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巻ノ十

                       巻の十  霧隠才蔵

 筧十蔵を加えた幸村主従は都に向かっていた、安土を出た後は都に入るだけだと思われていた、だが。

 大津に来てだ、ふとだった。

 伊佐はその目を鋭くさせて幸村に言った。

「殿、どうも町の者達がです」

「特におなごがじゃな」

「騒がしいですな」

「そうじゃな。何かあったのか」

「少し聞いてみますか」

「うむ、何かあるのであろう」

「はい、さすれば」

 こうしてだった、伊佐がすぐに傍を通りがかった若い娘に声をかけた。

「何かあったのであろうか、娘達が騒がしいが」

「はい、実は」

 娘は伊佐の言葉を受けて彼に話した。

「大津に素晴らしい美男の方が来られまして」

「ほう、わしの様にか」

 美男と聞いてだ、清海がぬっと出て来て言った。

「それはどういった者であろうか」

「いえ、お坊様の様な面白い顔立ちの方ではなく」

「何と、わしの顔が面白いとな」

「何か大道芸をされる方でしょうか」

「違うわ、わしの何処が面白い顔じゃ」

「ははは、御主の顔は確かに面白いな」

 根津は娘の言葉に臍を曲げる清海に笑って突っ込みを入れた。

「絵にしたらもっと面白そうじゃな」

「御主までそう言うのか」

「実際にそう思ったからのう」

「思うでないわ」

「しかし。美男とな」

 穴山は娘の言葉に右手を自分の顎に当てて考える顔になって述べた。

「町中が騒ぐ位のか」

「そうなのです、そちらの若いお武家の方も中々ですが」

 娘は幸村の顔も見て話した。

「その方は随分と」

「そこまで顔がよいのか」

「はい、前右府様に負けないまでに」

 織田信長にもというのだ、信長は妹のお市の方もそうであるがその整った顔立ちでも有名だったのである。

「整ったお顔立ちです」

「ふむ。そこまでの美男ならな」 

 穴山はその話を聞いてだった、興味を持って述べた。

「見てみたいのう」

「そうじゃな、ではその男に会ってみよう」

 幸村も興味を持って言う。

「人は顔ではないにしてもな」

「それでもですな」

 海野が幸村のその言葉に応えた。

「一度どうした顔かは」

「見てみよう」

「ではその者は今何処におるか」

 望月は娘にその美男の居場所について尋ねた。

「教えてくれるか」

「はい、今は宿におられまして」

「この大津のか」

「左様です、その宿は」

 娘は一行にその美男が泊まっている宿の名前と場所を話した。その宿は大津の南にあった。その宿に向かうと。

 宿の前は町の娘達でごった返していた、筧はその賑わいを見てこう言った。

「いや、前右府様が道を通られた時の様な」

「そこまでの賑わいか」

「まさに」

 こう由利にも答えた。

「それ位じゃ」

「左様か。確かに賑わっておるな」

 由利もこのことを認めて言葉を出した。

「随分とな」

「しかし。あの状況ではです」

 伊佐はいつもの表情で静かに述べた。

「宿に入ることが出来ませぬな」

「そうじゃな、それにな」

 ここでだ、幸村は。

 その宿を見てだ、首を少し傾げさせてから述べた。

「あの宿には今その美男はおるのか」

「と、いいますと」

「何かありますか」

「うむ、娘達は騒いでおるが」

 店の前でだ、人気の品を買うが如く集まっている。

 しかしだ、幸村は宿の者を見て言うのだった。

「宿の者は落ち着いておる」

「言われてみれば」

「そうですな」

「あれだけ娘達が会いたい会いたいと言っていますのに」

「宿の者達は落ち着いています」

「それでは」

「今その美男は宿の中にはおらぬか」 

 こう言うのだった。

「では何処におるのか」

「あれだけ娘達が会いたいと言っている者です」

 それならとだ、伊佐も考える顔で述べた。

「下手に町に出ますと大騒ぎになります」

「そうじゃな、しかし宿の者を見ておるとな」

「宿の中にはおらぬ」

「となれば町に出ているが」

「どうして外に出ているかですな」

「化けておりますな」

 忍の者としてだ、由利はすぐに察した。

「別の顔なりその顔を隠すなりして」

「うむ、忍は化けるのも術のうちじゃ」

 それこそとだ、幸村も話す。

「旅芸人なり虚無僧なりあるが」

「虚無僧、ですか」

 虚無僧と聞いてだ、誰もが目を光らせた。何しろ幸村も含めて誰もが忍の術を身に着けていて相当な腕前であるからだ。

「有り得ますな」

「あれは顔が見えませぬし」

「化けるには丁渡いいですな」

「それでは」

「まだ町にいるやもな」

 幸村はこう考えてだ、そのうえで。

 宿の前から離れた、そしてだった。

 幸村は家臣達にだ、こんなことを言った。

「これは拙者の勘じゃが」

「その美男はですか」

「殿が求められる優れた者ですか」

「そうやも知れませぬか」

「うむ、宿から化けて出るとなるとな」

 このことから言うのだった。

「忍術を身に着けておるやも知れぬ」

「そしてあれだけ娘達に騒がれていても」

「それでも町に出られるとなると」

「相当な化ける術の達人」

「それならば」

「会いたい」 

 是非にとだ、幸村は言ってだった。

 そうしてだった、彼は家臣達にこうも言った。

「では怪しい者を探そう」

「はい、これより」

「そうしますか」

 こうしてだった、主従は宿屋の前から離れてだった。

 大津にいるそうした者を探すことにした、するとすぐにだった。

 幸村は茶屋で一人の虚無僧と席を隣にした、虚無僧は顔を見せないが。

 その虚無僧にだ、幸村は茶を飲みつつ問うた。

「宜しいか」

「何でござろう」

 透き通った高い男の声が返って来た。

「それがしに何か用でありましょうか」

「貴殿、宿におられましたな」

 幸村は自分の横に座る彼にだ、正面を見たまま問うた。

「左様ですな」

「何故そう思われる」

「虚無僧は化けるにはもってこい」 

「顔を隠すにはと」

「はい、旅の時に素性も隠せ」

 そしてというのだ。

「人目につかぬ様に動くにあっても」

「虚無僧はよいと」

「旅芸人や雲水と色々ありますが」

 旅の時に化ける姿はというのだ。

「その中でも虚無僧はよいもの」

「顔を隠すには」

「だからと思いましたが」

「ふむ、しかしそれがしが何故宿にいたと」

「匂いです」

「匂い」

「はい、もっと言えば気配です」

 そこから感じたというのだ。

「貴殿は旅をしていても今は人目を避けて遊びたい気配」

「この様に茶を飲んで」

「そうしたことをして旅の途中に立ち寄った町を楽しみたい」

「大津の町をですか」

「そう感じましたが」

「だから虚無僧の姿になりですな」

「娘達を避けていると」

 虚無僧の姿で顔を隠してだとだ、虚無僧自身が言って来た。

「そう言われるのですな」

「違いますか」

「ははは、面白い読みですな」

 虚無僧は幸村の問いに答えず笑って返した。その顔を隠している傘が動いていた。

「それはまた」

「違いますか」

「ではそれがしの顔を見たいと」

「そうは申しません」

 幸村は虚無僧の問いににこりともせず答えた。

「こうした時に隠しているものを見る趣味はありませぬ」

「こうした時はですか」

「時と場合によってはそうですが」

「ではその時とは」

「家を、それ以上に主と天下を守る時に」

 それがそうした時だというのだ。

「隠されているものを暴くこともしますが」

「ご自身の望みの為にはですか」

「人の隠しているものを見るつもりはありませぬ」

「人の心等には」

「人の心は傷があるもの、その傷は時として深く痛むもの」

 こうも言うのだった。

「それ故に」

「ご自身の望みではですか」

「そうしたものは探りませぬ」

「だからそれがしの顔も」

「覗くつもりもありませぬ」

「ですか、わかりました」

 虚無僧は幸村のその言葉に頷いた。

 そしてだ、こうも言ったのだった。

「貴殿というお人が」

「拙者がですか」

「まだお若いですが出来た方ですな」

「お褒め頂き何よりです」

「そこまで出来てわかっておられるなら」

 それならとだ、虚無僧は幸村にさらに言った。

「それがしのこともおわかりですな」

「その身の動き、忍ですな」

 ここでもだ、幸村はにこりともせずに言った。

「そうですな」

「そのこともおわかりですか」

「剣もお得意ですな、それも相当に」

「そこまでおわかりとは」

「今はどうされていますか」

「伊賀の里が前右府殿に攻められる前からそれぞれの家を転々としていましたが」

 虚無僧は幸村にここではじめて己のことを話した。

「今は何処も」

「仕えてはおらぬと」

「仕える、もっと言えば雇ってくれる家をです」

「探しておられますか」

「天下は前右府様がおられなくなりどうなるかわからなくなりました」

 これまでは天下統一は間違いないと思われていた、信長によって。

 しかし本能寺の変でその信長が倒れた、そのことによってだ。

「果たしてどの家に雇ってもらうか、戦があるならと思っていますが」

「どうした家に雇われたいでしょうな」

「それは勿論それがしをずっと雇ってくれて」

 虚無僧は幸村にまずはこう答えた。

「人を忘れぬ家です」

「人をですか」

「それがしこれまで人を人と思わぬ者も多く見てきました」

 戦国の世だ、そうして生きている輩も多い。戦の場において他の者を糧にして生きる者もいるということである。

「他の者を平気で切り捨てる者を」

「駒の様に扱う、ですな」

「そうした者には嫌なものを感じていました」

「だからでありますか」

「はい、ですから」

 それでというのだ。

「そうした方には仕えたくありませぬ」

「ですか」

「それがしはです」

 さらに言う虚無僧だった。

「駒ではなく人としてそれがしを見たいのです、そう」

「そう、とは」

「貴殿の様な方にお仕えしたいですな」

「拙者にですか」

「その服の紋、六文銭ですな」

 虚無僧はここでだった、幸村に顔を向けて言って来た。

「小さいですが確かに」

「お気付きでしたか」

「真田家の家紋、真田家のご次男が旅に出ていると聞きましたが」

「そのこともご存知でしたか」

「それがし地獄耳故」

 虚無僧はこのことは笑って述べた。

「聞いておりまする」

「そうでしたか」

「真田幸村殿ですな」

「はい」

 その通りだとだ、幸村は虚無僧に答えた。

「如何にも」

「成程、若いながら出来た方と聞いていましたが」

 虚無僧はさらに言った。

「聞いていた以上です、それがしをすぐにそこまで見抜かれるとは」

「忍であると」

「はい、そのことも」

 出来るというのだ。

「お見事です、そこまでの方なら」

「どうされるか」

「お仕えしたいと思います」

「拙者、そして真田家に」

「はい」

 そうだというのだ。

「そうさせて頂いて宜しいでしょうか」

「当家は小さいが」

 信濃の一国人に過ぎない、精々十万石のだ。織田家等と比べるとその大きさは比較にならない程小さい。

「禄は少なく、それに」

「裏切りを常にしていると」

「武田、織田と渡り歩き上杉につくやも知れぬ」

「仕える主を次々に替えているからと」

「裏切りの位家と言われている」

 このことは本当のことだ、真田家は節操がないと言われている。

 それでだ、幸村もこのことを言うのだ。

「評判が悪いが」

「まずそれがしは禄は別にです」

「少なくともよいか」

「女房も子供もなく贅沢にも興味がござらぬ」

「だからか」

「それがし一人が食えるだけの禄ならば充分です」

 それで、というのだ。

「ですから」

「禄は少なくともよいか」

「はい、そして真田家の評判は」 

 その節操がないと言われていることはというのだ。

「それは何も知らぬ者の言うこと」

「真田家をか」

「そして天下を。真田家は武田家に最後の最後まで仕えておられましたな」

 虚無僧はこう幸村に言うのだった。

「四郎様も匿われようとしていましたな」

「そのことを知っておるか」

「聞いております、穴山殿も小山田殿も背かれる中で」

 真田家はというのだ。

「四郎様を上田に匿われようとしましたな」

「そのうえで織田家と戦うつもりだった」

「武田家が滅ぶ中でそこまでされていました、それに」

 虚無僧はさらに話した。

「仕える家がなくなって別の家に仕えるのは当然のこと」

「織田家に仕えたこともか」

「その織田家もご自身から裏切ってはおられませぬ、しかも主家が滅んで別の家に仕えるのは戦国の常」

 今の世のというのだ。

「それを節操がないとか言う方がおかしいです、むしろ」

「当家はか」

「義の家、その義は見事です」

「そう思うからか」

「はい、それに貴殿はその真田家の中でも義を大事にされ」

 幸村自身にも言うのだった。

「また素晴らしい目を持っておられます、それがしをすぐに見抜かれましたから」

「だからか」

「真田家、いえ貴殿にお仕えしたいです」

「拙者自身にか」

「お願い出来るでしょうか」

「拙者は家の為に天下の豪傑を集めておる」

 幸村は虚無僧の頼みにまずはこう答えた。

「心技体を備えたな」

「その三つどれも際立っている」

「そうした者を探している」

「そしてそれがしは」

「貴殿もそうだと見た、では」

「お仕えしても宜しいですか」

「拙者でよければな」

 虚無僧にこう答えたのだった。

「頼む」

「それはこちらの言葉、では」

「これから宜しくな」

「はい、ではそれがしの名ですが」

「何というのじゃ」

「霧隠才蔵と申します」

 虚無僧はここで名乗った。

「伊賀におりました」

「伊賀の忍であったか」

「はい、ですがそれがしは服部半蔵殿の下にはおらず」

「伊賀は服部家と百地家の二つの棟梁家があったが」

「そのうちの一つ百地家の下におりました」

「そうであったか」

「前右府様の伊賀攻めの前に里を出ていましたので難は逃れていました」

 その時の戦はというのだ。

「しかし百地様や馴染みの者達がどうなったのか気になり里に戻っておりました」

「それでどうであったか」

「流石忍、多くの者は無事逃げて隠れておりました」

「流石伊賀者じゃな」

「はい、しかし命を落とした者もいました」

 虚無僧、即ち霧隠才蔵はこのことは残念そうに述べた。

「百地様も名を変えて潜んでおりました」

「流石伊賀の棟梁、ご無事であられるか」

「はい、そのことを確かめ」

 そしてというのだ。

「また仕える家を探そうと旅をしていまして」

「拙者に会ったということか」

「そうです、では」

「うむ、これから頼むな」

「それでは」

 こうしてだった、霧隠も幸村の家臣になった。それで幸村は家臣達を彼等だけが聞くことの出来る笛の音で集めてだった。

 霧隠を紹介した、霧隠も彼等に名乗った。

「霧隠才蔵という、伊賀で忍術を学び剣と霧の術に自信がある」

「ほう、だから霧隠なのじゃな」

 根津がその言葉を聞いてすぐに目を光らせて言った。

「そこからか」

「うむ、それがしの家は代々霧を使う忍の家でな」

「それでか」

「この名になった、昔は違ったそうだが」

「そうであるか」

「無論手裏剣等も使える」

 刀以外の忍の道具もというのだ。

「だから安心せよ」

「そうか、殿が認められただけはあるか」

「そう思ってもらっていい」

 霧隠は根津達に自信に満ちた声で答えた、だが。

 清海は怪訝な顔でだ、霧隠に問うた。

「御主の名等はわかったが」

「顔のことか」

「うむ、御主が顔を隠しているのはそれじゃな」

「実は顔がおなごにやたら注目されてな」

「それで隠しておるのじゃな」

「大津に来た時はつい顔を出していてじゃ」

 それでというのだ、霧隠も。

「騒がれてな」

「それで今は虚無僧の格好をしておるのじゃな」

「これが一番顔が隠れるからな」

 だからだというのだ。

「こうしておる」

「そうじゃな」

「うむ、それで顔を見たいというのじゃな」

「鋭いのう」

「そちらにも自信がある、あと兵法書も読んでおるからな」

「そちらにも通じているか」

 今度は筧が声をあげた。

「では孫子等も」

「七兵法書に他にも色々と読んでおる」

「それは凄い、実はそれがしは」

 筧は自分のことも話した。

「兵学の書は後回しで術のものばかり読んでおった」

「そうなのか」

「兵法書は殿も明るいが」

「軍師も必要じゃ」

 幸村も言う。

「ならば余計に頼む」

「さすれば」

「ではじゃ」

 兵学の話が終わったところでだ、清海がまた霧隠に声をかけた。

「顔を見せてくれるか」

「うむ、周りにおるのは我等だけ」

 今はそうなっている。

「ならばな」

「顔を見せてくれるな」

「そうしようぞ」

 霧隠も答えてだ、そしてだった。

 虚無僧のその被りを取った、するとそこからだった。

 髪は総髪の髷でだ、その髪は黒々としている。

 顔は白い細面で切れ長の流麗なものだ、睫毛は長く眉は細いもので見事な形で曲がっている。

 鼻は高く耳の大きさは程よい。唇は小さく引き締まっていて顎はやや先が尖った感じだ。その非常に整った顔を見てだ。

 清海は唸ってだ、こう言った。

「わしと同じだけよい顔じゃな」

「そこでそう言うか」

「御主自分の顔を見たことがあるのか」

 すぐにだ、その清海に由利と海野が驚き呆れて突っ込みを入れた。

「御主の顔の何処が整っておる」

「そのまま魯智深ではないか」

「御主の顔は整っておるのではなく勇ましいのじゃ」

「豪傑の顔じゃ」

「待て、わしが花和尚というか」

 即ち魯智深である。

「わしは燕青じゃぞ」

「御主の何処が燕青じゃ」

「それも図々しいぞ」

 水滸伝きっての美男だ、通り名を浪子即ち伊達男という。

「全く、そもそも刺青され入れておらぬではないか」

「それで何処が燕青か」

「顔じゃ」

 堂々と言う清海だった。

「わしのこの顔がじゃ」

「まだ言うか、この者は」

「全く、花和尚が嫌なら行者になっておれ」

 武松である、この者も梁山泊の豪傑だ。

「とにかくじゃ、確かにな」

「これはまた整った顔じゃ」

 由利と海野は清海から霧隠を見て言った。

「その顔ならばな」

「おなごも放ってはおかぬわ」

「うむ、それで人の多い街では困るのじゃ」

 霧隠は苦笑いで述べた。

「おなごが周りに集まってな」

「おなごは嫌いではなかろう」

 穴山が言って来た。

「別に」

「うむ、嫌いではない。しかしな」

「それでもか」

「周りに集まられると困る」

 そうなってしまってはというのだ。

「だからじゃ」

「それでか」

「こうして虚無僧等に化けたりして隠しておるのじゃ」

「そうしておるか」

「この方が目立たぬしのう」

「顔がよいのも考えものだということじゃな」

「目立つことは忍としてよいことではないしな」

 望月は霧隠もまた忍の者であることから言った。

「それは道理じゃな」

「変装もしておる」

「そうもしてか」

「顔を隠しておるのじゃ」 

 そうしているというのだ。

「だから変装にも自信がある」

「それはよいことじゃな」

「そう言ってくれるか」

「うむ、わしは変装は今一つ苦手じゃ」

 忍であってもというのだ。

「そこは何とかせねばな」

「変装は数をすれば上手くなる」

「では数しておくか」

「そyじゃな」

 こうしたことを話してだった、一行は。

 霧隠を加えたうえで大津を後にしてだった、また都に向かうのだった。

 その途中でだ、伊佐は近江の道を歩きつつ幸村に言った。

「殿、何かです」

「どうかしたか」

「はい、どうもです」

 顔は正面を向いている、表情も穏やかなままだ。

 しかし先に先に進みつつだ、こう言ったのだ。

「獣の気配がしてきました」

「うむ、この気配は」

「殿もお気付きですか」

「狼じゃな」 

 この動物の気配だというのだ、幸村も。

「狼の気配じゃな」

「そうですな、しかし」

「狼ならよい」

 別にとだ、ここで言ったのだった。

 そして根津もだ、腰の刀に手をかけはしたが。

 抜く素振りは見せずだ、彼も幸村に言った。

「狼は案外人を襲いませぬ」

「相当餓えていなければな」

「熊も同じ、猿なら違いますが」

「左様、狼は別に恐れることはない」

「そういうことですな」

「では先に行こう」

「それでは」

「さて、先に進みな」

 そしてとだ、また言った幸村だった。

 そしてだ、ここでだった。

 狼の気配のする場所を越えてだ、さらに先に進むと。

 宿場町があった、そこに入ると相当に風変わりな者がいた。

 細い袴にしては奇妙な下穿きにだ、これまた草履にも思えない履きものを履いている。その下穿きもこれまた不思議な形の上着も色は様々でだ。

 そしてだ、首のところに皿の様な白い波がかったものを付けていてだ。頭には二本の長く柔らかい角の様なものがある被りものがある。

 顔は白く奇妙な化粧をしている、右目のところは赤く左目のところは黒く塗っていて左目のところは涙の模様も描いている。口は紅に唇を大きくしている。

 その男がだ、幸村達が目を閉じているのと見て言って来た。

「おや、これは」

「これは?」

「多くで旅をされていますな」

「道中で知り合いまして」

「そして家臣に迎えられたと」

 何処かおどけた様な動作でだ、奇妙な男は言って来る。

「左様ですな」

「何故それがわかるのか」

「はい、貴殿が先に立たれているからです」

 このことからわかったというのだ。

「それで、です」

「成程、立ち位置でか」

「そう思いましたが」

「確かにその通りじゃ」 

 幸村は男に正直に答えた。

「それがしがこの者達の主じゃ」

「やはりそうですか」

「うむ、ただな」

「ただとは」

「御主、非常に奇妙な身なりをしておるが何者じゃ」

 幸村も男に問うた。

「一体な」

「これは南蛮の服ですな」

 筧が男をじっくりと見てから幸村に述べた。

「全て」

「南蛮にはこの様な服もあるのか」

「あの穿きものはタイツといいます」

 筧は男が穿いているものから述べた。

「そして上の着物はブラウス、襟にあるのはカラーです」

「ではあの先の尖った変わった草履は何という」

「あれは靴です」 

 筧は幸村の問いにも答えた。

「南蛮の履きものですが」

「そういえば天平の頃の官服でも履いておったな」

「はい、明にも靴があります」

「そうじゃったな」

「明や南蛮では靴を履きます」

「草履ではなくじゃな」

「左様ですがあの者の靴は」

 筧も男の靴、非常に奇妙なそれを見つつ述べた。

「その靴でもかなり変わっています」

「何か化けものの様ですな」

 望月はその靴を見てこう言った。

「あの靴は」

「わしもあの様な靴ははじめて見た」

 南蛮人が多くいた安土に住んでいた筧にしてもというのだ。

「これまた奇妙な靴じゃ、奇妙なのは靴だけではないが」

「化粧も被りものもな」

 根津は男の顔と頭を見ている。

「白塗りの上に奇怪に塗って鬼の角の様になっておって」

「一体どういった者じゃ」

 海野も首を傾げさせるばかりだった。

「この者は」

「地獄から出た鬼か山にいるあやかしか」

 伊佐は男の外見をこう考えた。

「それを模したものでしょうか」

「いやいや、これはピエロというもの」

「ピエロとは」

「遊ぶ相手、笑わせる相手というか。南蛮で大名の傍にいる者達です」

 男はおどけた剽軽な動作で伊佐に話した。

「別に鬼でもあやかしでもありませぬ」

「南蛮の芸人ですか」

「そう思って下され、道化師といいますか」

「道化、確かに」

 霧隠はその言葉に反応した。

「その格好はそれじゃな」

「左様、堺で見てから面白いと思いまして」

「その格好をしてみたか」

「左様です」

「成程のう」

「まこと南蛮はわからぬ」

 穴山は言いながら己の背の鉄砲を見た。

「これも南蛮のものじゃがな」

「南蛮には色々珍妙なものもあるな」

 海野も言う。

「この者は最たるものじゃが」

「まことに人間なのか」

 由利はかなり歌川しげにだ、男を見て思っていた。

「御主は」

「この国の生まれですぞ」

「そうであるか」

「まあとにかく御主はこれから何処に行くのじゃ」 

 清海は男の行く先を尋ねた。

「そういえば名もまだ聞いておらぬな」

「行く先は比叡山です」

「あの山に行くのか」

「その周りを見物に」

「山には入らぬか」

「この格好で比叡山に入れば鬼と思われます故」

「うむ、わしから見てもあやかしにしか見えぬ」

 清海もこう思っていた、実際に。

「その格好であそこに入ればそう思われるな」

「そうでありますな、ですから山の入口で遊ぶだけです」

「左様か」

「はい、そして名は」

「その名は」

「そうですな、この格好ですから」

 男は考えつつ清海に答えた。

「化物とでもしましょうか」

「何じゃ、その名は」

 清海は首を傾げさせた、だが男のその白塗りの顔は笑っている様に見えた。化粧をしているその唇が赤く笑っている感じであるが故に。



巻ノ十   完



                       2015・6・11


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