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巻ノ七

                        巻ノ七  望月六郎

 幸村達はその橋に近付いていた、その道中でその橋にいる武芸者についてだ、彼の相手をすることが決められた根津が言った。

「さて、その武芸者がどういった者か」

「うむ、何でも忍術まで使うというがな」

 その根津にだ、由利が応えた。

「その腕がどれだけか」

「気になるな、しかし」

「しかし?」

「仮にも弁慶の様にしておるからにはな」

「それだけにか」

「うむ、相当な強さであろう」

 このことは間違いないというのだ。

「その者はな」

「そうか、しかしその者が天下無双の豪傑なら」

「それならばな」

「やはりその者も」

「うむ、拙者も考えておる」 

 幸村も言うのだった。

「強いだけでなく心も確かでな」

「そして殿の家臣なってもいいというのなら」

「是非にじゃ」

「我等と同じくですな」

「家臣としたい」

 こう根津に答えるのだった。

「まことに今は一人でも優れた者が多い」

「真田家が生き残る為に」

「その為にですな」

「一人でも多く優れた者が殿の家臣となり」

「戦い家を守る必要がありますな」

「左様ですな」

「うむ、戦なぞないに限るが」

 幸村は五人の問いにも答えた。

「しかしな」

「戦を仕掛けられたならば」

「その時は戦うしかありませんな」

「例え望まずとも」

「相手が攻めて来るならば」

「刀を手にするしかありませぬな」

「その通りじゃ」

 まさにというのだ。

「降りかかる火の粉は払わねばならぬ」

「確かに。しかし」

 幸村の言葉を聞いてだ、海野が目を閉じ言った。その間も足は止まっていない。

「世はわからぬものですな」

「信長公の下定まろうとしていたのがじゃな」

「その信長公が討たれ」

 そしてというのだ。

「天下が再び混沌とし信濃もわからぬ様になりました」

「世は先がわからぬ」

 それも全くとだ、幸村は言葉の外にこうした言葉も入れた。

「まさに一寸先は闇じゃ」

「闇ですな」

「よいことになるか悪いことになるか」

 それこそとだ、幸村は穴山にも話した。

「全くわからぬ、人にはな」

「神仏ならともかく」76

「人の力なぞちっぽけじゃ」 

 こうも言う幸村だった。

「先が見える様でな」

「見えぬものですか」

「そうじゃ、ある程度は見えても」

 それでもというのだ。

「全ては見えぬ」

「だからですな」

 清海も腕を組んで難しい顔になって言う。

「信長公のことも」

「そうじゃ、拙者も天下は定まると思っておった」

 信長が天下人になり、というのだ。

「それでな、しかしな」

「本能寺でああしたことが起こり」

「そしてですな」

「天下はまたわからない様になった」

「左様ですな」

「そうじゃ、そのせいで信濃も戦乱が起ころうとしておる」

 織田家が信濃を手中に収めていたがその織田家が主をなくしてしまいだ。

「北条、上杉に徳川も来る」

「そのうちで一番厄介なのは」

「おそらく徳川じゃな」

 根津の問いにこの家を出した。

「あの家じゃ」

「徳川家ですか」

「家康公は戦上手、そして信濃にもすぐに兵を出せる」

 だからだというのだ。

「しかも兵が多いだけでなく家臣の方々も揃っておる」

「徳川十六神将ですか」

「その中でも四天王の方々ですな」

「確かに家臣の方も揃っていますな」

「実に」

「ぞうじゃ、だからな」

 それ故にというのだ。

「我等の敵はな」

「徳川家ですか」

「あの家ですか」

「上田まで来る」

 そして戦になるというのだ。

「まずな」

「北条や上杉は」

「上杉とは手を結ぶことになる」

 幸村はこの家については心配していなかった。

「上田に来るまでに」

「では北条は」

「あの家は」

「北条は関東にも佐竹や宇都宮、里見等がおる」

 北条の敵がというのだ。

「関東の古い名家の多くとことを構えておるし甲斐や上野から信濃に入るにしても」

「何かありますか」

「それでも」

「うむ、北条家の拠点相模から遠くな」

 上田はというのだ。

「徳川家と話をつける可能性が大きい」

「信濃に入るよりも東国ですか」 

 根津がここで幸村に問うた。

「だからですか」

「そうじゃ、北条家はそもそも東国に目を向けておる」

「信濃よりも」

「その為にやがて徳川家と和解して信濃や甲斐には深く入らぬ」

「では信濃に来るのは」

「徳川となる」

 残るこの家だというのだ。

「もうそろそろ兵を動かしだしておるな、そして徐々に北に上り」

「上田にもですか」

「来るであろう」

「では徳川家が上田に来るまでに」

「拙者は天下の豪傑をさらに集めそのうえで上田に戻り」

 そしてというのだ。

「御主達に上田を見てもらう」

「そこで戦うからですな」

「戦になる地のことをそれがし達に知ってもらう」

「そうなのですな」

「確かに徳川家は主の家康殿は天下の傑物」 

 幸村も認めることだ。

「家臣の方々もきら星の如く、兵も多く強い」

「敵に回せば手強い」

「そのことは間違いないですな」

「明らかに真田よりも強い」

「そうですな」

「しかし我等も兵は強く」

 あの天下一の強さを誇った武田の軍勢の中でもとりわけ精強なことで知られていた。

「地の利がある」

「その地の利を活かしてですか」

「徳川家と戦うのですな」

「それが我等の戦ですな」

「左様、そしてその戦う豪傑を手に入れる為の旅じゃが」

 他ならぬ今の旅である。

「間もなく橋じゃな」

「ですな、その橋におる者」

「一体どうした者か」

「是非見たいですな」

「それが結構いい男なのよ」

 ここで不意に一行の声がしてきた、一行がその声の方を見ると巫女の格好をした長い黒髪に切れ長の目を持つ艶やかな女がいた。鼻は高く透き通る様な肌だ。歳は二十歳を少し越えた辺りであろうか。その女がだ。

 妖艶な笑みを浮かべつつだ、こう幸村達に言うのだった。

「惚れる位に」

「御主は」

「旅の巫女と言えばいいかしら

 こう清海に答える。

「それで」

「その手にある笛を吹いてか」

「旅の路銀としているわ」

「ほう、笛か」

「聴くのなら銭をもらうわよ」

「いや、生憎それがし達には余分な銭がない」

 幸村が妖艶な笑みを浮かべる女に答えた。

「残念だが御主の笛を聴くことは出来ない」

「何なら簡単な曲を吹いてあげるわよ。その曲は銭はいらないわ」

「それでも聴けば銭を払うのが義理というもの」

「真面目に言うわね」

「こうしたことは守らねばな、御主もそれで生きているのであろう」

「そうよ」

「では聴く訳にはいかぬ」

 銭を出せぬとあればというのだ。

「また会った時に銭があればな」

「聴くんだね」

「そうさせてもらう」

「そう、わかったわ」

「それはそうとじゃ」

 由利は女に鋭い視線を向けて問うた。

「御主橋の男を知っておるか」

「さっき橋を渡ったからね」

「それで男を見たのか」

「拳が強そうでね、しかも動きも素早くて」

「強いからか」

「いい男だよ、旦那に欲しいね」

「巫女で亭主が欲しいか」

 由利は女のこの言葉にはどうかと返した。

「それはせめてその服を脱いでからにせよ」

「これは上段よ、これでも身持ちの固い女でね」 

「まことか?」

「そうよ、だから旅の間も身体は売らないわよ」 

 そうしたことはしないというのだ。

「あれは下手したら瘡毒にもなるからね」

「あれは厄介な病じゃ」 

 瘡毒と聞いてだ、穴山も顔を顰めさせる。

「罹ったら最後身体が病みきり腐って死ぬ」

「だからね、そうしたことはしないよ」

「それは何より、身体は大事にせめばな」

「その通りだね、それでお侍さん達は橋に行くんだね」

「そうじゃ」

 今度は海野が女に答えた。

「これからな」

「そうだね、それで会ってどうするんだい?」

「拙者が相手をする」

 根津が女に言う。

「そうする」

「そうするんだね、見たところ剣を使うね」

「わかるか」

「その腰の立派な二本差しと格好を見ればね」

 根津の袴まで見ての言葉だ。

「わかるよ」

「そうか」

「じゃあいい勝負をするんだよ」

「うむ、そうしてくる」

「頑張りなよ」

「それではな」 

 こう話してだ、そしてだった。

 女は笑ってだ、幸村達にこうも言った。

「私はこれから飛騨に向かうけれどね」

「飛騨にか」

「そうだよ」

 その通りだというのだ、女は幸村の問いに答えた。

「岐阜から北に行ってね」

「あの国はかなり険しいが」

「それはもうわかってるよ、そこから越中に行くのさ」

「そなた一人でか」

「そうよ」

「ふむ、女の脚であの山を越えるとは」

 飛騨のその険しい山々をというのだ。

「御主、普通の旅芸人ではないわ」

「あら、そう思うのかしら」

「女一人でそんなことは出来ぬ」

 幸村はその目を強くさせて女に言う。

「そう思うが」

「ではこの者も」

「これまで会って来た者達と同じく」

 穴山達五人も言う。

「忍ですか」

「何処かの」

「違うと言っておくよ」

 女は笑って述べた。

「私の名前は舞音、笛を使う旅の巫女さ」

「そう言っておくか」

「少なくとも今はお侍さん達とは何もないよ」

 敵ではないというのだ、むしろ味方でもない。

「そのことは安心していいよ」

「今はだな」

「そうさ、まあこれでお別れだよ」 

 女、舞音はそこから先を言わせなかった。

「それじゃあね」

「岐阜に向かって越中か」

「そこに行くよ」

 その飛騨の山々を越えてというのだ。

「楽しみだよ」

「ではまた会おうぞ」

 幸村はこう舞音に言う、これを別れの挨拶をしてだった。

 そしてだ、舞音はというと。

 幸村がこれまで歩いていた道を彼等とは逆の方向に進んでいった。するとその彼女の周りにだった。黒い忍装束の者達がだった。

 出て来てだ、そして彼女に言って来た。

「音精殿、あれがです」

「真田幸村殿です」

「わかってるよ、雷獣達がもう会ってるね」

「はい、雷獣殿も双刀殿も」

 忍達は舞音に次々に話していく。

「お会いしています」

「伊賀十二神将の他の方々も」

「幾人かの方が」

「私と同じことを思ったろうね」 

 その目を鋭くさせてだ、舞音は忍達に話した。

「私と」

「真田殿と周りの御仁達について」

「音精殿と同じことをですか」

「思われましたか」

「そうだろうね、幸村殿は強いよ」

 真剣そのものでの言葉だった。

「それも相当にね」

「ではその強さは」

「一体どの程度でしょうか」

「私達より上かもね」

 舞音は真剣そのものの声で言い切った。

「周りの連中が私達と同じ位だよ」

「何と、天下で風魔と並び称される伊賀者の中でも最強の十二神将とですか」

「同じ位で、ですか」

「そして幸村殿はですか」

「それ以上だと」

「まさかと思うけれど」

 こう前置きしてだ、舞音は言った。

「半蔵様と同じ位かもね」

「あの、幾ら何でも」

「半蔵様と同じ位の強さとは」

「幾ら何でもです」

「ないと思いますが」

「いや、幸村殿は若いけれどね」

 それでもというのだ。

「強いよ、それだけね」

「伊賀に忍が生まれて以来最高の忍と言われる半蔵様と同じだけですか」

「我等の棟梁であるあの方と同じだけとは」

「まさに鬼」

「それだけの強さですか」

「私はそう見るよ、忍術も相当だけれど」

 幸村、彼はというのだ。

「刀や槍、他の武芸も備えているからね」

「武芸十八般をですか」

「備えていて」

「それが為に半蔵様ともですか」

「互角というのですか」

「そうも見るよ、とにかくあの御仁とは正直ことを構えるべきじゃないね」

 このこともだ、舞音は真剣な声で話した。

「敵になったら私達伊賀者でも苦しいことになるよ」

「ううむ、我等に敵うといえば東の風魔位だと思っていましたが」

「他にもいましたか」

「それがあの御仁、そして真田家ですか」

「左様ですか」

「真田家と私達がお仕えしている徳川家はやがて戦うみたいだけれど」

 舞音は先に先に進みつつ述べた。

「その時は覚悟した方がいいだろうね」

「我等伊賀者でも」

「天下随一の忍である我等でも」

「敵は侮らずだよ」

 舞音はこうも言った。

「半蔵様がいつも仰ってるね」

「はい、敵はどの様な者であれ侮るな」

「全力で向かえ」

「獅子の様に」

「そうだよ、私達は忍ぶけれどね」

 だから基本的には戦わない、しかし戦う時はだ。

「いざとなったら全力で戦うんだよ」

「死力を尽くし」

「そうして」

「そういうものだからね、じゃあね」

「はい、では」

「その時は」

「徳川様も侮れば」

 真田家、この家をというのだ。

「大変なことになるよ」

「真田家は徳川家と比べて小さいですが」

「それでもですね」

「遅れを取ってしまいますか」

「若し侮れば」

「その時は」

「家康様は愚かな方でないけれどね」 

 敵を侮る、そうしたことはしないというのだ。

「兵はわからないからね」

「では徳川様と真田殿が戦になれば」

「下手をすれば」

「負けるかもね」

 その徳川家がというのだ。

「どっちにしても侮ったら駄目だよ」

「如何なる相手でも」

「左様ですな」

「特にあの御仁にはね」

 幸村、彼についてはというのだ。

「それは禁物だよ、若し武田家が残っていたら」

「武田家において」

「その名を、ですか」

「高坂弾正殿みたいになっていたね」

 その武田家において名門の出身ではないが信玄にその美貌と才覚を愛され四天王の一人にまでなったその彼程というのだ。

「あの人は」

「あの高坂殿の様にですか」

「そこまでの方ですか」

「では徳川の敵になれば」

「これ以上はないまでに厄介な御仁ですな」

「戦いたくないね」

 舞音は前を見据え歩きながら険しい顔で言った。

「あの人とは」

「敵に回せば強敵となる」

「だからこそですか

「敵に回したくはない」

「そうなのですな」

「周りにいる連中も私達と同じだけ強いね」

 穴山や清海達もというのだ。

「だから余計にだよ、半蔵様に申し上げるよ」

「幸村殿とは戦うべきではない」

「左様に」

「ああ、駿府に戻ったらね」 

 こうした話をしつつだ、舞音は飛騨から越中に向かった。幸村一行のことを周りに来た忍の者達と話しながら。

 だが幸村達はそのことを知らないままその橋のところに来た、すると。

 橋のとことに袖のない赤茶色の毛皮に黒い旅用の袴に脚絆といった格好の男が立っていた、逞しい身体をしていて背は海野程だ。

 猛々しい感じの眉に強い光を放つ菱形の目、逞しい唇は微笑んでいる。全体的に彫のある顔立ちで頭は後ろで髷にしておりもみあげは濃い。

 その彼がだ、幸村達を見て声をかけて来た。

「ここを通られるか」

「如何にも」

 男に幸村が答えた。

「これより近江に入るつもりじゃ」

「わかった、見たところ貴殿等は武芸者の一行だな」

「そうだと言えば」

「わしの名は望月六郎」

 男は自ら名乗った。

「大和の生まれ、織田家で足軽をしておったが腕試しをしたいと思いここにいる」

「ここで何をしておるのか」

 話は聞いていたがだ、幸村はその男海野にあえて問うた。

「一体」

「ここで強い者に勝負を挑み己の腕を見ている」

「それが腕試しか」

「左様、勝負をしたくない者には何もせぬ」

 海野はこうも言った。

「勝負をしたい者とだけ戦っておる」

「ではどうして飯を食っておる」

「その辺りで狩りをして釣りをして。食いものなぞ何処にでもある」

「民百姓には何もしておらぬか」

「ははは、それはならず者のすること」

 男は幸村の今の問いには笑って返した。

「わしはこれでも武士、ましてや忍術も使える身」

「だから盗みはせぬか」

「田畑を荒らす位なら買う」

 その田畑にあるものをというのだ。

「負かした武芸者から銭も貰っておるしな」

「それでか」

「負かした相手からは銭を取って通しておる」

 その橋をというのだ。

「御主達からもそうする」

「勝負をしたならば」

「その通り、ではどうするのか」

 望月はあらためて幸村達に問うた。

「勝負をするか、それともせぬのか」

「するに決まっておろう」

 根津が前に出て望月に答えた。

「その為に来たのだからな」

「ほう、そう言うか」

「拙者が相手をすることになっておる」

 根津は望月にこうも告げた。

「わしは剣を使う」

「わしも剣は使う、しかしじゃ」

「最も得意なものはか」

「これじゃ」

 笑ってだ、望月は己の組んでいる腕をほどいてだ。右手を拳にして前に出してそうして根津に対して言った。

「わしは拳、柔術等で戦うのじゃ」

「忍術とか」

「そうじゃ、わしはこれまで素手で刀や槍を使う者達を幾人も倒してきた」

「ではわしもか」

「倒す」

 断言での言葉だった。

「覚悟はよいな」

「それはわしも言うこと、ではな」

「これからじゃな」

「勝負じゃ」

 根津はこう言ってだ、腰の刀を抜いた。そうして望月に対して言った。

「残念じゃが手加減は出来ぬ」

「わしは手加減されるのが一番嫌いじゃ、有り難いことじゃ」

「見たところ御主は相当な者じゃ」

 その腕はとだ、根津は望月を鋭い目で見つつ言った。

「わしも手加減すれば負ける」

「わしは素手じゃがな」

「素手といってもじゃ」

 望月の腕はというのだ。

「わしの刀術にもひけは取らぬ、死んでも恨むでないぞ」

「恨むものか、むしろじゃ」

「むしろか」

「わしも手加減は出来ぬ」

 こう根津に言うのだった。

「御主、天下でも何番目かの剣の腕じゃな」

「ほう、数おる剣豪の中でもか」

「五本の指に入る位じゃな」

 根津の腕はそこまでだというのだ。

「そこまでの者には手加減は出来ぬ」

「だからか」

「全力でかからせてもらう」

 こう言うのだった。

「よいな」

「ではな」

 こうお互いにやり取りをしてだった、そして。

 両者は間合いに入ってだ、そのうえで。

 すぐに勝負に入った、まずは根津が左から右に一閃させたが。

 しかしだ、望月は。

 その刃を上に跳んでかわした、ただ跳んだだけでなく。

 そこから急降下して根津の顔に踵を落として蹴りを浴びせてきた。だが。

 根津はその一撃を身体を右に動かしてかわした、そこから。

 着地した望月に今度は上から唐竹割りにせんとした、すると。

 望月の身体を斬ったかと思えばそれは残像だった、斬ったのではなく。

 後ろに動いてかわしていた、そこからだった。

 斬ったばかりの根津に今度は前に突進してから幾度も拳を繰り出した。根津はそれを足の動きだけでかわしつつだった。

 一瞬の隙を見てまた一撃を出した、望月は今度は左にかわした。

 その攻防を見てだ、幸村は言った。

「得物を持たぬというのに」

「はい、あの望月という者」

「かなりですな」

 穴山達も応える。

「動きが尋常ではありませぬ」

「我等に匹敵します」

「まさに動きは攻防一体」

「言うだけはありますな」

 他の者達に真剣に言う。

「甚八の剣にあそこまで闘えるとは」

「素手とはいいますが」

「いや、見事な体術ですな」

「互角ではありませぬか」

「甚八は確かに強い」 

 このことは幸村が見てもだ。

 しかしだ、望月もというのだ。

「だがあの者もな」

「相当にですな」

「強いですな」

「何か妙にです」

「間合いが広いですな」

 見ればだ、望月は拳を出しているがその距離の倍位のところでだ、根津はかわしていた。それは何故か、四人はすぐに察した。

「気、ですな」

「あの者気を放っていますな」

「それで間合い以上の攻めを放っている」

「そうですな」

「うむ、拙者も御主達も気は使えるが」

 このことは根津もだ、彼等程腕の立つ者ならば気も使える。それを勝負の場での攻めや守りにも使えるのだ。

「あの者は特にな」

「気を上手に使っていますな」

「それで刀の間合いの分を補っていますな」

「普通刀と素手では刀の方が断然有利ですが」

「気で互角に闘っていますな」

「そうじゃ、だからこそ強い」

 望月、彼はというのだ。

「これは互角じゃ」

「ですな、あの者相当にです」

「強いです」

「我等と同じだけ、ですな」

「強さを持っていますな」

「そうじゃな、このままいけば互角じゃ」 

 根津と望月の勝負はというのだ。

「勝敗はつかぬ」

「同じ強さの者同士がぶつかれば」

「決着はつきませぬな」 

 穴山達も頷く、その通りだとだ。

 そして実際にだった、根津と望月は互角の勝負をしていた。

 それが一刻程経った頃にだ、お互い動きを止めて言い合った。

「これはな」

「幾らやっても勝負はつかぬな」

「我等の勝負は互角」

「まさにな」

「ではこれ以上はな」

「勝負を止めるか」

 こう言い合ってだ、そしてだった。

 二人は勝負を止めてだ、望月はあらためて根津に言った。

「御主程の者ははじめてじゃ、確か根津甚八といったな」

「左様」

「流派は何じゃ」

「それはな」

 根津は望月に応え自身の流派に己のこれまでの修行のことを話した、その最後に幸村に仕える様になった経緯も話した。

 話を最後まで聞いてだ、根津は幸村を見て言った。

「ふむ」

「こちらの方が殿じゃ」

「真田幸村殿か」

「天下一の武士となられる方じゃ」

「ふむ、確かに」

 望月は幸村、特に彼の澄んでいて尚且つ強い光を放つ目を見て述べた。

「まだお若いが相当な方じゃな」

「そうじゃろう」

「しかもどんどん大きくなられる方じゃ」

 望月は幸村を見つつこうも言った。

「御主程の者が仕えるだけはある」

「人は人を知るというからのう」

「それでじゃ、御主今は浪人じゃな」

「先程言った通りな」

「それではどうじゃ」

 あらためてだ、根津は望月に申し出た。

「このままこの橋で勝負を続けるのならそれでよいが」

「仕官じゃな」

「殿に仕える気はないか」

 こう望月に尋ねるのだった。

「どうじゃ」

「そうじゃな、わしもこれまではな」

 望月も根津のその言葉に頷いた、そしてだった。

 そのうえでだ、静かだが確かな声でこう述べた。

「織田家を離れてな」

「特に、じゃな」

「仕官しようと思わなかった、やはり仕えるならな」

 どうかとだ、彼は話すのだった。

「見事な方に仕えたい」

「己が仕えるに相応しい主にじゃな」

「そうじゃ、下らぬ方に仕えても戦に負けるだけじゃ」

 例えその戦から逃れられても負け戦に加わり厄介なことになることは変わらない、望月はそれを嫌がっているのだ。

「勝ち負けは戦の常、しかし下らぬ方の負けはな」

「無残な負けじゃな」

「いい負けをしたい、どうせ負けるならな」 

 こう言うのだった。

「よき方は負けたとしてもよい負け方をする」

「待て、殿が負けるというのか」

 清海は望月の言葉をここまで聞いて彼にむっとした顔で問うた。

「それは聞き捨てならんぞ」

「そうは言っておらぬ、問題は幸村殿が下らぬ方かどうか」

「それはもっと聞き捨てならん」

「そうじゃ、この方はさっき言ったが素晴らしき方」 

 また幸村を見つつ言うのだった。

「わしから見ても天下一の武士となられる方じゃ」

「わかっていればよいがな」

「わしも何時までもここにおるつもりはなかった」

 こうも言った望月だった。

「この方ならな」

「では、か」

「我等と共にか」

「殿にお仕えするのじゃな」

「そうさせてもらう、殿」 

 もう幸村をこう呼ぶのだった。

「これから宜しくお願いします」

「ではな」

「これよりそれがしは真田の末席におり」

 そしてというのだ。

「殿に何処までもお仕えします」

「頼むぞ」

 幸村は望月の言葉に微笑んで応えた、こうして望月六郎もまた幸村の家臣となった。これで彼の家臣は六人となった。

 望月も加えた一行はさらに西に向かい遂に近江との境まで来た、ここで清海が幸村にその大きな口で言った。

「いよいよですぞ」

「そなたの弟殿がおられる山にじゃな」

「入ります」

 まさにそだというのだ。

「ご期待あれ」

「ではな、案内してもらおう」

「案内は任せて下され」

 清海は幸村に是非にという口調で話すのだった。

「それがし、山とその中の寺ははっきりと覚えていますので」

「ではな」

「行きましょうぞ、ただ」

「ただ、どうしたのじゃ」

「いや、これで弟も入りますと」

 こんなこともだ、清海は言った。

「また賑やかになりますな」

「確か御主の弟殿は御主と正反対だったな」

 由利は清海の言葉に首を少し傾げさせて問うた。

「そうだったな」

「そうじゃ、しかし一人多いとじゃ」

「その分だけ賑やかになるというのか」

「そうじゃ、もの静かで生真面目な奴じゃがな」

「そうじゃな、確かに一人多いとな」 

 それだけでだとだ、由利も清海のその言葉に頷いた。

「賑やかになる」

「そうであろう、しかし殿の下には強い者が集まる」

 清海自身も入れてというのだ。

「どんどんな」

「これで六人」

 海野も言う。

「天下の豪傑と言っていい者がな」

「一人一人が一騎当千、その者がこれだけ集まる」

 穴山も背にある鉄砲に触れながら言う。

「何か嬉しいのう」

「そうじゃな、そして次はな」

 清海がまた言う。

「わしの弟じゃ」

「山に入るか、面白い」

 望月が笑って言うことはというと。

「若し狒々なり山の怪が出ればな」

「御主が倒すというのだ」

「熊を素手で退けたことが何度もある」 

 望月は根津に笑ってこのことを話した。

「だから山の怪もな」

「退治したいか」

「おればな」

「ふむ、そう言うとじゃ」

「御主もか」

「鬼でも土蜘蛛でもじゃ」

 根津が話に出す山の怪はこうしたものだった。

「おって悪さをしておればな」

「倒すか」

「そうする」

 まさにというのだ。

「わしが刀でな」

「御主なら出来る」

 鬼でも土蜘蛛でもだ、根津の腕ならば倒すことが出来るというのだ。

「例え相手が怪でもな」

「その自信はある」

「ここにおる者なら誰でも出来るな」

 清海も言うのだった。

「化けものでも倒せるわ」

「山はまた違う世じゃ」

 幸村は供の者達の話を聞きつつ述べた。

「人以外のものもよくおる」

「ですな、拙者怪は見ませんでしたが」 

 山で賊の棟梁をしていた由利の言葉だ。

「時折人を見ました」

「山の民か」

「あれは山の民というのですか」

「うむ、伝え聞くところにおるとな」

「そうした者もいますか」

「山にはな」 

 そうだとだ、幸村は由利だけでなく他の者達にも話した。

「山に生まれ山に生きておる者もおるのじゃ」

「左様ですか」

「町や村に生まれずに」

「山に生まれて山に生きる」

「そうした者もおるのですか」

「鎌之助が会った者はそれじゃ」

 山の民、山に生まれ山に生きる者達だというのだ。

「その者達は人でありじゃ」

「山の民ではないのですな」

「左様ですな」

「そうじゃ、町にも村にもおらぬ故どの家の下にもおらぬ」

 その者達はというのだ。

「しかしあの者達の暮らしがあるのじゃ」

「山の中においてですか」

「そうじゃ、あの者達のな」

「それがしは見ませんでしたが」

 山に篭もり修行をしていた海野の言葉だ。

「確かに山で暮らそうと思えば暮らせます」

「そうじゃな」

「山姥の様に」

「山姥は怪じゃが山の民を間違えるでない」

 その山姥と、というのだ。

「そのことはわかっておらねばな」

「ですな、人と怪を間違えてはなりませぬ」

「決して」

「そこを間違えますと大変なことになりますな」

「実に」

「だからじゃ」

 幸村は家臣達に厳しく忠告した。

「怪がおり悪を為しているのなら成敗するのは武士の務めじゃが」

「人と怪を間違えてはならん」

「そこは、ですな」

「そういうことじゃ、また怪でもな」

 例えそうした存在であってもというのだ。

「悪を為していなければよい」

「それならですな」

「退治せずともよいのですな」

「特に」

「人と同じじゃ、人も悪を為しておらぬ者は成敗せぬであろう」

 幸村は人と怪をここでは同じものとして話した。

「それは怪も同じじゃ」

「では殿」

 幸村のその言葉を聞いてだ、望月は主に問うた。

「狒々でもですか」

「うむ、その狒々が悪さをしていれば退治するが」

「そうしたことをしていなければですな」

「別によい」

 退治せずとも、というのだ。

「それでよい」

「そうですか」

「悪を為していれば倒すがな」

「それでよいのですな」

「その者がどうかじゃ」

 人か怪かではなく、というのだ。

「その心、行いを見ることじゃ」

「そういえば我等も」

「確かにな、生まれも育ちも雑多じゃ」

 ここで六人は言った、自分達のことを。

「誰も真田家に代々仕えてはおらぬ」

「殿の旅で殿とお会いしてじゃ」

「皆生まれも育ちも違う」

「真田譜代は一人もおらぬ」

「そういうことじゃ、拙者も心を見る様にしておる」

 実際にとだ、幸村も答えた。

「御主達にしてもな」

「ですか、人はその心」

「怪もまたですか」

「心が大事なのですな」

「そうじゃ、拙者は怪でも人に害を為さぬならよい」

 あくまでこう言う幸村だった。

「人であっても同じであろう」

「邪な者は成敗すべき」

「そういうことですな」

「そうじゃ、ただ道を誤った者は正せばよい」

 先に会った賊達の様にだ。

「それでな、しかしな」

「どうしようもないまでに腐った者は」

「成敗する」

「そうするのですな」

「そうした輩は止むを得ない」

 幸村は本質的に殺生を好まない、しかし必要とあれば彼も武士だ。その武士の刀はただの飾りではないのだ。

「斬る」

「左様ですか」

「ではそうした輩は我等もです」

「成敗します」

「外道は」

「頼むぞ、拙者はどうしても義を見る」

 そして大事にするというのだ。

「義を忘れることは出来ぬ」

「着に生きる、ですな」

「殿ならではですな」

「やはりです」

「我等もまた」

「うむ、共に行こうぞ」

 幸村は六人に応えた、そうした話をしつつ近江に入るのだった。その近江に入ったところでだった。望月が幸村に言った。

「殿、近江といえば」

「琵琶湖じゃな」

「はい」

「海の様に大きな湖と聞いておる」

「左様です、見事な湖でして」

「拙者は海を見たことがない」

 このことは当然のことだ、信濃に生まれ育ったからだ。それで海を見ている筈がない。

「湖はあるがな」

「しかしです、琵琶湖はです」

「相当にじゃな」

「大きくてまさに」

「海か」

「左様であります」

「見てみたいのう」

 幸村は前を見つつ笑顔になっていた。

「是非な」

「では楽しみにして下さいませ」

「ではな、ところで湖、水といえば水練じゃが」

「水とくればそれがしですな」 

 海野が水と聞いて笑顔で言って来た。

「水のことはお任せ下され」

「うむ、それで他の者達は泳げるか」

「はい、そちらにも自信があります」

「こちらの六郎程ではありませぬが」

「それでもです」

「泳ぐことは得意ですぞ」

「溺れることはありませぬ」

「ならよい、やはり逃げるならな」

 それならっというのだ。

「泳げなくては話にならぬ」

「はい、隠れる為にも」

「やはり水練は忍にとって欠かせませぬ」

「どうしてもです」

「泳げなくてどうしようもありませぬ」

「ですから」

「ならよい、拙者も泳げる」 

 幸村自自身もだった、彼にしても水練は得意なのだ。

「そして何かあればな」

「はい、では」

「それではですな」

「泳ぎはですな」

「暇があれば」

「他の術と同じでな、励むべきじゃ」

 まさに常にというのだ。

「わかっておるな」

「はい、それでは」

「何かあれば泳ぎます」

「そしてです」

「腕がなまらぬ様にします」

「冬以外は励むべきじゃ」

 冬は水が冷たく泳げたものではない、しかしだ。

 それでだ、こう言うのだった。

「拙者もそうしておる」

「そういえば御主も泳げるのか」

 ここでだ、海野は清海に言った。

「今言ったが」

「そうじゃ、わしも泳げるぞ」

「左様か、意外と器用なのじゃな」

「これでも忍術を身に着けておるからな」

「左様か、では逃げる時はか」

「泳いで行ける」

「わかった、ではその時は頼むぞ」

 水が関わる戦や逃げる時はというのだ。

「わしも己だけでしか逃げられぬ時もある」

「わかっておる、わしも逃げる時はな」 

 清海自身も言うのだった。76

「身一つじゃ」

「ならよい、やはり逃げることはな」

「忍ならば多いからのう」

 この辺りが武士と違う、忍は隠れることが大事であり逃げることも多いからだ。それで逃げることも念頭に置いているのだ。

 それでだ、清海も言うのだった。

「わしも何度も逃げたことがある」

「暴れてか?」

「うむ、謝っても追いかけてきてのう」 

 こう望月にも話す。

「それで仕方なくじゃ」

「よくその大きな身体で逃げられたな」

「御主も結構大きいではないか」

 清海は望月にこう返した。

「わし程ではないにしても」

「しかし御主はまた特別大きいではないか、山の様ぞ」

「そう言うか、しかしな」

「それでもか」

「わしは泳げるし隠れることも出来るぞ」

 忍の術を備えているだけにというのだ。

「だから安心せよ」

「ならよいがな」

「まあ泳げぬと駄目じゃ」

 清海もこのことは強く言う。

「術が限られるし実際に逃げられぬ」

「あと馬はどうじゃ」

 根津は馬術のことに言及した。

「それは」

「馬か」

「そうじゃ、真田家は信濃、信濃は山が多いが馬も多い」

「馬のう」

 清海は馬と聞いて無念そうにこう言った。

「乗れぬ」

「わしも馬は」

「わしもじゃ」

「わしもそれはな」

 幸村以外の者が皆苦い顔になって述べた。

「苦手じゃ」

「どうもな」

「馬に乗ることは」

「駄目じゃ」

「そうじゃな、わしもな」

 清海は特に苦い顔になって言うのだった。

「馬は乗れぬ」

「その大きな身体で乗れる馬もないであろう」

「そのこともあってじゃな」

「御主は馬に乗れぬな」

「馬術は苦手じゃな」

「どうもな、馬はな」

「そうじゃな、忍術と馬術は違う」

 幸村も言う。

「御主達は皆忍の術や他の術を学んでおってじゃな」

「はい、馬術は」

「馬を養うにはかなり銭がかかりますし」

「馬自体も高うございます」

「ですから馬術は」

「しておりませぬので」

「そのことは仕方がない、真田家も馬に乗れる者はあまりおらぬ」

 幸村は真田家のこのことも話した。

「上田ではな」

「馬に乗る者は」

「あまりいませぬか」

「武田といえば騎馬隊ですが」

「真田家は違いましたか」

「そうじゃ、上田の周りも山ばかりじゃ」

 馬は山の中を進むには向いていない、源義経の鵯越の様な話があるにはあるがそれでもなのである。

「だから馬に乗れる者は少ない、それにやはり真田家は貧しい」

「多くの馬を養うだけの銭もですか」

「ありませぬか」

「そうじゃ、だから馬のことは気にするでない」

 このことはというのだ。

「山での戦が主じゃ、しかし拙者はな」

「殿は、ですな」

「馬に乗ることが出来ますな」

「うむ、武芸は全て学んでおる」

 十八般全てをというのだ。

「だから馬にも乗れる」

「ですか、では」

「馬はお願い申す」

「我等はその殿に付き従いますので」

「出来れば御主達も馬術を身に着けて欲しいが」

 しかしとだ、幸村は現実から考えて述べた。

「やはり山じゃからな」

「馬よりも己の足ですな」

「上田では」

「そうなる、山に慣れてもらいたい」

 上田においてはというのだ、こうしたことも話しつつ根津も加えた一行は近江に入った。そのうえで三好伊佐入道に会に向かうのだった。



巻ノ七   完



                          2015・5・24


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