巻ノ三十五 越後へ
徳川家との戦が終わった真田家はすぐに政に動いてだった。北の上杉家と南の徳川家にそれぞれ人をやった。
その真田家から使者が来たと聞いてだ、さしもの家康も驚いて言った。
「まさかのう」
「はい、来ると思っていましたが」
「早速ですか」
「人を送ってきましたか」
「和の為に」
他の家臣達も驚いて言う。
「これが真田家ですか」
「先程戦をした相手に人を送ってですか」
「そして講和して」
「そのうえで共にやっていく」
「そうした家なのですな」
「こうしたことは戦国の世の常にしてみても」
家康も微妙な顔で言う。
「ここまで徹底しているのはな」
「真田家位ですな」
「まさに」
「あの家位です」
「うむ、全くじゃ」
こう言う家康だった、しかし。
ここでだ、その彼に本多正信が言って来た。
「殿、ですがこのお話は」
「乗るべきだというのじゃな」
「こちらから人を送るのは幅枯れていましたし」
「仕掛けて敗れた方は」
「それは出来なかったが」
「しかし相手からその話が来たのです」
だからこそというのだ。
「この話乗りましょう」
「使者に会ってじゃな」
「はい、講和しましょう」
是非にという言葉っだった。
「それが最善です」
「そうしよう」
家康は本多に一言で答えた、しかし。
本多が言う時にだ、他の徳川家の者達は嫌な顔をしていた。そして。
その話の後でだ、彼等だけで話していた。
「またあ奴か」
「一向宗に入っていたかと思えば」
「それでのうのうと戻って来て」
「もう重臣の顔をしてな」
「そして殿に献策か」
「戦の場では何の役にも立たぬ癖に」
「何かと殿に取り入っておる」
こう彼等の間で忌々しげに言うのだった。
「特に策になるとな」
「うむ、水を得た魚の様じゃ」
「何かと殿に汚い策を献上する」
「殿によからぬことばかり吹き込む」
「しかもじゃ」
さらにというのだ。
「あ奴の倅はさらに酷い。
「父親よりもさらに汚い策を言う」
「しかも父親よりも取り入るのが上手い」
「親子して嫌な者達じゃが」
「倅の方は最悪じゃ」
「今は大坂に行っていてここにはおらぬがな」
それでもとだ、彼等への嫌悪を語るのだった。しかし家康は本多正信の考えを入れて真田家の使者と会いだ、使者に笑顔で告げた。
「わかった、では真田殿に伝えられよ」
「和をですな」
「受けようぞ」
普段の温和な笑みで言うのだった。
そしてだ、使者にこうも言った。
「駿府で待っているともな」
「はい、そのこともですな」
「伝えてもらいたい」
「さすれば」
こうしてだった、使者は家康との話を終えてすぐにだった、上田に戻った。そして使者は越後の春日山にも送られていてだ。
上杉景勝はその厳しい眉に深い皺が刻まれた端整だがその皺がとかく目立つ顔で使者に対して答えた。
「わかった」
「では」
「我等は盟友同士となろう」
こう使者に言うのだった。
「是非な」
「そう言って頂けますか」
「うむ、では待っておる」
景勝もこう言うのだった。
「この春日山でな」
「さすれば」
こうしてだった、真田家はまずは徳川家と上杉家それぞれの家との講和、そして同盟の話を決めた。だがそれぞれの使者の話を聞いてだ。
昌幸は当然といった顔でだ、こう言った。
「人質じゃな」
「それはとです」
「両家共じゃな」
「送って欲しいとのことです」
「わかった」
そのことを当然としてだ、昌幸は言った。
「それではじゃ」
「はい、人質の方をですな」
「送る」
「では殿」
家臣の一人が昌幸に問うた。
「ここはどなたを送られますか」
「それはもう決めておる」
昌幸は家臣にすぐに返した。
「誰をどの家に送るのかな」
「両方の家にですか」
「そうじゃ」
「それではその人質の方々は」
「徳川家には御主じゃ」
昌幸は重臣筆頭の座にいる信之に顔を向けて言った。
「源三郎、御主が行け」
「はい」
信之は父にすぐに答えた。
「さすれば」
「そして上杉家にはじゃ」
今度は重臣次席の幸村に顔を向けて彼に告げた。
「源四郎、御主じゃ」
「わかり申した」
幸村もすぐに答えた。
「それでは」
「その様にな」
「ご子息を共にですか」
先程とは別の家臣が昌幸に問うた。
「送られるのですか」
「うむ、そうじゃ」
「ではお二人が留守の間は」
「わしと御主達でやっていこうぞ」
上田の切り盛りをというのだ。
「是非な」
「わかり申した、それでは」
「そしてじゃ」
それにと言うのだった。
「縁組も進めるが」
「お二人のですね」
「そちらのことも」
「源三郎は徳川家とじゃ」
こちらと、というのだ。
「その縁者との縁組を進めたい」
「ですか、源三郎様はですか」
「徳川家ですか」
「そちらの方と」
「とはいいましても」
ここで家臣の一人が言って来た。
「一つ問題がありますな」
「徳川家との縁組はじゃな」
「はい、家康殿はご子息はおられますが」
「ご息女はな」
「あの方はどうも娘御はあまり」
「縁がない方じゃな」
「はい」
生まれる子は男が多いというのだ。実際に家康にも娘はいるが娘よりも息子の方が多いのだ。
「しかもそも娘殿も」
「既にな」
「北条家に嫁いでおられます」
そうなっているというのだ。
「既に」
「そうじゃ、だからな」
「徳川家自体とはですな」
「縁組は出来ぬ」
「それが出来れば最もよいですが」
「うむ、無理だからな」
それでというのだ。
「他の方になる」
「左様ですな」
「そもそも最早徳川家と当家では格が違う」
このこともだ、昌幸は言った。
「あちらは二百五十万石でじゃ」
「こちらは十万石」
「全く違いますな」
「それを考えますと」
「徳川家自体との縁組は」
「うむ、出来ぬ」
格という意味からともいうのだ。
「だから縁者じゃ」
「と、いいますと」
「どの方との縁組になるでしょうか」
「ここは」
「それはわからぬ、しかし徳川家でも重臣の方と縁組をしたい」
縁者の中でもというのだ。
「そう考えておる」
「ですか、徳川家の重臣の方と」
「当家の縁組」
「それをお考えですか」
「うむ、そして源四郎はな」
彼はというと。
「羽柴家じゃ」
「何と、あの家とのですか」
「縁組をお考えですか」
「羽柴家の重臣の方とな」
「縁組をですか」
「お考えなのですか」
「その相手も探したいが」
ここでだ、昌幸はこうしたことを言った。
「二人共わしが言うのも何だが傑物、だからな」
「その奥方様もですか」
「かなりの方でないとですか」
「いけませぬか」
「そう考えておる」
こう言うのだった。
「見事な細君を娶らせたい」
「では選ばれますか」
「相当な方を」
「そうお考えですか」
「そうじゃ、二人をそれぞれの家に送りな」
徳川家、そして上杉家にだ。
「そのうえでじゃ」
「縁組のお話もですか」
「進められていきますか」
「そうする、そうして家を続けさせるぞ」
政によってというのだ。
「徳川、上杉両家と結び」
「そして縁組も進め」
「そうしてですか」
「家を保っていきますか」
「そのつもりじゃ、天下はまずは羽柴家のものとなるであろうが」
昌幸は天下のこれからのことも話した、それは真田家にも大いに関係のあることだ。彼は天下を見て家のことを考えているのだ。
「しかし秀吉公の後はな」
「それからはですか」
「あの方の後は、ですか」
「わかりませぬか」
「今は弟君の秀長公、そして千利休殿もおられるが」
しかしというのだ。
「それでもな」
「お二人がおられなくなれば」
「そうなれば」
「秀吉公だけとなり」
そしてというのだ。
「もう一つ厄介なことがある」
「ですな、あの方はお子がおられませぬ」
「そのことが問題ですな、あの方は」
「後継に秀次殿がおられますが」
「それでも」
「そこが問題となろう」
こう指摘するのだった。
「果たしてこれからどうなるかじゃ」
「秀吉公の支え」
「そして後継のこと」
「その二つがですか」
「羽柴家の泣きどころですか」
「だから天下はこれから数年で一つになるであろうし」
秀吉による天下統一、それは成るというのだ。
しかしそこから先もだ、昌幸は言うのだ。
「それから数年は天下は泰平であろう」
「秀吉公がおられる」
「その間は」
「しかしお二人がおられなくなっており」
秀長、利休がだ。
「そして秀吉公もおられなくなれば」
「その時はですか」
「天下はどうなるかわからぬ」
「折角統一されても」
「そこからはですか」
「一度一つになってもまた分かれるものじゃ」
こうしたことも言ったのだった。
「晋を見るのじゃ」
「晋、異朝のことですか」
「明のかなり前の王朝でしたな」
「そうじゃ、司馬氏のな」
三国時代の後の王朝である、三国に分かれた中華を再び一つにした。そうした意味では多大な功績があった。
しかしだ、折角統一された国がというのだ。
「あの国はすぐに分かれたな」
「はい、確かに」
「ようやく統一が成ったと思えば」
「政をしくじればな」
まさにそれで、というのだ。
「国は分かれてしまう」
「晋の様に」
「統一しても」
「そうじゃ、そうなる」
まさにというのだ。
「だからじゃ」
「それで、ですな」
「若し秀吉公が失政をされたり」
「秀次殿に何かあれば」
「その時は」
「危うくなる」
この天下がというのだ。
「そして次の天下人を争う戦が起こるやもな」
「ですか、では」
「若しよからぬことがあれば」
「その天下人は」
「やはり羽柴家が第一であるが」
秀吉の次の天下人はというのだ。
「あの家から出るであろう、しかし」
「それでもですか」
「他の家である場合もある」
「左様ですか」
「その場合徳川家がな」
家康、まさに彼がというのだ。
「有力じゃ」
「徳川家ですか」
「家康殿がですか」
「徳川家は二百五十万石じゃ」
まずは石高即ち力からだ、昌幸は述べた。
「羽柴家に次ぐものじゃな」
「はい、確かに羽柴家に降られましたが」
「しかし敗れた訳ではありませぬ」
「だから秀吉公も石高を減らしてはおられませぬ」
「それが大きいですな」
「そうじゃ」
家康は秀吉に戦で敗れていない、それによって石高を減らされず降ることが出来た。それが非常に大きいというのだ。
このことを話してからだ、昌幸はさらに話した。
「それにじゃ」
「それにですか」
「家康殿にはさらにありますか」
「多くの優れた家臣の方々がおられる」
石高の次は人であった。
「四天王、そして四天王を含めた十六神将を筆頭としてな」
「三河武士ですな」
「忠義と武勇を兼ね備えた」
「まさに全てが家康殿の股肱の臣」
「あの御仁が常にご自身の宝と言っておられますな」
「確かに宝じゃ」
家康、そして徳川家のというのだ。
「謀を使える御仁は少ないがな」
「それでもですな」
「人もいる」
「その力もありますか」
「そして家康殿自身戦上手で政も見事でじゃ」
家康自身の資質も話すのだった。
「律儀で仁愛も備えておられな」
「天下の名声もですな」
「おありですな」
「だからじゃ」
徳川家のそうしたあらゆるものを見てだ、昌幸は言うのだ。
「若し羽柴家の天下が危うくなればな」
「その時はですな」
「徳川殿が天下人になられる」
「そうなりますか」
「うむ、だからこそじゃ」
先の先、秀吉後のことまで見てだ。昌幸は言う。
「徳川殿とも誼を通じておくのじゃ」
「羽柴家だけでなく」
「あの家とも」
「勿論上杉家ともな」
北のこの家ともというのだ。
「そのうえで家を保っていくぞ」
「外との交わりにおいても」
「そこまでお考えとは」
「そのうえで源三郎様と源四郎様を出される」
「流石は殿です」
「わしは色々と言われておるが」
天下でだ、あちこちの家についていくまるで蝙蝠の様な男と呼ばれている。秀吉もそうしたことを言っている位だ。
しかしだ、昌幸は自身のその評判は笑い飛ばして言った。
「しかしその様なものはどうでもよい」
「要は生き残ることですな」
「真田家が」
「だからこそですな」
「殿は動かれていますな」
「そうじゃ」
その通りという返事だった。
「この様にな、では源三郎は徳川家に送り」
そしてというのだ。
「源四郎はな」
「上杉家」
「それぞれですな」
「そうじゃ、もう決めたからな」
だからともだ、昌幸は言った。
「その様に動くぞ」
「わかりました」
こうして二人はそれぞれ兄弟分かれて南北に向かうこととなった、その話を決めてだった。昌幸は息子達にも言った。
「ではな」
「はい、では駿府に」
「春日山に」
二人もそれぞれ応える。
「言って参ります」
「是非」
「その様にな、それでじゃが」
ここでさらにだ、昌幸は二人に言った。
「御主達はそれぞれの家臣も連れて行け」
「いざという時には」
「その者達が助けてくれる」
二人をというのだ。
「だからな」
「わかりました、では」
「その様にします」
「源四郎、御主はな」
「はい、十勇士を」
「連れて行け」
一旦応えた幸村への言葉だ。
「よいな」
「わかり申した」
「御主達は人質じゃが生きよ」
絶対にと言うのだった。
「何があってもな」
「だからですな」
「それぞれの股肱の臣達を連れていくのじゃ」
生きる為にというのだ。
「必ずな」
「では父上」
信之も応えた。
「それがしもです」
「家臣達を引き連れて行くのじゃ」
「そうします」
こう言ってだ、彼もだった。
家臣達を連れて駿府に入ることになった、兄弟はそれぞれ今は上田を離れ人質として他の国に入ることになった。
それでだ、幸村は屋敷に戻るとこう十勇士達に言った。
「ではな」
「はい、それではですな」
「我等も越後に入るのですな」
「春日山に」
「うむ、それでじゃが」
幸村は十勇士達と車座に座り話している、その中で言うのだった。
「上杉家のことは知っておるな」
「はい、主は上杉景勝殿で」
まずは筧が答えた。
「相当な方ですな」
「そうじゃ、しかし景勝殿はな」
「どうも、ですな」
海野も言う。
「先代の謙信公のことがあり」
「常に不機嫌な顔をしておられるとのことじゃ」
「滅多に笑われぬとか」
清海は景勝のそのことに首を捻った。
「そして滅多に喋られぬとか」
「そうじゃ、しかしじゃ」
「政も戦もですな」
霧隠は景勝の双方を指摘した。
「かなりのものと」
「越後は確かに治まっておる」
幸村も霧隠に応えて言う。
「越後は国人の力が強い国であるが」
「その越後を無事に治めておられる」
望月もそのことに言った。
「そのことを見ればですな」
「やはり相当な方じゃ」
望月のその言葉にだ、幸村は頷いた。
「間違いなくな」
「その景勝殿のところにですな」
穴山はいささか身構えている、それが言葉にも出ている。
「我等はこれから入るのですな」
「間もなく上田を発つ」
幸村ははっきりと言った。
「そして暫しあの地に人質として入る」
「さて、その時に我等もお供しますが」
由利は人質になることについて不安を感じていた。
「冷遇されはしないか」
「上杉家はそうした家ではないとのこと」
幸村はこう答えて由利を安心させた。
「だから安心していいとのことじゃ」
「それは何よりです」
伊佐は無言で頷いた由利の横で微笑んで述べた。
「では」
「うむ、行こうぞ」
「それでは殿」
最後に猿飛が言う。
「いざ春日山に」
「行こうぞ、そしてじゃが」
ここでだ、幸村は家臣達にある者の名を出した。その者は一体誰かというと。
「御主達は直江兼続殿を知っておるか」
「上杉家の執権の」
「景勝殿の片腕と言われる」
「北陸一の人という」
「あの方ですか」
「そうじゃ、越後にはその御仁もおられる」
兼続、彼もというのだ。
「その方にもお会いする」
「越後に入れば」
「景勝殿だけでなく」
「その直江殿にもですな」
「お会いしますな」
「どうもな」
幸村は少し微妙な顔も見せて言った。
「直江殿は拙者に興味があるとのこと」
「殿ですか」
「直江殿は興味がおありですか」
「そうなのですか」
「その様じゃ」
このことを話すのだった、十勇士達に。
「そう聞いておる」
「その上杉家の執権の方がですか」
「殿に興味がおありですか」
「そうなのですか」
「不思議に思っておる」
兼続が自分に興味があることをだ、幸村は実際にそう思っていた。その感情を顔に出して十勇士達に話した。
「何故拙者の様な者をとな」
「上杉家の執権ともあろう方が」
「越後と佐渡を治める上杉家の方が」
「殿にと」
「そうじゃ、上杉と真田を比べれば」
それこそというのだ。
「当家は小さいな」
「お言葉ですが」
「確かにそれは」
「上杉家は百二十万石です」
「佐渡の金山からかなりの富も得ています」
「しかし当家は十万石」
「金山もありませぬ」
十勇士達もそれぞれ幸村に答える。
「そう考えますと」
「やはりです」
「何故直江殿が殿に興味がおありか」
「わかりませぬな」
「所詮人質の一人に過ぎぬ」
幸村はこうも言った。
「それでどうしてなのか」
「ううむ、そう言われますと」
「確かにわかりませぬな」
「上杉家程の家の執権ともあろう方が」
「この様な小さな家から入る立場に」
「殿ご自身を見られるならともかく」
「拙者なぞな」
所詮はとだ、幸村は自身のことも言った。
「小さい者じゃが」
「いえ、殿ご自身はです」
「まさに天下の傑物」
「我等も今気付きました」
「殿を見られれば」
幸村自身をというのだ。
「それならばです」
「直江殿が殿に興味がおありなのも納得出来ます」
「これはもう家の格の話ではありませぬ」
「人の質の話ですな」
「そうなるか」
幸村は十勇士の言葉を聞き再び考える顔になって述べた。
「拙者を買って下さりか」
「そうではないかと」
「我等はそう思いまする」
「そうであれば嬉しいな」
素直に言った幸村だった。
「拙者を買って下さっているなら」
「いやいや、先の戦でのご活躍があります」
「若殿もそうですが」
「殿のご名声は天下に響いております」
「無論越後にも」
「だからか」
幸村は彼等のその言葉に頷いた。
「拙者をというのか」
「では春日山に行かれたら」
「直江殿にお会いしましょう」
「そして是非です」
「あの方と」
「そしてお話をしようか」
幸村は家臣達の言葉を聞いて言った。
「何かとな」
「そして直江殿という方もですな」
「お知りになりたいのですな」
「うむ、直江殿程の方とお話出来れば」
そのことによってというのだ。
「何かと学べるであろうしな」
「優れた方とお会いすることもですな」
「そしてお話することも」
「それもまた学問」
「そうですな」
「書に旅に出会い」
そうしたもの全てがというのだ、幸村はこれまでの人生の中でそのことをわかっていたのだ。まだ若いが。
「その全てが学問じゃ」
「では直江殿ともですか」
「お会いになられ学ばれ」
「ご自身を高められますか」
「拙者は日の本一の侍になりたい」
こう思うからこそというのだ。
「だからな」
「わかりました、では」
「そのうえで、ですな」
「越後に行かれることもですな」
「楽しみですな」
「全く以てな」
最後には笑みを浮かべていた幸村だった、そして。
実際に越後に旅立つ時にだ、昌幸にだ。
確かな笑みを浮かべてだ、こう言ったのだった。
「では行って参ります」
「楽しそうであるな」
「この者達が共にいますし」
後ろにいる十勇士を振り返って言う。既に服は旅のものだ。
「それに上杉景勝公、直江兼続殿にお会い出来る」
「そのこともじゃな」
「楽しみであります」
「だからか」
「はい、ですから」
「よい顔になっておるな」
「この顔で行き」
そしてというのだ。
「この顔で帰ってきます」
「そうか、ではな」
「暫し」
「うむ、お別れだな」
「それでは」
「わしも間もなく発つ」
信之も言う。
「ではな」
「はい、それでは」
「共にそれぞれの国で学んで来ようぞ」
「では源四郎様」
「お元気で」
昌幸、信之と共にいる真田家の家臣達も言う。
「越後は寒うございます」
「この上田よりもと聞いています」
「ですからそのことにはです」
「くれぐれもお気をつけを」
「ははは、わかっておる」
幸村は自身が幼い時から共にいてくれて世話をしてくれる彼等にも言った。
「身体は大事にしてな」
「そのうえで、です」
「学ばれて下さい」
「越後でも」
「そうしてくる」
こう言うのだった、彼等にも。そして笑顔のままだった。
幸村は十勇士達と共に上田を発った、上田の城が見えなくなった時にだ。
十勇士達にだ、彼は言った。
「上杉家の領内に入ればな」
「その境にですな」
「もう迎えの方が来ておられる」
「そうなのですな」
「そう聞いておる、そしてじゃ」
その迎えの者達と合流してというのだ。
「後は春日山に入りな」
「そこで、ですな」
「我等は暫しの間過ごしますな」
「人質として」
「そうじゃ、人質ではあるが」
表向きは客人となっている、しかしその実は言うまでもない。戦国の世にあってはこれは常にあることである。
「学ぶことは出来る」
「存分にですな」
「それが出来ますな」
「そして鍛錬もしよう」
それも忘れていなかった。
「剣術に忍術にな」
「ですな、我等も」
「鍛錬をしましょう」
「雨の日も雪の日も」
「それはしましょうぞ」
「鍛錬は日々してこそじゃ」
まさにとだ、幸村も言う。
「だからな」
「はい、それでは」
「まずは春日山に入りましょう」
「そしてですな」
「学び鍛錬をして」
「日々を過ごしましょう」
「そうする、それと春日山の城であるが」
この城のことも話すのだった。
「非常に広くな」
「そして高く」
「かなり堅固ですな」
「凄い城ですな」
「天下の名城の一つと言われている」
そこまでというのだ。
「だからな」
「その城もですな」
「見ますか」
「そして城のことも学ぶ」
「そうされますな」
「そのつもりじゃ、上田の城は十万石の城であるが」
それでその規模も限られているというのだ、十万石の力では築城も限られている。そのことも頭に入れて言った言葉だ。
「あの城は違う」
「その名城も見て」
「学ばれますか」
「城のこともな」
「そういえば大坂の城も」
ここでこの城のことも思い出された。
「あの城につきましても」
「もう完成したそうだな」
「はい、その様です」
「天守閣も築かれ」
「そして他の櫓も城壁も門も整い」
「堀も出来上がったとのこと」
「あの城は間違いなく天下の城」
幸村は大坂城についてはこうまで言った。
「春日山城もかなり堅固であろうが」
「それでもですか」
「大坂城には劣りますか」
「あの城よりは」
「安土城も堅城であったであろう」
一行が見たのは既に廃城になろうとしていた安土城であった、だから幸村はこの城については寂寥を込めてこう言ったのだ。
「しかしその安土城よりもじゃ」
「大坂城はですか」
「堅固ですか」
「あの城は」
「城壁、櫓、門が整い」
そしてというのだ。
「堀も入り組み深い」
「あの地の川を巧みに使い」
「そうだと言われるのですな」
「あの城は容易には陥ちぬ」
「生半可なことでは」
「流石は秀吉公と言うべきじゃ」
幸村は城を築いた幸村のことも言った。
「十万の兵で陥ちぬわ」
「何と、十万の兵でもですか」
「あの城は攻め落とせませぬか」
「それだけの軍勢で攻めても」
「あの城は」
「そうじゃ、しかしいつも言っておるが」
幸村はその目を光らせた、そのうえでの言葉だった。
「攻め落とせぬ城はない」
「例えどの様な堅城でもですな」
「人の造った城」
「ならば攻め落とせぬ城はない」
「そうだというのですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからじゃ」
「その大坂城も」
「攻め落とすことが出来ますか」
「天下の堅城でも」
「それでも」
「城を攻めずとも城にいる人を攻めることは出来る」
兵法も言うのだった。
「人をな」
「城を攻めるのは下計」
「されど人を攻めるのは上計」
「だからですな」
「大坂城を守る人を攻めれば」
「攻め落とせますか」
「うむ、人が最も大事じゃ」
ここで言う『人』とは何かもだ、幸村は言った。
「これは城だけではないな」
「はい、政においても」
「あらゆることにおいても」
「まずは人ですな」
「国も人が創るもの」
「大殿がいつも言っておられますな」
「兄上もそう考えておられ」
幸村は彼の兄である信之のことも言った。
「そして拙者もじゃ」
「ですな、殿も」
「いつも我等に言っておられますな」
「人が最も大事であると」
「その様に」
「うむ、やはり人は城であり石垣なのじゃ」
武田信玄の言葉も出した、幸村にとっては永遠に仰ぎ見る存在である彼を。
「人が大事じゃ、だからな」
「あの大坂城も」
「守る者達が駄目であるなら」
「攻められてそれで敗れれば」
「陥ちますか」
「そうじゃ、どの様な城もじゃ」
これが幸村の考えである、常にこう考えこう言っている。
「そういうものじゃ、そしてな」
「はい、これよりですな」
「越後の人に会いに行きますか」
「景勝公、そして直江殿にも」
「これより」
「行くぞ」
こう言ってだ、そのうえで。
幸村主従は上田から越後に向かうのだった。彼等が越後との境に来た時に見送りの家臣達が幸村に言った。
「ではです」
「我等はそろそろここまでです」
「越後との境の越後の方に上杉家の方々がおられます」
「そこでお別れです」
「わかった」
幸村は彼等に確かな声で応えた。
「これまでご苦労だった」
「勿体なきお言葉、では」
「越後でもお元気で」
「そしてまた会いましょうぞ」
「上田に戻られた時に」
「その時は上田の酒を飲もう」
幸村は見送りの家臣達に微笑んでこうも言った。
「存分にな」
「ですな、その時は」
「上田の酒を心ゆくまで楽しみましょう」
「やはり我等はここの者」
「この地の酒が一番ですな」
「越後は酒が美味いと聞くが」
それでもというのだ。
「やはりその時は上田の酒が欲しくなろう」
「では、ですな」
「その時を楽しみにして」
「そうしてですな」
「今は暫しのお別れですな」
「だから笑顔で別れよう」
永遠の別れではなく再開の時を楽しみに出来るからというのだ。
「また会おうぞ」
「はい、そうしましょう」
「ではお元気で」
家臣達も幸村の言葉に自然に笑顔になっていた、そして。
一行はその越後との境に来た、すると。
そこに上杉の兵達が待っていた、それにだった。
その先頭にいる黒い鞍と鐙、手綱を乗せた黒い馬に乗っている黒い服の男を見てだった。真田の赤い服の家臣達は驚いた。
「まさか」
「あの御仁は」
「そのまさかの様じゃな」
幸村は落ち着いていたがそれでもこう言った。
「拙者もまさかと思った」
「はい、あの方は」
「まさに」
皆驚いていた、まさにその者こそがだった。
巻ノ三十五 完
2015・12・2