巻ノ三十二 会見
信之と幸村達は幸村の十人の家臣達を連れて徳川家の陣地に入った。黄色のその陣の中に入るとそこにいた兵達は。
皆鍛えられた身体に強い光を放つ目を持っていた。その彼等を見てだ。
幸村は小声でだ、信之に言った。
「武田家との戦のことは聞いていましたが」
「そうじゃな」
信之も小声で応える。
「強者達じゃ」
「どの兵も」
「やはり三河武士じゃ」
こうも言った信之だった。
「強い者達じゃ」
「ですな、よく鍛えられています」
「そして整っておる」
ただ強いだけでなく、というのだ。
「我等を見ていてもな」
「動きませぬな」
「整列して微動だにせぬ」
そして道を開けてだ、彼等を通しているのだ。どの兵達もその手に槍や鉄砲、弓矢を持ち不動の姿勢で立っている。
「武田の兵と渡り合ったのもわかる」
「ですな」
「三方ヶ原のことは道理じゃ」
「あの時徳川家は敗れましたが」
それも惨敗だった、主の家康も九死に一生を得た戦だった。
「ですが徳川の兵は皆前を見て死んでいました」
「背を向けて死んだ者はいなかった」
「それが何故かわかりますな」
「これだけの者達ならばな」
「そうなるも道理ですな」
「全くじゃ」
「そしてですが」
ここでまた言った幸村だった。
「これより鳥居殿の下に参りますが」
「我等もな」
「はい、このままですな」
「臆することなくな」
「そして礼儀を守り」
「参ろうぞ」
「ですな」
こう話してだ、そしてだった。
彼等は鳥居の前まで来た、そして一礼すると。
鳥居は確かな声でだ、彼等に言った。
「顔を上げられよ、では」
「これよりですか」
「お話があり参られたのこと」
武骨であるが礼儀を守っている態度での言葉だった。
「さすればお話をして頂きたい」
「では」
信之が答えてだった、そのうえで。
一行は話に入った、茶を出されそのうえで。
鳥居は信之、幸村と話をはじめた。本陣の中は徳川家の旗本達がおり幸村の家臣達は二人の後ろに立って控えていた。
そのうえで話に入るがだ、ここで。
鳥居からだ、二人に言った。
「それでお話とは」
「はい、返事をしに来ました」
信之が答えた。
「先日の鳥居殿のお言葉で」
「ですか、では」
「はい、当家の返事ですが」
一呼吸置いてだ、信之は鳥居に言った。
「折角の申し出なれど」
「左様ですか」
「当家は当家で生きていく所存です」
「そのお言葉、間違いではありませぬな」
「はい」
やはり毅然として言う信之だった。
「左様です」
「そうですか、わかり申した」
鳥居は確かな表情で答えた。
「そのことは」
「左様ですか」
「はい、確かに」
こう信之に答えるのだった。
「承りました」
「それは何より」
「では次にお会いする時は」
「はい、お互いにお会いしましょうぞ」
こう挨拶をしてだった、そして。
そのうえでだ、鳥居は二人にあらためて言った。
「ではお茶を如何でしょうか」
「茶ですか」
「はい、お別れする前に一服」
どうかというのだ。
「何でしたら」
「いえ、ご好意は有り難いですが」
丁寧な口調でだ、信之は鳥居に答えた。
「ここはです」
「そうですか」
「はい、その様に」
こう言うのだった、そしてだった。
彼等は別れた、信之達が陣を出るまでだった。
徳川の兵達は信之達に何もしなかった、微動だにせずに。
その彼等についてだ、猿飛は陣を後にしてからそちらの方を振り向いて言った。
「まさに何もであったな」
「うむ、全く動かずな」
由利が猿飛のその言葉に応えた。
「我等に一切手出してこなかった」
「強い目だけを向けておった」
「その強い目がな」
ここで言ったのは海野だった。
「凄かったのう」
「何十人か位では我等が勝てたが」
穴山もだ、陣の方を振り向いて言うのだった。
「軍勢同士の戦ならわからぬな」
「うむ、個々の戦と軍勢の戦はまた違う」
筧が穴山にこう返した。
「徳川殿の軍勢は軍勢の戦で真の強さを出す軍勢か」
「だとすると厄介じゃな」
望月は口をへの字にさせて述べた。
「敵の数の方がずっと多いだけにな」
「うむ、やはり楽な相手ではない」
清海も今回ばかりは楽観していない。
「城での戦は激しいものになるか」
「鳥居殿もです」
伊佐は敵将である彼のことを話した。
「敵である我等に毅然として接されていましたな」
「しかも礼儀正しくな」
ここでこう言ったのは根津だった。
「まさに武士であったな」
「さて、今は無事に終わったが」
霧隠の言葉もだ、楽観はなかった。彼の場合は常であるが。、
「やはり手強い相手か」
「そうであるな、やはり鳥居殿は真の武士」
幸村も言う。
「武士道を知り戦もな」
「強い」
「左様ですな」
「これまでは忍として忍の戦が出来た」
上田城に来るまでのこともだ、幸村は話した。
「だから充分に戦い倒せたが」
「それでもですな」
「武士と武士の戦は違う」
「軍勢と軍勢の戦は」
「左様ですな」
「そうじゃ、拙者もこれまでは忍として戦ったが」
しかしと言うのだった。
「この度は違う」
「武士として、ですか」
「戦われますか」
「軍勢を率いられ」
「そうじゃ、御主達もこれまで通り術を使って戦ってもらうが」
しかしというのだ。
「軍勢と相手にする戦であることはな」
「はい、承知しております」
「そのことは」
「では、ですな」
「この度の戦は」
「武士として軍勢と軍勢の戦をするぞ」
こう己の家臣達に告げた。
「よいな」
「畏まりました」
「では既に準備は整っています」
「それぞれの場所に着き」
「敵を待ち受けるのですな」
「うむ、そして城に帰ったらな」
幸村は十人にさらに言った。彼もまた徳川の軍勢を見ているが毅然としていて一点も怯えた様子はない。
「まずは飯じゃ」
「飯を食い、ですな」
「そのうえで」
「英気を養い」
「そして、ですな」
「うむ、勝つ」
まさにとだ、こう言ってだった。
幸村は今は去ることにした。その彼に信之が言った。
「しかし、敵であってもな」
「徳川家はですか」
「よき家であるな」
こう言うのだった。
「それを実感した」
「陣に入り」
「うむ、それで余計にな」
「そうですな、この戦を凌げば」
その時にどうするのか、幸村は言った。
「我等は徳川家とは」
「戦をするべきではないな」
「むしろ近くのどの家ともです」
「戦はせぬに限るな」
「戦は誰も幸せにはしませぬ」
幸村は苦い顔と声になり言った。
「家も人も滅ぶだけです」
「そうじゃな、民も迷惑を被るしな」
「ですから」
それで、というのだ。
「戦はないに限ります」
「全くじゃな」
「はい、ですからこの戦の後は」
「徳川家ともな」
「戦はせぬに限るな」
「そうです、しかしです」
「今は戦わねばならん」
強い声でだ、信之は弟に言った。
「そして戦うのならな」
「はい、絶対に」
「勝とうぞ」
「そして家を残そう」
こう話してだ、そのうえでだった。
二人は幸村の家臣達と共にだった、今は城に帰った。そして昌幸に話の一部始終を話した。すると昌幸は。
二人にだ、こう言った。
「鳥居元忠殿は噂通りじゃな」
「はい、非常にです」
「立派な方です」
信之と幸村は父にすぐに答えた。
「徳川家ならではの」
「勇と義を兼ね備えた方です」
「そうか、しかしな」
ここでだ、昌幸はこうも言った。
「徳川家の家臣であられるならな」
「そこにですな」
「狙い目があると」
「今敵将はその鳥居殿でじゃ」
昌幸はさらに言った。
「軍師はおらぬな」
「はい、見たところ」
「そうした方はおられませんでした」
「どうも皆武辺の御仁ばかりで」
「策を使う方はおられませぬ」
「徳川家は武の面が強い」
昌幸は徳川家のことを看破してみせてもした。
「策略が少ない家じゃ」
「戦において、ですな」
「武辺の家であり」
「積極的に攻めてきますが」
「あくまで正攻法ですな」
「そうじゃ、だから城攻めでもな」
その時もというのだ。
「正攻法で来る」
「だからですな」
「あの様にされましたか」
「あえて」
「左様でしたか」
「そうじゃ、どうした攻め方で来るかわかるとじゃ」
昌幸の目が光っていた、それはさながら虎が敵を見てその命を賭けた勝負の前に燃えているかの如きだった。
「こちらも対し方が容易じゃ」
「ですか、では」
「戦になれば」
「敵の動きにも合わせ」
そして、というのだ。
「散々に打ち破ってやろうぞ」
「わかりました、そしてですな」
「徳川家の軍勢を上田より追い出し」
「そして、ですな」
「そのうえで」
「後は政じゃ」
それの話になるというのだ、戦の後で。
「徳川家と和を結ぶぞ」
「戦の後で」
「そうされますか」
「すぐにもな」
「すぐに、ですか」
「和睦に動きますか」
「そして上杉家ともさらに親しくなる」
上田の北のこの国のことも話した。
「無論羽柴家共な」
「戦の後で全ての家とですか」
「親しくなりますか」
「そして生き残る」
この戦国の世においてというのだ。
「わかったな」
「戦だけではない」
幸村は昌幸の話を受けてだ、瞑目する様になって言った。
「父上がいつも仰っていますな」
「ただ戦に強いだけではじゃ」
「何時か敗れますな」
「孫子に書いておろう、百戦百勝はならぬ」
「戦わずに済めば最善ですな」
「だからじゃ」
昌幸は幸村に静かだが強い声で話していった。
「戦になったならば勝つがな」
「肝心は戦をせずに済ませることですか」
「そういうことじゃ、だからこの戦の後でな」
「徳川家と和してですか」
「上杉家ともさらに親しくなり」
そしてというのだ。
「羽柴家ともじゃ」
「どの家とも」
「北条家ともじゃが」
昌幸はこの家についてはこう言った、見れば顔が僅かにだが微妙なものが入っている。
「しかしあの家はな」
「何かありますな」
「昨日星を見たが」
今度は信之に話した。
「妙に星の巡りが悪い」
「星の、ですか」
「輝きが徐々に落ちてきておる」
「その輝きが」
「危ういやも知れぬな」
北条家はというのだ。
「それにあの家はもう上田には来ぬ」
「あくまで関東ですか」
「やはり北条家は東国の家、それではな」
「あの家は来ませぬか」
「だから特にじゃ」
「もう北条家とは親しくなりませぬか」
「喧嘩はせぬがな」
揉めはしないが距離を縮めることもしないというのだ。
「そういうことじゃ」
「ですか、戦の後は」
「その時にも御主達には動いてもらう」
今度は二人に言った、再び。
「わかったな」
「はい、では」
「その時は」
「そういうことでな、では今は戦をしようぞ」
昌幸はこう言ってだ、戦を待っていた。その用意は既に出来ていてそれこそ何時でも戦える状況であった。
その真田家と対する徳川家の軍勢、信之と幸村達を城に帰した彼等はというと。
本陣においてだ、主な者達が話していた。
「思っていた以上にじゃな」
「うむ、お二人共確かな方々じゃ」
「真田殿は立派なご子息達をお持ちじゃ」
「後ろにいた十人程の者達もな」
彼等もというのだ。
「身なりは変わっておるが強いな」
「相当な猛者達じゃな」
「肉の付き方が違う」
「目の光も強い」
そうしたものを見ての言葉だ。
「やはりかつて武田家にいたことはある」
「強いな」
「これまでもやられてきたが」
「ここで気を引き締めねばな」
「遅れを取るな」
「そうなるな」
「その通りじゃ」
ここで鳥居も言った。
「この度の戦は厳しい」
「はい、上田の城を囲みましたが」
「それでもですな」
「この度の戦はです」
「容易ではありませぬな」
「一気に激しく攻めてじゃ」
そしてというのだ。
「本丸まで迫りな」
「そして、ですな」
「そのうえで降る様に言う」
「相手の進退が極まったところで」
「その時に」
「殿は真田家を滅ぼすつもりはない」
鳥居はここで主の考えを言った。
「上田の領地を手に入れてな」
「その兵を組み入れ」
「そして真田家も家臣とする」
「決して滅ぼしたいのではなく」
「組み入れたいのですな」
「殿は無駄な血を好まれぬ」
家康のこの気質についても言う、実際に家康は戦で戦い兵を繰り出しても決して殺戮を許す様なことはしない。
だからだ、この度もというのだ。
「だから真田家もじゃ」
「滅ぼさずにですな」
「戦で進退極まる様にして降らせる」
「そうお考えですな」
「出来れば最初からじゃったがな」
ここでこうも言った鳥居だった。
「戦、いや兵を送ることなくな」
「上田を組み入れられていれば」
「それで、でしたな」
「よかったのですが」
「それが出来ずにですな」
「我等は今ここにいますな」
「そうじゃ、こうなれば仕方がない」
確かな声で言う鳥居だった。
「攻めるぞ」
「はい、それでは」
「これより一気に攻め」
「そして、ですな」
「真田家を降らせる」
「そうしますな」
「うむ、そうするぞ」
こう言ってだ、鳥居は自ら采配を執り矢面に出てそのうえで兵を動かした。大将自らが前面に出たのを見てだ。
昌幸は櫓からだ、その鳥居を見つつ信之と幸村に言った。
「やはり鳥居殿はな」
「はい、徳川家の将ですな」
「まさに」
「ご自身が陣頭に立たれておるわ」
そのうえで全軍を叱咤激励して動かしていた。声は大きく動きもいい。
「矢面に立たれていてな」
「あの距離ならです」
信之もその鳥居を見つつ言う。
「矢が届きますな」
「鉄砲もな」
「はい、あえてああして危うい場所に出られてですな」
「采配を執るというがな」
「徳川家の将ですな」
「徳川家は将自ら危うい場所に出る」
そしてというのだ。
「そのうえで采配を執るのだ」
「後ろの安全な場所にはおらず」
「そして戦うからな」
それでと言うのだった。
「兵達も奮い立つのじゃ」
「将自らそうするからこそ」
「無論家康殿もそうされることが多い」
その棟梁である彼もというのだ。
「だからあの家は忠義の家でな」
「まとまってもいるのですな」
「そうじゃ、そして勇の者が多いのじゃ」
「そうして将も兵も自ら攻めるので」
「まさに将兵が一つとなる」
「それが徳川家の戦ですな」
「そういうことじゃ、強いぞ」
昌幸はその目を鋭くさせて言った。
「厳しい戦になるのは確かじゃ」
「左様ですか、やはり」
「ではこれより戦となる」
昌幸は息子達にあらためて告げた。
「よいな」
「はい、それでは」
「これよりです」
信之だけでなく幸村も言った、今度は。
「敵を迎え撃ちましょうぞ」
「父上の策通りに」
「敵の数は多く強い」
そのことを完全に頭に入れての言葉だった。
「ならば正面から全力で迎え撃つよりもじゃ」
「まずはその一撃をかわす」
「そうされますな」
「一太刀目はかわす」
こう言うのだった。
「そこからこちらが仕掛けるのも剣術じゃな」
「はい、確かに」
幸村は父のその言葉に頷いた、三人共赤い具足と陣羽織であるが武田家から受け継いたものである。無論他の将達も兵達も同じだ。
「それでああされたのですな」
「強き一撃はまずかわしてじゃ」
「それからこちらが攻める」
「この度はそれじゃ、まずはかわす」
その一撃をというのだ。
「よいな」
「はい、それでは」
「わしは本丸におる」
そこにというのだ。
「御主達もそれぞれの場に着け」
「はい、それでは」
「これより」
二人もすぐに応えてだ、そしてだった。
それぞれ城の要地である自分達の持ち場についた。幸村がそこに入ると既に兵達と十人の家臣達がいた。
その家臣達がだ、幸村に問うて来た。
「では殿、これより」
「これよりですな」
「戦ですな」
「本格的な城での戦ですな」
「そうじゃ」
その通りだとだ、幸村は彼等に確かな声で答えた。
「ここで勝てばな」
「真田家は守れる」
「そうなりますな」
「うむ、負ければ降らざるを得ず」
そして、というのだ。
「我等は徳川家の家臣となってします」
「そうですな、それはどうにも」
「やはり真田は真田です」
十人共こう言うのだった、
「徳川家ではありません」
「ですからここは勝ち」
「当家のままでいましょうぞ」
「そういうことじゃ、では御主達にも戦ってもらう」
真田家が真田家である為にもというのだ。
「よいな」
「はい、では」
「敵を思う存分破ってみせます」
「そして勝ち」
「お家を守りましょうぞ」
「ではな、頼むぞ」
こうしてだった、彼等もその持ち場についた。そして。
徳川の軍勢は動きはじめた、高らかに法螺貝を鳴らし。
鉄砲や弓矢を放ちだ、そのうえで。
城との距離を狭めていく、鳥居はその中で言った。
「堀が深いな」
「はい、しかも広いです」
「これは渡れませぬ」
周りの旗本達が答える。
「ですから渡るにはです」
「難しいです」
「しかも壁も高いです」
「堀や壁を越えることは」
「それでは、ですな」
「うむ、正攻法じゃ」
下手に堀や壁を越えるよりもというのだ。
「橋、特に大手門に向かう橋から攻めるぞ」
「ですな、ここは」
「そうすべきですな」
「それでは大手門の前に兵を集め」
「そのうえで攻めましょうぞ」
「わしも行く」
その大手門の方にというのだ。
「そのうえで攻めるぞ」
「はい、わかりました」
「ではそこから主に攻めましょうぞ」
周りも応えてだ、そしてだった。
徳川の軍勢は大手門に兵を集めた。昌幸は櫓からその動きを見て言った。
「これでよい」
「殿の読み通りですな」
「敵は大手門のところに来ましたな」
「徳川家の戦は正道じゃ」
こう周りの家臣達に言うのだった。
「それ故にな」
「大手門に兵を集めてきましたか」
「この城の堀や壁を見たうえで」
「その深さや高さを見てですな」
「確かにこの城の堀や壁は険しい」
昌幸自身が最も知っていることだ。
「わしがそう造らせたからのう」
「まさに天下の堅城です」
「忍の者ですら越えられませぬ」
家臣達も言う、その堀や壁はというのだ。
「それを見ては、ですな」
「敵は堀や壁を越えようとはせぬ」
「必ず正攻法で来ますな」
「大手門から」
「そうじゃ、だからじゃ」
それでというのだ。
「大手門から来ると見ておったわ」
「そしてまさにですな」
「敵は大手門から来ました」
「では、ですな」
「大手門から攻めて来るからこそ」
「備えをしておりましたな」
「その通りじゃ、さて後はな」
徳川家の軍勢が大手門に来た、昌幸の読み通り。彼は櫓からその動きをまじまじと見つつこう言うのだった。
「策にかかるだけじゃ」
「その徳川殿の軍勢が」
「これよりですな」
「そうじゃ、どうするか」
こう言うのだった。
「敵はな」
「はい、それでは」
「ここは、ですな」
「敵がどう来るか」
「それを見ましょうぞ」
「そこから動くぞ」
確かな声だった、ここでも。
「よいな」
「はい、わかりました」
「それではですな」
「まずは大手門での戦ですな」
「大手門を守る者達に伝えよ」
昌幸の采配がここで動いた。
「適度に戦いな」
「そのうえで、ですな」
「退けとですな」
「そう伝えよ、戦いはせど」
それでもというのだ。
「ここは命の捨て時ではないぞ」
「ですな、まだ」
「今はその時ではありませぬな」
「そうじゃ、今は武勲を挙げる時じゃ」
死ぬのではなく、というのだ。
「命を無駄にするなと伝えよ」
「そして、ですな」
「二の丸を守る源三郎様、源四郎様にですか」
「お伝えしますか」
「そうじゃ、敵が二の丸に着いた時に」
まさにその時にというのだ。
「仕掛けよとな」
「わかりました」
「では我等も」
「二の丸に行きます」
「わしも支度は済んでおる」
他ならぬ昌幸自身もというのだ。
「よいな」
「はい、その時が来れば」
「皆一丸となり攻めましょうぞ」
「そして勝ちましょうぞ」
「うむ、その時は近いぞ」
城を攻められているがだ、昌幸は勝利を確信していた。そのうえで大手門に迫ってきている徳川家の軍勢を見ていた。
大手門の上と左右の櫓からだ、次から次にだった。
鉄砲と弓矢、それに石が徳川家の軍勢に襲い掛かる。だが鳥居は顔のすぐ横を石や矢がかすめても言っていた。
「怯むな!一気に進め!」
「まずはですな」
「大手門をですな」
「そうじゃ、門を破れ」
兵達に言う。
「丸太を使え」
「はい、既にです」
「その用意は出来ています」
見れば丸太を何本も持って来ていた、それを足軽達が数人がかりで横にして抱えて持っている。
「ではこれで、ですな」
「門を突き破るのですな」
「そうじゃ、櫓と大手門の上には鉄砲を放て」
鳥居はこうも命じた。
「火矢もじゃ、それで丸太を攻めさせるな」
「わかり申した」
「ではまずは丸太で門を攻めましょう」
「今は」
「そうじゃ、そうせよ」
鳥居はこう言ってだ、そのうえで。
実際に丸太が大手門に近付きだ、大手門や櫓を攻めさせてつつ。
大手門をに丸太の先を盛んに突かせさせた、そしてだった。
城の門を潰していく、突き続けていると。
遂にだ、その門が潰れてきた。そこからさらに突かせると。
門が完全に壊れた、鳥居はそれを見て言った。
「よし、門は完全に開けさせよ」
「残った部分も壊し」
「そうして」
「そうじゃ、完全に開けてじゃ」
そのうえでというのだ。
「城の中に押し入るぞ」
「では次に目指すのは」
「二の丸じゃ」
そこだとだ、鳥居は答えた。
「あそこに攻め入るぞ」
「ですな、では」
「そこに行き」
「そのうえで」
「うむ、確実に攻め入れ」
城の中をというのだ。
「そして本丸を囲みな」
「降る様にですな」
「真田殿に告げられますな」
「その時にこそ」
「そうする、攻め入りじゃ」
そしてというのだった、鳥居も。
「本丸を囲むまで一切手を緩めるな」
「わかりました、では」
「次は二の丸に向かいましょう」
兵達も答えてだ、そしてだった。
徳川の兵達は大手門を開けてだ、そのうえで。
城の中に入った、真田の兵達は大手門から素早く退いたがその時に煙玉を投げたりした。だがそれでもだった。
鳥居は兵達を的確に進ませつつだ、こう言った。
「地面にも気をつけよ」
「地面ですか」
「そこにもですか」
「地雷があるやも知れぬ」
これにも気をつけているのだった。
「だからな」
「地雷ですか」
「それも埋め込めていますか」
「真田家は」
「策に巧みでしかも忍でも有名じゃ」
この二つのことから言うのだった。
「だからな」
「ここは、ですか」
「慎重に進みますか」
「地面にも気をつけて」
「そうせよ」
こう言ってだ、そのうえで。
鳥居は二の丸に迫った、彼はすぐにその二の丸の石垣と壁を見た。そして二の丸の門を見たがここでだった。
不意にだ、こう言ったのだった。
「二の丸の門じゃが」
「どうにもですな」
「大手門も堅固でしたが」
「この二の丸の門はそれ以上ですな」
「どうにも」
「これは破りにくいな」
大手門以上にというのだ。
「下手に攻めれば兵を多く失う」
「しかしです」
旗本の一人が壁の上を見つつ鳥居に言った。
「殿、本丸に旗が多いですが」
「むう、確かにな」
鳥居も本丸を見た、そこには確かに旗が多い。
しかし二の丸彼等が今から攻めるそこはだった。
「二の丸にはな」
「旗がかなり少ないですぞ」
「それだけ兵が少ないか」
「その様です」
「この石垣も壁も高く険しいが」
鳥居は二の丸の石垣も高く険しいことは認めた、だがだった。
それでもとだ、こう言ったのだった。
「門から攻めるよりもよいか」
「それではですな」
「ここは、ですな」
「石垣と壁を越えて」
「そして攻めますか」
「そうするか、ではな」
鳥居はあらためて言った。
「石垣を登れ、そして壁まで越えよ」
「はい、では」
「その様に」
足軽達も答えた、そして六文銭の旗が少ないその二の丸を攻める為にだ。
石垣に向かった、それを本丸の櫓から見てだった。
昌幸は確かな声でだ、こう言った。
「よし、これもじゃ」
「読み通りですな」
「この状況も」
「うむ、よい」
まさにと言うのだった。
「まさに読み通りじゃ」
「ですか、では」
「後は源三郎様と源四郎様がですな」
「やってくれますな」
「必ずな、そしてじゃ」
さらに言う昌幸だった。
「敵を城から追い出しても終わりではないぞ」
「ですな、そのうえで」
「後は容赦なくてですな」
「その用意の確認をしようぞ」
こう言ってだった、昌幸は。
今は櫓で戦の状況を見守っていた、そして。
徳川の兵達が二の丸の石垣に張り付いたその時にだった、信之は壁の向こうに隠れていた兵達に告げた。
「よし、今じゃ」
「はい、これよりですな」
「攻めますか」
「我等も」
「鉄砲を撃て」
まずはこれだった。
「弓矢を放ちな」
「そして、ですな」
「石も丸太も投げ」
「徹底的にやりますか」
「そうせよ」
まさにと言うのだった。
「容赦なくな」
「はい、わかりました」
「それではです」
「これより攻めましょうぞ」
「一気に」
「敵を引き付ける」
信之は強い顔で言った。
「そしてそのうえでな」
「一気にですな」
「敵の動きが止まったところで攻める」
「そうするのですな」
「この上田城の石垣は忍の者でも越えることが難しい」
忍の術を身に着けている信之でもだ、無論幸村達も同じだ。
「それでじゃ」
「まさにですな」
「敵が石垣に着いた時」
「その時こそですな」
「そうじゃ」
まさにと言うのだった。
「やるぞ」
「間もなく」
「そうしますな」
「うむ、それまでは待て」
強い言葉で言うのだった。
「軽率なことはするな」
「わかりました」
「それでは今は」
「動かざること山の如しじゃ」
信之はここでこうも言ったのだった、武田家の旗に書かれていた言葉の一部だがここでこの言葉を出したのである。
「よいな」
「戦は時としてですな」
「そうすることも大事ですな」
「そうじゃ、今は動くな」
こうくれぐれもと言うのだった。
「決してな」
「そして時が来れば」
「火の様に攻める」
「そういうことですな」
「そうじゃ、今は山となり林となれ」
こうも言うのだった。
「静かにしておれ」
「静かなること林の如し」
「その様にですな」
「うむ、静かにじゃ」
まさにと言うノだった。
「そして時が来れば」
「風の様に速く」
「そして火の様にですな」
「そうして攻めよ、よいな」
こう言ってだ、そのうえでだった。
信之は今は兵達を動かさなかった、そしてそれは幸村もだった。
赤い具足と陣羽織に身を包み下にいる徳川の軍勢を物陰から見ている、そのうえで後ろに控える十人を中心とした家臣達に言った。
「さて、ではな」
「今は待って」
「そしてですな」
「敵が石垣に張り付く」
「まさにその時に」
「一気に攻める、そしてそのままの勢いでな」
家臣達にさらに言っていく。
「城から追い出しな」
「そして、ですな」
「敵を追う」
「そうしますな」
「いや、そこからは父上の策がある」
すぐに追うかどうかについてはだ、幸村はこう答えた。
「よいな」
「左様ですか」
「大殿はそこからもお考えですか」
「そうなのですか」
「うむ、だからその時も迂闊には動かぬ様にな」
こう言うのだった、そして。
今は敵の動きを見守っていた、その敵達はというと。
鳥居の采配の下石垣に着こうとしていた、その手で石垣に張り付き登ろうとしていた。その手が張り付いた時にだった。
信之も幸村もだ、すくっと立ち上がり采配を振るった。
「よし、今じゃ!」
「攻めよ!」
「一気に攻めよ!」
「まずは鉄砲を撃て!」
こう命じるのだった。
「それから弓矢、石に丸太も投げよ」
「休むことなく攻めよ」
「さあ、攻めて攻めてじゃ」
「敵を城から追い出すのじゃ」
兵達は二人の言葉に頷いてだ、すぐにだった。
城の壁の穴から鉄砲を出して一斉に放ちだ、別の穴からだった。
弓矢も放った、壁の上から石も丸太も投げた。
次から次に攻めてだ、石垣によじ登ろうとする徳川家の兵達にだった。
全てを叩きつけた、鉄砲の轟音が鳴ってだった。
弓矢が突き刺さり石と丸太が打ってだった。
徳川の兵達を次々と倒していく、鉄砲が己のすぐ目の前をかすめ石が足元に落ちたのを見てだった。鳥居は言った。
「ここでか」
「大手門の時よりもです」
「敵が遥かに多いですぞ」
周りの者達も言う。
「二千はいますか」
「それ程」
「鉄砲も弓矢も多く」
「石や丸太まで出してきますぞ」
「やるか、しかしな」
それでもとだ、鳥居は言った。
「これも城攻めではあること」
「では、ですな」
「このまま」
「攻めよ、怯むな」
「しかしです」
侍大将の一人が鳥居に言って来た。
「この状況で石垣を登ることは」
「出来ぬというのか」
「はい」
こう言うのだった。
「とても」
「確かにな、これではな」
鳥居は石垣、そして壁の上を見た。見れば今も鉄砲や弓矢が来ている。鳥居の横を矢が通ったが彼は臆してはいなかった。
だが彼は臆していなくともだ、軍勢はだった。
「とてもな」
「登ることはですな」
「出来ぬな」
鳥居もこう言わざるを得なかった。
「とてもな」
「ではどうされますか」
「門か」
鳥居は石垣が駄目ならと言った。
「そこから攻めますか」
「それしかないですな」
「うむ、ではじゃ」
鳥居はその侍大将の言葉を受けて言った。
「門に行け、そしてじゃ」
「わかりました」
こう言ってだ、そのうえで。
徳川家の軍勢はここでだった、門の方に回った。そのうえで攻めようとするが。
幸村はその彼等を見てだ、十人の家臣達に言った。
「ではな」
「はい、では」
「門の方にはですな」
「我等が向かい」
「そしてですな」
「門に向かった兵達を退けよ」
こう命じたのだった。
「よいな」
「ではここは、ですな」
「殿がそのまま受け持たれ」
「そして我等は門においてですな」
「あの者達を」
「退けよ」
こうも言った。
「よいな」
「わかり申した、では」
「門のところはお任せ下さい」
「門には指一本近付けませぬ」
「お任せを」
「ではな」
幸村は微笑みそうしてだった、彼等を二の丸の門に向かわせた。だが鳥居はそのことを知らずこう言うのだった。
「石垣が駄目ならな」
「門ですな」
「そこから攻めますな」
「そうじゃ、最初からそうすればよかったか」
こう周りにも言うのだった。
「どうも嫌な予感がして石垣から攻めたが」
「二の丸は、ですな」
「今は」
「しかしそれが逆に裏目に出た」
そうなったとだ、鳥居は苦々しい顔で言った。
「この様じゃ」
「ですな、では」
「やはりここは正攻法ですな」
「門を攻めましょう」
「あの場を破りましょう」
「うむ、そうして攻めようぞ」
こう言ってだ、あらためてだった。
鳥居は二の丸の門を攻めさせた、しかしそれがどうなるのかは彼はまだ知らなかった。そこに向かった真田の者達のことも。
巻ノ三十二 完
2015・11・15