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巻ノ九十四

                 巻ノ九十四  前田慶次

 家康は駿府に入って天下の政を見ていた、彼は法を定めるだけでなく天下を治める仕組みも固めていっていた。

 そのうえでだ、彼は大坂のことを聞きこう言った。

「大坂だけ欲しいがのう」

「はい、大御所様は」

「左様ですな」

「あそこを手に入れればそれでじゃ」 

 まさにというのだ。

「天下は成る」

「東の江戸に西の大坂」

「この二つを得て、ですな」

「そのうえで幕府の政は定まる」

「そうなりますな」

「大坂から西国を治め天下のものを動かす」 

 家康は確かな目で語った。

「だからこそわしは大坂が欲しいのじゃ」

「天下を治める為に」

「その為にも」

「あの城と三国じゃ」

 摂津、河内、和泉のというのだ。

「これだけで充分じゃ」

「ですな、豊臣家はです」

「正直どうとでもなります」

「あの家は他のところにやれば充分です」

「それだけでよいです」

「江戸の近くに置くか大和にでも行ってもらうか」 

 豊臣家はとだ、家康は述べた。

「何なら茶々殿がわしの奥になってくれてもよい」

「ですがそれは」

「既に」

「また申し出てもよいが」

 家康は笑っていった、笑っているが決して品のないものではない。

「わしからな」

「いえ、大御所様が申し出られても」

「それでもです」

「茶々様がよしと言われませぬ」

「あの方が」

「そこじゃ、わしは悪い様にせぬ」 

 そのつもりである、実際に。

「仮にも正室として迎えるのだからな」

「だからこそですな」

「そこはしっかりとですな」

「礼節を守り」

「そのうえで、ですな」

「守っていくつもりじゃがの」

 正室として迎えてもというのだ。

「勿論お拾殿もな」

「はい、そうなればあの方は大御所様の養子となりますし」

「そうする理由がないですな」

「全く以て」

「既に千を嫁がせた」

 孫娘である彼女をというのだ。

「そのうえでそれじゃ、ならばな」

「悪い様にはされぬ」

「その様にですな」

「そのつもりはない、しかし大坂はもらう」

 この地はというのだ。

「それだけじゃ、大坂を手に入れれば」

「幕府もですな」

「磐石になります」

「天下を長きに渡って治められます」

「そうなりますな」

「だから大坂だけ欲しいのじゃ」

 天下を統一する為にというのだ。

「そしてその為にはな」

「策もですな」

「用いられますな」

「そうする、御主達の知恵も借りる」

 ここでだ、家康は崇伝と正純を見た。駿府にまで連れてきた家康にとっては知恵袋である者達である。

「その為にはどんな策でもよい」

「はい、しかし」

 ここで崇伝が家康に言った。

「拙僧達も策を出しますが」

「それ以上にか」

「茶々様は政のことが何もわかっておられませぬ故」

「あちらからか」

「失策を犯されて」

「そこからか」

「立ち退くこともあるかと」

「それならそれでよい」

 家康もこう答えた。

「汚い策を使えばな」

「それが天下のあらゆる者に見られて」

「幕府の評判を落とす」

 このことを危惧して言うのだった。

「だからな」

「それよりもですか」

「うむ、茶々殿がしくじられればな」

「それでよしですか」

「そうじゃ、そして崇伝ついでに聞くが」

「何でしょうか」

「御主切支丹をどう思うか」

 彼等についてだ、家康は崇伝に問うた。

「一体」

「はい、普通にしていれば拙僧もです」

「神社と同じくじゃな」

「何も問題はないと思いますが」

「しかしじゃな」

「あの者達は自分達以外の教えを認めず」

 崇伝は家康に剣呑な顔で話した、切支丹達のことを。

「仏閣も神社も壊しです」

「僧侶も神主もじゃな」

「攻めますので」

「置いておってはいらぬ災いの元となるな」

「あれでは挙句殺しまでしかねませぬ」

 崇伝の剣呑な顔はそのままだった。

「ましてやです」

「うむ、民をな」

「奴婢として売り他の国でこき使うなぞ」

「以ての他じゃ」

「拙僧はこの話を聞いて仰天しました」

 崇伝には考えられないことだからだ、少なくとも彼にはそうした考えは一切ない故に。

「それは放っておいてはです」

「民達が苦しむ」

「あってはなりませぬ」

「わしも太閤様のお傍でその話を聞いて驚いたわ」

 実際に家康もこの話を知っていた、彼にとっても信じられないことだった。

「まさかな」

「その様なことをするとは」

「うむ、これは放ってはおけぬ」

「では」

「暫く様子を見るが」

「行いが変わらないのなら」

「その時はじゃ」

 家康は強い声で言った。

「切支丹を禁じる」

「そうされますか」

「あの教えはよい」

 切支丹、即ち耶蘇教のそれはというのだ。

「わしも少し読んだがな」

「それはですな」

「別に構わぬ、しかし他の教えを認めずあまつさえじゃ」

「民を奴婢にして他国に売り飛ばすなぞ」

「断じて許せぬ」

「だからこそですな」

「切支丹はな」

「このままではですな」

「禁じる、それも強くじゃ」

 こうまで言うのだった。

「そしてそのうえでじゃ」

「天下も民も守りますな」

「そうする、これを破るならば」

「その時はですな」

「誰であろうと罰する」

 やはり強い声で言ったのだった。

「そうしようぞ」

「さすれば」

「そのことも考えていくとしよう」

「わかり申した」

「これも政じゃ」

 教えのことを考えることもというのだ。

「確かにしてな」

「天下も民もですな」

「守ろうぞ」

「これに反するならば」

「兵を起こしてでもじゃ」

 そうしたことをしてもというのだ。

「防ぐ」

「そうでもしないとですな」

「天下は危ういからのう」 

 こう言うのだった、駿府において。そのうえで天下の政を見ていくのだった。

 幸村もまた天下を見ていた、しかし彼はそうしたことは見ていても重くを置いてはいなかった、今の彼はというと。

 天下の豪傑達を探し続けていた、そしてこの度も豪傑の一人を見付けてだった。伊佐に対して声をかけた。

「御主じゃ」

「次はですね」

「うむ、行き先は米沢じゃ」

「米沢といいますと」

「あそこには誰がおるか知っておるな」

「上杉殿が、そして」

「うむ、前田慶次殿もじゃ」

 彼もというのだ。

「おられる」

「そしてですな」

「御主を前田殿に会わせたい」

 幸村は伊佐に確かな声で言った。

「よいな」

「それでは」

 伊佐はいつもの穏やかな声で応えた。

「米沢まで」

「行こうぞ、それでじゃが」

「はい、それでもですな」

「うむ、前田殿は槍じゃが」

「しかしそれがしは錫杖です」

 使う武器はというのだ。

「そこは違いますな」

「しかし使い方はな」

「同じということで」

「前田殿のところに行きな」

「前田殿からですな」

「槍、いや棒の使い方を授かるぞ」

 それをというのだ。

「米沢まで行ってな」

「わかり申した」

「ではすぐにな」

「この九度山から」

「米沢に向かうぞ」

「それでは」

 こう話してだ、そのうえでだった。

 二人はすぐに九度山を経って米沢に向かった、やはり彼等だけが知っている忍道を使うと進むのは速かった。

 そしてだ、米沢に着くとだった。

 すぐにだ、幸村は共にいる伊佐に言った。

「着いたがな」

「はい、しかしですな」

「上杉家はかつては西軍におられたが」

「今はですな」

「幕府の中に入っておる」

「大名として」

「だから親しくは出来ぬ」

 幸村が人質として春日山にいた時の様にというのだ。

「今はな」

「左様ですな」

「しかも米沢じゃからな」

「越後におられた時の上杉殿とは違いますな」

「大きく変わった」

 そうなったというのだ。

「どの家もそうであるが」

「ですな、では」

「そのことも頭に入れてな」

「これから前田殿のところ参上し」

「教えを乞おうぞ」

 慶次のその術をというのだ。

「これよりな」

「わかり申した」

「おそらく上杉殿も直江殿も我等はここに来たことはご存知じゃが」

「それもですな」

「あえてじゃ」

「挨拶をせずに」

「我等はここにはおらぬ」

 米沢、この地にというのだ。

「そうなっておるからな」

「だからですな」

「そうじゃ、挨拶はせずにな」

「只の旅の武芸者として」

「前田殿のところに参ってな」

「教えを乞いますか」

「そうしようぞ、前田殿ならば」

 慶次のことは知っている、それ故の言葉だ。

「教えを乞えばな」

「我等でも」

「無論前田殿も気付かれる」 

 幸村達のことにというのだ。

「化けておってもな」

「それでもですな」

「そうされる、しかしな」

 慶次ならばというのだ。

「あの方は教えてくれる」

「そうしたことにこだわらぬ方ですな」

「それが前田殿じゃ」

「天下一の傾奇者であられるが故に」

「我等のことは前田殿にとっては小石程の大きさもない」

 天下一の傾奇者、その定まりなぞ気にしない者にとってはというのだ。

「だからな」

「拙僧達であっても」

「よいと言われる、間違いなくな」

「では」

「今から行くぞ」 

「はい、前田殿のところに」

「これよりな」

 こう話してだ、そしてだった。

 幸村と伊佐は二人である場所に向かった、そこは茶室だった。米沢の中にある小さな茶室であったが。

 傍に異様なまでに大きな黒い馬がいる、鬣は火の様に赤い。伊佐はその馬を見て幸村に言った。

「あの馬は」

「わかるな」

「松風ですな」

「そうじゃ」

 その馬だというのだ。

「これでわかるな」

「ですな、あの馬の持ち主といえば」

「前田殿じゃ」

 朱槍と並ぶ慶次の代名詞となっているものだ。

「ではな」

「この茶室に」

「前田殿がおられる」

「ではこれより」

「茶室に入ろうぞ」

「わかり申した」

 こうしてだった、二人は茶室に入った。すると。

 そこにいたのは歳を感じさせない大柄で見事なまでに派手な服を着た大きな髷の男がいた。その男がだった。

 二人を見てだ、笑顔で言った。

「遂に来られたか」

「お待ちでしたか」

「ははは、今か今かとな」

「左様でしたか」

「いや、待ちくたびれた」

 慶次は馬鹿でかい煙管を吹かしつつにこやなに述べた。

「そして今じゃ」

「遂にですか」

「来てくれたのう」

「おわかりだったとは」

「米沢に来た時からな」

「おわかりでしたか」

「気配でな」

 それによってというのだ。

「わかっておった」

「そうでしたか」

「これは殿もそうでな」

「直江殿もですな」

「しかし何も言わぬ」

 景勝も兼続もというのだ。

「貴殿等はここにはおらぬ」

「そうだからこそ」

「そうじゃ、わしもじゃ」 

 慶次はにこやかにこうも言った。

「天下の大不便者雲井ひょっとこ斎じゃ」

「そのお名前は」

「ははは、他にはないか」

「はい、どなたも使われませぬので」

「そうなのか」

「そうです」

「ははは、ではどう名乗ろうかのう」

 言葉は笑ったままだった。

「一体」

「さて、そうなりますと」

「ではそのことは後で考えるとしよう」

「後でですか」

「今はよい、とにかくな」

 慶次はあらためて二人に言った、茶室に入って来た幸村と伊佐に。

「茶を飲もうぞ」

「それでは」

「うむ、これから淹れるからのう」

 こうしてだ、二人は慶次から茶を馳走になった。そのうえで。

 三人で茶を飲む、そこでだった。慶次は二人にあらためて言った。

「さて、ここに来られたということは」

「はい、それでなのですが」

「わしにじゃな」

「是非教えて頂きたいのですが」

 幸村は慶次に畏まって応えた。

「宜しいでしょうか」

「うむ、ではな」

「それでは」

「わしの屋敷に来られよ」

 快諾であった。

「茶の後でな」

「宜しいですか」

「その為に来られたならな」

 是非にという返事だった。

「わしも教えさせてもらう」

「左様ですか」

「うむ、槍じゃが」

 ここでだ、慶次は伊佐を見て言った。

「貴殿は槍は使わぬな」

「錫杖です」

「そうじゃな、しかしな」

「それでもですな」

「先に刃があるかどうかじゃ」

 槍と杖の違いはというのだ。

「それだけの違いじゃからな」

「だからですか」

「よい」

 慶次は伊佐にも快諾で応えた。

「それではじゃ」

「この茶の後で」

「わしの術を全て教えさせてもらう」

「有り難きお言葉」

「わしの様な不便者に会いに来てくれたしのう」

「不便者なぞとは」

「ははは、わしは戦以外出来ぬ」

 慶次は口を大きく開いて笑って述べた。

「戦もなくなればな」

「出来ることがないからですか」

「不便者じゃ」

 そうなるというのだ。

「それも天下のじゃ」

「大不便者であると」

「そのわしに会いに来てくれたからにはな」

「応えて下さるのですか」

「そうする、そしてじゃ」

 慶次はこうも言った。

「貴殿達は幕府の為に使わぬな」

「備えた術を」

「どう使うかは聞かぬが」

 もっと言えばわかっていることだ、慶次にはそれだけの冴えがある。

「しかしそこに見たわ」

「傾きをですか」

「そうじゃ、わしは傾奇者じゃ」

 天下ではこれで天下一と言われている、彼の叔父だった前田利家共々それで名を馳せてきただけはありだ。

「傾くなら何処までも付き合うぞ」

「拙者が傾奇者とは」

「わし以上の傾奇者やもな」

 幸村にも言った。

「まさにな」

「幕府に従わぬからですか」

「そうじゃ、わしはもうここにおる」

 幕府に逆らうことなくとういうのだ。

「そもそも天下人に傾いたことはない」

「元右府様にも太閤様にも」

「むしろ元右府様のところで好き放題しておった」

 信長の時はというのだ。

「そして太閤様にもな」

「いえ、傾かれていたのでは」

「ははは、あれか」

「はい、太閤様とお会いした時に」

「まああれはな」

 慶次は自身が諸大名が居並ぶ中で秀吉の御前に参上した時のことを笑って話した。

「太閤様とも馴染みじゃったしのう」

「そういえば」

「織田家におってお互い若い頃からな」

「ああ、でしたな」

「叔父御が特に親しくてなあ」

 前田利家がというのだ、前田と秀吉の間柄はお互いに若く身分が低い頃から深く妻同士も実に仲がよかった。

「それでじゃ」

「だからですか」

「あの方ならばああされるとな」

「わかっていてですか」

「あえてやんちゃをしたのじゃ」

 悪戯小僧そのものの笑みでだ、慶次は幸村にその時のことを話した。

「そして太閤様は実際に許して下された」

「慶次殿のご存知であるが故に」

「そうじゃ、お互いにな」

「そうでしたか」

「もっとも少しやんちゃが過ぎたらな」 

 その時はとだ、慶次は話した。

「叔父御に殴られておったわ」

「そうでしたか」

「まあ実際後で殴られた」

 前田にというのだ。

「思いきりのう」

「前田殿らしいですな」

「ははは、叔父御とは歳も近くてな」

「それで、ですな」

「若い頃から喧嘩も多くてな」

「その時もですか」

「前田家を出ておったが」

 これまた悪戯で前田を水風呂に入れてそのうえで出たのだ、しかし前田家を出ても絆はあったのだ。

「それでも太閤様への無礼でな」

「前田殿に殴られ」

「これが随分と痛かった」

「前田殿の拳は」

「かなりな、しかしじゃ」

「それでもですか」

「ああなるとわかっておったからあえてしたやんちゃじゃ」

 慶次の笑みは変わらない。

「それだけのことじゃ」

「小さなことだと」

「そうじゃ、結局わしは大きな傾きはしておらぬ」

「天下の向こうを回す様な」

「うむ、しかし貴殿達は違う」

 幸村達はというのだ。

「若しかすると天下を回すやも知れぬからな」

「前田殿以上の傾きをすると」

「そうじゃ、傾奇者じゃ」

 その慶次の言葉だ。

「わしなぞ足元にも及ばぬ天下無双のな」

「ううむ、そうなのですか」

「傾き続けたわしが言うから嘘ではない」

「それがし達は天下一の傾奇者ですか」

「最後の最後まで傾いてみるか」

「はい、それならば」

 確かな声でだ、幸村はここで慶次に答えた。

「最後まで志を貫き」

「傾くか」

「そうしてみます、約束しましたし」

「約束とな」

「ある方に」

「それもあってか」

「幕府を向こうに回しても」

 それでもというのだった。

「それがし達は傾きます」

「ではな」

「はい、それを傾きというのなら」

「そうされよ、ではその心を見た」

 幸村達のそれをというのだ。

「では御主達にな」

「はい、これよりですな」

「わしの術を授けようぞ」

「拙僧に」

 伊佐が応えた。

「そうして頂けますか」

「ではな」

「はい、それでは」

「これよりな」

 こう話してだ、そのうえでだった。

 慶次は幸村と伊佐を連れてだった、茶の後でだった。自身の屋敷に連れて行った。そうしてその屋敷にある道場においてだった。

 早速稽古をはじめた、慶次はかなり巨大な棒を出して伊佐に言った。

「これよりはじめるが」

「前田殿の術はですな」

「言葉で話すものではない」

「じかにですな」

「手合わせをして覚えてもらう」

「そうしたものですか」

「そもそもわしは言葉は苦手じゃ」

 慶次は笑ってこうも言った。

「だからな」

「言葉よりもですな」

「実際に手合わせをして覚えてもらう」

「さすれば」

「これよりはじめるぞ」

「お願いします」

「そしてじゃが」 

 慶次はさらに言った。

「わしは一切手を抜かぬが」

「まさに戦そのものの」

「激しい稽古じゃ、わしは稽古は戦と同じだと思っておる」

 この考え故にというのだ。

「一切手は抜かずな」

「そうしてですな」

「全力で最後の最後までやるぞ」

「命賭けで」

「向かうから一切気を抜かずにもらいたい」

「では」

 伊佐も頷いた、そのうえでだった。

 慶次と伊佐は道場で棒を手にぶつかり合った、それは戦の場での死合と全く変わることはないものだった。

 突き振るい急所を狙う、二人は獣の殺し合いの様にぶつかり合った、だが二人のそれぞれの顔はというと。

 涼やかだった、澄み切ってさえいてだった。 

 その顔で稽古をする、汗だけでなく血も出るが。

 二人は稽古を続けた、そして二人共動けなくなるまでやってだ。慶次はその稽古の後で伊佐に対して言った。

 今は夜で酒を飲んでいる、幸村と三人で屋敷の縁側でそれを楽しみつつ言うのだった。

「酒はよいのう」

「はい、拙僧もです」

 伊佐は彼の言葉では般若湯を飲みつつ慶次に答えた。

「好きでして」

「真田殿と共にじゃな」

「主従十一人よく集まってです」

「飲まれているか」

「左様です」

「そうか、貴殿等は主従であるが」

「それと共にです」 

 伊佐は自分から言った。

「友であり」

「そしてじゃあな」

「義兄弟でもあります」

「そうした間柄じゃな」

「ですから酒もです」

 それもというのだ。

「よく共に飲んでいます」

「そうじゃな」

「この様にしてです」

「絆は深いか」

「その自負があります」

「それは何よりじゃ、わしもな」

 ここでだ、こうも言った慶次だった。

「友となってくれる者はいてくれてのう」

「直江殿にですな」

「そして結城殿じゃ」

「結城殿といいますと」

 幸村が応えた。

「やはり」

「うむ、大御所殿のご次男のな」

「あの方ですか」

「あれで見事な気質の方でのう」 

 結城秀康、彼はというのだ。

「わしの友にもなってくれた」

「そうでしたか」

「そうじゃ、しかし随分と寂しい方で」

「お父上とも上手くいっておらぬとか」

「ご幼少の頃からな、しかしな」

「そのご気質はですな」

「良い方でな」

 それでというのだ。

「非常によい方じゃ」

「そうなのですか」

「それでよくお話をしていたが」

「今は」

「あの方は越前に行かれてな」

 そこに封じられたのだ、その石高だけでなく官位もかなり高いものを与えられてはいる。

「過ごされておられるが」

「越前ですか」

「どうもな」

 慶次はここでだ、結城を心配する顔で述べた。

「近頃お身体が優れられぬらしい」

「はい、そのことはです」

「真田殿もお聞きか」

「鼻が欠けられたとのことなので」

「花柳の病じゃな」

「それかと」

「あの病は厄介じゃ」

 慶次は遊びも好きだ、風流を解するが故に。それで花柳の病についても知っていて言うのだ。

「罹るとな」

「鼻も欠けて」

「身体のあちこちが腐って爛れてじゃ」

「そうしてやがてはですからな」

「あの方もまだ若いが」

 それでもというのだ。

「あれではな」

「長くはないですか」

「難儀なものじゃ」

 慶次は飲みつつ普段の明るさを消していた、そのうえでの言葉だった。

「まだ若く見事な方なのに」

「その病で」

「長くはないとはのう」

「人の運命はわかりませぬな」

「わしみたいな老いぼれの不便者はまだ生きておる」

 自嘲気味の言葉だった、慶次にとってはこれまた珍しく。

「それがのう」

「世のですか」

「解せぬところじゃ」

「こうしたことはわかりませぬな」

「全くじゃ、しかしな」

「それでもですか」

「無念じゃ」

 その結城のことを思えばとだ、慶次は言うのだった。

「実にな」

「それは確かに」

「あの方はご次男でありな」

「兄弟の順から言えば」

「将軍になれたかも知れぬしな」

 刑事はこのことも言った。

「しかし太閤様の養子となられ」

「結城家も継がれ」

「そのこともあってじゃ」

「将軍にもなれず」

「そしてお父上とも折り合いが悪く」

「しかもですな」

「あの様な病になられた」

 花柳の病にというのだ。

「実に残念じゃ」

「そのご不運が」

「そう思う、しかしそれも人生か」

「そうなるかと」

「思いのままにならぬのも」

 慶次は達観した顔のまま述べていった。

「そうしたものか」

「はい」

「そうじゃな、しかしな」

「それでもですか」

「そうも思ったわ」

 こう言うのだった。

「どうしてもな、それでじゃが」

「はい、結城殿にですか」

「今度文を書こうと思う」

「左様ですか」

「そうしてな」

 慶次はさらに言った。

「この世ではじゃ」

「お別れをですか」

「それをされるのですか」

「文において」

「そうされますか」

「そう考えておる、残念じゃがお会い出来ぬ」

 慶次はその無念を顔に出していた。

「最早な」

「だからですか」

「文で」

「そうする、あの方もわしの様な者の友になってくれた」

 慶次は瞑目して言った。

「有り難い方であったわ」

「前田殿ならばです」 

 幸村はその慶次にだ、心を励ますべく言った。

「様々なよき方とです」

「友にか」

「なれるのでは」

「この様な不便者にか」

「そう思いますか」

「ははは、わしなぞとてもじゃ」

 慶次は自嘲めかして笑って返した。

「その様な者ではない」

「友の方が多くおられる様な」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「とてもな」

「不便者だからですか」

「戦以外何も出来ぬな」

「あえて申し上げまする」 

 あくまで己を否定する慶次にだ、幸村はこれまでよりも強い声で言った。

「前田殿はお人柄も才覚もおありなので」

「だからか」

「はい、多くのよき方に慕われて」

「友となってくれているのか」

「左様です、第一です」

 幸村はさらに言った。

「叔父上の又左殿ですが」

「叔父御か」

「あの方はよく前田殿とよく喧嘩をされていましたな」

「うむ、叔父と甥であったが歳も近くな」

 慶次も否定せずに答えた。

「お互い傾いておったしな」

「それで、ですな」

「若い頃から殴り合いの喧嘩もよくしたわ」

 このことはだ、慶次は笑って答えた。

「そして家を出てからも会えばな」

「太閤様の時もですな」

「殴られたし、酒もよく共に飲んだ」

「又左殿もかなりの方でした」

 信長の下で頭角を表し百万石にまでなった者だ、天下の信望も高く家臣達にも民達にも深く慕われていた。

「その又左殿もです」

「わしをか」

「お好きでありましたし」

「お互い嫌いではなかった」

 前田も慶次もとだ、慶次はまた答えた。

「喧嘩ばかりしておったがな」

「家を出られてからもですな」

「それでもな」

「そして直江殿も結城殿もですな」

「友であってくれておったわ、家では助右衛門もじゃ」

 奥村、彼もというのだ。

「友であってくれておるしのう、今も」

「左様ですな、ですから」

「わしはか」

「はい、決して卑下される様な方ではありませぬ」

「不便者ではないか」

「そう思いまする」

「そうであればよいがのう」

「そしてその前田殿から文を受け取れば」

 それで、というのだ。

「結城殿も喜ばれまする」

「ではじゃな」

「はい、そうしたお気持ちを抱かれることなく」

「自然な心でか」

「文をお書き下さい」

「そうするとするか」

 慶次は穏やかな顔になった、そしてだった。

 彼は実際にその気持ちで文を書くことにした、そのうえで幸村に言った。

「真田殿、そのお言葉忘れぬ」

「そう言って頂けますか」

「かたじけなく思う」

 こうも言ったのだった。

「わしもあとどれだけ生きられるかわからぬが」

「それでもですか」

「そのお言葉生涯忘れぬ」

「有り難きお言葉」

「その様にな、では今宵は心ゆくまで飲もうぞ」

 慶次は幸村と伊佐の杯に自ら酒を入れた、勿論自身のものにもだった。

 酒を入れて飲む、そのうえで二人に言った。

「美味い酒であろう」

「はい、実に」

「この酒は」

「ここの酒は美味い」

 実にとだ、今度は笑顔で言ったのだった。

「米がよいせいでな」

「そうですな、米沢の米はよいですな」 

 伊佐は慶次に確かな声で答えた。

「東北はそうした場所が多いですが」

「それでじゃ」

「こうしてですな」

「美味い酒が飲める、だからな」

「今宵はですな」

「心ゆくまで飲もうぞ」

 その米沢の酒をというのだ。

「存分にな」

「それでは」

「ははは、酒を飲むのも傾きじゃ」 

 慶次はその傾奇者の顔に戻って言った。

「ふんだんに飲もうぞ」

「そうされますか」

「三人でな」

「実はそれがしもです」 

 幸村は飲みつつ慶次に答えた。

「酒については」

「かなりじゃな」

「はい」

 飲んで笑みを浮かべて言うのだった。

「好きでして」

「ははは、そういえば都でもな」

「よく飲んでおりました」

「そして今もか」

「はい」

 まさにというのだ。

「こうしてです」

「よく飲んでおられるか」

「九度山でもよく飲んでおります」 

 流されているそこでもというのだ。

「十勇士達と共に」

「その通りです」

 伊佐も微笑んで慶次に話す。

「我等よく殿に相伴させて頂いています、いえ」

「友、義兄弟としてじゃな」

「絆を確かめ合う様にして」

「共に飲んでおるか」

「何かあれば飲んできましたし」

 それにというのだ。

「これからもです」

「今の様にじゃな」

「飲んでいきたいです」

「実は一人で飲むことはありませぬ」

 幸村はこのことは断った。

「元服しこの者達と共にいる様になってから」

「十勇士の者達とか」

「飲む時は常にです」

「共にか」

「そうしております、こうして飲んでいますと」

 十勇士、家臣であると共に友であり義兄弟である彼等というのだ。

「実に楽しいので」

「だからじゃな」

「はい、よくです」

 まさにというのだ。

「飲んでおります」

「そうした意味での酒好きか」

「一人で飲むことはありませぬ」

 実際に幸村はこれはほぼないと言っていい、とにかく酒を飲む時は誰か特に十勇士達と共に飲むことが多いのだ。

「それがしは」

「それもよい飲み方じゃな」

「そう言って頂けますか」

「実にな、ではな」

「はい、こうしてですな」

「共に飲もうぞ」

 こう言ってだ、慶次は己の杯の中の酒を飲んでいった。大杯は見事な漆塗りで慶次の傾きが出ていた。

「今宵はな」

「そしてですな」

「明日も修行じゃ」

 伊佐にというのだ。

「思う存分な」

「はい、お願いします」

 確かな声でだ、伊佐は慶次に応えた。

「拙僧が術を全て身に着けるその時まで」

「是非な、しかし」

「しかし?」

「この調子でいけばすぐじゃ」

 慶次が伊佐に自身の術を全て授けて伊佐が身に着けるのはというのだ。

「御主はわしの術を全て備えるわ」

「左様ですか」

「元からかなり強くしかも覚えがよい」

 だからだというのだ。

「もうすぐな」

「そうなりですか」

「そうじゃ、全て備える様になる」

「そうですか」

「そして術を備えればじゃな」

「拙僧もです」

 まさにとだ、伊佐は慶次に確かな声で答えた。

「殿と共にその術で」

「時が来ればじゃな」

「傾きます」

 微笑んで述べた。

「拙僧の気質で傾くもないでしょうが」

「いや、傾くのは気質ではない」

「生き様ですか」

「その幕府にもつかぬそれはな」

 そうした生き様がというのだ。

「天下の傾きじゃ、ではな」

「我等十勇士はですか」

「真田殿と共に傾くのじゃ」

「ではその様にして」

「生きて道を歩みのじゃ」

「そうさせて頂きます」

 伊佐の返事はあくまで礼儀正しく穏やかだ、しかしだった。そこには確かなものがあった。それこそが慶次が言う傾きであった。



巻ノ九十四   完



                   2017・2・8


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