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巻ノ十三

                 巻ノ十三  豆腐屋の娘

 一行はこの日もだった、都を見物していた。その間銭を稼ぐのも忘れていない。

 この日は午前中に銭を稼いだ、幸村はこの日も講釈をしていた。この日の講釈はというと。

「へえ、平妖伝か」

「そうした話もあるんだな」

「はじめて聞いたが面白いな」

「あれは昨日の若いお武家さんじゃないか」

「水滸伝を話していた」

 幸村を知っている者もいた。

「相変わらず喋りが上手だね」

「わかりやすいし抑揚も聞いている」

「人を引き込ませる声だよ」

「声もいいし」

「最高の講釈だね」

 芸を見慣れ聞き慣れている昨今の都の者達も唸る程である。

「このお武家さんやるね」

「気品もあるしね」

「只の浪人じゃないね」

「一体どういう人か気になるところだよ」

「面白いお武家さんだよ」

 こうしたことも話しながらだ、彼等は幸村の話を聞いてだった。

 彼が用意しているザルに銭を置いていった、銭は瞬く間にザルから溢れ返るが。

 講釈が終わってだ、すぐにだった。

 一旦宿に返る途中に今度は柄の悪い者達に囲まれている若い娘を見た、それですぐに男達に対して問うた。

「待て、何をしている」

「何をってこの娘を買い受けるんだよ」

「親の借金のかたにな」

「それで後はわかるだろ」

「そうか」

 その話を聞いてだ、幸村はまずは頷いた。

 そしてそのうえでだ、こう男達に問うた。

「この娘の親御は借金があるのだな」

「ああ、わし等にな」

「そのこともわかるだろ」

「だからわし等は借金のかたで貰ったんだよ」

「この娘をな」

「では借金のかたとなる銭があればか」 

 幸村は男達の言葉を受けて述べた。

「娘を売ることはないな」

「当たり前だろ、そんなの」

「わし等は借金のかたが欲しいんだよ」

「銭があれば文句はないさ」

「この娘にも手出しするか」

「わかった、では借金はどれだけか」

 幸村は男達に今度は借金のことを尋ねた。

「どれ位になる」

「これだけじゃ」

「これだけになる」

 男達は幸村にその借金の額を話した、すると。

 幸村は自分の懐の中の銭を見てだ、そして言った。

「足りるな、ではな」

 そう見たらすぐにだ、彼は。

 その右手をさっと挙げた、するとだった。

 十人の家臣達がすぐに幸村のところに来てだ、彼に問うた。

「殿、お呼びでしょうか」

「何かありましたか」

「うむ、実はこちらの娘御がだ」

 幸村はその彼等に話した。

「借金のかたで売られそうになっているのだ」

「それで、ですな」

「この娘御を助けたい」

「それで、ですな」

「銭が必要なのですな」

「そうじゃ、しかし拙者が持っているだけではな」

 その銭だけではというのだ。

「足りぬ、だからな」

「我等の銭もですな」

「必要なのですな」

「頼めるか、御主達が稼いだ銭で申し訳ないが」

 自分が稼いだ銭ではない、幸村もこのことはわかっている。

「しかしな」

「この娘御を助ける為」

「その為にですな」

「だからですな」

「ここは、ですな」

「御主達の銭も借りたい、後で必ず返す」

「いえ、それはお気遣いなく」

 すぐにだ、筧が幸村に答えた。

「この度我等が稼いでいる銭は我等全員のものではありませぬか」

「だからか」

「はい、それでどうして借りることになるのか」

 微笑んでの言葉である。

「我等全員の銭だというのに」

「だからか」

「お気遣いは無用です」

 こう幸村に言うのだった。

「それに我等は殿の為なら火の中水の中です」

「銭のことなぞお気になされますな」

「銭はまた稼げばいいもの」

「しかしこの娘御はそうはいきませぬ」

 こう話してだ、そしてだった。

 幸村にだ、全員が持っているだけの銭を差し出した。幸村は両手に抱えきれぬだけの実際に手の中から溢れ落ちるだけの銭を持って。

 そのうえでだ、男達に対して問うた。

「これだけあればよいか」

「多いわ」

「そこまでは必要ないぞ」

「我等は必要なだけあればよい」

「借金の分だけな」

「ふむ、そうか」

「これだけ貰う」

 男達の一人がこう言ってだ。

 そのうえで幸村の手から銭の七割程を貰った。それを仲間達と共に分けてそのうえでこう言ったのだった。

「これでよい」

「むしろ多い位じゃ」

「これだけ貰えればな」

「この娘のことはいいわ」

「もう売ることもない」

「ならよい」

 幸村は男達の言葉を聞いて頷いた。

「これでな」

「わし等はよいがだ」

 男達のうちの一人がだ、その幸村にいぶかしむ声で問うた。

「お武家殿達はよいのか」

「我等はか」

「かなりの銭を貰ったが」

「銭はまた稼げばいい」

 幸村は彼にもこう答えた、それもすぐに。

「だからいい」

「そう言うのか」

「うむ、しかし人はそうはいかぬ」

「だからか」

「これでよいのだ」

「そう言うのならいいがな、貴殿が」

 男もそれで納得した、そしてだった。

 男達は幸村にだ、あらためて言った。

「ではな」

「我等はこれでな」

「銭は貰ったしな」

「これでお別れじゃ」

 別れの言葉を告げてだった、その場を去った。幸村は男達の背を見送ってから家臣達にこうしたことを言った。

「分別のある者達でよかった」

「はい、人買いの中には性質の悪い者もおります」

 伊佐が幸村のその言葉に答えた。

「銭で済むかと言って娘殿を連れて行こうとする」

「そうした者もおるな」

「あの者達はそれはありませんでした」

「銭さえ貰えればでした」

「それならよいな」

「まことに」

「それで娘御」

 猿飛が娘に声をかけた。

「御主何故売られそうになっておった」

「私のことですか」

「うむ、家が困っておるのか」

 こう問うたのである、娘に。

「それでか」

「はい、実は今は母が病に倒れ」 

 娘は猿飛に答えて家の事情を話した。

「そのせいで」

「銭がなくか」

「私が」

「そうか、難儀な話であるな」

「父は反対していましたが」

「お父上は如何致しておる」

 霧隠は彼女の父のことを問うた。

「一体」

「店をやっています」

「店をか」

「豆腐を作っています」

「ほう、豆腐をか」

「ですがそれだけでは足りず」

 銭がというのだ。

「それで」

「そうした事情か」

「では母君の病が癒えぬ限りまたこうしたことが起こるな」

 根津は難しい顔で述べた。

「そうなるな」

「うむ、母君を診せてもらえぬか」

 筧が娘に言って来た。

「そうしてくれるか」

「母をですか」

「うむ、治る病かどうかな」

 それをというのだ。

「さすれば薬もどうにかなるやも知れぬ」

「こ奴は薬のことにも長けておるのじゃ」

 望月はその筧を親指で指し示しつつ娘に話した。

「だからな」

「では診て頂けますか」

「うむ、そうしてくれるか」

「わかりました、それでは」

 娘も頷いてだ、そのうえで。

 右京の中にある一軒の豆腐屋、結構賑わっているその店の裏にだ。幸村達を案内した。途中表を見たが。

 海野はその賑わいを見てだ、こう言った。

「店はは繁盛しておるな」

「父と兄が豆腐を作っていますが」

「お二人の腕はか」

「都でも評判なので」

 それで、というのだ。

「賑わっています」

「それでもか」

「はい、母の病は重く」

 それでというのだ。

「薬代はとても賄えないので」

「それでか」

「私が考えたのです」

「自分を売ってか」

「そして金を作ろうと」

「親孝行ではあるがじゃ」

 それでもとだ、清海が娘の話を聞いて難しい顔で言った。

「それはよくない」

「自分を売ることはですか」

「人買いにはなるべく厄介にならぬことじゃ」

 清海は娘に親身に忠告した。

「己を大事にせよ、売っていいことはない」

「それはわかっていますが」

 花柳の中に入る、娘もそのことはわかっていた。

「しかし」

「あの中には出来る限り入るものではない」

 とかく清海は親身にだ、娘に話す。

「あそこに入れば皆若くしてな」

「そう聞いていますが」

「とにかくそれは最後の最後じゃ」

 自分の身体を売ることはとだ、とかく言う清海だった。

「わかったな」

「では」

「とにかくそれがしに診せてくれ」

 また筧が言って来た。

「よいな」

「わかりました、それでは」

「はい、お願いします」

 こうしてだった、娘は一行を家の中に入れた。すると入ってすぐの間に年老いた老婆が床の中にいた。その彼女にだ。

 娘はだ、暗い顔で言った。

「おっかあ、元気?」

「御前無事だったんだね」

「ええ、私を売ってね」

 そしてというのだ。

「それで銭を作ろうと思ってたけれど」

「だから馬鹿なことはするんじゃないよ」

「ええ、けれどね」

「けれど?」

「こちらのお武家さん達に助けてもらったの」

 幸村達に顔をを向けてだ、娘は老婆に答えた。

「それでこの人達に銭を払ってもらったの」

「あれまあ、本当かい?」

「うん、本当だよ」

「これは有り難い、それじゃあね」

 老婆は娘の話を聞いてだ、布団から何とか起き上がって言った。

「お礼をしないとね」

「いや、礼なぞいりもうさぬ」

 幸村は老婆の言葉を手で制して答えた。

「困っている者を助けるのは武士の務め、当然のことでござる」

「何ということを仰るのか」

「何ということでもござらぬ」

 幸村は老婆のその言葉も否定した。

「また言いますが当然のこと」

「ですが」

「お礼が必要と言われるなら」

 それならとだ、幸村は老婆に述べた。

「診せて頂けますか」

「私をですか」

「はい、ご病気と伺いましたので」

「身売り、薬代の借金もあったと思われますが」

 筧が前に出て老婆に述べた。

「それは我等が立て替えました、しかしご母堂の病が癒えぬ限りはまた同じことが起きまする」

「だからですか」

「それがし医術の心得もあります」

 筧は老婆に確かな顔でまた述べた。

「それで診せて頂けますか」

「そうして頂けるのですか」

「はい、診ても銭は取り申さぬ」

 それもないというのだ。

「そうさせて頂いて宜しいでしょうか」

「おっかあ、診てもらってくれる?」

 娘がまた母に言った。

「これから」

「そうだね、お武家様達がそこまで仰るのならね」

 母は床から身体を起こして娘に応えた。

「それじゃあね」

「うん、今からね」

「お武家様、お願い出来ますか」

 母は筧に対して頼み返した。

「これから」

「はい、ではこれより」

 筧も頷いてだ、そしてだった。

 彼は老婆のところに行きその身体を診た。そしてこう言った。

「大丈夫でござる」

「おっかあは助かりますか」

「うむ、安心されよ」 

 筧は心配そうに自分の傍に立つ娘に微笑んで答えた。

「ご母堂は助かる、薬を飲めばな」

「お薬をですか」

「すぐに治る、厄介な病にしても」

「それでそのお薬は」

「色々と集めて調合するものであってな」

「すぐに作ることは出来るのでしょうか」

「都にありそうなものもあれば」

 その薬の素がというのだ。

「山にあるものもある、しかし都には多くの人やものが集まっておる」

「それじゃあ」

「全て見付かるやもな」

 この都においてというのだ。

「まずは都を回ろう」

「ではじゃ」

 幸村は筧の娘への言葉を聞いてすぐに言った。

「これより我等で薬の素を探そう」

「それで素はどうしたものか」

 霧隠も幸村に問うた。

「一体」

「これから言う、ではこれより」

「そうじゃ、我等で集める」

 また幸村が筧に言った。

「都にないものなら都から出てな」

「そうされますか」

「では言うのじゃ」

 由利は笑って筧に自分から言った。

「すぐに集めようぞ」

「ではな」

 こうしてだった、すぐに。

 筧は老婆の病を治す薬の素を一行に話した。全て聞くと。

 幸村達は店を出てだった、風の様に動き。

 次の日の朝にはだった、店に戻って来た。そうして夜通し待っていた娘と彼女の母と父、それに兄に対して言った。

「待たせたな」

「あの、もうですか」

「素は全て集めた」

 幸村は優しい笑みで娘に答えた。

「だからこれよりじゃ」

「拙者が薬を作る」

 筧も娘に言う。

「暫し待たれよ」

「それでは」

 こうしてだった、筧はその薬の素を使ってだった。そのうえで。

 薬を作ってだ、それを老婆に飲ませた、すると老婆の顔は瞬く間に血色がよくなってきた。その老婆の顔を診てだ。

 筧は微笑んでだ、こう言った。

「これで大丈夫じゃ」

「ではおっかあは」

「この薬を朝晩一週間飲めばな」

「それで、ですか」

「後は起き上がって歩ける様にもなる」

「そこまでですか」

「よくなる」 

 そうなるというのだ。

「安心せよ」

「すいません、ここまでして頂いて」

「だから我等に礼は不要じゃ」

 筧もまた微笑んで娘に述べた。

「これは当然のことだからな」

「人を助けることはですか」

「武士は義に生きるもの、殿のお言葉である」

 幸村を見ての言葉だ。

「そして拙者もその通りと思う」

「だからですか」

「礼は不要じゃ」

「いやいや、そう言われてもです」

「そういう訳にもいきませぬ」

 ここで父と兄が言って来た。

「何かお礼を」

「させて下さい」

「娘も女房も助けてもらったことは事実」

「お礼をせねば我等も困ります」

 人としてというのだ。

「ですから」

「何かお礼をさせて下さい」

「あの、よければ」

 ここで娘が一行に申し出た。

「お豆腐は如何でしょうか」

「豆腐か」

「はい、うちは豆腐屋です」

 このことからの言葉だった。

「豆腐には自信があります」

「そしてその豆腐をか」

「如何でしょうか」

「殿、豆腐はいいですぞ」

 清海がここで幸村にその目をきらきらとさせて言って来た。

「あの様な美味いものはありませぬ」

「待て、それは御主が好きなだけであろう」

 その清海に穴山が突っ込みを入れた。

「どうせそこに酒もというのであろう」

「わかるか」

「わかるわ、御主程わかりやすい者はない」 

 こう言うのだった。

「全く、お礼を受けよというのか」

「折角の申し出、銭や宝等なら断るが」 

「こうしたことはか」

「受けるべきであろう」

「そうした考えか」

「あの、それでなのですが」

 娘はまた言って来た。

「お豆腐でよければ」

「遠慮なさらずに」

 父もまた言う。

「豆腐は幾らでもあります」

「それに貴方達は妹の、私達の恩人です」

 兄もだった、幸村達に言うのだった。

「ですから是非」

「そこまで言うのならな」

 ここまで聞いてだ、幸村も結論を出した顔で述べた。

「申し出を断り続けるのも非礼、ならな」

「豆腐ですか」

「確かに銭や宝なら断っていた」

 そもそもことのはじまりが母の薬代のことだからだ、ここで銭や宝を受け取っては本末転倒だからである。

「しかしな」

「それでもですな」

「豆腐ならよい、では酒はな」

 それはというと。

「こちらで用意して皆で飲もう」

「皆といいますと」

「ご家族もじゃ」

 幸村は娘にはっきりと答えた。

「如何か。酒はこちらで用意致す故」

「いえ、それは」

「そちらこそ遠慮は無用、お礼は受ける」

 豆腐のそれはというのだ。

「しかしお礼は受けても酒は酒」

「違うというのです」

「それはこちらで受けよう、ではな」

「左様ですか」

「では皆の者、いいな」

 幸村は今度は家臣達に言った。

「これよりな」

「はい、酒を用意して」

「豆腐を受けるのですな」

「そうしようぞ、ではな」

 こうしてだった、一同は酒を用意してそのうえで豆腐の礼を受けた。一同はその豆腐を食べてそのうえでだった。

 伊佐は温和な笑みでだ、店の主人に言った。その豆腐を箸で礼儀正しく食べつつ酒も飲んで少し赤くなった顔で。

「いや、見事な豆腐ですな」

「そう言って頂けますか」

「はい、大豆や水もよく」

 それにというのだ。

「作り方もです」

「全て考えていまして」

「そのうえで作っているのですね」

「左様です、お気に召されたようで何よりです」

「これは美味い豆腐じゃ」

 海野もその豆腐を酒と共に楽しみつつ言う。

「いや、まことにな」

「流石都じゃな」 

 望月は食べつつ唸っていた、その味に。

「これ程美味い豆腐があるとは」

「この湯葉も美味いぞ」

 根津はそれを食べていたが彼もまた唸っていた。

「こんな美味い湯葉ははじめてじゃ」

「そもそも湯葉なぞ都と比叡山の他はあまりない」

 清海もその湯葉を食べている、まるで馬が草を食う様に。

「都だからな」

「こうしたものが食えるか、しかしここまで美味い豆腐とは」

 由利もその豆腐を食べていてそのうえで言う。

「ご主人も兄上も素晴らしいのう」

「こんな美味い豆腐は本当にない」

 l霧隠もこう言うのだった、ただ普段の澄ました感じはそのままだ。

「それを馳走になるとは果報」

「娘殿も母上の難も過ぎた、まさに一件落着よ」

 穴山も食べながら言う、そして飲んでもいる。

「よかったわ、まことにな」

「そうじゃな、豆腐も美味い」

 猿飛も食べている、それも清海に負けない位の勢いで。

「こんないいことはないわ」

「あの、それでなのですが」

 娘は幸村に問うた、勿論彼も食べて飲んでいるが気品のある仕草だ。粗末な家の中であってもそれが見えている。

「お武家様と家臣の方々は都に留まられるのでしょうか」

「いや、間もなく大坂に向かう」76

「大坂にですか」

「そうする、そして国に戻る」

 こう娘に話した。

「これよりな」

「左様ですか、大坂に」

「近頃あそこは賑やかになっていると聞いた」

「はい、羽柴様があそこに入られるとか」

 娘もこの話は聞いていて知っていた。

「そしてとてつもなく大きなお城を築かれるとか」

「それを見に行く」

「見聞を広められるのですか」

「そんなところじゃ、だからな」

「もう都にはですか」

「発つ」

 はっきりとした言葉だった。

「明日にな」

「そうですか、ではまた都に来られたら」

「この店に来てじゃな」

「お豆腐をご馳走になって下さい」

「お武家様達は娘と女房の恩人です」

 店の主人が言って来た。

「ですから勘定はいいです」

「いや、そういう訳にはいきませぬ」

「娘と女房を助けてもらったので」

「それはこの度だけのこと」

 だからというのだ。

「ですから」

「次からはですか」

「豆腐を買わせてもらいます」

 こう言うのだった。

「そうさせて頂きます」

「そうされますか」

「客として参ります」

 これまたはっきりとした言葉だった。

「その様に」

「わかりました、それでは」

 主人も幸村の言葉と心を見てだった、頷いた。

 そしてだ、こう言ったのだった。

「ではまたいらして下さい」

「それではな」

 幸村は主人に穏やかな笑みで応えた、そうしてだった。 

 主従は豆腐も酒も楽しんでだった、店の一家に別れを告げてまた稼ぎに出た。それが終わってから宿に集まったが。

 その宿の中でだ、幸村はこんなことを言った。

「豆腐もよかったが」

「豆腐ではなく、ですか」

「他のことで、ですか」

「うむ。あの湯葉というものだが」

 幸村がここで言うのはこの食べもののことだった。

「あれは実に美味かった」

「湯葉は昔から都や比叡山にあったものでして」

 伊佐が幸村に話した、一行は今は宿で晩飯の後の一時を過ごしている。寝る前に。

「大豆から作る、所謂です」

「豆腐の仲間か」

「左様です」

「ああした食べものもあるのじゃな」

「はい、あとがんもどきもありましたが」

「あれも美味かった」

「あれも大豆で作りますが」

 そのがんもどきのこともだ、伊佐は幸村に話しあt。

「僧は肉は食べられませぬ」

「本来はな」

「はい、そうです」

「わしは違いますが」

 清海はその大きな口を開いて笑って言った。

「しかしです」

「本来はじゃな」

「そうです、しかし雁の味を忘れられず」

「出家してもか」

「それでその雁の味を再現したのがです」

「がんもどきか」

「そうなのです」

 伊佐は幸村に落ち着いた声でそのがんもどきのことを話した。

「それがあのがんもどきです」

「そうであったか」

「あとは揚げも美味かったですね」

「うむ、それもな」

 揚げについてもだ、幸村は述べた。

「よかった」

「はい、揚げは稲荷明神にも捧げますが」

「あの店の揚げは格別じゃった」

「都は元々豆腐とその料理が有名ですが」

「あの店はじゃな」

「その中でも特にです」 

 味がいいというのだ。

「私も口にしてです」

「よかったというのじゃな」

「まことに」

「そうじゃな。非常によい豆腐だった」

「はい、そしてその店を救えて」

「まことによかったな」

「殿も我等も善行を積めました」

 伊佐はこのことに満足していた、そしてだった。

 あらためてだ、幸村に言った。

「また殿のお人柄をさらに見せてもらいました」

「拙者のか」

「殿はまことの武士です」

 こう幸村に言うのだった。

「弱きを助け義を重んじられる」

「拙者はそうした者か」

「そのことと見せて頂きました」

「はい、まことにです」

「この度のことでも」

「殿を見せて頂きました」

「そのお心を」

 他の者達も言うのだった。

「ですからあらためてです」

「殿と共にです」

「道を歩ませて頂きます」

「そのことを誓わせて頂きます」

「そう言ってくれるか、ではこれからも頼むぞ」

 幸村は笑顔で頷いてだ、そしてだった。

 彼等にだ、その笑顔で言った。

「では今宵はな」

「酒ですか」

「いや、それはもう昼に飲んだ」

 由利に真面目に返した。

「酒は過ぎると毒、だからな」

「酒ではなく」

「もう休もう」

 寝ようというのだ。

「共にな」

「この部屋で、ですな」

「共に寝よう」

 これが幸村が今言うことだった。

「そして起きようぞ」

「では」

「これより今宵も」

「共に寝ましょうぞ」

「そして起きましょうぞ」

「明日は都を発つ」

 幸村は家臣達にこのことも告げた。

「そしてな」

「大坂ですな」

「いよいよあの地に行きますな」

「果たしてどんな地か」

「楽しみですな」

「うむ、では明日発とうぞ」

 この言葉を最後にしてだった、一行はこの日は寝てだった。朝早く宿を出て都も後にした。そしてだった。

 都を出てだ、その時にだった。

 海野が幸村にだ、こう言った。

「大坂への行き方ですが」

「歩くか船か」

「はい、船を使って淀川を下れば」

 その行き方ならばというのだ。

「大坂まですぐです」

「そう聞いているが」

「はい、船で行かれますか」

「そうじゃな」

 海野に言われてだ、幸村はまずは考える顔になった。

 そしてだ、こう言ったのだった。

「船もよい、しかしな」

「今はですか」

「都から大坂への道も見たい」

「そうされますか」

「船だとすぐじゃがな」

 それでもというのだ。

「道はじっくり見られぬ」

「だからですな」

「ここはじゃ」

「都から大坂への道を見つつ」

「歩いて行きたい、道を知ることも兵法じゃ」 

 こうもだ、幸村は言った。

「今後どの様な戦があるかわからぬしな」

「それでは」

「歩いて行こうぞ」

 これが幸村の考えだった。

「大坂までな」

「では行きは歩き」

 ここで提案したのは霧隠だった。

「帰りは船で如何でしょうか」

「帰りはか」

「陸路も水路も知るべきだと思いますが」

 実際にそうした道を使ってみて、というのだ。

「どう思われますか」

「道は陸だけではない」

 幸村は霧隠の言葉にこう返した。

「それならばな」

「はい、それもいいですね」

「才蔵の言う通りじゃ、そうしよう」 

 幸村は霧隠の言葉をよしとした。

「ではな」

「はい、それではその様に」

 こうしてだった、行きだけでなく帰りの道も決めたのだった。そのうえで一行は都を後にして大坂に向かうのだった。

 その歩きはじめた中でだ、猿飛がこんなことを言った。

「都から大坂までの道は穏やかです」

「道がなだらかなのじゃな」

「はい、それに往来も多くよく治まっております」

「では危険は少ないな」

「左様です」

 こう幸村にも話す。

「ですから安心して下さい」

「そうか、では落ち着いて先に進めるな」

 幸村は猿飛のその話を聞いて笑顔で応えた。

「よいことじゃ、やはり天下は穏やかでなければな」

「ならぬと」

「そうじゃ、乱れておるとじゃ」

 天下が、というのだ。

「往来も出来ぬ、無論商いもな」

「商売人も行き来せねばなりませぬからな」

 根津も言う。

「一つの町で商いをする者もいますが」

「それでもものは一つの町で賄えぬことも多い」

「だからですな」

「商売も天下が泰平でこそじゃ」

「栄えますな」

「戦国の世も商いは出来ておった」

 確かに戦は多かった、しかし商人の往来はありそれなりに栄えている町も多かった。このことは信濃も同じだった。

「しかし本当に栄えるにはな」

「泰平であってこそ」

「まことに栄える、だからな」

「まずは泰平であってこそですか」

「そうじゃ、確かに前右府殿が倒れ天下はどうなるかわからなくなった」

 再びだ、天下は乱れるかも知れないというのだ。幸村は天下の流れについて決して楽観してはいなかった。

「羽柴殿が次の天下人に近いといってもな」

「そうですな、それがしも思うに」

 筧の読みはというと。

「羽柴殿は天下人になられます、すぐにです」

「その足場はもうj固まっておるか」

「はい、そのこともありますので」

「だからじゃな」

「羽柴殿が天下人になられます」

 筧はまた言った。

「そして天下は泰平に向かうでしょう」

「やはり次は羽柴殿か」

「はい、ただ」

「ただ。何じゃ」

「羽柴殿にはお子がおられませぬ」

 筧はここでこのことを言った、秀吉個人のことである。

「一門の方も少ないです」

「あの御仁は百姓の出」

 穴山は秀吉のこのことを筧に言った。

「そのせいでじゃな」

「うむ、代々の譜代の臣というものもおらぬな」

「そうじゃな、あの方には」

「弟の羽柴小竹殿がおられるが」

「それでもじゃな」

「一門衆は三好家に行かれた秀次殿位、とかく後がおらぬ」

 跡継ぎがというのだ。

「もう四十を過ぎておるのにな」

「羽柴殿は女好きと聞いたが」

 海野も秀吉のことを言った、彼のこのことは天下に知られていることだ。

「隠し子でもおられぬか」

「おられるかも知れぬが」

「しかしか」

「表には出ておらぬ、おられても出られるのならな」

「同じことか」

「そうじゃ、そこが気になる」

「後は秀次殿が継がれるのではないのか」

 由利が言った。

「そう思うが。わしは」

「そうだと思うがな。しかしな」

「あの御仁には跡継ぎがおらぬ」

「このことが気になるのう」

「羽柴殿の泣きどころはそれか」 

 望月も考える顔になっていた。

「万全ではないか」

「跡継ぎは必要じゃ」

 筧はこのことは絶対とした。

「おらねばまさにその後がわからなくなる」

「そうじゃな、どの家もな」

「そういうことじゃ、羽柴殿はとかく子がおられぬ」 

 実は息子だけでなく娘もいない、秀吉はとかく女好きであるが何故かこれまで子が一人もいないのである。

「四十を過ぎた、そろそろ跡継ぎがおられぬと」

「天下人になられても」

 伊佐も言った。

「後が問題になられますな」

「そこが気になるところじゃ」

「お子はやはり必要ですな」

 僧であるが伊佐はこのことを言った。

「どうしても」

「うむ、家のことを考えるとな」

「上杉家もそれが問題になりましたし」

「ああ、謙信公は奥方がおられなかったしな」

 ここでだ、清海も言った。

「毘沙門天を信仰されておってな」

「それで後で揉めたな」

「景勝殿が継がれたがな」

「ご子息がおられなかったからな」 

 謙信は妻も側室も持たず生涯不犯であった、当然大名では稀と言ってもまだ足りぬことだった。それで子息がいる筈もなかった。

「だからじゃな」

「うむ、景勝殿と北条家から入られていた景虎殿が争われたが」

「あれは一歩間違えるとじゃったな」

「大変なことになっておった」

 上杉家の中がというのだ。

「散々に乱れるところじゃった」

「そうならなかったのは僥倖か」

「いや、僥倖ではない」

 清海にだ、幸村がすぐに言った。

「上杉家のそのことはな」

「僥倖ではないと」

「うむ」

「と、いいますと」

「上杉家には出来人がおられる」

「直江兼続殿ですな」

 すぐに筧が言って来た。

「あの方ですな」

「聞いておったか、御主は」

「はい、上杉家の主となられた上杉景勝様の懐刀」

 筧は幸村に確かな声で答えた。

「お若いながら上杉家の執権を務めておられますな」

「そうじゃ、あの御仁がおられるからな」

 だからだというのだ。

「上杉家はとなったがすぐに収まった」

「まずは謙信公が蓄えておられていた軍資金を収められ」

「春日山城にも入られてな」

「そのうえで戦われました」

 その景虎とだ。

「そうされたので、でしたな」

「上杉家の乱はすぐに収まり景勝公が主となられた」

「そうでありましたな」

「上杉家に直江殿ありじゃ」

 こうも言う幸村だった。

「あの方がおられる限り上杉家は確かじゃ」

「ううむ、そうした方がおられますか」

 清海は幸村と筧の言葉を聞いて唸る声で言った。

「それは凄いですな」

「だからあの家も侮れぬぞ」

「ですな、謙信公だけではありませぬか」

「謙信公はもうおられぬ、しかしな」

「上杉家にはまだ人がおるということですな」

「そういうことじゃ」

 まさにというのだ。

「そのことは覚えていてくれ」

「ですな、上杉家は真田のすぐそこにおります」

 霧隠が言って来た。

「ですから」

「あの家のことは常に見てな」

 そうしてというのだ。

「気を払わねばならぬ」

「そうですな」

「徳川家や北条家だけではない」

「上杉もまた然り」

「そうなる。しかし上杉家は信濃には入ってもじゃ」

 それでもというのだった、幸村はここで。

「上田までは狙っておらぬ」

「そこまではですか」

「真田家の場所までは」

「入ってはきませぬか」

「上杉家は」

「上杉家は関東管領、しかし信濃は西国に入っておる」

 東国ではないのだ、信濃や甲斐、駿河までが西国であり室町幕府では将軍が治める国々だった。東国は鎌倉公方の治める国々だった。そして関東管領はその鎌倉公方を補佐する言うならば関東全域の執権だったのだ。

「だからな」

「信濃に入られようとも」

「あまり入られぬ」

「目指すのはあくまで東国」

「そうなりますか」

「真田家より北条家じゃ」

 上杉家の敵はというのだ。

「謙信公の時からの因縁がある」

「もっと言えば、ですな」

 穴山がその目を鋭くさせて言って来た。

「謙信公が継がれる前の上杉家からですな」

「そうじゃ、北条家の祖早雲公からじゃ」

「でしたな、早雲公は相模を手に入れられそこから上杉家と争っておられました」

「その争いの因縁はな」

「上杉家同士も争っていましたが」

 海野が言うことはというと。

「山内と扇谷に分かれて」

「そこに北条家が来てな」

「余計にややこしくなっていましたな」

「左様、だからじゃ」

 それでというのだ。

「上杉家と北条家の因縁は根が深い」

「土地の争いもですな」

「それもありますな」

「あくまで上杉家は関東管領、領地は越後にじゃ」

 これは長尾家、謙信の本来の家の領地である。もっと言えば謙信の父である長尾為景が手に入れた国だ。

「上野等じゃ」

「つまり関東管領のですな」

「本来の領地ですな」

「そこを取り戻す」

「その様にお考えなのですな」

「そういうことじゃ、だからじゃ」

 幸村は上杉家えの動きも見据えていた、それも確かに。

 そのうえでだ、大坂に向かいつつ周りの自身の家臣達に話すのだった。

「あの家は上田までは来ぬ」

「ではやはりですな」

「徳川家か北条家ですか」

「どちらかが上田まで来ますか」

「そうなりますか」

「おそらく徳川じゃ」 

 幸村の読みではだ。

「北条家は上杉家と争い続けていることからもわかるな」

「東国ですな」

「関東に主な目が向いていますな」

「だから信濃よりもですか」

「東国ですか」

「あちらに向かう、そして里見家や佐竹家、宇都宮家とも争う」

 上杉家とだけでなく、というのだ。

「関東の古い家々とな」

「ではやはり」

「上田に来るのは徳川家」

「そうなりますか」

「今にも信濃や甲斐の南に入っておろう」

 このこともだ、幸村は見ていた。

「上田まで至るには時があるが」

「間違いなくですか」

「上田まで来ますか」

「そして当家と戦になる」

「そうなりますな」

「そうなる、だから拙者は旅をしてじゃ」

 そのうえでというのだ。

「御主達を集めたのじゃ」

「徳川家と戦い真田家を守る」

「その為に」

「そうじゃ、まさか十人も集まるとはな」

 この言葉は微笑んで出したものだった、それも心から。

「まことに有り難い、では大坂を見た後は上田に戻るが」

「さらに西には行かれませぬか」

 猿飛が問うた。

「大坂からは」

「そこまでは考えておらぬ」

 幸村は猿飛にこう答えた。

「大坂を見てじゃ」

「そして、ですか」

「帰るとしよう」

「そうされますか」

「うむ、大坂から淀川を上って都に戻ってな」

 そしてというのだ。

「そこから道を戻るか」

「そうされますか」

「それがよいか、いや」

 ここでだ、幸村は言った。

「我等は信濃にいる、だから歩く道しか知らぬが」

「そこを、ですか」

「さらにですか」

「川や海の道を知るべきか」

 こうも思い言うのだった。

「そうも思うが」

「だから淀川をですな」

「帰りは使われるのでは」

「違うのでしょうか」

「それもそうじゃな、実は堺も行ってな」

 そしてというのだ。

「そこから海で紀伊を回って伊勢か尾張にと考えておったが」

「その道もよいかと」

 根津jは幸村のその考えに頷いて賛成の意を示した。

「それがしもあの道を使ったことがありますが」

「その道のことを知ることもじゃな」

「よいかと」

「甚八はそう思うか」

「はい、信濃は海がなく歩いてばかりだと思いますが」

「その通りじゃ」

「しかし海や川の道もまた道で」

 だからだというのだ。

「使われるべきだと思います」

「左様か」

「ですから一考されては」

「少なくとも堺に行かれることはよいことかと」

 伊佐は堺に行くという幸村の今の考えに賛成の意を示した。

「あの町に行くことも見聞を広めることになります」

「凄い賑わいと聞く」

「都よりも様々な者がおりますし」

「それもあってか」

「はい、堺の商人達も御覧になられてはどうでしょうか」

「あそこの町衆はかなりのものですぞ」

 清海も言って来た。

「それがしもあそこで遊んだことがありますが」

「どうせまた酒を飲み過ぎて暴れたのであろう」

 望月がその眉を顰めさせて清海に言った。

「御主のことじゃからな」

「そこでそう言うか」

「違うか」

「それはその通りじゃが」

 ここで嘘を言わないのが清海だ、正直ではあるのだ。

「しかしそれだけではないぞ」

「ちゃんと堺を見てきたのじゃな」

「そうじゃ、それで言うのじゃ」

「あの町も見ておくべきか」

「左様じゃ」

「わかった、海の道を使うかどうかはわからぬが」

 それでもとだ、幸村はここでまた言った。

「堺には行こう」

「ですか、では大坂の後は堺ですな」

「あの町に行くのですか」

「そうするとしよう」

 家臣達にも言う、こうして幸村一行は大坂だけでなく堺にも行くことになった。一行の旅はここでさらに長いものになることが決まった。



巻ノ十三   完



                         2015・7・2


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