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巻ノ十一

                       巻ノ十一  猿飛佐助

 自分を化物と言った男にだ、幸村は問うた。

「それが御主の名か」

「そうお呼び下さい」

「そんな名前があるのか」

「ですから今決めたので」

「ではこれまでの名は」

「ははは、それは何といったのか」

 笑って誤魔化す感じの言葉だった。

「それがしも忘れました」

「自分の名を忘れるとなれば記憶を失っておるしかないぞ」 

 霧隠がいぶかしみつつ言った。

「それでは」

「まあ幾つか名があるので、芸人故に」

「それでか」

「今は化物とでもお呼び下さい」

「人を食ったことを言う」

「人を食う化物ではござらぬが」

 おどけているが決して礼を失ってはいない言葉だった。

「少なくとも人の父と母を持っております」

「本朝のじゃな」

「左様」

 その通りという返事だった。

「このことは確かです」

「それで芸人をしておるのか」

「元々旅をする者達の生まれでして」

「それでか」

「それがしもそうして生きております、家はありますが」

 それでもというのだ。

「いつも家を空けておりまする」

「それで旅の芸人をしておるのじゃな」

「左様であります」

「して今からか」

 今度は幸村が男に尋ねた。

「貴殿は比叡山の方に行かれて」

「そこで遊ぶついでに芸で銭を稼ぎまする」

「その芸も南蛮の芸か」

「はい、堺で見たものをしております」

「ふむ、南蛮の」

「何ならここでしてみせまするが」

「いや、それはいい」

 幸村は微笑んで言葉を返した。

「別にな」

「左様ですか」

「気持ちだけ受け取っておく」

「それでは」

「そういうことでな、しかし」

 ここでだ、幸村はあらためて男を見てそうして言った。

「御主の様な格好の者が南蛮にはおるのか」

「そして堺にも」

「奇妙な出で立ちだのう」

 つくづくといった口調での言葉だった。

「見れば見る程な」

「それがしもまさか」

 筧も首を捻るばかりだ。

「ここまでの格好の者は」

「御覧になられなかったと」

「これまでな」

「しかし堺にはいまして」

「いたのか」

「それが一目見てこれだと思い」

 それでというのだ。

「この格好になってみました」

「そうであったのか」

「では機会があればまた」

 男から幸村主従に声をかけた。

「お会いしましょう」

「達者でな」

 幸村が声をかけてだ、そしてだった。

 男は比叡山の方に向かった、そうして主従と別れた。そうして後に残った主従はというと。

 幸村はあらためてだ、家臣達に言った。

「ではな」

「はい、あらためて」

「都にですな」

「向かいましょう」

「あらためて」

「朽木家の領地に入ることになる」

 ここでこうも言った幸村だった。

「かつて前右府殿が通った」

「あの金ヶ崎の退きの時ですな」

 霧隠が応えた。

「あの時ですな」

「あの時は前右府殿も危うかった」 

 無事に都に着けるかどうかだ、信長にとっては九死に一生を得たと言ってもいいまでの窮地であったのだ。

「しかし逃れることが出来た」

「そしてそれがですな」

「朽木殿のご領地じゃ」

 まさにその場こそがというのだ。

「そこに入りな」

「そしてですな」

「そのうえで、ですな」

「都に入り」

「そうして」

「うむ、都も見ようぞ」

 こうしたことを話しながらだった、一行は朽木家の領地に入った。だがここで。

 ここでだ、伊佐は周りを見回してこう言った。木々は深く獣が出そうな位だ。

「深いですな、木々が」

「うむ、足元に気をつけねばな」

「はい、こうした道はです」

 まさにというのだ。

「蝮も多いですから」

「だからじゃ、足元に気をつけてな」

「進みますか」

「蝮に噛まれたらことじゃ」

 それこそ命に関わる、蝮のその毒で。

「だからな」

「はい、気をつけて先に進みましょうぞ」

 伊佐は落ち着いた声で答えた、しかし。

 妙にだ、山道の中はだ。

 獣の気配がなかった、それでだった。

 その中でだ、霧隠は首を傾げさせて述べた。

「妙ですな、獣の気配がありませぬ」

「そうじゃな、こうした場所は獣が多い筈じゃが」

 幸村も答える。

「妙におらぬな」

「誰かおってそれで、でしょうか」

「その者を避けてか」

「そうでは」

「ではわしと同じか」

「それかわしか」

 かつて山にいた由利と海野が言って来た。

「獣が避けるまでに気が強い」

「そうなると」

「少なくとも我等程腕が立つ者がここにおるのか」

 根津はこう言ってその目を鋭くさせた。

「そうであるか」

「ふむ、ではその者が出て来たらな」

 どうするかとだ、清海は笑って述べた。

「一つ手合わせをしてみたいのう」

「そうじゃな、わしも同じ考えじゃ」

 望月は清海のその言葉に笑って頷いた。

「そうした者が出て来たなら」

「会いたいのう」

「さて、若し獣が出て来てもな」

 穴山は不敵な笑みで背負っている鉄砲に手をやった。

「わしのこの鉄砲が唸るだけじゃ」

「とにかく今は先に進もうぞ」

 筧は最も落ち着いている。

「出て来たらその時じゃ」

「そういうことじゃな、ではな」

 幸村は頷いてだ、そのうえで自ら先に進み都に向かっていた。その彼等の上から不意に気配がした。皆その気配にすぐに気付き。

 気配がした木の上に顔をやってだ、こう問うた。

「そこにおるな」

「何者じゃ」

「おっ、わしの気配に気付いたか」

 ここで楽しそうな声がした。

「これは中々」

「出て来るのじゃ」

 清海はその声の方を見つつまた言った。

「さもないと容赦せぬぞ」

「おいおい、随分と喧嘩腰じゃな」

「何奴じゃ」

「修行中の忍の者じゃ」

 これが声の主の返事だった。

「たまたまここで飯を探しておったのじゃ」

「それで何故上におる」

「決まっておる、柿を食っておったのじゃ」

「木の上に登ってか」

「そうじゃ」

「猿みたいな奴じゃな」

「ははは、わしが猿か」

 清海のその言葉にだ、声は笑って返してきた。

「実際にそう言われることも多いわ」

「何じゃ、御主猿に似ておるのか」

「自分でもそう思っておる」

「ではその顔を見たいが」

「どっちにしろ上から見られるのは嫌じゃな」

「何かとな」 

 清海は用心する声で答えた。

「それはな」

「そうじゃな、それはわしもじゃ」

「御主もそれならじゃ」

 それならばというのだ。

「早く降りて姿を見せよ」

「見せぬというのならな」

 穴山はここでも背負っている鉄砲に手をやった。

「相手とみなしてもよいか」

「撃つつもりか」

「上を取るということは忍の世界ではそうであろう」

「その通りじゃな、わしもそう思うからな」

「では降りて来るのじゃ」

 穴山も言う。

「よいな」

「よし、それではな」

 こうしてだった、猿飛佐助は雪村達の前に降りて来た。風と共に降り立った者はというと。

 確かに猿の様な顔で小柄である。緑の忍装束を着ておる髪は短く刈っている。目は大きく愛嬌のあるものだ。

 その顔でにやりと笑ってだ。片膝をついた姿勢で言って来た。

「わしが猿飛佐助じゃ」

「ふむ。確かに猿の様な顔じゃな」

 そうだとだ、清海は猿飛の顔を見て言った。

「だから猿飛か」

「いや、この名は元々じゃ」

「一族の名か」

「うむ、わしは伊予の生まれでな」

「立ってよいぞ」

 幸村がここで猿飛に言った。

「それで話をしようぞ」

「では」

 猿飛もここで立ってだ、そしてあらためて話した。

「伊予で代々忍の家でな」

「伊予の猿飛家か、思いだしたぞ」

 ここでまた幸村が言った。はっとした顔になり。

「身体を使った忍術、そして木の術と獣を使う術に秀でた流派だったな」

「そちらのお武家殿はご存知か」

「聞いたことがある」

 そうだとだ、幸村は猿飛自身に答えた。

「流派といっても一子相伝の流派、その猿飛流の者とは」

「そのこともご存知か、そういえばさっきわしに立つ様に言ったが」

 このことにもだ、猿飛は言及した。

「猿飛流のこともご存知。貴殿普通の方ではござらぬな」

「このj方は真田幸村という」

 由利が幸村を右手で指し示して猿飛に話した。

「信濃、上田の国人真田家の方じゃ」

「真田家、武田家の家臣だったな」

「もう武田家はないがな」

 由利はこのことは少し残念そうに答えた。

「しかしじゃ」

「真田家はありか」

「今戦国の世を生き残る為に腐心しておられる」

「今天下はどうなるかわからぬ」

 猿飛は腕を組んだ姿勢になり話した。

「信長公は倒れ織田家も乱れてな」

「次の天下は羽柴秀吉殿になろう」

 幸村は冷静にだ、猿飛に己の考えを話した。

「間もなくそれが確かになる」

「貴殿はそう思われるか」

「柴田勝家殿との戦に勝ちな」

「それは何故か」

「羽柴殿が多くの領地と兵を収め信長公の葬儀を行い跡を継ぐという大義も見せた」

「だからか」

「次の天下は羽柴殿になる」

 秀吉の天下になるというのだ。

「大坂を拠点としてな」

「そして真田家はその中では」

「生き残ることを目指しておる」

「しかし」

 それでもだとだ、猿飛はここで強い声で言った。

「真田家は生き残るのは難しいであろう」

「徳川、北条が来るからじゃな」

「わしもそのことは聞いている、大変じゃぞ」

「しかしな」

「生き残るおつもりか」

「何としても」

「ふむ、では相当な戦になるな」

 猿飛の顔がここで笑みになった。

「北条、徳川の両家と」

「その通り、しかし」

「それでもか」

「うむ、真田家は生き残る」

「幾ら不利な戦いであろうとも」

「そうする」

 確かな声でだ、幸村は言ってだ。そしてだった。

 猿飛は聞き終えてだ、楽しげに笑って言った。

「それは面白い、大変な戦こそ戦いがいがある」

「何が言いたい」

「言った通りのことじゃ」

 海野にもその笑みで返した。

「強い相手、大きな相手と戦ってこそな」

「やりがいがあるのか」

「そうじゃ、だからな」

「勝つつもりか」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「わしはそれが好きでな」

「戦が好きなのか」

 望月は首を傾げさせて言った。

「御主は」

「弱い相手とするのは嫌いじゃ」

 それはというのだ。

「弱い者いじめなぞ屑のやることじゃ」

「だから強い相手とか」

「戦ってこそ楽しいではないか」

「そう言うのか」

「徳川家も北条家も大きい」

「どっちも数万の兵を出せる」

 根津もこのことを言う。

「尋常な相手ではない」

「その相手と戦う、それは面白い」

「面白いからどうするでしょうか」

 伊佐は猿飛に真面目な声で問うた。

「一体」

「よかったらわしを真田家に迎え入れて欲しい」

 幸村は自らこう申し出た。

「わしをな」

「真田家で戦うのか」

「そうしたいのだが」

「駄目か」

「いや、よい」

 これが幸村の返事だった。

「そう言ってくれるのならな」

「左様か、ではこれより御主は真田家の家臣じゃ」

「貴殿、いえ幸村様の」

「そうしてくれるか、ではな」

「これより宜しくお願い申す」

 猿飛は幸村に明るく答えた、そしてだった。

 彼もまた幸村の家臣となった、ここでだった。

 幸村は自身の家臣達を見回してだ、笑顔で言った。

「揃った感じがするわ」

「十人ですか」

「そういえばきりがいいですな」

「十人となりますと」

「まさに」

「そうじゃな、まだ誰か来るかというと」

 幸村はその十人を見つつ話した。

「どうかのう」

「まあ天下の豪傑が十人も揃うということもないですな」

 清海はこう幸村に話した。

「わし等の様の者達がこれだけとは」

「兄上、そこで驕ることを言うものではありません」

 伊佐がその清海に真面目に話す。

「我等以上の者も天下にはいますぞ」

「服部半蔵殿の様にか」

「はい、そして風魔小太郎殿もです」

 伊佐は彼の名前も出した。

「他にも天下の剣豪もいます」

「わし等以上のか」

「そうです、それで高慢になってはです」

 それこそというのだ。

「鼻がへし折られますぞ」

「天狗になるとか」

「はい、そもそも兄上は殿に勝てますか」

 主である幸村にというのだ。

「腕っ節ならともかく」

「わしは考えることが苦手じゃ」

 清海は弟にはっきりと答えた。

「どうもな」

「では、です」

「そうしたことを言ってはならぬか」

「左様です」

「そうじゃな、しかし我等は十人」

 清海はその数についたまた言った。

「きりがいいことは間違いない」

「うむ、確かに揃った気はする」

 望月も言う。

「いい感じでな」

「そうじゃな、我等でな」

「拙者もそう思う、では御主達に頼む」

 幸村はその十人に話した。

「これから真田家、そして拙者の為に頼む」

「はい、それでは」

「これより我等十人殿、真田家に命を捧げます」

「生きる時も死ぬ時もです」

「共でいましょうぞ」

「そうじゃ、我等は生きるも死ぬも同じじゃ」

 幸村も家臣達に答えた。

「よいな、皆家と義の為に死ぬぞ。地獄に落ちてもじゃ」

「地獄に落ちてもですな」

 筧がここで笑って言った。

「それでもですな」

「うむ、我等の旗は六文銭じゃ」

「つまり地獄の沙汰も銭次第」

「地獄に落ちても諦めぬ」

 幸村は筧に強い声で告げた。

「よいな、何があろうとも諦めずじゃ」

「常にですな」

「我等は共に、ですな」

「そうじゃ、共にいようぞ」

 幸村はこのことも強く言った、そしてだった。

 そうしてだった、幸村は十人が笑顔で頷いたのを見てからだ。その場で。

 盃を出しそれから人差し指に小柄で傷を付けてそこから血を出して盃の中に入れた。根津はそれを見てすぐに察した。

「その盃にですな」

「皆の血を入れてな」

「回し飲みをするのですな」

「この意味がわかるな」

「はい、我等はです」

 根津は幸村に確かな笑みで答えた。

「主従でありますが」

「義兄弟になるのですな」

 穴山も話した。

「これより」

「そうじゃ、よいか」

「はい」

 穴山も確かな笑みで応える、そして。

 彼も根津も指で傷を付けた、それから。

 盃に血を入れた、他の者達も続いてだ。

 全員で回し飲みをした、それが終わってだ。由利は満足した様な顔でその義兄弟となった者達に話した。

「さて、これで簡単には死ねなくなったな」

「御主がそう簡単に死ぬか」

 海野はその由利に笑って問うた。

「わしにしてもじゃが」

「ははは、首が飛んでもくっついてな」

「生きてみせるな」

「そのつもりじゃ」

「そうであろう、皆な」

「まさかこうした流れになるとは思わなかったが」

 しかしとだ、霧隠はまんざらといったものではない感じだった。

「これも悪くはない」

「ははは、地獄に落ちても十一人で鬼共と戦をするか」

 猿飛はここでもこんなことを言った。

「徳川と戦うのもよいしな」

「御主はそこまで戦が好きか」

「だから強い者と勝負をするのが好きじゃ」

「それがか」

「あと生きものに子供も好きじゃ」

 そうしたものもというのだ。

「子供と遊ぶのもまた楽しみじゃ」

「そうなのか」

「しかしおなごは苦手じゃ」

「それは聞いておらぬわ」

 霧隠は猿飛に口を尖らせて返した。

「全くな」

「そうか」

「そうじゃ、とにかくな」

「わしが子供が好きだということがか」

「意外じゃな、しかしそれでいてわかる」

 猿飛がそうした一面を持っているということがというのだ。

「それがな」

「左様か」

「うむ、とにかくじゃ」

 これからというのだ。

「我等十一人、何があろうと一緒じゃな」

「そうなったな」

「義兄弟としてもな」

「ではあらためて進もう」

 話していた一同に幸村がまた言った。

「都、そして大坂までな」

「大坂の城はまだ縄張りもしておりませぬぞ」

 猿飛が幸村に話した。

「そこまでは」

「そうか、それもか」

「はい、まだです」

「そうなのか」

「しかし話は進んでおる様です」

「石山御坊の跡地にじゃな」

「左様です」

 こう幸村に答えた。

「そこに築こうとです」

「これまで羽柴殿は近江、播磨に城を持たれていましたが」

 霧隠も言う。

「大坂に拠点を移されますか」

「大坂は天下の要となる場所」

 幸村は大坂についてこう述べた。

「前に瀬戸内、そして淀川を持ち水の便がよい」

「だからですか」

「羽柴殿はあそこに城を築かれてですか」

「拠点とされる」

「そうお考えなのですな」

「都にも奈良にもすぐじゃしな」

 幸村はこのことについても言及した。

「それこそ一日で行ける、西国を治めるのならあそこじゃ」

「では羽柴殿は」

「西国を治められるおつもりですか」

「いや、天下じゃ」

 西国だけではなくというのだ。

「おそらく羽柴殿も天下統一を考えておられる」

「織田信長公と同じく」

「その様にお考えですか」

「天下統一」

「それをお考えですか」

「まずは大坂を拠点に西国を収められてじゃ」

 そしてというのだ。

「そこから東国であろう」

「関東や奥羽ですか」

「そちらに進まれますか」

「そうして天下をですか」

「天下人になられるおつもりですか」

「そうであろう、だからな」

 それで、とだ。また言う幸村だった。

「羽柴殿のお考えはかなり大きい、そしてその天下を治める場所がじゃ」

「大坂ですか」

「あちらですか」

「あの地に築かれる城ですか」

「そうなるであろう、しかし羽柴殿は」

 幸村は秀吉自身についても話した。既に一行は歩きはじめている。山道を悠々と歩きそのうえで都に向かっている。

「思えば凄い方じゃな」

「最初は百姓でした」

 穴山も幸村に言って来た。

「そして織田家に入っても草履取りでした」

「そこから上がっていってな」

「織田家でもかなりの重臣になられ」

「今では天下人になろうとさえしておられる」

「凄い方ですな」

 由利も言った。

「全く以て」

「考えてみればな、しかも家臣も優れた方が多い」

「何でもです」

 ここで言ったのは海野だった。

「弟殿の羽柴秀長殿がかなりの出来物だとか」

「羽柴殿を上手く支えておられるな」

「はい、そう聞いております」

「他にも優れた方が多い、特に」

「特にとは」

「加藤清正殿、福島正則殿も見事じゃが」 

 この二人以上にというのだ。

「石田三成殿、大谷吉継殿か」

「そのお二人ですか」

「うむ、特によいと思う」

 幸村は清海にも答えた。

「軍師として竹中半兵衛、黒田孝高殿もおられるが」

「石田殿と大谷殿がですか、その」

「そのお二人じゃな、天下の柱となられるぞ」

「ご自身だけでなく家臣も優れた方が多い」

 根津は考える顔で述べた。

「やはり天下の方になられるものがあるか」

「拙者はそう見ている、しかしな」

「それは確実ではありませぬな」

「うむ、確かに天下に最も近いが」

 だがそれでもだというのだ。

「柴田殿もおられ徳川殿もおられるからな」

「柴田殿は天下を望まれているでしょうか」

「いや、あの方はあくまで織田家の家臣じゃ」

 幸村は柴田の立場、そしてその考えについて望月に答えた。

「だから天下なぞはな」

「到底、ですか」

「望まれぬ」

「そうですか」

「愚直な方と聞いておる、おそらく羽柴殿と戦をしてもその愚直さが仇となってな」

 そうしてというのだ。

「敗れるやもな、勢力の違いも出て」

「そうなられますか」

「惜しいとは思うが人が死ぬのが戦国じゃ」

 泰平の世よりも遥かにというのだ、戦の為に。

「仕方ないとも言える」

「では徳川殿は」

 伊佐は幸村に家康のことを尋ねた。

「あの方は」

「天下ではなく甲斐と信濃だけを考えておられるが」

「それでもですか」

「天下人になれる資質はある」

「あの方も」

「そう思う、そして羽柴殿が柴田殿に勝てばやがて徳川家とぶつかる」

 幸村は先の先まで見ていた、その目は遠くまで見ているものだった。

「その時に我等がどうするか、それも見ようぞ」

「ですな、それがしが思いまするに」

 ここで言ったのは筧だった。

「真田家は羽柴家につくべきですな」

「天下人となりじゃな」

「はい、徳川家とぶつかるのなら」

「それがしもそう思う、しかし」

「その徳川家ともですな」

「全力でぶつかるものではなくある程度はな」

 どうするかというのだ、戦をしても。

「手を組むべきじゃ」

「左様ですか」

「徳川家が滅ぶのならともかくな」

「徳川は滅びませぬな」

 霧隠の目は鋭くなっている、彼もまた先を見ていた。

「羽柴家とぶつかっても」

「うむ、家康殿も勢力が強く家臣の方々が揃っている」

「だからですな」

「羽柴殿と戦になっても引けを取らず滅びぬ」

「そうなりますな」

「だとすれば徳川家と殺し合うまでになるのではなく」

 そうした全面衝突ではなく、というのだ。

「ある程度のところでな」

「手を結ぶべきですな」

「そうあるべきじゃ」

「拙者としてはやり合いたいですがな」

 戦好きの猿飛はこう考えていた。

「とことんまで」

「それは戦の場でのことじゃな」

「はい」

「しかし戦は戦の場だけでするものではない」

「と、いいますと」

「政の場でもするものじゃ」

 戦場だけでなくというのだ。

「むしろそこでするのが主じゃ」

「といいますと」

 猿飛は幸村の今の言葉に首を傾げさせるばかりだった。

「どういった戦でしょうか」

「まず政で国の力を養い兵を多くし」

 このことからだ、幸村は猿飛に話した。

「その兵を鍛え武具もよいのを揃え」

「手間がかかっていますな」

「兵糧も用意する、城は石垣を高くし堀は深く。城壁もしかとしてな」

「城を整えるのも戦のうちですか」

「無論じゃ、砦も増やし」

 さらに話す幸村だった。

「その砦全てに兵も置く、味方は増やし敵は出来るだけ少なく」

「そうしたことも戦ですか」

「そうじゃ、むしろ戦の場で戦わないで済んだら最良じゃ」

「いや、戦の場で戦わねば」

「そうじゃな」 

 猿飛だけでなく清海も言う、十人の中でも暴れるのが好きな者達がだ。

「戦ではないのでは」

「殿、そうでは」

「それが違う、戦場で百度戦い百度勝つ」

 百戦百勝、まさにそれである。

「これは最善ではないのじゃ」

「では最善は」

「戦わずに済むことですか」

「うむ、こちらが圧倒的に有利だとな」

 その場合はというのだ。

「相手は戦になる前に降るな」

「まあ最初から負けるとわかっていれば」

「そうそう挑む馬鹿者もおりませぬな」

 二人もこのことはわかった、二人にしても思慮がない訳ではないのだ。

「それよりも退いて」

「降った方がましでござる」

「戦って下手に死ぬよりは」

「大抵はそう考えまするな」

「そういうことじゃ、戦の真髄は戦わずに勝つこと」

 まさにそれだとだ、幸村は言い切った。

「それが最良なのじゃ」

「ですか、戦になる前にですか」

「戦に勝つことですか」

「相手に戦う前に頭を下げさせる」

「それが最善なのですな」

「そうじゃ、戦は常に勝つとも限らぬ」

 戦の場でのそれもというのだ。

「負ける場合もある、桶狭間を見るのじゃ」

「あの織田家が今川家を破った」

「あの戦ですか」

「あの戦は今川が圧倒的に優勢じゃった」

 二万五千の軍勢で尾張に攻め込んだ、しかし二千の織田軍の奇襲を受けてそれで敗れ主の今川義元が討たれた戦である。

「しかし負けたな」

「はい、主まで討たれてしまい」

「以後今川家は落ちる一方でした」

「例えどれだけ有利な状況でもですか」

「敗れることはありますか」

「勝敗は戦の常、どれだけ兵の数が多くとも敗れることはある」

 それが戦いだというのだ。

「だからじゃ。戦の場で戦うよりもな」

「政の場においてですか」

「戦う前に勝つこと」

「そのことがですか」

「大事ですか」

「そうなのじゃ、しかも戦になれば人は死ぬし飯も食うし銭もかかる」

 こうしたこともだ、幸村は話した。

「何度もしていては家がもたぬわ」

「そうしたことからもですか」

「戦の場での戦はせぬに限りますか」

「そういうものなのですな」

「それが戦なのですな」

「そうじゃ、拙者は戦いは好まぬ」

 幸村ははっきりと言い切った。

「泰平が好きじゃ」

「戦で暴れるのではなく」

「殿は泰平がお好きですか」

「何、暴れることには困らぬぞ」

 二人にだ、穴山が横から話した。

「賊の征伐なり何なりあるからのう」

「それに手合わせしてもよいであろう」

 望月も二人に言う。

「身体を使うには困らぬぞ」

「そうか、賊の征伐もあり」

「我等で鍛錬として手合わせをすればいいか」

「そうじゃな」

「戦にならずともよいな」

 こうしたことを話してだ、猿飛と清海も納得した。

 そしてだ、猿飛は幸村にあらためて話した。

「それがし戦になれば暴れますが」

「鍛錬の時もじゃな」

「それ以外の時は殿に教えて頂きたいです」

「泰平のことをか」

「はい、確かに暴れたくて殿にお仕えしましたが」

 それでもだというのだ。

「何かその泰平が気になりまして」

「それでじゃな」

「泰平のことを教えて頂きたいです」

「わかった、ではな」

「宜しくお願いします」

 こう幸村に頭を垂れて話すのだった。

 そしてだった、一行は山城の国に入ろうとしていた。だが。

 その一行を遠目に見つつだ、あの南蛮の派手な格好をしていた男がだ。周りに潜んでいる黒い忍装束の者達に言った。

「十人か、揃ったな」

「はい、長老の星見通り」

「十人揃いましたな」

「真田幸村殿の下に」

「十人の豪傑が」

「こんなに早く揃うとは思わなかった」  

 男は首を傾げさせて言った。

「わしもな」

「道化殿もですか」

「そこまでは、ですか」

「思われていなかったですか」

「全くな」

 そうだったというのだ。

「もっともわしが会った時点で九人いたがな」

「しかしこうまですぐに揃うとは」

「そのうえで都に入るとは」

「これは厄介ですか」

「我等にとって」

「いや、まだ何ともなかろう」

 男は怪訝な声を出した潜んでいる者達に答えた。

「幸村殿とあの者達が都や大坂に入ってもな」

「それでもですか」

「何もありませぬか」

「天下の豪傑が十一人一度に入っても」

「それでも」

「真田家の動きもはっきりしておらぬ、それにな」

 さらにとだ、男は話した。

「人を集める旅じゃった、別に盟約を結ぶだのいう目的はない」

「確かにそれは」

「そうした意図はありませぬな」

「家臣を集められて天下を見て回られている」

 男は幸村の旅の目的をはっきりと見極めていた。

「それだけじゃ」

「それだけならですか」

「我等としましては」

「特に、ですな」

「手出しもですな」

「することもない」

 こう潜んでいる者達に話した。

「特にな」

「しかしです」

「あの御仁のことは半蔵様には報告しましょう」

「どういった者が家臣になったかも」

「そのことも」

「それは当然じゃ」

 幸村主従の様子をだ、彼等の主に伝えることはというのだ。

「真田家とは今は何もないにしてもな」

「これからは、ですな」

「それがどうなるかはわからない」

「徳川家は信濃を攻めているので」

「そこで上田に入れば」

「その時は」

「うむ、真田家と戦になる」

 上田にいるその家と、というのだ。

「だからじゃ」

「半蔵様には報告をする」

「そうされますな」

「そのことは忘れずに」

「そうしていくのですな」

「そうする、ではな」

 ここまで話してだ、男は。

 周りの者達にだ、これまでの真剣な話ぶりから一転して剽軽な口調になってそのうえで彼等に対してわした。

「わしは務めの場所に行くが」

「芸人としてですな」

「南蛮の芸を身に着けた」

「ここまで派手にするとかえってわからぬものよ」

 剽軽な口調のままでの言葉だった。

「何かとな」

「忍の者であると」

「それがですな」

「わかりませぬな」

「どうしても」

「そうじゃ、だからこの格好のまま行く」

 その南蛮の道化師の格好のままでというのだ。

「ではな」

「それでは我等も」

「我等もそれぞれの務めに戻ります」

「そしてです」

「半蔵様にも報をします」

「そうもします」

「ではな、また会おうぞ」

 男は周りの者達に別れの言葉を告げて務めの場所に向かった、他の者達も彼と同じ様にしてだ。それぞれの場所に赴き後には誰もいなかった。



巻ノ十一   完



                            2015・6・18




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