巻ノ二十四 鎌倉
幸村主従は鎌倉に着いた、その時にまず山を越えたが。
十人の家臣達は鎌倉の町に来たところでだ、こう幸村に言った。
「いや、結構よい山でしたな」
「険しく」
「あの山なら守れます」
「守りに適しています」
「しかも一方は海」
三方は山でだ。
「これはよい場所ですな」
「これ以上はないまでに守りやすい場所です」
「そのまま町を壁で囲んでいる様な」
「そうした町ですな」
「頼朝公もよい場所に座られましたな」
「全くじゃ、ここは天然の要害じゃ」
幸村もこう言った。
「都は四方を壁で囲んでおったが」
「鎌倉はその必要もない」
「そのまま、ですな」
「壁に囲まれている様なもの」
「だからここを拠点とすれば」
「それだけでかなりのものですな」
「その通りじゃ、しかしじゃ」
ここで幸村は言った、鎌倉のそれなりに賑やかな町中を歩いて見回りつつ。店も多めで人の行き交っている。
「公方様もな」
「最早ですな」
「かつてはここに東国を治める方がおられましたが」
「今はおられませぬな」
「幕府がなくなったので」
「鎌倉幕府が滅んでもな」
それでもだったのだ。
「ここに東国を治める公方様がおられた」
「室町幕府から送られた」
「その方がですな」
「おられましたな」
「守りに適した町であるが故に」
「しかし今はおられぬ、東国も主がおられぬ」
今の天下と同じくというのだ。
「羽柴殿が天下人になられてもな」
「東国にはですか」
「手を及ぼされていない」
「左様なのですな」
「そうじゃ、西国と東国は違う」
同じ日本であってもというのだ。
「それで羽柴殿が天下人になられてもな」
「それは西国のことで」
「東国は、ですな」
「また別のこと」
「だからですな」
「東国はですな」
「主がおられぬ状況ですな」
家臣達も幸村に言うのだった。
「まだ」
「関東管領は上杉殿ですが」
「それでもですな」
「まだ主はおられぬ」
「そうした状況ですか」
「果たしてどうなるか」
幸村は考える顔で述べた。
「わからぬ」
「東国は」
「まだ、ですか」
「どうなるかわかりませぬか」
「どうしても」
「まだな、ただ」
ここでこうも話した幸村だった。
「東国で一番強いのはな」
「はい、北条殿ですな」
「やはりあの方ですな」
「小田原におられる」
「あの方ですな」
「そう思う、やはりな」
何といってもというのだ。
「あの方じゃ、しかし」
「しかし、ですか」
「その北条殿でもですか」
「関東は治められてもな」
それでもというのだ。
「関東はな」
「みちのくは、ですか」
「それでもですか」
「あちらを治められるかはですか」
「わからないですか」
「近頃奥羽では伊達家が大きくなろうとしている」
この家のこともだ、幸村は話に出した。
「若き主になられてな」
「伊達政宗殿ですか」
「何でも隻眼だとか」
「名付けて奥羽の独眼龍」
「そう言われていますな」
「時として苛烈にもなられる方と聞く」
その政宗のこともだ、幸村は話した。
「奥羽はあの方が治められるやもな」
「奥羽の大名家を倒していき」
「そのうえで」
「その伊達家に勝てるか」
北条家がというのだ。
「果たして」
「家の力は北条家の方が上じゃ」
幸村はまずは北条家のことから話した。
「関東の覇者であるだけにな」
「五万、六万の兵を動かせますし」
「やはり北条家は強いですな」
「織田家も攻めようとしていましたが」
それで上野に重臣の一人である滝川一益を関東管領に任じて必要とあらば、としていたのだ。だが本能寺の変でそれもなくなり滝川も北条家との戦に敗れ彼の本来の領地である伊勢にこの前戻ってきたところだ。
「北条は強い」
「滝川殿も敗れましたし」
「甲斐、信濃にも食指を伸ばしております」
「やはり相当な強さがありますな」
「しかし聞くところによると伊達家の主となった政宗殿は」
幸村は今度は伊達家のことを話した。
「相当な方で家臣もおられる」
「片倉小十郎殿に伊達成実殿」
「そのお二人ですな」
「他にもおられる」
政宗の臣はというのだ。
「あくまで聞いたところじゃがな」
「北条家の方が力は強く」
「人は伊達家ですか」
「では両家がぶつかれば」
「その時は」
「少なくとも北条家が東国を統一出来るかはな」
そのことはというのだ。
「関東はともかくとしてな」
「奥羽も入れるとですか」
「わからない」
「それは難しいやも、ですか」
「関東だけを考えておられる様じゃがな」
幸村は北条氏政のその考えも読んでいた、そのうえでの言葉だ。
「それは出来るであろう、しかしあと十年はかかるか」
「北条殿が関東を一つにされるにしても」
「それだけかかりますか」
「十年」
「長いですな」
「その十年の間に間違いなく羽柴殿は西国を全て手に入れられる」
幸村はこのことは言い切った。
「箱根から西をな」
「その全てをですか」
「一つにされますか」
「そしてそのうえで、ですな」
「次は」
「そうじゃ、西国の後は東国じゃ」
そちらにだ、秀吉は目を向けるというのだ。
「そしてな」
「東国でもですな」
「羽柴殿が一統に向かわれ」
「北条殿もですか」
「そうなるであろう、そして如何に北条家が強くとも」
関東の覇者であろうとも、というのだ。
「西国全ての力を相手にするとなるとな」
「勝てませぬな」
「流石に」
「箱根も越えられますし」
「箱根は確かに険しかったですが」
家臣達も言う、実際に箱根を越えてきたが故に。
「しかしです」
「兵で越えられるだけです」
「時はかかろうとも」
「あそこに関や砦を築こうとも」
「幾ら険しかろうが大軍は通られる」
幸村はここでも言い切った。
「あれだけの要害でもな」
「逆に言えば越えられる場所ですな、箱根は」
「険しいことは険しいですが」
「軍勢が越えられる場所」
「それが出来ますな」
「川もあったが」
幸村は今度は川のことを話した。
「大井川がな」
「我等の時は雨が降っておらず」
「やすやすと越えられましたな」
「何でも雨が降ると水かさが凄いそうですが」
「それでも晴れている時は渡れる」
自分達が渡った時の様にというのだ。
「軍勢もな、空はいつも雨が降る訳ではない」
「ですな、では」
「箱根八里も大井川も越えられる」
「そして東国にも入られる」
「甲斐からも入られますし」
「そして上杉殿はどうやら羽柴家と手を結ばれるそうだが」
真田家もまた手を結ぼうとしているその上杉家だ、幸村は越後のこの家のことについても家臣達に話したのだ。
「上杉殿も上野から入られる」
「では」
「羽柴殿は東国を攻められる際は、ですか」
「三つの道を通りそのうえで」
「一気に攻められますか」
「間違いなくな」
そうしてくるとだ、幸村はその目を強く光らせて言うのだった。
「それではな」
「如何に北条殿といえど」
「瞬く間にですか」
「攻められていきますか」
「そうなる、そして」
幸村はさらに言った。
「小田原城じゃが」
「我等が次に行く、ですな」
「その城にもですか」
「迫られるであろう」
そのすぐ傍にというのだ。
「そして囲まれる」
「それからは」
「どうなりますか」
「いつも言っておるが陥ちぬ城はない」
ここでもだ、幸村は己の持論を述べた。
「決してな」
「ではあの城も、ですか」
「小田原城も」
「攻め落とせることが出来る」
「そうなのですね」
「そうじゃ、しかし羽柴殿がどうして攻めるかはじゃ」
それはというと。
「わからぬ」
「ですか」
「そのことはですか」
「まずは小田原に行こうぞ」
そこにというのだ。
「そしてあの城をな」
「実際にですな」
「観る」
「そうしますか」
「そうしようぞ」
実際にとだ、こう話してだった。
一行は鎌倉の町を見て回った、そして店に入ると店の親父にこう言われた。
「鎌倉海老でいいのが入ってますよ」
「鎌倉海老?」
「何じゃそれは」
「大きな海老でして」
こう答えた親父だった。
「これがまた美味いのです、それを刺身でどうでしょうか」
「ふむ、ではな」
幸村は親父の言葉を受けてすぐに返事を返した。
「それを貰おう」
「それでは」
こうしてだった、一同はその鎌倉海老を食することとなった。そうしてその鎌倉海老の刺身が入った皿が運ばれてきたが。
その海老を見てだ、皆こう言った。
「伊勢海老じゃな」
「うむ、伊勢の海老じゃ」
「あの海老ではないか」
「伊勢でも見たが」
「それをか」
「こちらでは鎌倉海老と呼ぶのか」
「おや、伊勢にも行かれたのですか」
親父もこう一行に返した。
「それは何よりです」
「それで親父」
幸村がその親父に顔を向けて言う。
「これはな」
「はい、こちらではその海老をこう呼びます」
「鎌倉海老とか」
「左様です」
「成程な、漁れる場所が違えばな」
「名前もですな」
「そういうことだな」
幸村は親父の言葉を聞いて納得して頷いた。
「わかった」
「それは何よりです、ただ」
「ただ、じゃあな」
「この海老は負けておりませんぞ」
「伊勢海老にじゃな」
「どうぞお召し上がり下さい、それにです」
親父は笑ってあるものも出した、それはというと。
「こちらも」
「鮑か」
「そして鯛もありますが」
「何と、鯛もか」
「この鎌倉は海に面していますので」
「海の幸がよいのじゃな」
「はい、如何でしょうか」
こう言ってだ、幸村に勧めるのだった。
「鮑や鯛も」
「殿、今は銭もあります」
「それも充分にです」
「ですから」
「ここは鮑と鯛も如何でしょうか」
「そうじゃな、今日はな」
幸村も家臣達の言葉に頷いた、そのうえで言った。
「美味いものを食するとするか」
「ですな、では」
「鮑も鯛もです」
「食しましょうぞ」
「酒も交えて」
「ではな、しかし考えてみれば」
鮑も鯛も食べることを決めてからだ、幸村はこうも言った。
「我等常に美味きものを食しておるな」
「この道中ですな」
「特に上方に上がってから」
「今までですな」
「うむ、しかしそれも学問のうちか」
こうも思って言った幸村だった。
「各地の名物を食するのもな」
「それもまたその国を知ること」
「そういうことになるでyそうか」
「ならばよいかと」
「それで」
「そうじゃな。しかしどうも御主達」
十人全員を見てだ、幸村は少しだけ苦笑いになって言った。
「食することが好きじゃな」
「否定は出来ませぬ」
「実際食うことは好きです」
「美味いものを多く」
「そして酒も」
「そうじゃな、皆食うし飲む」
どちらも、と言った幸村だった。
「相当にな。しかしそれは拙者も同じこと」
他ならぬ幸村自身もというのだ。
「ならばな」
「我等と共にですな」
「この鎌倉でも食いましょう」
「海老も鮑も鯛も」
「そして酒も」
「そうしようぞ」
幸村は家臣達の言葉に笑って頷いた、そしてだった。
その鮑も鯛も刺身で運ばれて来た、どれも見事に切り揃えられている。それ等を刺身醤油で食べるとだった。
「ううむ、これは」
「見事」
「新鮮でしかも程よい大きさで斬られておる」
「醤油も刺身もいい」
「これは美味」
「全くじゃ」
幸村も微笑んで言う。
「これは実によいものじゃ」
「どれもですな」
一行の傍に立っている親父も微笑んで応えた。
「見事だと」
「御主が切ったか」
「いえいえ、倅です」
親父は幸村に微笑みのまま答えた。
「この刺身を切ったのは」
「倅殿がか」
「はい、切りました」
「そうか、よい倅殿を持ったな」
「包丁を持たせたらもうそれがし以上で」
「これ程までのものを作るのじゃな」
「左様です」
まさにというのだ。
「自慢の倅です」
「そうじゃな、これ程までのものとは」
「そしてです」
「そしてか」
「その海老と鯛の頭ですが」
刺身の皿にあるその二つもというのだ。
「これからどうでしょうか」
「頭をか」
「それを味噌に入れてだしにします」
「ふむ、味噌汁もあるか」
「それもどうでしょうか」
こう幸村達に勧めるのだった。
「どちらも」
「ではな」
「はい、召し上がられますな」
「そちらもな」
幸村はこう親父に答えた、そして実際にだった。
そのうえでだ、刺身の後はだった。
一同にその海老と鯛の頭を入れてそれ等からだしを取った味噌汁が来た。その味噌汁もまた、であった。
「いや、これも」
「この味噌汁も」
「かなりですな」
「美味いですな」
皆で言うのだった。
「こちらも」
「これ程とは」
「いや、、どれもです」
「実に美味いですな」
「刺身に味噌汁」
「どれも」
「新鮮な魚はよいな」
幸村もしみじみとして言った。
「わさび醤油に漬けて食うと最高じゃ」
「ですな、あくまで新鮮な場合ですが」
「その場合に限りますが」
「しかしです」
「確かに刺身は美味いです」
「最高の食い方の一つですな」
「全くじゃ」
幸村は家臣達にも確かな声で答えた。
「上田では食えぬがな」
「ですな、川魚はあろうとも」
「川魚はタチの悪い虫がおりますので」
「虫を腹の中に入れてはなりませぬ」
「だからですな」
「御主達にも言う、生の川魚は食ってはならん」
断じてという口調での言葉だった。
「拙者も食わぬ」
「鯉も鮒もですな」
「鮭等も」
「そうじゃ、無論蟹もじゃ」
この場合は沢蟹だ、そうしたものもというのだ。
「田螺にしてもな」
「とかく川のものは生では食うな」
「よく火を通してですな」
「そのうえで食え」
「そういうことですな」
「拙者は生水も控えておるが」
常に一旦沸かした水を飲んでいるのだ、若しくはその沸かした水が冷えたものを飲んでいるのである。
「それはな」
「身体を考えてのこと」
「それで、ですな」
「我等にも言っていますが」
「戦場で存分に戦えるにはまず身体あってこと」
「外も中も満足で、ですな」
「そうじゃ、五体満足でな」
そしてというのだ。
「中もよいからこそじゃ」
「だからですな」
「川や田にあるものは生では食わず」
「そして水もですな」
「生では口にせぬことですか」
「熱を通すとよい」
それならというのだ。
「中の虫や毒を殺すからな」
「だからこそですな」
「そうしたものは火を通してですな」
「それから口にする」
「それがよいのですな」
「そうじゃ、常に存分に戦う為にな」
まさにその為にというのだ。
「己の身体のことは常に考えていることじゃ」
「とかくおかしなものは食わぬこと」
「それが大事ですな」
「まずは、ですな」
「そこからですな」
「そういうことじゃ、しかしこうした時はよい」
新鮮なものはというのだ、それも海のものならばだ。
「存分に食おうぞ」
「味噌汁もまた」
「これもですな」
「そうじゃ、食うぞ」
こう家臣達に答えてだ、そしてだった。
幸村は家臣達と共にその味噌汁、海老や鯛の頭のその味も楽しんだ。無論酒もだ。その馳走の後で鎌倉の寺等を巡ってだった。
幕府の執権だった北条氏の屋敷があった場所まで来た、もうそこにはその屋敷はない。だがその場所に来てだった。
伊佐はしみじみとしてだ、こんなことを言った。
「栄えるものは」
「必ずな」
その伊佐に望月が応えた。
「衰えてな」
「そして消えます」
「平家物語か」
筧も嘆息する様にして言った。
「あれは平家と義経公で終わったが」
「結局頼朝公の血筋も消えて」
海野も今はしみじみとしている。
「そしてその後の北条氏もじゃ」
「幕府を動かす様になったが」
望月も言う、北条氏が将軍を神輿にして幕府を取り仕切る様になったことも含めて。
「しかしな」
「北条氏は滅び幕府もなくなった」
清海も今はしみじみとしている声だった、顔もまた。
「その屋敷もな」
「まさに春の夜の夢」
こう言ったのは穴山である。
「鎌倉幕府の栄華は消え果てた」
「この通りな」
猿飛はかつての屋敷を見ようとしたがどうしてもその目に見られなかった。
「何もなくなったわ」
「新田義貞公に攻め落とされてな」
鎌倉をとだ、由利が言うのは太平記の話だった。
「そしてな」
「もう何もない」
霧隠はそこに無常を見ていた。
「この通りな」
「人の世は常に移り変わり栄枯盛衰がある」
最後に行ったのは幸村だった。
「まさに諸行無常、盛者必衰じゃな」
「ですな、まさに」
「安土もそうでしたが」
「あらゆるものがです」
「人も町も他のものも」
「やがて全ては消えますな」
「この様にな」
また言った幸村だった。
「消えるのじゃ」
「今栄えていても」
「後には衰える」
「そして消えていく」
「それがこの世の摂理ですな」
「そういうことじゃ、人の世はじゃ」
まさにというのだ
「全てがやがては消えるものだ」
「我等も何時かは、ですな」
「この世を去る」
「そうなっていきますな」
「その通りじゃ」
まさにとだ、幸村は家臣達に答えた。彼もまたその屋敷があった場所を見つつ。
「北条氏、そして鎌倉幕府もそうでな」
「他のものもですな」
「全ては」
「あの大坂城もな」
築かれようとしていた巨大な城もというのだ。
「あの城もじゃ」
「やはりですな」
「栄枯盛衰の中にある」
「そして羽柴家もですか」
「あの家もまた」
「長く栄えることは出来る」
これはあるというのだ。
「努力や運、天命次第でな」
「しかしですか」
「それでも全ては何時かは必ず衰える」
「それがこの世なのですな」
「死にそして生まれ変わる」
こうも言った幸村だった。
「全ては輪廻の中にあるのじゃ」
「それから逃れようと思えば」
「やはり解脱するしかないですか」
「栄枯盛衰から逃れるには」
「それしかありませぬか」
「そうであろうな、しかしこの世におるならば」
人の世、そこにというのだ。
「やはりな」
「栄枯盛衰はですか」
「避けられぬ」
「栄えそして衰え」
「最後は消えますか」
「そういうことじゃ、だから鎌倉幕府も滅んだ」
最後はというのだ。
「そして今はな」
「この様にですな」
「何も残っておらぬ」
「そうなりましたか」
「そうじゃ、室町幕府も滅んだしじゃ」
それにとだ、幸村はその言葉をさらに続けた。
「前右府殿もな」
「滅んだ」
「それも栄枯盛衰ですか」
「あの方についても」
「あの方は人間五十年といつも言われていたという」
このことは天下に知られている、信長は平家物語に出て来る平敦盛のことを常に意識していて彼の舞を舞っていたのだ。
「あの方もわかっておられたのであろう」
「栄枯盛衰」
「人はそれから逃れられないことを」
「そのことをですか」
「そうであろうな」
こう言うのだった、家臣達に。
「平家物語はまさにそれを書いたものであるが」
「だからこそ人間五十年」
「驕れる人も久しからず」
「それが人の世ですか」
「そう思うと無常じゃ」
幸村の言葉は実際に今は悲しさも入っていた、そうした言葉だった。
「この世はな」
「ですな」
「それ故に鎌倉幕府もなくなり」
「そしてですか」
「その他のものも」
「消えるのじゃ、ではな」
幸村は家臣達とここまで話してだ、さらに言った。
「次に行く場所は小田原じゃ」
「その小田原城ですな」
「天下で最も大きな城と言われる」
「あの巨城にですか」
「行きまするか」
「そうしよう、これよりな」
こう言ってだ、幸村は北条家の屋敷があった場所の前から踵を返し再び歩きはじめた。十人の家臣達もそれに続いて皆で小田原に向かった。
その幸村についてだ、小田原においてだ。
清海や伊佐に匹敵するまでに大柄な男がだ、ある屋敷の一室で茶を飲みながらだった。何者かと話をしていた。
「ふむ、そうか」
「はい、真田家のご次男殿はです」
「箱根八里を越えられてです」
「伊豆に入られ」
「今は鎌倉です」
「あの街に入られてです」
「見物をしておられます」
「あの街を」
声達は大柄な男に次々と述べてきていた、何処からか。
「特におかしな様子はありませぬ」
「漁村で海を荒らしている鮫達と退治していましたが」
「それでもです」
「特にです」
「おかしなことはしておりませぬ」
「人助けはしておりますが」
「そうか、ならよい」
男はここまで聞いてく言った。
「悪事をしておらぬのならな」
「ですか、では」
「動きは常に見ていても」
「今は、ですか」
「こちらは何もですか」
「手出ししませぬか」
「殿もよいと言っておられる」
彼もというのだ。
「だからな」
「はい、ではです」
「我等はあの方々には何もしませぬ」
「ただ見ているだけで」
「それに徹します」
「そうせよ、わしも動かぬ」
男もというのだ。
「ここでな、ただ」
「ただ?」
「ただといいますと」
「おそらくこの小田原にも来るな」
男は腕を組んでこの読みも言った。
「その時に会いたい」
「真田幸村殿と」
「そうされますか」
「十人の家臣がいるというが」
その彼等のことも話すのだった。
「その者達も見たい」
「だからですか」
「十人ともですか」
「会いたい」
「左様ですか」
「そうも思う」
こうも言うのだった。
「あくまで小田原に来た時じゃがな」
「二十もの鮫達を海の中で倒したといいますと」
「相当な猛者達なのは間違いないですな」
「そして真田家のご次男殿ですが」
「あの御仁は特に」
「智勇と文武を備えたな」
男も言う。
「まだ元服して間もないがだ」
「相当な方ですな」
「間違いなく」
「そうじゃな、だからこそじゃ」
幸村が傑物であるが故にというのだ。
「わしはあの方を見たい」
「では」
「あの御仁が小田原に来られた時に」
「その時にですな」
「こちらから来てもいいが」
それでもというのだった。
「あちらから来るのならな」
「では、ですな」
「あの御仁達がこの小田原に来た時に」
「その時にですな」
「お会いしようぞ、しかし」
会うには会ってもというのだ。
「この姿のままでは話さぬ」
「ですな、素性を明かすことはです」
「これも忍の務め」
「だからですな」
「ここは」
「うむ、化ける」
その姿はというのだ。
「そうする」
「そうされますか」
「ではその様にされて」
「そして、ですな」
「あの御仁達を見ますか」
「その時が楽しみでもある」
是非にとだ、こう言ってだった。
男は周囲にだ、こうしたことも言った。
「そしてじゃが」
「はい、あの御仁の家もですな」
「真田家も調べますか」
「徳川、上杉だけでなく」
「あの家も」
「うむ、殿が言っておられる」
彼等が仕えているその者がというのだ。
「真田家もとな」
「ではあの家も」
「調べますか」
「そちらにも行ってもらう、だが」
それでもとだ、男はふとだった。
その顔を曇らせてだ、姿を見せていない周りの者達に話した。
「殿は伊達家にも御主達を行かせたいそうじゃが」
「伊達家ですか」
「あの家にもですか」
「我等を送る」
「流石は殿ですな」
「わしは羽柴家もと申し上げたが」
こうも言ったのだった。
「だが」
「それでもですか」
「羽柴家についてはですか」
「人をやらぬと」
「我等を」
「そう仰っている」
こう周りに言うのだった。
「だから御主達は上方には行かぬ」
「あちらにはですか」
「行くことはありませんか」
「我等は」
「西国のそちらまでは」
「殿は天下を望んではおらぬ」
そうだというのだ。
「この関東を手中に収められることは考えておられてもな」
「西国のことは、ですか」
「目を向けておられませぬか」
「上方には一切じゃ」
それこそという口調だった、まさに。
「興味がおりではなくな」
「だからですか」
「羽柴家にもですか」
「人をやらない」
「左様ですか」
「そうじゃ、それがな」
どうにもとも言うのだった。
「わしには気になる」
「何でも羽柴殿は前右府殿の様にですな」
「なると言われていますな」
「天下人に」
「そうとも」
「そうなるであろう、そして天下はな」
それはとも言うのだった。
「西国だけではない」
「東国も、ですな」
「この関東も天下」
「では前右府殿の様にですか」
「東国に兵を送ってきますか」
「そうしてくるやもな」
これが男の読みだった。
「今はまだとてもじゃがな」
「上方は落ち着いていませぬな」
「前右府殿が倒れられ明智殿が討たれ」
「羽柴殿に傾いていても」
「まだ柴田殿がおられますし」
「そうじゃ」
だからこそとだとだ、男は周りに述べた。そうしたことも全て頭の中に入れていることが言葉だけでなく顔にも出ている。
「上方が落ち着くのに暫くかかりじゃ」
「この関東に来るのは」
「それからですな」
「そうじゃ、先じゃが」
しかしというのだった。
「必ず来るであろう」
「だからですな」
「西国、羽柴殿のことも」
「我等が行ってそのうえで」
「見るべきですか」
「そう思う、我等のうち誰も上方には行っておらぬ」
それこそ一人もというのだ。
「だからな」
「殿にですか」
「申し上げらましたか」
「風魔の棟梁として」
「そうした、この風魔は北条家にお仕えしておる」
男はこのことも言った。
「それもな」
「はい、それも代々」
「代々お仕えしています」
「早雲様の頃より」
「この風魔小太郎も何代かになる」
男は自身の名も名乗った。
「わしは父上の跡を継いだばかりじゃがな」
「しかし棟梁もまた、です」
「生まれられた時から北条家にお仕えしています」
「その頃から」
「そう言われるとな」
小太郎も否定せずに返す。
「そうなるな」
「そしてその立場からですな」
「殿に言われましたか」
「西国も、と」
「そうじゃ、今のうちに我等が行ってな」
彼等風魔衆がというのだ。
「見ておいてはと。しかし殿がそう仰るのなら」
「我等は殿に従うのみ」
「それだけですな」
「そうじゃ、しかも徳川、上杉、伊達に関東の諸大名に加えじゃ」
さらにというのだ。
「真田家にもな」
「我等が向かい」
「そして、ですな」
「調べそのうえで」
「殿に」
「お話しようぞ、真田家は小さいが」
しかし、というのだ。
「真田幸村、そして十人の豪傑が入った」
「それだけにですな」
「侮れる状況ではなくなっている」
「主の真田昌幸殿、後継の信之殿も傑物ですし」
「人がいるからこそ」
「用心をして、ですな」
「そういうことじゃ、小さい家でも侮れぬ」
人がいるからだというのだ。
「それ故にな」
「では」
影の者達は風魔小太郎の言葉に頷いてだった、皆気配を消した。そして風魔も何処かへと姿を消して、だった。
小田原城の主の間にだ、高い鼻と切れ長の目、それに口髭を生やした白い服の男がいたがだ。その男に何処からか言って来た。
「殿」
「小太郎か」
「はい、真田家のことですが」
「人を送ったか」
「先程」
風魔は何処からか彼が仕えている北条氏政に答えた。
「そうしました」
「それは何よりじゃ」
「まだ忍はいますが」
「ならば伊達に送れ」
「伊達家にですか」
「うむ、あの家のことも気になる」
氏政はこう彼に言った。
「だからな」
「前にも申し上げましたが」
「羽柴家か」
「あの家には送りませぬか」
「いいであろう」
氏政は何でもないといった声で答えた。
「別にな」
「左様ですか」
「羽柴家は上方、しかもこれからどうなるかわからぬ」
「既に前右府殿の跡を継ぐ勢いとのことですが」
「それが出来るかどうかもじゃ」
やはり何でもないといった調子で言う幸村だった。
「わからぬからな」
「だからですか」
「そうじゃ、御主達を上方に送るつもりはない」
「その余裕があればですか」
「東国に送る」
風魔の者をというのだ。
「そうする」
「ですか、では」
「うむ、伊達家じゃ」
「既に徳川、上杉、佐竹等には送っていますし」
「特に徳川家にな」
「徳川家ですが」
風魔はここでは徳川家のことを言った。
「強いです」
「侍だけでなく、じゃな」
「忍もまた」
「伊賀者と甲賀者か」
「特に伊賀者がです」
「棟梁の服部半蔵だけでないな」
「その下にいる十二人の上忍達です」
その彼等が、というのだ。
「あの者達はまさに一騎当千です」
「十二神将か」
「左様です、あの者達がいますので」
「そう簡単にはじゃな」
「我等も勝てませぬ」
「そうであろうな、風魔は確かに強い」
自身の忍だけにだ、氏政もこのことはわかっている。
そしてだからこそだ、こう風魔に言った。
「しかしな」
「伊賀もまた」
「互角といったところか」
「はい、相手に十二神将がいますが」
「それでもじゃな」
「力は互角です」
それ位だというのだ。
「そしてだからこそです」
「互いに打ち合えばな」
「我等も只では済みませぬ」
「そうじゃな、それは忍だけでなくじゃ」
さらにとだ、ここでこう言った氏政だった。
「北条家自体がじゃ」
「徳川家と正面からぶつかれば」
「只では済まぬ」
「兵はこちらの方が多いですが」
「我等は六万、徳川は今は二万か」
「はい」
徳川はそれだけの兵を出せるとだ、風魔も答えた。
「甲斐、信濃の兵も入れて」
「兵は三倍、しかしな」
「徳川には人がおります」
「家康殿だけではない」
天下にその武辺を知られている、派手さはないがその采配は見事なもので知られ敗れても武田信玄と果敢に戦った勇も知られている。
「四天王にな」
「四天王を含めた十六神将」
「武辺者が揃っていて家康殿に絶対の忠を誓っています」
「ただ強いだけでなくまとまっている家じゃ」
「それだけに、ですな」
「あの家とは正面からぶつからぬ」
北条の力の全てを使って、というのだ。
「そうして例え勝ってもな」
「我等の傷は深いものになりますな」
「そこを上杉だの佐竹だのに衝かれる」
「はい、上杉も三万の兵がいて二十五将のうちまだ残っている方と」
「景勝殿も強い」
謙信の跡を継いだ彼もというのだ。
「しかもさらにな」
「新しく上杉の執権となられた」
「直江兼続殿か」
「はい、どうやらです」
「あの御仁は天下の臣というが」
「幸村殿にもです」
その彼と比べてもというのだ。
「負けてはおらぬ」
「そこまでの御仁じゃな」
「ですから」
それ故にというのだ。
「上杉に隙を見せてはなりませぬ」
「そしてあの家と正面からぶつかることもな」
「避けるべきかと」
「では、じゃ」
ここまで聞いてだ、氏政は断を下した。その断はというと。
「甲斐、信濃はな」
「徳川殿に」
「渡すとしようか」
「そうされますか」
「やはり我等は東国じゃ」
甲斐、信濃は西国になる、氏政はこのことからも言ったのである。
「東国、それも関東をな」
「完全にですな」
「手中に収める。だからな」
「甲斐、信濃はですか」
「手を引いて徳川殿にお渡ししよう」
「そうされますか」
「そうじゃ、しかしすぐにはそうせぬ」
二国を家康に渡す、それはというのだ。
「こちらも強さ、意地を見せてな」
「そしてですな」
「そのうえで渡す」
甲斐、そして信濃をというのだ。
「そして後は徳川殿と盟を結ぶか」
「徳川殿はお強いので」
「そうじゃ、それでお互いに攻めぬことを約してじゃ」
そして、というのだ。
「手打ちとしよう、どう思うか」
「よいかと」
風魔は氏政に一言で答えた。
「それで」
「そうじゃな、では甲斐及び信濃に攻めるのは止めてな」
「徳川家とは盟を結ぶ」
「そして上杉家ともな」
「あの家ともですか」
「出来る限りじゃが」
徳川家に対するのとはかなり違ってだ、こちらは絶対という訳ではなかった。氏政はそれを言葉にも出していた。
「手を結びたいな」
「あの方は北陸で、ですか」
「そうしたい、しかし」
「上杉家とは、です」
風魔も言う、暗い声で。
「今の上杉家は謙信公からで本来は長尾家ですが」
「それでも上杉家とは早雲様の頃からの因縁がある」
「長年に渡って数多く争ってきました」
「そうじゃ、だからな」
「しかも謙信公は」
「父上とどれだけ戦ったかわからぬ」
関東管領だった上杉家の要請を受けてだ、謙信は頻繁に関東に攻め入り北条家と争ってきたのだ。氏政のその数多くの戦に出ている。
「そしてあの家に養子に入れたな」
「弟君も」
「御館の時に腹を切っておる」
「因縁が深いですな」
「だから家中において上杉家と手を結ぶにしてもな」
「それでもですな」
「反発をする者が多い」
そうした現実があるというのだ。
「だからな」
「上杉家と手を結ぶことは」
「難しいやもな」
「そうなりますな」
「しかし徳川家とはな」
またこの家のことを話すのだった。
「手打ちとしよう」
「では重臣の方々とも」
「話をする」
こう言うのだった。
「あの家とは容易に手を結べるしな」
「ですな、今川殿とのこともありますが」
北条家は元々今川家の家臣だった、それから世に出たのだ。だから昔から今川家とは懇意だったのだ。
しかし家康はその今川家に背いた家なのだ、北条から見ればだ。しかしそれでもなのだ。
「ですが」
「うむ、それでもな」
「氏真様にもよくして下さっていますし」
「家康殿自身はな」
「はい、氏真様とも幼い頃から親しく」
「氏真殿が国を出ても快く迎えた」
「だからな」
それで、というのだ。
「よいのじゃ」
「ですな、徳川家とも」
「これでよい」
また言った氏政だった。
「手打ちでな」
「さすれば」
「さて、しかし真田家の次男か」
ここで氏政は手を結んで言った。
「相当な御仁か」
「はい、まさに天下の傑物とのことです」
「その評判が出ておるか」
「それがしの聞いたところです」
評判ではなく、だ。それによるものだというのだ。
「相当な御仁です」
「そうか、では真田ともな」
「戦はしませぬか」
「あの家も信濃、西国にあるからな」
また東西で分けてだ、氏政は述べた。
「特によい」
「左様ですか」
「むしろ徳川家と真田家に争ってもらえば」
「それでよいと」
「徳川家とは手打ちをし真田家とも揉めぬが」
「しかし両家が争うことは」
「別によい」
このことについてはだ、氏政は何でもないと言って述べた。
「手を結んでも徳川家にそこまで力は貸さぬ」
「むしろ真田家と争って力が弱まれば」
「そして真田家も弱まればな」
「それでよいですな」
「うむ、それでよい」
「そういうことですな」
「そういうことじゃ、では暫くしたら信濃と甲斐から兵を引く」
徳川家と手を結んでというのだ、そう話してからだった。
氏政はあらためてだ、風魔に言った。
「御主は暫くは小田原におるが」
「それでなのですが」
「真田家の次男を見たいか」
「実はそうお願いするつもりでした」
「では見て来るのじゃ」
氏政は風魔にすぐに命じた。
「よいな」
「有り難きお言葉、さすれば」
「その様にな」
こう氏政と話してだった、そのうえで。
風魔は己の屋敷に戻った、そうして姿を見せないが気配はそこにある彼等に対して笑みを浮かべて言った。
「幸村殿が小田原に来られればな」
「はい、その時はですな」
「棟梁ご自身が、ですな」
「幸村殿を御覧になられますな」
「そして家臣の方々も」
「殿に許して頂いた」
こう笑みを浮かべて言うのだった。
「さすればな」
「はい、では」
「我等もです」
「幸村殿達をですな」
「見よ」
これが彼等への命だった。
「しかとな」
「では気配を消して」
「そうさせてもらいます」
周りの者達も声で応えた、そうして幸村達が小田原に来るのを待つのだった。
巻ノ二十四 完
2015・9・16