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巻ノ九十六

                 巻ノ九十六  雑賀孫市

 その話を聞いてだ、幸村はすぐに言った。

「うむ、では」

「そちらにですか」

「行かれますか」

「願っても適ってもないこと」 

 こう伝えてくれた家臣達に述べた。

「それではな」

「すぐにですか」

「ここを発たれますか」

「そうする、内密にな」

 幕府の目を逃れてというのだ。

「そしてだ」

「件の方の下に参られ」

「そうしてですか」

「教えを乞う、まさかその様な場所におられるとはな」

 幸村は驚きを隠せない声でこうも言ったのだった。

「思わなかったわ」

「長きに渡って行方が知れませんでしたが」

「どうなっておられたのかと思っていましたが」

「それがです」

「あちらにおられるとは」

「この機は逃さぬ」

 幸村は強い声で言った。

「絶対にな」

「それでは留守はお任せを」

「いつも通り」

「頼んだぞ、ではじゃ」

 幸村は家臣達にこうも言った。

「小助を呼べ」

「はい、それでは」

「その様に」

 家臣達は幸村のその言葉にも応えてだ、そのうえでだった。実際に穴山を幸村のところに呼んだ。するとだった。

 穴山は幸村の前に風の様に参上した、そうして主に対して問うた。

「殿、お話は聞きました」

「うむ、ではよいな」

「はい、参りましょうぞ」

 穴山は幸村に目を輝かせて答えた。

「是非」

「それではな」

「はい、では熊野にですな」

「今から行く」

「同じ紀伊とは」

「奇遇じゃな、しかしな」

「雑賀殿は元々この紀伊の方」

「だからここにおられるのもな」

 紀伊、今幸村達がいるこの国にというのだ。

「当然じゃ。しかもこの紀伊は山が深い」

「そして木々も多く」

「潜むには持って来いじゃ」

「だからですな」

「そのまま紀伊におられるのも有り得たこと」

 幸村の言葉は冷静なものだった。

「それではな」

「熊野に赴き」

「雑賀殿にお会いしようぞ」

「わかりました」

 こうしてだ、幸村は穴山を連れてだった。九度山を発ち。

 そして同じ紀伊にある熊野に入った、その熊野に入るとすぐにだった、穴山は鬱蒼と茂った周りの木々を見回して言った。

「いや、ここはです」

「他の場所よりもな」

「木が茂っていますな」

「そうじゃな」

「こうした場所に人がおるとなりますと」

 鉄砲を右肩に担いだうえでの言葉だ、最早鉄砲は彼にとっては身体の一部だ。

「やはり」

「仙人かな」

「忍の者ですな」

「若しくは修験者じゃ」 

 そうした者達だけだというのだ。

「いるのはな」

「そしてですな」

「ここに雑賀殿がおられる」

 二人が会おうとしている彼等がというのだ。

「ではな」

「はい、今より」

「雑賀殿にお会いしようぞ」

「わかり申した、ではこれより」

「周りの木々の言葉を聞いてな」

「そうしてですな」

「雑賀殿のおられる場所を聞こうぞ」

 二人でだとだ、そして耳をそばだててだった。二人は実際に木々や草や石、鳥や獣達の言葉を聞いた。そのうえで。

 熊野の奥にある一軒の庵に着いた、その庵の前に来るとだ。

 一人の男が出て来てだ、驚いて言って来た。

「人か」

「はい、そうです」

「まさかこの様な場所に人が来るとは」

「実は雑賀殿にお願いがありまして」

 幸村はその男雑賀孫市にすぐに言った、見れば彫りが深く荒削りな顔立ちをしている。背は高くしっかりとした体格だ。

「こちらに主従参りました」

「わしにか」

「はい、修行をと思いまして」

「その言葉の訛りは信州か」

 幸村の話を聞いていてだ。雑賀はこのことに気付いた。

「まさか」

「はい、左様です」

「そしてわしの居場所を探し出せるとなると」

 信濃の生まれでだ、雑賀はこの二つから考えて述べた。

「貴殿、真田左衛門佐殿か」

「おわかりですか」

「考えていけばわかる」

 それでというのだ。

「信州生まれでそこまで出来るとなるとな」

「そうですか」

「九度山に流されていたと聞いておったが」

「雑賀殿に是非にと思いまして」

「山をあえて出てか」

「はい」

 その通りだというのだ。

「是非にと思いまして」

「そこまでして来るとはな」

「いけませぬか」

「幕府を恐れずか、いや凄きことじゃ」

 雑賀は幸村と穴山を感心する顔で見つつ言った。

「見事、ではな」

「それでは」

「うむ、そちらの御仁は十勇士の一人か」

「穴山小助と申します」 

 穴山は自ら名乗った。

「実はそれがしの為にです」

「真田殿がじゃな」

「こちらに連れて来てくれました」

「穴山殿と言えば十勇士随一の鉄砲と火薬の使い手」

 雑賀も知っていることだ。

「では」

「はい、雑賀殿のです」

「鉄砲と火薬の術をじゃな」

「ご教授して頂きたいのです」

「そしてじゃな」

 雑賀はその目を鋭くさせて言った。

「時が来れば」

「それは」

「いや、言わずとも良い」

 雑賀は微笑みそれはいいとした。

「別にな」

「左様ですか」

「わしも今では世捨て人じゃ」

 笑って言うのだった。

「だからな」

「それで、ですか」

「幕府も何も関係ない」

「それでは」

「わしでよければな」

 その穴山を見ての言葉だ。

「是非な」

「教えて頂けますか」

「うむ」

 快諾の返事だった。

「そうさせてもらおう」

「それでは」

「早速じゃ、ではこの庵に寝泊りしつつじゃ」

 そうしてというのだ。

「修行をしてもらう」

「わかりました」

「鉄砲も火薬も充分にある」

 こういったものもというのだ。

「だから安心せよ」

「左様ですか」

「ここから少し離れた場所に小屋があってな」

「その小屋にですな」

「そういったものが揃えてある、火薬もじゃ」

 それもというのだ。

「ふんだんにある、わし自身作ることも出来る」

「火薬もまた」

「作っておる」

「流石ですな」

「ははは、それは御主もであろう」

「はい、火薬はそれがしのものと言ってもいいもので」

「ならばじゃな」

「それがしもです」

 穴山自身も答えた。

「作れます」

「では同じじゃ」

「雑賀殿とですな」

「そうじゃ」 

 雑賀は笑ってだ、穴山に話した。

「生まれついての火薬使い、ではな」

「その火薬の使い方をですな」

「さらに授けようぞ」

「そうして頂けますか」

「これよりな、特に鉄砲じゃが」

 穴山が得意中の得意としているそれもというのだ、雑賀にしてもこれを使い信長に煮え湯を飲ませたことがある。

「そなたに教えようぞ」

「その秘術も」

「無論じゃ、わしが知っている全てな」

「教えて頂きますか」

「これよりな、そして」

「そして?」

「それは今からはじめる」

 早速だった。

「よいな」

「わかり申した」

「それではそれがしも」

 幸村も雑賀に申し出た。

「付き合わせて頂きます」

「真田殿もか」

「そうして宜しいでしょうか」

「無論、では真田殿もじゃ」

「はい」

「わしと共に修行をしてな」

 そうしてとだ、幸村にも言った。

「強くなってもらう」

「それでは」

 こうしてだった、穴山は雑賀から鉄砲そして火薬を使った術の全てを教えてもらうことになった。熊野の深い山の中でだ。

 彼等は駆け巡り鉄砲を撃った、ここでだった。

 雑賀は鉄砲を撃ちつつだ、穴山に言った。

「雨や雪でもじゃ」

「鉄砲はですな」

「うむ、撃つことじゃ」

「それが出来る様にですな」

「常に火蓋を濡らしてはならぬ」

 こう言うのだった。

「そして鉄砲自体もな」

「濡らさぬ」

「いざという時までは出さぬ様にしてな」

「そして出せば」

「素早く撃つことじゃ」

 雑賀は並の者の倍以上の速さで鉄砲を次から次に撃っていた、それだけでなく短筒も出して的を撃っていた。

 狙いは百発百中だった、山の木々の中を激しく駆け巡りつつ。

「こうしてな」

「駆けつつも」

「むしろ駆けてもな」

 その中でもというのだ。

「常に狙ったものを撃たぬ様では」

「いけませぬな」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「それはわかっていよう」

「拙者も忍です」

 これが穴山の返事だった。

「そして忍の戦はです」

「何時でもじゃな」

「はい、駆けるものですから」

「そうしつつじゃ」

「この様にですな」

 穴山も駆けつつ鉄砲を仕込み放って言う、的を確実に撃っていた。

「すべきですな」

「見事、しかしな」

「今のではですな」

「少し仕込むのが遅い」

 弾、それをというのだ。

「だからな」

「より、ですな」

「速くじゃ、そしてな」

 雑賀はさらに言った。

「鉄砲を一本ではなくな」

「短筒と」

「それと合わせてじゃ」

「撃つことですな」

「これもじゃ」

 言いつつだ、雑賀は懐から包絡を出した。かつて蒙古の軍勢が鎌倉幕府と戦った時に使っていたものだ。

 それを出して投げて爆発させてだ、穴山に言った。

「使うことじゃ」

「炮烙ですか」

「これもじゃ」

「それがしも使っていましたが」

「多くはなかったな」

「はい」

 実際にだとだ、穴山は答えた。

「実は」

「鉄砲が多かったな」

「火薬の術は」

「しかしじゃ」

「それをですな」

「短筒にな」

「それもですな」

「使ってじゃ」

 そうしてというのだ。

「戦うことじゃ」

「これからは」

「そうすればな」

 雑賀はさらに言った。

「御主はさらに強くなるわ」

「火薬の術についても」

「火薬は強い」

 雑賀は確かな声で言い切った。

「だからこそじゃ」

「これまで以上に」

「身に着けてもらう」

 是非にという言葉だった。

「よいな」

「はい、それでは」

「折角ここまで来てもらった」

 それならばというのだ。

「それならばな」

「全てを身に着け」

「帰ってもらう」

「だからですか」

「そうじゃ、わかるな」

「はい、雑賀殿はそれがしに全てを授けようとされています」

 今も山の木々の中を跳ぶ様に駆けている、そうしつつ雑賀は鉄砲も短筒も放ち炮烙も使う。それは一人で千人以上は相手に出来る程の凄さがあった。

 その彼の動きを見てだ、穴山は言うのだ。

「その凄まじさからわかります」

「そうか」

「はい、それではそれがしも」

「受けてくれるな」

「必ず」 

 穴山も鉄砲や炮烙を使いつつ答える。

「この動きをさらに短くさせて」

「そうせよ、しかしな」

「はい、そこまで至るのもですな」

「容易ではない、並の者では無理じゃ」

 雑賀は穴山に言った。

「到底な、しかしな」

「それでもですな」

「御主なら出来る」

 こうも言うのだった。

「必ずな」

「そう言って頂けますか」

「はっきりと感じる、そなた素質だけではない」 

 自分に完全について来る穴山のその動きを見ての言葉だ。

「相当な鍛錬を積んできたな」

「はい、これまで」

「それが出ておるわ」

 その動きにというのだ。

「相当なものじゃ、その為素質が伸びたわ」

「はい、殿に言われております」

 共に駆ける幸村を見てだ、穴山は答えた。

「素質だけでは駄目であると」

「日々の鍛錬がじゃな」

「はい、それが力になると」

「そうじゃ、幾ら才があろうともじゃ」

「何もせぬならば」

「何もならぬ、しかし御主は違う」

 穴山、彼はというのだ。

「その鍛錬、普通のものではない」

「殿とお会いしてから常に鍛錬をしてきました」

「ならばな」

「その鍛錬によるもので」

「御主はわしの全てを授けられるまでの者になった」

 こう言うのだった。

「だからな」

「雑賀殿はそれがしに」

「わしの術の全てを授ける」

 あらためてだ、穴山に告げた。

「金の術の全てをな」

「では」

「ついて参れ、そして術を身に着け」

 そしてというのだ。

「その力で御主達が目指すものを掴むのじゃ」

「それがし達のですな」

「そうじゃ、ただ強くなりたいのではあるまい」 

 雑賀にはわかっていた、このことも。

「御主達は何かを目指しておるな」

「義です」

 幸村は雑賀に一言で答えた、彼は鉄砲を放っていないが共に駆けている。それはまさに忍の動きだった。

「義の、武士の道をです」

「歩むか」

「そして時が来た時には」

「その術でか」

「働きます」

「だからじゃな」

「はい、今は家臣達に術を授けさせております」

 十勇士、彼等にというのだ。

「そうしております」

「わかった、ではな」

「その金の術をですな」

「穴山殿に全て授けよう」

「有り難きこと」

「もうわしはここから出るつもりはない」

 熊野、この奥からだというのだ。

「世のことには興味がない」

「そうなのですか」

「完全な世捨て人じゃ、それでもな」

「しかしですか」

「御主達はここまで来てくれた」 

 だからだというのだ。

「その想いに応えよう」

「それでは」

「うむ、是非な」

「小助にですな」

「わしの全てを授けてじゃ」

「そしてそのうえで」

「時が来れば戦われよ」

「そうさせて頂きます」 

 幸村も頷く、そしてだった。

 雑賀はそのまま穴山に彼の術を授け続けた、熊野の深い山の中を駆け回りつつ鉄砲や短筒、炮烙を使い続ける。

 その激しい戦と変わらぬ修行の中でだ、穴山は腕を上げ続けていた。それは日一日というものではなく。

「一瞬ごとにじゃ」

「それがしは強くなっておりますか」

「うむ」

 その通りだとだ、雑賀は穴山に修行の中で答えた。今は朝起きてすぐにまずは飯を食っていた。その中での言葉だ。

「修行の中でな」

「そうであればいいですが」

「わしも驚いておる」

 雑賀はこうも言った。

「ここまですぐに強くなっておる者ははじめてじゃ」 

「そうなのですか」

「これは思ったよりも早く強くなる」

 こうもだ、雑賀は話した。

「そして免許皆伝もじゃ」

「それもですか」

「早いな」

 雑賀はここで笑った。

「これは」

「そうであればいいですが」

「そうせよ、それでじゃあが」

「それでとは」

「うむ、天下は今は徳川殿のものとなったが」

 天下の話をだ、雑賀はここでしたのだった。

「それは定まってきておるか」

「はい、それはかなり確かにです」

 幸村が答えた。

「定まってきております」

「そうか」

「はい、泰平の天下がです」

「定まるか」

「そうなってきております」

「豊臣家の天下かと思ったが」

 雑賀の見立てではだ、そうだったというのだ。

「そうはならなかったか」

「どうにも」

「そこはわからぬのう」

 人の世のそれはというのだ。

「徳川殿の天下になるとは」

「はい、そのことは」

「人の世はそうしたものか」

 雑賀は遠い目になり言った。

「どうなるかわからぬか」

「そうかと、しかし」

「しかしとは」

「おそらく徳川殿の天下はです」

「定まるか」

「そうなると見ております」

 幸村は確かな顔で雑賀に答えた、そこには確かな知性と品格があった。媚も偽りも一切ない顔であった。

「それがしは」

「それは何故か」

「太閤様は天下を統一されてからすぐに戦をされました」

「唐入りじゃな」

「それで天下を定める政がおろそかになりました」

「それで天下を定められず」

 雑賀も状況がわかってきた。

「太閤様がお亡くなりになられてか」

「そうです、その後はです」

「豊臣家の天下は終わったか」

「何よりも大納言様がおられなかったので」

 幸村は雑賀に彼のことも話した。

「あの方ならば太閤様を止められたのですが」

「そういえばそうじゃったな」

「はい、雑賀殿もこのことはご存知ですな」

「聞いておった、大納言様が太閤様を止められていたとな」

「何かと」

「その大納言様もおられなくなり」

「そのうえで唐入りをされ」

 幸村の言葉が次第に詰まってきた、そのうえでの言葉だった。

「しかも利休殿も関白様も」

「聞いておる、自害されられたな」

「お二方共、特に」 

 幸村は言葉を詰まらせた、そうして言ったのだった。彼のことを。

「関白様が」

「あれはな」

「雑賀殿もですな」

「聞いておるだけだったが」

 それでもという返事だった。

「しかしな」

「そう言われますか」

「実に無念であられただろうな」

「何とかお助けしたかったのですが」

「そういうことか」

 ここでだ、雑賀もわかった。幸村が何故ここにいるのか。

 そしてだ、こう言ったのだった。

「わかった、わしもな」

「左様ですか」

「そういうことであったか」

「無念でした」

 幸村も言ってだ、その横では穴山も同じ顔になっていた。

「まことに」

「そうであろうな」

「それがしを認めて下さった方ですが」

「しかしあの方とはあまり」

「はい、お話したこともお会いしたことも少なかったです」

 幸村もこのことは認めた。

「実に」

「そうであったな」

「しかしです」

「それでもか」

「そうです、それがしを認めて下さったことは事実dす」

「士は己を知る者の為に戦う、か」

 雑賀はこの言葉を思った、このことを。

「そうなるか」

「そうです、つまりは」

「そうか、だがあえて言おう」

 雑賀は幸村を確かな声で見つつ彼に告げた。

「生きよ」

「我等に」

「わしが思うに貴殿達は死ぬにはあまりにも惜しい」

「その時にですか」

「そうか、だからじゃ」

 それ故にというのだ。

「何があってもな」

「生きよと言われますか」

「うむ」

 その通りという返事だった。

「そうされよ」

「そうですか」

「死ぬには惜しい」

 これが雑賀が幸村達に思うことなのだ、そしてそれ故にというのだ。

「あまりにもな」

「だからですか」

「戦ってそうしてな」

「生きよと」

「生きてそうしてな」

「そのうえで、ですか」

「そうじゃ、思いを果たすのじゃ」

「そしてその為にも」

「わしは穴山殿に術を授ける」

 ここでまた穴山を見て言った。

「必ずな」

「そしてその術で」

「生きて欲しい」

「必ず」

「そうじゃ、何があっても氏んではならぬ」

 雑賀は幸村達に心から言った。

「わしは死ぬ術を授けるつもりはない」

「生きる為のですか」

「そうした術じゃ」

 それになるというのだ。

「金の術はな」

「それでは」

 穴山もだ、雑賀に応えた。

「そうさせて頂きます」

「いいな」

「はい、雑賀殿の術を全て身に着けます」

「そうしてもらうぞ」

「そして殿と共に戦い」

「生きるな」

「十一人全てが」

 こう雑賀に約束したのだった。

「そうします」

「一人も欠けることなくな」

「何があろうとも」

「その意気じゃ、死ぬ術はわしは知らぬ」

 雑賀のその言葉は偽りはなかった、目にそれがはっきりと出ていた。

「生きる術じゃ」

「そしてその術を全て」

「教えるからな」

 こう言うのだった、そしてだった。

 実際に雑賀は穴山に術を教えていったが死ぬ様な術は教えない、それで駆けつつこうも言ったのだった。

「よいか、己の身体に火薬を置いてじゃ」

「そうしてですな」

「自爆する様なことはな」

「それはですな」

「術ではない」

 これまでになく厳しい言葉だった。

「断じてな」

「自爆はですか」

「松永殿もされておったな」

「茶器に火薬を詰めてですな」

「それに火を点けて爆発させて自害されたが」

 平蜘蛛という天下の名器にそうした、彼が終生大事にしていたその茶器を道連れにしてそうなったのである。

「ああしたことはな」

「断じてせぬこと」

「そうじゃ、爆発させてもじゃ」

「自身はですな」

「巻き込むな」

 こう言うのだった。

「よいな」

「死ぬからですな」

「火薬は己が死ぬ為にあるのではない」

「敵を倒す為ですな」

「それ以外には使うではない」

「何としても生きよ」

「その為じゃ」

 それ故にというのだ。

「これは止めよ」

「わかりました」

「その様にな」

「はい、どういった使い方でも」

「自害はせぬことじゃ」

「それには使わないことですな」

「貴殿達は武士の身分もあるが」

 幸村の家臣としてだ、禄も貰っていた。

「しかしな」

「それでもですな」

「御主達の武士道はそうしたものでもあるまい」

「死ぬ時は同じです」

「ならばじゃ」

「そうでもない限りはですな」

「死ぬな」

 無駄にというのだ。

「共に死ぬ時まで生きよ」

「だからですな」

「元より雑賀の術に自害はないが」

「それ以上に」

「そなた達は生きよ」

「死ぬ時と場所は同じと誓ったなら」

「無闇に自害なぞするものではないわ」

 雑賀の言葉は強かった。

「だからな」

「それでは」

「そうじゃ、自害なぞ断じてしないことじゃ」

「そう致します」

「十勇士は真田殿と友であり義兄弟であるからにはと言ったな」

「だからこそ死ぬ時と場所は同じです」

 穴山も強く言う、このことは。

「義兄弟の契りを結んだ時に強く誓い合いました」

「では最初からそう考えるな」

「その時まで生きることですな」

「恥をかくこともあろう、忍ぶこともあろう」

「それでも」

「誓ったなら生きることじゃ」

 それならというのだ。

「どれだけ辛くとも苦しくともな」

「死のうとは思わず」

「十一人で戦い生きるのじゃ」

「では」

「その為の金の術を全て授けておる」

 今はもというのだ。

「それを使い戦い生きるのじゃ」

「そうさせて頂きます」

「是非な」

 こうした話もしながらだった、雑賀は穴山に術を授けていった。穴山の腕はさらに上がりそうしてそのううでだった。

 夜も修行に励む、無論雨が降っても行われ。

 三人共山の中でいた、それも常に。

 火薬も使うがだ、ふとだった。

 穴山は眉を動かしてだ、雑賀に言った。

「草木が言っておりまする」

「何とじゃ」

「はい、当てるなと」

「自分達にはじゃな」

「その様に」

「そういえば貴殿達は草木の声が聞こえるな」

「石のそれも」

 そうした声を立てないものからもというのだ。

「存分に」

「そうしたことも出来るな」

「耳を澄ませば」

「そうか、ではな」

「草木にはですな」

「当てぬ様にしよう」

「それでは」

「忘れておったわ」

 雑賀はこう言った。

「それのことは」

「草木のことは」

「どうもな」

「そうでしたか」

「わしには御主達までには聞こえぬからな」

 草木や石の声はというのだ。

「だからな」

「そうだったのですか」

「そうした術が出来るとな」

「それも使い」

「今以上に戦うとよい」

「修行もですな」

「していくことじゃ」

 是非にというのだ。

「これからもな」

「では」

「その様にな、それとじゃが」

「それと、とは」

「うむ、貴殿達の絆に感じ入った」

 雑賀は穴山達にこのことも言った。

「主従であるが友人同士でもあり義兄弟でもありじゃな」

「はい、そして」

「死ぬ時と場所まで共にとはな」

「その絆がですか」

「感じ入ったわ、そこまで思うならな」

 まさにというのだ。

「是非共じゃ」

「その様にですか」

「せよ、確かに激しく辛い道じゃが」

「それでもですな」

「最後の最後までな」

 雑賀の言葉は温かいものだった。

「貫くことじゃ」

「歩めと」

「そう願う」

「ではな、修行を続けようぞ」

「それでは」

 こう話してだ、そしてだった。

 雑賀は穴山に己の術を授けていった、穴山の鉄砲を撃つ速さも短筒のそれも雑賀と全く変わらなくなっていた。

 そしてだ、炮烙もだった。

「うむ、炮烙もな」

「これまでよりですな」

「火を点けて放つのがな」

「速くなっていますな」

「うむ」

 その通りとだ、実際に雑賀が投げたそれを見て答えた。

「よいことじゃ、炮烙は使える」

「戦の場において」

「そうじゃ、大きな音が立つ」 

 爆発のそれである。

「それにより多くの兵が驚く」

「かつて蒙古の軍勢が使っていましたな」

「あれは鳴るだけであったが」

「今の炮烙はぶつけることも出来ますな」

「それがまた強い」

「だからですな」

「よりじゃ」

 まさにというのだ。

「速く正確に投げてな」

「敵をですな」

「倒すのじゃ」

「そうする様にします」

「一度に幾つも投げられるか」

 雑賀は穴山にこのことも問うた。

「どうじゃ、それは」

「はい、それはです」

「出来るか」

「この通り」

 こう言ってだ、穴山は炮烙を三つ同時に出してそれを投げてみせた。勿論火を点けてそのうえで、である。

 三つ一度に爆発させた、そうしてみせるとだ。雑賀も満足して言った。

「見事じゃ」

「炮烙のこうした使い方もですな」

「よいのじゃ、あと短筒と鉄砲も絶え間なく使えばな」

「よりですな」

「よい、そうしたことも覚えてもらう」

 これからはというのだ。

「わかったな」

「承知しました」

「あと少しじゃ」

 雑賀は微笑んで穴山に語った。

「御主の免許皆伝までな」

「あと少しですか」

「うむ、だからな」

「これまでより励み」

「そこまでいってもらうぞ」

「それでは」

 穴山は頷いて今度は鉄砲と短筒を絶え間なく使ってみせた、それもまた雑賀の満足がいくものだった。彼等がそうしたことをしている間に。

 大坂では家老の片桐且元が疲れた顔でだ、彼の家臣達にこう漏らしていた。

「相変わらずじゃ」

「茶々様も大野殿もですか」

「そして大蔵局殿も」

「うむ、どなたもか」

 その疲れた顔のまま言う。

「天下のことがわかっておられぬ」

「ですか」

「今天下は徳川に傾いていてです」

「諸大名もなびいているのに」

「それでもですか」

「あの方々は」

「わかっておられぬ」 

 一切という言葉だった。

「どなたもな」

「強きことは言われますが」

「それでもですな」

「天下のことを何一つわかっておられぬ」

「そして豊臣家のことも」

「豊臣家はもう力はない」

 かつて天下人であったがそれも昔というのだ。

「だからもうな」

「家のことを考えますと」

「幕府に従い」

「そしてそのうえで」

「一大名としてですな」

「生きるべきじゃが」

 それでもというのだ。

「あの方々はじゃ」

「全くわかっておられず」

「幕府に強いことばかり言われる」

「そうなのですな」

「幕府は四百万石、それだけで十万の兵を集められる」

 片桐は兵の話もした。

「それに対して今の豊臣家は一万五千」

「六十万石なので」

「それ位ですな」

「話になりませぬな」

「最早」

「そうじゃ、兵の数だけ見てもじゃ」

 最早というのだ。

「比べ様もないわ」

「ですな、確かに」

「それではです」

「銭で浪人を集められても」

「それでも」

「同じじゃ」

 そうだというのだ。

「浪人は確かに集められる」

「はい、豊臣家にある銭ならば」

「太閤様が置いておかれた多くの銀や金があります」

「それで相当に集められますな」

「それが可能ですな」

「うむ、しかしそれで兵を集めてもな」

 それでもとだ、片桐は難しい顔で述べるのだった。

「何になるか」

「それは戦ですな」

「幕府相手のそれになりますな」

「兵を集めれば」

「それで」

「戦をしても何にもならぬ」

 片桐の言葉は苦いものだった。

「もう抜き差しならぬものになるわ」

「幕府とですな」

「まさに」

「そうなるからじゃ」

 だからだというのだ。

「それはよくない、一旦集めた浪人達はそう簡単に放つことも出来ぬ」

「集めた者達をどうするか」

「そのことも厄介ですし」

「兵は集めぬこと」

「最初からですな」

「そうせねばならぬ、もうこのまま生きるしかないのじゃ」 

 豊臣家はというのだ。

「家だけでも残すべきで幕府もな」

「その様にお考えですな」

「豊臣家を大名として扱ってくれますな」

「これからも」

「それは確かじゃ」

 片桐は確信していた、このことは。彼は幕府の政を細かいところまで見ていてこのことをはっきりとわかっていた。

「おそらくこの城から出ることになるがな」

「大坂城からはですか」

「この城からは」

「摂津、河内、和泉からな」

「豊臣家が今治めているこの三国からですか」

「去ることになりますか」

「幕府は大坂が欲しいのじゃ」

 この城と摂津、河内、和泉の三国がというのだ。

「それだけじゃ」

「豊臣家を滅ぼしたいのではなく」

「城と三国が欲しい」

「それだけですか」

「うむ、大坂から西国を治め銭も手に入れたいのじゃ」

 これが幕府の考えだというのだ。

「大坂におれば都や奈良の入口であり西国全体のものが集まるな」

「それがあり太閤様もこの地に城を築かれました」

「そして天下を治められました」

「そのことから見てもですな」

「幕府は大坂が欲しいのですか」

「幕府は江戸と大坂から天下を治めるつもりじゃ」

 この二つの場所からというのだ。

「江戸で東国、大坂で西国。そして大坂に集まる富も手に入れたいのじゃ」

「それで天下の政を磐石にするのが本意であり」

「豊臣家を滅ぼすまでは考えておりませぬか」

「欲しいのはあくまで地」

「大坂の城と三国ですか」

「大坂から出れば豊臣家には力はない」

 それで完全にというのだ。

「大坂城がなければわかるな」

「天下の名城ですからな、この城は」

「この城から出ればです」

「まさに豊臣家は無力です」

「何の力もありませぬ」

「大御所様は無体な方ではない」

 片桐は家康の話もした。

「あの方はな、それは御主達も知っていよう」

「はい、あの方はそうした方です」

「血を好まれる方ではありませぬ」

「無闇なことはされぬ方です」

「そうした方なのは事実です」

「そうじゃ、だからな」

 それでとだ、片桐は彼の家臣達にさらに話した。

「我等が大坂城から出て他の国に移れば」

「それでよい」

「もう後は何もされませぬか」

「そうじゃ、茶々様は江戸に入られることになると思うがな」

 片桐はこの読みも話した。

「これは他の大名もそうしておろう」

「ですな、次第に」

「そのうえで大名の方々に領国と江戸を行き来する様にされてますな」

「そうした考えの様ですな」

「幕府としては」

「それはそうさせられる」

 茶々、彼女はというのだ。

「他の大名達と同じじゃ、しかし大名であってもな」

「別格ですな」

「百万石の前田家以上の格で遇してもらえますな」

「家柄としては」

「その様に」

「だからお拾様に千姫様を嫁がせて下さったのじゃ」

 家康はというのだ。

「ならば決して無体にされぬ」

「そうした風に遇して頂いて」

「これからもですな」

「確かに扱ってくれますか」

「国持大名として」

「そうして下さる、家を残すことを考えるべきじゃ」

 豊臣家としてはというのだ。

「絶対にな、ではな」

「はい、それでは」

「我等も及ばずながら尽力致します」

「そして豊臣家を救いましょう」

「家を残しましょう」

 家臣達も片桐に口々に言った、そして彼に誓うのだった。

 片桐は豊臣家を必死に守ろうと動いていた、彼はもう天下人が誰かということがわかっていた。しかし。

 それを聞いてもだ、茶々はあくまで言うのだった。

「右府殿はわからぬ」

「全くですな」

「何かと言われますが」

 傍にいる女達が茶々に応えて言う。

「例え奥方様の祖父殿はいえです」

「幕府を開かれましたが」

「あくまで臣下」

「お拾様の外祖父といえどもです」

「臣下に過ぎません」

 茶々の周りの女達も主と同じ考えであった、それでこう言うのだ。

「それで何故あの様に言われるのか」

「全く以て不遜な」

「茶々様を奥にと言われたり」

「江戸に来られよと言われたり」

「何でも大坂からの城替えまで考えておられるとか」

「何と不遜な」

「勘弁なりませぬ」 

 女達は忌々しげに言う、そして。

 茶々もだ、彼女達に強い声で言った。

「妾の考えは変わりません」

「大坂から移ることはないですね」

「この城からは決して」

「そうですね」

「そうです、間違っても右府殿の妻にはなりませぬ」

 こうも言った。

「何があろうとも」

「そして大坂からも出られませんね」

「決して」

「無論です、天下人はお拾殿です」

 我が子秀頼というのだ。

「只でさえ官位で上に立たれるなぞ」

「与えられた帝も帝ですが」

「何と腹立たしい」

「右府殿がそうされるなら」

 強い顔でだ、茶々は言った。

「こちらも対するだけです」

「はい、全くです」

「豊臣の力見せてやりましょう」

「真の天下人が誰なのかを」

 女達は勇ましい、だが。

 彼女達は城の限られた中にいた、そこから言っていた。しかもそのことに全く気付かないまま勇ましいだけであった。大坂はそうしたままであった。



巻ノ九十六   完



                        2017・2・23




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