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巻ノ八

                  巻ノ八  三好伊佐入道

 一行は清海の案内を受けて彼の弟である三好伊佐入道が修行しているという寺がある山の前に来た。

 その山の入口に来てだ、望月が清海に顔を向けて言った。

「この山のことはわしも聞いていたが」

「うむ、大層な山でな」

「並の険しさではないぞ」

「しかも獣に蝮も多いのう」

「とんでもない山ぞ」

「山伏も修行に入りにくいまでにな」

「相当な山じゃ」

 その険しさがというのだ。

「御主の弟はこの山で修行を積んでおるのか」

「修行は厄介な場所でこそすべきと言ってな」

「それでか」

「この山にある寺でな」

「修行を積んでおるのか」

「そうじゃ、日々な」

「本当に御主の弟か」

 望月はここまで聞いて首を傾げさせた。

「自らこの様な難しい場所に入るとは」

「それはどういう意味じゃ」

「言ったままじゃ、御主は修行は好きか」

「力を使う修行は好きじゃ」

「自ら好んで難しい場所に入るか」

「そこに美味いものがあればな」

「なければどうじゃ」

「入る筈がない」

 きっぱりとだ、清海は言い切った。

「美味いものが食えぬ場所には行かぬわ」

「そうじゃな、だからじゃ」

「わしがこの山に入るかどうか」

「そうしたものがなければ入らぬ」

 その美味いものがというのだ。

「絶対にな」

「そうじゃな、しかし御主の弟は違うな」

「あ奴は変わり者でのう」

 それでとだ、清海は望月に答えた。

「美味いものも嫌いではない」

「進んで食おうとはか」

「せぬ」

「ほれ、そこがな」

「違うというのじゃな」

「御主と違う」

 まさにというのだ。

「そもそも御主生臭ものも酒も気にせぬな」

「そんなものにこだわらぬ」

「見よ、見事な破戒僧ではないか」

「だから弟とは違うというのじゃな」

「まことに同じ親から産まれておるのか」

「父も母も同じじゃ」

「兄弟で違う様じゃな、しかしな」

 それでもとだ、また言った望月だった。

「腕は相当にたつのじゃな」

「わしは花和尚の錫杖を使うが弟は金棒じゃ」

「それを使うのか」

「そうじゃ」

 その通りだというのだ。

「そして法力も相当なものじゃ」

「御主も法力はあるじゃろ」

「あるがわしはやはり力技に土の術、それにじゃ」

「忍術じゃな」

「そうじゃ」

 そういったものの方が得意だというのだ。

「わしはな」

「坊主なのにか」

「しかし弟は違っておってな」

「しっかりと僧侶らしくか」

「相当な法力の持ち主じゃ」

「ならよいがな、とにかくこれからじゃな」

「山に入ろう」

 幸村もここで言った。

「そしてじゃ」

「はい、そしてですな」

「そのうえで寺まで行き」

「清海の弟に会って」

「お話をしましょうぞ」

 六人も応えてだった、そのうえで。

 一行は山に入った、草木は深く崖も多い。

 その山の中でだ、幸村は言った。

「思った通りにな」

「この山はですね」

「相当に」

「深い」

 草木も何もかもがというのだ。

「崖も多いしのう」

「その崖もです」

「急でしかも深いですぞ」

「落ちればそれこそです」

「命がありませぬ」

「信濃にもこうした山はあまりない」

 幸村は自身が生まれた国のことから話した。

「凄い山じゃ」

「獣も多いですぞ」

 ここでだ、由利が気配を察しつつ述べた。

「あちこちに気配がします」

「確かに。まさに獣の気配は」

 根津も少し目を鋭くさせて言った。

「あちから。息を潜めつつも」

「するのう」

「うむ、熊に狼にな」

「蛇も猿もおるな」

「猪もな」

「猿には気をつけねばな」 

 海野は猿と聞いてこう言った。

「その中で最も危ないかも知れぬ」

「左様、猿はな」

「あれでかなり凶暴じゃ」

 穴山と望月も海野の言葉に頷いて言う。

「すばしっこく悪食でな」

「喧嘩っ早い生きものじゃ」

「その通りじゃな、熊や狼、猪は誰もが気をつける」

 幸村も言う。

「蛇もな。毒がある故」

「しかし猿は違う」

「左様ですな」

「凶暴でしかも」

「そのことを知らぬ者が多いですな」

「拙者も猿の凶暴さは知っておる」

 やはり幸村は知っていた、猿のそのことも。

「あの連中は群れを作り歯や爪で襲って来る」

「そのすばしっこさも合わせて」

「実に凶暴ですな、奴等は」

「山にいる連中の中でも」

「とりわけ厄介です」

「その通り、熊や狼は実は案外大人しい」 

 猿に比べればかなりだ。

「猪もまだましじゃ、蛇も臆病じゃ」

「しかし猿は違いますからな」

「向かってもきます」

「あんな厄介な連中はいません」

「山で一番危険です」

「だからじゃ」

 それでとだ、幸村は己の家臣達に話した。

「猿に最も気をつけようぞ」

「左様ですな、そういえば」

 清海は山の右の方を見つつ述べた。

「あちらの気配が乱れております」

「そういえばな」

 確かにとだ、幸村も清海が顔を向けた方に自らも顔を向けてそのうえでこう答えたのであった。

「あちらのな」

「何でありましょうか」

「寺はどちらじゃ」

「丁渡です」

「あちらか」

「まさかと思いますが」

 清海は首を傾げさせつつ幸村に話した。

「あそこに伊佐がいるのやも、いや」

「違うな」

「拙僧はともかく伊佐はそうした修行をしませぬ」

「荒行はせぬか」

「いえ、荒行をしてもです」

 それでもというのだ。

「ああした場が相当に乱れる修行にはなりませぬ」

「そうなのじゃな」

「何かがまとめて怯えている」

「そうした修行ですな」

「どちらにしても寺の方じゃな」 

 幸村はここでこう言ったのだった。

「あちらは」

「左様です」

「ではあちらに行こう」

「さすれば」

 こうしてだった、一行は清海に案内されてだった。

 その気が乱れている方に行った、すると。

 そこにはだ、清海程の背丈に体格にだ。猟師の身なりをして髪を短く刈った大きな目を持つ男がいた。その男を囲んでだ。

 木々の上の猿達が怯えて近寄らない。望月はその男を見て清海に問うた。

「あの漁師は違うな」

「違うぞ」

 すぐにだ、清海も望月に答えた。

「確かにわしとは全く違う外見じゃがな」

「それでもじゃな」

「伊佐は猟師の服なぞ着ぬ」

 こう答えたのだった。

「常に法衣じゃ」

「そこは御主と同じじゃな」

「そうじゃ、確かに大柄じゃが」

 それでもというのだ。

「漁師ではない」

「ではこの者は何じゃ」

「ははは、わしは別の山の猟師じゃ」

 男の方が言って来た。

「留吉という、今日はこの山にたまたま入ってな」

「そしてか」

「猟をしておったのか」

「そうじゃ、たまには別の山に入ろうと思ってな」

「左様か」

「しかし入ればこの通りじゃ」

 猿達が怯えたというのである。

「随分怖がりな猿共じゃな」

「いや、猿はそう簡単に怯えぬぞ」

 穴山がその留吉に言う。

「嫌になる位ずる賢くもあるしのう」

「しかしこの山の猿達はな」

「御主を見てか」

「この通りじゃ」

「それは御主が怖いからであろう」 

 穴山は笑って言う男にこう返した。

「だからじゃ」

「わしがか」

「見たところかなり強いな」

 穴山は男を見つつ言う。

「背中の鉄砲以外も使うであろう」

「わかるか」

「むしろ鉄砲も使うが」

「わしの真の武器はというのじゃな」

「その力か」

「少なくとも力には自信がある」

 留吉自身も言う。

「熊を一撃でのしたこともある」

「それだけ強いとのう」

 穴山は留吉に決して近寄ろうとしない猿達も見つつ述べた。

「猿達が近寄らぬのも道理じゃ」

「わしは猿は狩らぬぞ、今はな」

「獣は強いものには近寄らぬものじゃ」

 だからとだ、穴山は男に告げた。

「だからじゃ」

「そう言うのか、しかしな」

「しかし。何じゃ」

「貴殿等見たところ旅の武士じゃな」

 一行を見ての言葉だ。

「そうじゃな」

「うむ、実は上田からここにまで来た」

 幸村が答えた。

「この寺におるある僧侶と会う為に」

「ふむ。あの大柄な修行のか」

「知っているのか」

「少し見た、まだ若いが随分生真面目で法力もある様じゃな」

「わしの弟でのう」 

 清海もだ、留吉に言う。

「会いに来たのじゃ」

「それでか」

「そうじゃ、しかし御主本当に大きいのう」

 清海も留吉を見て言うのだった。

「わしと同じ位はあるな」

「そうじゃな、お互いに大きいな」

「うむ、ただな」

「ただ?」

「御主、狩りに鉄砲に腕っ節にな」

 それにというのだ。

「術も使うのう」

「ほう、術をか」

「忍術か」

「何故わかったのじゃ?」

「身のこなしでじゃ。御主身体は大きいが動きの一つ一つに無駄がなくじゃ」

 そしてというのだ。

「音一つ立てぬ」

「だからか」

「そうじゃ、只の猟師ではないな」

「答える必要はあるか?」

「そうしたことは言わぬ、とにかくわし等はこれからな」

「御主の弟に会いに行くのじゃな」

「そうする」

 清海は笑って留吉に答えた。

「これからな」

「そうか、この山は険しい、道は気をつけよ」

「わかっておる、そのこともな」

「ではよい、それでじゃが」

 ここでだ、留吉は。

 幸村を見てだ、こう彼に問うた。

「貴殿が一行の中で一番偉い者か」

「うむ、この者達の主じゃ」

 幸村はその通りだとだ、留吉に答えた。

「名を真田幸村という」

「真田、真田家のご次男か」

「拙者のことを知っておるのか」

「若いながら相当な方と聞いておったが」

「拙者の名は近江まで知られているのか」

「話は聞いている、しかしここでお会いするとは」

「これも何かの縁か」

「そうであるな、噂通りの御仁」

 幸村の目を見ての言葉だ。

「貴殿は相当な者になられるな」

「有り難きお言葉、ではこれからも修行に励まさせて頂く」

「そうされるか、では」

「これで」

「このまま猿共を怯えさせても仕方ない」

 猿達を見つつの言葉だ。

「別の場所に移り狩りをしようぞ」

「そうか、ではな」

「これでお別れじゃ」

 微笑んでだ、根津に応えた。

「また機会があればな」

「会うか」

「その時を楽しみにしておるぞ。ではな」

 こう話してだ、そしてだった。

 留吉は幸村達に一礼して別れてだった、一行は寺に向かった。留吉は別のところに移り山の中を歩いていたが。

 ここでだ、その山の中に。

 黒装束の忍達が出て来てだ、彼に問うた。

「剛力殿、聞いた通りでしたな」

「やはり真田殿はこの山に来られましたな」

「そしてあの若い坊主とですな」

「会いますな」

「うむ、しかしわしが忍であることも見抜いておったわ」 

 清海の言葉を聞いて言うのだった。

「見事じゃ、しかしな」

「しかし?」

「しかしとは」

「半蔵様は手出しするなと言われわしもそのつもりはなかったが」

「それでもですか」

「真田殿は」

「消しておくべきだったかもな」

 考える顔での言葉だった。

「そうも思ったがな、ふと」

「真田殿をですか」

「今ここで」

「徳川家は真田家と戦になるやも知れぬ、その時な」

 まさにその時にというのだ。

「あの御仁も敵になるからな」

「その時はですか」

「厄介な敵になる」

「だからですか」

「今ここで」

「あの御仁、そして家臣の者達と戦うとじゃ」

 若しだ、そうなるとというのだ。

「我等でも苦労するぞ」

「そのこと、どなたも仰っていますな」

「他の十二神将の方々も」

「あの方は大きくなられる」

「そして敵に回せば厄介なことになると」

「うむ、だからな」

 それ故にというのだ。

「そうも思った」

「しかし半蔵様は」

「そこまでは、ですな」

「仰っていませんな」

「うむ、しかし半蔵様もあの御仁を御覧になられれば」

 その時はというのだ。

「そう考えられるやもな」

「半蔵様は今は相模です」

「あの地におられます」

「風魔じゃな」

 相模と聞いてだ、留吉はすぐに察した。

「あそこか」

「はい、信濃に行かれることになっていましたが」

「急にです、家康様が相模の動きを見られてです」

「半蔵様を相模に向かわせたとのことです」

「そうか、徳川の今の敵はな」

「やはり北条ですな」

「あの家ですな」

 忍の者達も言う。

「甲斐、信濃を巡っての」

「油断ならない敵ですな」

「そうじゃ、そして半蔵様ならな」 

 まさにだ、彼ならというのだ。

「風魔小太郎殿が出られてもじゃ」

「対することが出来ますな」

「東国一の忍にも」

「風魔殿は強い」

 間違いなく、というのだ。

「我等十二神将でも勝てぬ」

「あの御仁には、ですな」

「勝てませぬか」

「剛力殿でもですか」

「他の十二神将の方々でも」

「うむ、噂に聞く限りではな」

 到底というのだ。

「わしでも無理じゃ、それこそじゃ」

「半蔵様でなければ」

「とても勝てませぬか」

「あの御仁には」

「そうじゃ、そしてあの御仁もじゃ」

 留吉はもう一人の者もここで出した。

「真田幸村殿もな」

「敵になるとですか」

「半蔵様でなければですか」

「勝てませぬか」

「そう思う、強いぞ」

 幸村、彼はというのだ。

「しかもあの御仁は忍としてだけでなくな」

「そういえば武士ですな」

「あの御仁は」

「武芸十八般、そして学問も出来る」

「何と、忍術が優れているだけでなく」

「武芸に学問もですか」

「そうじゃ、あの御仁天下人にはなれぬが」

 人間としての気質でだ、幸村は天下人になれないというのだ。

「しかし。とてつもなき者になるぞ」

「天下は握れぬにしても」

「それでもですか」

「相当に大きな者になる」

「左様ですか」

「そうじゃ、あの御仁とは敵としては会いたくない」 

 留吉も言うのだった。

「恐ろしい敵になるのは間違いないからのう」

「他の十二神将の方も仰っているそうですが」

「真田幸村殿、そこまでの方ですか」

「忍術において半蔵様に匹敵し」

「他の術も相当なもの」

「まことに恐ろしい方なのですな」

「そう思う、ではわしはこれより越前に向かう」

 近江から北のその国に向かうというのだ。

「ではな」

「では我等も」

「それぞれの場所に向かいます」

「調べる様に言われた場所に」

「頼むぞ、さて越前の柴田殿は嫌いではないが」

 柴田勝家のことも話すのだった。

「危ういであろうな」

「はい、織田家への忠義を貫かれていますが」

「羽柴殿に押されていますな」

「あの方は実直に過ぎまする」

「愚直なまでに」

「その愚直さが仇となる」

 柴田にとってというのだ。

「それ故にじゃ」

「危ういですか」

「ではあの方は敗れますか」

「羽柴殿との戦になれば」

「なるであろう、残念なことじゃがな」 

 留吉はここで唇を噛んで述べた。

「そして滅びるわ」

「剛力殿は柴田殿がお好きですか」

「お嫌いではないとのことですが」

「ああした御仁は好きじゃ」

 実際にとだ、彼も答えた。

「強く、そして実直なのがよい」

「そこは剛力殿と同じですな」

「双刀殿、土蜘蛛殿とも」

「うむ、わしは確かに同じ十二神将の中でもあの二人とは馬が合う」

 実際にとだ、留吉は笑って忍達に答えた。

「気質や戦の仕方が似ておる」

「力ですな」

「それをよく使われるからですな」

「わしが一番力を前に出すが」

 それでもというのだ。

「あの二人もな」

「はい、豪です」

「お強いです」

「真田殿のところにいたあの坊主も面白そうじゃな」

 清海のことにもだ、留吉は気を向けた。

「また会いたいのう」

「敵ではなく味方として」

「そのうえで」

「お会いしたいのですな」

「そうしたい、ではな」

 ここまで話してだ、そしてだった。

 留吉は山から消えた、他の忍の者達も。するとそれまで怯えていた獣達の気配が安堵したものに変わった。

 幸村一行は寺に入った、その寺は険しい山の奥深くにありだ。

 静かな造りで閑散としていた、その寺を見てだ。

 清海は意外といった顔でだ、こんなことを言った。

「意外と整っておるのう」

「こんな山奥にあるからどれだけ荒れ果てておるかと思っておったが」

 海野も言う。

「しかしな」

「奇麗なものじゃな」

「全く荒れておらぬ」

 本堂も庭も鐘もだ。

「奇麗なものじゃ」

「掃除も行き届いておるな」

 根津は足元を見た、そこにはだ。

 雑草が奇麗に抜かれていた。彼はその状況も見て言った。

「人はしかとおるか」

「その清海の弟殿か」

 穴山はすぐにその者が掃除等をしているのかと思った。

「さて、その弟殿は何処か」

「人を探すか」

 由利は寺の中にいる僧達を探そうと提案した。

「これだけ整っておる寺じゃ、人は一人ではないぞ」

「そうじゃな、本堂に行ってみるか」

 望月の目はそのあまり大きくはないがやはり奇麗な本堂を見ていた。

「そこに誰かおられるやもな」

「そうじゃな、では行こうか」

 由利が望月の言葉に頷いてだ、そしてだった。

 一行は寺の本堂に向かった、そしてそのやはり閑散としているが奇麗に掃除された中に入るとだ。そこに一人の年老いた僧侶がいた。

 僧侶は一行を見るとだ、すぐにこう言った。質素な黒と白の僧衣、その上に袈裟を着た枯れ木の様な老僧だ。

「これは珍しい、大勢のお客人とは」

「はい、実は」

 幸村が僧侶に応えた。

「この寺に三好伊佐入道殿がおられると聞きましたが」

「伊佐に御用ですか」

「はい、実はそれがし真田幸村という者ござるが」

「おお、貴殿がですか」

 幸村の名乗りを受けてだ、僧侶は少し声の調子を上げて言った。

「信濃でお若いながらも文武両道という」

「それがしのことご存知ですか」

「お名前は聞いております、それで如何なご用件でしょうか」

「それがし家臣を探して旅をしておるのですが」

「ではそちらの方々が」

「そうです、それがしの家臣達です」

 幸村はこう僧侶に答えた。

「皆旅の途中で出会いです」

「家臣とされた方々ですな」

「左様です」

「それで伊佐はです」

 清海が僧侶に大きな声で言った。

「拙僧の実の弟でして」

「ほう、そうなのですか」

「その縁で殿にもと」

「ふむ、伊佐を真田殿の家臣に迎えたいと」

「申し出た次第です」

「宜しいでしょうか」

 幸村は礼儀正しく僧侶に申し出た。

「伊佐殿はこちらで修行されていると聞いています、ですが」

「はい、伊佐は確かにこちらの寺で修行しています」

 その通りだとだ、僧侶も答えた。

「ただ。ここには修行の為、それが終われば」

「その時はですか」

「寺を降り世に出ると伊佐も申していまして」

「御坊もですか」

「その様にせよと言っております」

 他ならぬ伊佐自身にというのだ。

「ですから時が来れば」

「その時は世に出て」

「左様です、そしてです」

「その修行で得た力で」

「世の為人の為に働くと二人で話しました」

 そのことが決まめたというのだ、二人で。

 そしてだ。僧侶は幸村に言った。

「拙僧はその時は伊佐に見極める様に言っております」

「ふむ、ではここで伊佐に会っても」

 清海は僧侶の話を聞いて述べた。

「あ奴がどう言うかわからぬのう」

「まだ修行中とな、本人が思えばな」

「それで山を出ぬな」

 穴山と由利もこう考えた。

「本人次第か」

「わし等がどう言っても」

「さて、ではな」

「どうしたものか」 

 根津と望月も難しい顔になっていた。

「ここは会うべきだが」

「強く言っても仕方ないのう」

「無理強いしてもな」

 海野は伊佐を無理に家臣にしてもと言った。

「忠義なぞ持てぬしな」

「殿、拙僧からも弟に話しますが」

 清海は幸村に話した。

「しかし」

「それでもじゃな」

「殿も無理には言われませぬな」

「そのつもりはない」

 幸村は清海にすぐに答えた。

「そうしたことをしてもな」

「忠義はありませぬな」

「人の心は他の者がどうこうしてもどうしようもない」

 これが幸村の考えだ、人は無理強いをしても心からどうこう出来るものではないという考えなのである。

「その者の心を見せてな」

「心と心ですな」

「それでその者の心を得るのじゃ」

「それで伊佐もですな」

「御主の弟殿次第じゃ」

 その伊佐がどうするかというのだ。

「山を出て拙者の家臣になってくれるならよし」

「まだ山に残ると言えば」

「それまでじゃ」

「左様ですか」

「しかしまずは会おう」

 そこからだというのだ。

「そこから決まる」

「伊佐は寺の裏の滝のところにおります」

 僧侶が幸村に話した。

「そこで滝に打たれております」

「ううむ、相変わらず修行に精を出しておるのう」

 清海は弟の修行のことを聞いて唸った。

「流石じゃ」

「伊佐はいつも誰よりも早く起き修行と学問に励んでおります」

 その通りだとだ、僧侶も話す。

「至って真面目で穏やかな者です」

「そこも変わらんのう」

「座禅もよくしております、そして今は」

 滝に打たれているというのだ。

「ではそちらに行かれますな」

「はい」

 幸村は僧侶に心地よいまでにはっきりした声で答えた。

「そうさせてもらいます」

「さすれば」

 僧侶は自ら案内を申し出てだった。

 実際に一行をその滝のところまで案内した、すると。 

 清海程ではないが大柄で逞しい身体をした僧侶が褌だけになって激しい勢いの滝に打たれつつ手を合わせて瞑目していた。若く穏やかな顔立ちをしていてだった。眉と口元は清海に似てしっかりとしたものである。

 その彼を見てだ、清海は幸村に言った。

「あの者がです」

「御主の弟殿じゃな」

「伊佐です」

 まさにその彼だというのだ。

「普段から修行に明け暮れていまして」

「今もあの様にじゃな」

「こちらの方が申された通りです」

 案内をしてくれた僧侶を見つつの言葉だ。

「まさに」

「そうなのじゃな」

「はい、それでは今から」

「伊佐、よいか」

 ここでだ、僧侶は幸村達の話を聞いてだった。

 そのうえでだ、その滝に打たれている僧侶に声をかけたのだった。

「御主に会いたいという方が来られている」

「拙僧に。おや兄上」

 僧侶は目を開いてすぐに自分の視界に清海がいるのを見て言った。

 そしてだ、滝から出て身体を拭いて僧衣を着てだった。あらためて清海に言ったのだった。

「来られたのですか」

「うむ、御主に頼みがあってな」

「銭のことならありませんが」

「そのことではない、実はわしは仕官してな」

「そうですか、それはおめでとうございます」

「こちらの方にな」

 清海は幸村を右手で指し示して話した。

「真田家のご次男幸村様じゃ」

「真田家といいますと信濃の」

「知っているな」

「はい、お若いですが文武両道の方だと」

「そうじゃ、非常に素晴らしい方でな」

「そうですな、素晴らしい目の方ですな」

 伊佐は幸村の目を見て述べた。

「澄んでおられます、それに立ち居振る舞いも」

「見事であろう」

「隙がありませぬ、非常に腕が立ち」

 そしてというのだ。

「人としてもです」

「隙がないというのじゃな」

「はい、しかも兄上が仕えられるとは」 

 伊佐は今度は兄を見つつ述べた。

「兄上は確かに般若湯、肉食、賭けごと、女人、騒動とされますが」

「やはり弟殿じゃ、わかっておるわ」

「全くじゃ」

 穴山も海野も伊佐のその言葉にその通りと頷く。

「旅の途中でも食うわ飲むわでな」

「博打と女人、騒動はないが」

「それでもな」

「何かと揉めごとを起こす」

「困った者じゃ」

「悪い奴ではないがな」

「はい、しかし兄上は人を見られます」

 伊佐は清海のそうした面も話した。

「これぞという方しか認められませぬ」

「うむ、わしも人の善悪はわかるつもりじゃ」

 その清海も言う。

「人の性根とかもな」

「はい、その兄上が仕えられている」

「それ故にか」

「こちらの方は相当な方ですね、そして」

「そしてじゃな」

「この方は確かにです」 

 非常にというのだ。

「素晴らしき方です」

「それでじゃ、御主にもな」

「こちらの方にお仕えせよと」

「どうじゃ、悪い話ではないと思うが」

「そうですね、拙僧もこれまでは修行の日々を過ごしていましたが」

 伊佐はその澄んだ目で幸村を見つつ兄に答えた。

「それもそろそろと思っておりました」

「ではよいな」

「いえ、少しお待ち下さい」

 清海は弟が納得したと見て喜びの声をあげた、だがその伊佐は冷静そのものの声で兄に対してこう返した。

「少し見たいものがあります」

「見たいものとは何じゃ」

「幸村様を占わせて欲しいのです」

「そういえば御主占術もするな」

「はい、それでです」

 その占術を使ってというのだ。

「占わせて下さい。宜しいでしょうか」

「うむ、よいぞ」

 幸村は伊佐の願いに微笑んで答えた。

「では拙者のことを占ってもらおう」

「拙僧がお仕えさせてもらってよいのか」

 幸村の心根はもうある程度だがわかっている、伊佐が言うのはその彼に自身が仕えていいのかどうかということだ。

 それでだ、これからというのだ。

「占わせてもらいます」

「ではな」

「はい、これより」

 早速だ、伊佐はその場に座って八卦の棒達を出して動かしてだった。そして占った。

 その結果を見てだ、伊佐は驚いて言った。

「何と、これは」

「どうしたのじゃ?」

 清海がその伊佐に問うた。

「よからぬ結果が出たのか」

「いえ、拙僧は幸村様のお力になり」

 そして、というのだ。

「天下に残る働きをすると」

「そう出たのか」

「まさか。拙僧の様な者が」

「よいことではないか」

「いえ、ですから拙僧の様な人として小さな者が天下に残るまでの働きをとは」

 その大柄な身体での言葉だ。

「その様なことになるとは」

「驚くのはそのことか」

「左様です、幸村様そしてこちらの方々と共に」

「ではわしもか」

「はい、兄上もです」

「天下に残る働きをするのか」

「それも永遠に語られるまでの」

 そこまでのというのだ。

「そう出ています」

「そうなのか」

「驚きました、そして拙僧も兄上もどの方も幸村様に死ぬまで共にいると」

「ほう、それはよいことじゃ」

「そうじゃな」

 由利と根津は伊佐のその話を聞いて嬉しそうに声をあげた。

「ではな」

「殿と死ぬ時も一緒ぞ」

「忠義を尽くせる、ではです」

 伊佐は意を決した顔で微笑んだ、そしてだった。

 その場で座ったまま姿勢をなおしてだ、幸村に深々と頭を下げて言った。

「是非。それがしを家臣の末席にお加え下さい」

「わかった、ではこれからは御主もな」

「幸村様の家臣ですね」

「頼むぞ、何かと」

「畏まりました」

 こうして伊佐も幸村の家臣となった。そのうえで彼は幸村達と共に老僧に対して挨拶をした。

「では住職殿、お世話になりました」

「時が来たな」

「今がその時の様です」

「そうじゃな、ではな」

「はい、天下に戻りです」

「真田様の下でじゃな」

「働きます」

 こう言うのだった。

「これより」

「御主なら出来る」

「天下において働くことが」

「出来る、では時々文でも送って参れ」

「はい、そうさせて頂きます」

「ではな、ここで御主の働きを聞くことを楽しみにしておるぞ」

「さすれば」 

 こう別れの言葉を交えさせてだった、そのうえで。

 伊佐は幸村達と共に山を降りた、そしてだった。

 伊佐がだ、幸村に自分達の行く先を問うた。

「殿、これから都に向かわれるのですね」

「そのつもりだが」

「では途中安土を通りますね」

「そうなるな、しかしもうあの街は」

「はい、城も燃えてしまい」

 信長が築いた豪華絢爛たる天主を持つ城だった、だがその城がついこの前本能寺の変での混乱の中燃えてしまったのだ。

「人も次第にです」

「離れていっておるのだな」

「左様です、都や大坂に流れています」

 その人がというのだ。

「そうなっています」

「そうだな、しかし」

「あの町を通りますね」

「そうなる」

 このことはもう当然のことだというのだ。

「それで問題はないな」

「はい、そして安土を通って」

「都に入ろう」

「わかりました」

 伊佐は幸村の言葉に静かに頷いた、そしてだった。

 一行の中に入り幸村達と共にまずは安土に進んだ、安土には何の問題もなく着いた。だが予想通りにだった。

 安土の町はかつての賑わいはなく寂れようとしていた、店は幸村達が見ている前で畳まれてだった。町を去ろうとしていた。

 それは寺社もだった、安土に多くあった寺や神社もだ。

 次々にだ。閉まって去ろうとしていた。その寺の一つの前にだ。

 幸村は来てだ、その寺の僧に尋ねた。

「この町を去られるか」

「はい、もう前右府様がおられないので」

 信長が、とだ。僧侶も答えた。

「ですから」

「もういても仕方ないと」

「はい、都に行きます」

「都にか」

「そうします、拙僧共は」

 僧は幸村に寂しそうに答えた。

「都に新たな寺を築きます」

「もうこの町の世ではないか」

「城もなくなりましたし」

 僧は安土山の方を見た、かつては見事な天主があったが。

 今はない、石垣や城壁、櫓が残っていた。そして人の気配はなくなっていた。

「もうここにいても仕方ありませぬ」

「それは御坊達だけではないか」

「はい、他の神社やそれに耶蘇教の伴天連の者達も」

「都に移るか」

「若しくは大坂か」

 そうした場所にというのだ。

「そのどちらかにです」

「世は都、そして何より」

「大坂じゃな」

「そうかと、羽柴殿の世になります」

「ふむ。耶蘇教の伴天連達も大坂に移るか」

 由利はその話を聞いて言った。

「あの者達も」

「そう言っていました、たどたどしい言葉で」

「そうなのか」

「そうそう、この安土で色々学んでいた者がいましたが」

 ここでだ、僧は幸村達にこんなことも言った。

「古今東西の学問を学び術も学んでいた」

「術もとな」

「既に忍術を学んでいるとのことですが」

「忍術もか」

「そう言っていました、本人が」

「言っていたというと」

 海野はこのことから察して言った。

「御坊もその者と会っていたか」

「はい、若いですが随分と立派な者で」

「あらゆる学問を学んでいたのか」

「そして術も」

「では伴天連の術も」

「学んでいました、しかしここでの術を学び終えたので」 

 その者の言葉で、というのだ。

「今度は何処に行こうか考えていると」

「左様か」

「それでその者は何という名前じゃ」 

 根津は僧にその者の名を問うた。

「一体」

「はい、筧十蔵殿といいまして」

「筧というのか」

「そう名乗っておりました」

「筧十蔵。聞かぬ名だが」

 望月はその名を聞いて述べた。

「面白そうな者である様だな」

「とかく学問が好きな方です」

「学問のう。殿もお好きだが」

「殿、宜しければ」 

 穴山は幸村に確かな声で言った。

「その筧という者に会われますか」

「そしてじゃな」

「殿が見込まれそしてその者が肯けば」

 その時はというのだ。

「家臣にされるべきかと」

「そうじゃな、ではその者に会おう」

 幸村も頷いた、そしてだった。

 幸村はその筧という者と会うことにした、その話を決めて僧にその筧の住んでいる場所を聞いた。そこはというと。

「長屋か」

「はい、この町の西の」

「そこに住んでおるのじゃな」

「左様です」

 僧はこう清海に答えた。

「そこに住んでおられます」

「わかった、では殿」

「うむ、その長屋に行こう」

 幸村も清海に確かな声で応えた。

「これよりな」

「では我等もお供します」

「これより」

「そうじゃな、では行こうぞ」

 こうしてだった、幸村はその長屋に向かうことにした。だが。

 その安土の西に向かう途中も安土の町を見たがやはりだった。

「寂れてきていますな」

「このままではすぐにです」

「この町は人がいなくなり」

「町でなくなりますな」

「消えてしまいます」

「栄枯盛衰は世の常というが」

 幸村もその寂れていく安土を見つつ瞑目する様に述べた。

「しかし」

「それでもですな」

「こうして町が寂れるのを見るのは」

「どうにもです」

「悲しい気持ちになりますな」

「どうしても」

「全くじゃ、世は安土から大坂に移っておる」

 栄えもというのだ。

「だからこの町はすぐにな」

「消える」

「そうなりますか」

「町は生まれ栄え廃れ」

 そしてとだ、幸村はいささか悲しみを感じつつ述べた。

「そして消えるものじゃ」

「人だけでなく町でもですか」

「消えるものですか」

「生まれそして最後には」

「そうなるものですか」

「そうじゃ、そしてこの町もな」

 安土もというのだった。

「消える。少なくとも栄えることはもうないであろう」

「織田家があなってしまった今は」

「到底ですか」

「織田家も衰える」

 安土を拠点としていたこの家もというのだ。

「前右府殿がいなくなった今はな」

「やはりこれからは羽柴殿ですか」

「あの方ですか」

「そうなるであろうな、天下の流れそして羽柴殿の勢力と勢いを見ると」

 そうなるとだ、幸村は見ていた。それを己の家臣達にも話すのだ。

「間違いなくな」

「ですか、では」

「やはり大坂に向かいますか」

「これより」

「そうする」

 こうしたことを話してだった、そのうえで。

 幸村は穴山達を連れて筧のいる長屋に向かったいた。だが。

 その前にだ、白髪で派手な、黄色や青、緑で彩られた上着にだ。紅の袴という格好の男が出て来た。しかもその上に虎の毛皮を羽織っている。

 背は普通位であり顔立ちは白く整っているが表情はない。歳は幸村より幾分年上であろうか。その男を見て。

 伊佐は目を瞬かせてだ、こう言った。

「傾奇者ですな」

「うむ、そうじゃな」

 根津が伊佐のその言葉に頷いた。

「これはまた派手な者じゃ」

「はい、都に多いと聞いていましたが」

「安土にもまだおったのじゃな」

「これはまた」

 望月は彼が手にしているその朱槍を見た、相当に大きな槍だ。

 その槍を見てだ、望月は言った。

「見事な槍じゃな」

「あの槍を使って戦うか」

「そうであろう」

 望月は由利にも答えた。

「だから持っているのであろう」

「そうじゃな、やはりな」

 由利も望月のその言葉に頷いた、そして。

 その槍を見つつだ、海野が男に問うた。

「御主、傾奇者か」

「・・・・・・如何にも」 

 男は小さく感情のない声で答えた。

「私はこの町を通った旅の傾奇者」

「そうか、やはりな」

「とはいってもある家に仕えていて」

 男は海野に答えていく。

「名を白虎という」

「その髪の色と羽織っておる虎の毛皮からか」

「左様」

 そうだというのだ。

「そう呼ばれている」

「そうなのか、しかし」

「しかし?」

「御主はこの安土におるがこれからどうするのじゃ」

「織田家には仕えていない故。ここに来たのは主から言われて仕事で来た」

「そうなのか」

「ただそれだけのこと。それ故に」

 だからだというのだ。

「これで去る」

「少し待ってくれるか」

 言い終えると踵を返そうとした白虎にだ、穴山が声をかけた。

「聞きたいことがある」

「それは何か」

「うむ、それはな」

 穴山は踵を返そうとしたところで動きを止めた白虎に不敵な笑みを向けた。そのうえで彼に対して言うのだった。



巻ノ八   完



                         2015・5・31

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