巻ノ三十一 上田城の戦い
鳥居が率いる徳川家の軍勢は上田城にまで達した。鳥居はその上田城を見つつ周りの者達に強く言った。
「民は皆逃げた様じゃがな」
「それでもですな」
「民達はですな」
「人夫として使うのならよいが」
それでもというのだ。
「害は及ぼすな」
「それは承知しています」
「我等も徳川家の者、その様なことはしませぬ」
「決して」
「民百姓への狼藉は殿のお名前を汚す」
鳥居は強い声のまま言う。
「それはあってはならぬ」
「まことに」
「殿のお名前を汚してはなりませぬ」
「ですから足軽達にも言っています」
「若し一銭でも奪うかおなごに触れれば」
「それだけで罪に問うと」
「そしてじゃ」
さらに言う鳥居だった。
「城を囲みな」
「そのうえで、ですな」
「使者を送り」
「そして降らせますな」
「ここは」
「そうする、その使者はな」
鳥居は使者のこともだ、周りに言った。
「わしが行くか」
「鳥居様ご自身がですか」
「敵の城に入られるのですか」
「そうされますか」
「こうした時はそれなりの者が行ってな」
そして、と言うのだった。
「話をせねばならん」
「だからですか」
「鳥居様が行かれますか」
「ご自身が」
「そうも考えておる、とにかくじゃ」
今は、と言うのだった。
「上田城を戦わずして降すことじゃ」
「それが第一ですな」
「何と言っても」
「見れば確かに堅固ですな」
「妙に造りがいいです」
「十万石の城じゃが」
大きさはというのだ。
「しかしな」
「造りがよく」
「如何にも堅固ですな」
「あの城を攻め落とそうとするならば」
「厄介ですな」
「そうじゃ、だからじゃ」
それでと言うのだった、鳥居も。
「ここはな」
「はい、あの城は攻め落とさずに」
「話で降す」
「そうするのですな」
「それがよいですな」
「戦わずして城を手に入れられればそれでよい」
鳥居も兵法を知っている、それでだ。
ここはだ、攻め落とすよりもというのだ。
「話をしようぞ」
「はい、それでは」
「城を攻めるのはあくまで話で収まらなかった時」
「その時ですな」
「そういうことじゃ、その時は仕方がない」
鳥居も戦を否定はしなかった、それは言うのだった。
「攻め落とすぞ」
「わかり申した」
「ではその時は」
「一気に攻めましょう」
「そして攻め落としましょうぞ」
「その用意もしておくぞ」
是非にとだ、鳥居は周りを通じ兵達の全てに命令を徹底させつつ上田城に近付いてだった。上田城を囲みにかかった。
その彼等を櫓から見ていた、そしてだった。
己の後ろに控えている信之と幸村にだ、軍勢を見下ろしつつ言った。
「さて、もうすぐじゃ」
「徳川家から使者が来て」
「我等の降る様に言ってきますな」
「そうしてくる、ここはじゃ」
昌幸は息子達に言った。
「降る素振りを見せつつな」
「そして、ですな」
「戦の用意は整っていますが」
「奇策もですな」
「用意するのですな」
「忍達を使ってな」
そして、というのだ。
「奇策の用意をするぞ」
「わかりました」
「そして話が終わればですな」
「相手が攻めようとする時に」
「その時に」
「逆に仕掛ける」
まさにというのだ。
「そうするぞ」
「相手に先んじて」
「そうしてですな」
「話の間は攻めぬ」
このこは絶対にと言う昌幸だった。
「我等も武士、武士ならばな」
「その約を守る」
「必ずですか」
「左様、そもそも約を破る者はじゃ」
そうしたことをする輩はとだ、幸村は話した。
「信用されぬわ」
「信なくば立たず」
「そういうことですな」
「その通りじゃ、信用出来ぬ者とは誰も付き合えぬ」
「ですな、確かに」
「そうした者とは付き合えませぬ」
信之も幸村も言う。
「何時背中から斬られるかわかりませぬ」
「一服を盛られるかも」
「そうじゃ、例えば宇喜多殿じゃ」
宇喜多直家だ、戦国三悪人の一人と言われ備前において様々な謀を使い多くの者を消してきた男である。
「あの様な御仁と約を結べるか」
「いえ、とても」
「出来ませぬ」
二人は父にすぐに答えた。
「その様なことをしましても」
「裏切られるのは目に見えています」
「ですからそれは」
「とてもです」
「そういうことじゃ、約は守るべきじゃ」
絶対にというのだ。
「わかったな」
「はい、だからですな」
「話をする間は攻めぬ」
「そして話が終わり戦の時になれば」
「その瞬間にですな」
「派手に攻めてな」
そしてと言うのだった。
「押し返す、そしてな」
「敵がさらに来ればですな」
「また押し返す」
「そして夜にですな」
「特に」
「そうじゃ、夜襲ではな」
ここでだ、昌幸は。
息子達に顔を向けてだ、二人に強い声で告げた。
「わかっておるな」
「忍としてですな」
「我等も」
「そうじゃ、攻めよ」
自らというのだ。
「昼は具足に陣羽織で戦いな」
「そして夜はですな」
「派手に攻めるべきですな」
「忍術を使い」
「そうして徹底的に」
「徳川殿の軍勢には忍がおらぬ」
このこともだ、昌幸は看破していた。幸村達が見てそうしてそのことも確認しているのだ。
「ならばな」
「忍術を思いきり使い」
「激しく攻める」
「夜、しかも真夜中に」
「その時にですな」
「そうじゃ、何ならわしも出る」
他ならぬ昌幸自身もというのだ。
「そして戦う」
「父上もですか」
「そうされますか」
「武田家一の忍とお館様に言われたが」
武田信玄のことだ、信玄は昌幸のその智勇と武勇、それに忍の者としての腕も高く評価していたのである。
「その腕を使うか」
「若しもの時は」
「そうされますか」
「まずは御主達に任せる」
信之と幸村にというのだ。
「しかし徳川殿がまだ粘るならな」
「父上ご自身がでられ」
「忍術を使われますか」
「そうする、家を守る為にはな」
そして上田の領地をだ、昌幸は念頭に置いているのはこのことだった。
「わしも全ての手段を使う」
「そしてその手段の一つがですか」
「父上の忍術」
「そういうことですな」
「つまりは」
「戦は使えるものは全て使うもの」
こうも言った昌幸だった。
「そして勝つことじゃ」
「そしてその勝つこととは」
「目的を達成することですな」
「戦の目的を」
「それを」
「戦の場で勝つことが目的を適えることではない」
決してというのだ。
「そうとは限らぬ」
「この場合は如何に相手の軍勢を上田から出す」
「それですな」
「そして徳川家に二度と上田を攻めようという気にさせぬ」
「それがこの度の戦の目的ですな」
「そうじゃ、戦に勝ってもな」
それでもというのだ。
「また徳川家が来れば本末転倒じゃ」
「だからこそ」
「ここで戦の目的を知ることですな」
「そして攻めるべき」
「左様ですな」
「そうじゃ、二度とじゃ」
それこそとだ、また言った昌幸だった。
「上田を攻めさせぬことじゃ、これは徳川家だけでなくな」
「他の家にもですな」
「攻めさせぬことですな」
「若し上田に攻め込めばどうなるのか」
昌幸は顔を前に戻して再び眼下の敵の軍勢を見て言った。
「それを天下に示すのじゃ」
「小さいといえど攻めればどうなるか」
「それを天下に見せる」
「それがこの度の戦の目的ですな」
「まさにそうですな」
「そうじゃ、見せてやろうぞ」
必ず、とも言った昌幸だった。
「我等の戦をな」
「はい、わかりました」
「さすればこれより」
二人も父の言葉に頷いた、そしてだった。
昌幸は密かに忍達にも攻める用意をさせつつ徳川家の使者と会うことにした、彼はここでも策を使った。
「病とな」
「はい、そう称してです」
徳川家の本陣で旗本の一人が鳥居に述べていた。
「真田殿は出て来られませぬ」
「偽りじゃな」
鳥居はすぐに看破して言った。
「それは」
「やはりそうですか」
「仮にも大名じゃ、ならばな」
「旗本を送ってはですか」
「会われぬということか」
「では」
「わしが行く」
鳥居はその表情を強くさせて言った。
「それしかない」
「鳥居様ご自身がですね」
「そうじゃ、やはりな」
「では」
「すぐに用意をする」
彼自ら行くそれをというのだ。
「そして真田殿に会うぞ」
「城に入りです」
旗本の一人が怪訝な顔で言って来た。
「そこで毒や不意打ちで」
「するならしてもよ」
鳥居はその旗本の心配する声に笑って返した。
「その時はわしが倒れる前に真田殿を討つ」
「そうされますか」
「死なば諸共じゃ、そしてな」
「その後は、ですか」
「わしが戻らぬ時は頼んだぞ」
戦の采配をというのだ。
「よいな」
「それだけのお覚悟で、ですか」
「城に入られますか」
「ははは、わしも武士じゃ」
鳥居は周りの者達に笑って返した。
「常に死ぬことは頭の中に入れておる、だからな」
「城の中で討たれても」
「それでもですか」
「その時は真田家の信は地に落ち誰も信じなくなりな」
「それに我が家もですな」
「徳川家も」
「その時は羽柴家と和した後で全力でじゃ」
まさに徳川家の力の全てを注ぎ込んでというのだ。
「真田家を滅ぼす」
「そうなりますか」
「鳥居様が討たれたならば」
「その時は」
「そうなる、まあ真田殿は知恵者、わかっておろう」
自分を城の中で討ったその時はというのだ。
「だからそれはない」
「では、ですか」
「そのことは覚悟していても安心されていますか」
「左様ですか」
「そうじゃ、しかし何はともあれじゃ」
あらためて言う鳥居だった。
「わしが行こう」
「そして真田殿と話をされる」
「そうされますか」
「そして降ってもらおう」
こう言って実際にだった、鳥居は城に入る用意を手早く済ませてそのうえで上田城の大手門まで来た、その彼が何人か連れて来たのを見てだ。
大手門を守る兵達もだ、驚いて櫓や壁の上から言った。
「何と、鳥居殿だぞ」
「敵の大将自ら来たぞ」
「自ら城に入りか」
「殿と話をするつもりか」
「すぐ殿にお知らせしよう」
「そうじゃな」
鳥居が来たことはすぐに昌幸に伝えられた、昌幸がその報を聞いた時に信之が問うた。
「父上、どうされますか」
「会うか会わぬかか」
「はい、どうされますか」
「会おう」
昌幸は笑って嫡子に答えた。
「むしろ待っておったわ」
「では鳥居殿が来られることも」
「読んでおった」
確かな笑みでの言葉だった。
「このこともな」
「左様でしたか」
「会いはするが」
それでもと言うのだった。
「それでもじゃ」
「はい、降ることはですな」
「せぬ」
それはもう決めているというのだ。
「そのつもりはない」
「わかりました、では」
「うむ、お通しせよ」
昌幸は確かな顔でだ、信之に答えた。
「ここにな」
「わかりました」
こうしてだった、鳥居は昌幸の前に案内された。ここでだった。
昌幸はわざとだ、顔に暗い化粧をした。幸村は父のその顔を見て言った。
「病ということはですか」
「うむ、こうしてな」
「見せられるのですか」
「そうじゃ」
まさにとだ、青くさせた顔で笑って言うのだった。
「あえてな」
「そうされますか」
「うむ、鳥居殿は間違いなくわしが仮病だと思っておる」
「実際にそうですが」
「しかしじゃ、ここでわしが実際にこの顔で出るとじゃ」
病の顔で出ればというのだ。
「疑いな、そして主が病と見れば」
「相手はそれだけこちらを弱いと見る」
「弱いと見ればな」
「相手は攻める時はかさにかかりますな」
「策を使わずに数でな」
「それも策ですか」
「そうじゃ、変装も忍術の一つじゃな」
昌幸はこの術のことも言った。
「いつも言っておるな」
「だからですか」
「ここは病人になるのじゃ」
こう言うのだった。
「完全にな」
「そうなられますか」
「ついでに城の中に流行病が流行っている様にするか」
「流行病ですか」
「よくあることじゃ」
城の中で病が流行ることがというのだ。
「人が集まっておるからな」
「確かに。その分だけ」
「風邪なりな、風邪でも人は弱る」
それでと言うのだった。
「だからじゃ、城の中で芝居が出来る者がおればな」
「風邪のふりをせよとか」
「言え、たかが風邪というがな」
「されど風邪ですな」
「そうじゃ、行くのじゃ」
「それではな」
こう話してだ、そしてだった。
すぐにそうしたことが城の中に伝えられてだ、昌幸も鳥居に会うことになった。鳥居は昌幸のその青い顔を見てだった。
その目を唸らせた、そしてだった。
とりあえずだ、考えを隠して主の座に座った昌幸に一礼してから言った。
「この度参上したのはです」
「何ですかな」
芝居、だが完璧なそれでだ。昌幸は弱った声で応えた。
「鳥居殿ご自身が来られたのは」
「はい、真田殿にお話があって参りました」
鳥居は礼儀正しいが大きく強い声で答えた。
「この度は」
「と、いいますと」
わざとだ、昌幸は弱い声で言葉を返した。
「それは一体」
「我が殿は真田殿を天下の名将と見ています」
「ほう、それは何よりですな」
「だからこそです」
それ故にとだ、鳥居はさらに言った。
「真田殿に徳川家に入って欲しいとのことです」
「つまり徳川家の家臣になれと」
「はい」
率直にだ、鳥居は答えた。
「そうなります」
「そうですか」
「重臣、四天王と同格の座と」
鳥居は家康の考えをさらに話した。
「万石も保障します」
「万石ですか」
「そうです、如何でしょうか」
「そうですな」
わざとだ、昌幸は考える顔になった。
そのうえでだ、こう鳥居に答えた。
「よいお話ですな」
「では」
「しかしそれがしの一存では答えられませぬ」
これが昌幸の返事だった。
「家中で話をしてです」
「そのうえで、ですか」
「決めましょう」
「それは何時頃決まりますか」
鳥居の目が光った、ここで。
そして心の刃を抜いてだ、昌幸にさらに問うた。
「一体」
「明後日の夜の正午には」
「その時にですか」
「決まります」
こう答えたのだった。
「それまでに返事をしましょう」
「わかりました、では明後日の夜の正午までにですな」
「それまでに人をやりましょう」
昌幸は弱い声で答えた。
「それでいいでしょうか」
「はい」
鳥居は昌幸に即答で返した。
「では」
「それまでに」
「畏まりました、ではそれがしはこれで」
「帰られますか」
「そうさせて頂きます」
「わかり申した、では」
「吉報を期待しております」
二人はこうやり取りしてだった、そのうえで。
鳥居は上田城を後にした、昌幸はその彼の後ろ姿を見送ってから信之と幸村に対して言った。
「徳川家の将じゃな」
「そう言われますか」
「うむ、毅然としていて裏表がない」
信之に鳥居のことをこう述べたのだった。
「実にな」
「生粋の武士ということですか」
「徳川家は武辺の家じゃが」
三河以来のことだ、戦の場では敵に背を向けず勇ましく戦うことで知られている。しかも強いとも評判である。
「その家に相応しい方じゃ」
「悪い方ではありませぬな」
「むしろよい方じゃ」
昌幸は鳥居を悪く言わなかった。
「非常にな」
「ですな、戦国の世ですが」
「その中で武勇だけでなく義も持っている」
「そうした方ですな」
「徳川家にはそうした御仁が多い」
こうも言うのだった。
「鳥居殿もその一人じゃ」
「敵ながら見事な方ですな」
「そうなる、敵として不足はない」
「では返事は」
「人は送る」
それは間違いなくというのだ。
「御主と源四郎をな」
「それがしもですか」
幸村が父の言葉に顔を向けた。
「兄上と共に徳川家の本陣に入り」
「わしの言葉を伝えよ」
「降らぬと」
「そうじゃ、御主達に任せる」
言葉を伝えることはというのだ。
「安心せよ、降らぬと言ってもな」
「その場ではですか」
「御主達は指一本向けられぬ」
触れられるどころかというのだ。
「徳川家は律儀な家、そこは絶対に守る」
「だからそれがし達もですか」
「安心して行け、しかしな」
それと共にだ、昌幸は言葉を続けた。
「御主達は毅然とせよ」
「臆することなく」
「敵陣の中でも胸を張り堂々としておれ」
こう息子達に言うのだった。
「よいな」
「肝を据えよというのですな」
「御主達は真田の者、どれだけ多くの敵に囲まれようともな」
「臆することなく」
「堂々としておれ」
敵の大軍の中でもというのだ。
「よいな、恐れを感じてもだ」
「それでもですな」
「その恐れを退けよ、よいな」
「わかりました」
「恐れは感じよ」
昌幸は息子達にこのことも言った。
「さもなければ危ういことにも気付かぬ」
「そしてそこに隙が出来る」
「だからですな」
「そうじゃ、恐れを感じ場所や敵を細かいところまで見てじゃ」
そしてというのだ。
「策を使え、しかしな」
「それでもですな」
「臆するなというのですな」
「そうじゃ、恐れを感じそこから様々なものを見てじゃ」
そのうえでというのだ。
「策を用意する、しかしな」
「臆するとですな」
「その策も鈍る」
「そしてその姿を敵に見られると」
「侮られますな」
「だからじゃ」
それでというのだ。
「徳川家の本陣に入ってもじゃ」
「わかりました」
「それでは」
二人も父の言葉に応えた、そしてだった。
二人は共に徳川家の本陣に入ることになった、だが。
本陣に向かおうとする二人にだ、猿飛達が心配して言って来た。
「あの、殿」
「敵の本陣に入るなぞです」
「あまりにも危険です」
「若し何かあれば」
「その時は」
「大丈夫じゃ、徳川家は律儀な家じゃ」
幸村は彼等に落ち着いた微笑みで返した。
「我等が本陣に入ってもな」
「何もしませぬか」
「後ろからなぞということはですか」
「ありませんか」
「そうしたことは」
「うむ、ない」
こう告げるのだった。
「だから御主達は今はじゃ」
「戦の用意ですな」
「我等のそれを進めておけと」
「そう言われるのですな」
「そうじゃ、安心せよ」
「殿、その用意ですが」
ここで海野が幸村に言って来た。
「もう既にです」
「整っておるのか」
「はい」
確かな声での返事だった。
「何でしたらご自身の目で御覧下さい」
「そこまで言うか」
「整っているからこそです」
戦の用意が全てというのだ、それこそ。
「こう言うのです」
「そうか、御主達は嘘を言わぬ」
そこまで腹が奇麗なのだ、十人共。幸村は彼等と出会い共に旅をして数年寝食を共にしてそのことがよくわかっている。
「では間違いないな」
「ですから殿」
清海が大きな声で言った。
「この度はです」
「御主達を連れて行けというのじゃな」
「はい、お二人は我等がお護りします」
必ずという言葉だった。
「何としても」
「我等十人がいれば」
望月が腕に拳を作って言った、それを幸村に見せる様に振りつつ。
「誰にも手出しはさせませぬ」
「そう言うか」
「はい、何があろうとも」
「徳川の者達が何かしてきても」
由利は自信に満ちた笑みを浮かべている、そのうえでの言葉だ。
「何なく退けてみせます」
「そうです、我等は一騎当千ですぞ」
猿飛も由利に続いて幸村に言う。
「徳川の者がどれだけいても問題ありませぬ」
「そう、ですから」
「ここは我等もです」
連れて行って欲しいとだ、由利と猿飛は言うのだった。
そしてだ、穴山も言うのだった。
「護衛も必要ですな」
「それはその通りじゃが」
「では是非共」
「御主達をか」
「護衛にお連れ下さい」
「殿には我等がおります」
根津は既に鍔に指を当てていた、心にそうしているものがもう出ていた。
「周りが何があろうともお任せ下さい」
「確かに徳川殿は何もされぬでしょう」
筧もこう見ていた。
「しかしこの世は何があるかわかりませぬ」
「万が一か」
「その際は我等を」
「それにです」
霧隠も言う。
「我等は死ぬ時も共にと誓い合いましたな」
「死地に行くのならか」
「はい、我等もです」
「拙僧もそう思います」
最後に言ったのは伊佐だった。
「ですからどうか」
「ふむ、そうじゃな」
信之は彼等の言葉を全て聞いてだった、考えてから。
そうしてだ、幸村に顔を向けて言った。
「源四郎、ここはじゃ」
「この者達をですか」
「うむ、連れて行くのじゃ」
こう言うのだった、彼も。
「準備は整っているというしな」
「そしてですな」
「それに死ぬ時は共にと誓っておるな」
「はい、義兄弟として」
「それならばじゃ」
是非にと言うのだった。
「御主達は共に行け」
「そう言われますか」
「わしも一緒じゃがな」
「兄上もそう言われるのなら」
幸村は深く考える顔になってだった、そしてだった。
そのうえでだ、十人にこう言った。
「わかった、ではな」
「はい、有り難うございます」
「それではです」
「共に参りましょう」
「徳川殿の本陣まで」
「うむ、やはり我等は常に共にいることになるな」
今は微笑んでだ、幸村は言った。
「そうした運命の様じゃな」
「そうですな、やはり」
「我等は共に生きる運命にあります」
「常に共にあり」
「そして戦いの場に赴く」
「それが我等ですな」
「その様じゃな、では行こうぞ」
こうしてだった、幸村は十人の家臣達を連れて兄と共に徳川家の本陣に向かった。その徳川の陣を見るとだ。
黄色の旗が立ち黄色の具足の兵達がいた。その彼等を見てだ。
十人は確かな笑みを浮かべてだ、こう言った。
「見事ですな」
「徳川家の黄色は何時見てもいいですな」
「何処でも映えまする」
「よい色です」
「そうじゃな、黄色は土の色じゃが」
幸村は五行思想から話した。
「その土がじゃ」
「我等の前に来ておりますな」
「赤の我等に」
「その前に」
「火は土に負ける」
ここでも五行思想から言う幸村だった。
「そうなっておる、しかしな」
「それでもですな」
「それは覆せる」
「左様ですな」
「そうじゃ、しかも拙者も火の気を持つ様じゃが」
幸村は自分のことからまた話した。
「御主達はそれぞれの気がある」
「それがし達もですか」
「それぞれですか」
「気がありますか」
「うむ、佐助と鎌之助は木じゃな」
まずはこの二人のことからだ、幸村は話した。
「山での戦を得手としておるしな」
「確かに。それがし達は」
「言われるとそうですな」
「才蔵と海野六郎は水じゃ」
この二人はこちらだというのだ。
「才蔵は霧を使いこちらの六郎は水での戦が大の得意であるからな」
「言われてみれば」
「左様ですな」
二人も納得する、そして。
幸村はさらにだ。今度は穴山と筧に言った。
「小助と甚八は金か」
「鉄砲を使うから」
「雷も使うからですな」
「そうじゃ、御主達はな」
まさにというのだ、そして次は。
「伊佐と望月六郎は火か」
「確かに。拙僧気だけでなく火の術も得意です」
「拳に火も使いますぞ」
「だからな、そして最後はな」
幸村は残った清海と筧に言った。
「御主達は土じゃ」
「ははは、土の術も任せて下され」
「それがし確かに最も好きな術は土です」
「そういうことじゃ、それぞれの気があるのじゃ」
五行の中のというのだ。
「そしてそのそれぞれをな」
「我等は使い」
「互いにですか」
「御主達は一人一人でも確かに強い」
幸村も認めることだ。
「まさに一騎当千しかしな」
「互いに助け合えばですか」
「さらに力を発揮する」
「そうなりますか」
「そうじゃ、一騎当千の者でも一人ならば限りがある」
その強さにというのだ。
「当千といっても精々そこまで」
「一人だけならですか」
「所詮はそこまで」
「ですが十人ならば」
「殿と共にいれば」
「それは十倍にも二十倍にもなる」
その強さはというのだ。
「そうなる、だからな」
「我等はこれよりもですな」
「互いに助け合い」
「そして戦うべきですか」
「常に」
「そう思う、そもそも我等は義兄弟」
このこともだ、幸村は言った。
「常に共にあると誓っておるな」
「はい」
「その通りです」
「我等確かに誓いました」
「生きるも死ぬも同じ」
「決して離れることがないと」
「だからじゃ、共に戦えばな」
十一人でというのだ。
「それは凄まじき力になろう」
「この徳川家にも」
「見れば見る程強いですが」
「その徳川家の軍勢にもですな」
「遅れは取りませんか」
「臆することはない」
これが幸村の返事だった。
「胸を張り入ろうぞ」
「そうじゃ、わしも臆することはせぬ」
信之もここで言った。
「これでも真田家の次の主、ならばな」
「はい、胸を張りですな」
「堂々と行き伝えようぞ」
「我等の返事を」
「鳥居殿は今は決して手を出されぬ」
信之も言うのだった。
「徳川家はな」
「戦がはじまるまでは」
「やはり徳川家は律儀の家じゃ」
主の家康がそうであるとの評判通りというのだ。
「そうしたことはされぬ」
「ですな、戦までは」
「それに何かあってもな」
万が一、いや億が一徳川家が使者である彼等に手出しをしてきてもというのだ。
「逃れるぞ」
「はい、剣や忍の術を使い」
「そうした時こそ真田の術を使いな」
「逃れますな」
「しかもこの達もおる」
信之も十人を見て言うのだった。
「何の心配もいらぬ」
「はい、若殿もご安心下さい」
「我等は殿も若殿もお護りします」
「そしてその時は悠々と逃れましょうぞ」
「さながら仙人が雲に乗って去る様に」
「うむ、頼むぞ」
信之は十人に笑って応えた。
「これからな」
「わかりました」
「ではこれよりです」
「徳川殿の陣に入りましょう」
「そうしようぞ」
こう話してだった。一同はその徳川の陣に入った。鳥居は使者が来たと聞いてまずはそれが誰かと尋ねた。
「誰が来た」
「はい、真田家のご子息が共に」
「信之殿と幸村殿がか」
「はい」
そうだとだ、報をする旗本は答えた。
「それに傾奇者の様な変わった身なりの者が十人」
「そうか、しかしな」
「真田家のご子息が共にというのはですか」
「考えていなかった」
とてもという返事だった。
「まさかな」
「はい、ですが」
「確かにじゃな」
「お二人です」
「そうか、それはまたかなりじゃな」
「それでどうされますか」
報をする旗本は鳥居に尋ねた。
「ここは」
「会うかどうかか」
「はい」
この返事を確認する問いだった、旗本は鳥居にそれを問うたのだ。
「そのことですが」
「無論じゃ」
鳥居は旗本に一言で返した。
「それはな」
「左様ですか」
「そしてじゃ」
このこともだ、鳥居は言った。それも周りの者達全てに。
「わかっておるな」
「はい、まだ戦にはなっていませぬ」
「弓を引く時ではありませぬ」
「それではですな」
「快くお迎えしろ」
信之と幸村達をというのだ。
「よいな」
「はい、武士としてですな」
「義を守り」
「そのうえで」
「殿はこの上なく律儀な方じゃ」
家康のその気質も言うのだった。
「闇討ちやそうした策謀は好まれぬ」
「ですな」
「だからですな」
「ここは何もせぬ」
「一切」
「そうじゃ、手出しはならぬ」
それも絶対にというのだ。
「殿のお名前を汚す様なことはするな」
「わかっております、我等も徳川の者」
「律儀の家の者です」
「そのことは守ります」
「必ず」
「そうせよ。敵であろうとも刃を交える時ではないからな」
それ故にというのだ。
「手出しはしてはならぬ」
「はい、わかりました」
「そのこともまた」
「ではお通しせよ」
あらためてだ、鳥居は言った。
「ここでお会いしようぞ」
「茶はどうしますか」
「毒を疑われるやも知れぬが」
それでもとだ、鳥居は茶のことにも答えた。
「お客人にそれを出すのも礼儀、ならばな」
「用意しますか」
「そうせよ、ではな」
「はい、それでは」
「これより」
周りも応えてだった、そのうえで。
鳥居は信之、幸村達と会うことにした。このことはすぐに陣の入口のところにいた彼等に伝えられた。その言葉を受けてだ。
あらためてだ、幸村は信之に言った。
「では」
「うむ、行こうぞ」
「さて、万が一のことがあれば」
「その時はですが」
「まずは、ですな」
「参りましょう」
幸村の家臣達も言う、そしてだった。
彼等は徳川家の陣に入った。そうして鳥居と会って話をするのだった。
巻ノ三十一 完
2015・11・7