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巻ノ二十八

                 巻ノ二十八  屋敷

 十人の家臣達は幸村の屋敷に入った、幸村は彼等を己の屋敷に入れてから彼等にこうしたことを言った。

「どうじゃ、拙者の家は」

「我等十人が入りまして」

「丁度いい具合でしょうか」

「そうした広さですな」  

 十人はまずは屋敷の大きさから答えた。

「質素ですが汚れておらず」

「奇麗に掃除されていますな」

「屋敷の中も庭も」

「実にですな」

「うむ、従者達にいつも言っておる」

 掃除をする様にというのだ。

「そう言っておるし拙者も常に掃除をしておる」

「ですか、殿もですか」

「御自ら屋敷を掃除されていますか」

「そうされているのですか」

「そうしておる」

 自分自身でというのだ。

「人にせよと言って己がせぬのは好かぬ」

「ですな、殿ですなそのことも」

「まずご自身が動かれる」

「まさにですな」

「それでじゃ、この屋敷は暫く空けていたが」

 それでもというのだ。

「この通りじゃ」

「奇麗なのですな」

「掃除が行き届き」

「塵一つ落ちていませぬか」

「御主達も毎朝起きたらな」

 この屋敷に住む様になってというのっだ。

「まずは掃除をしてもらうぞ」

「殿と共に」

「毎朝ですな」

「そうじゃ、我等で飯も風呂も炊く」

 どれもというのだ。

「我等全員でするぞ」

「畏まりました」

「ではこれより我等常に殿と共にいます」

「まさに寝食を共にして」

「死ぬ時も一緒ですな」

「そうじゃ、では共に暮らそうぞ」

 幸村は微笑み十人に告げた。

「これからな」

「わかり申した」

 皆幸村の言葉に笑顔で応えた、こうしてだった。

 十人はそれぞれの部屋に入った、とはいっても部屋には限りがあるので何人かまとめてだった。それぞれ部屋に入り。

 布団も与えられた、そのうえでだった。

 幸村は彼等を屋敷の中を自ら案内して回った、風呂場に雪隠にだった。そして台所や飯を食う部屋もだ。全て案内してだった。

 中の様々な仕掛けも説明した、ここでこう言うのだった。

「この屋敷は武家屋敷ではあるがな」

「それと共にですな」

「忍屋敷ですな」

「そうでもあるのですな」

「うむ」

 その通りだというのだ。

「様々な仕掛けも見せた通りじゃ」

「天井に隠し部屋」

「地下にもですな」

「そして敵が来た時の仕掛け」

「逃げ道もありますし」

 掛け軸に隠されていた、その道は。

「様々な仕掛けを用意して」

「そうして逃げられる様にしていますか」

「敵が来た時も」

「こうした造りにしておいた」

 屋敷を建てるその時にというのだ。

「この様にな」

「ですか、まさに我等の屋敷ですな」

「忍でもある我等の」

「うむ、その通りじゃな」 

 幸村も彼等の言葉に頷く。そしてだった。

 幸村と十人の屋敷の中での暮らしがはじまった、早速薪を割ったり火を焚いたりその掃除をしながらだ。一行は修行もはじめた。 

 その中には特に幸村もいた、彼は時間があると常に書を読んでいた。猿飛は暇があると書を読む幸村を見て言った。

「いや、殿は学問がお好きじゃな」

「それはわかっていたことにしてもな」

 清海も言う、猿飛に応えて。

「相当じゃな」

「古書も漢籍も読まれておられる」

「ふむ、だからじゃな」

 穴山も唸って言った。

「殿はあそこまで学識がおありなのじゃな」

「いつも書を読まれているからこそ」

 海野の言葉だ。

「様々なことにも通じておられるか」

「まことに頭のよい方であられるが」

 根津は幸村が何故学識が深いのかあらためてわかった。

「あの様にして日々学ばれていたからか」

「仏典や儒学の書も読まれています」

 伊佐は幸村が読んでいる書のことに言及した。

「兵法の書や軍記ものだけでなく」

「この前は源氏もも読まれておられた」

 筧は幸村が源氏物語を読んでいたことを語った。

「様々な書を読まれている、それが人を見る目にもつながっておるのか」

「殿の視野の広さはそこにあるな」

 霧隠は幸村が様々な書を読んでいるからこそ視野が広いことをあらためて知った。

「書は軍記ものだけ読んでいればいいのではないのだな」

「いや、あそこまで様々な書を読まれておられるとは」

「まるで学者じゃ」

「日々修行に励まれそして書も読まれる」

「凄い方じゃ」

「寸暇を惜しまず努力をされておるとはな」 

 こう言って唸るのだった、十人で。だが。

 幸村はそうしたことに誇らず日々淡々と修行と家事、そして学問を続けていた。それでいて領地も見回り。

 民達を見ていた、そうして十人に言うのだった。

「今日も皆穏やかに過ごしておるな」

「はい、上田の民達は」

「実にですな」

「餓えておらぬ」

 これもないというのだ。

「よいことじゃ」

「この上田はです」

 筧が目を光らせて幸村に言った。

「確かに山が多く石高も少ないですが」

「それでもというのじゃな」

「民は餓えておらず泰平ですな」

「父上と兄上が政にも心を砕いておられる」

 幸村は筧に答えた。

「だからじゃな」

「左様ですね、どの町も村も決して豊かではありませぬが」

 伊佐も話す。

「皆餓えず泰平です」

「まさにじゃな」

「どの様な場所の町や村も」 

 上田、即ち真田家の領地はというのだ。

 穴山はここでだ、こう言った。

「信濃は広いですが山が多く」

「貧しいな」

「甲斐程ではないにしても」

「そうじゃ、山が多くその中に盆地が点々としてありな」

「皆そこにいますな」

「木曽なぞは相当に深い森ですしな」 

 由利は信濃の南西の地の話をした。

「ああした場所が多いので」

「どうしても貧しくなる」

「それが信濃ですな」

「そこが上方や東海と違いますな」

 清海は自身がいた場所から話した。

「どちらも平地が多いですが」

「海もあってな」

 美濃は別にしてもだ。

「そうじゃな」

「はい」

「海があると塩が採れまする」

 このことを言ったのは望月である。

「それだけでも違いまする」

「左様、塩も大事じゃ」

「その塩もないので」

「この信濃、上田は辛い」

 幸村は望月に上田は海がなくその為塩も採れないことを話した。

「そのこともな」

「しかしですな」

 根津はその目を鋭くさせていた、そのうえでの言葉だ。

「大殿、若殿が政にも精を出されているので」

「この通りじゃ」

「餓えずまとまっていますか」

「そうなのじゃ」

「飢饉があろうとも」

 こう言ったのは霧隠だ。

「備えもですな」

「用意しておるのじゃ、また新田を開墾して堤も整えておる」 

「橋もかけて」

「村も整えてじゃ」

 そしてというのだ。

「道も町もしかとしてな」

「あと米だけはありませぬな」

 猿飛は田畑を見た、百姓達は田の中で笑顔で働いているが。

 その田畑にだ、米だけでなく。

「麦も野菜、果物も多く」

「色々植えてみているのじゃ」

「売って銭になるものもですな」

「あとあぜ豆や蕎麦もな」

 そうしたものもというのだ。

「植えさせておる」

「米以外に食えるものもですな」

「作らせていますか」

「そして銭になるものも」

「全てですな」

「左様、父上と兄上は作らせておる」

 その百姓達にというのだ。

「民達を豊かにさせておる」

「では餓えぬどころか」

「さらに、ですな」

「豊かにもなりますか」

「そうされておる、とかくな」 

 何はともあれというのだ。

「この上田は政も進めておられてな」

「民はこの通りですか」

「暮らしを楽しんでいますか」

「その暮らしを守ることがじゃ」

 まさにとだ、幸村は強い声で言った。

「我等の務めじゃ」

「ですな、ではです」

「我等はその為に戦いましょう」

「その時に備えましょう」

 家臣達も応えた、幸村は村や町も回ってだった。民達を観て回ることもしていた。それは昌幸と信之も同じでだ。

 政をしていた、それはだった。

 幸村も同じで毎日城にも入ってだ。その父や兄と共に政もしていた。勿論十人も供として日々登城していた。

 その中でだ、彼等は政にも励む幸村を見てまた話すのだった。

「登城され政も行われる」

「殿はまことにご多忙じゃな」

「修行に学問にな」

「毎日大忙しではないか」

「お身体に無理がなければいいが」

「どうなのであろうな」

 そのことが気になりだ、彼等は屋敷で幸村に尋ねた。

「殿、毎日お忙しいですが」

「無理はされていませんか?」

「やはりお身体あってです」

「お身体が疲れていてはなりませぬぞ」

「うむ、だからな」

 それでとだ、幸村は彼等に落ち着いた声で述べた。

「旅の時でも早寝であったな」

「はい、夜の早くから寝ていましたな」

「そして日の出と共に起きておられました」

「日々そうする様にしておる」

 早寝早起きに務めているというのだ。

「規則正しい暮らしを心掛けておる、それに」

「それに?」

「それにといいますと」

「酒は飲むが己の適量はわかっておるつもりだ」

 だからだというのだ。

「それを越しては飲まぬ様にしておるし食うものもな」

「そういえば殿はいつも粗食ですな」

「玄米が常ですし」

「野菜等で」

「禅僧の飯に近い時もありますな」

「酒は過ぎず、そして贅沢はせぬ様にしておる」

 そうしたことにも気をつけているというのだ。

「しかとな」

「左様ですが」

「お忙しいですが」

「それでもですな」

「身を慎んでおられる」

「そうされていますか」

「深酒と贅沢はせぬことじゃ」

 そうしたことは避けるべきというのだ。

「拙者も美味いものを食いたいがな」

「つまり質素な美味いものですか」

「それを食うべきですか」

「そうしておる、そして食うものは五行じゃ」

「五行ですか」

「うむ、火金水木土のな」

 こういったものもだ、幸村は挙げていった。

「それぞれが色で出ているものをどれも調和を取って食う様にしておる」

「赤にですな」

 猿飛が言って来た。

「そして青と」

「うむ、黄と黒に白にとな」

「五色をですな」

 穴山も言って来た。

「その色の食いものを常にまとまりよく食う」

「その様に心掛けておる」

「それはいいことです」

 筧はそれをよしとした。

「食うものは五色のものを常に食うとです」

「身体によいからな」

「そうです、食も偏るとよくありませぬ」 

 伊佐もこう主に言う。

「ですから」

「そうじゃな、だから拙者も心掛けておるのじゃ」

 どの色のものもそれぞれ調和よく食べる様にというのだ。

「出来る限り常にな」

「質素であっても」

 海野も言う。

「そうしていますな」

「左様じゃ」

「わかりました、ではこれからもですな」

 由利が主に問うた。

「そうして食っていかれますな」

「無論じゃ」 

 幸村は由利のその問いに微笑んで答えた。

「そして身体を保っていく」

「では我等も」

 望月は幸村に申し出る様に言った。

「殿と共に」

「質素でありながら己を保つ食をするか」

「それが一番戦えるのなら」

 根津の言葉は強いものだった。

「是非共」

「では殿」

 霧隠が幸村に言うことはというと。

「野菜も肉も魚も」

「常にそうしていくぞ」

「では鍋等いいですな」

 清海は明るい声で言った。

「一度に食えますから」

「その通りじゃ、汁にしてもな」

「ですな、それでは」

「そうして食っていきましょうぞ」

「質素でありながらも身体によく」

「そうして食っていきましょう」

「そうしようぞ、鎌倉の頃の武士の様にな」

 幸村はその頃武士を手本にすると述べた。

「質素でありながらも身体によいものをじゃ」

「そして日々鍛錬に励む」

「そうしていきますな」

「そうしようぞ、戦に備えてな」 

 幸村は微笑み十人に言ってだった、実際に日々質素ながらも身体によいものを食いそのうえで城での勤めや上田の領内の見回りに修行を続けた。

 そしてだ、日々忙しい中でもだった。

 学問も続けた、その中でだ。

 幸村は父昌幸にだ、城の中で言われた。

「上杉家とは話がついた」

「では」

「うむ、この上田に来ることはない」

 上杉家の勢力はというのだ。

「攻めて来ることはな」

「それはよいことですな」

「そして北条家もな」

 次に言うのはこの家のことだった。

「徳川家と話をしてな」

「そして、ですな」

「信濃自体に来ることがなくなった」

「では」

「うむ、最後は徳川家じゃが」

「来ますか」

「その進みはゆっくりとしておるが」

 それでもというのだ。

「やはりあの家がじゃ」

「上田に来ますか」

「攻め寄せて来る」

 こう幸村に言う。

「間違いなくな」

「ですか、では」

「当然話をするが」

「その話がまとまらねば」

「その時はな」

「戦ですな」

「覚悟はしておく様にな」

 腕を組み真剣な面持ちでだ、幸村に言うのだった。

「すぐには来ぬが」

「やがては」

「だから今から手を打っていくぞ」

「打てる手を全て打ち」

「そしてな」

 そのうえでというのだ。

「戦をするからな」

「わかり申した」

「当然御主と家臣達にもな」

「出陣して」

「戦ってもらうぞ」

「はい、ではその時は」

 出陣したならとだ、昌幸は話していく。

「戦いまする」

「そうせよ、よいな」

「はい」

「もっとも出来る限りはな」

「戦を避けますな」

「避けられるなら避けるに限る」

 戦はというのだ。

「だからな」

「父上のお考えですな」

「百戦百勝はじゃ」

 それはとも言うのだった。

「よくはない」

「戦わずして済むのなら」

「それでよいからな」

「徳川殿も決して戦を好む方ではないですな」

 幸村はその徳川家の主である彼のことも話した。

「ですから」

「話の出来る方らしいがな。しかしな」

「どうしても上田をと言われるのなら」

「徳川家に入れというのはな」

「退けますな」

「そうする」

 昌幸はここでは強い言葉だった。

「それはな」

「ですな、それでは」

「我等は羽柴家につく」

 このこともだ、昌幸は言った。

「羽柴家にもそう話しておる」

「人を送り」

「その通りじゃ、しかしな」

「その羽柴家は」

「先がわからぬ家じゃ」

「ですな、筑前殿にお子がおられませぬし」

「ご一門も少ないから」

 そうした懸念材料があるからだというのだ。

「どうしてもじゃ」

「今はよくとも」

「先が危うい、今は弟殿がおられるが」

「秀長殿が」

 秀吉の弟であり彼をよく支えていると評判の者だ。この人物がいるからこそ秀吉も充分に働けるとまで言われている。

「あの方に若しものことがあれば」

「秀吉殿だけとなり」

「やはり危うくなる」

「弱みのある家ですな」

「弱みのない家なぞないが」

 それでもとも言う昌幸だった。

「あの家は筑前殿だけで終わる恐れがある」

「その先が読みにくいので」

「先の先を読んで動くなら」

 それならばとだ、昌幸は難しい顔で言うのだった。

「もう一つあてを作っておくか」

「次の天下人になりそうな家があれば」

「その家ともつながりを持っておきたいのう」

「ではその家は」

「徳川家じゃな」

 昌幸はこの家の名を出した。

「これから戦になるやも知れぬが」

「家康殿ですか」

「そうじゃ、御主も見てきたな」

「はい、その領国も」

「村も町も栄えておるな」

「決して派手ではないですが」

 上方t違ってだ、みらびやかなものではない。

 だがそれでもだ、彼は家臣達と共に確かに見たのだ。

「よく治められており」

「それでじゃな」

「はい、民は笑顔です」

「しかも戦にも強い」

「家康殿の人徳もあり」

「あの家は大きくなる」

 こう言うのだった。

「そして羽柴家の次の家になろう」

「だからですか」

「次はな」

「徳川家やも知れませぬか」

 秀吉の後はというのだ。

「だからですか」

「徳川家ともつながりを持っておきたいな」

「では戦になろうとも」

「その後でじゃ」

 戦になり真田家が生き残った後でというのだ。

「つながりを持ちたい」

「それではです」

 ここでだ、信之が言って来た。

「徳川家にはです」

「うむ、御主をな」

「畏まりました、それでは」

「頼むぞ、羽柴家には御主じゃ」 

 幸村にも言うのだった。

「御主を行かせる」

「そして真田家は生き残る」

「天下がどうなろうともな」

 昌幸は息子達に話すのだった、そうした話そをしながら政をしつつ戦の備えも進めていた。上田は静かであったがその中でも戦の用意をしていた。

 それは徳川家でも同じでだ、順調に甲斐と信濃に兵を進めていた。

 家康自身は今は駿府にいたがだ、家臣達にこう言っていた。

「上杉はもう進まぬし北条とも話がつきそうじゃ」

「ですな、これからはです」

 酒井が家康に言う。

「北条家とは縁組をして」

「娘を嫁がせる」 

 家康は酒井に確かな声で応えた。

「あちらの嫡男殿にな」

「氏直殿に」

「そしてじゃ」

 そのうえでというのだ。

「北条家とは盟約を結び」

「我等は関東には興味がありませぬ」

 こう言ったのは榊原だった。

「箱根から東は」

「うむ、あくまで甲斐と信濃が欲しいがな」

「北条殿は関東で」

「我等は甲斐と信濃じゃ」

「今の三国に合わさせ」

「そのつもりじゃ、だからじゃ」

 それでというのだ。

「北条家とは手を結ぶ」

「手打ちですな」

 こう言ったのは本多だった。

「ここは」

「そういうことじゃ。氏政殿と話を進めていく」

 これからもというのだ。

「そして北条家と話をしてな」

「我等は甲斐、信濃に兵を進める」

「そうしていくぞ」

「わかり申した」

「では殿」

 四天王の最後の一人井伊が言って来た。

「また戦の時が来れば」

「うむ、兵を出すぞ」

「そうしますな」

「御主達もじゃ」

 四天王全員をというのだ。

「出陣してもらうぞ」

「わかっております」

「では兵を進めますな」

「これからも」

「そうしていきますな」

「そうする、しかしじゃ」

 ここでだ、家康は難しい顔になりこう言った。

「西の方がな」

「はい、羽柴殿がですな」

「かなり力をつけておられます」

「そして柴田殿と戦になりそうですな」

「これから」

「うむ、それでじゃが」

 家康はさらに言う。

「我等もな」

「羽柴殿とですな」

「戦になるかも知れませぬか」

「ことを構えることも有り得る」

「そうもなりますか」

「だからじゃ、甲斐と信濃も攻めるが」

 しかしというのだ。

「西の方も見ておく」

「では殿」

 ここで言って来たのは服部だった。場は四天王よりも遥かに下座だ。

「伊賀者達は」

「十二神将は全て上方に出ておるな」

「今は」

「ならば十二神将はそのままでよい」

 上方にいて、というのだ。

「そして羽柴家や他の家の動きを見ておくことじゃ」

「殿、それでなのですが」

 鳥居が家康に問うた。

「羽柴家と柴田家が戦になれば」

「織田家はじゃな」 

 両家の主であるこの家のこともだ、家康は言った。

「どうなるかじゃな」

「やはり前右府殿、跡継ぎの秋田介殿が本能寺で倒れられ」

「今の主は吉法師殿じゃが」

「吉法師殿はご幼少」

「僅か三歳じゃ」

「それではとてもです」

「何か出来る筈もない」

 家康も言い切った。

「その為柴田殿は跡継ぎに三七殿を推されたがな」

「前右府殿のご三男の」

「あの方は秋田介殿程ではないにしてもそれなりじゃ」

「織田家の主になれますな」

「柴田殿達の助けを借りればな」

 それが可能だというのだ。

「出来るが」

「しかしですな」

「それを茶筅殿が好まずな」

 信長の次男の彼がだ、言うまでもなく織田家の跡継ぎの座を争ってそのうえで今は敵同士と言っていい間柄なのだ。

「それであの方は吉法師殿を推されたが」

「秋田介殿のご嫡男の」

「あれは失態じゃった」

 苦々しい顔でだ、家康は言った。袖の中で腕を組み。

「どうせなら茶筅殿ご自身が跡継ぎに名乗り出られるべきじゃったが」

「しかし」

「うむ、それをしなかった」

「羽柴殿に篭絡され」

「あの方は気付いておられぬ」 

 信雄はというのだ。

「羽柴殿の狙いにな」

「ご自身が天下を取ろうとする」

「全くな」

「あの方は」

 今度は大久保が言った。

「前右府殿のご子息の中で」

「うむ、どうにもな」

「出来が、ですが」

「それでじゃ、羽柴殿の狙いに気付かずな」

「まんまと乗せられていますか」

「そういうことじゃ」

 家康は秀吉の考えを読み切っていた、そのうえでの言葉だ。

「あの方はな」

「だから吉法師殿を立たされたのですな」

「そして吉法師殿が織田家の主となられた」

「茶筅殿が後見役となり」

「あれで決まった」

「織田家が」

「もう織田家の天下はない」

 家康は言い切った。

「このままいけば羽柴家の天下じゃ」

「そうなりますか」

「茶筅殿は自ら天下への道を絶たれた」

「ではあの方は」

「精々一大名か」

 天下人にはだ、とてもなれずというのだ。

「あの方はな、しかしな」

「はい、羽柴家が天下を握ると」

 難しい顔で言って来たのは大久保彦左衛門だった。

「我等はどうなるか」

「滅びるつもりはない」

 家康は彦左衛門にも答えた。

「何があろうともな」

「ですな、織田家が衰えても」

「それでもじゃ」

「では主な相手は」

「甲斐と信濃を手に入れるがそれと共にな」

「羽柴家ですか」

「そうなる、だから十二神将は全てじゃ」 

 それこそというのだ。

「上方に送る、四天王も羽柴家の天下が確かになればそちらにつけ」

「羽柴家の方にですな」

「三河の方に」

「我等は皆ですか」

「そこにですか」

「うむ、甲斐と信濃は他の者達が行くのじゃ」

 四天王以外の者がというのだ。

「第一の相手は羽柴家とする」

「では今のうちに、ですか」

「甲斐と信濃は出来るだけ手に入れて」

「そのうえで羽柴家に備える」

「そうしますか」

「そうじゃ、焦らぬが用意はしておく」

 今のうちにというのだ。

「よいな」

「畏まりました」

 家臣達は皆家康の言葉に頷いた、そしてだった。

 徳川家は羽柴家を見つつだった、甲斐と信濃の方に動きを見ていた。そうしてそのうえで手を打っていくのだった。

 天下は羽柴家の方に傾いていた、柴田家との戦もだった。

 秀吉は多くの兵とその知略で勝ち己の天下を確かなものとした、柴田勝家は滅び彼が後見役となっていた織田信孝は腹を切らされた。

 それを見てだ、昌幸は信之と幸村に言った。

「これでまず間違いない」

「はい、羽柴家にですな」

「天下は定まりましたな」

「そうなった、では我等は羽柴家につく」

「父上、それでなのですが」86

 信之が昌幸に言って来た、ここで。

「気になることが」

「徳川家はどうやら」

「家康殿と四天王がじゃな」

「甲斐、信濃から去っています」

「駿府におられるな」

「どうやら」

「甲斐、信濃に兵は進め続けておられるがな」

 昌幸はこのことも言った。

「今も」

「ですが徳川家の中でも戦上手の四天王がです」

「全てだからな」

「はい、駿府に戻られました」

 主の家康と共にだ。

「これはやはり」

「そうじゃ、羽柴家に備えてじゃ」

「では徳川家は」

「羽柴家との戦になる」

 これからはというのだ。

「甲斐、信濃に攻め続けるがな」

「そうなりますか」

「四天王が来ぬのはいいことじゃ」

 このことにだ、昌幸はよしとした。

「そして徳川家が羽柴家と戦になれば」

「それはそれで」

「こちらも打つ手がある」

「そうなりますか」

「そうじゃ、どの将が来ても守る自信があるが」

 それでもと言う昌幸だった。

「しかしじゃ」

「敵は弱いに限る」

「そういうことですな」

「そうじゃ。ただしじゃ」

「はい、徳川家は武辺の家」

「その武は確かです」

 信之も幸村も確かな声で言う。

「三河武士は武勇と忠義の者揃い」

「むしろ武に偏っている家です」

「ですから家康殿や四天王が出ずとも」

「強いことは強いです」

「その通りじゃ、家康殿と四天王は別格にしても」 

 それでもというのだ。

「他の将も強い」

「ですな、武勇があり」

「采配も見事な方が揃っています」

「徳川家は十二神将も勇将揃い」

「実に強いですな」

「しかも兵も強い」 

 将だけでなくというのだ。

「だから決して侮れぬ」

「左様ですな」

「ですからこの上田に来たならば」

「例えどの様な方でも」

「油断をしてはならない」

「そういうことじゃ。しかし四天王を入れてもな」

 ふとだ、昌幸はここで少し話題を変えた。それは戦に関することであるのは同じであったがまた違うことだった。

「あの家は今は駿府にある」

「この上田からは離れていますな」

「その距離も徳川家の弱みとなりますか」

「そうじゃ、しかも信濃の道は険しい」

 昌幸はさらに言った。

「兵糧なり武具なり運ぶのは苦労するな」

「それが一番の弱みですな」

 幸村はその目を確かにさせて言った。

「まさに」

「そうじゃ、飯や刀がなくては戦は出来ぬ」

「幾ら強くとも」

「そこも狙いめじゃ、もっとも徳川殿は信濃にも地盤を築かれておるからな」

 確かに拠点は駿府にあり上田から離れているがだ。

「駿府から離れているのは確か」

「だからそこを衝くと」

「兵糧のことでも他のことでもな」

「わかり申した」

「しかも徳川家は確かに武の家じゃが」 

 さらに言った昌幸だった。

「欠けているものがある」

「と、いいますと」

 今度は信之が問うた。

「それは」

「家康殿は頭も切れるし勇将揃いであるが」

「それでもですか」

「軍師がおらぬな」

「そういえば」

 言われてだ、信之もはっとした顔で言った。

「あの家にはそうした家臣がおられませぬな」

「そうじゃな」

「はい、そうした方は」

「徳川家は一本気な家じゃ」

「その一本気であるが故に」

「武は槍や弓矢の武でな」

 それでなのだ。

「知略に欠けておる」

「確かに」

「それはその通りですな」

 信之も幸村もだ、自分達の父の言葉に頷いて言う。

「徳川家には軍師がおられませぬ」

「だから戦の仕方も勇敢ですが」

「一本気に過ぎて」

「知には欠けますな」

「政でもそうじゃがな」

 徳川家はというのだ。

「善政でも謀はないな」

「はい、それがしの見たところ」

 徳川家の三国の領地を全て見守った幸村がだ、父に確かな声で答えた。どの町も村も整ってはいるがだ。

「真面目に治められていてです」

「民は喜んでおるがな」

「しかし癖がなく」

「ただ真面目でな」

「徳川家の武辺の気質が出ていました」

「律儀ではあったな」

 家康のその心根が領地の政にも出ていたというのだ。。

「そうであってもじゃな」

「はい、癖が感じられませんでした」

「そこじゃ、内の政もそうでありな」

「外もですか」

「あの御仁は律儀、しかし謀がない」

「それに欠けますか」

「そこが徳川家の弱み、今のな」

 少なくとも今の、と限ってだ。昌幸は言った。

「謀神とまで言われた毛利元就殿は別格にしてじゃ」

「戦国の世は」

「そうした謀も必要ですな」

「そうなのじゃ、わしにしてもじゃ」

 他ならぬ昌幸自身にしてもとだ、彼は息子達に話した。

「謀は使う」

「ですな、父上も」

「必要な時は」

「武田家にお仕えしていた時から」

「そうしていましたな」

「お館様もそうであられた」

 彼等の主だった信玄自身もというのだ。

「勘助殿もおられたしな」

「山本殿ですか」

 その名を聞いてだ、信之はこう言った。

「それがしはお名前を聞いただけですが」

「そうであるな、あの方は川中島で討ち死にされた」

「ですから」

「しかしじゃ」

「その謀もですな」

「見事であられてな」

「信玄様を助けておられたのですな」

 信之は強い声で父に応えた。

「そうだったのですな」

「そうであった、織田家も然りだった」

「軍師がおられましたな」

「あの家はその都度軍師役がおった」

 天下人であった織田信長の下にはというのだ。

「羽柴殿や明智殿、丹羽殿とな」

「その都度ですな」

「策を出せる家臣の方がおられた」

「そしてそれがですか」

「織田家の強みでもありましたか」

「そうであった、やはり謀は必要なのじゃ」

 戦にも政にもというのだ。

「どうしてもな」

「しかし徳川家にはそれがない」

「そういうことですな」

「そうじゃ」

「それが戦いやすくもありますが」

 幸村も言う。

「我等にとっては」

「敵としてはな」

「しかしそれは」

「うむ、徳川家にとってはな」

「よくありませぬな」

「弱みとなる」

 徳川家にとってはというのだ。

「これからもな」

「特に、ですな」 

 あえてだ、幸村はこう言った。

「天下人となられる為には」

「徳川殿が天下人になられるか」

「その器ではあると思いますが」

 幸村はその目を光らせて言った。

「あの方も」

「そうか、そう見るか」

「拙者は」

「どうやら御主はわしが思っていた以上の者じゃな」

「と、いいますと」

「言われてみればそうじゃ」

 確かに、という口調での言葉だった。今の昌幸は。

「あの方もな」

「天下人の器だと」

「そうじゃ、羽柴殿もそうであるが」

「あの方も」

「そうした方じゃ」

「しかしです」

「うむ、天下人になられるにはじゃ」

 その為にはというのだ、まさに。

「謀も必要でじゃ」

「軍師が必要ですな」

「そうなる、そういえば政では本多正信殿が戻って来られたという」

「あの謀士の」

 信之は本多正信の名を聞いて目の動きを止めた。

「一向一揆で一向宗につき長く徳川家を離れておられましたが」

「あの方が戻ったという」

「それでは謀は」

「少なくとも政では備わったか、しかしあの方だけでは弱いな」 

 本多一人だけではというのだ。

「ご嫡男の正純殿はお父上以上というがしかしな」

「しかし?」

「しかしといいますと」

「正純殿の評判は悪い」

 昌幸は眉を顰めさせてだ、彼のことを話した。

「非常にな」

「そこまで、ですか」

「あの方は評判が悪いのですか」

「お父上も評判が悪いが」 

 本多正信自身もというのだ。

「徳川家の家中ではな」

「徳川家は武辺の家だからですな」

 信之は何故本多の評判が悪いか言った。

「それで」

「謀を嫌う家じゃ」

「元々は」

「それ故本多殿は嫌われておるが」

「正純殿はさらにですか」

「傲岸不遜で目的の為には手段を全く選ばぬ方という」

 そうした性格だからというのだ、正純が。

「だからな」

「お父上以上にですか」

「忌み嫌われておるという」

「そうなのですか」

「しかし切れる」

 頭がというのだ。

「あのお二人に他に一人か二人備われば」

「その時は」

「徳川家は天下人になれるやもな」

 これが昌幸の見立てだった。

「謀も備わってな」

「そのうえで」

「あの家もですか」

「そうも思う、ではな」

 ここまで話してだ、そしてだった。

 昌幸は二人の息子達を軸として政を行い戦の用意も進めていた。来たるべき時に備えて。



巻ノ二十八   完



                        2015・10・16

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