等の主である。
「実にです」
「心根がじゃな」
「よいです」
「やはりそうか」
「素直な者達です」
「戦国の世であったが」
「それでもです、最初からです」
つまり出会った時からというのだ、彼等がそれぞれ。
「どの者も非常によき者達でした」
「そしてそのままじゃな」
「今もです」
「そうであろう、よくわかったわ」
「小助の術を見て」
「それがな」
「術は人も表す、ですな」
幸村は雑賀に自ら言った。
「左様ですな」
「そうじゃ、鏡じゃ」
「術は」
「だからわかる」
こう幸村に言った。
「わしもな」
「左様ですな」
「そして貴殿もな」
幸村もというのだ。
「実にじゃ」
「よいと言われますか」
「一本じゃ」
幸村にはこう言った。
「その気質はな」
「これでも策を使いますが」
「それでもじゃ」
その策を使おうともというのだ。
「貴殿の心はじゃ」
「一本ですか」
「奇麗なな」
「だからですか」
「その主君だからじゃ」
「家臣達もですか」
「心がよい、曲がった主君には曲がった家臣が来る」
そうなるというのだ。
「自然にな」
「士は士を知る」
幸村の今の言葉はしみじみとしていた。
「左様ですな」
「その通りじゃ」
「だからですな」
「真田殿がそうした方だからな」
「小助達もですか」
「心がまっすぐじゃ」
つまり素直だというのだ。
「実にな」
「それでは」
「うむ、ではな」
「これからも」
「貴殿も穴山殿達もな」
「このままの心根で」
「進まれよ、それではわしはな」
雑賀は自身のことも話した。
「これまで通りじゃ」
「ここで、ですか」
「過ごす」
この熊野の山奥でというのだ。
「そうする」
「そしてご一生も」
「そうじゃ、もう何も思うことはない」
この世に対してというのだ。
「だからな」
「熊野から出られませぬか」
「一切な」
「わかりました」
「何も言わぬか」
「雑賀殿がそうお考えなら」
それならばとだ、幸村は雑賀に言葉を返した。
「それがしは何も言いませぬ」
「わしの考えを汲み取ってくれてか」
「いえ、雑賀殿は雑賀殿ですから」
「だからか」
「はい、雑賀殿がされたい様に」
そうすればというのだ。
「されて下さい」
「わかった、ではな」
「その様に」
「そして真田殿達もか」
「時に備えて修行を続けて参ります」
「その時が来ればな」
雑賀もわかっていた、それからのことは。
「動くか」
「そうします、そして」
「生きるな」
「そうします、死ぬことはしませぬ」
「そのことだけは守って欲しい」
雑賀としてはというのだ。
「是非な」
「はい、そのお言葉肝に銘じておきます」
「ではな、貴殿等のことはこの熊野で聞いておるぞ」
「さすれば」
幸村は穴山と共にだ、雑賀に深々と頭を下げてだった。そうして。
姿を消した、そしてだった。
すぐに九度山まで戻った、そのうえで九度山で大助を見て笑みを浮かべて言った。
「健やかに育っていっておるな」
「ですな、実に」
穴山も主の子の様子を見て笑みを浮かべて応えた。
「日に日に」
「そうじゃな」
「大助様もよき武士になられるでしょうか」
「そうしたいな」
「では殿と我等で色々と」
「教えていこう、そして父上もそうして下さるという」
昌幸もというのだ。
「我等と共にな」
「大殿もですか」
「我等は戦の時以外は人に厳しく出来ぬな」
「戦の時も無闇な殺生はしませぬし」
十一人共それは一切ない、戦だから人を倒すがそれでも無駄に人を殺すことはない。捕らえた者も民達も手にかけることは一切しないしこれまでもなかった。
「どうもです」
「父上も無闇な殺生はされぬが」
「しかしですな」
「厳しく出来る」
他の者に対してというのだ。
「だからな」
「厳しいことはですか」
「父上が言われるという」
「そうですか」
「だから大助は厳しいことも知り」
「我等から他のこともですか」
「知ることになる」
そうなるというのだ。
「大きくなればな」
「そうですか、ではまずは健やかに」
「育って欲しいな」
「ですな、して殿は九度山に入られてから」
「随分とな」
まさにとだ、幸村も応えた。
「子宝に恵まれる様になった」
「左様ですな」
「よいことじゃ」
「ははは、子はかすがいですな」
「全くじゃな」
「ではお子の方々を」
「これから育てていこう」
幸村は父親の顔も見せていた、それは慈愛に満ちたものだった。しかしそうした顔ばかりではなくだ。
九度山では学問に励んでいた、修行の後で書を読むのが日課になっているのは元服前から変わらないが。
史記を読んでからだ、十勇士達にこうしたことを言った。
「漢の高祖は残念な方じゃ」
「国を建てられた方ですが」
「それでもですか」
「そうじゃ、皇帝になってからはな」
それからの高祖、つまり劉邦はというのだ。
「それまでの大器が消え実に疑いの心が強い」
「そうした御仁になりましたか」
「あの御仁は」
「そうなった」
史記を読めば実際にというのだ。
「そして功臣達を粛清していった」
「確か韓信、黥布、彭越と」
「次々にでしたな」
「高祖は功臣達を殺していますな」
「そうしていましたな」
「あらためてそれを読んだが」
史記のそのところをというのだ。
「酷いものだ」
「用がなくなれば始末する」
「そうしたことはですな」
「決してしてはなりませんな」
「主君ならば」
「そう思う」
実際にとだ、幸村は十勇士達に厳しい顔で答えた。
「ことが為すまでは頼りにしてことが済めば始末するのではじゃ」
「人として間違っている」
「そうなりますな」
「どうしても」
「そうじゃ、越王勾践もそうしたことはあったがな」
呉と争い続け遂に滅ぼした王だ、長江流域の方にあった国である。
「高祖は特にであった」
「皇帝になってからは猜疑心が強く」
「そして功臣達を殺してですな」
「残った者達にも強い疑いを持っていた」
「それも強く」
「そうであった、だからな」
それでというのだ。
「拙者はそうした人間にはなりたくない」
「皇帝になってからの高祖の様には」
「何があろうとも」
「そう思う、太閤様もそうしたところはあったか」
秀吉、彼もというのだ。
「何処かな」
「言われてみればそうですな」
「関白様を切腹させましたし」
「利休殿もそうでしたし」
「それを見ますと」
「そう思うと残念じゃ」
秀吉が劉邦の様になったことはというのだ。
「ああしてよきところを失われてな」
「変わられるのはですな」
「天下人になられて」
「そうなられたなら」
「そう思う、しかしな」
幸村は無念に思う顔のまま述べた。
「大御所殿は違うな」
「あの方はですか」
「高祖や太閤様とは違う」
「そうなのですか」
「うむ」
そうだというのだ。
「拙者が見るにな」
「そういえば誰も粛清しておりませぬな」
「特にこれといって」
「幕府はまとまっていますな」
「これまで通り」
「大御所殿は慎重であるが疑い深い方ではない」
幸村は家康について述べた。
「だからじゃ」
「決してですか」
「高祖の様にはされぬ」
「功臣の粛清はない」
「そうなのですな」
「血は流れぬ」
幸村はまた言った。
「そのことは安心してよい、幕府はな」
「これまで二つの幕府では違いましたが」
「鎌倉幕府や室町幕府では」
「どちらの幕府もそうでしたな」
「そこはよくありませんでしたな」
「そうじゃ、どちらもな」
鎌倉、室町の両幕府についてもだ、幸村は十勇士達に話した。
「まず室町幕府から話すが」
「有力な守護大名を弱めてもきましたな」
「土岐氏、山名氏、大内氏と」
「そうもしてきましたし」
「弟殿を結局殺してしまった」
初代将軍足利尊氏がというのだ、弟であり執権の高師直と共に側近中の側近であった足利直義をだ。
「そう言われておるな」
「はい、太平記でしたな」
「あの書にはそうあるとのことですな」
「殿もよく読まれている書ですが」
「その様に」
「実は違うのではという話もあるが」
それでもというのだ。
「そうした話もある」
「随分と器の大きい方だったとのことですが」
「それでもですな」
「そうしたことをしてしまったやも知れぬ」
「弟君を」
「うむ、そしてじゃ」
幸村の顔が曇った、室町幕府について語る時以上に。
「鎌倉幕府じゃが」
「あの幕府は酷いですな」
「弟殿を次々に討ち」
「源氏は身内同士で殺し合い誰もいなくなりました」
「それを見ますと」
「実に酷いですな」
「北条家も多くの御家人を滅ぼした」
源氏の血が絶えた後執権として幕府を動かしたこの家もというのだ。
「血生臭いものだった」
「あの幕府は特にですな」
「そうした有様でしたな」
「その二つの幕府の様にはなりませぬか」
「どちらの幕府もその際多くの戦を起こしていますが」
「それもない、実によき政じゃ」
今の幕府のそれはというのだ。
「だからじゃ」
「このままですか」
「幕府はよく治まりますか」
「高祖の様なこともせずに」
「そうなろう、しかし問題はどうもな」
幸村の目が鋭くなった、そのうえで今度言ったことはというと。
「切支丹じゃ」
「切支丹?」
「切支丹ですか」
「伴天連の坊主達ですか」
「耶蘇教の」
「あの者達の中には随分と性質の悪い者がおる」
幸村はその目を鋭くさせたまま言った。
「人買いの様に民を買い入れ他の国に売り飛ばしておる者がな」
「何と、坊主が人買いとは」
「比叡山でもしませんでしたぞ」
「それはあくまで人買いのすることです」
「ましてやそれを外の国に売るなぞ」
「しかもその者達を奴婢としてこき使う」
もう天下ではなくなって久しい者達のことも話に出した。
「そうするのだ」
「坊主がそこまでするとは」
「信じられませんな」
「何と恐ろしい」
「伴天連の坊主達は悪鬼の様ですな」
「全くじゃ、おそらくじゃ」
幸村はさらに言った。
「幕府も切支丹はな」
「あの者達についてはですな」
「許しませぬな」
「許せば人買いとして動き他の国に売り飛ばす」
「そしてこき使うからこそ」
「この話を聞いて太閤様は血相を変えられたという」
天下人になってから人が変わったとだ、幸村が劉邦と共にどうかと言った彼と同じくである。
「そして急いでその者達を買い戻されたそうじゃ」
「そうして救われたのですな」
「伴天連の坊主達に騙されていた者達を」
「そうされたのですな」
「太閤様は確かに変わられた」
天下人になってからというのだ。
「しかしな」
「それでもですな」
「そうしたことは忘れられなかったのですな」
「天下人として為すべきことは」
「決して」
「うむ、それは忘れられなかった」
決してというのだ。
「だからすぐにそうされた」
「奴婢となっていた者達を買い戻され」
「そうしてですな」
「その者達を救われた」
「そうされたのですな」
「そうじゃ、そしてそれは大御所殿も同じじゃ」
家康もというのだ。
「それがわかれば同じことをされる」
「奴婢になっていた者達を買い戻される」
「そうして救われる」
「そうした方ですな」
「そうじゃ、そして耶蘇教もじゃ」
こちらの教えもというのだ。
「禁じられるわ」
「太閤様がそうされた様に」
「そうされますか」
「必ずな、むしろ今禁じておられぬことがじゃ」
幕府、つまり家康がというのだ。
「その方が不思議じゃ」
「そうですな、確かに」
「耶蘇教の坊主でまだそうした者達はいるでしょうし」
「そうした者達の動きを見ていますか」
「そのうえで断を下そうとされていますか」
「おそらく切支丹は禁じられる」
これが幸村の読みだった。
「幕府にしても民が勝手に奴婢にされ売られてはたまったものではない」
「大事な民をですな」
「そうされてはですな」
「天下の政が成り立たぬ」
「だからですな」
「そうじゃ、だからな」
それ故にというのだ。
「幕府はやがてな」
「間違いなくですか」
「切支丹は禁じられますか」
「そうされますか」
「そうする、そしてこれに反すれば」
若しだ、そうなればというのだ。
「幕府は何者も許さぬ」
「功臣達を殺めることはしなくとも」
「お拾様を大事にされてもですか」
「切支丹だけは許さない」
「そうなのですな」
「それだけはせぬ」
こう言うのだった。
「切支丹を許すことはな」
「それだけはですな」
「幕府は許せぬこと」
「民達を害するが故に」
「切支丹だけは」
「ましてや耶蘇教は他の教えを認めぬ」
幸村は耶蘇教のこのことについても言った。
「神仏を否定し神社仏閣を壊して回る」
「大友家がそうでしたな」
「それでかなり厄介なことになっていましたな」
「九州の方で」
「そうなっていましたな」
「神仏は大事じゃ」
幸村ははっきりとした声で言った。
「少なくとも壊すものではない」
「例え教えが違えども」
「それでもですな」
「そこでそうしたことをするとじゃ」
耶蘇教の様に他の教えを否定し神社仏閣を壊して回ればというのだ。
「天下は恐ろしいことになる」
「そのこともあってですな」
「幕府は耶蘇教は認めぬ」
「そうなのですな」
「そうなる、これに反するなら誰でも許されぬからな」
このことからもだ、幸村は言った。
「天下で間違える者がおればな」
「その時は血が流れますか」
「そうしたことも有り得ますか」
「流石に幕府も放っておけぬ」
こればかりはというのだ。
「だからじゃ、大坂がそこを間違えねばよいが」
「若し間違えれば」
「その時は」
「戦になるやも知れぬ」
深刻な声だった、幸村の今のそれは。
「その時はな」
「ですか、では」
「それを豊臣家が間違えぬこと」
「そのことが大事ですな」
「これからは」
「うむ」
幸村は十勇士達に答えた。
「そうなる」
「ですか、では」
「このことは」
「覚えておくことじゃ」
切支丹のことはというのだ。
「くれぐれもな」
「ですな、その様な危うい教えはです」
「全く以て油断出来ません」
「そしてです」
「その切支丹を許せばですな」
「幕府はそれだけは許さぬ」
「そうなのですな」
「そうじゃ、例えそれが譜代の家臣であろうとも豊臣家であろうともな」
そうした者達であってもというのだ。
「幕府としては認められぬ」
「あの者達が民を害するからですな」
「そして他の教えを認めないから」
「だから切支丹は認められず」
「それを認める者を許さませぬか」
「そういうことじゃ、。豊臣家がわかっていてくれればいい」
実にというのだ。
「若しそうでなけばまことに危うい」
「戦も有り得る」
「その時は遂にですな」
「そうなることもですな」
「最悪の事態も」
「ある、しかし問題は何といっても茶々様じゃ」
秀頼の生母であり大坂城の実質的な主である彼女がというのだ。
「あの方がわかっておられるか」
「そのことがですな」
「やはり問題ですな」
「あの方がどうなのか」
「切支丹のことをわかっておられるか」
「そうじゃ、あの方は大坂城の中しかご存知ない」
幸村にはわかっていた、茶々がそうした者であることがだ。
「近頃は特にな」
「城の外からもですな」
「出たこともないまでの方でしたな」
「そうした方なので」
「だからですな」
「切支丹のこともご存知か」
それはとだ、幸村は心から不安を感じながら話した。
「甚だ不安じゃ」
「太閤様のお傍におられましたが」
「それでもですか」
「おられるといっても奥じゃ」
政の場ではないというのだ。
「太閤様は奥ではあまり政の話はされずされてもな」
「正室であられるねね様ですか」
「政所様だけですか」
「あの方にはもあまりされなかった様じゃ」
苦楽を共にした正室にもというのだ。
「だからな」
「そうしたことはですか」
「されておらぬので」
「茶々様にも」
「それではあの方は」
「政のことはおそらくな」
これは幸村の見立てだ、だがその見立てにかなり確かなものを感じながらそのうえで十勇士達に語るのだった。
「ご存知ないであろう」
「そしてそのうえで、ですか」
「政をされるので」
「それではですか」
「そうであろう、思えば大坂の政が乱れておるのも」
それもというのだ。
「そのせいであろう」
「そういえばそうですな」
「動きが妙に乱れていますな」
「それも実に」
「太閤様がおられた時とはうって変わって」
「田畑や町のことは普通ですが」
「橋や道、堤のことも」
「しかし幕府に対しては」
肝心のこのことについてはというのだ。
「乱れておりますな」
「意地を張られてばかりで」
「いい様にはなっておりませぬ」
「内のことは片桐殿がおられるし大野殿も普通に出来る」
家老である彼等がというのだ。
「茶々様も何も言われぬ、しかしな」
「幕府のことはですな」
「茶々様がしきりに言われ」
「そしてですな」
「そのうえで乱れている」
「そうなのですか」
「大坂の厄介なところじゃ」
実にというのだ。
「普通にしていれば大坂、いや豊臣家は残れるが」
「しかしですな」
「茶々様が間違えれば」
「その時はですな」
「大坂は危うくなる」
「切支丹のことは特に」
「そうじゃ、片桐殿や大野殿は太閤様のお傍におられたのでご存知じゃ」
切支丹のことはというのだ。
「あの方々はな」
「そうですか」
「あの方々はですか」
「切支丹のことはご存知ですか」
「そのことは」
「そうじゃ、しかしな」
それでもというのだ。
「お二方には問題がある」
「それはですな」
「あの方々はですな」
「茶々様を止められぬのですな」
「どちらの方も」
「特に大野殿はそうじゃ」
大野治長、彼はというのだ。
「茶々様を止められぬ」
「あの方がそうでは」
「そして片桐殿もとなりますと」
「厄介ですな」
「それも実に」
「うむ、お二方は切支丹をご存知でも茶々様はご存知なくじゃ」
しかもというのだ。
「しかも茶々様を止められぬのでは」
「同じですな」
「大坂が切支丹を知らぬのと」
「それではですな」
「同じことですな」
「そうじゃ、石田殿や義父上なら出来た」
彼等ならというのだ。
「茶々様をお止めすることがな」
「ですな、あの方々ならです」
「それも出来ました」
「そのことも」
「そう思うと無念でならぬ」
幸村は瞑目する様にして述べた。
「あの方々が今おられぬことがな」
「豊臣家にとっては」
「実にですな」
「うむ、しかし思っても仕方がない」
「ですな、確かに」
「おられなくなった方々のことは」
「どうにもなりませぬな」
幸村にも十勇士達にもわかっていた、例え石田達がいないことを嘆いても死んだ者達は戻って来ない。それでだった。
幸村は九度山においてだ、あらためて言った。
「茶々様には軽挙を慎まれることを願うのみ」
「ですな、最早」
「我等はそれを願うしかありませぬな」
「天下が乱れるきっかけになるやも知れぬので」
「是非ですな」
「その通りじゃ」
こう言ってだ、幸村は願うばかりだった。茶々が過たぬことを。しかしそれが虚しい願いであることも心の何処かでわかってもいた。
それでだ、あえて星を見ずに十勇士達に語ったのだった。
「では今夜も飲むか」
「はい、それでは」
「今宵も飲みましょうぞ」
「干し魚や梅があります」
「そうしたもので」
「我等で飲もうぞ」
心を許し合った者達でとだ、こう話してだった。
憂いを忘れる為に飲んだ、それが彼が今することだった。
巻ノ九十七 完
2017・3・1