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巻ノ九

                 巻ノ九  筧十蔵

 穴山は白虎にだ、不敵な笑みで問うた。

「御主、その槍で戦うと言ったが」

「如何にも」 

 その通りだとだ、白虎は不敵な笑みの穴山に表情のないまま答えた。

「それが何か」

「しかし他にも使えるな」

「武芸をというのだ」

「その懐の膨らみを見ると」

 穴山は白虎のその派手な上着を見つつ言った、見たこともないまでに派手でやたらと目立つ上着である。

「そこにあるのは短筒か」

「わかるか」

「それも使うか」

「何かあれば」

 白虎は表情のない目で穴山を見つつ答えた。

「そうする」

「そうじゃな、そしてその槍も短筒も」

 両方共というのだ、穴山は。

「相当な使い手じゃな、しかも」

「しかもとは」

「忍術も使うな」

 このことも見抜いての言葉だった。

「御主は」

「そのこともわかるか」

「わしも忍の者だからな」

 それでというのだ。

「傾奇者が忍術を使うか」

「おかしなことか」

「いや、前田家の慶次殿も然り」

 穴山はここで天下無双の傾奇者の名を出した。

「あの御仁も忍の術を使えたな」

「あの御仁は元々滝川家の方故」

 元は甲賀の忍であり織田家に仕官して取り立てられたのだ。前田慶次はその家から前田家に入ったのである。

「それも当然のこと」

「あの方のことから考えればな」

「傾奇者も忍術を使ってもおかしくはない」

「そういうことじゃな、しかし」

「しかしとは」

「御主を見ておると殺気、いや気自体を感じぬ」

 そういったものをというのだ。

「全くな」

「確かにな、この者を見ておると」

 清海もだ、白虎を見つつ言った。

「気、心というものを感じぬ」

「傾奇者といえば喧嘩早い方が多いのですが」

 ここでだ、伊佐も言う。

「しかし」

「この御仁はのう」

「そうしたものもなく。一切がです」

 それこそだ、気配や感情といったものがというのだ。

「感じられませぬ。不思議な方です」

「あるにはあるが」

 その白虎自身の言葉だ。

「私も」

「左様か」

「白虎殿も」

「それは失礼いたした」

「いえ、では私は近江を旅しますが」

 安土のあるこの国をというのだ。

「もう安土は」

「ですな、この街はもう」

「寂れるだけですな」

「最早城も織田家もなく」

「栄える時は終わりました」

「織田家があれば」

 そして安土城があればというのだ。

「栄えていましたが」

「その織田家がああなった今は」

「栄える根拠がなくなりました」

「それではですね」

「最早」

「そうなります」

 こうだ、白虎は周りにいる者達に話した。見ればその者達は町人の身なりだがよく見れば雰囲気が違う。しかしそれを気取らせてはいない。

 その者達を見つつだ、白虎は穴山達にさらに言った。

「だから別の町に行きます」

「そうされますか」

「では佐和山に行かれますか」

「ここは」

「そうしましょう、後は色々と」 

 近江の国中をというのだ。

「近江は色々な場所がありまする、見物していて楽しいです」

「今後の為にも」

「そうされますか」

「近江の国を回る」

「そしてよく楽しまれますか」

「そうするとしましょう」

 こう言ってだった、白虎は安土を後にした。彼の周りにいた町人の身なりをした者達も何処かへと姿を消した。

 幸村達は白虎と別れた後安土の西の長屋に来た、その長屋もだった。

 人はかなり少なくなり寂れていた、多くの部屋が人がいなくなってだ、開けられたままの部屋の中には何もなかった。

 犬も猫もいない、鼠すらもだ。蜘蛛の巣や小さな虫達が時折見られ道の端には草が生えだしていた。その長屋を見てだ。

 幸村はあらためてだ、こう言った。

「やはりもうこの町はな」

「はい、寂れてですな」

「そしてですな」

「消えていく」

「そうした流れですな」

「そうなる、そしてここに」

 その寂れ人気のなくなった長屋を見てだ、幸村はまたあ述べた。

「その筧十蔵がいるとか」

「ですな、では一体」

「その筧という者は何処にいるのか」

「探しましょう」

「そして会いましょう」

「うむ、そうしようぞ」

 こうしてだった、幸村達は長屋を見て回った。確かに人は殆どいないがそれでもだった、その中の一つにだった。

 人の気配がする部屋があった、一行はその部屋の前に来た。部屋を隔てている障子はこの部屋のものだけが寂れていなかった。

 その障子を見てだ、幸村は言った。

「この障子だけが奇麗じゃな」

「はい、他は寂れていますが」

「ここだけは違います」

「そして部屋の中から人の気配がします」

「この部屋の中からだけは」

「うむ、ではな」

 それではとだ、幸村は家臣達の言葉に頷いてだった。

 自ら障子に手をかけた、すると。

 その部屋の中からだ、声が来た。

「どうぞ」

「むっ、気付いているか」

「はい」

 その通りだとだ、部屋の中から男の声が返って来た。

「気配がしました故」

「わかるか」

「それがしに何の御用でしょうか」

「まずは会って話がしたい」

 幸村は部屋の中にいる相手にこう返した。

「貴殿に」

「わかりました、それでは」

 男の声は応えてだ、そのうえで。

 障子は部屋の中から開いた、そしてそこにだった。

 すらりとして痩せた面長で痩せた顔の男が出て来た、歳は海野達と同じ位で学者の様な総髪で穏やかな表情だ。

 身なりは質素であるが清潔である、暗灰色の袴に紺色の上着を着ている。その者がだった。

 幸村にだ、こう言ったのだった。

「武家の方と見受けましたが」

「左様、真田幸村と申す」

「上田の真田家のご次男の方ですか」

「それがしのことを知っているのか」

「お名前は、そしてそのご評判も」

「やはり殿は有名ですな」74

 清海は幸村と男のやり取りを聞いて述べた。

「この安土までとは」

「いえ、兄上」

 ここでだ、清海に伊佐が言った。

「どうもそれだけではないかと」

「むっ、確かに」

 弟に言われて兄も気付いた、部屋の中には。

 多くの書があった、狭い部屋の中はその書で床を囲んでいる位だ。清海もその書の山を見て唸ってこう言った。

「これだけの書を集めて読んでおるのか」

「どうやら」

「これだけの書があるとなると」

「相当な銭もかかっておりますな」

「うむ」

 清海は弟に真剣な顔で頷いた。

「これはな」

「この方、相当な学識がありますな」

「御主が筧殿か」

 由利は男に単刀直入に問うた。

「そう思うがどうじゃ」

「如何にも」

 男は微笑んで由利に答えた。

「筧十蔵と申します」

「やはりそうか」

「それがしに何か御用でしょうか」

「実は御主の噂を聞いてじゃ」

 そしてとだ、今度は望月がその男筧に言った。

「是非当家に召し抱えたいと思ってな」

「それがしの様な浪人をですか」

「浪人といってもその者それぞれじゃ」

 根津はこう筧に言った。

「それこそな」

「そう言われますか」

「腕の立つ浪人がおれば学のある浪人もいよう」

「してそれがしは」

「どちらもじゃな」

 これが根津が見る筧だった。

「あらゆる術を知っておるな」

「妖術と忍術を少々」

「妖術か」

「はい、それがしの術は」

 筧自身も答える。

「そちらになるでしょうか」

「仙術ではないのか」

「仙術も学びましたが」

 しかしとだ、筧は清海に答えた。

「それがしの術はどちらかといいますと」

「妖術となるか」

「はい、そちらも学び」

 そしてというのだ。

「明や南蛮の術も学びましたので」

「南蛮のか」

「この安土にも伴天連の者がおりまして」

「その者から教えてもらったのか」

「はい、あちらの言葉を読むのは苦労しましたが」

「それでもあちらの術もか」

「学びました、魔術や錬金術といったものを」

 こう話すのだった、幸村達に。そしてだった。

 筧はあらためてだ、一行に話した。

「しかしお話が長くなります故」

「部屋の中に腰を下ろしてか」

「狭い場所ですが宜しいでしょうか」

 筧は幸村にも言った。

「これより」

「そうじゃな、ではな」

 幸村も頷いてだ、筧の言葉をよしとした。そしてだった。

 一行は筧の部屋の中に腰を下ろした、布団が敷かれていた場所のその布団を畳んでだ。そこで水を飲みつつ話をするのだった。

 由利はその書の山を見てだ、眉を顰めさせて言った。

「しかしのう」

「書がですか」

「うむ、さっきも思ったが」

 それこそというのだ。

「これだけの書を集めるとなると」

「銭がかかったな」 

 根津も言う。

「それも相当に」

「はい、しかし」

「しかし?」

「中には譲ってもらった書も多いので」

「そうなのか」

「それがしも薬等を作られ芸も出来ますので」

 そうした技もだ、筧は話した。

 そしてだった、実際にその何もない手にだ。 

 花を出してみせた、そして笑って言った。

「こうしたことが」

「手品ですね」

 伊佐は筧が今してみせたものを見てすぐにこう返した。

「それは」

「はい、こうしたことも得意で」

「それで銭を得ておられましたか」

「左様です、ですが稼いだ銭は」

「その殆どを書に使っておられましたか」

「それに薬も」

「仙術での薬じゃな」

 海野が言った。

「それじゃな」

「他にも南蛮の錬金術の薬も」

「作って売っています」

「ふむ、南蛮の」

「それを売っています、ただ」

 筧は真面目な顔でこうも言った。

「紛いものや毒は作っておりませぬ」

「ならよいがな」

「それがしも道を違えたことはしません」

 強い声でだ、筧はこのことは断った。

「何があろうとも」

「仙術の薬は丹薬じゃ」 

 幸村は筧が強く言ったところでこの薬について述べた。

「よいものなら確かに不老不死になるというが」

「ご存知ですか」

「唐の太宗はその丹薬を飲んで死んだ、秦の始皇帝もな」

「はい、真の丹薬はです」

 筧も言う、先程よりも強い声で。

「滅多なことでは作ることが適いませぬ」

「左様じゃな」

「これは錬金術も同じ、錬金術はあらゆるものを金に変えますが」

「石でも何でも金に変えようとすることも尋常なことではない」

 幸村は全てを察している目で述べた。

「紛いものの話も多いであろう」

「そのこともおわかりですか」

「一歩間違えれば左道にもなる」

「その通りです」

「見たところこの書の中には陰陽道や修験に関するものもあるが」 

 しかしというのだ。

「左道はないな」

「そういえば確かに」

「そうした書はありませぬな」

「呪いのものは」

「巫蠱等は」

「巫蠱は左道の極み」

 幸村は巫蠱についてはだ、険しい顔になって否定した。

「それを行う者は天下に害を為す」

「ではそれがしが巫蠱を行っていれば」

「この場で斬ることも厭わぬ」

 これが幸村の返事だった。

「まだ学んでいるだけなら止める様に言っておった」

「左様ですか、どうやら」

 幸村のその言葉を聞いてだ、筧はというと。

 彼のその険しいが善悪をしかと見ていることがわかる確かな目の光を見てだった。こう幸村に言ったのだった。

「貴殿は仙術や魔術もご存知なのですか」

「少し書を読んだだけじゃ」

 知っているとまではいかないというのだ。

「使えはせぬ」

「左様ですか、しかしその本質をご存知ですな」

「使い方を誤るとおぞましいものになることをか」

「はい、承知です。ならば」

「ならばとは」

「それがしの術もよきことに使って頂けますな」

 こう言うのだった、幸村のその顔を見て。

「そのことがわかりました、では」

「拙者にか」

「はい、宜しければ」

 幸村さえよければというのだ。

「それがしを家臣の末席に加えて頂けるでしょうか」

「拙者に仕えてくれるか」

「またお聞きしますが術は何の為に使われるものでしょうか」

「知れたこと、天下泰平の為民の安寧の為じゃ」

 幸村は筧にすぐに答えた。

「それ以外にはない」

「天下取りには使われませぬか」

「拙者は天下人になるつもりはない」

 最初からだというのだ。

「真田家が残るのならな」

「天下取りはですか」

「拙者より遥かに素晴らしき方がおられる、拙者はそれよりも義を見たい」

「義を、ですか」

「天下の人の道を泰平を守るな」

 それが幸村の義だというのだ。

「そして民が穏やかに過ごせればな」

「よいですか」

「うむ、左様じゃ」

「では冨貴は官位等は」

「銭なぞ必要なだけあればよい」 

 それが最も幸村の興味のないものだった。

「それを求めて何になる」

「では官位等も」

「いらぬ、全くな」

 こちらについてもだった。

「拙者にはどうでもいいことに思える」

「ではご自身のことよりも」

「正しい力を正しいことに使いたい」

 これが幸村の考えだった。

「常にそう思っておる」

「ですか、では」

 ここままで聞いてだ、筧は微笑みだった。

 そうしてだ、幸村にあらためて申し出たのだった。

「では若し幸村様さえ宜しければ」

「家臣にか」

「末席に加えて頂きたいのですが」

「真田家は小さい」

 まずはこのことからだ、幸村は筧に言った。

「大きくなることもまずない」

「あくまで信濃の一家だと」

「左様、しかも上田は山の仲にある」

「不便だと申されるのですな」

「近江とは違う、全くの田舎じゃ」

 まさにだ、そう言うべきところだというのだ。

「そんな場場所じゃからな」

「禄も少なく辺鄙な場所にずっといる」

「それでもよいか」

「ははは、それがしも禄には興味がありませぬ」

 筧は幸村に笑って返した。

「そして何処にいても術を学べれば」

「それでよいか」

「はい」

 あくまでだ、それだけだというのだ。

「妖術を」

「それに仙術に魔術といったものをじゃな」

「左様です、それだけです」

「では、か」

「はい、お願いします」

 筧から申し出たのだった。

「それがしを是非」

「その術を正しきことに使いたいか」

「実は前より考えていました」

「術の使い道をじゃな」

「はい、最初はただ術に興味を持ち学んでいました」

 最初はそうだったというのだ。

「実はそれがし堺のそれなりに豊かな商いの家に生まれまして」

「左様であったか」

「はい、幼い頃に文字を教わり書を読むうちにです」

「そうした術を知ったか」

「堺にはそうした東西の術を知る者もいまして」

 そうした者と会ったことも大きかったというのだ、筧にとっては。

「そしてそうした者達から話も聞くうちに」

「興味を持ってか」

「学びそしてです」

「術を身に着けていってか」

「はい、そのうえで」

「術をじゃな」

「この術をどう使うべきか考える様になりました」

 そうなっていったというのだ。

「次第に、学べば学ぶ程」

「それで何故安土におった」

「ここがこれより栄え色々な者が集まり」

「術を知る者もじゃな」

「来ると思いまして」

 それでというのだ。

「それで学びました」

「正道に使うべきとじゃな」

「そう考えていたのですが」

 しかしその正道が何なのかをわかりかねていたのだ、正道といってもそれが具体的に何かをわかることは難しいのだ。

「しかしここで殿とお会いしまして」

「そしてか」

「わかった様な気がします」

「術は天下万民の為に使うものじゃな」

「少なくとも左道には堕ちず」

 このことは絶対だというのだ。

「義を守る」

「そのうえで使うものとじゃな」

「今は思っております」

「そういうことじゃな」

「はい、それがしの術は真田の為民の為に使います」

 筧は幸村に今誓った。

「これよりそうさせて頂きます」

「宜しく頼むぞ」

「はい、それでこの書ですが」

 筧はここであらためてだ、周りの書を見た。

 そのうえでだ、こう言ったのだった。

「どうしたものか」

「随分多いのう」

「はい、この書はどうしましょうか」

「ふむ、そうじゃな」

 幸村は腕を組みだ、ここで思案に入った。

 そしてだった、彼はあらためて筧に言った。

「この書は宝、失う訳にはいかぬ」

「売るなり捨てるなりはですか」

「してはならぬ、この書は天下万民の為に役立つものとなる」

「ではどうしましょうか」

「そうじゃな、安土も寂れたが」

「しかしですか」

「当家は織田家に従っておった、それで人もやり小さいながらも屋敷も持っておった」

 織田家の家臣達の様にというのだ。

「建てようとしている最中ではあったがな」

「では」

「その者達も去ることになろう、間もなくな」

「ではその時に」

「この書も上田に持って帰ってもらおう」

 これが幸村の考えだった。

「是非な」

「左様ですか、では」

「うむ、この書は全て上田に持って帰る」 

 こう筧にも言ったのだった。

「そうしようぞ」

「有り難うございます、では」

「すぐに真田の屋敷に行き話をしよう」

 こうしてだった、幸村はすぐに真田の屋敷に向かってだった。そこで話をつけて書をまずは屋敷に運ばせてだった。家の者達に言った。

「では頼むぞ」

「わかりました、では」

「我等も間もなく上田に戻りますので」

「それではです」

「この書もです」

「持って帰ります」

「ではな」

 幸村は家の者達に微笑んで告げてだ、そしてだった。

 書は家の者達に任せ筧も加えた上でだ、己の家臣達に言った。

「ではこれよりじゃ」

「はい、都にですな」

「そちらに向かいますな」

「そうしようぞ、いよいよじゃな」 

 感慨を込めてだ、幸村は家臣達に応えた。

「都じゃな」

「殿、都はいいですぞ」

 清海は幸村に明るい笑顔で言った。

「賑やかで色々な者や店があり」

「長い間荒れておったというが」

「もうそれは昔のことで」

 今の都はというのだ。

「相当に賑やかになっています」

「そうか、ではな」

「都に行けばです」

 そこで、というのだ。

「色々なものを楽しめますぞ」

「ふむ、都を見るのもだ」

 生真面目な幸村は清海の笑っての言葉に落ち着いた声で返した。

「見聞を広めることになる」

「いや、遊びませぬか」

「遊ぶことも悪くはない」

 それもというのだ。

「人は色々なことを知ってこそ深みが出るというからな」

「いや、学ぶ為に遊ばれますか」

「駄目か」

「遊ぶ為に遊ばれるのではないのですか」 

 清海はいささか面食らって幸村に問い返した。

「学ぶ為に遊ばれるのですか」

「駄目か」

「いや、言われてみれば殿らしいですが」

 それでもとだ、清海はその幸村に面食らった顔のまま言葉を返した。

「そうした遊び方もありますか」

「拙者は全てのものが人を深めると思っておる」

「遊びもですか」

「うむ、そう思うがどうだ」

「確かに。遊びから得られるものも多いですが」

 清海は歩きつつその丸太の様な腕を組んで幸村に応えた。

「しかし。遊びもまた学問とは」

「学問も楽しいと思えば遊びではないのか」

 筧がその清海に問うた。

「それがしはそう思うが」

「では御主はいつも書を読み術を学んで遊んでおるのか」

「楽しむことを遊びとするならばな」

「そうなるのかのう」

「では拙僧も修行が遊びでしょうか」

 無類の修行好きの伊佐も話に入って来た。

「そちらも」

「何でも遊びになろう」

 幸村はその伊佐にも答えた。

「術を学ぶことも修行もな」

「そうなりますか」

「しかし遊びは一つではなかろう」

 幸村は家臣達にこうも言った。

「清海の好きな酒におなごに博打もじゃ」

「そういったものもですか」

「遊びであろう、遊びも色々とやってみて知ることじゃ」

「では相撲もしてですな」

 相撲好きの望月も出て来た。

「そして他の遊びも」

「すべきであろうな、人として深くなる為にはな」

「ううむ、殿の仰ることは深いですな」

 海野は幸村の言葉をここまで聞いて清海がそうしている様に腕を組んで考える顔になって言った。それも真剣に。

「遊びも学ぶことでしかも多くすべき」

「そう思う、だが溺れてはならぬであろう」

「遊びには」

「溺れてはそのまま死んでしまう」

 水に溺れるのと同じでというのだ。

「それはよくない」

「ですな、酒と博打で滅んだ者は多いです」 

 穴山が頷いたのは幸村のその言葉に対してだった。

「溺れればですな」

「そうなりかねぬ」

「やはりそうですか」

「つまり遊びは楽しむものであり溺れるものではない」

 根津はこう言った。

「そうしたことですな」

「拙者はそう思う」

「ですな、剣も人を斬ることに心を奪われる魔道に堕ちれば終わりです」

 根津は己の歩んでいる道から考えて述べた。

「あとは人斬りの外道になるだけ」

「それは剣に溺れておるのじゃ」

「人を斬ること、殺めることに喜びを見出し」

「それも同じであろう」

 遊びに溺れることと、というのだ。

「やはりな」

「左様でありますか」

「ううむ、遊びでも何でも溺れぬことですな」

 由利も考える顔になっている。

「そしてそのうえで、ですな」

「遊んでじゃ」

「学ばれる、それが殿のお考えですな」

「それが正しいかどうかはわkらぬがな」

「左様ですか」

「うむ、では都に行きな」

「遊びましょうぞ」

 また言う清海だった、喜んで。

「是非共」

「兄上、間違っても博打ですらない様にして下さい」 

 伊佐は兄の博打好きを見て言った。

「これまで何度もありましたが」

「安心せい、わしは博打には強くなった」

「そう仰って何度負けられたか」

「だから今度こそは大丈夫じゃ」

「全く、兄上は」 

 伊佐は清海のそんな反省しない態度にむっとした顔になっていた、だがそうした話をしつつだった。幸村一行は安土から都に向かうのだった。

 その幸村達と別れた白虎はだ、琵琶湖のその水を見ていた。遠くに何艘か舟も見える。

 水と浜、それに舟を見つつだ。佇む白虎のところにだった。

 漁師の身なりをした男達が何人か来てだ、こう言って来た。

「無明殿はですな」

「この琵琶湖をですな」

「御覧になられ」

「そしてそれをですな」

「半蔵様にお知らせする」

 表情のない目でだ、白虎は漁師達に答えた。

「この琵琶湖、そして近江のことを調べた上でな」

「そうされますか」

「この近江は交通の要」

「この国をよく調べ」

「半蔵様にお伝えしますか」

「そうする、それに」

 白虎は漁師達にさらに言った。

「あの御仁のこともな」

「真田家のご次男の」

「幸村殿ですな」

「どうも他の十二神将の方々も会われましたが」

「無明殿もですな」

「今我等十二神将は天下の流れを調べている」

 自身も含めてというのだ。

「その我等が次々とあの方と会うとは」

「妙なことですな」

「不思議なことですな」

「考えてみますと」

「これが縁か」 

 表情のないままだ、白虎は言った。

「人と人のな」

「我等と真田殿の」

「縁ですか」

「そうやもな、あの御仁まだ若いが」

 しかしというのだ。

「相当な方、しかもそこからさらに大きくなられる」

「左様ですか」

「では相当にですか」

「大きくなられますか」

「そう思う」

 こう漁師達に話した。

「私もな」

「ですか、では」

「ことの流れ自体では、ですな」

「あの御仁徳川家とも」

「有り得る」

 白虎はそのことを否定しなかった。

「この世の流れはわからぬからな」

「ですな、本能寺のことといい」

「この世は全くわかりませぬ」

「何につけても」

「だからですな」

「あの御仁も味方であってくれればいいが」

 しかしというのだ。

「敵となった時は」

「これ以上はないまでにですな」

「厄介な敵になりますか」

「家臣も揃っていますし」

「それが為に」

「幸村殿は天下一の侍になるだろう」

 これが白虎の見立てだった。

「智勇共にな」

「そのどちらでもですか」

「天下一の侍になられますか」

「そこまでの方ですか」

「そう思う、それ故に用心が必要やもな」

 こうも言うのだった。

「敵になれば恐ろしい」

「ですか、そして無明殿」

 漁師の一人がここで白虎にこう言って来た。

「西国のことですが」

「どうなっているか」

「道化殿と長老殿が向かわれていて」

「長老殿がか」

「はい、そうです」

「それは大きいな」

 白虎はその二人の名を聞いて述べた。

「あの方がか」

「道化殿は都に向かわれています」

 西国、いや天下の心臓であるそこにというのだ。

「そして長老は大坂に」

「あの地にか」

「赴かれています」

「羽柴家はあの地に城を築こうとしておるな」

「その城がかなりのものとか」

「安土よりもか」

「その様です」

 天下にその威容と壮麗を見せたその城以上にというのだ。

「縄張りだけでもです」

「左様か」

「石山御坊の跡に築こうとしているとか」

「石山御坊か。確かに大きかったな」 

 白虎も石山御坊のことは知っている、本願寺の拠点でありその大きさは途方もないまでのものであった。

「あの跡に築くとなればな」

「相当なものになりますな」

「やはり天下は羽柴殿か」

「あの方の、ですか」

「やはり世はわからぬ、百姓の家に生まれ草履取りだったというのにな」

 その羽柴秀吉がというのだ。

「天下人になるとはな」

「はい、確かに」

「誰もそうなるとは思いませぬな」

「それも到底」

「しかしそうなろうとしている」

 秀吉が「天下人にというのだ。

「わからぬな、全く」

「まさに世は一寸先は闇ですな」

「どうなるかわからぬ」

「それで徳川と真田もですか」

「一体どうなるのか」

「わからぬ、しかしあの御仁が傑物なのは確か」

 幸村、彼はというのだ。

「真田は確かに小さい、しかしじゃ」

「侮ってはなりませぬか、あの御仁は」

「到底」

「そして若し戦になれば」

「その時はですか」

「うむ、覚悟して挑まなければな」

 ならないというのだ、徳川家も。

 白虎はこう話してだ、漁師達にあらためて言った。

「では私はこのまま近江を見る」

「では我等もまた」

「それぞれの調べる国に向かいます」

「ではまた会いましょう」

「駿府で」

「そうしようぞ」

 漁師達に別れの言葉も告げてだった、白虎は今は琵琶湖を見ていた。そうして何時しかその場から消えていた。

 家康は駿府を発ち自ら兵を率いて甲斐、そして信濃を攻めていた。その時に。

 陣を構えた時にだ。傍にいる四天王筆頭である酒井がだ、家康にこう報を届けた。

「殿、甲斐及び信濃の国人達は次々とです」

「徳川にじゃな」

「従うと言ってきています」

「それは何より、それで上杉と北条の動きは」

「どうやら上杉はです」

 酒井はまずこの家のことから話した。

「信濃の北を手に入れんとしていますが」

「それでもか」

「信濃の全てはです」

「手に入れようとはじゃな」

「思っておらぬ様です、むしろ」

「羽柴殿とじゃな」

「手を結んで安泰を考えておられる様です」

 家のそれをというのだ。

「どうやら」

「そうか」

「それに上野においてもです」

「北条家とか」

「揉めていますので」

「それでか」

「はい、信濃にはです」

 然程というのだ。

「入って来ない様です」

「では上杉家は大丈夫じゃな」

「そうかと、ただ」

「北条家はか」

「上野から信濃に入ろうとし」

「それに甲斐にもじゃな」

「入ろうとしています」

 そうだというのだ。

「あの国にも」

「では北条か」

「やはりあの家かと」

「半蔵を送ってよかったか」

 家康は酒井の話を聞いて述べた。

「あちらに」

「そうなりますか」

「十二神将は殆ど別の国に向かわせた」

「信濃や美濃に」

「うむ、実は羽柴家の動きが気になっていてな」

 それでというのだ。

「十二神将の多くを向かわせた」

「そうでありましたか」

「その介があったかどうかは」

「これから次第ですな」

 ここで四天王のもう一人榊原も言ってきた。四天王の知恵袋役と言っていい。

「やはり」

「そうであろうな、少し先じゃな」

「そうかと、ただ」

「ただ。何じゃ」

「それがしは柴田殿にお心を寄せていますが」

 榊原は自分の考えを述べた。

「ですが」

「それでもじゃな、わしもそう見ておる」

「柴田殿は敗れますな」

「羽柴殿と戦えばな」

「そしてです」

「羽柴殿は天下人に大きく進む」

 まさにそうなるというのだ。

「そしてじゃ」

「当家ともですな」 

 今言ったのは本多忠勝だった、四天王の中でもその武勇は随一とさえ言われている者だ。

「ぶつかると」

「わしは徳川家を大きくするつもりじゃ」

 今以上にというのだ。

「しかしその大きくなることがな」

「羽柴殿にとってですな」

「厄介な存在となる、だからな」

 それでというのだ。

「羽柴殿と戦になるやもな」

「やはりそうですか」

「その時までに甲斐と信濃の多くを手に入れたい」

 これが家康の考えだった。

「とはいっても焦らぬ」

「はい、焦ってはです」

 四天王の最後の一人である井伊の言葉だ、徳川四天王において最も精悍かつ清廉な心の持ち主として知られている。

「ことをし損じるますな」

「そうじゃ、明日の一万石よりもじゃ」

「今日の百石ですな」

「ことは慎重に進める」

 このことは絶対に、というのだ。

「これまで通りのわしのやり方でいく」

「では甲斐、信濃に兵を進めても」

「無理はせぬぞ」 

 家康はまた酒井に応えた、四天王筆頭でありそのまとめ役である彼に。

「一歩一歩兵を確かに進めるぞ」

「はい、では」

「その様に」

 家康の言葉にだ、四天王は頷いてだった。

 そのうえでだ、自分達の主に述べた。

「では我等も」

「殿のお言葉に従い」

「そのうえで、です」

「それぞれ兵を率いて戦にかかります」

「頼むぞ、とはいっても従う国人達はそのまま迎え入れよ」

 家康は四天王にこうも言った。

「わしは常に言っておるな」

「はい、いくさ人といえどもです」

「仁の心は忘れるな、ですな」

「当家に入るものは快く迎え入れよ」

「そして民にはですな」

「民には一切手を出してはならぬ」

 このことは厳命するのだった。

「よいな」

「無論です」

「我等も徳川の者」

「無用な戦はしませぬ」

「民には一切手出しをしませぬ」

「うむ、戦は戦の場でするもの」

 そして戦をする相手とするものというのだ。

「それ以外の時で武を振るってはならぬのじゃ」

「そしてですな」

「兵を進め」

「従う者は快く迎え」

「民には髪の毛一本も奪わず指一本触れませぬ」

 四天王も誓った、そして。

 他の家臣達もだ、家康に頷いて言った。

「では我等も」

「無用な戦はしませぬ」

「それは全くです」

「手出しをしませぬ」

 このことを誓ってだった、そのうえで。

 徳川の者達は兵を進めていった、慎重にかつ無用な戦を避けてだ。それは上田にいる昌幸をしてこう言わせるものだった。

「流石は三河の麒麟と言われただけはある」

「確かに」

 その昌幸の言葉にだ、信之も頷く。

「采配に無駄がなく」

「しかもじゃな」

「無用な戦も避けています」

「民に害を及ばさぬ」

「見事ですな」

「兵の足は遅いがな」

「徳川殿は本来は兵の采配は速いですが」

 実は家康の采配は速いことでも知られている、神速とさえ言われる兵の動きでも天下に知られているのだ。

 しかしだ、それでもなのだ。

「ここはあえてですか」

「少しずつでも確かに国を収めることを優先させておる」

「だからですな」

「徳川殿は今は歩みが遅い」

 兵のそれはというのだ。

「甲斐と信濃を少しずつでも確かに手に入れておるのじゃ」

「そういうことですな」

「うむ、しかし確かに兵を進めておられる」

 そして甲斐、信濃を手に入れているというのだ。

「だからな」

「やはりこの上田にもですか」

「来る」

 このことは間違いないというのだ。

「間違いなくな、先のことでもな」

「では備えをですな」

「このまま進める」

 戦のそれをというのだ。

「よいな、そしてじゃ」

「徳川殿の軍勢が来ましたら」

「戦う」

 まさにだ、そうするというのだ。

「そして退けるぞ」

「ですな、そしてその頃にはですな」

「あ奴も戻って来る、そしてじゃ」

「共に上田を守る備えをしますか」

「さて、どれだけの者をどれだけ揃えてくるか」

 昌幸はその目を鋭くさせて嫡子に言った。

「見せてもらうか」

「そのこともですか」

「うむ、楽しみではある」

 幸村のその働きがというのだ。

「帰って来る時もな」

「ではあ奴が戻ってから」

「本格的にですな」

「守りを固めようぞ」

 こうしたことを上田で話していた、徳川の軍勢は北に進み真田は備えを進めていた。織田家がいなくなった信濃は再び戦国の坩堝に陥ろうとしていた。



巻ノ九   完



                        2015・6・7



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