巻ノ二十六 江戸
幸村主従は武蔵に来た、その武蔵はというと。
遠くに村が見える、しかしだった。
「これはまた」
「うむ、聞いていた以上じゃ」
猿飛も根津も唸って言う。
「見渡す限り野原でな」
「何もないぞ」
「遠くに村が見えるが」
由利も言う。
「しかしな」
「その村も少ないな」
海野が由利に応えて言った。
「やはり」
「どうにもな」
「川が多いが」
「しかしその川もです」
伊佐が望月に言う。
「堤も橋もなく」
「ただあるだけか」
「ここに来るまで城もあったが」
清海はその大きな首を傾げさせている、そのうえでの言葉だ。
「そこの城下町と街の幾つかと村以外は」
「何もない、そんなところじゃな」
霧隠も言った。
「武蔵は」
「河越城とその周り以外は」
筧が言うことはというと。
「何もない、そんなところじゃな」
「では江戸に行くが」
幸村は武蔵の何もなさに呆然とさえしている家臣達に言った。
「そこもな」
「はい、この様な」
「何もない、ですな」
「そうしたところですな」
「おそらくは」
「そうであろう、一応江戸城はまだあるが」
このことはわかっている、江戸城自体はあるのだ。
だがその江戸城についてだ、幸村はこうも言った。
「しかしな」
「はい、武蔵の中心は河越です」
「河越城にあります」
「ですから江戸城は」
「あるにはあっても」
「ほぼ廃城らしいからな」
北条家の城になっているがだ。
「見てもあまりどうとは思えぬであろうな」
「ですな、やはり」
「この武蔵自体がそうですし」
「何もない」
「そうした場所ですな」
「そうであろうな、しかしな」
幸村も武蔵の原を見回している、そしてこう言った。
「この武蔵はしっかりと政をすれば変わるな」
「この何もない国がですか」
「変わりますか」
「平野になっていて川が多い」
幸村は言った。
「そして南に海、東にも川、西が開けていて北には山がある」
「関東全体を見てのことですな」
筧は彼の学識からだ、幸村の今の言葉を察した。
「それで、ですな」
「そうじゃ、まさに四神相応の地」
「都と同じく」
「だからこの国はよく治めれば」
そうすればというのだ。
「栄える」
「では、ですな」
「この国は栄える」
「そうなると」
「そう仰いますか」
「拙者はな、そう思う」
こう言うのだった、そしてだった。
幸村はあらためてだ、一同に言った。
「それではな」
「はい、その江戸にですな」
「あの僧侶の方が教えてくれた」
「あの城に行きますか」
「これより」
「そうしようぞ」
こう言うのだった。
「よいな」
「はい、では」
「江戸に行きましょう」
「あの場所に」
「武蔵から見て東になりな」
そしてとだ、幸村はその江戸の位置のことも話した。
「尚且つ関東全体では真ん中になるか」
「丁度関東の」
「その中心ですか」
「江戸が」
「そうなりますか」
「はじまりは太田道灌殿が築かれた」
扇谷上杉家の重臣であり名将と言われた、その武勇は関東で知られていた。
「それからじゃが」
「今は廃城同様でも」
「関東の真ん中にある」
「その場所はですな」
「だからな」
それで、いうのだ。
「我等はその関東の真ん中に行くことになるな」
「そうなりますか」
「何もない場所にしても」
「江戸に行くことは」
「行けば何かわかるであろう」
幸村はこうも言った。
「ではな」
「はい、これより」
「江戸に行きましょう」
「その江戸に」
「ではな」
幸村はこう言ってだった、家臣達を連れて江戸に向かった。その時に一晩寝たが近くに町も村もなく。
野原で寝た、その前に火を囲んで飯を食ったが。
「そういえばこうした干し飯を食うのも」
「久しぶりですな」
「各地の名産ばかり食い」
「干し飯等はです」
「とんとご無沙汰でした」
「町から町にと進んでいましたから」
「そうであったな、しかしな」
それでもと言う幸村だった、彼自身干し飯を食いながら言う。
「こうしたものもな」
「はい、必要ですな」
「いざという時は」
「日持ちのするものも」
「常に持っておくべきですな」
「何があるかわからん」
こうもだ、幸村は言った。
「だからな」
「ですな、常に持ち」
「いざという時に食う」
「そして身体を養うのですな」
「まず食うことじゃ」
それが第一であることをだ、幸村はここでも言った。
「それでじゃ」
「こうして干し飯もですな」
「こうした時に食う」
「そうあるべきですな」
「その通りじゃ、我等は名産を食ったり狩りや釣りをすることが多いが」
しかしというのだ。
「干し飯等は常に持っておくことじゃ」
「そうしたことは忘れずに」
「そういうことですな」
「うむ、では今日はこの飯を食いな」
そのうえでというのだ。
「休もうぞ」
「はい、今宵は」
「干し飯を食ってですな」
「ゆっくりと休み」
「そのうえで」
「明日の朝日の出と共に江戸に向かう」
目指すべきそこにというのだ。
「よいな」
「さて、江戸は何もないとのことですが」
「果たしてどれだけ何もないのか」
「かえって見たくなりましたな」
「そうしたことも」
「ははは、こうした場所であろう」
幸村は江戸が何もないと聞いて実際に何もないのか見たくなったという家臣達にだ、笑ってこう言ったのだった。
「武蔵の原にあるからな」
「こことそのまま続いている」
「それで、ですな」
「江戸もまた同じ」
「見渡す限り何もない」
「そうしたところですな」
「そうであろう、しかしここまで何もないと」
武蔵自体についてもだ、幸村は言った。
「かえってよい」
「田畑を開墾したりですか」
「そして町もですか」
「広くよいものを築ける」
「そうなりますか」
「それが出来る、そして城もな」
町といえば城下町だ、その城下町を置く城もというのだ。
「凄いものを築けるぞ」
「小田原の様な」
「ああした城ですか」
「そうじゃな、大坂であろうか」
幸村が話にだした城はこれだった。
「大坂城の様な、な。川も多いしそれ等も堀に使った」
「まさに大坂城の様な」
「そうした城をですか」
「築ける」
「そうなのですな」
「それが出来る、しかもここは四神相応の地じゃ」
このこともだ、幸村は言った。
「栄えさせることが出来る」
「都の様に」
「あそこまで、ですか」
「栄えさせられる」
「そうした場所ですか」
「拙者はそう思う、では明日行こうぞ」
その江戸にとだ、こう話してだった。
主従は今は寝た、そしてだった。
朝になってすぐに江戸に向かった、飯は朝も食った。
そうして東に進み江戸に来るとだった。そこは。
聞いた通りまさに廃城同様だった、城ではあるが。
あちこちが崩れ落ちていて人がいる気配もない、その城を見てだった。
霧隠と筧がだ、唸って言った。
「これではな」
「城とは呼べぬ」
「守るどころではない」
「まさに廃城ではないか」
「話は聞いていたが」
「これ程とは」
清海と伊佐の兄弟も言う。
「人もおらぬ」
「酷い有様です」
「周りも何もない」
「守る自体が無理じゃな」
由利と根津も言うのだった。
「廃城になったのも無理はないか」
「河越城もあるしな、武蔵には」
「しかし、小さい城じゃな」
「廃れておること以外にもな」
今度は海野と望月が言った。
「人も多く入られぬし」
「捨て置かれておるのも道理じゃな」
「見るには見たが」
「聞いた通りじゃ」
最後に猿飛と穴山が言った。
「廃城同様で人もおらぬ」
「どうにもならぬ城であるな」
「そうであるな、今は」
幸村は家臣達の後で言った、彼もまた城を見ている。
「しかし場所はよい、だからな」
「改築すればですか」
「よくなる」
「よい城になりますか」
「改築というか築城じゃな」
そう言うべきだというのだ。
「そうしてな」
「一からですか」
「建てなおして」
「そうして城を築けばですか」
「変わりますか」
「平地にあるが川が多い」
城の近辺にというのだ。
「堀の多いよき城になるぞ」
「大坂城の様な」
「そうした城になりますな」
「なるであろう、銭が必要じゃがな」
城を建てなおすにも銭が必要だ、このことは絶対のことだ。
「それも相当な、な」
「しかしその城があれば」
「その時は」
「相当な城が築ける」
これが幸村の見立てだった。
「そして栄える」
「都の様に」
「あそこまで、ですか」
「大坂も栄えるがここもじゃ」
江戸もというのだ。
「栄えることが出来る」
「では泰平になれば」
筧は幸村に確かな顔で幸村に問うた。
「都、大坂、江戸を軸として」
「相当に栄えることになる、本朝はな」
「やはり泰平あってですな」
清海の今の言葉はしみじみとさえしていた。
「栄えられるのですな」
「そうじゃ、戦の世ではどうしても戦に力を注がざるを得ない」
それはどうしても避けられない、戦に勝たなければそれで滅んでしまうからだ。それ故に戦国の世では戦に力を注ぐのだ。
「それ故にじゃ」
「天下が泰平になればこの江戸も」
穴山は周囲を見回している、その何もない平野を。
「家や店が並ぶ場所になりますか」
「政次第でな」
「この何もない場所が」
海野は幸村に問うた。
「そうなりますか」
「最初は全て何もないではないか」
「確かに。そう言われますと」
今度は伊佐が言った。
「都も大坂もそうでしたな」
「そうじゃ、どの場所も最初は何もない」
「しかしそこに人が入りですな」
由利はまだ城を見ていた、その廃城同然の城を。
「栄えますか」
「必ずな」
「この城もどうした城になるか」
望月も城を見ている、そのうえでの言葉だ。
「大坂城の様になることも有り得ますか」
「そこまでの城が築ける場所だからな」
幸村は望月にも話した。
「それが適う」
「しかし徳川殿が入られるとは」
霧隠は僧侶のその言葉を思い出しいぶかしんでいた。
「あの方はやはり三河の方なので」
「今はな、しかしこれからはわからぬ」
「三年先は闇、ですか」
根津はこの言葉を出した。
「人の未来はわからぬもの」
「だからあの方が関東に入られることもあるやも知れぬ」
「あの方は今は甲斐、信濃に兵を進められていますが」
猿飛は徳川家の動きを語った。
「さて、そこから関東にもですか」
「そうなるのやもな」
「徳川殿はやはり北条家と争われるのか」
「そして東国を支配されるのか」
「果たして」
「そうなるのでしょうか」
「それは拙者もわからぬ、そもそも拙者も徳川殿が関東に入られるとはな」
幸村もだ、いぶかしむ声だった。
「思えぬが」
「しかし先はわからない」
「そうなのですか」
「人はどう生きていくかも」
「そうしたことも」
「わからぬものだからな、しかしその一生をな」
人はとだ、幸村はその澄んだ目で遠くを見つつ述べた。
「懸命に生きようぞ」
「ですな、我等は」
「その先がわからぬ一生を懸命に生きましょうぞ」
「義を貫き」
「そのうえで」
「そうしようぞ、ではこれよりじゃ」
幸村はその澄んだ目で微笑みつつ言った。
「上田に戻る」
「はい、これより」
「我等の場所に入りましょう」
「我等上田ははじめてですが」
「どの様な場所でしょうか」
「山ばかりじゃ」
幸村は笑ってだ。十人に言った。
「他には何もない」
「都や大坂と違い、ですか」
「そうした場所でありますか」
「いつも話している通りじゃ」
まさにというのだ。
「何もない場所じゃ、しかしな」
「それでもですか」
「上田は、ですか」
「よい場所じゃ」
こう十人に話すのだった。
「面白いからな」
「だからですか」
「あの国に入っても楽しめる」
「そうなのですな」
「うむ、そしてあの地でな」
何をするかもだ、幸村は話した。
「修行に励もうぞ」
「ですな、修行に励み」
「技を磨きましょう」
「そしてさらに強くなり」
「誰にも負けぬ様になりましょう」
「そうなろうぞ。では武蔵から甲斐に入り」
幸村は帰り道のことも話した。
「信濃を上りな」
「上田にですな」
「戻りますな」
「そうしようぞ」
こう言ってだった、幸村は江戸城の前を後にした。十人の過信達もその後ろに従いだった。長い旅路の帰路についた。
一行はすぐに武蔵を出て甲斐に入った、その甲斐に入ったところでだ。
幸村はしみじみとしてだ、こんなことを言った。
「この一年で甲斐は変わったな」
「ですな、武田様のご領地でしたが」
「その武田様が滅び織田家のものとなり」
「その織田家も去り」
「今や、ですな」
「主がおらぬ」
それが今の甲斐だというのだ。
「ただ。徳川家が主となるであろう」
「これからは、ですな」
「やはりあの方ですか」
「あの方が甲斐の主となられますか」
「北条殿ではなく」
「そうなろう、しかし」
ここでだ、幸村はその顔に悲しいものを含んだ。
そのうえでだ、こうしたことを言った。
「悲しいことじゃ」
「武田様のことですか」
「あの方のことですか」
「色々言われておるがわしは四郎様が好きであった」
武田勝頼、武田家の最後の主である彼がというのだ。
「智勇兼備、それでいて優しい方であった」
「そうであったのですな」
「真のあの方は」
「そうであった」
こう話すのだった、勝頼のことを。
「決して暗愚ではなかった」
「むしろ聡明であられた」
「そうした方だったのですか」
「そうであったのじゃ」
「左様ですか」
皆幸村の言葉に神妙な顔になり応えた。
「世間での評と違いますか」
「あの方の実は」
「負けて滅んだから言われるのじゃ」
暗愚と、というのだ。
「しかし聡明であられてもな」
「滅びる時は滅びる」
「それもまた世ですか」
「そうじゃ、武田家もな」
家自体がというのだ。
「滅んでしまうのじゃ」
「時に利がなければ」
「そうなりますか」
「時、世の流れは恐ろしい」
達観した様にだ、幸村はこうも言った。
「それによって滅びることもある」
「幾ら聡明な方でも」
「その中に流されてですか」
「滅びる」
「そうなってしまいますか」
「思えば九郎判官殿もじゃった」
幸村は源義経のことを思い出した。
「あの方は素晴らしい方であられたがな」
「でしたな、あの方も」
「兄君であられる頼朝公に狙われ」
「そして衣川で腹を切られました」
「そうなられましたな」
「あの方も世に流されたのやもな」
こう言うのだった。
「功があったが故に」
「功がある家臣は消される」
「それは明にあることですが」
「本朝でも然り」
「それで、ですか」
「そもそも源氏は身内で争う家であったしな」
この因縁もだ、幸村は頭に入れていた。このことは頼朝と義経だけのことではなかった。
「その中に飲み込まれたのじゃ」
「そして消えてしまわれましたか」
「あの方も」
「戦に強くともな」
義経の様にだ、無類の戦上手でもというのだ。
「世の流れには逆らえぬものじゃ」
「四郎様はそれに飲まれた」
「そういうことですか」
「世の流れは織田家に流れていた」
その時はというのだ。
「その中に。あの方は飲まれたのじゃ」
「そして滅び」
「もう武田家はありませぬな」
「長らくこの甲斐を治めておられましたが」
「最早」
「春の夢の如しじゃ」
幸村は平家物語の言葉も出した、その義経のことが書かれているその書の。
「消えてしまった」
「そして後に残ったのは」
「甲斐と民達」
「その二つでしょうか」
「そうじゃな、武田家は滅んだが」
それでもとだ、幸村は家臣達に答えた。
「甲斐はありな」
「そして民達もですな」
「しかといますな」
「そのうえで生きていますな」
「国破れて山河在りじゃな」
今度は唐詩であった、杜甫である。
「家はなくなっても国と民はある」
「そのことは変わりませぬか」
「世の流れの中でも」
「所詮小さなことやもな」
遠い目で少し上を見上げつつだ、幸村はこうも言った。
「家が栄え滅びることは」
「天下の中で」
「世に栄え滅びることは」
「時の流れの中に消え去ることも」
「そうしたこともですか」
「そうやもな、武田家のこと拙者は無念に思うが」
かつての主家であっただけに情がありだ、幸村はこのことを否定出来なかった。
しかしだ、滅んだそのことに無情を感じて言うのだった。
「それもな」
「小さなことですか」
「天下の中では」
「一つの家が世の流れの中で消えることは」
「そのことは」
「そうも思う、しかし人は小さい」
人もまた、というのだ。
「その家よりもな。だからな」
「人は小さい」
「家よりもさらに」
「天下の中で」
「だからな、その中で必死にあがく」
世の流れという激流の中でとだ。幸村は大河も見つつ話した。
「そうして生きていくのやもな」
「では殿も」
「この天下の中で、ですか」
「そうされてですか」
「生きていかれますか」
「そうすることになるであろうな」
こう言うのだった。
「やはりな」
「ですか、では」
「我等もです」
「その殿と共にです」
「天下の中にあります」
「そして必死に生きます」
幸村と共にとだ、十人共彼を見て言った。
「我等十一人一つになり」
「そして世の流れの中で生きましょう」
「飲み込まれるやも知れませぬが」
「それでも」
「そうしてくれるか、有り難い」
幸村は十人の言葉を受けて笑顔で頷いた。
そのうえでだ、甲斐の道を進みつつ彼等に話した。
「ではこれからの頼む、そしてな」
「はい、甲斐からですな」
「この国の道を進み」
「そのうえで上田に戻りますな」
「そうしようぞ」
今度は笑顔で応えた幸村だった。
「信濃も見てな」
「そして甲斐もですな」
「今のこの国も」
「そうされますな」
「うむ、確かに武田家は滅んだが」
しかしというのだ。
「国はある」
「そして民も」
「そうしたものは残り」
「そして生きていっていますな」
「そうじゃ、例えば当家がなくなってもな」
あえてだ、幸村は言った。
「上田の民達は生きていく」
「ですか、家がなくなろうとも」
「民は生きていて」
「そして、ですか」
「暮らしも行われますか」
「そうなる、真田家も最初から上田にいた訳ではない」
こうもだ、幸村は言った。
「永遠に上田にいるとも思えぬ」
「形あるもの全ては何時か消える」
「栄枯盛衰は世の常だからこそ」
「それで、ですな」
「真田家もですか」
「何時かは」
「そうなる、これは世の定めじゃ」
達観、幸村は若くしてそれを備えていた。そこからも語るのだった。
「栄えておっても何時かは消えるものなのじゃ」
「無情ですな」
「しかしその世においてですな」
「人は必死に生きる」
「そうあるべきですな」
「無情であっても為すべきことは多い」
非常にというのだ。
「人というものはな」
「それぞれの為すべきことがあり」
「それに務めなければならない」
「必ず、ですな」
「そうしなければなりませんな」
「そうじゃ」
こう言うのだった。
「何があろうともな」
「そうですか、では」
「殿も我等もですな」
「その天下において」
「果たすべきことを果たしていく」
「そうすべきですな」
「拙者がいつも言っている様にな、それにな」
また言った幸村だった。
「無情しか感じなくなったら出家して寺に励むべきじゃが」
「出家してもですな」
「我等の様な考えなら」
「世においてこの世で務めを果たすべきじゃ」
清海と伊佐に応えてだ、幸村は言った。
「我等ならばじゃ」
「その務めは、ですな」
「上田の民を守ることですな」
「そうじゃ、家を守りな」
幸村は今度は穴山と由利に答えた。
「それが務めじゃ、そして」
「義、ですな」
「それを貫くことですな」
「左様、義は忘れてはならぬ」
決してとだ、幸村は海野と望月に述べた。
「何があろうともな」
「そしてその義は」
「我等の義は」
「仁義、信義、礼儀、忠義、悌義、孝義じゃ」
この六つの義をだ、幸村は筧と根津に話した。
「それじゃ」
「殿もですか」
「忠義を果たされますか」
「そのつもりじゃ、拙者の忠義は父上そして兄上へのものじゃ」
猿飛と霧隠にだ、彼は話した。
「拙者は家臣としてお仕えするからな」
「ですか、殿もですか」
「真田家の家臣としてですか」
「お仕えされますか」
「これからは」
「そうする、それでじゃが」
さらに話した幸村だった。
「父上がどうされるかじゃ」
「どの家にお仕えするか」
「そのこともですな」
「大事ですな」
「おそらく羽柴家に仕えることになる」
真田家はというのだ。
「織田家にお仕えするときめたが」
「その織田家がああなり」
「それで、ですな」
「次に天下を握る羽柴家にお仕えする」
「そうされますか」
「それならば羽柴家に忠義を尽くす」
必ず、というのだ。
「ならばな」
「はい、それでは」
「我等はですな」
「羽柴家にもお仕えしますか」
「そうされますか」
「そうするのが忠義じゃ」
こう言うのだった。
「やはりな」
「ですか、羽柴殿にですか」
「我等はお仕えする」
「そうなりますか」
「そうじゃ、しかしな」
ここでまた言った幸村だった。
「我等はそうなるであろうがどうやらな」
「どうやら?」
「どうやらといいますと」
「父上はご自身と拙者は羽柴家にお仕えする様にしてじゃ」
そしてというのだ。
「兄上についてはな」
「あの方はですか」
「真田家を継がれる」
「その方については」
「どうされるであろうな」
それがわからないというのだ。
「そこがわからぬ」
「左様ですか」
「そのことはですか」
「殿もですか」
「おわかりになられませぬか」
「それはこれから次第か。まして羽柴家は確かに天下人になれるが」
しかしというのだ。
「筑前殿はともかくじゃ」
「その後ですか」
「筑前殿の後が問題ですか」
「それからですか」
「どうしてもあの家は百姓あがりであることがついて回る」
あえてだ、幸村は羽柴家のこのことを話した。
「何かとな」
「そういえば譜代の家臣もですな」
「おられませぬな」
「弟君はおられますが」
「ご一門の方も少ないですな」
「そうじゃ」
こう言うのだった。
「筑前殿の後が問題じゃ」
「殿がいつも仰ってますが」
「そこが羽柴家の泣きどころですな」
「譜代の家臣がおらず」
「ご一門の方も少ない」
「ご子息もおられぬ」
跡を継ぐ者もというのだ。
「これが一番困ったところか」
「ですな、跡継ぎの方がおられぬと」
「それだけで大きな弱みですな」
「羽柴殿も結構なお歳ですが」
「不惑を超えておられます」
「そのお歳でお子がおられぬことはな」
それ自体がとだ、幸村は言うのだった。
「弱みとなる」
「二十三十ならともかく」
「不惑を超えてお子がらぬ」
「そのことだけでも」
「そうじゃ、確かに甥の方がおられるが」
それでもというのだった。
「弱みではある」
「ですか、やはりあの方は譜代の家臣がおられず」
「ご一門の方も少ない」
「そこが他の家とは違い」
「泣きどころですか」
「例えば徳川殿は代々の譜代の臣が多く」
幸村は家康のことをだ、秀吉と比較して話した。
「一門の方もおられご子息もおられる」
「嫡男の信康殿は亡くなられましたが」
「まだご子息がおられますな」
「だからですな」
「このことも大きいですな」
「そうじゃ、あの方はそこが大きい」
秀吉と違いというのだ。
「むしろあの方の方がな」
「天下を握られたらですか」
「上手くいきますか」
「羽柴殿よりも」
「むしろな、特にあの方はよい譜代の家臣の方が多い」
幸村が家康の最もよいのはこのことだと言った。
「それは強みじゃ」
「これ以上はない」
「そうなりますな」
「徳川四天王、その四天王の方々を含めた十六神将」
「揃っていますな」
「武の方が多いがな」
このこともだ、幸村は言った。
「あの方はな」
「そうですな、徳川家はです」
「武辺の方が多いですな」
「北条家等と比べて」
「そちらの家ですな」
「政が出来ても謀が弱い」
幸村は徳川家のこのことも言った。
「そこがどうなるか、か」
「謀なぞいらぬと言いたいですが」
霧隠が言って来た。
「しかし」
「うむ、戦に勝つには必要じゃ」
「人を攻めるのが上計です」
筧は孫子のこの言葉を出した。
「城を攻めるのは下計でして」
「うむ、だからな」
「謀は確かに必要です」
ここで言ったのは伊佐だった。
「それは殿のお父上もですな」
「そうじゃ、父上が謀を使われるのはな」
そのことはというと。
「全てお家を守る為、生きる為じゃしな」
「その為には謀も必要」
こう言ったのは根津だった。
「世はそういうものですな」
「そういうことじゃ、しかし謀には生きる為の謀もあれば」
幸村も言う、その謀について。
「汚い謀もあるからのう」
「汚い謀ですか」
穴山は幸村のその言葉に考える顔になり返した。
「それはどういうものでしょうか」
「具体的に言うと松永弾正殿、宇喜多直家殿の様なものじゃ」
戦国三悪人と言われた者達だ、戦国の世は悪人も多く出たが彼等はその中でも随一の悪人達だったと言われている。
「斎藤道三殿にしてもな」
「その方々は確かに」
その三人の名を聞いてだ、海野も言う。
「汚いですな」
「そう言うしかない」
この三人についてだ、幸村も言った。
「度を過ぎておられた」
「主家を乗っ取り毒を盛んに用い」
由利も顔を顰める、彼等については。
「何かと汚かったですな」
「毛利元就殿も色々されたというが」
西国において謀神と言われていた、幸村は彼のことも聞いていた。
「しかしあの方は己の為に使われてはおらぬ」
「そのお三方と違い」
こう言ったのは望月だった。
「汚い謀略でもですか」
「あの方はまだよかった、しかしじゃ」
本当にと言った幸村だった。
「松永殿や宇喜多殿は度を過ぎておられた、毛利殿よりも遥かにな」
「ではです」
猿飛は主に顔を向けて問うた。
「それがし都で南禅寺の住職の方を聞きましたが」
「南禅寺。都でも名刹じゃな」78
「以心崇伝殿といいまして」
「聞いたことがあるが」
「学識gは相当とのことですが」
「謀も使われてか」
「その学を曲げてまで相手を攻めることもあるとか」
猿飛は顔を顰めさせてその僧侶のことを話した。
「陥れ蹴落とし」
「そして南禅寺の住職にもじゃな」
「なったとの」
「曲学阿世か、それはな」
「いけませぬな」
「汚い謀の中でもな」
とりわけ、というのだった。
「ならぬものじゃ」
「左様ですか」
「そういえば聞いた、その崇伝殿はな」
「よくない方ですな」
「僧侶というよりはじゃ」
むしろと言うのだった。
「天魔と言う方が近い」
「そうした方ですか」
「悪名高い方とのこと、そうした方はな」
「特にですな」
「あってはならぬ」
こう猿飛にも他の者達にも言う。
「決してな」
「そうなりますな」
「やはりな」
こう言うのだった。
「それは最悪の謀じゃ」
「汚い謀の中でも」
「とりわけ」
「そうなりますか」
「そう思う、拙者はな」
学を曲げてまで相手を陥れそして南禅寺の住職になった崇伝はというのだ。
「あってはならぬ謀をされる方じゃ」
「例え謀は使ってもですか」
「学を曲げてはならぬ」
「そうしてはですか」
「そうじゃ、僧侶は学ぶ立場でもある」
ただ教えをだ、人に教え伝えたり修行をしたりするだけでなくだ。このことは仏教伝来からのことである。
「まして南禅寺の住職ともなればな」
「深い学識をですか」
「備えておられる」
「そのことは間違いないからこそ」
「学を曲げてはならぬ」
「そうなのですな」
「誰であろうとしてはならぬが」
それでもというのだ。
「高位の僧であれば尚更。身を正してな」
「邪な謀は使わぬ」
「そうあるべきですか」
「それを忘れた時はな」
まさにと言うのだった。
「世は乱れかねぬ」
「高い立場の方がその様なことをされては」
「世は乱れますか」
「では崇伝殿は、ですか」
「よくない方ですか」
「そうした御仁は止めねばならぬ」
幸村は強い声で言った。
「天下、そして義の為にな」
「ですか、謀も様々で」
「その中では謀も様々で」
「邪な謀は使ってならぬ」
「そうなのですな」
「そうじゃ、決してあってはならぬ」
こう強く言う幸村だった、そうした話をしながらだった。
一行は甲府に来た、かつて武田家の拠点があったまさにその場所に。街は落ち着いているがその雰囲気はというと。
「何か」
「ぽっかりとしていますな」
「人はいますが心はない」
「そうした感じですな」
「そうじゃな」
幸村もその何処か空虚な町の者達を見て言う。
「かつては違ったが」
「この町も活気があり」
「賑わってたのですな」
「そうであった、武田家のお膝元としてな」
まさにその場所として、というのだ。
「賑わっていたが」
「今も店はそれなりにあり」
「人も多く商いもしていますが」
「しかしどうにも」
「活気がありませぬな」
「ただ人がいて動いているだけです」
「ただそれだけです」
家臣達も言うのだった。
「どうにも」
「柱がない」
「心がないといった感じですな」
「武田家が滅び織田家が去り」
幸村は家臣達に応えて述べた。
「今は主がおらぬからな」
「そうした場所になっているからですか」
「この甲府はこうなっていますか」
「空虚で心のない街に」
「そうじゃ、この状況はまだ少し続くであろう」
こうした予想もだ、幸村は話した。
「主がおらぬ限りはな」
「どうやら徳川家が入りそうですが」
「徳川家が入るまではですか」
「こうした有様ですか」
「虚ろですか」
「そうじゃ、それは仕方ない」
甲府が今虚ろな様になっていることはというのだ。
「まだ荒れておらぬだけましじゃ」
「甲斐はついこの前まで随分と荒れていて」
「甲斐の守護に入った川尻殿が殺されていますな」
織田家の重臣の一人であり信長の腹心の一人だった、だが本能寺の変の後の混乱の中甲斐の地侍達に殺されたのだ。
「その頃は随分酷かったそうですが」
「それでもですな」
「今は落ち着いている」
「それだけましですか」
「そうじゃ、虚ろでも乱れるよりはいい」
そちらの方がというのだ。
「まだな」
「ですか、では」
「今はこのままで」
「新たな主が入るのを待つ」
「そうするしかありませぬか」
「そうなる」
幸村は何処か悲しい顔で家臣達に答えた。
「やはりな」
「かつては武田家の下栄えていても」
「今はこの様になるとは」
「まことにわかりませぬな」
「人の世は」
「そうじゃな、家は滅び国は残っていても」
そして民達もだ。
「心が消えたりもする」
「それが世ですか」
「全ては変わっていき」
「栄え衰え消える」
「そうなりますか」
「そしてまた出て来る」
こうもだ、幸村は言った。
「生まれ変わったりしてな」
「では甲府の民の心も」
「また戻る」
「そうなりますな」
「そうじゃ、武田家はなくなったがな」
このことをだ、やはり残念に思い言う幸村だった。
「民の心はまた戻る」
「そして賑わいも」
「それも戻りますな」
「そうなる、それでじゃが」
幸村はあらためて家臣達に言った。
「何か食するか、そしてな」
「この甲府で、ですな」
「宿を取りますか」
「そして一泊しますか」
「そうしようぞ、信玄様は蒲萄を植えだしておられた」
幸村はここでこの果物の名を出した。
「甲斐には前よりあったがな」
「特に、ですな」
「信玄様からですな」
「蒲萄が大いに植えられていった」
「左様ですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからな」
「ここでは蒲萄ですか」
「それを、ですか」
「食しようぞ、これよりな」
こう言って甲斐でも食を楽しんだ、そうしたことをしてだった。
一行は旅の終わりに近付いていることを実感しながら甲斐での旅を行っていた。今は主のいないその国で。
巻ノ二十六 完
2015・10・2