巻ノ十二 都
猿飛佐助も加えた幸村主従はそのままだった、都に向かっていた。都に着くまでにはこれといったこともなかった。
それでだ、翌朝都が見えるという場所まで来て野宿した時にだ、幸村はこんなことを言った。
「いや、まさかな」
「まさか?」
「まさかといいますと」
「うむ、佐助が入ってからはな」
「これといってですか」
「何も騒動がないと」
「うむ、旅人と擦れ違っても稀で擦れ違うだけじゃった」
それでというのだ。
「これといって何もなかったのう」
「ですな、確かに」
穴山が幸村のその言葉に答えた。一行は今は火を囲んでそのうえで話をしている。火の周りには肉が枝に刺されて焼かれている。
その肉が焼けたと見れば一行はそれぞれ取って食べている、見れば一行の横には猪が横たわっている。
「これまでは何かとです」
「話があってな」
「我等が殿の下に集まりましたが」
「そうしたことが急になくなった」
こう言うのだった。
「少なくともここまではな」
「そうですな、しかしです」
幸村にだ、筧が言うことはというと。
「そうしたこともです」
「あるか」
「都までの道はそもそも人が少ないので」
「誰かと話すこともじゃな」
「ありませぬ、それに我等は獣の群れにも遭いませぬが」
「我等の数が多いからじゃな」
「そうです、獣も獲物の数が多いと来ませぬ」
筧はこのことも話した。
「それ故にです」
「我等は今は何もないか」
「左様です」
「人も獣もいなくては何もない」
由利も言う。
「そういうことですな」
「そうじゃな、しかしこれが普通の旅じゃな」
「はい、むしろです」
「これまでがか」
「何かと起こり過ぎていたのです」
そうだったというのだ。
「殿には」
「そういえば殿はです」
伊佐は主の顔を見てこんなことを言った。
「動乱の相がありますな」
「動乱のか」
「非常によい相ですが様々な物事かやって来る」
「そうした相か」
「左様です」
「だからこれまでも何かがあったのか」
「そうかと。ですから今は静かですが」
その静かが、というのだ。
「すぐにです」
「動乱に変わるか」
「そうかと。山中鹿之助は七難八苦でしたが」
このことは自ら神に与えよと言ったのだ。
「しかし殿はおそらく」
「その山中殿以上にじゃな」
「多くの難と苦しみが来るやも知れませぬ」
「左様か」
「それでも宜しいですか」
「構わぬ」
幸村は微笑んで伊佐にこう返した。
「それでもな」
「左様ですか」
「うむ、それもまた人生」
達観している言葉だった。
「それなら前から受けてな」
「そしてですか」
「受けて立って乗り越えてみせようぞ」
その難も苦もというのだ。
「そうしてみせるわ」
「そうされますか」
「うむ、それが拙者の考えじゃ」
こう強い声で言うのだった。
「そうしたことで逃げたくはない」
「ですか、難苦にはですか」
「どういったものでも」
「そうしたい」
「では、です」
「我等はその殿と一緒にいます」
「何時でも」
笑顔で、だ。ここでこう言う家臣達だった。
「何かあればです」
「我等がいますので」
「お任せ下さい」
「例え火の中水の中でも」
「お供致します」
こう話してだ、そしてだった。
十人は幸村と共にいることも誓いだ、そのうえで。
今は猪の肉を食う、清海はその肉を食いつつ言うのだった。
「獣の肉はじっくりとな」
「はい、火を通してです」
伊佐はその兄に応えた。
「食せねばなりません」
「さもないとあたるからのう」
「兄上、川魚もですぞ」
伊佐が兄にこちらもと言った。
「あちらもです」
「うむ、虫がおるからのう」
「だからです」
「よく火を通して食せねばな」
「さもなければ後で厄介なことになります」
その虫のせいでというのだ。
「よく鯉を生で食べてです」
「後で虫が出てのう」
「身体の中に虫がいて騒ぎますので」
「注意して食わねばな」
「ですから獣や川魚、海のものでも漁れたてでなければ」
「火を通して食わねばな」
「そういうことです」
「魚を生で食うか」
穴山は二人の話に目を瞬かせて言った。
「わしはそれはないのう」
「わしもじゃ」
「わしもそれはな」
由利と海野も言う。
「信濃ではな」
「それはないのう」
「うむ、若しそんな食い方をすればな」
霧隠も言うのだった、伊賀者の彼も。
「食あたりをしてしまう」
「山でそんなものは食わぬ」
望月も同じだった。
「火を通して食う」
「海のところでないと魚なぞは生では食わぬな」
根津もこう言うのだった。
「岐阜でもなかったわ」
「刺身は相当新しくまた安心出来る魚以外で食ってはなりませぬ」
筧は学問の見地から述べた。
「食は身体を養うものですからな」
「ううむ、伊予ではそうして食うこともあるが、鯛とかをな」
猿飛は自分の生まれの国のことから話した。
「上田ではそれはなさそうじゃな」
「うむ、ない」
幸村は猿飛にはっきりと答えた。
「それはな」
「やはりそうですか」
「海がないからな」
「そして川魚も」
「そうしては食わぬ」
「伊佐が言う理由で、ですな」
「そうじゃ、そのことは我慢してもらう」
刺身を食えぬことはというのだ。
「他にもな。上田は美味いものはなく」
「贅沢はですか」
「期待せぬことじゃ」
「わかりました、というよりかは」
「どうしたのじゃ」
「拙者は贅沢より暴れです」
そちらだというのだ。
「そちらの方が好きなので。食うのは好きですが」
「腹一杯食うのがか」
「好きでして、何でも食います」
「贅沢は出来ずともじゃな」
「ははは、山で祖父様と一緒にいました」
「それで忍術を学んでおったな」
「そうでした、それで贅沢とは無縁の生活をしていましたので」
それでというのだ。
「そんなことよりも」
「暴れることか」
「そして腹一杯食えれば満足です」
「ならよいがな」
「ではこの猪も」
「うむ、たらふく食おうぞ」
清海もその猿飛に言う。
「この猪は美味いぞ」
「そうじゃな、明日はいよいよ都じゃ」
「賑やかな場所じゃ、楽しみじゃ」
「御主、賑やかといってもな」
穴山は眉を顰めさせて上機嫌の清海に忠告した。
「羽目を外してな」
「遊び過ぎるなというのじゃな」
「そうじゃ、酒に博打は気をつけよ」
「やれやれ。そう言うのか」
「当たり前じゃ、只でさえ御主は目立つのじゃ」
その大柄さと豪快だが剽軽な顔立ちからだ。
「大人しくしておれ」
「酒を飲めぬのは困るぞ」
「それで暴れられたら敵わぬわ」
力自慢の望月でもというのだ。
「我等でも一人一人ならかろうじてだからな」
「安心せよ、程々に飲む」
「その程々はどれ位じゃ」
「二升じゃ」
笑って言う清海だった。
「ほんのな」
「二升がほんのか」
由利はその単位に呆れて返した。
「うわばみか、御主は」
「拙僧は三升ですが」
伊佐は落ち着いた顔でその由利に言った。
「兄上よりも飲みます」
「三升も何処に入るのじゃ」
「そう言われましても」
「飲めるのか」
「はい、ただ私は酔いませぬ」
「幾ら飲んでもか」
「そうなのです」
兄の清海とは違い、というのだ。
「左様です」
「ならよいがな」
根津は伊佐の酔わないことを聞いて安心した。
「それならな」
「はい、逆に幾ら飲んでも酔わないので」
それでともだ、伊佐は根津に話した。
「残念にも思います」
「酔えぬのがか」
「どうも。味はわかるのですが」
それでもというのだ。
「兄上の様に酔わず。酔いというのがわかりません」
「それはかえって凄いのう」
「全くじゃな、わしは酒よりも甘いものの方が好きじゃが」
猿飛も言う。
「酔えぬというのはな」
「わしも酒には自信があるが」
霧隠も首を傾げさせている。
「酔えぬとはのう」
「そのことも都で見ることになるか」
首を傾げさせつつだ、幸村は沈着な声で述べた。
「飲む機会があれば」
「そうかも知れませんね」
伊佐もにこりと笑ってだ、幸村に答えた。
「ではその時は」
「うむ、見せてもらおう」
「殿、路銀が尽きてきています」
ここでだ、穴山がまた言って来た。
「ですから都では我等が芸をして」
「そうしてか」
「路銀を稼ぎますので」
「そうしてくれるか」
「はい、幸い我等十人そうした芸は持っています」
穴山も含めてというのだ。
「ですからそうしたことはです」
「安心していいか」
「幾らでも稼いでみせます」
「わかった、では拙者も何かしよう」
「殿もですか」
「刀術を見せる芸程度は出来る筈じゃ」
だからだというのだ。
「それをしてみせよう」
「そうされますか」
「うむ、御主達が働いて拙者は見ているだけではな」
そうしたことはというのだ。
「ならんからな」
「だからですか」
「うむ、拙者も働いて銭を手に入れよう」
幸村も率先してというのだ、こうしたことを話してだった。
幸村達は都に向かうのだった、そして。
この日は猪の肉を楽しみだった、じっくりと寝た。
朝は日の出と共に起きて猪肉の残りを食べて皮は取って骨を埋めて弔ってからだった。一行は都に向かった。
その道中でだ、清海は幸村に問うた。
「あの、我等が食した猪ですが」
「あの猪がどうかしたか」
「弔いましたが」
「そのことが何かあるか」
「はい、わしと伊佐が中心になって弔いましたが」
そのことについてだ、戸惑いながら言うのだった。
「殿は食ったものには全てそうしていますな」
「そうしておる」
「それは何故でしょうか」
「当然のことじゃ、その命を貰ったのじゃ」
だからとだ、幸村は冷静に答えた。
「それならばな」
「命を供養するのはですか」
「当然のことじゃ、これは猪だけではなくな」
「他の獣や魚も」
「そうする、殺生をしたからにはな」
「弔うと」
「それが拙者の考えじゃ」
こう話すのだった。
「だからな」
「あの猪にもそうして」
「これからもそうする、戦の時もな」
その時もというのだ。
「そのことはわかってもらう」
「わかりました、しかしそれこそが」
「それこそが。どうしたのじゃ」
「殿の仁なのですな」
「拙者は仁があるとは思っておらんが」
それでもというのだ。
「学びたいとは思っておるからな」
「だからですな」
「こうしたことは忘れずにしたい」
「では戦の時も」
「無論、敵であろうとも命は命」
それならというのだ。
「そのことはな」
「必ずですな」
「戦の後は弔う」
「敵味方隔てなく」
「そうする」
「そうですか、そうした殿だからこそ」
清海はその幸村を見て話した。
「我等は共にいるのですな」
「拙者故にか」
「縁あってお仕えしましたがそのお心を知れば」
それでというのだ。
「余計にそうなるのですな」
「そうじゃな、今の話を聞いてわしもな」
猿飛も言う。
「殿のことを少し知った気がする、では」
「それではか、御主も」
「殿にお仕えしたいとさらに思った」
猿飛は清海に答えた。
「そうしたい」
「そうじゃな、ではな」
「うむ、これから何があるかわからぬが」
それでもというのだ。
「殿と共にいたいな」
「そうじゃな」
今度は清海が頷いた、そしてだった。
他の者達も頷いた、その猪のことから幸村をさらに知ることになってだ。そうした話もしながら都に進んだ。
その都が目に入って来た、すると。
遠目に見てもその賑わいはかなりでだ、幸村は唸った。
「これは」
「どう思われますか」
「これ程見事な賑わいの町は見たことがない」
こう霧隠にも答えた。
「岐阜以上ではないか」
「はい、もうこれ程までです」
「賑やかになっているのじゃな」
「先日本能寺と二条城で乱がありましたが」
それで信長と彼の嫡子である信忠が死んでいる、所謂本能寺の変だ。
「しかしです」
「それでもじゃな」
「賑わいはこのままで」
「それでか」
「以前の荒れ果てた姿はもうなく」
「平安や室町の様な、いや」
自分の言葉をだ、幸村は途中で止めて言い換えた。
「それ以上じゃな」
「それ程までの賑わいを手に入れています」
「そうじゃな」
「はい、あの様に」
「荒れた都は戦国そのものだったという」
「そうです、しかしです」
それがというのだ。
「前右府殿が上洛されて以降はです」
「あの様にか」
「復興されて今や」
「あそこまでになっておるのか」
「左様です」
「そうか、しかし遠目で見たところ」
どうかとだ、ここでこうも言った幸村だった。
「賑やかで人が多くなってじゃ」
「それで、ですか」
「狭くなっておるか」
「そういえば」
霧隠もその話を聞いてだ、頷いて言った。
「家も店も多くなり」
「そうじゃな」
「そうなってきていますな」
「前右府殿の政は相当よかったようじゃな」
幸村はその賑わいから言った。
「人が相当に多い、だからな」
「人が多くなり過ぎて」
「人も家も店も多くなり狭くなってきたわ」
「こうした場合他の町なら広がるのですが」
筧は町のことから話した。
「城下町ならば」
「しかし都はな」
「基本壁に囲まれております」
今はもう朽ち果てて忘れられているに等しいがだ。
「ですから他の町の様に広がることが出来ませぬ」
「昔からそうであるな」
「小田原城もそうですが」
「北条氏のあの城か」
「はい、あの城は町を城壁や堀で囲んでおります」
その為非常に大きな城になっている、それで天下に知られている城なのだ。
「あの城も城の外から出られませぬ」
「そして都もじゃな」
「中からは出られませぬ」
「町がな」
「ですからこの場合厄介なのです」
人が増え過ぎると、というのだ。
「本朝では珍しい形ですが」
「明ではああした町ばかりと聞くがな」
「何でも南蛮でもそうだとか」
「あちらでもか」
「何でも本朝以外の国では。天竺でもです」
都の様にというのだ。
「城と町は同じものでありまして」
「そしてじゃな」
「町は壁に囲まれそれが城になっています」
「そこが違うな」
「左様です」
「そして本朝では都や小田原がじゃな」
「そうした町で。広がりにくいのです」
こう幸村に話すのだった。
「それ故にこれから羽柴殿が都をどう治められるかがです」
「見るべきものじゃな」
「そうだと思います」
「そうじゃな。町をどうするかもまた政」
「田畑を耕し堤や橋を築くのと同じく」
「それが出来ずして天下人にはなれぬか」
「政なくして天下泰平はありませぬ」
筧はこのことは断言した。
「それ故にです」
「羽柴殿も政次第か」
「戦fが強くて天下を取れぬのならば」
それだけでだ、ことを成せるのならというのだ。
「木曽義仲公はそのまま天下人になっていました」
「旭将軍のままか」
「そうなっていました」
「そうじゃな、義仲公は戦は強かったが」
「政には疎かったです」
特にその駆け引きにだ、その為後白河法皇や源頼朝に翻弄されて無残な末路を迎えたのである。このことは平家物語にある。
「それ故にです」
「天下を握り続けられなかった」
「ですから」
「政じゃな」
「羽柴殿もそれ次第です、そして」
「我等真田家もじゃな」
「左様です」
筧は幸村に顔を向けて答えた。
「そのことは殿も」
「無論じゃ、だから今もな」
「都のことを話されましたな」
「よき政なくして栄えはない」
幸村は言い切った。
「まさにな」
「その通りであります」
「だからじゃ、父上は上田をよく治められてじゃ」
「殿もまた」
「政のことも学んでおる」
「それでこそ真の武士です」
政も知ってこそというのだ。
「そして我等が殿です」
「政も知っておるからか」
「そうです、では殿これより」
「うむ、都に参ろうぞ」
「さすれば」
ここで話を一旦止めてだった、一行は都に足を進めた。そして。
都に入るとだ、遠目で見るよりもだった。
賑わいがわかった、多くの者が行き交い店も多い。その賑わいを見てだった。
幸村は目を丸くさせてだ、唸って言った。
「こうして中に入って見ると」
「驚くばかり」
「全くですな」
海野と望月の二人の六郎も言う。
「色々な店があり」
「そこに人が行き交っていますな」
「これが今の都でありますか」
「相当なものですな」
「拙者ははじめて見た」
幸村にとってははじめての上洛だ、それ故に言うのだった。
「これが真の賑わいか」
「あと堺もですぞ」
猿飛が幸村に言う。
「凄い賑わいでして」
「あそこもじゃな」
「左様であります」
「そうか。見れば」
ここでだ、幸村は。
右手の店に出入りしている青い目と赤い髪と髭に白い肌の者達を見た。見れば背丈は望月程の大きさである。
その彼等を見てだ、幸村は言った。
「あの者は南蛮人じゃな」
「そうです、あの者がです」
猿飛は幸村にすぐに答えた。
「南蛮人です」
「目の色が我等と違うな」
幸村はその目を見て言った。
「そして身なりもな」
「先に変わった服の芸人と会いましたが」
「あれがじゃな」
「普通の南蛮人の格好です」
「ふむ。そういえば」
幸村はその南蛮人が肩から羽織っている身体を背中の半分をくるぶしまで覆うその丈の長い着物を見て言った。
「あの変わった羽織は面白いな」
「マントですな」
「あれはマントというのか」
「はい、前右府殿や前関東管領殿が着ておられました」
上杉謙信のことだ、謙信は関東管領であったのでこう呼ばれているのだ。
「どちらの方も洒落好きでしたので」
「確かに格好よいな」
「では殿も如何ですか」
「いや、高いであろう」
幸村は猿飛の誘いにこう返した。
「だからな」
「宜しいですか」
「奢侈はよくない」
はっきりとした言葉だった。
「だからな」
「左様ですか」
「真田家は小さい、そしてお世辞にも豊かとは言えぬ」
十万石のだ、徳川や上杉と比べるとほんの小さな家だからというのだ。
「しかも武士は贅沢をせぬものだ」
「だからでありますか」
「その前関東管領殿も普段は質素であられたな」
「酒はお好きでもです」
謙信の酒好きは有名だった、それで猿飛も言うのだ。
「それがしも聞いた限りでは」
「塩や梅を少しで飲まれてな」
「マント以外の身なりも質素であられたとか」
「前右府殿も普段は節約されていたという」
「では武士は」
「贅沢をせぬもの」
それが武士の倫理だというのだ。
「だから拙者もな」
「奢侈はされませぬか」
「それはせぬ、それに幾ら贅沢をしてもそれは一時のこと」
そこに無常も見ての言葉だった。
「永遠ではない、楽しんでも仕方ありませぬ」
「左様ですか」
「だからマントもよい、それに拙者には既に服がある」
「今着ておられるものですか」
「それに具足も陣羽織もある」
武具の話もするのだった。
「ならばよい、充分じゃ」
「そうでありますか」
「そう考えておる」
「それでは拙者もそれで」
言わないとだ、猿飛も応えてだった。
彼もそこからは言わなかった、だがそうした話をしつつも見て回る都は素晴らしくだ。幸村の興味をいたく刺激した。
それでだ、幸村は休息に入った店で団子を食いつつだ、家臣達に言った。
「こうした賑わった街を見ると楽しい」
「そのことはですな」
「殿も楽しまれていますか」
「民が栄え楽しんでいる」
幸村が見ているのはこのことだった。
「これ以上にないまでによいことじゃ」
「それを御覧になられてですか」
「殿もご満足ですか」
「民が楽しんでいるのを見ていることを」
「そのことをですか」
「うむ、これ程よいものはない」
幸村は串に刺さっている白い団子を横から食いつつ答えた。
「やはりまずは天下泰平じゃ」
「天下が落ち着いてこそ」
「民達は楽しめる」
「殿はそれが第一ですか」
「そう思われていますか」
「戦はないに限る」
こうも言うのだった。
「戦で傷付くのは民と国、どちらも傷付けてはならぬ」
「ううむ、戦は武士の務めですが」
「それでもな」
猿飛にだ、ここではこんな話をした。
「戦はせぬに限る、そしてしたとしてもな」
「戦をしてもですか」
「民と国は絶対に傷付けてはならぬし」
「それにでありますか」
「敵といえども無闇に命を奪ってはならん」
「敵でもですか」
「無闇に血を流して何になるか」
幸村はそうしたことには強い拒絶を見せていた。
「信玄公も謙信公もそれは忌み嫌われていた」
「はい、どちらの方もです」
穴山が幸村の今の言葉に確かな声で答えた。
「戦になろうともです」
「無闇な殺生はされなかったな」
「そうしたことは非常に嫌われていました」
「そうじゃ、それは真の武士のすることではない」
「だからですな」
「拙者も同じ考えじゃ」
穴山にも言うのだった。
「戦になろうとも無闇な殺生はせぬ」
「余計は血を流さずに」
「戦う、そうする」
「それが殿のお考えでありますか」
「そして真田家のじゃ」
幸村だけでなくというのだ。
「真田家は絶対にじゃ」
「無闇な殺生はせぬ」
「戦になれば力の限り戦おうともな」
それでもというのだ。
「人を余計に殺すことはせぬ」
「それがしもです」
「拙僧もそれは」
暴れるのが好きという猿飛と清海の言葉だ。
「戦は好きですが」
「無駄な血は嫌いです」
「強い者と戦いたいだけであります」
「戦や喧嘩の場以外での血には興味がありませぬ」
二人にしてもだった、このことは。
「ましてや己より弱い者をいたぶるなぞ」
「その様なことは外道のすること」
「武士や賊、ならず者には興味がありますが」
「民や降った者には興味がありませぬ」
「当家では民を傷付けたり降った者に手を出すことは許されておらぬ」
幸村も二人にこのことは強く言う。
「若しそうしたことをすれば」
「はい、その時は」
「我等も」
二人もわかって答える。
「覚悟はしております」
「どうか首をお打ち下さい」
「そこれがわかっているのならよいがな」
「確かに兄上は暴れ好きですが」
伊佐はその清海について述べる。
「間違っても民や弱い者に手を出すことはありませぬ」
「そうして何が面白い」
清海はその弟にも言った。
「弱いものをいたぶって」
「それが兄上ですな」
「強い者を相手にしてな」
そのうえでというのだ。
「暴れてこそじゃ」
「楽しいと」
「幾ら酒で酔っていてもじゃ」
酒乱のことは自覚している、しかしというのだ。
「わしは自分より弱い者をいたぶることはない」
「それはまことか?」
霧隠は清海の今のことばに眉を顰めさせて問い返した。
「酒に酔っておってもか」
「うむ、自分より弱い者にはな」
「暴力は振るわぬか」
「それは伊佐がよく知っておる」
「まことか?」
霧隠は清海のその強い言葉を受けて伊佐に顔を向けて彼に問うた。
「この者は実際に酔ってもか」
「はい、ご老体やおなご、子供にはです」
「手出しはせぬか」
「一切」
伊佐もはっきりと答える。
「兄上は」
「ふむ、まことにそうなのか」
「わしは弱きを助け強きを挫くじゃ」
清海はまた言った。
「その様なことは断じてせぬわ」
「そうしたことはしっかりしておるのじゃな」
「左様、あとものも奪わぬ」
それもしないというのだ。
「銭はしっかりと己で稼ぐしな」
「ならよいがな、しかしな」
「しかし。何じゃ」
「御主相当飲むな」
霧隠は清海のその巨大な体格を見て述べた。
「そうじゃな」
「うむ、食いもするしな」
「そうじゃな、ではこれからか」
「夜は飲むぞ」
実際にというのだ。
「盛大にな」
「その分の銭は稼ぐ様にな」
根津はこう清海に忠告した。
「さもないと銭がもたぬぞ」
「わかっておる、見世物をしてな」
「そうせよ。わしもそうして銭を稼ぐ」
根津にしてもというのだ。
「刀を使ってな」
「そうするか」
「この刀は実は業物なのじゃ」
腰の刀を外して右手に持って顔の前にやってだ、根津はまじまじと見つつそのうえでこうしたことも言った。
「斬れぬものはない」
「そこまで斬れるのか」
「うむ、戦の場でも何十人と斬れる」
筧にも答えた。
「それこそな」
「左様か。しかし普通は刀は二人か三人斬れば斬れぬぞ」
そこはだ、筧はしっかりと言った。
「血糊が付いたり骨を切って刃がこぼれたりしてな」
「しかしじゃ」
根津の刀はというのだ。
「わしの刀はそれはない」
「それはむしろ御主の刀の腕じゃな」
「それ故か」
「どんな刀も血糊が付きじゃ」
そして刃が欠けるというのだ。
「そうなるからな」
「だからか」
「そこは御主の腕じゃな」
「確かに刃に血糊は付けぬし骨も断たぬ」
それが根津の剣術というのだ。
「一瞬で関節のところを斬る、しかもな」
「刃に気を付けてか」
「斬ればじゃ、具足や兜を斬ってもじゃ」
「刃こぼれもせぬか」
「そういうことじゃ、この業物の刀にさらに気を帯させて斬る」
それこそがというのだ。
「わしの剣術じゃ」
「剣術では御主には勝てぬな」
横で話を聞いてだ、海野も唸った。
「そこまでの者だと」
「少なくとも剣術で遅れを取った覚えはない」
根津も海野に返す。
「誰であろうとな」
「そうじゃな」
「そうじゃ、ただ水のことではな」
「わしには勝てぬか」
「御主なら河童でも勝てよう」
「ははは、河童と泳いでも勝てるしじゃ」
海野も水のことでは自信を以て答えた。
「蛟でも濡れ女でも勝てるぞ」
「水の化けものにもか」
「そうじゃ、勝てるぞ」
こう豪語するのだった。
「実際に水の中で誰にも負けたことがない」
「そうじゃな」
「うむ、剣術では御主には勝てぬが」
「水のことではじゃな」
「負けぬぞ」
海野は水についてはこう言った、そうした話をしてだった。
由利がだ、幸村に言った。
「では我等はこれよりですな」
「うむ、路銀を稼いでくれるか」
「それぞれの技で、ですな」
「そうしてくれるか。拙者もな」
幸村自身もというのだ。
「少し稼いでみる」
「どうして稼がれますか」
「講談をするか」
都で講釈師を見たのでそれで思いついた仕事だ。
「水滸伝なり何なりを話してな」
「水滸伝ですか」
「あれは面白い話じゃ」
こう言うのだった。
「だからな」
「それを話してですか」
「路銀を稼ぐか」
「そうされますか」
「うむ、御主達が働いて拙者だけ何もせぬというのは駄目じゃ」
こうも言うのだった。
「拙者も働く」
「それでは」
「うむ、共に稼ごうぞ」
その路銀をというのだ、そうした話をしてだった。
一行は団子を食べ終えるとそれぞれ別れて路銀稼ぎに都の路で芸をした。それぞれの得意な術を使ってだ。
幸村は実際に水滸伝の講釈をしていた、都の者達はその彼等の話を聞いてだった。それで唸って言った。
「いや、この若いお武家さんの話は」
「面白いな」
「話自体も面白いが」
「お武家さんの話の仕方もな」
「実によい」
「面白いわ」
こう言ってだ、幸村の話に聞き入るのだった。
「いや、このお武家さんいいぞ」
「話が面白くて仕方ない」
「これは聞かねばな」
「しかも銭も安いぞ」
聞く代金のそれもだ。
「幾ら聞いてもこれだけか」
「これならばよい」
「幾らでも聞けるわ」
「そうじゃな」
こうしてだった、都の者達は幸村の話をこぞって聞いた。その為銭は安いが幸村が横に置いた銭を受け取るザルは瞬く間に銭で溢れ返った。
幸村は講釈を程よいところで終えて宿に向かった、だがここで。
一人の物乞いを見てだ、彼が脚が悪いのを見て声をかけた。
「御主脚が悪いか」
「はい、少し痛めていまして」
「左様か」
「何、刀傷で」
「腐ったりしておらぬか」
「大丈夫です、手当はしました」
「それならよいがな」
その話を聞いてだ、幸村は納得した。
そしてだ、そのうえで物乞いにさらに問うた。
「物乞いをしておるのはその傷のせいか」
「それもありますが実はそれがし西国から来た流れ者で」
物乞いは幸村の問いに応えて彼に答えた。
「足軽をしていたのですが」
「その傷でか」
「雇ってもらえず」
「それで物乞いか」
「いや、困ったことで」
「主家はあったのか」
「はい、大友家に」
その家にというのだ。
「お仕えしていたのですが」
「大友家ならば九州の大身、不足はないと思うが」
「いやいや、主の義鎮様が最近妙で」
「妙とな」
「伴天連の耶蘇教にかぶれて神仏をないがしろにし重臣の方々にも無理を言われ」
「そうしたことになってか」
「それがし神仏を敬ねばと思っていますが」
そうした考えだからというのだ。
「耶蘇教ばかりで尚且つ女色にも溺れてきた義鎮様に危うさを感じまして」
「家を出たか」
「左様です、それで織田家にお仕えしようと思ったところ」
「その刀傷でか」
「九州から都に来てすぐにならず者と揉めまして」
それでその時にというのだ。
「こうなった次第です」
「難儀であるな」
「刀傷が癒えたなら」
その時はというのだ。
「何処かの家にお仕えしようかと思っています」
「では物乞いは今だけか」
「そのつもりです」
「ならよいがな。しかし傷を何とかせねばな」
幸村は男の庇っている脚を見つつ述べた、脚は布で大事に覆われている。
「そこは」
「治るのを待っています」
「待つより医者に観てもらった方がよい」
幸村は物乞いにこう返した。
「その方がな」
「しかしそれがしに銭は」
「これで足りるか」
こう言ってだ、幸村は。
講釈で得た銭の中から紐に通して纏めたものの中から一房出してだった。
物乞いに差し出してだ、こう言った。
「医者は」
「何と、それだけ下さるのですか」
「足りぬのならこれも持って行くといい」
もう一房出して来た。
「これでどうじゃ」
「いえ、これだけ貰う」
「遠慮はいらぬ、銭は天下の回りものじゃ」
銭に関心を持たない言葉だった。
「地獄の沙汰も金次第という、銭は必要じゃ」
「回りものであるのと共に」
「必要じゃ、持って行くとよい」
「しかしこれだけは」
「一房は医者の為、もう一房は当面の暮らしの為にじゃ」
その観点からというのだ。
「持って行くといい」
「左様ですか」
「うむ、ではな」
「まさかこの様な情けを頂けるとは」
「気にすることはない、人は助け助けられてじゃ」
こうも言う幸村だった。
「だからな」
「それ故に」
「持って行くのじゃ、よいな」
「そこまで仰るのなら」
物乞いは幸村から銭を有り難く受け取った、そのうえで幸村に深々と頭を下げて言った。
「このこと決して忘れませぬ」
「何、気にすることはない」
「またお会いしたら」
その時はともだ、物乞いは幸村に言った。
「このご恩を返します」
「だからそれはよい、ではな」
幸村は笑ってだ、男にこう返してだった。
その場を後にした、そして宿に戻ると。
既に家臣達は皆帰っていた、そのうえで幸村を迎えて言った。
「殿、銭ですが」
「これだけ貯まりました」
部屋の真ん中に銭の房がかなりあった、だが。
ここでだ、清海がその剃った頭に手をやって申し訳なさそうに言った。
「力を見せて芸をしていましたが銭をまけたうえ勘定を間違えてしまい」
「それがしもです」
望月も申し訳なさそうな感じだ。
「相撲勝負をしても」
「それでもか」
「負かした相手をついついまけてしまいました」
「ううむ、芸を見せてもな」
「銭を多くは取らなかったからのう」
次に言ったのは穴山と由利だった、二人はいささか苦い顔になっている。
「見物客は多かったが」
「銭自体はあまり貰っておらぬ」
「わしもじゃ」
根津も二人と同じだった。
「あまり貰っておらぬ」
「寺にお布施をしました」
伊佐はこちらだった。
「説法をしていましたが」
「それがしも神社に賽銭をかなり入れてしまった」
筧も申し訳のなさそうな感じである。
「神主殿は喜んでくれたが」
「わしは貧しい者達に恵んだ」
霧隠もだった。
「残したしたがな」
「何じゃ、皆銭を大事にせぬのう」
猿飛は仲間達の話を聞いて笑って言った。
「それでは銭は貯まらぬぞ」
「そう言う猿飛殿も少なかったですが」
「通りがかった子供達に小遣いをくれてやったわ」
こう伊佐に答える。
「だからな」
「猿飛殿もですね」
「うむ、あまり持っておらぬ」
「全く、皆そうとはな」
霧隠は首を捻って苦笑いになった。
「わしもそうじゃが」
「ははは、我等は銭を儲けるのには向いておらぬな」
穴山も笑って言う。
「まあ宿屋と酒の銭はあるか」
「それだけあればよい」
海野も言う。
「元々長者になるつもりはないであろう」
「そちらには興味がない」
由利もこう言う。
「だから皆こうじゃな」
「そうであるな、ともかくじゃ」
幸村がまた言った。
「銭はこれだけあれば充分、ではな」
「はい、今宵はですな」
「酒ですな」
「皆で飲もうぞ」
こう話してだった、そのうえで。
一行はそれぞれが儲けた銭で宿賃を払い酒も飲んだ、そうして都での夜を全員で心ゆくまで楽しんだのである。
巻ノ十二 完
2015・6・25