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巻ノ三十七

                 巻ノ三十七  上杉景勝

 幸村は兼続に案内され部屋に入った、部屋の左右にはそれぞれ黒い服の男達が並んで座っていた。皆上杉家の重臣達だ。

 兼続は彼等の間を進み幸村も従う、そして。

 その部屋の奥、上座にいる男の前に来た。男は髷を結っていて頭は月代に剃っている。小柄であるがその気は異様なまでに大きい。

 顔立ちは整っており口髭と顎鬚が繋がっている、そして眉を顰めさせこれ以上はないまでに不機嫌な感じだ。

 その彼の前に出て座ってだ、二人は再び頭を下げた。

「直江兼続参りました」

「うむ」

 男は静かにだ、兼続に応えた。

「よく参った」

「この度当家へのお客人を紹介に参りました」

「真田源四郎幸村です」

 幸村は顔を上げてから名乗った。

「上杉家の厄介になります」

「わかった」

 男は幸村にも答えた、一言で。

「上杉家の当主上杉景勝である」

「はい」

「以後宜しく頼む。ではな」

 ここまで話してだ。そしてだった。 

 男、上杉景勝は席を立ってだ、場にいる一同に告げた。

「これまでとする」

「はっ」

 兼続も他の重臣達も応える、こうしてだった。

 話は終わった、景勝は場を後にし家臣達もその場から帰った。そして。 

 幸村も兼続に案内されて外に出た、そのうえで。

 屋敷の廊下を進みつつだ、彼は幸村に言った。

「殿は無口な方ですが」

「はい、わかります」

 幸村は兼続にはっきりとした声で答えた。

「そのお言葉の中には」

「多くのものを含められています」

「そうした方ですな」

「だからです」

「お言葉が少なくとも」

「我等はわかります」

「左様ですな」

 幸村は兼続の言葉に頷いた。

「それがしも少しだけですか」

「おわかりになられましたな」

「少しですが」

「それは何よりです」

 兼続は微笑み幸村に答えた。

「では以後殿を御覧になって下さい」

「そうさせて頂いて宜しいでしょうか」

「是非」

「そうですか、それに」

「それにとは」

「それがしを客人と言われましたが」

「その通りだからです」

 兼続は微笑んで幸村に答えた。

「源四郎殿は人質ではありませぬ」

「だからですか」

「殿もそうお考えです」

「だからですか」

「それがしもこう申し上げました」

「そうでしたか」

「そのことは心配無用です」

 こうも言うのだった、幸村に。

「何も」

「有り難きことです」

「ははは、ですから心配無用ですぞ」

「左様ですか」

「源四郎殿は謙虚ですな」

「天狗は好きではありませぬ」

 幸村は兼続の謙虚という言葉にこう返した。

「鼻が折れてしまうので」

「だからですか」

「はい、ですから」

「謙虚であられますか」

「そうありたいと思っています」

「左様ですか」

「低く持てば多くのものが見えると言われました」

 こうも言うのだった。

「父上に」

「低くですか」

「己の腰を」

「謙虚になればですか」

「そして多くのものを学べるとです」

「成程、そう教えられたのですか」

「そうです、ですから謙虚である様にしています」

 これが幸村の考えである、それを今兼続に言うのだ。

「ふんぞり返っていてはかえって周りが見えぬものなので」

「そうですか、それがしもです」

「直江殿も」

「謙虚でありたいと思っています」

「常にですか」

「はい、確かにふんぞり返ってはです」

 幸村の言う様にというのだ。

「上しか見えずしかもその上もです」

「広くは見えませぬな」

「はい、常にそうしていては」

「それがしもそう思います」

「ですな、その謙虚さがです」

「それがですか」

「真田殿をさらに大きくされましょう」

 兼続は微笑み幸村に話した。

「そしてこれからも多くの方を知ることになるでしょう」

「これからもですか」

「そう思いまする、そしてやがては」

 兼続は幸村にさらに言った。

「天下に知られた方になるでしょう」

「それがしがですか」

「それがしはそう思いまする」

「そうなりますか」

「そう思います、それでは」

「はい、これより」

「家臣の方々のところに戻り」

 そうしてというのだ。

「お屋敷にも」

「戻りですな」

「学問と鍛錬に励まれて下さい」

「それでは」

「書は何でもお求め下さい」

 兼続は微笑み幸村にこうも話した。

「当家にも書はありますので」

「だからですか」

「謙信様は書もお好きでして」

 彼の頃からというのだ。

「多くの蔵書があります」

「ではその書を」

「好きなだけお読み下さい」

 兼続は幸村に言った。

「望まれるだけ」

「どの様な書も」

「はい」

 幸村も答えた。

「それではお言葉に甘えまして」

「この城から出ることは自由ではありませんが」

 それでもというのだ。

「書と鍛錬はです」

「自由ですね」

「好きなだけお励み下さい」

 兼続は幸村にこのことは約束した、そして。

 幸村は十勇士達のところに戻った、彼等は丁度あれこれと談笑していたが主が部屋に入って来てだった。

 その談笑を止めてだ、主に向き直ってそれぞれ言った。

「殿、お戻りですか」

「それでは」

「うむ、戻ろうぞ」

 彼等が春日山城の中に用意された屋敷にというのだ。

「これよりな」

「はい、それでは」

「これよりですな」

「屋敷に戻り」

「お話を」

「そうしようぞ」

 こう話してだ、そしてだった。  

 主従は屋敷に入った、そのうえで。

 彼等はだ、その話をするのだった。

「それで殿」

「景勝様ですが」

「一体どういった方でしたか」

「噂通りの方でしたか」

「うむ、とても寡黙な方だった」

 その通りだとだ、幸村は主従に答えた。

「実にな」

「やはりそうですか」

「あの方はですか」

「極めて寡黙で」

「言葉の少ない方でしたか」

「そしてお顔も険しかった」

 表情もというのだ。

「そうした方だった」

「ですか、それでですか」

「お帰りになられたのが早かったのですな」

「随分と」

「そうであるな、確かに」

 帰るのがすぐだったことはだ、幸村も感じ取っていて言う。

「会見はすぐに終わった」

「でしたな」

「いや、実にです」

「お帰りが早くです」

「我等も少し驚きました」

「思っていたよりもだったので」

「左様か、しかしその少ないお言葉の中にな」

 幸村は彼等にこのことも話した。

「実に多くのものがある」

「そうした方ですか」

「お言葉は少なくとも」

「それでもなのですか」

「そうした方じゃ、だからな」

 さらに話した、兼続のことを。

「上杉家百二十万石の主に相応しい」

「まさにですか」

「そうした方でしたか」

「あの方は」

「拙者はそう思った」

 まさにというのだ。

「そして謙信公の跡を継がれることもな」

「相応しい」

「そうも思われましたか」

「うむ、あの方ならな」

 まさにというのだ。

「それだけの方じゃ」

「左様ですか」

「ではその方とお会い出来てですか」

「殿もですか」

「有り難く思われていますjか」

「うむ、実にな」

 幸村は家臣達に満足している声で答えた。

「そう思っておる、そしてじゃ」

「そして?」

「そしてとは」

「ここにおる間鍛錬と書は好きなだけ楽しんでいいと言われた」

 このこともだ、幸村は家臣達に話した。

「直江殿からな」

「ではこの城にいる間はですか」

「書を読まれ鍛錬に励み」

「そうして己を磨かれますか」

「そうしようぞ、上杉家には多くの書があるという」

 だからこそというのだ。

「日々その書を読もう」

「わかりました」

「それではですな」

「我等も鍛錬に励みます」

「この城にいる間は」

「そうしようぞ」

 幸村は彼等に穏やかな声で応えた、そしてだった。

 彼は実際に書を読み鍛錬に励んで日々を過ごした、そうして。

 その鍛錬の中でだ、こんなことも言ったのだった。

「槍じゃな」

「槍ですか」

「それをですか」

「拙者はより学びたいな」 

 十勇士と共に鍛錬をしながらの言葉だ。

「剣や手裏剣もよいがな」

「どうも殿はです」

「忍術も出来てです」

「弓も出来ますが」

「まずはですか」

「鉄砲ですか」

「そう思う」

 だからというのだ。

「拙者はな」

「第一は槍ですか」

「殿に合っているのは」

「そちらですか」

「実際にやっていてもな」

 槍を使ってもというのだ。

「そう思った」

「だからですか」

「槍をですか」

「より学ばれたいですか」

「二本の槍をな」

 こう言うのだった。

「学びたい」

「二本の槍をですか」

「それぞれの手に持たれ」

「縦横に操る」

「その槍術をですか」

「極めたいのじゃ」 

 これが幸村の槍術への考えだった。

「是非な」

「これまで以上にですか」

「双槍の術をですか」

「極められ」

「殿のものにされたいですか」

「どう思うか」 

 幸村は家臣達に己の考えについて問うた。

「拙者はこう考えておるが」

「そうですな、難しいですが」

「二本の槍を同時に使うことは」

「それはどうしてもです」

「難しいです」

「一本でもかなりです」

 その槍を両手に持って使うこともだ。

「相当に難しいです」

「それが二本ともなれば」

「もうそれはです」

「槍を片手で使うことすらです」

「難しいのですから」

「それが両手になると」

「どうしても」

「うむ、しかしじゃ」

 それでもとだ、幸村は言うのだった。

「極めたい」

「ですか、それでは」

「殿がそう思われるならです」

「是非です」

「お励み下さい」

「その槍術に」

「確かに難しいですが」

 それでもというのだった、彼等は。

「殿なら出来ます」

「殿は文だけでなく武にも必死に励まれています」

「まさに文武に懸命に努力されている方」

「それならばです」

「殿ならばです」

「懸命に努力され」

 その二本の槍を同時に使う術もというのだ。

「身に着けられるでしょう」

「それでは」

「その様に」

「我等も共に武芸に励みます」

「そしてそれぞれの術を身に着けますので」

「殿もまた」

「その様にな、しかしな」

 ここでだ、幸村はこうも言った。

「刀もそうであるし」

「武士の表芸の」

「それもですか」

「身につけられますか」

「そちらも」

「そして弓や鉄砲もな」

 この二つもというのだ。

「やはり励もう」

「そうされますか」

「そちらもですか」

「忘れずに」

「身に着けられますか」

「それも武芸じゃからな」

 それの十八般にあるからだというのだ。

「怠らぬ」

「ですか、流石は殿」

「一芸に収まらずにですか」

「そのうえで、ですか」

「十八般全てを身に着けられ」

「そして、ですか」

「そうじゃ、弓も鉄砲もな」

 そのどちらもというのだ。

「わしは身に着ける」

「わかりました」

 こう言ってだ、実際にだった。

 幸村は二本の槍を使う術の鍛錬をしつつ他の十八般、その中にある弓や鉄砲のものも忘れずにだった。日々続けていた。

 朝から晩まで十勇士達と共に鍛錬をし寸暇があれば、そして夜も書を読んだ。そうして充実した日々を過ごしていた。  

 その話を聞いてだ、兼続は唸って言った。

「そうか、日々か」

「はい、十八般の鍛錬を積まれ」

「書も読まれ」

「毎日です」

「励まれておられます」

「家臣の方々と共に」

「見事であるな」

 兼続はその話を聞いて腕を組んで言った。

「人質の日々でもな」

「はい、文武においてです」

「ご自身を鍛えられています」

「命を奪われるかと怯えるのではなく」

「その様にされているとは」

「見事な方ですな」

「全く以て」

 兼続に話す者達も言う。

「真田殿のご次男はです」

「まさに真の武士」

「家臣の方々もですが」

「噂以上の御仁じゃな」

 兼続は瞑目する様にして述べた。

「わしの見立てを超えておる」

「では、ですな」

「あの方は今以上にですな」

「大きくなられ」

「やがては」

「天下一の武士になられるわ」

 まさにというのだ。

「間違いなくな」

「ですか、では」

「あの方には」

「より学んでいってもらいたい」

 こう言うのだった。

「是非な」

「そして大きくなって欲しいですか」

「是非」

「まことにな」

「では明日も」

「書をですか」

「源四郎殿が読まれたいならな」

 このことを願ってくるのならというのだ。

「是非共じゃ」

「わかりました、では」

「書庫を開く用意は何時でもしておきます」

「是非共」

「その様にな、しかし源四郎殿も立派であるが」

 幸村の話からだ、兼続はこうも言ったのだった。

「ご長子であり嫡男であられるな」

「はい、源三郎殿もですな」

「あの方もでしたな」

「非常にですな」

「立派な方とのことですな」

「今は徳川家に行かれているという」

 彼も人質に出ているのだ。

「その源三郎殿はどうされているか」

「あの方はですな」

「今どうされているか」

「そのことがですな」

「気になりますか」

「少しな」

 彼のことも考えるのだった、その信之はというと。

 上田から徳川家の領地に入った、その彼を迎えに来たのは本多忠勝だったが真田家の者は彼を見て驚いた。

「何と、四天王の方が」

「自ら来られるとは」

「これはまた凄いのう」

「うむ、想像もしていなかった」

「ようこそ来られました」

 本多は信之に恭しく頭を垂れて迎えた。

「ではこれより駿府まで案内致します」

「そうして頂けますか」

「既に駿府には屋敷を用意しております」

 信之と彼の家臣が入り住む為の場所がというのだ。

「そこにも入られてです」

「そのうえで」

「書も好きなだけお読み下さい」

「そうしても宜しいのですか」

「何でも不自由があればです」

 信之がそう感じた時はというのだ。

「何でもそれがしにお話下され」

「そこまでですか」

「真田殿は当家のお客人です」

 本多は確かな声でだ、信之に言った。

「それ故に」

「だからですか」

「はい、何もご案じめされるな」

 こうまで言うのだった。

「駿府では学び武芸に励まれ」

「そしてですか」

「憂いなく過ごされて下さい」

「そこまで言って頂けるとは」

「言葉だけではありませぬ」 

 何時しかだ、本多は信之と馬を並べていた。案内役というのではなくあくまで彼を立てているのは明らかだった。

「当家は言った言葉は守ります」

「それが義だからですか」

「それが徳川家です」

 やはり確かな声での言葉だった。

「殿は特にです」

「律儀ですな」

「それが当家の誇りですから」

 このことを信之にも約束するのだった。

「ご安心下さい」

「それでは」

「くれぐれも。そして」

「そしてとは」

「はい、それがしの一族ですが」

 この前置きからの言葉だった。

「本多正信、正純という親子ですが」

「そのお二人はですか」

「決して近寄られぬ様」

「決してですか」

「当家の例外であります」

 こう実に忌々しげに言うのだった。

「ですから」

「例外ですか」

「武でなく策を好み」

 そしてというのだ。

「義を何とも思っておりませぬ」

「だからですか」

「はい、決してです」

 例え何があってもという口調での言葉だった。

「近寄ることのなきよう」

「わかりました」

「殿もお待ちです」

 一転してだ、本多は明るい顔になって信之に家康のことを話した。

「ですから急ぎましょう」

「徳川殿もですか」

「そうです」

「ですが当家は徳川殿とは」

「いえ、それはそれです」

 戦のことはというのだ。

「戦は武士の常でありませぬか」

「だからですか」

「そのことはです」

 決して、というのだ。

「お気になさらぬ様」

「左様ですか」

「ですから」

「わかりました、では」

「はい、急ぎましょうぞ」

「それでは」

 こう話してだ、そしてだった。

 信之は本多と共に駿府に向かいその城で家康と対面した、家康は終始彼に対してにこやかであり優しく穏やかな声をかけた。

「そうであられるか、では」

「はい、これより厄介になります」

「いや、厄介という言葉は無用」

 鷹揚に言うのだった。

「是非ごつくろぎ下され」

「そう言って頂けますか」

「是非な」

 家康の口調は変わらない、そして。

 実際に信之を客人として迎え何も不自由はさせなかった、家康はこのことを家臣達に対して言っていた。

「若しもの時は仕方ないにしても」

「そうでないなら」

「今の様な状況ならば」

「源三郎殿は客人じゃ」

 家康ははっきりと言い切った。

「その礼を以て応じるぞ」

「はい、武士として」

「そうされますな」

「そうじゃ、わかったな」

 こう言うのだった、そして。

 信之もまた徳川家において丁重に扱われ文武を学ぶことが出来た。そこで家康も見て本多に言うのだった。

「徳川殿は噂以上の方ですな」

「そう言われますか」

「はい、仁徳があり」

 そしてというのだ。

「義を大事にする方ですな」

「律儀こそがです」

「徳川殿の大事にされているものです」

「それは他の大名家に対してだけでなく」

「家臣の方々や民百姓にもですな」

「決して約束は破りませぬ」

「左様ですな、ですが」

 ここでだ、信之はこう言ったのだった。

「あの方は人も見られますな」

「そして、ですか」

「義を守られる方と見ますが」

「そうです、殿は律儀な方ですが」

「その律儀はですか」

「然るべき相手、我等や民百姓には絶対ですが」

 それでもというのだ。

「他の大名家に対しては」

「義を守らぬ相手には」

「義を向けられませぬ」

「そうしたところがおありですな」

「はい、ただあくまで平素はです」

 普段の家康はというのだ。

「源三郎殿が思われている通りです」

「義を守られる方ですな」

「しかも無駄な殺生は好みませぬ」

「それは律儀と共にですな」

「はい、無道とは縁のない方です」

 それもまた家康だというのだ。

「政においてもです」

「ではご領地の政は」

「御覧の通りです」

「穏やかで民は泰平の中にある」

「そうした政です」

 民達をその中に置いているというのだ。

「殿の政は」

「ですな、善政ですな」

「そうです、殿はあくまで民のことを考えていますので」

「そのうえで政を行っていますか」

「左様です」

「ではそれがしはです」

 信之はここまで聞いてまた言った。

「その徳川殿の義も学びたいです」

「そうですな」

「はい、是非」

「それではそれがしもです」

 本多は信之の言葉を受けて彼にあらためて言った。

「源三郎殿にです」

「その義をですか」

「学んで頂きたいと思っていますので」

 だからこそというのだ。

「その義を学ぶことに及ばずながらも」

「お力を貸して頂けますか」

「そうさせてもらいます」

「そうですか、では」

「はい、学んで下さい」 

 こう信之に言うのだった、そして。 

 二人は道場において槍と槍を交えた、本多の槍は流石に凄まじく信之を圧倒した。だが本多は彼の槍を見て言った。

「それがしの槍をここまで受けられるとは」

「流石にお強い」

「これまでおりませんでした」

 こう信之に言うのだった。

「これまでは」

「誰もですか」

「はい、いませんでした」

 一人もというのだ。

「それこそ」

「そうなのですか」

「はい、しかし源三郎殿はです」

「瞬く間にやられましたが」

「いえ、ここまでもった者はです」

 いなかったとだ、本多はすぐに立ち上がった信之に言うのだ。

「源三郎殿がはじめて、ですから」

「このまま槍の鍛錬を続け」

「より強くなられて下さい」

「それでは」

「そして武芸は何といいましても」 

 本多はさらに言った。

「馬術と水練です」

「いざという時逃げるのは一人だからですな」

「そうです、殿がいつも言っておられます」

「必ず身に着けるべき術は」

「この二つです、ですが源三郎殿は槍にも秀でておられ」

 そして、と言うのだった。

「忍術も使われますな」

「真田の者なので」

「それ故にですか」

「それがしも忍術を身に着けています」

「そうですか、それは独特ですな

 真田家のとだ、本多も話を聞いて言う。

「道理で身のこなしが素早い」

「はい、山の中も駆けておりました」

「伊賀者の様に」

「伊賀者と言えば」

 その名を聞いてだ、信之はすぐに言った。

「徳川家が召し抱えておられますな」

「はい、そうです」

「そしてその棟梁がですな」

「服部半蔵です」

 その彼だというのだ。

「あの者です」

「一度お話したいのですが」

「はい、それではです」

「出来ますか」

「今は出ていますが」

 それで駿府にいないがというのだ。

「それでもです」

「暫くすればですか」

「戻ってきますので」

 この駿府にというのだ。

「ですから」

「はい、それでは」

 信之はここまで聞いて答えた。

「是非です」

「半蔵が戻れば」

「お話させてもらいます」

「そして手合わせもですな」

「はい」

 こちらもというのだ。

「したいですな」

「鍛錬としてですな」

「そうさせてもらいたいです」

「忍術もですな」

 本多は信之の言葉を受けて感心して言った。

「まさに十八般を備えられますか」

「学問と共に」

「それは真田家の次の主として」

「それにです」

 信之は再び本多との槍の手合わせに入った、彼に槍の一撃を何度も何度も繰り出しつつ彼に言うのだった。

「負けていられませぬので」

「負けてとは」

「弟にです」

「弟殿といいますと」

「今は上杉家にいっていますが」

「源四郎殿ですか」

「そうです」

 その彼にというのだ。

「負けていられませぬので」

「文武共に」

「源四郎は恐ろしいまでに鍛錬をします」

「そこまでですか」

「まさに鍛錬をしてです」

 そしてというのだ。

「己を高め続けています」

「その弟殿にですか」

「負けていられないので」

 そう思うが故にというのだ。

「それがしもです」

「鍛錬をされますか」

「学問もし」

 そしてというのだ。

「あらゆる武芸にです」

「励まれますか」

「そうします」

「そうですか、そして忍術も」

「左様です」

 そちらの術もというのだ。

「励んでいきます」

「それでは是非共」

「はい、服部殿ともお会いし」

「励まれて下さい」

 鍛錬、即ち修行にとだ。本多も強い声で応えた。そのうえで彼の槍を正面から受けて稽古の相手をするのだった。

 その本多から信之の話を聞いてだ、家康は頷いて言った。

「見事よのう」

「はい、あの方は」

「真田殿はよいご子息をお持ちじゃ」

「全くですな」

「そしてじゃ」

 家康はここでこうも言った。

「そのご子息をな」

「殿としてはですか」

「貰いたいのだがのう」

「そう思われますか」

「真田家の次の主でもある」

「真田家ごとですか」

「当家に迎え入れることは失敗したが」

 先の戦でだ、敗れてだ。

「しかしな」

「それでもですか」

「こちらの者としたいが」

「ではここは」

「縁組を考えておる」

 家康は袖の中で腕を組み言った。

「それをな」

「源三郎殿と」

「源三郎殿は若い」

 その若から言うことだった。

「そしてその若さ故にな」

「まだ細君がおられぬ」

「だからじゃ」

 それでというのだ。

「あの御仁に細君をと考えておる」

「そうなのですか」

「しかしじゃ」

 ここでまた言った家康だった。

「わしは息子は多いがな」

「姫の方はですな」

「どうもじゃ」

 難しい顔での言葉だった。

「恵まれぬ、おるにはおるが」

「今はどの方も」

「嫁いでおる」

 その少ない娘達もというのだ。

「だからな」

「今はですな」

「源三郎殿に娘を出せぬ」

「ではです」

 ここで本多は家康に申し出た。

「殿が出来ぬのなら」

「それならか」

「それがしに娘がいますので」

「ほう、それではか」

「それがしの娘をです」

「源三郎殿のじゃな」

「妻にどうでしょうか」

 こう申し出たのだった。

「これで」

「そうしてくれるか」

「はい」

 本多は微笑み主に答えた。

「是非共」

「よし、わかった」

 家康は本多の言葉を聞いて笑顔で頷いた。

「それではな」

「それがしとしてもです」

 本多は家康の断を聞いてだ、微笑んで答えた。

「あれ程の御仁を婿に迎えられるのならば」

「よいか」

「はい、是非共です」

「そうであるな、しかしじゃ」

「しかしとは」

「御主の娘を嫁に出すが」

 それは決めてもというのだ。

「わしが娘に入れてな」

「そのうえで、ですか」

「嫁に送りたいがどうじゃ」

「つまり徳川家の格を加えて」

「そのうえで送りたい」

 主である家康のそれをだ、本多の娘に加えるというのだ。

「それでどうじゃ」

「それがしの娘というだけでなく」

「うむ、わしの娘でもあるのじゃ」

「格も源三郎殿に与えられますか」

「そうすれば真田家にも格が加わりな」

 そのこともあってというのだ。

「一層よいと思うが」

「そこまでお考えとは」

「わしも源三郎殿が気に入ったわ」

 家康は微笑みこうも言ったのだった。

「だからじゃ」

「徳川家の外にありますが」

「当家の傍に置きたい、その為にもな」

「さすればその様に」

「ではな、そして出来ればな」 

 家康はこうも言った。

「弟殿のな」

「源四郎殿もですな」

「是非迎え入れたいが」

「そうですな、それではあの方については」

「どうしたものか」

 こ家康は幸村についてはだ、難しい顔で言った。

「上杉家におられるが」

「それをどうするかですな」

「手が出せぬな」

「困ったことに」

「そうじゃ、どうしたものかのう」

 幸村についてもだ、家康は興味を持っていた。だが。

 彼については手を打てずにだった、どうしたものかと考えているだけだった。だがそれは幸村の知らないことだった。



巻ノ三十七   完



                         2015・12・16


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