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巻ノ十八

                 巻ノ十八  伊勢

 幸村達は室生寺にも寄った、そこも尼僧が多かったがその尼僧達を見てだった。清海は目を細めさせて言った。

「いや、実にのう」

「御主まさか」

 猿飛がその清海に眉を顰めさせて問うた。

「尼達を見てか」

「いやいや、変な気は起こしておらんぞ」

「顔に出ておるぞ」

 そのにやけた顔を見ての言葉である。

「全く、色好みもいいところじゃな」

「だからそこまでは思っておらぬ」

「ただ見ておるだけか」

「うむ、やはりよいな」

 女はというのだ。

「わしはおのこよりもおなごじゃ」

「まあ見るだけならよいが」

 それだけならとだ、また言った猿飛だった。

「それならな」

「うむ、それでは見ておるからな」

「あまり見過ぎると嫌われるからな」 

「わかっておる。程々にしておくわ」

「まあわしもな」

 猿飛自身もこう言う。

「別におなごは嫌いではないし」

「御主もじゃな」

「尼さん達を見るのも好きじゃ」

「ほれ、わしと同じではないか」

「しかし御主の様にあからさまではない」

 如何にもという目で見てにやけたりはしないというのだ。

「とてもな」

「そう言うか」

「そもそも坊主でどうしてそこまで好色なのじゃ」

「しかし乱暴はせぬぞ」

「それは絶対にじゃな」

「わしの力はあくまで戦の為、悪い奴を懲らしめる為のものでじゃ」

「乱暴の為ではないか」

「女子供や年寄りに振るったことはない」

 それこそ一度もというのだ。

「そんなことはせぬからな」

「まあそれは確かじゃな」

「そうじゃろ、わしは乱暴はせぬわ」

「そこは御主のいいところじゃ」

「自分でもそう思っておる」

「それでじゃが」

 ここでだ、また言った猿飛だった。今度彼が言うことはというと、

「その尼さん達が見ておるのはな」

「わしじゃな」

「いや、御主ではないぞ」

 猿飛は清海の誇らしげな言葉にすぐに笑って返した。

「まずは才蔵じゃ」

「むっ、そういえば」 

 見ればその通りだった、尼達は一行の中でとりわけ整った顔立ちの霧隠を見ていた。それも頬を赤らめさせて。

 そしてだ、その彼の他にもだ。

「甚八もよく見られておるの」

「甚八もこれで苦味ばしったよい男じゃからな」 

 それで尼達も見るというのだ。

「それに小助もな」

「確かに小助も顔がよいな」

 清海は穴山の顔もまじまじと見つつ猿飛に言った。

「何処か格好がよくてな」

「そうじゃ、それでわしじゃが」

「御主はあまり見られておらぬぞ」

 彼についてはだった。

「わしと同じ位であろう」

「何っ、わしはか」

「そうじゃ、見れば御主も結構目がにやけておるぞ」 

 尼達を見てだ。

「それではな」

「御主に言われるとは思わなかったぞ」

「しかしじゃ」

 それでもというのだ。

「御主もじゃ」

「人気はないか」

「一番見られておるのは殿じゃ」 

「そうじゃな。確かにな」

 見れば幸村が最もだった、尼達に見られていた。霧隠もよく見られていたが幸村はそれ以上に見られていた。

 それでだ、清海と猿飛は言うのだった。

「やはり殿は違うのう」

「人を惹きつけるものがある」

「我等だけでなくおなご達の目もな」

「集める」

「そうじゃな」

「拙者の何処がよいのかわからぬが」

 幸村も尼達に見られているのがわかっていた、そしてだった。

 その中でだ、こう言ったのだった。

「人に好かれるのは悪い気はせぬな」

「それだけでかなりよいことです」

 霧隠がその幸村に述べた。

「徳があるということです」

「拙者にか」

「徳が人に最も備わりにくいものなので」

「それがあるとじゃな」

「はい、人は違います」

 それのあるなしだけで、というのだ。

「ですから殿もです」

「徳を備えていることをか」

「覚えておいて下さい」

「そしてこの徳を失ってはいかんな」

 幸村はここでこうも言った。

「何があっても」

「そのこともその通りです」

 霧隠は幸村にこうも言った。

「一度失った徳はおいそれとは戻りません」

「その通りじゃな」

「ですから決してです」

「わかった、ではな」

 幸村は霧隠の言葉に確かな声で頷いた、そのうえで言うのだった。

「これからも行いを慎んでいこうぞ」

「己のみに走らず」

「よき教えを守って生きる」

「そうされるのがよいと思います」

 霧隠も言うのだった、そしてだった。

 一行は室生寺でも歓待を受けそのうえでさらに東に進んでだった。

 大和を出て伊勢に入りだ、遂にだった。

 伊勢神宮の敷地内に来た、その巨大と言っていい社を見てだった。

 穴山は唸ってだ、一同に言った。

「諏訪も大きいがのう」

「諏訪どころではないな」

 由利も驚きを隠せず言う。

「ここは」

「うむ、やはりここは別格じゃな」

「天下一の社じゃな」

「ここに祀られておるのは天照大神」

 根津の言葉だ。

「皇室の祖神であるからのう」

「だからまた別格なのじゃな」

「他の社と」

「うむ、ここはさらにな」

 根津は穴山と由利、信濃にいた二人に述べた。

「また違う」

「そうなのじゃな」

「ここは」

「神聖さもな」

 ただ大きいだけでなく、というのだ。

「ここは違う」

「そういえば空気が違うわ」

 海野は社の中の空気を吸ってから述べた。

「普通の山や社のそれよりもな」

「澄んでおるな」

「うむ、澄んでおるしな」

 それにというのだ。

「他にもよいものがふんだんにあるのう」

「何かここにおるだけで清らかになる」

 こう言ったのは望月だ。

「そうしたものじゃな」

「いや、参ってよかったです」

 伊佐も述べた。

「前もここに来ましたが」

「何度来てもよいと」

「神聖な場所には」

 伊佐は微笑み筧に答えた。

「何度来てもいいものです」

「確かに。それがしも何度も社や寺に参っているが」

「よいものですね」

「それだけで心が清らかになる様な」

「左様です、では」

「中に入っていくか」

「これでまだ入口というのがな」

 一行はまだ入口にいるのだ、だがそれでも社は相当に大きくてだ。幸村は唸る様にして家臣達に述べた。

「違うな」

「ですな、これで入口というのが」

「他の社とは違います」

「ここまで大きく清らかな社はです」

「他にありませぬ」

「そうじゃな、では皆で中に入ろうぞ」

 社のその奥にさらにというのだ。

「そして参るぞ」

「はい、では」

「これより」

「先に進み」

「全て参りましょう」

 社の中の全ての場にというのだ。

 そうした話をしてだ、そのうえだった。

 一行は高い木々が生い茂る神宮の様々な社を一つ一つ参った。どの社も立派だが比較的新しい造りが多い。

 その造りを見てだ、幸村は言った。

「新しいものが多いのはな」

「はい、この社は近頃まで荒れていました」

 筧が幸村に答えた。

「神宮全てが」

「だからだったな」

「前右府殿が銭を出されて普請をされたので」

「新しく建てられてじゃな」

「どの社も。ですから」

「この様になっておるな」

「そうなのです」

 こう話すのだった。

「ここは」

「戦乱のせいで荒れる場は多いな」

「都もこの前までそうでしたし」

「戦が多くしかも長引いてよいことはない」

 ここでもこう言った幸村だった。

「だから泰平が一番じゃ」

「まことにそうですな」

「うむ、それとな」

「それと?」

「長谷寺で尼僧殿に言われたことじゃが」

「社の細かいところまで、ですな」

「見ようぞ」

「そうしております、ただ」

 猿飛は幸村に答えた、実際に社の中の隅から隅までそれこそ木の苔までじっくりと見ている。そのうえでの言葉だ。

「見るものが多く大変ですな」

「確かにな」

「これだけ見るものが多いと」

 大変だというのだ。

「実に」

「うむ、しかしな」

「見ていると、ですか」

「色々と学べる」

 こう言うのだった。

「ここは」

「ううむ、それがしにとっては」

 猿飛は考える顔で述べた。

「面白いものばかりですが」

「学ぶんではなくか」

「はい、そうした場所ですが」

「それがよいのじゃ」

「面白いと思うことが」

「面白いと思うと覚えるな」

「はい」

 その通りだとだ、猿飛は幸村に答えた。

「頭に入ります」

「だからよいのじゃ、面白いと思うことがな」

「学問と同じだけ」

「学問も面白いと思うからじゃ」

 それで、というのだ。

「するのじゃ」

「そういうものですか」

「十蔵を見るのじゃ」

 一行の中でとりわけ学識のある彼をというのだ。

「学問を楽しんでおるな」

「言われてみれば」

「御主は忍術を楽しんでおるな」

「心より」

 その通りだとだ、猿飛も答えた。

「そうしております」

「それと同じじゃ、何でも楽しんですることじゃ」

「学問もまた」

「そうじゃ、面白い楽しいものじゃからな」

「頭に入り身に着くと」

「そういうものなのじゃ」

 こう猿飛に話すのだった。

「世の中のものはな」

「では殿と十蔵は色々な学問をされてますが」

「その全てがな」

「面白いのですな」

「そして楽しい」

「ううむ、拙者学問は嫌いでござるからな」

 猿飛は右手を自分の頭の後ろにやって苦笑いになって述べた。

「楽しいとは」

「御主は忍術や生きもの達と遊ぶ方がじゃな」

「楽しいです」

「やはり御主は生きもの達と遊ぶことがか」

「一番楽しいです」

 実際にというのだ。

「そちらの方が」

「ならそれでよいと思うぞ」

「遊んでいることもですか」

「誰もが学問をして学問を修めねばならぬ訳ではない」

「そうしたものですか」

「何かを極めればそれでよい」

 こう猿飛に言うのだった。

「だからな」

「それがしは忍術や生きものと遊び」

「そちらを極めればよいと思うぞ」

「ではそれがし天下一の忍と木の術の使い手になり」

「そしてじゃな」

「生きもの達と誰よりも親しみます」

 そうもするというのだ。

「そして殿のお役に立ちます」

「そうしてくれるか」

「はい、殿は天下と真田家の為に動かれますな」

「その考えは変わらぬ」

「ではな。宜しく頼むぞ」

「それでは」

 猿飛は幸村の言葉に頷いた、そうした話をしている中で境内にいる鳥や馬達を見てだった。その生きもの達と話してだ。

 そのうえでだ、彼はこう言ったのだった。

「ふむ。天下のことですが」

「何かわかったのか」

「いや、獣達が気配で感じていることですが」

 清海に話すのだった。

「天下は一戦して大体決まるとのことです」

「一戦でか」

 幸村が応えた。

「決まるというのか」

「はい、ここから北で大きな戦があり」

「そしてか」

「その戦で、です」

「天下は決まるか」

「おおよそ」

「ここから北となるとやはり羽柴殿と柴田殿じゃな」

 幸村はすぐにだ、そこまで察して述べた。

「お二方の一戦で決まるか」

「そうなりますか」

「ではやはり羽柴殿じゃな」 

「あの方ですか」

「柴田殿は確かにお強いが」

 幸村は由利に述べた、柴田勝家は織田家きっての攻め上手でありその強さは天下でも知られている。それで幸村もこう言うのだ。

「だが兵の数が違う」

「羽柴殿とは」

「羽柴殿は織田家の領地のかなりの部分を収められ」

 そこから多くの兵を出せるというのだ。

「人も揃っておる様だしな」

「では、ですか」

「羽柴殿が勝たれる」

「そして天下は」

「羽柴殿のものとなるな」

 そうなるというのだ。

「それで定まる、しかしな」

「それでもですか」

「それですぐに誰もが従う訳ではない」

 その秀吉にというのだ。

「だからな」

「まだ戦は続きますか」

「本能寺の前より幾分か戻っておる」

 そうなっているというのだ。

「織田殿はあと数年で天下を統一出来たが」

「九州やみちのくまで」

「それが出来たが。しかし」

「それでもですか」

「羽柴殿が天下を統一されるまで八年か」

「それだけかかりますか」

「そうなるであろうな」

 こう話すのだった。

「決まるにしてもな」

「その戦から」

「その間真田家がどうして生き残るかを考えねばな」

「そういうことになりますか」

「そうじゃ、しかし佐助のそれはな」

 生きもの達と話せるそのことはというのだ。

「役に立つな」

「犬や猫、牛との言葉もわかりますぞ」

「有り難い、ではな」

「はい、何かあれば」

「色々と教えてくれ」

「さすれば」

 猿飛は笑って幸村に応えた、一行はこうしたことも話しながらそのうえで社の中をさらに歩き見て周り参拝した。それが終わり。

 社の前の町に出てだ、食に入った。そこで食べるものは。

 墨の中にあるうどんだった、少なくとも一行にはそう見えた、これには幸村も表情こそ崩していないが目を瞠って言った。

「書く墨ではないな」

「烏賊か蛸の墨では」

「そうしたものでは」

 穴山と海野は完全に驚いて言っていた。

「それをうどんのつゆにするとは」

「そうは考えられぬこと」

「これは凄いですな」

「果たしてどんな味なのか」

「いえ、これはです」

 伊佐がここで驚く一行に言った。

「墨ではありません」

「そうなのか」

「はい、これは伊勢うどんといいまして」

 こう話すのだった。

「このつゆは椎茸等からあえて濃くとったものです」

「それで黒いのか」

「左様です」

 幸村にも話す。

「別に墨を入れたものではありません」

「そうなのじゃな」

「はい、美味しいものです」

「味はよいのじゃな」

「しかもです」

 伊佐は幸村に落ち着いた声で話す。

「だしを濃くとっていますが際立って辛くもなく」

「美味いというのじゃな」

「そうです、是非お召し上がり下さい」

 こう幸村にも勧めてだ、伊佐は箸に手を添える手前まで置いた。手に取るのは主である幸村が手にしてからだからだ。

 それで幸村も手に取ってだ、実際に彼が最初にうどんを口に入れた。そして。

 味わってだ、こう言った。

「確かにな」

「美味いですな」

「うむ」

 こう伊佐に答えた。

「このうどんは」

「はい、辛い様で」

「そこまで辛くはなくな」

「美味なのです」

「こうしたうどんもあるのだな」

「左様です」

 伊佐も食べつつ話す。

「ここは美味いものが多いですが」

「その中にはだな」

「この伊勢うどんもあることをご存知下さい」

「わかった、ではな」

 幸村も頷きながらその伊勢うどんを食べる、そして。

 他の者達もうどんを楽しんだ、その他にもだった。

 山海の珍味が揃っていた、伊勢海老や栄螺に山芋にとだ。

 様々なものがあった、そういったものを全て食べてだ。

 清海は己の腹を摩りつつだ、こうしたことを言った。

「いやあ、食ったわ」

「わしもじゃ」

 望月も満足した顔で応える。

「相当にな」

「確かに御主も食うな」

「食うことには自信がある」

「しかも美味いものならな」

「余計にじゃ」

「いや、まだあるぞ」 

 満足している二人にだ、根津が言った。一行は満足している顔で社の前の町を歩いている。そのうえでのやり取りだ。

「食うものはな」

「まだあるのか」

「それは何じゃ」

「餅じゃ」

 それだというのだ。

「餅を食うぞ」

「ああ、あれか」

「あの餅じゃな」

 餅と聞いてだ、二人は納得して根津に応えた。

「確かにあの餅はな」

「まだ食っておらん」

「ではあの餅を食ってな」

「締めとしようぞ」

「?何を食うのじゃ」

 三人のやり取りを聞いてだ、海野は首を傾げさせて根津に問うた。

「餅というが」

「ここの餅じゃ」

「伊勢のか」

「うむ、それを食わねばな」

「餅は普通にあるじゃろ」

 これが海野の考えだった。

「それこそ」

「そうじゃな、つけばな」

「何処でも作ることが出来る」

 穴山と由利も言う。

「米をつけばじゃ」

「それで出来る」

「それがどうしてじゃ」

「随分と物々しいが」

「一体どういった餅なのじゃ」

「それは食ってみればわかる」

 穏やか声でだ、霧隠がいぶかしむ信濃にいた三人に述べた。至って落ち着いて穏やかな顔での言葉である。

「実際にな」

「その餅をか」

「食えばか」

「それでわかるか」

「そうじゃ、では食いに行こう」

「その餅は実に美味い」

 筧も言う。

「だから皆で食おう」

「わしもどんな餅かわからぬが」

 猿飛も首を傾げさせている、そのうえでの言葉だ。

「餅なのじゃな」

「そうじゃ」

「ふむ、餅は好きじゃ」

 筧にだ、猿飛は答えた。

「では食おう」

「もう満腹じゃが」

 幸村も家臣達の話を聞いて言った。

「そこまで美味いのならな」

「食されますな」

「そうしようぞ」

 清海に穏やかな笑みで応えた。

「是非な」

「満腹でもですな」

「そこは気合を入れてじゃ」

 そうしてというのだ。

「食する」

「ですか、では食いましょうぞ」

 清海も主の言葉に息込んで応えた、そのうえで。

 全員でその餅が食える店に向かった、茶も出る店だった。そこに入って餅を頼むとこした餡子に包まれた餅だった。細長く白い部分がやや出ている。

 その皿の上の餅を見てだ、幸村は言った。

「ふむ、菓子か」

「左様です」

 根津が笑みで答えた。

「この餅はです」

「菓子の餅か」

「赤福餅といいまして」

「こし餡の餅じゃな」

「そうです」

「成程な、これは美味いな」

「では」

「はい、それでは」

 まさにと話してだ、そしてだ。

 その餅も全員で食べた、幸村は実際にその餅を食べてから笑顔で言った。

「確かにな」

「美味いですな」

「これはよい」

 満足している言葉だった。

「これまでの料理もよかったが」

「この餅もですな」

「よい、ではな」

「この餅も食べて」

「そのうえで尾張に入りじゃ」

「そこから三河ですな」

「あの国に行こうぞ」

 実際にというのだ。

「そうしようぞ」

「それでは」

 こうしてだった、全員でだ。

 その赤福餅を食べてだ、そのうえで。

 伊勢を後にしようとした、しかしここで。

 一行の前に巫女の服を着た黒い髪を膝のところまで伸ばした楚々とした顔立ちの少女が来た、歳は十七程か。

 その巫女がだ、一行に問うてきた。

「若し」

「どうしたのじゃ?」

「旅の方々とお見受けしますが」

「その通りじゃが」

 幸村は巫女に答えた。

「それが何か」

「やはりそうですか」

「わかるか、身なり等で」

「はい、それでなのですが」

 巫女は幸村にあらためて問うた。

「もう社には」

「行った、そしてな」

「参拝もですか」

「してきた」

 幸村は微笑み巫女に答えた。

「そしてうどんも食ってきた」

「伊勢うどんも」

「そうしてきた、ただ」

「ただ?」

「他にも色々と食ってな」

 そしてとだ、幸村は巫女に笑みを向けてこうも行った。

「満足している」

「それは何よりです」

「ところでそなたは巫女だな」

「左様です」

「この社の巫女は相当なものというが」

「はい、何かとです」

 巫女もこう幸村に述べる。

「力が必要です」

「神に通じるものがか」

「そうなのです、それもかなり強く」

「そうなのじゃな、やはり」

「皇室の方も来られますし」

「内親王様もな」

「その方のお世話もしております」

 巫女は幸村に伊勢の巫女のことを話していった。

「私はしておりませんが」

「やはりそうか」

「そうです」

「わかった、大事な仕事じゃな」

「それだけにやりがいがありまして」

 巫女は微笑み幸村に話した。

「日々充実しております」

「そうか、ではこれからもな」

「励むつもりです」 

「わかった、それでは拙者達は旅を続ける」

「伊勢から何処に行かれますか」

「尾張に行くつもりじゃ」

 幸村はここまでは巫女に正直に話した、三河に行くことは無意識のうちに警戒して話に出さなかったのである。

「熱田にもな」

「あちらにですか」

「そのつもりじゃ」

「わかりました、では」

「うむ、縁があればまたな」

「お会いしましょう」

 こう話してだ、そしてだった。

 一行は巫女と別れ尾張に向かった、伊勢から瞬く間に離れて。

 その幸村達を見送ってだ、巫女は暫く立っていたが。

 その巫女の周りにだ、同じ姿の巫女達が来て囁いて来た。

「蓮華様、あの御仁達がですね」

「真田家のご次男ですね」

「幸村殿」

「そして家臣の方々ですね」

「十人おられますが」

「どの方も」

「ええ、かなりね」

 幸村に対するのとは違い砕けた感じでだ、巫女は周りの者達に応えた。

「お強いわ」

「剣術も忍術も」

「相当な方ばかりですね」

「私でも」

 巫女は微笑みに真剣なものを宿らせてこうも言った。

「刃を交えれば本気でやらないと」

「まさか。蓮華様でもですか」

「伊賀十二神将筆頭の貴女様でも」

「かつてこの伊勢で最高の巫女と言われ神通力もお持ちの」

「貴女様でもですか」

「ええ、他の十二神将の人達も言っていたらしいけれど」

 巫女は幸村達が行った方を見つつ述べた。

「あの人達はどの人達も相当よ」

「蓮華様でも本気でならないとですか」

「勝てないと」

「そう思うわ、どうやら尾張から」 

 巫女はここでまた言った。

「三河に入るわね」

「徳川様のご領地に入られると」

「では戦に備えてですか」

「これからの戦の為に」

「敵の国を見ますか」

「まだ敵ではないわ」

 巫女にはこの理屈がわかっていた、家康は敵の者は領地には入れないがその時点で敵でない者は領地に入れる。

 巫女もそのことを知っていてだ、周りの者達に言うのだ。

「だからね」

「徳川様はお入れになられますか」

「あの方々をご自身のご領地に」

「そうされますか」

「あの方が敵でない家の人にご領地を見せるのは」

 それは何故かともだ、巫女は話した。

「ご領地の中の整った政をお見せする為よ」

「そしてそれで相手を唸らせ」

「戦う前から戦わせない」

「その為ですね」

「お見せしているのですね」

「そうよ」

 その通りだというのだ。

「だからこそなのよ」

「それもまた、ですね」

「徳川様の深謀遠慮ですね」

「戦は出来る限りせぬ」

「それもまた」

「前右府様に教わったことね」

 信長のそれにというのだ。

「豊かで強い国にはね」

「誰も攻め込みませんね」

「挑んでも負ける故に」

「だからこそ徳川様はそうされている」

「敵以外には」

「そうよ、そしてね」 

 巫女はさらに話した。

「あの方は今の天下を機とされているわ」

「甲斐、信濃に進み」

「そのうえで、ですね」

「その二つの国を手中に収めようとされている」

「左様ですね」

「あの方ならば二国を手中に収められるわ」

 家康のことをこうも言うのだった。

「そしてその中で上田も」

「あの方々のご領地も」

「やがては」

「収められるわ」

 その手中にというのだ。

「そうされるわ」

「ですか、では」

「我等はその徳川様にですね」

「これからも」

「半蔵様の言われる通りにね」

 巫女はこの名前も出して周りに言った。

「そうしていくわよ」

「徳川様にお仕えし」

「徳川様の為に働く」

「そうしきますね」

「これからも」

「そうしていくわ。あと真田の次男殿と家臣の方々は」

 その人達はといいますと。

「おそらく三河にも行くわ」

「その徳川様のご領地にですか」

「赴かれますか」

「あえて敵地に」

「そうされるのですか」

「いえ、まだ敵ではないわ」

 巫女は周りにこの事実を話した。

「真田家にとって徳川家はね」

「確かに徳川家は兵を信濃、甲斐に進めていますが」

「まだ上田にまで至ってはいない」

「それには時間がかかりますし」

「だからですね」

「そうよ、干戈も交えていなければ降る様にも言っていないわ」

 そうしたことは全くしていないというのだ。

「だからね」

「あの御仁が三河に入ってもですか」

「全く問題はない」

「そうなるのですね」

「だから徳川様も」

「今は何もされないわ」

 例えだ、幸村が自分の領地に入ってもというのだ。

「歓待はされないかも知れないけれど」

「そういうことですか」

「では今は穏やかにですね」

「あの御仁も三河に入られ」

「旅をされますか」

「家臣の人達と一緒にね」

 その彼等と共にというのだ。

「そして我々も特にね」

「何もせずともですね」

「いいのですね」

「ええ、私達はこのまま色々な国を見ていくわ」

 こう微笑んで言うのだった。

「半蔵様に言われた様にね」

「では妖花様はですね」

「これから紀伊に向かわれ」

「あの国を御覧になられますか」

「半蔵様に言われた様に」

「そうするわ。高野山だけでなく雑賀衆も見てくるわ」

 その紀伊にいる忍達だ。鉄砲や火薬を使うことを得手としている。

「若しかしたらね」

「その雑賀衆とですか」

「一戦交えることになりますか」

「あの者達と」

「そうなってもね」

 それでもというのだ、巫女は周りに微笑んだまま述べた。

「私なら大丈夫だから」

「ですね、十二神将筆頭にして伊賀の副棟梁」

「半蔵様の片腕であられる妖花様ならば」

「例え雑賀衆でもですね」

「何でもありませんね」

「そうよ。もっとも半蔵様に揉めることは禁じられているわ」

 そうしたことがというのだ。

「だから雑賀衆と揉めることになったら」

「その時はですね」

「避ける」

「そうされますか」

「そうよ、忍は忍ぶものよ」

 このこともだ、巫女は言った。

「だからその時はそうするわ」

「その時も雑賀衆にですね」

「遅れを取りませんね」

「あの者達に」

「そうよ、私に忍の術で勝てるのは」

 巫女は自信に満ちた笑みで言い切った。

「半蔵様かあの御仁だけよ」

「あの御仁とは。まさか」

「あの」

「ええ、今はお会いしただけだけれど」

 巫女の笑みが変わっていた、自信に満ちた笑みからだ。

 鋭いものを含んだ笑みになってだ、こう言ったのだった。

「両家が揉める様になった時はね」

「あの御仁と渡り合えるのは」

「妖花様だけですか」

「そして半蔵様だけよ。他の十二神将で家臣の人達とね」

 その彼等と、というのだ。

「互角でね」

「半蔵様と妖花様がですか」

「あの御仁と互角ですか」

「そうしたところよ。あの御仁の忍術と他の術の腕はね」

 そういったものはというのだ。

「半蔵様、私に匹敵するわ」

「そういえば気が尋常ではありませぬ」

「あそこまで大きな気の持ち主です」

「その様な方と対することが出来るのは」

「お二人だけですか」

「天下最強の忍である私達ですらね」 

 そうだというのだ。

「忍術と剣術、あと槍や手裏剣も出来るわね、それと」

「それと?」

「それと、とは」

「軍学も相当なものね」

 兵を戦の場で動かすそちらもというのだ。

「そちらは私達は関係ないけれど」

「忍の者にとっては」

「戦の場で戦うことがない故に」

「それで、ですね」

「そちらは関係ありませんね」

「けれどあの御仁は噂ではね」

 聞いただけの話だが、というのだ。それは。

「軍学も相当だから」

「そちらではですね」

「我等は敵うことが出来ない」

「そうなるのですね」

「そうよ、そちらは武士の方々のことだから」

 それでとだ、巫女はこうしたことは淡々として述べた。

「関係ないから」

「だからですね」

「忍としてのあの御仁にはですね」

「我等で対しますが」

「そちらは」

「武士の方々にお任せするわ。幸い徳川家は武辺の方が揃っているわ」

 三河武士は強い者が揃っていることで知られている、そのうえ生真面目で忠義一徹の者ばかりであり家康の下に見事にまとまっているのだ。

「その方々にお任せするわ」

「ですか、では」

「今は、ですね」

「妖花様は紀伊に向かわれ」

「あの国を見られますか」

「そうしていくわ、それが終わってから」

 そのうえでというのだ。

「駿河にも戻るわ」

「では我等も」

「それぞれの国に赴きます」

「半蔵様に仰せつかったそれぞれの国に」

「そう致します」

「では駿河で会うわよ」

 巫女は周りの者達にこうも言った。

「半蔵様もそこにおられるわ」

「半蔵様は今は徳川様とご一緒ですが」

「お元気だそうです」

「ええ、あの方がおられれば」

 巫女は半蔵の名前を聞いて微笑んで述べた。

「徳川様も安泰よ」

「伊賀越えの時と同じく」

「そうですね」

「あの方がおられれば」

「徳川様のご身辺の心配は無用です」

「風魔が来ても」

 北条家が抱えている忍だ、その強さは西の伊賀、甲賀と並び東の風魔とさえ言われる程のものである。

「あの方がおられれば」

「安心出来ますね」

「そうよ、幾ら風魔小太郎が強くとも」

 その風魔の棟梁だ、東国一の忍と謳われている。

「半蔵様に勝てはしないわ」

「どれだけ風魔殿がお強くとも」

「半蔵様は天下一の忍」

「その半蔵様に勝てる者はですね」

「この世にはいないですね」

「ええ、ただ分けることが出来る者はいるわ」

 巫女は周りにこうも言った。

「それがね」

「風魔殿に、ですね」

「あの御仁ですね」

「その二人ですね」

「あと今も生きているかどうかわからないけれど」

 巫女はもう一人の名前を出した、その者はというと、

「果心居士ね」

「あの伝説のですか」

「都に出たと聞いていますが」

「その素性は一切知られていない」

「謎の人物ですね」

「仙人とも妖術使いとも言われていますが」

 忍ではなくそうした者ではないかという噂もあるのだ、その者には実際に。

「その正体は何者か」

「我等も知りませぬな」

「どうにも」

「あとは百地様ね」

 同じ伊賀者である。

「もっともあの方は既にね」

「前右府様の伊賀攻めの際に身を隠され」

「もう世に出られはしませぬな」

「あの方については」

「左様ですね」

「ええ、あの伊賀攻めで多くの忍が死んだけれど」

 そうした意味で巫女達にとっては辛いものだった、信長の伊賀攻めは。彼女達自身は攻められはしていないにしても。

「あの方は生きておられるわ」

「そうしてですね」

「あの方は身を隠しておられますね」

「隠遁されています」

「ええ、けれどあの方もおられて」

 そしてというのだ。

「半蔵様と今も互角に渡り合えるわ」

「流石にあの方は違います」

「半蔵様も一目置いておられます」

「では半蔵様に対することが出来るのはですね」

「天下で三人だけですね」

「そうよ、そしてその一人がね」

 やはりというのだ。

「あの御仁だから」

「敵になったのならば」

「その時は用心しなければなりませんね」

「家臣の方も揃っていますし」

「それだけに」

「ええ、あの御仁のお家もね」

 彼だけでなく、というのだ。

「気をつけるべきね」

「そうですね、あの家については」

「他の家とは違います」

「対することになれば」

「油断出来ませんね」

「そのこともお伝えしないといけないわね」 

 最後にこう言ってだった、巫女は他の者達と別れ紀伊の方に向かった。そして幸村は伊勢から尾張に向かって北上していた。

 その時にだ、一行は長島に来たがそこで海野は笑顔でこう言った。

「ここもいいですな」

「水が多いからか」

「はい、これだけ川が多いとなると」

 幸村にその笑顔で言うのだった。

「それがしも何かとです」

「術を使いがいがあるか」

「何かあれば」

「この地はかつて一向一揆が起こっていますな」

 筧が言うのはこのことだった、実際に長島を流れる川の傍を歩きながらの話だ。

「そして前右府殿がです」

「一向宗の者達をまとめて焼き殺したな」

 根津はその目を曇らせて筧に応えた。

「あれはやり過ぎだと思うがな」

「うむ、しかし一向宗はな」

 筧はその根津に応えて述べた。

「ああでもしないとな」

「収まらぬか」

「あそこまでいけば完全にじゃ」

 滅ぼすしかないというのだ。

「しぶとさが違う」

「普通の戦なら降ることもあるが」

 霧隠は複雑な顔だった、確かに何万もの一向宗の門徒達を焼き殺すのは彼も頷くことが出来ない、しかし信長のやったこともわかるからだ。

「しかしな」

「ああするしかなかったのか」

「ましてや前右府殿は弟殿をはじめ多くの家臣と兵を失っておられる」 

 霧隠は由利にも話した。

「だからな」

「それでか」

「あそこまでせねばな」

 とてもというのだ。

「ならなかったのじゃ」

「そういうことか」

「そうじゃ、だからああなったのじゃ」

 何万もの門徒達を焼き殺したというのだ。

「その様にな」

「まあな、戦は時としてそうしたこともある」

 穴山も霧隠と同じ様な顔になって述べた。

「相手を皆殺しにすることもな」

「実際には滅多にないがな」

 清海はこう穴山に返した。

「やはりあるな」

「うむ、前右府殿がここでされた様なことがな」

「よく前右府殿は血を好む酷い方と言われていますが」

 ここで伊佐が言うことはというと。

「実は違いまして」

「何っ、敵は皆殺しにはせぬのか」

 由利が思っている信長はそうなのだ、世間では信長はよくそうした男だったと言われている。敵は容赦なく殺戮する男だと。

「何かあるとすぐに手討ちにもしたというし」

「それは全て俗説でして」

「実はか」

「違うのです」 

 こう由利にも話す伊佐だった。

「あくまで最低限で、です」

「殺生はしておられぬか」

「裏切りが常とも言われていますが」 

 信長の悪評の中にはこうしたものもある、そうしたことからも様々なことを言われてきている人間だったのだ。

 だが伊佐はだ、こう言うのだ。

「ご自身からされたことは」

「そういえばないのう」

 ここで由利も気付いた。

「浅井家とのことにしてもな」

「そうですね」

「思えば朝倉攻めは最初からわかっていたことだしな」

「織田家と朝倉家は共に斯波家の被官であったが朝倉家の方が格上であった」

 ここで幸村が言った。

「そして織田家を見下し前右府殿が上洛されてから恭順を促されてもな」

「従いませんでしたな」

 筧も言う。

「そしてその結果」

「戦となった」

「流れを見ていれば織田家と朝倉家との戦は避けられぬものでした」

 織田家としても面子を潰されている、それではなのだ。

「しかも近江を通って攻められています」

「事前に言うも何もない」

「そうです、ですから」

「裏切ったのは浅井家の方、他にもな」

「前右府殿はご自身から裏切られておりませぬ」

 伊佐はまた言った。

「そうした方でした」

「長島してもそうであり」

 また言った伊佐だった。

「最低限の殺生しかせぬ方でした」

「その前右府殿が生まれ育った国に向かおうぞ」

 信長は家臣達にはっきりと告げた。

「これよりな」

「はい、それでは」

「長島から」

 家臣達も主の言葉に頷いてだった、長島からだった。

 尾張に向かった、その信長が生まれ育った国に。



巻ノ十八   完



                        2015・8・6

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