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巻ノ二十五

                 巻ノ二十五  小田原城

 幸村主従は鎌倉から小田原に来た、その巨大な城を見てだった。

 まずは十人の家臣達がだ、思わず唸った。

「これはまた」

「話には聞いていたが」

「街が全て城の中にあるぞ」

「この様な城はな」

「流石にない」

「他にはな」

「これが小田原城じゃな」

 幸村もその城を見つつ唸る。

「そもそも造り方が違うな」

「他の城とは」

「そこからが違いますな」

「街を堀と壁で囲んでおる」

 幸村は小田原城のことを言った。

「だからこそな」

「ここまで大きいのですな」

「他の城とは違い街が中にある」

「だからですな」

「そうじゃ、どうも大坂城もそうした造りにする様じゃが」

 しかしというのだ。

「この城程大きくはなかろう」

「左様ですな」

「これでは下手な数の軍勢では攻められませぬ」

「それは到底」

「うむ、とてもな」

 それこそ、というのだ。

「二万や三万ではな」

「信玄公、謙信公でもですか」

「攻め落とせぬのも道理」

「そうなりますな」

「この城を攻め落とすのなら」

 幸村はまた言った。

「十万は必要か、それに」

「十万もの兵に加えてですか」

「さらにですか」

「あの山じゃな」

 小田原のすぐ傍にある山を見た、そのうえでの言葉だった。

「あそこに城を置くべきじゃ」

「あの山にですか」

「というと付け城を置いてですか」

「じっくりと攻めるべきですか」

「そうじゃ、そして城ではなくな」

 さらにだった、幸村は家臣達に話した。

「人を攻めるべきじゃ」

「殿がいつも言われている様に」

「城ではなく、ですな」

「人を攻める」

「そうあるべきですな」

「城を攻めるのはそもそも下策じゃ」

 孫子の言葉だ、幸村はそこから考えているのだ。

「人を攻めるのが上策じゃからな」

「城そのものを攻めるのではなく」

「城を守るその城をですな」

「攻めて、ですな」

「そのうえで攻め落とすものですな」

「そうじゃ、そうしてじゃ」

 まさにというのだ。

「攻め落とすべきじゃ」

「ううむ、そうして攻めればですか」

「この城も攻め落とせますか」

「このとてつもなく大きな城も」

「殿がいつも仰る様に」

「どの様な城も人を攻めれば陥とせる」

 そうなるとだ、また言った幸村だった。

「そうしたものじゃ、この世に絶対というものはないからな」

「この城でさえ」

「攻め落とせる」

「多くの兵と付け城、そして人を攻めれば」

「そうすればですな」

「それが出来る、まあ話はこれ位にしてじゃ」

 そうしてというのだ。

「城の中に入ろうぞ」

「はい、さすれば」

「これから城の中に入り」

「街を見て回りますか」

「そうしようぞ」 

 家臣達にこうも言ってだった、幸村主従は小田原の城の門のところに来た。その門のところには兵達がいたがだ。

 兵達は彼等を見てだ、こう言ったのだった。

「うむ、通ってよし」

「旅の芸人達じゃな」

「随分と奇妙な身なりをしておるが」

「これまた変わった芸人達ではあるがな」

「ははは、わし等は確かに変わっておるな」

 猿飛が兵達の言葉に笑って応えた。

「言い得て妙じゃ」

「うむ、そうじゃな」

 その通りだとだ、幸村も笑って猿飛に応えた。

「我等の姿は確かに変わっておる」

「ですな、確かに」

「傾奇者ですな」

「ふむ、近頃都に出ておるという」

「あの者達か」

 兵達は傾奇者と聞いて今度はお互いで話した。

「それがこの者達は」

「坊主や侍に近い格好の者達もおるが」

「こうした格好の者達が傾奇者か」

「そうなるか」

「そうなるであろうか」

 幸村は兵達にも応えた。

「我等は」

「まさか東国にまで来るとはな」

「御主達の様な者が」

「しかしそれならそれで面白い」

「身なりは妙じゃが怪しい者達でもない」

「ならば通れ」

 兵達は幸村達にこう言ってだった、一行を城の中に入ることを許した。だが彼等が城の中に入ってからだった。

 兵達は彼等だけでにやりと笑ってだ、後ろにいる影に言った。

「これで宜しいですな」

「真田家の次男殿と家臣達確かに城の中に入りました」

「それではですな」

「我等の仕事は済みましたな」

「うむ、どちらにしろあの者達は無体はせぬ」 

 影は兵達に答えて言った。

「だからな」

「これでいい」

「左様ですか」

「では我等は本来の兵達と見張りを交代して」

「そして、ですな」

「ご苦労であった」

 こう言ったのだった、そしてだった。

 彼等は本来の兵と交代して姿を消した、影もだった。

 何処かへと姿を消した、だが幸村達はその彼等を見ることなく街の中に入っていた。その小田原の街はというと。 

 道は都程ではないが整い家や店も整然としている、その街中を見てだった。

 幸村は唸ってだ、こう家臣達に言った。

「こうして整えていなくてはな」

「ならないと」

「そうなのですか」

「そうじゃ」

 まさにという言葉だった。

「城の中にある街だからのう」

「整えていなくてはですか」

「人が収まらない」

「そうなのですな」

「城下町ならばな」

 幸村は本朝の大抵の街について話した。

「門前町でもじゃが」

「城の周りや寺の周りにですな」

「どれだけでも拡がっていける」

「本朝ではそうした街が主ですが」

「それが城の中にありますと」

「堀と石垣、壁で覆われておる」

 幸村は小田原城のこのことからまた話した。

「それが強みであるがじゃ」

「それでもですな」

「街の拡がるのは限られている」

「それで少しでも道を入り込むと」

「そこから乱れたりもしますな」

「かつての都と同じじゃ」

 この場合は平安京だけでなく平城京等それまでの都も同じだ。街が壁に覆われている城塞都市はなのだ。

「だからな」

「街の広さも」

「どうしてもですか」

「限られていて」

「道も最初から整えている」

「そういうことなのですな」

「うむ、そして火事はな」

 この災害についてもだ、幸村は話した。

「とりわけじゃ」

「気をつけている」

「そうしているのですな」

「囲まれているからな」

 街が城の中にだ。

「下手をすれば城全体が焼けてしまう」

「街ごと、ですな」

「そこも悩みどころですか」

「ただ街が城に囲まれていることは」

「強みだけではないのですな」

「そうした悩みもある」

 こう言うのだった。

「この城にはな」

「ですか、いいことばかりではないのですな」

「誰も攻め落とせぬ強みもありますが」

「政には弱みがある」

「そうなのですな」

「あらゆるものに強みと弱みがある」

 幸村はこのことも踏まえて話した。

「いいことばかりでもない」

「あらゆることについて」

「悪いこともある」

「そうなのですな」

「この城もそうで」

「他の全てのことも」

「それがわかってこそじゃ」

 まさにというのだ。

「ことが成せる、拙者もそのことがわかった」

「それが、ですか」

「おわかりになられたのですか」

「拙者もな。では街の中を見て回ろう」

 小田原城のその中をというのだ。

「じっくりとな」

「そして、ですな」

「見聞を広めますか」

「そのうえで飯も食い」

「酒も飲みますか」

「そうじゃな。しかしどうも我等は」

 この旅のことも思う幸村だった、ここで。

「何かあればな」

「何かとは」

「それは一体」

「旅の行く先々で美味いもの、名物を食っておるな」

「はい、そういえば」

「我等は常にですな」

「各地で名物を食っていますな」

 家臣達も幸村のその言葉に頷いて答えた。

「酒も飲んでいますし」

「何かと楽しんでいますな」

「名所も見て回っていますし」

「贅沢か、いや」

 自分で言ったところでだ、また言った幸村だった。

「名物はその土地を表しているからな」

「だからですか」

「そうしたものを食って回るのもいい」

「それもですな」

「それもいいかもな」

 幸村は考える声で言った。

「名物を食っていくのも」

「そうかと、それに名物はです」

「旅をしてその場所に行かねばありませぬし」

「これもまた旅」

「旅ですから」

「だからよいか」

 また言った幸村だった。

「それもまた」

「そうかと、ではです」

「小田原の名物も食べていきましょう」

「そして楽しみましょう」

「酒も飲んで」

「そうするか、酒も国によって違うな」

 その産地によってというのだ。

「味も香りも」

「ですな、摂津と尾張でも違いましたし」

「駿河の酒もその味がありました」

「無論相模の酒もそうで」

「他の国もです」

「その国ごとに味と香りが違う」

 それぞれの味があるというのだ。

「何かとな」

「はい、それぞれ」

「見た目は似ていても」

「それでも味と香りはです」

「それぞれですな」

「そうじゃな、それも面白い」

 こう家臣達に言うのだった。

「酒にしてもな」

「同じ本朝でも国によってですな」

「何かと違う」

「食いものも酒も」

「そうしたものが」

「海があったり山が多かったりとな」

 幸村は地形のことも述べた。

「それぞれじゃな」

「そしてそのことを知ることもですな」

「大事ですな」

「それが見聞を広め」

「戦や政にも役立ちますか」

「そうじゃ、地を知ることは」

 まさにというのだ。

「戦や政の最初じゃ」

「その第一歩」

「そうなりますな」

「うむ」

 その通りという返事だった。

「そう思うと関東まで来たのはな」

「よかったですな」

「まことに」

「そうなるな、長旅になったが」

 それでもというのだ。

「御主達と出会え様々なものを見られた」

「そのことがですな」

「実によかった」

「この小田原に来たことも」

「非常にですな」

「うむ、ではさらに見て回ろう」

 この小田原を、というのだ。そうしたことを話しながらだった。

 幸村達は小田原も見て回っていた、だが。

 その幸村を物陰から見つつだ、風魔は周りに身を潜めている己が率いる忍達に言った。

「噂通りじゃな」

「はい、非常にですな」

「優れた御仁ですな」

「識見がありまする」

「そして家臣達の心を掴んでいる」

「まだ若いですが」

「それでも」

「うむ、あの御仁はな」

 幸村はというと。

「まさに天下の傑物じゃ」

「では敵に回せば」

「その時はですな」

「北条にとっても厄介な敵になる」

「そうなりますな」

「やはり真田家とは揉めるべきではない」

 また言ったのだった。

「小さい家じゃがな」

「強い」

「だからですな」

「人は数も大事じゃが」

「質も大事」

「それ故にですな」

「あの御仁にそして家臣の者達」

 その十人の家臣達についてもだ、幸村は話した。

「敵に回すべきではない」

「決して、ですな」

「では殿にも申し上げますか」

「あらためて」

「そうしよう、そしてじゃ」

 風魔は周りの者達にさらに言った。

「これからな」

「棟梁ご自身がですな」

「あの御仁に会われ」

「お話をされますか」

「考えていた通りな」

 まさにと言ってだ、実際にだ。

 風魔は小田原の街に旅の浪人の姿で出てだった、そのうえで。

 幸村達が旅の銭を稼ぐ為にそれぞれ別れ芸をはじめてだ。幸村が講釈をしている時に来て水滸伝の武松の話をしている彼が休憩で店で茶を飲んでいる時に横に来て声をかけた。

「ふむ。これは」

「これはといいますと」

「面白い話ですな」

「水滸伝の話ですが」

「明の書ですか」

「はい、これが極めて面白く」

 それで、というのだ、

「講釈の題材にさせてもらっています」

「左様ですか」

「水滸伝の話は他にもありますが」

「どうも武勇と侠気を併せ持った者が戦う話に思えますが」

「そうです、百八の好漢達が悪者達と戦い」

 幸村は風魔、浪人の姿をしている彼にさらに話した。

「やがて一つになり宋を乱す内外の敵と戦うのです」

「そうした物語ですか」

「そうです、それが面白いのならです」

「貴殿にとってもですな」

「有り難いことです」

「そうですか。しかし」

 ここでだ、風魔は幸村にあえてこう言った。

「貴殿は銭は殆ど取っていませんな」

「この講釈によって」

「極めて安いですが」

「銭は旅に必要なだけあればいいので」

 幸村は風魔にあっさりとした口調で答えた。

「ですから」

「だからですか」

「はい、最低限なだけです」

「小銭を貰えればいいと」

「そう思っていまして」

 だからこそ、というのだ。

「それだけです」

「銭に興味はありませぬか」

「ないと言えば嘘に嘘になりますが」

「それでもですな」

「必要なだけあれば。ただ」

「ただ?」

「いざとなれば地獄でも使います」

 その銭をというのだ。

「そうします」

「地獄の沙汰も、ですな」

「銭次第なので」

 そう言われているがだ、幸村もここでこう言ったのだ。

「地獄でも使わねばならぬ時はです」

「その銭を使いますか」

「そう考えています」

「左様でありますか、いや」

「いや?」

「銭に執着はしないがその強さをわかっておられますな」

 彼が幸村についてわかったことをだ、風魔はそのまま彼に言った。

「お見事です」

「見事ですか」

「銭、宝もそうですが」

 そうした富を作るものはというのだ。

「それの強さ、魅力に魅せられてです」

「使うよりもですな」

「溺れる者が多いので」

「そしてそれが為に」

「身を滅ぼすこともありますが」

「拙者は、ですか」

「それがありませぬ、だからです」

 それ故にというのだ。

「見事です」

「そう言って頂けますか」

「はい、そしてです」

 風魔はさらに言った。

「貴殿は他の欲もありませぬな」

「富以外のことも」

「左様ですな」

「はい、別に禄も身分もです」

「特にですな」

「今で充分です」

 今の状況で、というのだ。

「これ以上はいりませぬ」

「しかし望みはある」

「そう言われますか」

「義、ですな」

 幸村の顔を横から見つつだ、風魔は言った。

「望みは」

「はい、戦国の世ですが」

 それでもというのだ。

「しかしです」

「その乱世においても」

「義は必要です」

「そう思われるからこそ」

「拙者義を大事にし」

「そしてですな」

「義に生き義にです」

「死すと」

「その心意気でいきたいです」

 何としてもという口調での言葉だった。幸村のその言葉には一点の淀みもなく確かなものがそこにはあった。

「何があろうとも」

「天下を望まず」

「天下人ですか」

「その思いはありませぬか」

「誰もが一度は抱く思いといいますが」

 しかしとだ、幸村は微笑み風魔に答えた。

「拙者はその思いは一度もです」

「抱かれたことはないですか」

「左様です」

 そうだとだ、風魔に答えたのだった。

「生まれてこのかた」

「天下よりもですか」

「家を守りそのうえで」

「義を貫いて」

「そうです、あくまでです」

 何としてもという言葉だった。

「義を貫いて生きたいです」

「そして死にたいと」

「そう考えています」

「そのお心はわかりました。ただ」

「ただ、とは」

「義といっても色々ですな」

 風魔は幸村に顔を向けて彼にその義の話をした。

「仁義、礼儀、信義、忠義、悌義。孝義と」

「ですな、儒学の教えにです」

「かなり当てはまります」

「それこそ智以外の全てに」

「貴殿はどの義を大事にされたいのでしょうか」

「全ての義です」

 すぐに、そしてはっきりとだ。幸村は風魔に答えた。

「どの義かでなく」

「全ての義ですか」

「はい、仁義にしても礼儀にしても」

「そして忠義にしても」

「人は意気に感ずともいいますが」

 唐の太宗の名臣の一人魏徴の言葉もだ、幸村は出した。

「拙者もです」

「意気、自身を認めた方に対して」

「忠義を尽くし」

 そして、というのだ。

「父、兄への孝にです」

「人としての悌」

「家臣、民への仁と信」

「誰に対しても礼ですか」

「全てを守りたいです」

「そうですか、その全ての義をですか」

「拙者は貫きたいです」

 絶対にというのだ。

「死ぬその時まで」

「大きいですな」

「そう言われますか」

「はい、義を貫くということも」

「拙者も思います、ですから」

「その大きなものをですか」

「拙者は望んでおります」

 こう風魔に言うのだった。

「そうです」

「そうですか、ではこれからも」

「進んでいきます」

 こう話してだ、そしてだった。

 幸村は風魔にだ、あらためてこう言った。

「それでなのですが」

「それでとは」

「はい、貴殿はどうして拙者に尋ねられたのでしょうか」

「その目を見まして」

「それがしのですか」

「はい、貴殿の目は澄んでいます」

 その通りだった、幸村の目は清らかに澄み切っている。その目の輝きは非常に強いものでもある。風魔の言う通りに。

「その目を見まして」

「聞かれたのですか」

「大望のある方をお見受けしましたので」

「左様でしたか」

「しかし。貴殿がそう思われるのなら」

 義を貫いて生きたいというのならとだ、風魔も言うのだった。

「そうされて下さい」

「はい、死すその時まで」

「さすればそれも適いましょう」

「必ずですな」

「まず思うことです」

「重いそして動けば」

「それが出来ます」

 こう言うのだった、幸村に。

「ですから」

「そうさせて頂きます」

 幸村も応える、そうしたことを話したのだった。

 風魔はここまで話してだ、席を立って幸村に言った。

「では」

「旅にですか」

「出ます、拙者も」

「それではまた縁があれば」

「お会いしましょう」

 こう話してだ、そしてだった。

 風魔は幸村と別れた、そうして。

 己の屋敷に戻ってだ、変装を解いたうえで言った。

「まさに天下の傑物じゃ」

「真田幸村殿はですか」

「まさにですか」

「そうした方ですか」

「うむ、天下は望まれぬし天下人になれる方でもないが」

 それでもというのだ。

「その資質、そしてお心はな」

「まさにですか」

「天下の傑物ですか」

「そこまでの方」

「そうなのですな」

「まさにな」

 それこそというのだ。

「それだけにじゃ」

「敵にしてはならない」

「何があろうとも」

「そのことをあらためてですか」

「棟梁は思われますか」

「うむ、若くしてあそこまでの方じゃ」

 それだけにというのだ。

「これからはな」

「さらに成長され」

「そして、ですか」

「大きくなられる」

「今以上に」

「そうなられますか」

「必ずな、人は三日会わぬとだ」

 こうも言う風魔だった。

「刮目して見るべきというが」

「あの御仁もですか」

「そうなのですな」

「三日後はさらに大きくなられている」

「そうした方ですか」

「間違いなくな、敵にしてはな」

 それこそ、というのだ。

「お父上と同じくじゃ」

「厄介な敵」

「そうなりますな」

「そのことあらためて殿にお話しよう」

 こうも言ってだった、風魔はすぐに氏政の下に飛んだ。そのうえで彼に対して報告した。

「殿、真田幸村殿とお会いしてきました」

「どうした者じゃった」

「まだお若いですが」

「それでもじゃな」

「はい、傑物です」

 こうはっきりと言うのだった。

「まさに天下の」

「そうか、そして家臣がおったな」

「十人、その十人が全て」

「十人共か」

「天下の豪傑です」

「そこまで強いか」

「全て忍術を極めそれぞれの術を持っております」

 風魔は彼等のこともだ、氏政に話した。

「一騎当千です」

「そうか、家臣達も強いか」

「相当に」

「真田家は昌幸殿がな」

「相当な御仁ですな」

「智勇兼備、特に智はまさに鬼謀」

 彼が武田家に仕えていた時からのことだ、戦での采配に謀略にとだ。その強さは真田家においても知られていたのだ。

「わしも相手にしたくなかったが」

「そこにです」

「ご次男殿もか」

「相当な方です、ただ」

「ただとは」

「あの方は武将です」

 そうした者だというのだ。

「そして軍師でもあられますが」

「大名にはじゃな」

「向かぬかと」

「ふむ。資質はあってもか」

「あくまで自ら戦われ策を出される方です」

 それが幸村だというのだ。

「一国一城の主にはです」

「向いておらぬか」

「はい、ですから大名にはです」

「ならぬか」

「ご自身もそうした欲はおありではありませぬな」

「では真田家の次の主は信之殿じゃな」

 氏政は風魔、姿を見せずに自身に話す彼の言葉を受けて言った。

「あの御仁か」

「そうなるかと」

「信之殿も器と聞く」

 幸村の兄である彼もまた、というのだ。

「智は父君程ではないが温厚にして識見が広く落ち着いておってな」

「大名の資質があると」

「そう聞いておるが」

「その様ですな」

「そして幸村殿はか」

「真田家の武将、若しくは軍師となられるかと」

「軍師か、しかし武芸もじゃな」

 幸村個人のその強さについてもだ、氏政は風魔に問うた。

「あの御仁は相当じゃな」

「ご自身も一騎当千の方です」

「やはりそうか」

「ですから余計にです」

「真田家とは争わずに」

「信濃からも手を引くべきか」

「あの家とは揉めてはなりませぬ」

 風魔は氏政に強く言った。

「断じて」

「ではな、やはり甲斐及び信濃からは手を引いてな」

 また言った氏政だった。

「関東に兵を進めていくぞ」

「では」

「関東を手中に収める」

「そうしましょうぞ」

「徳川家とも結び真田家ともな」 

 こう言ってだ、さらにだった。

「上杉家もじゃ」

「あの家とはどうされますか」

「揉めたくないがことを構えるなら」 

 その時はというと。

「引かぬぞ」

「そうされますか」

「関東は北条家のもの、関東管領になっているとしても」

「元は長尾家、やはり」

「越後におればよいのじゃ」

「そういうことですな」

「兵はこちらの方が上、それに我等にはこの城がある」

 小田原城のこともだ、氏政は言及した。

「最後に勝っておるのは我等じゃ」

「この小田原城がある限りですな」

「どの家にも負けぬ」

「まさにですな」

「決して陥ちぬ城があるということを天下に見せてくれるわ」

 こうまで言うのだった、氏政はこう言って風魔との話の後で重臣達を集めこれからのことを話した。だが幸村はそうしたことを知らず。

 小田原を見て回った後はだ、家臣達に言った。

「ここから甲斐、信濃と行くか」

「いよいよですな」

「帰路につかれますな」

「そうされますか」

「そうしようぞ」

 こう言ってだ、小田原を後にして上田に戻ろうとした。だがここで。

 小田原を出たところでだ、一人の年老いた僧侶と擦れ違ったがだ、僧侶はふと幸村に顔を向けて言って来た。

「これから甲斐に行かれますか」

「おわかりですか」

「はい、こちらの道はです」

 幸村達が足を踏み入れたその道はというのだ。

「甲斐への道なので」

「だからですか」

「途中武蔵にも寄りますが」

「はい、もう帰ります」

「しかし武蔵に寄られるなら」

「そこにですか」

「よく見られてはどうでしょうか」

 その武蔵の国をというのだ。

「特に江戸の辺りを」

「江戸、ですか」

「左様です」

 こう言うのだった。

「行かれては」

「江戸というと」

「あそこは確か」

「城があるにしても」

「それでも」

 家臣達は僧侶の言葉に首を傾げさせつつ話した。

「その城も古く」

「しかも武蔵野のど真ん中」

「河越の辺りは城があっても」

「あの場所は」

「ははは、今はそうですが」

 僧侶は笑ってだ、いぶかしむ十人にも話した。

「しかしです」

「一見の価値がある」

「そうした場所だとですか」

「御坊は言われますか」

「拙僧実は武蔵の生まれでして」

 僧侶はこのこともだ、一行に話した。

「武蔵、いえ関東一円を歩いて回ってきていまして」

「その江戸もですか」

「何度か行っていて知っております」

 このことから話すのだった。

「それで申し上げるのです」

「左様でしたか」

「はい、それで」

 その江戸はというのだ。

「是非行かれるといいです」

「そうなのですか」

「必ず何かがおわかりになられるでしょう」

 幸村のその目を見つつの言葉だった。

「貴殿ならば」

「拙者なら」

「必ずです」

「では」

「江戸に行かれますか」

「はい」

 確かな声でだ、幸村は僧侶に答えた。

「ではそうさせてもらいます」

「さすれば」

「しかし」

「しかしとは」

「御坊は何故拙者にそうしたことを教えてくれたのでしょうか」

 幸村jは僧侶、髭まで奇麗に剃られ顔には深い皺が多くあるがそれが深い叡智と穏健さも見せるその顔を見つつ尋ねた。

「擦れ違っただけの拙者に」

「貴殿の相を見まして」

「拙者の」

「はい、貴殿の顔相を見ましたが」 

 幸村の顔に出ているもの、それを見てというのだ。

「非常によい相です、必ず天下で大きなことを為されます」

「だからですか」

「そのご見識を広めてもらいたいと思いまして」

「それ故に」

「お話した次第です」

「そうでしたか」

「ですから」

 また行った僧侶だった。

「是非江戸に」

「ではあちらにも行って参ります」

「是非、それとですが」

「それと、とは」

「この関東は広く今一つ地味はよくありませぬ」

「その様ですな、この相模はよいですが」

 幸村も僧侶に応えて言う。

「その武蔵の辺りは平地が多くとも水の質がよくなく」

「はい、米もいいものは採れませぬ」

「上野の辺りもそうだとか」

「しかも風が強いです」

「冬は堪えそうですな」

「しかしその平地の広さとです」

 それに加えて、とだ。僧侶は話した。

「川が多く」

「田畑は多く持つことが出来る」

「栄えることが出来る場所です、それこそ」

「それこそとは」

「近畿の様に」

 こう言うのだった。

「それが出来ます」

「まさか」

「それは」

「関東が近畿程まで栄えるとは」

「とても」

 家臣達は僧侶の話を聞いて皆首を傾げさせた。

「ならないのでは」

「幾ら何でも」

「確かに東国はそれなりに栄えているとしても」

「それでも」

「今はそうですが」

 僧侶は家臣達にも話した。

「しかし」

「やがては、ですか」

「そこまで栄える」

「そうした場所ですか」

「本朝は近畿とです」

 その近畿と、というのだ。

「関東の二つが栄える場所です」

「主に、ですな」

「はい、尾張や安芸、九州の北。それに」 

 さらに言う僧侶だった。

「東北の仙台の辺りもいいでしょうが」

「安芸や仙台もですか」

「実は本朝の全てを巡ってもきまして」

「ご存知なのですな」

「そうした場所も栄えます、しかし」

「天下の軸となるのはですな」

「近畿と関東です」

 幸村にだ、僧侶ははっきりと述べた。

「この二つがなれます」

「だから関東もですか」

「今後政の仕方によっては」

「都や大坂、奈良がある近畿の様に」

「栄えます」

「そうなのですな」

「ですから」

 また言った僧侶だった。

「武蔵にもです」

「その江戸にも」

「行かれては」

「しかし東国の軸といいますと」

 ここで幸村はあえて言った。

「今は小田原、そしてかつては」

「鎌倉ですな」

「そうですが」

「確かに鎌倉や小田原もいいですが」

「それでもですか」

「場所が今一つよくありませぬ」

 こう言うのだった。

「どちらも」

「相模自体も」

「確かに鎌倉は守りやすいです」

 このことは僧侶も言った。

「しかし周りに田畑が少なく」

「三方が山で」

「一方が海です」

 それが鎌倉が守りやすい理由だ、その為頼朝もそこにいたのだ。そして室町幕府も東国を治める中心としたのだ。

「それがいいにしても」

「周りに田畑が少なく」

「そして狭いです」

 このこともだ、僧侶は指摘した。

「それが為栄えましても」

「それが限られている」

「だから都程栄えなかったのです」

「そう仰るのですか」

「しかも関東全体から見てです」

 僧侶はさらに言った。

「中心にはありません」

「むっ、そういえば」

「鎌倉はそうじゃな」

「うむ、東国ではとりわけ大きな街じゃが」

「しかしな」

「関東の中心にはないな」

 幸村の家臣達も僧侶の言葉を聞いてそのことに気付いた。

「相模自体がな」

「関東全体から見て少し離れじゃ」

「行き来は少し難しい」

「関東に出るのもな」

「はい、やはり関東全体に出られる場所は」

 そこはというと。

「武蔵なのです」

「江戸のある」

「はい、あの地です」 

 まさにというのだ。

「あの地です」

「その為ですか」

「是非貴殿には江戸まで行って欲しいのです」

「そして見聞を広めよと」

「貴殿ならばと思いまして」

「拙者の顔相を見て」

「貴殿は大きなことをされます」

 幸村のその顔を見ての言葉だ。

「それも天下に害を為すものではなく」

「よいものだと」

「ですから」

 それで、というのだ。

「江戸まで行かれて下さい」

「さすれば」

 幸村は僧侶の言葉に頷いた、そしてだった。

 家臣達にだ、あらためて言った。

「ではな」

「はい、江戸にですな」

「行きますか」

「武蔵のあの場所に」

「そうしようぞ、では御坊」

 再び僧侶に顔を向けて彼にも話した。

「我等は江戸に向かいます」

「それでは」

 僧侶も頷いてだ、そしてだった。 

 幸村達は僧侶と分かれてだ、そのうえで。

 江戸に向かった、僧侶はその彼等を見送ってから小田原に入った。そうしてその小田原のある寺に入ると。

 若い僧侶達にだ、こんなことを言われた。

「よくここまで来られました」

「また何の御用でしょうか」

「実はな」 

 僧侶は彼等にも温和な笑顔で述べた。

「これから武蔵から駿河に行ってな」

「あの国にですか」

「行かれるのですか」

「そこで徳川殿にお会いしようと思っておる」

「徳川家康殿にですか」

「あの方に」

「そしてあの方が噂通りのよき方なら」

 それならというのだ。

「あの方にお仕えしたいと思っておる」

「徳川殿に」

「そうお考えですか」

「星が面白いことを教えておる」

 僧侶は今度は星の話をした。

「徳川殿が将星になられておる」

「徳川殿の星がですか」

「将星になられている」

「これまではそうではなかったというのに」

「ここで、ですか」

「どうやらじゃ」

 家康、彼はというのだ。

「やがて天下人になられしかも長い泰平をもたらされる」

「そうされるからこそ」

「徳川殿にお会いして、ですか」

「よき方なら」

「お仕えされたいのですか」

「是非な、ではな」

 それではとだ、また話した僧侶だった。

「拙僧は一時関東を去る」

「一時、ですか」

「このまま駿府に留まられることはないのですか」

「あくまで一時ですか」

「不思議なことに徳川殿の星は大きくなられただけでなく」

 さらにというのだ。

「東に移られてようとしている」

「東、即ち東国」

「そちらにですか」

「左様、だからおそらく拙僧が徳川殿にお仕えすれば」

 その時はというのだ。

「関東に戻ることになる」

「だからですか」

「駿府におられるのは一時」

「それだけですか」

「そうなりますか」

「そうなろう、この関東はこれまで以上にじゃ」

 関東というと都から見ると草しかない田舎だ、常陸辺りになるとかつてはもうこの世の果ての様な感覚だった。

「栄えよう」

「徳川殿により」

「そうなりますか」

「天下のもう一つの軸になる」

 こうまで言うのだった。

「関東はな」

「これまで天下の軸は近畿でした」

「神武帝の東征から」

「飛鳥、奈良の頃より」

「そして都が今の場所になりです」

「それが確かになり」

「今に至りますが」

「そこにな」

 さらにというのだ。

「もう一つの軸が出来る」

「関東がそうなる」

「そう仰るのですな」

「うむ」

 確かな声での返事だった。

「そうなるだろう」

「ですか、だからですか」

「こちらにですか」

「戻られるのですな」

「そうなるであろう」

 こう若い僧侶達に言うのだった。

「またその時会おうぞ」

「ですか、では」

「北条家はですか」

「やがては」

「近いうち、十年も経たぬであろう」

 僧侶は先を見ている目で述べた。

「よくて相模一国か」

「それだけの家になりますか」

「今は関東を掌握していても」

「それでも」

「天下の流れは決まった」

 既にというのだ。

「羽柴殿のものとなる」

「織田家の家臣であられた」

「あの方がですか」

「前右府殿の跡を継ぐ形で」

「そうなりますか」

「本来なら織田家のものとなっておった」

 僧侶はこう言った、その信長の家のというのだ。

「だから三法師殿が天下人になられるのが筋であるが」

「しかし三法師殿は幼い」

「まだ赤子です」

「そうしたお歳では」

「とてもですな」

「一応信雄殿がおられるが」

 信長の次子だ、長子にして嫡男であった信忠が信長と共に本能寺の変において二条城で明智光秀に討たれたなら彼が跡を継ぐのが筋でもある。

 だが僧侶はその信雄についてだ、こう言った。

「器ではない

「前右府殿の跡を継ぐ」

「そうした方ではですか」

「精々一国、いや一国すらな」

「治められぬ」

「そうした方ですか」

「前右府殿のご子息で一番落ちる方じゃ」

 信雄、彼はというのだ。

「だからな」

「前右府殿の跡は継げぬ」

「それ故に羽柴殿に天下を奪われますか」

「織田家自体が」

「そうなる、天下は羽柴殿のものになるが」

 しかしとだ、僧侶は秀吉のことも話した。

「あの方にしてもな」

「天下人となられるのに」

「あの方にも何かありますか」

「簒奪者であるな」

 例え天下を手に入れたとしてもというのだ。

「このことは大きい、いざとなればそれが出てじゃ」

「人がつかぬ」

「そうなのですか」

「そして一門衆が少なく」

 僧侶はさらに話した。

「特にご子息がおられぬ」

「それが羽柴殿の弱みですか」

「今後そうしたことが響きますか」

「羽柴殿がご健在なうちはいいが」

 それでもというのだった。

「その後はわからぬ」

「ですか、では」

「老師は羽柴家にはお仕えせずに」

「徳川家ですか」

「そちらにお仕えしますか」

「そうするつもりじゃ、ではこれから駿府に向かう」

 こう言ってだ、僧侶達は小田原を後にして駿府に向かった。天下の流れを見つつ。その僧侶を見てだ、服部は家康に言った。

「殿、武蔵の僧侶天海殿がです」

「あの学識と法力で知られているか」

「あの方がこちらに向かわれています」

「駿府にか」

「はい、そうです」

 こう家康に答えたのだった。

「向かわれています」

「また何用であろうな」

「おそらくは殿に、です」

「わしに会いに来るか」

「そしてです」

 服部は家康にさらに話した。

「おそらく殿にです」

「仕えたいとか」

「思われているかと」

「天海殿といえば関東随一の高僧」

 家康は服部の言葉を受けてこう言った。

「その御仁が当家に入ってくれるならな」

「有り難いことですな」

「うむ、それならばよい」

「喜ばしいことと」

「では待とう」

 その天海が駿府に来るのをというのだ。

「天海殿が来られるのをな」

「さすれば」

「当家はまとまっていて武に優れた者が多いが」

 ここでだ、家康は徳川家自体のことも話した。

「しかしな」

「政は、ですか」

「領地は治められてもな」

「天下を見ることはですな」

「それが出来る者が少ない」

「今は弥八郎殿がおられますが」

「あ奴だけじゃからな」

 困った顔での言葉だった。

「だからな」

「天海殿が来られれば」

「有り難い」

「では召し抱えられれば」

「是非な」

 天海、彼をというのだ。

「そしてその言葉を聞きたい」

「さすれば」

「弥八郎だけでは足りぬ」

 天下を見てそのうえで政が出来る者がというのだ。

「徳川も大きくなった」

「今では」

「三河一国から三国を手に入れてな」

「さらに甲斐、信濃ともなれば」

「天下を見据えてじゃ」

「そうして政を考えねばならぬのですな」

「だからそうした者も欲しい」

 こう服部に言うのだった。

「それ故じゃ」

「天海殿は欲しいですか」

「当家にな、それに他にもな」

「天下の政を見られる方がですな」

「欲しいな」

 家康は服部に話した。

「是非」

「そうですか」

「うむ、しかしな」

「しかしとは」

「まだ欲しい」

 家康は欲も見せて語った。

「人がな」

「天下を的確に見られる方がです」

「そして謀も出来る」

 家康はこうも加えた。

「当家では謀は弱いからな」

「そちらが出来る方もですか」

「どうしても必要じゃ」

「それで弥八郎殿の他にも」

「欲しい、天下を見られて政が出来てな」

 尚且つ謀にも秀でた者がというのだ。

「是非な」

「その二つを併せ持っているとなりますと」

「どうしても少ないな」

「天下広しといえど」

「しかし欲しい、もう少しな」

 家康はこう言いつつだ、天海が来るのを待っていた。天下を見据えて動く必要を感じているからこそのことだった。



巻ノ二十五   完



                        2015・9・25

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