巻ノ五 三好清海入道
幸村は土俵の上で三好清海入道と向かい合っている、その両者を見つつだった。周りの者達は口々にこう言っていた。
「あの若武者は真田の若殿らしいのう」
「次男殿とのことじゃ」
「何でも相当お強いらしいが」
「幾ら何でもな」
清海をみるとだった。
「今度の相手はな」
「勝てぬぞ、あの男は」
「うむ、これまで鬼の様な怪力で勝って来た」
「あの大きな身体でな」
「去年そうじゃったがあの坊主は強い」
「食うし飲むだけはある」
清海を知っている言葉だった。
「あの者が負ける筈がない」
「あんな強い者はおらん」
「それでどうして勝てるのか」
「勝てる筈がない」
それこそというのだ。
「真田の若殿も強いが」
「相手が悪過ぎるわ」
「またあの坊主が勝つぞ」
「それで餅と酒を一人占めじゃな」
「そうなるな」
「必ずな」
こう話すのだった、しかし。
穴山達三人はだ、その周りの声を聞いて余裕の笑みを浮かべそのうえでこう言っていた。
「ははは、普通はそう思うな」
「うむ、確かにあの坊主は強い」
「まさに鬼じゃ」
実際に清海と勝負をした海野も言う。
だが、だ。それでもこう話すのだった。
「しかしじゃ」
「殿を甘く見ぬことじゃ」
「殿はお強い」
「あの坊主でもな」
「勝てぬわ」
「殿にはな」
こう言うのだった、そしてだった。
穴山は由利と海野にこんなことを言った。
「強さとは何かじゃな」
「それじゃな、あの坊主は剛じゃが」
「殿は柔じゃな」
二人もこう答える。
「殿は柔術の心得もある」
「相撲にもそれを使われる」
「まさに柔よく剛を制す」
「そうした相撲をされるからな」
「力もお強いが」
幸村は剛も持っている、しかしというのだ。
「むしろ柔じゃ」
「それであの坊主の剛にどう勝つか」
「見ものじゃな」
三人は幸村の勝ちを確信していた、そして。
清海は幸村を見てだ、こんなことを言った。
「真田家の次男殿じゃな」
「左様」
幸村は土俵の上で清海の問いに答えた。
「真田幸村でござる」
「ふむ、身体は小さいが」
普通程度だが大柄なことこの上ない清海から見ればそうなるのだ。
「しかしここまで来たし身体つきもよい」
「そう言って頂けますか」
「御主、相当に出来るな」
清海もこのことを見抜いた。
「そうじゃな」
「そのことは」
「まあ謙遜ならよい、わしは謙遜はせぬが他人の謙遜には言わぬ」
清海は笑って幸村のそれはよしとした。
「とにかくじゃ」
「はい、これからですね」
「わしは御主を倒してじゃ」
そしてと言うのだった。
「餅と酒を手に入れるぞ」
「それがお望みですか」
幸村は笑って餅と酒の話をここでも出した清海に問うた。
「清海殿の」
「うむ、そうじゃが」
「より大きなものは欲しくありませぬか」
「より大きなものとは?」
「この勝負に勝って餅と酒は手に入ります」
このことは確かだというのだ、幸村も。
「しかしそこから先は」
「先?」
「清海殿は今は托鉢やこうした勝負に勝って糧を得ておられるそうですが」
「あと用心棒をすることもある」
そうしたこともするというのだ。
「まあ気軽なその日暮らしじゃな」
「左様ですな、何処かの家に仕えられる気は」
「ははは、こんな生臭坊主をか」
「はい、それがし今は家臣を探しています」
幸村は微笑み清海にもこのことを話した。
「天下の豪傑達を」
「確かにわしは天下無双の豪傑じゃ」
実際にだ、清海は謙遜しなかった。大きな口を大きく開いてそのうえで大きく笑って応えたところにそれが出ている。
「しかし酒は飲む、遊ぶ、大飯を食らい肉も魚もお構いなしで暴れる破戒僧じゃぞ」
「ですがそのお心は確かですな」
「破戒僧なのにか」
「その目でわかります、曲がったことは嫌いで弱きを助け強きをくじかれますな」
「少なくとも女子供、年寄り、武器を持たぬ者に興味はない」
清海もこう答える。
「親兄弟、女房、子供がおる者も出来るだけ殺めぬ」
「悲しむ者がいるからですな、死ぬと」
「暴れるのは好きじゃが涙は大嫌いじゃ」
「そして盗むこと等も」
「おなごにも無理は言わぬ」
女色にもというのだ。
「少なくとも恥ずかしいことはせぬわ」
「ですな、ではです」
「貴殿の家臣になれというか」
「如何でしょうか」
「面白い申し出じゃな、わしの様な者を誘うとは」
「真田は十万石、決して大きな家でjはありませぬが」
幸村は前もってこのことも話した、こう書くと確かに真田家は決して大きな家ではない。天下を争う家では到底ない。
「それでもです」
「誘ってくれるか」
「禄は多くありませぬが」
「ははは、わしは銭はあまりいらぬ」
それはとだ、清海はここでも口を大きく開いて豪快に笑って言った。
「いるだけな、飯と酒さえあればよい」
「その二つならありまするが」
「ならば充分」
「それでは」
「いやいや、わしも仕官は有り難いが」
この話自体はというんどあ。
「しかしわしは決めておる、わしの主はな」
「清海殿よりも強い」
「わしに勝った者にだけ仕えたい」
この考えもだ、清海は幸村に述べた。
「だからじゃ、わしを召し抱えたいのなら」
「この勝負に勝ってから」
「そうしてからですな」
「それでどうじゃ」
「わかりました」
幸村は清海に対して笑顔で即答した。
「それでは」
「うむ、ではこれから決勝じゃ」
「それがしが勝てばですな」
「わしは幸村殿の家臣になる」
「そして清海殿が勝たれれば」
「その話はなし、わしは餅と酒を手に入れる」
ただそれだけだというのだ。
「そういうことじゃ」
「ではこれより」
「勝負じゃ」
こうしてだった、二人は向かい合い。
そのうえではっけよいの後でだった、両者はぶつかり合った。清海はその両手から怒涛の張り手を繰り出した。
張り手は一撃一撃が衝撃波が起こるまでだった、しかもそれだけではなく。
「速いのう」
「うむ、疾風の様じゃ」
「威力だけではないぞ」
誰もがその張り手を見て驚きの声をあげた。
「あの者力だけではないか」
「速さもあるか」
「ただ強いだけでなく」
「速さも併せ持っておるのか」
「恐ろしい男じゃな」
「ほう、素早さも使うか」
毎年この大会を見ている男はその清海を見て感嘆して言った。
「これまで滅多に使わなかったが」
「うむ、相当な相手にしか使わなかった」
別の毎年見ている男も言って来た。
「清海が速さを全開にするのはな」
「真田の若殿がそこまでの相手と見てこそ」
「それ故じゃな」
「そうじゃな」
だからだと話すのだった、そして。
幸村はその猛烈な張り手をだ、正面から受けたが。
一歩も怯まない、観ている者達はこのことにも驚いた。
「何と、真田の若殿もか」
「全く怯んでおらんぞ」
「あれだけの張り手を正面から受けておる」
「体格も違うというのに」
「何という御仁じゃ」
こう言って驚くのだった。
「ううむ、これはまた」
「恐ろしいのう」
「あの若殿ここまでも強かったが」
「いや、清海の張り手にも怯まぬ」
「凄い御仁じゃ」
「全くじゃ」
幸村にも驚くのだった、土俵ではまさにがっぷり四つだった。
その勝負を見つつだ、海野が言った。
「互角じゃな」
「うむ、そうじゃな」
「互角じゃ」
穴山と由利も言う。
「殿と清海はな」
「まさに五分と五分」
「そうじゃな」
「力は清海の方が強い」
「やはり力ではあ奴じゃ」
その巨体から来る力は幸村を凌いでいるというのだ。
「しかしな」
「殿は技がある」
「その技で力を補っておられる」
「その分な」
「そうじゃな、しかもじゃ」
海野はさらに言った。
「殿はそれだけではない」
「力と技だけでなくな」
「殿は他にもあるからのう」
二人も笑って言う。
「だからな」
「この勝負は殿のものじゃ」
「殿はその持っておられるものを使われる時を待っておられる」
「まさにな」
「そういうことじゃな、ではな」
また言う海野だった。
「それを何時使われるか」
「見ようぞ」
「ここはな」
穴山も由利もわかっていた、この勝負がどうなるのか。しかし幸村はまだその時を待っているだけで清海と力比べをしていた。
その中でだ、清海は。
幸村にしきりに仕掛ける、しかしだった。
幸村は凌ぐ、その幸村に言うのだった。
「わしの力をここまで凌いだのは貴殿がはじめてじゃ」
「いや、それがしもここまでの剛力の持ち主は」
幸村も言う。
「はじめてでござる、だから是非」
「わしをか」
「はい、家臣に迎えたいと思いまする」
是非にと言うのだった。
「ここは」
「そうか、しかしな」
「それはですな」
「わしに勝ってのことじゃ」
あくまでだ、そのうえでのことだというのだ。
「それからじゃ」
「ですな」
「さて、わしは仕掛けておるが貴殿は仕掛けて来ぬ」
ただ凌いでいるだけだ、今は。
「それをどうするか」
「その時になれば」
「仕掛ける、しかしわしは待たぬ」
清海は笑って述べた。
「待つ位なら攻めるわ」
「ではここは」
「仕掛けさせてもらう」
こう言ってだ、清海は幸村の身体を掴みにかかった。今度は肩と脚をだ。
そうして全力で投げようとする、しかし。
幸村は前から来た清海に対してだ、ここで。
清海が来たその瞬間だった、身体を前に出して。
清海が掴もうとするその力を彼自身に使わせた、幸村は瞬時に屈んだ。すると清海は。
幸村を掴むその勢いでかえって自分がだった。
幸村は手を使っていないのにそれでもだった、投げ飛ばされてしまった。行司は清海が土俵の外にまで派手に転がったのを見て軍配を上げた。
皆幸村に喝采を浴びせた、彼の勝ちに。
「何と鮮やかな」
「あの技は一体何じゃ」
「手を使わず屈んだぞ」
「そのまま飛ばしたぞ」
「屈んだだけでな」
「何という技じゃ」
「まさに神技じゃ」
その域まで至るというのだ、こう言ってだった。
幸村に喝采を浴びせるのだった、そして。
起き上がりだ、土俵に戻った清海も言うのだった。
「今の技は相撲の技ではないな」
「柔術の技でござる」
「柔術、しかし」
「秘奥義の一つ空気投げでござる」
「空気投げとな」
「相手が向かって来るその力を使い自らは手を使わずに」
今しがた幸村がした様にというのだ。
「投げる技でござる」
「それが空気投げとな」
「はい、相手の動き特に力の強さと向きを見て」
そして見極めてというのだ。
「それを使っての技でござる」
「恐ろしい技じゃ」
「拙者にとってもまさに切り札」
彼が身に着けている柔術の技の中でもというのだ。
「これを実際に使ったのははじめてでござる」
「わしがか」
「はい、これまではこの技を使わずに済みました」
彼がこれまで闘ってきた相手ではというのだ。
「いや、まことに」
「左様でござるか、では」
「はい、それでは」
「それがし確かに破戒僧なれど約束は守りまする」
漢としてというのだ。
「さすれば」
「拙者の家臣になって頂けますな」
「喜んで、これからお願い申す」
「さすれば」
こうしてだった、三好清海入道は土俵を降りてから幸村の前に膝をついたのだった。土俵の上では膝はつけないからだ。負けた時以外は。
清海も入れて五人となった一行は幸村が優勝したことで手に入れた餅と酒を楽しんで、そこで清海は言うのだった。一行は既に褌から普段の服に着替えている。清海は坊主の服だ。ただしそれは僧兵のもので袈裟もない。
その清海がだ、餅を喰らいつつ言った。
「では拙僧もこれより殿と寝食を共にし何処までもついていきまする」
「頼むぞ」
「例え火の中水の中」
大きな盃で酒も飲みつつ言う。
「殿と共に」
「それではな」
「それはよいが」
「うむ、殿と共にいるのはよいが」
「我等もな」
しかしだ、穴山達三人はだった。
その清海の食いっぷりと飲みっぷりを見てだ、顔を顰めさせて言った。
「食うのう」
「そして飲むのう」
「馬か牛の様じゃ」
「身体が大きいから当然じゃが」
「それでもな」
「底なしではないか」
「ははは、わしは幾らでも食い幾らでも飲む」
清海は三人にも笑って答えた。
「むしろ食って飲まないとじゃ」
「どうだというのじゃ」
「そうせねば」
「何かあるのか」
「動けぬ」
笑って言う清海だった。
「とてもな」
「いや、それは誰でもだぞ」
「誰でも食わねば死ぬ」
「飲むことも必要じゃ」
三人は清海にこぞって言った。
「御主の場合は食い過ぎじゃ」
「しかも酒も浴びる様ではないか」
「般若湯といっても慎め」
酒を般若湯と呼んで飲む、僧侶の形式ではある。
「全く、身体が大きいにしても」
「力士並ではないか」
「食い過ぎじゃ」
「ははは、よいではないか」
清海に眉を顰めさせて言う三人にだ、幸村が笑って言った。
「大食位はな」
「殿がそう仰るのなら」
「我等もいいですが」
「それならば」
「うむ、ただ酒はじゃ」
こちらのことについてはだ、幸村は清海にこう言った。
「大酒はな」
「慎むべきというのですな」
「うむ、あまり飲み過ぎぬことじゃ」
酒についてはというのだ。
「大酒は毒ともなく」
「百薬の長であると共に」
「百毒の長ともなる」
薬が転じてというのだ。
「だからな」
「あまり深く飲んではいかんですな」
「そこはわかっていて欲しい」
「ではあまり多くはですか」
「飲まぬことじゃ」
それが大事だというのだ。
「食もな、一つのものよりもな」
「餅なら餅だけではなく」
「米や麦、芋や菜に果実に魚とな」
「色々とですか」
「食するのがよいという」
「左様でありますか」
「医術の書にも書いてある」
幸村はそちらの書も読んでいる、それでこう清海にも語るのだ。そうしたことにも通じているからである。
「好き嫌いなくな」
「それがし何でも食べまする」
「嫌いなものはないか」
「はい、何も」
清海はその太い眉を綻ばせて幸村に答えた。
「ありませぬ」
「ではこれからもな」
「何でも食べることですな」
「偏ることなくな」
「何でも偏ることなく食するのがよいのですな」
「食は医術でもある」
だからこそというのだ。
「身を整えるにはまず食からじゃ」
「強くなる為にも」
「そういうことじゃ。わかってくれたか」
「存分に」
「ならよい、それでは」
ここでだ、幸村は酒を一杯飲んでだった。そのうえで。
あらためてだ、清海を入れた四人に言った。
「では今日は休み」
「はい、明日の朝早くですな」
「ここを発ちそしてですな」
「岐阜に向かう」
「そうしますな」
「そして根津甚八という者に会おう」
そうしようというのだ。
「是非な」
「あの、殿」
清海がここで右手を挙げて幸村に言って来た。
「その根津以外にもです」
「どうしたのじゃ」
「はい、一人面白い者を知っております」
「それは誰じゃ」
「それがしの弟で三好伊佐入道というのですが」
「その者も僧侶か」
「僧兵でありまして共に比叡山におりました」
その山にというのだ。
「それがしが山を追い出された時に共に山を出まして今は山奥の寺で修行中です」
「その弟も破戒僧か?」
由利は眉を顰めさせて清海に問うた。
「飲む食う暴れるの」
「いやいや、わしとは違いな」
「暴れ者ではないのか」
「これが落ち着いていて真面目なのじゃ」
「つまり御主の出来が悪いだけか」
「ははは、わしは花和尚じゃからな」
笑ってこうも言う清海だった。
「獲物も同じじゃしな」
「鉄の錫杖か」
「重さも同じじゃ」
水滸伝に出て来る豪傑の一人その花和尚魯智深の錫杖と、というのだ。
「それを振るって武器としておる」
「それで御主が魯智深でか」
「弟は真面目でな」
「全く違うか」
「酒は飲むが控えておる」
あまり飲まないというのだ。
「身体は大きいがな」
「そこは兄弟同じか」
「うむ、しかし真面目で礼儀正しく頼りになる者じゃ」
「ではその者も我等と共に真田家に入られるか」
海野は餅を咥え引き伸ばしながら言った。
「どうなのじゃ」
「強さはわしと同じ程度でとかく真面目でな」
「心根もよいか」
「うむ、わしがそのことを保障する」
「左様か」
「では殿」
清海の言葉を聞いてだ、穴山が幸村に声をかけた。
「その三好伊佐入道という者も」
「拙者の家臣にじゃな」
「迎え入れたいと思うのですが」
「そうじゃな、会ってみてな」
「そのうえで、ですな」
「うむ、そしてな」
そのうえでというのだ。
「その者がよいと言えばな」
「それで、ですか」
「迎え入れたい」
こう言うのだった。
「拙者としてもな」
「では」
「それで弟殿は何処におられる」
幸村は清海自身に問うた。
「山奥の寺で修行中とのことじゃが」
「近江の東の。美濃との境のです」
「寺にか」
「入りそこで武芸も仏門も学んでおります」
「そして忍術もじゃな」
「はい、拙僧と同じく弟も忍術を身に着けております」
他の者達と同じくというのだ。
「身のこなしも相当です」
「左様か。どうもな」
海野は清海の言葉に首を傾げさせつつこう言った。
「御主の弟となるとな」
「こうした者だと思うか」
「うむ、破戒僧にしか思えぬ」
「いやいや、それでもな」
「それでもか」
「弟は違う」
その三好伊佐入道はというのだ。
「わしとは正反対に生真面目でのう」
「修行に精を出しておるか」
「そうじゃ、だから安心せよ」
「ならよいがな」
「まあとにかくこれからはわしも一緒じゃ」
幸村達と、というのだ。
「共に旅を続け上田にも参ろうぞ」
「おそらく攻めて来るのは徳川家」
幸村はその目を強くさせて言った。
「その強さは相当なもの」
「はい、徳川家康殿といえば智勇を兼ね備えた方」
「兵を動かすことにも秀でておられます」
「しかもその家臣の方々も猛者揃い」
「兵も強いですな」
「容易な相手ではない」
幸村は四人にも答えた。
「攻めて来れば難しい戦になる」
「しかしですな」
「敗れる訳にはいかぬ」
「そうですな」
「お家を守る為にも」
「うむ、何としても徳川家の攻めを凌いでじゃ」
そしてというのだ。
「守りきる」
「ですな、例え難しい戦でも」
「敵が強くとも」
「滅びる訳にはいきませぬから」
「絶対に」
「勝たねばならん、我等はな」
幸村は己の家臣達に強い言葉で言った。
「敗れれば滅びるからのう、しかしじゃ」
「しかし?」
「しかしといいますと」
「殿、何かありますか」
「真田家は小さい、その石高は十万石」
幸村は家臣達に自身の家の石高も話した。
「拙者の禄も少なく御主達にもそれぞれ十石出せるのが精々じゃ」
「石高が低いので」
「だからだと仰るのですか」
「そうじゃ、それでもよいか」
与えるものが少なくとも、というのだ。
「徳川家、そして次の天下人となられるであろう羽柴家ならな」
「十石どころかですか」
「遥かに多くの禄を出せる」
「そう仰るのですか」
「そうじゃ、御主達程の猛者ならば十石どころではない」
それより遥かに多くの禄を貰えるというのだ、その働き次第で。戦働きがそのまま褒美として与えられるからだ。
「よい暮らしも出来るぞ」
「ははは、殿はそう仰いますが」
「我等禄なぞどうでもいいです」
「それならばとうの昔に何処かの家に仕えております」
「その羽柴家にでも」
四人は幸村に笑って述べた。
「そして千石でも二千石でも手に入れていました」
「戦の場で思う存分敵の首を取り褒美を手に入れていました」
「しかし皆これといって主を見付けられず」
「あてもなく暴れておりました」
最後に言ったのは清海だ、だが他の三人も同じ様なものだった。
「旅を続け」
「賊の頭になり」
「修行に明け暮れていましたが」
「しかしです」
それでもだったというのだ。
「仕えるべき主を見付けました」
「その方こそ殿です」
「我等の殿こそが」
「何というか仕えるべき方だと確信出来ます」
四人共笑みを浮かべその目を輝かせてだ、幸村に話した。
「ですから」
「我等殿以外のどなたにも仕えませぬ」
「何か魂が惹かれるので」
「他のどなたにも」
「そういえば拙者もじゃ」
幸村もと言うのだった。
「どうも御主達だからこそな」
「召し抱えられた」
「左様ですか」
「我等だからこそ」
「家臣として下さったのですか」
「そうじゃ、我等が出会いこうして主従となったのはな」
それ自体がというのだ。
「運命じゃ」
「そうやも知れませぬな」
「我等が出会い主従となったのは」
「まさに天の配剤」
「運命ですか」
「そうやもな、こうして共に餅を喰らい酒を飲んでも実に美味い」
そのどちらもというのだ。
「楽しい、これからもずっとこうして楽しもうぞ」
「ですな、では殿」
「次は岐阜ですな」
「岐阜に参りましょう」
「このまま」
「そして近江から都に上がり」
幸村は四人にさらに話した。
「大坂にも行きたい」
「羽柴秀吉殿が治められている」
「あの地にもですな」
「行かれるのですな」
「そのつもりじゃ、次の天下人となられるその地もな」
そこもというのだ、大坂も。
「行って実際にどういった場所か見たい、そして出来れば」
「羽柴秀吉殿も」
「その方もですな」
「観たい」
「左様ですな」
「うむ、そうしたい」
こう言ってだ、幸村は己の家臣達にこれから進む道も話してだった。
大会に優勝して手に入れた餅も酒もたらふく楽しんだ、清海が最も食って飲んだのは言うまでもない。そして。
次の日朝早く発った、その時にだ。
清海は前を見てだ、こんなことを言った。
「さて、岐阜まで少しか」
「我等の脚ならな」
「然程かからぬ」
「忍の脚ならばな」
穴山と由利、海野も言う。
「あっという間じゃ」
「そしてあの地にいる「根津甚八という者と会う」
「そうしようぞ」
「さて、剣の使い手というが」
幸村も言う。
「どれだけの腕か」
「それが楽しみですな」
「さて、どれだけの剣豪か」
「上泉信綱程であれば」
「是非共ですな」
「そうじゃな、岐阜に行くのが楽しみじゃ」
幸村にしてもというのだ。
「だから進もうぞ、西にな」
「殿、岐阜ですが」
清海はここでその岐阜について話した。
「あの地はそれがしもいましたが」
「どうした場所じゃ」
「一言で言うと栄えております」
「織田家の本城だったからのう」
「それだけに見事な城下町でして」
「店も人も多いか」
幸村はその栄え具合を問うた。
「やはり」
「相当に」
「それに周りの田畑もよいそうじゃな」
「美濃自体が」
「確かにのう、まだ美濃の東しか見ておらぬが」
その美濃の東でもだったのだ。
「どの村も豊かでな」
「よい田畑でしたな」
「うむ、村の家も大きくてよかった」
「織田信長殿は政が相当よかったですな」
ここでこう言ったのは由利だった。
「やはり」
「うむ、わしが聞いたところによるとな」
「信長公はですな」
「政にもかなり秀でておられた」
戦だけでなくというのだ。
「苛烈な方ではあられたが」
「それでもですな」
「民にはよい人であった」
「そうなのですな」
「そうじゃった、税は軽くしかも民の為の政をしておった」
幸村は己が思う信長を家臣達に話した。
「田畑も堤も橋も整えてな」
「民がよい暮らしを出来る様にしていた」
「左様ですか」
「暴虐の方ではなく」
「民にとってはよき方でしたか」
「そうじゃ、相当な名君じゃった」
それが織田信長という男だったというのだ。
「あの方はな、信玄公もそうじゃったが」
「信玄公は見事でした」
「立派な方でした」
穴山と海野が幸村に答えた。
「それがしから見ましても」
「戦だけでなく政もです」
「民の為に常にお心を砕かれ」
「素晴らしい政をしておられました」
「そうじゃったな、そういえば御主達じゃが」
幸村はその穴山と海野に問うた。
「その名はそれぞれ」
「はい、実は穴山家の者です」
「それがしは海野家の」
二人もその通りだとだ、幸村に答えた。
「これまでお話していませんでしたが」
「実はです」
「分家のしかもその中でも傍流とはいえ穴山梅雪殿の方です」
「それがしも海野家の末席におりました」
「まあ家の端の者でしたので禄もなく雇われ兵をしておりました」
「忍になり食い扶持を稼いだり山で暮らしていました」
二人は幸村にそれぞれの身の上も話した。
「そうした次第で」
「家とはです」
「二人共か」
「はい、離れています」
「ご本家もそれがしのことは忘れておるかと」
「左様か、わかった」
幸村は二人の言葉を聞いて頷いて納得したことを示した、そのうえで言った。
「ではな」
「はい、それでは」
「これからも宜しくお願いします」
「そういうことでな、そして御主は」
幸村は今度は清海に顔を向けて彼にも問うた。
「三好家の縁者か」
「拙僧も末席ですが」
「やはりそうか」
「三人衆の方々の筋でして」
「三好長慶殿とは違ってか」
「はい、三人衆の方々のです」
そちらの筋だというのだ。
「東大寺の件も公方様の件も申し訳ないです」
「それで仏門に入ったか」
「いや、それとは違います」
一族の悪事への償いの気持ちはないというのだ。
「寺には無理に入れられました、弟共々」
「そうであったか」
「拙僧達は何しろ一族の末席でしたので」
「食い扶持を減らす為か」
「それで入れられました」
寺にだ、弟共々というのだ。
「そうなりました」
「成程のう」
「それでそこで悪さを続け追い出された訳です」
清海はこのことは笑って言った。
「そのうえでここで殿と共におります」
「人はどうなるかわからぬが」
「拙僧もですな」
「そうじゃな、そして御主は」
幸村は最後は由利に問うた。
「土佐じゃな、その訛りは」
「左様です、ですが長宗我部家に主家が滅ぼされ」
「土佐を出たか」
「それで近畿で色々しておりまして」
「賊の頭もしておったか」
「そうでした」
幸村と会った時の様にというのだ。
「流れ流れて信濃まで」
「そうしたことであったか」
「左様です、あのまま賊をしていても何もなりませんでしたな」
「賊なぞせぬに限る」
幸村もこう言った。
「あの様なことはな」
「全くですな」
「やはり真っ当に働くことじゃ」
「全く以て」
「御主達四人共な、これより拙者の臣となったからには」
幸村は今度は四人全員に言った。
「生涯浪人にはならぬ」
「では何があろうとも」
「殿は我等を召し抱えて下さるのですか」
「永に」
「そうして頂けますか」
「そのつもりじゃ、御主達が相当な悪さをせぬ限りな」
そうしたことがない限りはというのだ。
「拙者は一度召し抱えた者は捨てぬ」
「ですか、では」
「まさに死ぬ時もですな」
「我等は共に」
「そうだというのですな」
「生まれた時は違えど」
それでもと言う幸村だった。
「死ぬ時は同じでありたい」
「絆のある者達と」
「それが殿のお望みですか」
「うむ、義じゃ」
幸村は前を見据えつつ答えるのだった。
「義に生き義に死にたい」
「この戦国の世に、ですな」
「義においてですか」
「生きて死にたい」
「そう仰るのですか」
「こうした世だからこそな」
戦国の世、義がこれ以上はないまでにないがしろにされて廃れている世だからこそとだ。幸村は言うのだった。
「拙者はそれに生きそれに死にたいと思っておる」
「ですが殿」
あえてだ、穴山は語る幸村に言った。
「それは」
「うむ、難しい」
「それもこの上なく」
「しかも当家もな」
かく言う真田家もというのだ。
「蝙蝠の様じゃ」
「強い家と家の間を渡る」
「そうした家だというのですな」
「我等真田家も」
「その様に」
「そうじゃ、武田の家臣だったが織田につき」
武田を滅ぼしたその織田家にというのだ、幸村はこの言い逃れの出来ない事実を穴山や清海達に話したのだ。
「そして今度は上杉、ひいては羽柴とな」
「まさにですな」
「強い家と家の間を渡っている」
「裏切りも常」
「そこに義はない」
「そう仰るのですな」
「そうじゃ、それが当家じゃ」
真田家だというのである。
「十万石程度の小さな家じゃしな」
「小さい家ならですか」
「戦国の世ではそれが常ですか」
「義なぞ見ていられぬ」
「そうしたものでありますか」
「しかしそれは家を残す為、父上はあえて恥を忍んでそうされておられるのじゃ」
彼の父であり真田家の主である昌幸がというのだ。
「実は父上は義を重んじておられる」
「確かに。四郎様をでしたな」
「最後までお守りしようとしました」
「上田に迎えようとされました」
「そして命を賭けてお守りしようとしましたな」
「あの時父上は本気じゃった」
まさにだ、織田の大軍がどれだけ上田に来ようとも四郎、即ち主である武田勝頼を守ろうとしたのだ。そして彼を守りきる自信もあった。
「四郎様をお守りしようとされた」
「しかし四郎様は小山田めに騙され」
「そして、でしたな」
「最後はあ奴に裏切られ」
「ご自身で」
「そうなった」
幸村は天目山の勝頼の最期、自ら腹を切ったそのことを思い悲しい顔にもなった。
「そして織田家についたが」
「そういえば織田家も」
「確かに」
「ご自身から裏切ってはおられませぬ」
「織田家は本能寺でああなりましたし」
主である織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたのだ、跡継ぎの織田信忠もその時二条城で討たれた。それで織田家は頭を失い消えたも同然なのだ。
しかしだ、それでもなのだ。
「これからもですか」
「例えどういったことになろうとも」
「どの様な家と家の間を回ろうとも」
「その中でも義は守る」
「守るべき義は」
「そうされる、父上はな」
それが昌幸だというのだ。
「そして兄上も」
「ひいては殿も」
「殿もですな」
「義を貫かれる」
「そうされますな」
「真田家は羽柴家に仕えることになろう、そうなればな」
まさにだ、その時はというのだ。
「拙者は羽柴家にお仕えするが秀吉殿が素晴らしき方なら」
「秀吉公に、ですか」
「義を貫かれますか」
「その為に生きて死ぬ」
「それが殿のお考えですな」
「天下は望まぬ、義を望む」
幸村は正面を見たままこうも言った。
「拙者はそうありたい」
「では我等も」
「義に生きて義に死にます」
「殿と共に」
「そうしましょうぞ」
「頼むぞ、我等は何処までも一緒じゃ」
それが幸村の主従だというのだ。
「苦楽も共にしようぞ」
「さすれば」
四人は幸村の言葉に笑顔で応えた、そしてだった。
一行は岐阜への道を進んでいった、その途中に一人の派手な芸人を思わせる女と会った。女は一行の顔を見てすぐに言った。
「ほう、これは」
「何かあったか」
「いえ、あっちは占い師でありんすが」
女は妙に艶やかな顔で幸村の顔を見つつ清海に話した。
「そちらのお侍様、実にいい顔でありんすな」
「?殿は確かに整ったお顔立ちじゃが」
清海は首を傾げさせつつ女に応えた。
「遊女の世辞ならお断りじゃぞ、余分な銭がない」
「いえいえ、あっちは遊女はしておりませぬ」
女は笑ってそれは否定した。
「占いと芸で充分飯を食えてますので」
「左様か」
「とにかく、そちらの方は素晴らしき相でありんすな」
幸村の顔を見つつ微笑んで話すのだった。
「天下に名を知られ、そして家臣にも恵まれた」
「拙者はそうした者になるか」
「あい」
そうだとだ、女は幸村自身にも微笑んで答えた。
「あっちは占いだけでなく人相見も確かでありんすから」
「ふむ、この者達のことじゃな」
「他にも集まるでありんすな、十人程」
「十人か」
「お侍様のお顔にはそう出ているでありんすよ」
「ふむ、では十人集めてから戻ることになるか」
上田にというのだ。
「それでは」
「左様でありんすな」
「うむ、ところで」
「ところで?」
「そなた、芸人とのことだが」
「あい」
「名は何という」
幸村は芸人にその名を尋ねた。
「一体」
「あっちの名でありんすか」
「左様、何というのじゃ」
「そうですな芸人で実は人形芝居もしますので」
だからとだ、芸人は笑いつつ答えた。
「人形とでも覚えておいて下さいまし」
「人形か」
「そうでありんす」
「わかった、では人形」
「あい」
「御主も旅をしておるな」
「気のままあちこちを歩いて銭を稼いでいるでありんす」
そうしているとだ、人形は幸村に答えた。
「それでこれから信濃に行くでありんす」
「信濃か」
「それで木曽に」
「そうか、実は拙者達は信濃の生まれでな」
「そういえば言葉の訛りがそちらでありんすな」
「わかるか」
「それも上田の」
人形は笑って幸村に話した。
「あちらですな」
「そうじゃ、それで御主は木曽に行くのじゃな」
「そうであありんす」
「わかった、木曽は山が深く獣も多い」
幸村は人形を気遣い彼女にこのことを話した。
「そこには気をつけてな」
「随分細かいことまで教えて下さるでありんすな」
「そうか」
「あい、お優しい方でありんすな」
「これ位はな」
幸村にとってはだ。
「普通だと思うが」
「いやいや、世の中そうではないでありんすよ」
「教えぬ者もおるか」
「それが普通でありんす、ではまた縁があれば」
「うむ、会おうぞ」
幸村は笑って人形に応えた、そしてだった。
人形と入れ違いに別れてだ、幸村はそのまま岐阜に向かった。清海はその道中で幸村にこう言った。
「よきおなごでしたがどうも」
「怪しいか」
「そんな気がしました」
「そもそも女一人旅じゃ」
「しかもあれだけ美しいおなごが」
「それをしておるとなるとな」
「怪しいですな」
清海は幸村に言った。
「やはり」
「うむ、しかし拙者に来る者は十人か」
その占いことをだ、幸村は自分から言った。
「ではあと六人か」
「では我等は」
「その十人のうちの四人と」
「そう言って頂けますか」
「そう思う、拙者はな」
幸村は穴山達に答えた。
「ではあと六人をな」
「探しに参りますか」
「このまま」
四人も応える、こうした話もしつつ幸村は岐阜に向かい今度は根津甚八に会うのだった。
巻ノ五 完
2015・5・8