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巻ノ三十三

                 巻ノ三十三  追撃

 鳥居は自身が率いる軍勢の主力を門に向かわせた、門を破りそのうえで二の丸に押し入ろうというのだ。だが。

 その彼等を見てだ、穴山は二の丸の櫓の中で鉄砲を構えつつ笑って共にいる霧隠に言った。

「さて、いよいよな」

「御主の腕の見せどころじゃな」

「うむ、腕が鳴るわ」

 確かな笑みで言うのだった。

「次から次に撃つぞ」

「そうか、しかしな」

「御主が霧を出してもか」

「敵に当てられるか」

「いらぬ心配じゃ」

 穴山は彼等に笑って返した。

「それはな」

「そう言うか」

「そうじゃ、わしの鉄砲の腕は知っていよう」

「百発百中じゃな」

「しかも一発撃ってもな」

 さらにというのだ。

「すぐに撃てるわ」

「他の者は大体三十秒かかるがな」 

 鉄砲を撃ち次に撃つ為に弾を入れることにだ、それに慣れた者でもそれだけの時間がかかるものなのだ。

 しかしだ、穴山はというと。

「十五秒じゃ、しかもな」

「今弾を込めるのはな」

「あの者達がしてくれておる」

 見れば三人の足軽達が櫓の鉄砲に次から次とだ、弾を込めている。穴山はその彼等を見つつ言うのだった。

「一発撃ってな」

「すぐにか」

「もう一発撃てる」

「それを繰り返せるか」

「だから心配はいらぬわ」

 こう言うのだった。

「ここはわし一人で充分じゃ」

「ではわしは霧を出した後はか」

「外に出て暴れて来るのじゃ」

「実はそうしたいと思っておった」

 霧隠はその整った顔を笑みにさせて言った。

「では行って来るぞ」

「それではな」

 こう話してだった、霧隠が霧を出した。すると。

 門の辺りが一面深い霧に覆われた、その霧はもう手を伸ばせばその手首が見えないまでだった。そこまで深く。

 徳川の兵達は突如として出て来たその霧にだ、戸惑い足を止めた。

「霧!?」

「霧だと」

「先程まで全くなかったというのに」

「いきなり出て来たぞ」

「術か」

 兵の一人が言った。

「まさか」

「真田の術か」

「真田の忍の術か」

 彼等は戸惑いつつこう言いだった、そのうえで。

 まずは身構えた、しかし。

 ここでだ、櫓からだった。

 次から次にだ、穴山は鉄砲を放った。深い霧なので彼にも敵は見えないが。

 一発、また一発とだった。敵の頭に心臓を撃ち抜いてだ。具足をものともせず容赦なく撃ち抜いたのだった。

 その攻撃にもだ、徳川の兵達は驚いて言った。

「鉄砲か、今度は」

「何じゃ、何処から撃って来た」

「真田の攻撃か」

「この霧の中で撃つか」

「おお、小助の奴流石じゃな」

 門の上でだ、鉄砲の音を聴きながらだった。海野は笑って言った。

「見えぬというのに見事に当てておるな」

「気配じゃな」

 何故当てられるかをだ、由利が言った。

「敵の気配を察してな」

「それでじゃな」

「それは我等とて同じであろう」

「うむ、才蔵の霧は全てを隠す」 

 海野もそのことを知っているので言う。

「こうしてな」

「そうじゃ、わしも見えぬ」

「わしもじゃ、しかしわかるな」

「うむ、目では見えぬがな」

 それでもというのだった。

「はっきりとわかるわ」

「うむ、これ以上はまでにな」

「気を感じるわ」

「そうであろう、何処に何人いるかな」

「その者の体格もわかるわ」

「だからじゃ、あ奴も当てられるのじゃ」

「そういうことじゃな、ではな」

 海野はここでだ、懐から苦無を出して由利に言った。

「わし等も仕掛けるぞ」

「無論そのつもりじゃ」

 由利もだ、その手にだった。

 彼の得物である鎖鎌を出してだ、そしてだった。

 海野は苦無を投げ由利は鎖鎌の分銅の部分を投げて下にいる徳川の兵達を攻めた。鎖は普通の鎖鎌のそれより遥かに長く。

 門の遥か下にいる徳川の兵達の額や喉を打ってだ、次々に倒していった。海野の苦無も同じ様に倒していた。

 霧隠は櫓から出てだった、海野の隣から手裏剣を投げ敵を倒していた。これに門のところに来た鳥居も驚いて言った。

「何と、この霧だけでなく」

「はい、そうですな」

「敵が攻めてきました」

「この霧の中で、です」

「敵が次々と攻めてきております」

「くっ、しかしじゃ」

 それでもとだ、鳥居は言うのだった。

「臆するな、霧は必ず晴れる」

「その時まではですか」

「ここは」

「この場に踏み止まりじゃ」 

 そしてというのだ。

「攻める用意をせよ、よいな」

「は、はい」

「わかりました」

「集まるのじゃ」 

 鳥居は兵達にこうも命じた。

「一人一人でおるから狙われる、ここはな」

「はい、集まり」

「そのうえで」

「門を目指せ、既に門の場所はわかっておるわ」

 こう言ってだ、彼自身兵達と共に集まった。だが彼はそれが出来たが霧があまりにも深い為にであった。

 多くの兵達はお互いが見えずその霧の中で右往左往するだけだった。そしてその霧の中においてだ。

 猿飛が清海にだ、門の入口に降り立ったうえで問うた。

「用意はよいな」

「腕が鳴って仕方がないわ」

 清海は猿飛に明るい笑顔で答えた。

「では暴れるか」

「うむ、思う存分な」

「御主はまさに猿の様に暴れ」

「御主は花和尚じゃな」

「そうして暴れるか」

「これよりな」

「わしもそうするか」

 望月も言う。

「これよりな」

「そうじゃな、ではな」

「行こうぞ」

 三人は確かな顔で頷き合ってだ、そのうえで。

 霧の中に入り徳川の兵達を倒していった、清海が金棒を振り回すとそれで徳川の兵達は吹き飛ばされていった。

 望月は拳で敵を具足の上からでも衝撃を与え倒していく、そして猿飛も。

 まさに猿の如き電光石火の動きで地面を跳び回ってだ、徳川の兵達を。

 手に持っている刀で急所を切り倒していく、そうして跳びつつ言うのだった。

「苦しまはせぬ、すぐに極楽に行け」

「相変わらず見事な戦いぶりじゃな」

 その猿飛に根津が言って来た、その彼もだ。

 手にした刀で居合で斬っていく、具足も何もものともせず斬っていた。そうしつつ自分の傍に来た猿飛に言ったのだ。

「城の中でもそう戦えるか」

「この様にな」

「御主はややこしい場所の方が戦いやすいな」

「森や町は特にな」

 そうした高いものが多い場所がというのだ、木や家といったものが。

「跳び跳ねることが出来るからな」

「だからじゃな」

「うむ、こうしてじゃ」

 まさにというのだ。

「城の中でもな」

「石垣や壁を跳ねてもいけるか」

「うむ、これも中々楽しいぞ」

「そうか、ではわしはな」

 根津はというと。

「何処でも同じじゃ」

「刀で斬るか」

「この様にな」

「そうじゃな、ではこのままな」

「ここにおる敵を倒していこうぞ」

 こう言い合い戦っていく、そして。

 清海が暴れている横にだ、伊佐が来てだった。

 彼もまた錫杖で敵を倒した、そのうえで兄に言うのだった。

「兄上、ここがです」

「正念場じゃな」

「霧が晴れるまでにです」

「どれだけの者を倒せるかじゃな」

「そうです」

 言いながらだ、伊佐はまた一人倒した。錫杖で敵の足軽の頭を陣笠ごと叩き割ってそのうえで成仏させた。

「ここはそうしましょう」

「そうじゃな、殺生であるが」

「殺生は戦に常です」

「だから仕方がないな」

「はい、我等は僧侶ですが忍の者でもあり」

「そして殿の家臣じゃ」

「ならばです」

 それ故にというのだ。

「ここは戦い」

「そしてじゃな」

「殿の御為に働きましょうぞ」

「わかっておる、ではじゃ」

「共に」

「戦おうぞ」 

 二人も派手に暴れる、金棒と錫杖も霧の中に舞っていた。

 望月は拳で戦う中でだ、筧が出て来てだった。

 数人に一度に分かれてだ、それぞれ手にしている扇子を投げて徳川の兵達の喉を切り裂いて倒すのを見た。鮮血が霧に舞った。

 筧は敵兵達を倒した後一旦一人に戻った、望月はその彼に言った。

「そうした戦い方も出来るか」

「うむ、これまではどうも直接戦うことは今一つじゃったが」

 望月や他の者に比べてというのだ。

「考えてな」

「分け身の術とじゃな」

「こうした暗器を使ってな」

 そのうえでというのだ。

「戦うやり方を覚えた」

「そうであるか」

「これなら御主や佐助の様に派手ではないが」

「敵に近寄って戦うこともじゃな」

「充分に出来る、ではな」

「このままじゃな」

「戦おうぞ」

 二人もこう話してだ、そのうえでだった。

 十人全員で二の丸の門のところに来た徳川の兵達を霧の中で倒していった。それが暫くの間続いていき。

 霧が晴れた、その時に。

 鳥居は周りにだ、恐ろしいものを見たのだった。

 彼とその周りに集まった兵達は無事だった、だが相当な数の兵達が倒れていた。その有様を見てだった。

 彼は歯噛みしてだ、こう言った。

「やられたわ」

「はい、またしてもですな」

「我等は策にかかりました」

「霧が立ち込める中で」

「徹底的にやられましたな」

「ここに送った兵のうち」

 倒れている者と残っている者を見回して言う。

「四割がやられたか」

「酷くやられましたな」

「これはまた」

「うむ、これでは門を攻められぬ」

 その数を減らし過ぎたせいでだ。

「退くしかない」

「では他の場所からですか」

「攻めますか」

「そうするしかない」

 鳥居は苦い顔で言った、だが。

 兵達が数人だ、鳥居の前に息を切らして駆け付けて言って来た。

「大変です、大手門の辺りから」

「そして我等の周りからです」

「六文銭の旗が次々と立ってきております」

「まで攻めては来ておりませぬが」

「伏兵か」 

 鳥居はその話を聞いてすぐに察した。

「伏兵がおったか」

「どうやら」

「それかと」

「くっ、真田家らしい」

「神算鬼謀の家といいますが」

「こうしたこともですか」

「有り得たが」

 今になって思ったことをだ、鳥居は苦々しく思いながら言った。己の愚かさを思いそれでそうなったのである。

「しかしな」

「そうして来たからには」

「どうされますか」

「ここで伏兵に襲われたならば」

「我等は」

「囲まれたら終わりじゃ」

 敵兵達にというのだ。

「特に城の中ではな」

「はい、逃げ場がありませぬ」

「ここで囲まれますと」

「まさにです」

「我等は全滅です」

「そうなってしまうわ」

 実際にとだ、鳥居はここでも苦々しい声を出した。

「このままでは危うい」

「ではどうされますか」

「ここは」

「このままですと」

「今にも」

「こうなっては仕方ない」

 先程まで以上にだった、鳥居は苦々しい声を出した。

 そのうえでだ、こう言った。

「退くしかな」

「はい、では」

「ここはですな」

「城を出て」

「そのうえで」

「うむ、上田からもな」 

 城だけでなく、というのだ。

「出るぞ」

「やられ過ぎましたな」

「それで、ですな」

「ここは逃げて」

「そのうえで」

「駿府まで帰るぞ」

 断を下した、その断によってだった。

 徳川家の軍勢は城から潮が引く様にして退くはじめた。鳥居は自ら後詰を務め退きの采配も行った。その彼をだ。

 昌幸は櫓から見つつだ、こう言った。

「ふむ、退きもな」

「よいですな」

「理に適っています」

「よき退きかと」

「うむ、真の勇将は退きも見事じゃが」

 昌幸は己の後ろにいる家臣達に話した。

「鳥居殿はな」

「ですな、まさに」

「あの御仁は見事な勇将です」

「真の」

「そうした方ですな」

「全くじゃ、しかし伏兵はな」 

 徳川の者達が驚いたそれはというのだ。

「実はじゃ」

「はい、旗を立てさせただけで」

「伏兵ではありませぬ」

「しかしですな」

「相手はそれにかかりましたな」

「うむ、人は普通でない時は些細なことでも慌てる」

 まさにというのだ。

「だからな」

「ここで旗を出してもですな」

「普通に驚く」

「人の心は」

「戦は人を攻めるものじゃ」

 孫子の言葉も出したのだった。

「その心をな」

「だからですな」

「ここは心を攻めて」

「そしてですな」

「そのうえで」

「破るものじゃ、だからじゃ」

 それ故にというのだ。

「旗も出させたのじゃ」

「そうですな」

「それでは、ですな」

「ここは一気に」

「追い打ちをかけますか」

「いや、追い打ちは仕掛けるが」 

 昌幸は家臣達に確かな声で答えた。

「すぐにはせぬ」

「と、いいますと」

「一旦城から出させてですか」

「そのうえで、ですか」

「敵を城から出してじゃ」

 それからとだ、昌幸は言った。

「敵が川を渡った時にな」

「その時に」

「一気に攻めますか」

「そうしますか」

「うむ、攻める」

 こう言うのだった、そして。

 あらためてだ、昌幸は家臣達に話した。

「敵が城から出るまで攻めるのは控えよ」

「攻めるよりもですな」

「ここは」

「兵達を集めよ」

 こう言ったのだった。

「今はな」

「はい、では」

「敵が逃げる間にですな」

「兵を集め」

「そのうえで」

「追い打ちの用意をしてじゃ」

 そしてというのだ。

「ここはじゃ」

「ここでは、ですな」

「あらためて攻めてですな」

「そして、ですな」

「敵を攻めて」

「そうじゃ」

 そのうえでというのだ。

「散々に破るぞ」

「その時こそですな」

「この上田に二度と攻めようと思わないまでに」

「それ程までですな」

「うむ、破るのじゃ」

 これが昌幸の考えだった。

「散々にな」

「ここぞという時に」

「敵が最も油断し攻めやすい時に」

「その時にですな」

「そうじゃ」

 まさにとだ、昌幸はまたしても強く答えた。

「わしも出る、その時はな」

「では」

「軍勢の殆どで向かう」

「そうされますな」

「その通りじゃ、源三郎も源四郎もじゃ」

 二人の息子達もというのだ。

「共に出陣してじゃ、よいな」

「ではお二方にも」

「その様に」

「伝えよ。今は強く攻めるでない」

 逃げる徳川の兵達はというのだ、そして実際にだった。

 昌幸は徳川の軍勢を今は強く攻めさせなかった、鳥居は決死の覚悟で殿軍を務めてが無事に城から出られた。

 そのうえでだ、自身が率いる者達に言った。

「こうなってはじゃ」

「はい、仕方ないですな」

「この有様では戦うことは適いませぬ」

「上田から出て、ですな」

「駿府に帰りますか」

「そうする」 

 苦い顔だが断を下した。

「ではな」

「はい、これより」

「退きましょうぞ」

「上田から」

 周りの者達も答えてだ、そのうえでだった。

 徳川の兵達は素早く上田の城から離れた、最早迷うことはなかった。

 そのまま一路南に逃げていく、幸村は兄と共に城の大手門まで行き敵の逃げ遅れた兵がいるかどうか調べていた。城を確保しつつ。

「殿、敵の逃げ遅れた兵はです」

「一人もいませぬ」

「傷ついた者もです」

「おりませぬ」

 十人の家臣達が幸村に述べた。

「どうやら傷付いた者もです」

「全て担いで逃げたそうです」

「味方は何があっても見捨てぬ」

「死なぬ限りはですな」

「それが徳川殿じゃな」

 徳川家の考えだとだ、幸村は彼等の言葉を受けて述べた。

「兵であろうとも見捨てぬ」

「こうした逃げる時もですな」

「生きていれば連れて行く」

「そうした家なのですな」

「そうじゃ、兵を見捨てぬのならな」

 それならばもだ、幸村は話した。

「兵達も思う存分戦うわ」

「ですな、確かに」

「そこまで篤く遇してもらえるならば」

「それも徳川家の強さの秘密」

「そういうことですな」

「流石に骸まで持って行くのは無理だったにしろ」

 見れば城の中に黄色の具足を着た亡骸が多く転がっている、言うまでもなく徳川の兵達だ。

「それでもな」

「生きている者は置いておかぬ」

「何があろうと連れて行く」

「それが徳川家ですな」

「あの家の戦ですな」

「そういうことじゃな、やはり徳川家はよい家じゃ」 

 敵であるがだ、幸村はそのことを素直に認めていた。

「天下から敬愛を受けるのも道理じゃ」

「ですな、まことに」

「一目置かれるには理由がある」

「左様ですな」

「そうじゃ、そしてじゃ」

 幸村はさらに言った。

「我等はこれよりな」

「うむ、先程父上の下から人が来て伝えてきた」

 信之が幸村のところに来て言って来た。

「我等はこれよりじゃ」

「逃げる敵をですな」

「うむ、攻めよとのことじゃ」

「そうですな、そして攻めるにあたって」

 幸村は戦のこれからの流れを読みつつ信之に話した。

「父上も」

「そうじゃ、父上ご自身が軍勢を率いられてな」

「敵を攻めるのですな」

「そうされるとのことじゃ」

「そして我等も」

「攻め手に加われとのことじゃ」

「わかり申した、ではな」

 幸村は兄の言葉をここまで聞いてだ、そのうえで。

 己の家臣達に顔を向けてだ、こう告げた。

「勿論御主達もじゃ」

「はい、次の攻めにもですな」

「我等も加わり」

「そのうえで」

「思う存分戦え」 

 こう告げるのだった。

「よいな」

「承知しました」

「では思う存分戦います」

「そしてそのうえで」

「敵を上田から追い出すのですな」

「また腕の見せどころじゃ」 

 こうもだ、幸村は彼等に告げた。

「手柄を立てよ」

「喜んでそうさせてもいます」

「是非共」

「その様にな、では追う用意をしてな」

 そのうえでとだ、幸村は家臣達にこうも話した。

「父上のお言葉があれば城を出るぞ」

「はい」

 十人は幸村に一度に答えた、そしてだった。

 真田の軍勢は今は追わずだった、そのうえで。

 追う用意をしていた、昌幸は軍勢をまとめ留守役も決めてから自ら馬に乗り兜も被り大手門に向かった。

 真田家が攻める用意をしている間徳川家の軍勢は急いで上田から出ようとしていた、鳥居は自ら兵を叱咤激励していた。

「急げ、さもないとじゃ」

「はい、敵が来ますな」

「後ろから」

 兵達も応える、それも決死の顔で。

「だからこそですな」

「ここは急いで上田から出る

「そうされるのですな」

「そうじゃ、だから急ぐのじゃ」

 鳥居はこう兵達に返した。

「一刻も早く上田から出るぞ」

「そして駿府まで、ですな」

「帰るのですな」

「その通りじゃ、そして傷付いた者は見捨てるな」

 とりわけ強くだ、鳥居は兵達にこのことを念押しした。

「よいな」

「はい、徳川家の者として」

「それは」

「味方を見捨てるとな」

 それこそというのだ。

「己も見捨てられる、しかもな」

「はい、そうですな」

「味方を見捨てることも武士の道に背く」

「そういうことですな」

「我等は徳川の武士じゃ」 

 鳥居は負けたにしても毅然としていた、そのうえでの言葉だった。

「武士に負けることはするな」

「左様ですな」

「だからこそ味方を見捨てず」

「そして、ですな」

「何とか」

「駿府まで退くぞ」

 味方を見捨てずにと言ってだ、そのうえで。

 鳥居は今も軍勢の後詰を務めながら軍勢を動かしていた、そうしてだった。

 千曲川と交わる神川の前に来た時にだ、彼は全軍に命じた。

「川を渡れ、しかしな」

「急いで、ですな」

「そのうえで」

「川は素早く渡れ」

 兵法から言うのだった。

「さもないとじゃ」

「そこを狙われる」

「川を渡るその時に」

「だからですな」

「そうじゃ、この時が一番危うい」

 それ故にというのだ。

「今のうちにじゃ」

「はい、川を渡りましょう」

「すぐに」

 兵達も頷く、そしてだった。

 全軍で川を渡りはじめた、彼等も急いでいたが。

 軍勢の半ばが川を渡ったまさにその時だった、突如として法螺貝が鳴る音が聞こえてきて彼等の後ろからだった。

 赤備えの軍勢が来た、鳥居は彼等を見て何とか己を保ちつつ言った。

「くっ、やはりな」

「ここで、ですな」

「出て来ましたな」

「やはり」

「うむ、攻めて来たわ」 

 鳥居はここでだ、自ら。

 槍を手にしてだ、そのうえで全軍に命じた。

「早く渡れ、傷付いた者から先に逃せ」

「そして戦える者がですな」

「ここは」

「後詰じゃ」

 こう応えるのだった。

「わしと共に後詰を務めよ」

「わかりました」

「ここは何とか踏ん張り」

「そのうえで一人でも多く逃がしましょう」

「川の向こうに」

「わかっておったが」

 それでもと言う鳥居だった。

「ここで来るとはな」

「今度は兵法の理を的確にですな」

「衝いてきましたな」

「まさに」

「うむ、憎らしいまでにな」 

 上田の城では詭計を用い次はというのだ。

「そしてこの度はな」

「はい、正攻法ですな」

「それで来ましたな」

「縦横無尽、思うがままに戦っておる」 

 鳥居は槍を手にしたまま言って来た。

「そして川を渡る時に来たわ」

「まさに半ばを渡る時に」

「攻めて来ましたな」

「しかも後ろからな」 

 ただ川を渡るその半ばに攻めるだけではないとだ、鳥居はこのことも述べた。

「そうしてきたわ」

「軍勢が一番弱い時に」

「まさにその時に」

「うむ、これは辛いが」

 しかしと言う鳥居だった、この状況でも目は死んではいなかった。

「踏ん張るぞ」

「さもなければここで皆死ぬからこそ」

「是非共」

「そうじゃ、戦うぞ」

 こうしてだった、鳥居は自ら戦い軍勢を逃がしにかかった、昌幸は自ら馬を駆り軍勢を率いつつ己の後ろに控える信之と昌幸に告げた。

「よいか、これよりな」

「川を渡る徳川の軍勢を」

「これより」

「徹底的に攻めよ」

 こう告げるのだった。

「わかるな、攻めることはな」

「火の如し」

「そうして攻めるものですな」

「そうじゃ、信玄様のお言葉通りじゃ」

 彼が仕えたあの男のことを言うのだった。

「攻める時はそうせよ」

「そして徹底的に攻め」

「敵を打ちのめすのですな」

「わしも行く」

 昌幸もと言う。

「御主達はそれぞれ軍勢の左右を率いよ」

「畏まりました」

「それでは」

 二人はそれぞれ父の言葉に頷いた、そうして。

 真田家の軍勢は六文銭を掲げて一気に攻めにかかった、川を渡ろうとする傷付いた黄色の軍勢に赤い無傷の者達が後ろから襲い掛かった。

 鳥居は自ら槍を振るい敵に向かった、だが。

 やはり傷が大きかった、徳川の兵達は真田の攻撃を受けると。

 何とか軍勢の形を保っていたが一人また一人とだった、傷をさらに受け倒れていった。信之は右手から川を渡ろうとする軍勢を襲った。

「川を渡っている者達にだ」

「はい、弓矢をですな」

「放つのですな」

「馬に乗ったまま、駆けながらじゃ」

 立ち止まることなく、というのだ。

「攻めよ」

「そして炮烙もですな」

「それも」

「派手に投げよ」 

 こちらもというのだ。

「駆けつつな」

「立ち止まることなく」

「そのうえで」

「そして休まずじゃ」

 こうも言うのだった。

「わかったな」

「はい」

 兵達は信之の言葉に頷いてだ、そして。

 実際に激しく駆けつつだ、川を渡る兵達にだ。

 弓矢や炮烙を放つ、矢が容赦なく川の中の兵を貫き炮烙の激しい音が鳴る。その二つが徳川の兵達を倒し。

 赤備えの兵達は次から次にと駆けつつ車の様に周り攻める、徳川の兵達は傷付き川の流れに絡め取られていった。

「くっ、逃げよ!」

「これはたまらぬ!」

「川の向こうに行け!」

「急げ!」

 こう言ってだった、皆必死に泳ぐが。

 それがかえって守りが弱くなりだった、次から次に。

 信之の軍勢の的になった、信之も采配を執りながら言った。

「やはりな」

「はい、川を渡る時こそ」

「その時こそですな」

「攻め時」

「兵法にある通りですな」

「そうじゃ、流石は父上じゃ」

 昌幸への敬意も言うのだった。

「全てわかっておられる」

「ですな、こうした時に攻め」

「そして、ですな」

「敵を散々に打ち破る」

「そうすべきなのですな」

「そうじゃ、ではな」

 信之はあらためて言った。

「ここは徹底的に攻めるぞ」

「では」

「このままですな」

「敵を散々に叩き」

「そのうえで」

「上田に二度と攻め込もうと思わせぬ様にしよう、しかし」

 ここでだ、信之はこうも言った。川の中で攻められるその徳川の軍勢を見て。

「この状況でも傷付いた者を助けるとはな」

「はい、泳いで」

「そして傷付いた者を助けてですな」

「向こう岸に渡っております」

「それがかえって的になっているというのに」

「見事、これが徳川の兵か」 

 彼等にも賛辞を送るのだった。

「では傷付いた者と助けている者はじゃ」

「攻めぬ」

「そうされますか」

「武士は戦う者だけを攻めるもの」

 武士道だった、まさに。

「だからじゃ」

「はい、ここはですな」

「傷付いた者と助けている者は攻めぬ」

「その様にしましょうぞ」

「是非な」

 こう言ってだ、そのうえで。

 信之は実際にだった、彼等を攻めさせなかった。だがその攻めは激しく徳川の軍勢を痛めつけていた。

 それは幸村が率いる兵達も同じでだ、一気にだった。

 左翼から徳川の軍勢に突っ込んでだ、遮二無二攻めていた。

 幸村は自ら陣頭に立ち二本の十字槍をそれぞれの手に持ち馬上から振るってだった、徳川の兵達を薙ぎ倒していた。

 徳川の兵達は突かれ払われ倒されていく、これには徳川家の旗本達も驚愕した。

「あの猛者は何じゃ」

「真田家の次男源四郎幸村殿らしいぞ」

「何っ、真田にはあそこまで強い者もおるのか」

「昌幸殿の鬼略だけではなく」

「しかもじゃ」

 さらに言うのだった。

「源四郎殿の周りにいる者達」

「十人おるが」

「その十人がどれも強い」

「何じゃあの者達も」

「鬼の様に強いぞ」

「腕に確かな者が向かってもすぐに倒してしまう」

「何という者達じゃ」

 こう言ってだ、次第にだった。

 徳川の兵達jは幸村と彼の周りの十人の者達から距離を置いた。鳥居はその状況も見て、だった。そのうえで。

 軍勢全体にだ、こう告げた。

「急げ、敵の攻めが激し過ぎる」

「はい、右から左に」

「そして正面からも」

 正面からは昌幸自らが率いる軍勢が攻めて来ているがだ、その勢いも左右からの攻めに劣らないものだった。

 それでだ、こう言ったのだ。

「このままではどうにもならぬ」

「ただ討たれるだけですな」

「まさに」

「そうじゃ、だからじゃ」

 それで、というのだ。

「もう一気に逃げよ」

「我等ももうすぐ川です」

「川に近付いています」

「その川を一気に渡り」

「そのうえで」

「脇目も振らず逃げよ」

 まさにというのだった。

「傷付いてもな」

「それをものともせず」

「まずは、ですか」

「向こう岸まで行け」

 これが鳥居の今の采配だった。

「そしてそれからじゃ」

「傷付いた者を助けて」

「そのうえで」

「上田から出るのじゃ、よいな」

「ですな、まずは向こう岸までです」

「渡りましょう」

 旗本達も応えてだ、そして。

 徳川の軍勢は川の岸まで来るとだ、まだ残っている者達に守られながら一気にだった、川を渡って泳ぎはじめた。

 鳥居は彼等を守りだ、昌幸達の攻めを自ら槍を手に防ぎつつ。

 残り僅かになった時にだ、命じた。

「炮烙を投げよ」

「はい、そして」

「それで、ですな」

「音と煙を出せ」 

 そしてというのだ。

「それに紛れて逃げるぞ」

「では」90

「これより」

 すぐにだった、残っている者達は懐から黒く丸い玉を出してだった。それを真田の軍勢に対して投げて。

 轟音と煙を出させてだ、そのすぐ後に。

 踵を返して一斉に川の中に飛び込んだ、そこから。

 向こう岸に向かって泳いだ。それを見てだった。

 昌幸は全軍にだ、こう命じた。

「よい」

「これで、ですな」

「攻めるのを止める」

「そうされますな」

「うむ」

 そうだというのだった。

「これ以上攻めるのは止めよ」

「ではこのまま」

「敵が上田から出るまでですな」

「攻めぬ」

「そうされますな」

「そうじゃ、徳川家の軍勢は破った」

 それも散々にというのだ。

「これで目的を達した」

「それでは」

「勝ち鬨を挙げよ」

 勝ったその証にというのだ。

「これで我等を攻める者はおらぬぞ」

「徳川家を退けたことによって」

「我等を組み易しと思う家はなくなった」

「だからですな」

「そうじゃ、そのことも祝ってな」

 そのうえでというのだ。

「勝ち鬨を挙げよ、今日は城に帰り祝いをしてじゃ」 

「そしてですな」

「明日からは」

「論功じゃ」

 戦に勝ったその証にというのだ。

「それをやるぞ」

「はい、それでは」

「それを行いますな」

「そうする、ではな」 

 こう話してだ、そしてだった。

 真田の軍勢はまずは勝ち鬨を挙げた、当然その中には幸村と十人の家臣達もいた。幸村はその勝ち鬨の後で彼等に問うた。

「どうじゃ、今の気持ちは」

「はい、やはりです」

「いいものですな」

「生き残りしかも勝てたことは」

「無上の喜びです」

「そうであろう、我等は勝った」

 幸村はこう彼等に話した。

「このことはまさに無上の喜びじゃな」

「全くですな」

「ではこのことを喜び」

「今夜はですな」

「今宵は宴じゃ」

 それが開かれるというのだ。

「城の中で飲むぞ」

「ですな、酒を飲み歌って」

「好きなだけ祝いましょうぞ」

「今宵は無礼講じゃ」

 こうも言った幸村だった。

「思う存分楽しむがよい」

「畏まりました」

 皆その言葉に頷いた、そして。

 彼等は意気揚々と城に戻った、その彼等を戦が終わって戻って来た民達が出迎えた。一行は彼等の讃える声を受けつつ城に戻ったのだった。



巻ノ三十三   完



                           2015・11・21


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