巻ノ十五 堺の町
幸村達に鍋を馳走した老人は大坂の城を見ていた、町にあって飄々としている。
しかしだ、その彼の周りにだ。
町人の身なりをしているがそれにしてはやけに目の鋭い者達が来てだった。そのうえで彼を囲んで言って来た。
「どうでしたか。真田のご次男殿は」
「他の十二神将の方々はどなたも恐ろしき方と申されていますが」
「家臣の方々も」
「長老もそう思われますか」
「その様に」
「ほっほっほ、わしも同じじゃ」
老人はこう周りの者達に答えた。
「その様に思う」
「やはりそうですか」
「我等も遠くに見ていましたが」
「気付かれぬ様にするのに苦労しました」
「どの方も時折見てきました」
「我等を」
幸村主従がだ、そうしてきていたというのだ。
「実に」
「それが厄介でした」
「恐ろしいまでに鋭いです」
「勘がいいです」
「うむ、わしも素性は隠しておったが」
それでもというのだ。
「気付かれぬ様に気配を全て変えていなければな」
「気付かれていた」
「そうなっていましたな」
「学もありますし」
「やはり他の十二神将の方々が仰る様にですか」
「徳川の味方になってくれればよい」
老人はこう周りに答えた。
「真田家自体がな」
「しかしですな」
「真田家が徳川家の敵となれば」
「我等の仕える徳川家と」
「そうなればですな」
「その時は」
「厄介な敵となる」
実に、という口調での言葉だった。
「だからここは半蔵様にも申し上げる」
「幸村殿は恐るべき方」
「真田家とは、ですな」
「ぶつかるべきではない」
「徳川家も」
「まして上田は険しい地」
老人は真田家の領地であるこの地のことも話した。
「攻めにくく守りやすい」
「そのこともあって、ですな」
「真田家と戦になることは避けるべき」
「そうあるべきですな」
「我等は」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからわしも半蔵様に申し上げよう」
「では」
「長老もその様に申し上げて」
「そしてそのうえで」
「あの御仁のこともお話しますか」
「そうするとしよう、さて」
ここまで話してだった、老人は飄々とした顔のまま述べた。そしてこうしたことを言ったのだった。
「この町を見ていくか」
「大坂を」
「そうしていきますか」
「これから羽柴殿の本拠となるここを」
「じっくりと見て」
「そして、ですな」
「うむ、それから駿府に戻り」
そしてというのだ。
「半蔵様に申し上げよう」
「いや、この町は賑やかですな」
「この前まで石山御坊もなくなり閑散としていましたが」
「それが、ですな」
「あっという間にここまで賑やかになり」
「さらに大きくなっていきますな」
「うむ、そうなる」
間違いなく、というのだ。
こうしたことを話しながらだった、老人と周りの者達は大坂の町も見て回った。しかしそれはただの見物ではなかったが誰もそのことに気付いていなかった。
幸村一行は堺に着いた、そして。
まずはその港に向かった、そこで様々な国の船が行き交う大きな港を見てだった。幸村は唸ってこう言った。
「これが堺じゃな」
「左様です」
その通りだとだ、筧が答えた。
「本朝だけでなく明、南蛮からの船も来てです」
「この賑わいじゃな」
「勘合貿易と南蛮貿易でも栄えています」
その明、南蛮との貿易でもというのだ。
「この様に」
「船の形もな」
幸村はその船達も見て言った。
「様々じゃな」
「明のものも南蛮のものも」
「それぞれ違うな」
「はい、船にもそれぞれの国が出ていまして」
「それでか」
「この様に様々な形の船があるのです」
「そして人もか」
幸村は今度は人を見て言った。
「様々じゃな」
「これまでも南蛮の者はいましたが」
海野が言った言葉だ。
「ここは格段に多いですな」
「明の者もな」
望月は彼等も見ていた、日本の者と髪や目の色は同じであるが着ている服が違うのでどの国の者かわかるのだ。
「多いな」
「格別にな」
「そうじゃな」
こう海野に言うのだった。
「ここは」
「耶蘇教の寺もあるな」
穴山は港の傍のそれも見た。
「伴天連の坊主もおるしな」
「本朝の者も出入りしておるぞ」
由利はその彼等も見ていた。
「見れば」
「危ういのでは」
伊佐はその様子を見て顔を曇らせていた。
「あれは」
「本朝の者に耶蘇教の信者が増えるとか」
「はい」
伊佐は根津に答えた。
「それはあまり」
「耶蘇教のことじゃな」
幸村もここで言う。
「あの教え自体はいいとして」
「そうです、南蛮の国は耶蘇教の信者を増やしてです」
「それで国を自分達のものとするそうじゃな」
「そう聞いております」
だからとだ、伊佐は主に話した。
「ですから」
「そうじゃな、拙者もそのことを恐れておる」
「その耶蘇教の噂ですが」
霧隠も言って来た。
「大友殿のご領地で力を伸ばし」
「そしてか」
「はい、何でも大友殿は最早耶蘇教の坊主の言うがままとか」
「それは大変なことじゃな」
「これまでの寺や神社を壊しているとか」
「そんなことをして何になるのじゃ」
その話を聞いてだ、清海が驚いて言った。
「仏も神も崇めてこそではないのか」
「それが違うのじゃ、耶蘇教では」
「耶蘇教も神を教えているであろう」
「それはその通りじゃ」
霧隠もその通りだとだ、清海に答えた。
「実際にな」
「では同じではないか」
神を信じているのならというのだ、清海にとって耶蘇教の神は他の教えの神と同じなのだ。神社に祀られている神と。
しかしだ、その清海に筧が言った。
「向こうは同じと思ってはおらぬ」
「耶蘇教の方はか」
「うむ、自分達の神だけが神と思っておる」
「日蓮宗と同じか」
「あんなものではない」
他の宗派を攻撃する日蓮宗なぞ比較にならないというのだ。
「日連宗なぞ優しい位じゃ」
「あの日蓮宗でもか」
「そうじゃ」
「そこまで凄いのか」
「他の神仏を認めず神社仏閣を壊し」
そしてというのだ。
「僧侶も神主も追い出す」
「そんな教えか」
「そうじゃ、しかもな」
「信者を増やして国を乗っ取りにかかるのか」
「そう考えておる坊主も多い」
耶蘇教にはというのだ。
「だから厄介なのじゃ」
「そうなのか」
「そうじゃ、だからな」
それでというのだ。
「あの教えは厄介なのじゃ」
「そうなるか」
「そうじゃ、気をつけておくのじゃ」
「わかった、わしはこれまで耶蘇教のことはよく知らなかったが」
「わしもじゃ」
猿飛も眉を顰めさせて言う。
「耶蘇教は珍しく好きじゃったが」
「何事にも光と影があるということか」
望月もこう言うのだった、猿飛と同じ顔になって。
「耶蘇教についても」
「坊主もいい坊主と悪い坊主がおるしな」
ここでこう言ったのは穴山だった。
「わしも気をつけるか」
「そう思うと清海はずっとましじゃな」
由利は清海を見て言った。
「そうしたことはせぬからな」
「わしはそんなことはせぬぞ」
清海はその由利にこう返した。
「間違ってもな」
「そうじゃな、神社を壊したりせぬな」
「神社の境内で飲むことはする」
それはあるというのだ。
「しかしそれは普通であろう」
「祭りの時はな」
「それはあるが」
しかしというのだ。
「わしもそうしたことはせぬ」
「そうじゃな」
「うむ、耶蘇教にも気をつけるか」
「そうするとしよう。ただ性質のよい耶蘇教の坊主とは話をしたい」
是非にとだ、こう言ったのは幸村だった。
「性質が悪い耶蘇教の坊主は気をつけねばな」
「ですな、では殿」
あらためてだ、海野が幸村に声をかけた。
「堺の町中にも入りましょう」
「それではな」
こうしたことを話してだ、そしてだった。
一行は堺の町の中を見て回った、そうして色々な店や行き交う人をこれまで巡った町でした時の様に楽しんだ。
そしてだ、その中でだった。
幸村は一行にだ、こう言った。
「ではな」
「はい、昼飯時ですし」
「それで、ですな」
「これから飯を食う」
「そうしますな」
「先に話した通りすっぽんじゃ」
それを食おうというのだ。
「それを食うぞ」
「はい、では」
「これよりすっぽんを食いましょうぞ」
「皆で」
「そしてじゃ」
幸村は家臣達にすっぽんの後のことも話した。
「宿を見付けた後はな」
「はい、その後はですな」
「茶ですな」
「茶道の茶を飲みますな」
「そうしようぞ、しかしその為にはな」
飯のその時はというのだ。
「銭が必要じゃ」
「すっぽんを食い宿位は何とかなりますが」
根津がその銭の話をした、主に対して。
「しかし」
「茶にまでなるとな」
「それに明日になりますと」
先のことも言うのだった。
「不安ですな」
「だからまた芸をしてな」
そのうえでというのだ。
「銭を稼ごう」
「わかりました、飯を食い宿を取った後は」
「皆でまたしようぞ」
旅の宿賃を稼ごうというのだ。
そしてだ、その話をしてだった。
一行はすっぽんを食べる為に店に入った、そうしてだった。
そのすっぽんの鍋を全員で囲んだ、そのすっぽんを食べると。
穴山は唸ってだ、こう言った。
「鳥に似た味じゃな」
「うむ、確かに」
望月もそうだとだ、穴山に応えた。勿論食べながら。
「これは鳥の味じゃ」
「鶏や雉じゃな」
「ただこれが違うな」
見れば煮凝りの様なものもだ、鍋の中にある。一同はそれも食べながらそのうえでその煮凝りの様なものも食べて言うのだった。
「この肉とは違うものがな」
「そうじゃな、しかしこれも美味いのう」
「これはこれでな」
「実に美味い」
「そうじゃな」
「ただすっぽんはな」
ここで行ったのは海野である、彼が言うことはというと。
「わしは噛まれたことがあるが」
「すっぽんにか」
「そうじゃ、そのすっぽんは食わなかったが」
それでもというのだ。
「一度噛まれると中々離さぬ」
「何でも雷が鳴るまで離さぬそうじゃな」
「いや、水に漬ければ離す」
こう海野に話した。
「それでな」
「何じゃ、雷が鳴ったら離すというのは嘘か」
「それは違う」
「水か」
「そうじゃ、修行中に噛まれたことがあったがな」
水辺で修行している時にだ、水のことなら右に出る者がいない海野が非常によく修行する場所であるがそこでだったというのだ。
「中々離さずな」
「苦労したか」
「その時食ってもよかったが既に魚を食って満腹じゃった」
それでというのだ。
「無闇な殺生はせぬに限るしな」
「それでか」
「水に漬けてじゃ」
そうしてすっぽんを離させたというのだ。
「そうしたのじゃ」
「成程な」
「それまで離さぬ、とかくしつこい」
それがすっぽんだというのだ。
「そのことには気をつけねば」
「美味いがのう」
根津はその味を素直に楽しんでいてそのうえで言った。
「それでもか」
「そうなのじゃ」
海野は根津にも答えた。
「そこは用心じゃ」
「知っておったが用心しよう」
「痛いしのう」
「そのことはわかったが」
清海が言うには。
「これを食うと精がつくか」
「左様、大層力がつく」
筧がその清海に話す。
「身体にもよい」
「味がよいだけでなくじゃな」
「そうじゃ、もっとも御主は力が有り余っておるからな」
だからというのだ。
「暴れるでないぞ」
「ははは、安心せよ」
笑ってだ、清海は筧に返した。
「そんなことはせぬわ」
「まことにそうか」
「うむ、悪者と会わぬ限りはな」
そうしたことはしないとだ、清海は筧に約束した。
「それはせぬ」
「ふん、その悪者はわしが一人で成敗してやるわ」
由利は清海の話を聞いて笑って言った、鍋のすっぽんの肉だけでなく杯の中にある濁り酒も楽しんでいる。
「十人や二十人なら平気じゃ」
「小さいのう、そこで千人と言わぬのか」
「一騎当千か」
「そう言わぬか」
「なら言おうか、わしの鎖鎌と風の術ならばな」
それこそとだ、猿飛に返す。
「それ位はどうということはない」
「わしは一騎当万じゃ」
猿飛は自分の強さをこう言ってみせた。
「わし一人で一万人は相手に出来るぞ」
「ほう、そう言うか」
「そうじゃ、それ位は出来る」
こう豪語するのだった、猿飛も飲みつつ話す。
その猿飛の話を聞いてだ、霧隠はこんなことを言った。
「確かに我等は強い、しかし流石にな」
「一万を相手にしますと」
「頭が必要じゃ」
それを使わねばとだ、伊佐に答えた。
「それがなくてはな」
「はい、一万を相手には出来ませぬな」
「我等十一人なら一万でも勝てる」
「我等の武勇と術を使えば」
「しかしそのまま戦っても勝てぬ」
それではというのだ。
「頭を使わなくてはな」
「では霧隠殿の冴えと筧殿の学識」
「それ以上に殿の軍略があれば」
霧隠は幸村を見た、ここで。
そしてだ、今度は幸村に言うのだった。見れば幸村は焼酎を飲みつつそのうえで鍋のすっぽんを楽しんでいる。
「我等も一万の軍勢に勝てまする」
「拙者がいれば」
「はい」
その時はというのだ。
「我等誰一人欠けることなく勝てます」
「御主達だけではか」
「勝てませぬ」
「しかし拙者がいればか」
「はい、我等十人に殿の軍略と武勇があれば」
それでというのだ。
「勝てる」
「だといいがな」
「戦の時は何でも申し上げ下さい、どの様な相手にも勝ってみせます」
まさに誰一人欠けることなく、というのだ。
「そうしてみせますので」
「ではその時はな」
「お頼み申す」
こうした話もしつつだった、一行はすっぽんを楽しんでだった。その後はそれぞれ堺の町に出て芸をして銭を稼いでだった。
宿に集まりそこで一泊してだった。次の日に。
伊佐が微笑んでだ、幸村にこう言った。
「殿、今日は茶を飲みに行くとのことですが」
「よい茶の場所を見付けたか」
「はい」
まさにという返事だった。
「一つ」
「そこは何処じゃ」
「外にあります」
「外、とな」
「何でもそこは外で飲む場所でして」
「堺にはそうした場所もあるのか」
「千利休殿が設けられた場所だとか」
伊佐はここでこの者の名を出した。
「そこは」
「その利休殿が」
「はい、そこに行かれますか」
「実は中で飲むと思っていた」
幸村は伊佐にこう答えた。
「茶室のな」
「拙僧も最初はそう思っていましたが」
「そうした飲み方もあるか」
「そうです、そrでなのですが」
「その飲み方も面白そうじゃ」
幸村は伊佐だけでなく他の者達にも述べた。
「それに大勢で楽に飲めるしな」
「ですな、広い場所ですと」
「外でしたら」
「我等全員で楽に飲めますな」
「茶室は狭い」
このこともだ、幸村は言った。
「我等全員で入るとなると厳しい」
「ですな、どうしても」
「我等十一人となりますと」
「茶室の大きさにもよりますが」
「難しいですな」
「だから外で飲もうと思う」
広い場所でというのだ。
「そうな」
「では、ですな」
「これより外で飲みますな」
「そして楽しみますな」
「そうしようぞ、それでじゃが」
また言う幸村だった。
「御主達茶の作法はわかっておるか」
「はて」
自分の顎に右手を当ててだ、猿飛は怪訝な顔になって幸村に言葉を返した。
「そう言われますと」
「佐助は知らぬか」
「そういえば茶道の作法は」
知らぬというのだ。
「それがしは」
「そうか、佐助は知らぬか」
「それがしも話は聞いていますが」
「それがしもです」
穴山と由利は少し申し訳なさそうに答えた。
「茶道の作法については」
「疎いです」
「これまで茶も飲んでいましたが砕けた場所で、でした」
海野も言う。
「ですから作法を守ったものは」
「そうじゃな、拙者もな」
幸村自身もというのだ。
「あまりな」
「殿もですか」
「茶道の作法はですか」
「そうなのですか」
「あまりしたことはない」
実際にというのだ。
「真田家が武田家にお仕えしていた頃は四郎様にご相伴を預かったことがあるが」
「武田家の主の」
「四郎勝頼様に」
「そうさせてもらったことがある、しかしな」
それでもというのだ。
「確かにしたことはない」
「茶道でしたら」
ここでだ、言って来たのは筧だった。
「それがしが少しですが」
「知っているか」
「はい、それがしで宜しければ」
是非という申し出だった。
「いいでしょうか」
「頼めるか」
「はい、それでは」
こうした話をしてだった、筧は主と同僚達に茶道での飲み方を教授することになった。そのことを話して決めてだった。
一行はその茶を外で飲む場所に向かった、すると。
そこではだ、誰もが楽しく茶を飲んでいた。敷きものを敷いてその上に座って木の下や花の横で茶を飲んでいる。
その様子を見てだ、根津は首を傾げさせてこう言った。
「はて、茶道にしては」
「砕けておるな」
「うむ、そうじゃな」
霧隠にこう答えた。
「これは」
「岐阜の茶道はな」
「かなり真面目じゃな」
「前右府殿が無類の茶好きでな」
「それで茶室も多かったな」
「しかしじゃ」
それでもというのだ。
「どの人も生真面目に飲んでおった」
「こうした砕けたものではなかったな」
「前右府殿は傾いておられたがそうしたことは真面目じゃった」
締めるべきところは締める、それが織田信長だったのだ。
「だからな」
「それでか」
「うむ、生真面目じゃった」
そうだったというのだ、岐阜の者は。
「誰もがな」
「そうだったな」
「御主が知っている茶道もじゃな」
「そうだった」
実際にとだ、霧隠も答えた。
「わしが知っておる茶道もな」
「そうじゃな、この茶道はな」
「見たことがない」
「これが茶道と言われると」
「どうも違うな」
「そう思うが」
しかしとだ、話す二人だった。
そして望月は幸村にだ、こう言ったのだった。
「茶と一緒に口にしているものも」
「うむ、干したものなり生のものなりな」
「果物fが多いですな」
「菓子もあるにはあるが」
「普通の町人達は果物ばかりです」
生にしろ干したものにしろだ。
「後は米や豆を炒ったもの等で」
「色々じゃな」
「やはり菓子は高いです」
町人達が口にするにはだ、だから中々普通に口に出来ないのだ。
「だからですな」
「そうじゃな、しかし」
「拙僧としてはいいですが」
こう言ったのは清海だった。
「普通の茶道ではありませぬな」
「御主もそう思うな」
「はい、茶というよりは酒です」
それの飲み方だというのだ。
「これは」
「そうじゃな、どちらかというとな」
「面妖ですな」
清海も唸って言った。
「この様な茶の飲み方は」
「しかしここでこう飲んでいるのなら」
伊佐はここでも生真面目だった。
「いいのでは」
「畏まって飲むだけが茶道ではないか」
「利休殿はそうも仰りたいのかと」
こう幸村に話すのだった。
「そうも思いますが」
「それもまた茶道か」
「茶道は実に奥が深いとl聞いています」
「茶を飲むだけではないのか」
猿飛は伊佐に少し驚いた顔になって問うた、一行は用意されていた敷きものの一つの上に座って車座になってだ。筧がそこに置かれていた茶と茶器を使って淹れはじめている。
「茶道は」
「そうではない様でして」
「奥が深いのか」
「利休殿はそうお考えの様です」
「たかが茶を飲むだけではないのじゃな」
「どうやら」
「ふむ、茶道といえば畏まっていてじゃ」
猿飛は彼らしくざっくばらんな調子で言う。
「それで格式ばって飲むと思っておったが」
「それが違いまして」
「奥が深いというのじゃな」
「そうです」
「そういえば道じゃな」
ここで猿飛は気付いた。
「茶の道じゃな」
「はい、それも果てしない道だとか」
「ううむ、忍の術と同じか」
「そして仏の道とも」
「そうか、何処までも上に先にある道か」
忍術のことからだ、猿飛は述べた。筧は話の間も手を動かしている。
「茶道もまた」
「その様です」
「そうしたものか。では今からじゃな」
「その茶道を行います」
「わかった、では飲もうぞ」
こう言ってだ、そのうえで。
幸村主従は全員で茶を飲みはじめた、菓子はなかったが炒り米がありこれを菓子代わりとすることになった。
筧が茶を淹れ終えると全員で飲んだ、淹れた筧や伊佐、それに霧隠は畏まっており根津の物腰は武士然としているが他の面々はざっくばらんだ。ただ幸村は生真面目な物腰でだ。
その物腰を見てだ、筧は唸って言った。
「殿、お見事です」
「何が見事か」
「そのご姿勢が」
「無作法にならぬ様気をつけておるが」
「はい、それがです」
実にというのだ。
「お見事です」
「茶道においての振る舞いとしてか」
「左様です」
「ならよいがな、しかし拙者はな」
「茶道は、ですな」
「殆どしておらぬ」
このことをだ、筧に言うのだった。
「武田家においてだけじゃ」
「しかしです」
「茶道をしておらぬのにか」
「お心がありますので」
「人の心か」
「そうです、茶道をあまりしておらずとも」
茶の心得、それがなくともというのだ。
「そこにお心があればです」
「見事なものになるか」
「例え茶をよくしていても」
「そこに心がなければか」
「卑しいものになります」
「そういえば清海の飲み方は」
望月は筧の言葉を聞いて清海を見た、見ればお世辞にも整っているとは言えずかなり大雑把な動きである。
しかしだ、望月はその彼の飲み方を見て言った。
「雑じゃが悪くはないのう」
「それは褒めておるのか」
「無論じゃ、卑しい飲み方ではない」
例え大雑把でもというのだ。
「御主らしい飲み方じゃ」
「卑しくないのならうよいがな」
清海は望月の言葉にこう返した。
「それならな」
「うむ、わしもそうであればよいが」
「御主も悪くないのではないか」
今度は清海が言った。
「別に」
「卑しくはないか」
「うむ、わしが見たところな」
「そうか、ならよい」
「皆悪い飲み方ではないぞ」
霧隠は落ち着いた物腰で静かに飲んでいる。
「別にな」
「しかしわしなぞな」
穴山は碗はかろうじて両手に持っているが何処か酒を飲む感じである、そのうえで霧隠に対して述べた。
「茶道なぞしたこともない」
「茶は飲んでおってもか」
「そうじゃ、茶道をしたことはない」
全く、というのだ。
「それでもか」
「卑しいものではない」
「品はなくともか」
「雑なのと品がないのとは違う」
それはまた、とだ。霧隠は穴山に答えた。
「御主も品がないのではない」
「雑なだけか」
「心がしっかりと出ておるわ」
穴山自身のそれがというのだ。
「わしが見たところな」
「ならよいがな」
「かく言うわしも茶道はあまり、じゃが」
「その割には絵になっておるな」
海野は霧隠の茶の場での立ち居振る舞いをまじまじと見つつ言った。
「これはおなごが放っておかぬわ」
「そういえばやたらおなごがこっちを見ておるわ」
根津はこのことに気付いた、見れば周りの場の女達がやけにこちらを見ている。根津はその女達の視線の先にも気付いている。
「見ておるのは才蔵だけではないな」
「そういえばわしもじゃな」
由利も言う。
「随分見られておるな」
「わしもな」
根津もだった。
「皆見られておる」
「そうじゃな」
「しかも才蔵よりもな」
確かに霧隠は見られている、だがそれ以上にというのだ。
「殿がな」
「そうじゃな、特に見られておるな」
「拙者もわかるが」
見られていることにと言う幸村だった。
「しかし何故見られる」
「やはり殿はです」
「見られる方です」
家臣たちはその幸村に答えた。
「何かこう、です」
「惹き寄せられるのです」
「自然と」
「それでどうしてもです」
「誰もが見てしまうのです」
「そういえばおなごだけではないな」
幸村は自分を見ている者達に気付いて言った。
「おのこからも見られておるな」
「そうです、ですから我等もです」
「殿と共にいるのです」
「お会いして短いですが」
「それでも命を共にする覚悟は出来ております」
まさにというのだ、こう話してだった。
霧隠が再びだ、幸村に話した。
「殿は天下人になるおつもりはないですな」
「うむ、家を守ることとじゃ」
幸村も答える、焼酎を飲みつつ。
「拙者自身を高め日ノ本一の武士になることは考えておる」
「そうですな、それがしも殿は天下人ではありませぬ」
「器ではないか」
「器が違います」
「違うとな」
「例えば飯を食う時の椀とこうした鍋を食う時の椀は違いまする」
茶を飲みながらの言葉だ。
「天下人になる方の器があり」
「家を守る器もか」
「あります、天下一の武士になる器も」
それもというのだ。
「ありまする」
「では拙者はそちらか」
「はい、殿は天下一の武士になられる方です」
天下人でなく、というのである。
「その殿から発せられるものを人は見ておるのです」
「それで見られるのか」
「そうです、そして我等もです」
「拙者と共におるのか」
「そうなのです、これからも」
「共に死ぬまでか」
「おりまする」
共にというのだ。
「我等は生きる時も死ぬ時も共にと誓い合いましたな」
「その通りじゃ」
「そのお言葉通りです、我等は殿と共におります」
「そうしてくれるか」
「はい、そして見られることはです」
「拙者の場合は当然か」
「普通のこととお考え下さい」
惹かれるが故にというのだ。
「その様に」
「そうか、ではこのことはな」
「受け入れられますか」
「そうするしかあるまい、見られて困る時もあるが」
隠れる時等だ、このことは幸村自身が忍の術を備えているがうえに頭の中に入れていることの一つである。
「それでもじゃ」
「はい、それでもですな」
「その時は隠れてみせる」
「しかし殿は自然と見られる方ですが」
こう問うたのは猿飛だった。
「どうしても目立ちますが」
「ははは、それは日の下におるからじゃ」
「だからですか」
「夜の物陰にいて気配を消せばどうじゃ」
「そうすれば」
「そうじゃな、誰も拙者に気付かぬな」
人から感じられぬ様にするというのだ。
「そうじゃな」
「確かに。そうされるおつもりですか」
「そうじゃ」
「そこは忍の術を使いまするか」
「そうする」
「隠れることも大事ですな」
「日論も雲に隠れる」
世を照らすそれもというのだ。
「月もそうであろう」
「言われてみれば」
「そうすればよい、普段は見られておってもな」
「そういうことですな」
「そうじゃ、ではこの茶を飲んだ後はな」
「それからですな」
「うむ、堺の町を見て回ろうぞ」
今いるこの町をというのだ。
「そうしようぞ」
「ですな。しかしこの町は実に賑やかで」
穴山の言葉だ。
「都や大坂よりもです」
「賑わっておる様に思えるな」
「そうですな」
「それだけによく見たい」
「左様ですか」
「じっくりとな」
こう話しつつ茶を飲んだ後でだった、場を出て堺の町を夜遅くまで回った。その夜の賑わいの中で清海が言った。
「夜ですから」
「兄上、まさかと思いますが」
「おなごのところに行かぬか」
伊佐にも笑って言ったのだった。
「そうせぬか」
「そんなことですから破戒僧と呼ばれるのですが」
伊佐の言葉は咎めるものだった。
「それでも行かれたいのですな」
「駄目か」
「謹むべきかと」
伊佐は顔も咎めるものだった。
「やはり」
「御主はいつもそう言うのう」
「それに病のこともあります」
伊佐はこのことも気にかけていた。
「花柳の病は厄介ですぞ」
「ううむ、それもあってか」
「拙僧はお勧めしません」
「そう言うか」
「少なくともどのおなごもというのは止めておくことじゃ」
根津も清海に言う。
「花柳の病に罹ると戦どころではないぞ」
「えげつないことになるな」
「それでじゃ、、ここはな」
堺ではというのだ。
「わしもあまり勧めぬ」
「ではどうすればよいのじゃ」
「上田まで我慢せよ」
真田の領地に戻るまでというのだ。
「そこで女房を密かに迎えよ」
「坊主に女房を勧めるのか」
「どのみち破門されておろう、御主は」
根津は清海に彼のこのことをあえて言ってみせた。
「そうじゃな」
「それでか」
「よいであろう、わしも上田に入ってな」
「女房を迎えるつもりか」
「その所存じゃ」
「そうなのか」
「やはり女房は必要じゃ」
このことはどうしてもというのだ。
「特に殿はな」
「拙者はだな」
「そうです、どうかよき方をお見付け下さい」
「そうじゃな、女房がおらねば」
幸村もそのことは理解していて言う。
「子も出来ぬしな」
「そして家がなければ」
根津は主にさらに言った。
「心が癒されませぬ」
「だからじゃな」
「はい、奥方のこともです」
「考えておこうぞ。なら上田に帰ったならな」
その時にと言う幸村だった。
「父上、兄上とお話しようぞ」
「そうされますな」
「是非な」
こうしたことも話した一行だった、幸村はここで己のことも考える様になった。そしてそうした話をしてだった。
一行は堺を見て回り続けた、そして。
堺からどうしようかということになりだ、猿飛が言った。
「都に戻られますか」
「大坂を経てじゃな」
「はい、そうされますか」
「それが妥当か」
「若しくは奈良に行かれますか」
猿飛はこの道も示した。
「そちらの道はどうでしょうか」
「大坂か奈良か」
「奈良でしたらそこから伊勢、そして尾張に進み」
「そして岐阜か」
「三河に行ってもよいですし」
「三河か」
三河と聞いてだった、幸村は腕を組んで考えた。そのうえで猿飛に対してこう答えた。
「悪くないな、船で海から帰ろうかとも考えておったが」
「紀伊の海をですな」
「そうも考えておった、しかしな」
「奈良に行くのもですな」
「それも悪くない」
こう言うのだった。
「言われてみればな」
「ではどの道にされますか」
「そうじゃな。奈良に行きあちらの寺社を見るのもよいか」
「それでは奈良ですな」
「うむ、あの町に行こう」
「それから伊勢ですか」
望月はこの社を出した。
「そこに行かれますか」
「そうしようか」
「では」
「奈良に進もう」
幸村は道と次に行く場所も決めた。そしてだった。
一行は堺を後にして奈良に向かおうとした。しかしここでだった。
進もうとする一行の前にだ、一人の小柄な男が来た。見れば小坊主である。
小坊主は恭しくだ、幸村達に問うた。
「真田幸村殿と家臣の方々ですな」
「そうであるが」
幸村が小坊主に答えた。
「何故拙者の名を知っておる」
「お話を聞いていましたので」
「拙者達のか」
「はい、堺に来られた時から」
「拙者達は目立っておったか」
「旦那様から見れば」
「旦那様、というと」
小坊主の今の言葉にだった、幸村も家臣達も目を光らせた。そのうえで心の中で万が一に備えて身構えもした。
そのうえでだ、幸村は小坊主にあらためて問うた。
「誰じゃ」
「この町の方ですが」
「堺のか。となると豪商の方、いや」
すぐにだ、幸村はこの名を思い浮かべて言った。
「千利休殿か」
「左様です」
「千利休殿が我等を見ておったのか」
普段は冷静な霧隠が驚きの顔でやはり驚きの声をあげた。
「まさか」
「そうです、真田家のご次男の方が上方に来られたのを知られ」
「隠して進んではいなかったが気付かれておったとは」
幸村は迂闊といった顔で述べた。
「拙者もまだまだか」
「いえ、千利休殿ですぞ」
筧がその幸村に言う。
「これ位のことはです」
「当然のことか」
「伊達に羽柴殿の懐刀のお一人ではありませぬ」
「弟君の秀長殿と共にじゃな」
「それ程の方ですから」
「こうしたこともか」
「普通かと」
こう言うのだった。
「我等に気付くことも」
「そうなるか」
「ですからお気を落とされぬ様」
自分が無力と思って、というのだ。
「ここは」
「わかった、ではな」
「はい、その様に」
「それで利休殿が我等に何のご用件であろうか」
穴山は何時でも鉄砲を撃てる様に密かに手を背に回しつつ小坊主に問うた。若し何かあれば背の鉄砲を撃つつもりなのだ。
「一体」
「はい、実は旦那様がご一行とお話をしたいとです」
「それでか」
「こちらに参上したのです」
こう一行に言うのだった。
「そうした次第です」
「利休殿が我等に」
「そうです」
小坊主は幸村に答えた。
「ご自身のお屋敷に」
「今利休殿は堺におられるのか」
由利は小坊主にこのことを確認する為に問うた。
「そうであるのか」
「左様であります」
「そして我等をお招き下さる為にか」
「私めをこちらに寄越されました」
「殿、どうされますか」
望月は幸村に顔を向けて問うた。
「ここは」
「このお招きに応じるか」
「はい、どうされますか」
「殿、行くべきかと」
伊佐はすぐに幸村に己の考えを述べた。
「この度は」
「そして利休殿とお会いしてか」
「お話を聞きましょう」
「利休殿が天下の傑物だからじゃな」
「はい、武士ではありませぬが」
それでもとだ、伊佐は幸村に言うのだった。
「その器は相当に大きな方と聞いています」
「だからじゃな」
「お会いすべきです」
是非にという言葉だった。
「ここは」
「わかった、では案内を頼む」
幸村は伊佐の言葉も受けて小坊主に返した。
「これよりな」
「畏まりました、それでは」
こうしてだった、幸村主従は今度は利休の前に案内されることになった。一行の旅はまたしても思わぬ方向に進むのだった。
巻ノ十五 完
2015・7・17