巻ノ二 穴山小助
幸村は穴山と共に諏訪大社を参拝した、それが終わってからだった。
穴山は幸村にだ、諏訪の社を出てその前にある町を共に歩きつつだ。彼に対してこうしたことを自ら話した。
「それがし実は信濃に生まれまして」
「では拙者と同じですな」
「そうですな、生まれた国は同じですな」
穴山は笑って幸村にこうも答えた。
「ただ、それがしは父と共に長い間傭兵としてです」
「他の国をですか」
「回って戦の中で暮らしていました」
「そうだったのですか」
「その中で鉄砲、そして忍の術をです」
「身に着けられたのですか」
「父はどちらも極めて優れていまして」
それでというのだ。
「それがしは父に教わりです」
「先程の様な術もですか」
「備えました」
「忍の術はお見事ですな」
「鉄砲もです」
穴山は無意識のうちにだ、その背に背負う鉄砲に手を触れさせて幸村に言った。
「外したことはありませぬ」
「一度もですか」
「弾が届く間合いならば」
それこそというのだ。
「一度も」
「それは凄いですな」
「これも持っています」
言いながらだ、懐からだった。
穴山は短筒も取り出した、それを幸村に見せつつ話した。
「こちらも外したことがありませぬ」
「短筒も持っておられますか」
「父から鉄砲を教わりましたが」
それを、というのだ。
「さらに精進しまして、他にも変わった鉄砲も造れます」
「それは凄い、実はそれがし」
「真田家のご子息が旅をされているということは」
このことからだ、穴山は言った。
「他家の情勢を探るのではありませぬな」
「おわかりですか」
「ご子息を一人で行かせるなぞありませぬ」
例え小さいとはいえ大名がというのだ。
「内密に人を探していますか、そしてそれは」
「それはといいますと」
「真田家に優れた者をですな」
「そこまでおわかりとは」
「伊達に傭兵で生きていた訳ではありませぬ」
穴山は笑って幸村に言うのだった。
「頭も回らなくては」
「生きていけぬと」
「これ位のことは察します」
「左様ですか」
「はい、ですから」
それで、というのだ。
「考えましたが如何でしょうか」
「その通りです、それがし今は自分の家臣となり真田家の力となる者を探しております」
「だからですな」
「今旅をしております」
「やはりそうですか」
「では若しもです」
「まずはそれがしの腕を見て下され」
穴山は笑って幸村に答えた。
「それからお考え下さい」
「家臣にするかどうか」
「はい、お願い申す」
「それでは」
「実はこの諏訪も近頃は荒れていまして」
「賊がいますか」
「はい、これまでは武田家が収めていて織田家が代わったかと思えば」
穴山は天下の情勢のことも話した。
「本能寺のことから織田家も去り」
「今は主がおりませぬな」
「それでいささか乱れていまして」
「賊が出ていますか」
「はい、そうです」
まさにというのだ。
「それで山の方に賊が出ています」
「それはよくありませんな」
そう聞いてだ、幸村はすぐにこう言った。そのうえで険しい顔になってそのうえで穴山に対してこう言ったのだった。
「ではすぐに」
「賊をですな」
「成敗しましょう」
「そう仰ると思っていました、真田幸村殿といえば正義感も強い方」
穴山はこのことも言うのだった。
「民を苦しめかねぬ賊がいると言えば放ってはおけませんな」
「必ず」
「では参りますか」
「これより」
「そうしましょうぞ、しかしそれがし初対面ですが信じられますか」
「はい」
その通りだとだ、幸村は穴山に答えた。
「それでもわかります」
「それがしが信じられる者だと」
「人は目に出ます」
幸村ははっきりとだ、穴山に答えた。
「その人間そのものが」
「目ですか」
「心正しき者は目が澄み光が強くはっきりとしております」
「ではそれがしの目も」
「非常に澄んではっきりとしております」
そして光も強いというのだ。
「ですから」
「それで、ですか」
「それがし穴山殿を信じられるとです」
「見抜かれたと」
「左様です」
「それがしがその賊の仲間であれば」
「今ここでそういう賊の仲間もおりますまい」
幸村は笑って穴山に答えた。
「言うのなら賊を前にした時に後ろからです」
「そう言ってですな」
「背を斬ってくるものですから」
若し穴山が賊の仲間であればというのだ。
「穴山殿の場合は撃つでしょうか」
「そうなりますな、それがし刀や手裏剣も使えますが」
「やはり鉄砲ですな」
「こちらは天下一と自負しております」
「そうですな、天下一の腕があれば然るべき主に仕えるか仕えんとします」
幸村はこの読みも言ってみせた。
「ですから」
「賊をして弱い者を撃つなぞ」
穴山はそうした行為にはこのうえない嫌悪を見せて述べた。
「それがしの様な者のすることではござらん」
「左様ですな」
「真に強い者は賊になぞならむもの。例え賊になろうとも」
それでもだというのだ。
「弱い者は相手にしませぬ」
「強い者と戦いますな」
「この辺りの賊や村や旅人を襲います」
「つまり貴殿の言う」
「はい、小者です」
それがその賊達だというのだ。
「所謂小悪党ですな、それがしが一番嫌いな者達です」
「してその小悪党達を」
「これより成敗するのですな」
「そのつもりですが」
「ではそれがしも。そしてそこでそれがしの働きを御覧下さい」
穴山は幸村に笑って言った。
「是非」
「そしてそのうえで」
「それがしを家臣とするかお決め下さい」
こう言うのだった、そしてだった。
穴山は幸村を諏訪の外れの山の方に案内した、山を幾つか越えてだった。
その山に向かう、だがその道中で。
すらりとした中背の旅の武芸者に会った、長い髪を髷にせず伸ばしそのうえで頭に白い鉢巻をしてそれを伸ばしている。背には長い刀がある。
その彼を見てだ、穴山が声をかけた。
「おや、貴殿は」
「はい、旅の武芸者で雲井十三といいます」
「雲井殿ですか」
「左様です」
こう名乗るのだった、見ればその顔は穏やかに整い女と見まごうばかりだ。
その彼がだ、幸村と穴山に言うのだ。
「実はこの近くに賊がいると聞きまして」
「ではそれがし達と同じですか」
「というと貴方達も」
「これから賊を退けに行きます」
幸村はこう雲井という武芸者に答えた。
「民を虐げる者達を」
「ではご一緒しますか」
雲井は微笑み幸村を誘った。
「二人より三人の方がよいでしょう」
「戦は数、ですな」
「その通りです」
「はい、それでは」
幸村は微笑み雲井に答えた。
「共に参りましょう」
「それでは。それでなのですが」
三人で賊を退治すると決めてからだ、そのうえで。
雲井は幸村ら穴山にだ、あらためて問うた。
「貴方達のお名前は」
「それがし穴山小助と申します」
まずは穴山が名乗った。
「天下一の鉄砲の使い手です」
「鉄砲を使われますか」
「他にも色々と使いますが」
「その中でもですか」
「鉄砲が一番です」
得意だというのだ。
「一人でも賊を成敗出来ます」
「そこまでお強いのですか」
「だから天下一の鉄砲の使い手です」
「では期待しています」
「それがしの鉄砲、是非共御覧下さい」
穴山は笑って言う、その彼の笑みを見つつだ。雲井は今度は幸村に顔を向けて問うた。既に一行は共に賊がいる山に向かっている。その中での言葉だ。
「そして貴方は」
「真田幸村と申します」
幸村は雲井に穏やかな声で名乗った。
「只今旅をして腕の立つ者を探しています」
「何と、貴方が真田幸村殿ですか」
「それがしのことご存知ですか」
「若いながら智勇兼備の方だと」
「そう聞いておられますか」
「はい、ではその幸村殿と穴山殿が共におられる」
それではとだ、雲井は言うのだった。
「それがしがいなくともですな」
「雲井殿がおられずともとは」
「と、いいますと」
「賊は無事に退治出来ますな」
こうも言うのだった。
「お二人なら」
「いや、どうも雲井殿も」
幸村は雲井を見つつ彼に述べた。
「相当な方とお見受けしますが」
「おや、そう思われますか」
「剣術の他に手裏剣、そして忍術も」
「それがしが忍術をしておられると」
「違いますか」
「いや、その通りです」
雲井はいささか驚きつつだ、幸村に答えた。
「それがし実は忍術もしております」
「やはりそうですか、そういえば先にもお会いしました」
「どなたとでしょうか」
「優れた剣豪とお見受けしますが」
先に会ったあの大柄な武芸者のことも話すのだった。
「あの方も忍術をしておられましたな」
「そうなのですか」
雲井は驚いた顔のままだ、幸村に応えた。
「その方も」
「忍術もまた武芸の一つ」
幸村は確かな声で言った。
「収めていて損はありませぬ、実はそれがしも」
「幸村殿もですな」
「収めています」
「何でも真田家の忍術を極めておられるとか」
「父上から皆伝を頂いています」
忍術の方もというのだ。
「剣術や手裏剣、水練と共に」
「武芸十八般の中で」
「そういったものを」
「それに兵法もですな」
自分からだ、雲井は幸村に言った。
「七つの兵法書を全て読まれたとか」
「孫子、呉子等をと」
「様々な兵法書も読まれてるとか」
「父に読む様に言われ」
そしてというのだ、幸村も。
「全て読みました」
「そうですな、お名前は聞いております」
穏やかな笑みと共にだ、雲井は幸村に幸村自身のことを語った。
「まさかこの様な場所でお会いするとは」
「それが縁なのでしょうな」
穴山がこう述べた。
「人と人が会うことは」
「縁によるものと」
「それがし思いまする」
「では穴山殿と幸村殿が会われたことも」
「はい、そのことも」
「縁ですか」
「今穴山殿が言われた様に」
まさにというのだ、雲井も。
「それがしが幸村殿と会ったのもまた」
「そうなりますな、確かに」
幸村は雲井のその言葉に頷いた。
「ではその縁を大事にせめば」
「なりませぬな、では」
「はい、これより」
三人でだと、このことを約してだった。
幸村は穴山、そして雲井と共にだった。賊がいるというその山に入った。山は深い木々に覆われていたが。
そこに入るとだ、すぐにだった。
賊が三人出て来た、人相の悪い者達が刀や短い槍を持ってそのうえで幸村達の前に出て来た。ここでだった。
幸村は賊達を見据えたうえでだ、刀に手をかけずに問うた。
「御主達が麓の人達や旅人を悩ませている賊だな」
「だったらどうだってんだ」
「わし等をどうするつもりだ」
「ものを盗んだことはあるな」
幸村は柄悪く応える彼等にまた問うた。
「そうだな」
「何言ってんだ、そんなの当たり前だろ」
「わし等は賊だぞ」
これが賊達の返事だった。
「ものを盗んでそれで生きてるんだ」
「言うまでもないだろ」
「人を殺めているか」
幸村は賊達にまた問うた。
「それはどうなのか」
「おいおい、幾ら何でもな」
「わし等をどう思っているんだ」
賊達は柄の悪いまま幸村にまた答えた。
「幾ら何でもな」
「わし等そこまでしないぞ」
「盗みはすれど非道はせずだ」
「それがわし等だ」
「そうか、ならばよい」
幸村は賊達の返事を聞いて静かに頷いた、そのうえで。
刀に手をかけてだ、こう言った。
「わしも御主達を殺めぬ、無益な殺生はせぬ」
「おいおい、身ぐるみ剥がれる前によくそんなこと言えるな」
「わし等を成敗するつもりか?」
「それならな」
「わし等も殺しはしないが容赦はしないぞ」
「人を殺める外道ならば容赦はしなかった」
また言った幸村だった、とはいってもまだ身構えていない。
そうしてだ、そのうえでまた言った。
「だがそこまでいっておらぬならよい、御主達は懲らしめるだけだ」
「じゃあこれからか」
「わし等を懲らしめるというのか」
「そうだ、覚悟するがいい」
ここまで言ってだった、遂に。
その手に刀をかけた、三人の賊もここで幸村を囲んだ。穴山と雲井も身構えるが幸村は二人に静かに言った。
「ここはそれがしだけで」
「相手は三人ですが」
「それがしにお任せ下さい」
背の鉄砲に手をかけた穴山に答えた。
「お願いします」
「そうされますか」
「はい、ここは」
「おいおい、一人でわし等三人を倒すつもりか」
賊の一人、顔中髭だらけの男が言って来た。
「御主頭は大丈夫か」
「大丈夫だからこそ言っている」
幸村は刀に手をやりつつその賊に答えた。
「それがしもな。そしてじゃ」
「そして?」
「そしてというと」
「御主達に約束してもらう」
幸村は賊達にまた言った。
「それがしが勝ったら賊から足を洗い全う生きるのじゃ」
「全うにというのか」
「わし等に」
「そうじゃ、それがしが勝てばな」
こう賊達に言うのだった。
「よいな」
「ふん、御主が勝てばな」
「そうするがいい」
「最も我等三人で一人はな」
「勝てる筈がなかろう」
「しかし約束したな、ならばその約束忘れるでない」
こう言ってだ、そしてだった。
賊達は幸村にじりじりと近付いてきた、穴山と雲井は幸村が言う通り動かなかった。幸村は三人の賊達を前にして。
賊達が動いたその瞬間にだった、雷の様に前に出て。
刀を三度振ったかと思うとだ、賊達の手からそれぞれの得物が弾け飛んだ。その得物達は宙にくるくると回ってだった。
幸村の前に刺さった、それを見てだった。
賊達は唖然としてだ、幸村に問うた。
「なっ、今何をした」
「何が起こったというのだ!?」
「わし等の武器が瞬く間に」
「しかも手だけが痛む」
「手を打ってか」
「そして武器を弾き飛ばしたのか」
「如何にも」
幸村は得物を失い驚愕している弟達に淡々とした口調で答えた。
「これで御主達は戦えまい」
「くっ、確かに」
「これを失えば」
「どうにもならぬ」
「では負けを認めるな」
幸村は淡々とした口調のまま問うた。
「そうじゃな」
「くっ、そう言うか」
「しかしこれでは」
「最早」
賊達も戦えなくなったことを認めるしかなかった、即ち彼等の負けを。
そしてだ、苦々しい顔で言うのだった。
「わかった、わし等の負けだ」
「もう賊は止める」
「わし等も男だ、約束は守る」
「ならよい、では上田に行きじゃ」
幸村は自分達の負けを認めた賊達に微笑みこう告げた。
「真田家に入るがいい」
「真田家にか」
「入れというのか」
「あの家に」
「そうじゃ、御主達は賊じゃったが心まで腐ってはおらぬ」
このことも見極めての言葉だ。
「ならばな」
「ううむ、しかし何故じゃ」
「何故真田なのじゃ」
「あの家なのか」
「実はこの方は真田家のご子息幸村様なのじゃ」
穴山が今度はいぶかしんだ賊だった者達に笑って答えた。
「それでこう御主達に言われたのじゃ」
「何と、真田家のですか」
「だからそう言われたのですか」
「その様に」
賊達はまた驚いた、穴山のその言葉に。そしてこうも言ったのだった。
「しかもあの噂に名高い幸村殿だったとは」
「いや、これは失礼しました」
「まことに」
賊達はここで恐縮し畏まった。
「それがし達の命も奪わず」
「仕官先まで案内されるとは」
「いや、申し訳ないです」
「礼には及ばぬ、拙者は今は人を探し集めているに過ぎぬ」
幸村は織田家の面々に笑って答えた。
「御主達が賊を止めてくれて真田に力を貸してくれるならよし」
「では」
「それでは我等はです」
「これより上田に向かいます」
「しかしその前に」
「お頭にお話して宜しいでしょうか」
「我等のお頭に」
こう話してだった、そしてだった。
賊達は三人をそのままだった、山の奥の彼等の頭目のところに案内しようと申し出た。それを受けてだった。
雲井は幸村に顔を向けて言った。
「どうされますか」
「はい、この者達は嘘を言っておりませぬ」
賊だった三人のその目を見ての言葉だ。
「ですから」
「それでなのですな」
「その頭目に会いましょう」
「してその頭目とは」
穴山は三人に問うた。
「どういった者か」
「はい、鎖鎌の使い手で」
「この山の賊全員が一度に向かっても敵いませぬ」
「忍術も使われます」
「ふむ。忍の者か」
幸村はそう聞いて考える顔になって述べた。
「では穴山殿と同じか」
「いえ、幸村様」
穴山はここでだ、幸村の前に片膝を突いて畏まってだ、そして。
そのうえでだ、こう彼に言った。
「それがしは今のことで幸村様の強さとお人柄を見させて頂きました」
「では」
「はい、これよりそれがしは真田幸村様の家来」
幸村に自ら臣従を約束するのだった。
「そうさせて頂きます」
「それでは」
「この命幸村様の為に」
「ではこれからは穴山殿と呼ばず」
「小助とお呼び下さい」
「では小助」
幸村は微笑み穴山を自身が申し出た呼び方で呼んだ、そのうえで彼に対してさらに述べた。
「これから宜しく頼む」
「それでは」
こうしてだった、幸村と穴山は主従となった。そしてだった。
穴山はあらためてだ、幸村に言った。
「ではこれより」
「うむ、その頭目と会ってな」
「どういった者か見ましょう」
「そしてな」
「若しその者がこの者達の言う様な鎖鎌と忍術の達人なら」
「拙者の家臣としてじゃな」
「用いましょう」
こう幸村に言うのだった。
「そうした者なら」
「ではまずはな」
「会いましょう」
こう話してだ、そしてだった。
幸村は穴山と共にその頭目と会うことにした、そこで雲井が言って来た。
「それではこれより」
「雲井殿も来られますか」
「はい」
幸村に対して静かに答えた。
「そうさせて頂きます」
「左様ですか」
「幸村殿の腕は見せて頂きました、そして」
「その頭目の腕もですか」
「見たいと思っております」
穴山を見つつだ、幸村に応えてだった。そのうえで穴山にも言った。
「そして出来れば」
「それがしの腕も」
「見る機会があればと思っています」
「さすればその時は」
「御覧になって宜しいでしょうか」
「是非お見せしましょう」
穴山は雲井に確かな笑みで応えた、しかし。
ここでだ、幸村は雲井を見つつだ、こうしたことを言った。
「しかし雲井殿も」
「それがしに何か」
「はい、実はここに来る前にある武芸者の方とお話したのですが」
「武芸者ですか」
そう聞いてだ、雲井はその目をぴくりと動かしたがそれは一瞬だった。幸村にも穴山にもその動きは気付かれていたが。
「と、いいますと」
「大柄でお顔に立派な髭を生やされた」
「その方が何か」
「かなりの剣術、あれは二刀を同時に使われ」
左右の手をそれぞれ使ってというのだ。
「忍術も相当ですな、雲井殿と同じく」
「そうした方とお会いしましたか」
「雲井殿と似ていますが少しです」
「違うと」
「はい、しかし歩き方や呼吸は似ていますな」
そこまで見ていた、幸村は。
「同じ流派の忍術でしょうか」
「忍術といっても様々ですからな」
穴山もここで言う。
「それがしはこの信濃の流派ですが」
「拙者は真田忍術だしな」
幸村は自身の忍術の流派の名前も出した。
「忍術、剣術もな」
「それぞれですな」
「そうじゃな」
こう話すのだった、そして。
雲井は穏やかな笑顔でだ、幸村にこう言った。
「その型がともかくとしてそれがしは確かに」
「忍術もですな」
「身に着けていて手裏剣等も使えます」
「そうですな」
「それを歩き方や息の仕方からも見られるとは」
「忍術もしていますので」
そのことからだとだ、幸村は雲井に話した。
「それに最初にお会いした時にお話しました」
「しかし言葉からだけでなく」
「はい、そうしたことからもです」
「そこが違いますな、どうやら幸村殿は目も備えておられますな」
「確かに。この方が主と思いますと」
穴山も笑って言う。
「この上なく有り難いです」
「いや、そう言われるとな」
「どうもですか」
「気恥ずかしいのう」
実際にそうした笑みでの言葉だった。
「わしとしては」
「ではこのことは」
「言わないでもらいたい」
「幸村殿は褒められることは苦手ですか」
「幼い頃よりどうも」
雲井にも苦笑いで答えた。
「そうしたことは」
「お父上や兄上からは」
「よく褒めて頂きますが、母上にも」
「それがですか」
「どうにも気恥ずかしく」
「そうしたものですか」
「はい、ですから小助にも」
穴山を見つつ雲井に語る。
「このことは止めてもらいたいのです」
「では普通に」
「うむ、その様に頼むぞ」
「さすれば」
「では行こうぞ」
このことを話してだ、そしてだった。
幸村は穴山と雲井と共にその山奥の賊達の隠れ家に向かった、案内役をする三人の賊達は幸村にあらためて言った。
「この山は深くです」
「そして険しいので」
「足元にはお気をつけ下さい」
「その様じゃな、しかし」
幸村はその三人に答えた。
「これ位の山ならば拙者は大丈夫」
「上田の辺りはですか」
「こうした山が多いのですか」
「だからでござるか」
「うむ、それに修行では飛騨に行ったこともある」
幸村はこのことも言った、彼のこれまでの修行のことも。
「そこではここよりも遥かに険しい山もあったからのう」
「そうした山と比べればですか」
「そうした山なら」
「大丈夫でござるか」
「うむ」
その通りだとだ、幸村は三人にまた答えた。
「何ともない、油断はせぬがな」
「そのお言葉を聞いて安心しました」
「では我等もです」
「我等の道を案内させて頂きます」
「頼むぞ、足元の険しさだけでなく」
幸村は今度は自ら言った。
「蝮にも注意せねばな」
「はい、それですな」
「実はこの山は結構蝮が多いです」
「熊や猪もおります」
そうした危うい獣もというのだ。
「狼は実は大人しいのですか」
「凶暴な山犬も多く」
「そういったものにもお気をつけ下さい」
「ではそうした獣が出れば」
穴山は三人の言葉を聞いて言った。
「わしが幸村様をお護りしよう」
「その鉄砲でか」
「如何にも」
鉄砲を手にしてだ、穴山は幸村にも応えた。
「熊も猪もお任せ下さい」
「では頼めるか」
「これまで多くの山を越えてきましたが獣にも賊にも遅れを取ったことはありませぬ」
穴山は幸村に不敵な笑みで答えた。
「ですから」
「熊や猪にもか」
「山犬もどれだけ数がいようとも」
大丈夫だというのだ。
「ですからご安心下さい」
「それは何より」
「実は近頃我等も山犬に困っていまして」
「熊にも」
「賊も獣にはやられるか」
幸村は三人の言葉を聞いて述べた。
「そうなるのか」
「刀や槍、弓矢で己を守ることは出来ますが」
「全て倒すまではです」
「出来ておりませぬ」
「左様か」
「はい、近頃特に一匹とてつもなくでかい熊が来まして」
「お頭ならば倒せると思いますが」
「それでお頭もそろそろ出ようとされていますが」
しかしというのだ。
「まだ山におります」
「これがとかくでかく強い熊で」
「木位の背で」
「しかも足は丸太の如く」
「前足の一撃で巨木も真っ二つです」
「わし等もすバタを見れば逃げております」
「ではその熊が出て来たらわしが相手をする」
穴山は三人の話を聞いてその目を余計に鋭くさせた、そのうえでの言葉だ。そして背にある、マントの上から背負っているその鉄砲に手を触れさせて述べた。
「この鉄砲でな」
「いや、鉄砲でもです」
「あの熊は毛皮がとても厚く矢さえ通しませぬ」
「そうした奴なので」
三人は意気込む穴山を止めにかかった。
「ですからそうしたやまっ気は起こされずに」
「ここはお頭に任せましょう」
「そろそろ出られるとのことなので」
「いやいや、その頭目も強いじゃろうがわしも強い」
にやりと笑っての言葉だ、それで三人に言ったのである。
「わしの鉄砲は百発百中、決して外さぬ」
「例え外されぬにしても」
「それでもです」
「弾も毛皮を通さぬか」
「そういう訳でもない、まあ出て来た時は任せるのじゃ」
今もだ、穴山はにやりと不敵な笑みで答えるのだった。
「よいな」
「そこまで仰るのなら」
「我等も止めませぬが」
「しかしです」
「その熊はとかく強いので」
「わし等は逃げることを勧めます」
「このことは変わりませぬ」
あくまでだ、三人はこう言って穴山に賛成しなかった。だがこうした話をしている間にも幸村達への案内は続けた、そして。
三人は歩きつつ周りを見回してだ、自分達の後ろの幸村達に告げた。
「そろそろです」
「もうすぐ我等の隠れ家です」
「そこに着きます」
「そうか、しかしな」
幸村は三人の言葉に頷きつつ述べた。
「心配した通りになったな」
「はい、確かに」
「そうなりましたな」
穴山と雲井が幸村の言葉に頷いた。
「この気配はおそらく」
「熊のものですな」
「そのとてつもなく大きな」
「この山に来たという熊ですな」
「何と、出たのですか」
「それは大変ですぞ」
「すぐに逃げねば」
三人はすぐに慌てふためきだした。
「あの、相手が悪いです」
「如何に幸村様達といえども」
「ですから」
「まあ見ていることじゃ」
穴山は笑ってだ、慌てる三人に述べた。
「その熊はわしが何とかする」
「まさかと思いますが」
「熊を倒されると」
「そう仰るのですか」
「そうじゃ、だから見ておれ」
穴山はその両手に鉄砲を持った、そして。
その気配がする方に身体を向けて身構えた、すると間もなくしてだ。
途方もない大きさの、熊と言ってもまだ信じられない位の巨大な熊が出て来た。その背の高さは木と同じ位だ。
その熊を見てだ、三人はいよいよ震えだした。
「こ、こいつです」
「こいつがその熊です」
「わし等も殺された者こそ出ませんが何人も死ぬ様な怪我を負わされています」
「本当にこいつはです」
「ちょっとやそっとじゃ相手に出来ないです」
「化けものですよ」
「だから見ておるのじゃ」
まだこう言う穴山だった、熊はその巨大な身体の上にあるこれまた大きな頭から穴山達を見下ろしている、後ろ足で立っている為か余計に大きく見える。
目は爛々と光り牙も爪も大きく鋭い、しかし。
穴山も幸村も雲井もだ、熊を見て落ち着いていた。幸村は穴山に対して言った。
「ではな」
「はい、これよりこの熊を退治しますので」
「頼んだぞ」
こう言うだけだった、そして幸村は以後足を一歩も前に出さず手も動かそうとしなかった。それは雲井もだった。
動かない二人を見てだ、三人はいよいよ不安になって言った。
「あの、とても一人では」
「この熊の相手は出来ませぬ」
「あえて申し上げますが我等が助太刀します」
「及ばずながら」
「ですから穴山殿、無茶はお止め下さい」
「ここはどうか」
「だから任せておけと言っておる」
穴山はこの時も微笑んで言うのだった、その三人に。
「これから一瞬で終わるからのう」
「一瞬ですか」
「一瞬で終わると」
「そう仰るのですか」
「そうじゃ、今よりな」
こう言ってだ、その熊に鉄砲の銃口を向けてだった。
迫り来る熊が一方前に出ようとしたその時にだった。
引き金を引いた、すると。
鉄砲の弾が熊の右目を直撃した、そして。
そのまま脳を貫き頭から飛び出た、それでだった。
熊はその巨体をゆっくりと後ろに倒れさせどう、と鈍いがとてつもなく大きな音を立ててだ。仰向けに倒れ伏した。その一部始終を見て。
穴山は笑ってだ、三人にこう言った。
「ほれ、一瞬だったじゃろう」
「何と、一撃で」
「一撃でこの熊を倒されるとは」
「何という」
「本来なら眉間を狙っておった」
急所と言われるそこをというのだ。
「しかしこれだけの熊、眉間でも硬いと思ってな」
「それで、ですか」
「目を狙われたのですか」
「熊の目を」
「どれだけ強かろうとも目は柔らかい」
毛皮や肉、骨がどれだけであろうともというのだ。
「その目から脳を狙えばな」
「この様な熊でもですか」
「一撃で倒せる」
「そうなのですか」
「そうじゃ、この通りな」
こうだ、穴山は説明した。
「倒せるのじゃ」
「いや、しかし熊の目はまことに小さなもの」
「その目から脳まで的確に撃ち抜かれるとは」
「凄いですぞ」
三人は穴山のその腕に驚きつつ言うばかりだった、しかし穴山は全く驚くことも誇ることもない。余裕の笑みを以て幸村に一礼して言っただけだった。
「この通りです」
「うむ、見事であったぞ」
「勿体なきお言葉」
二人のやり取りはこうしたものだった、そして。
雲井もだ、笑みで言った。
「いや、まことに天下一の鉄砲の腕前」
「自分で言うだけはあると」
「はい、見せて頂きました」
こう言うのだった。
「見事に、ではこれからまた」
「ではお頭のところにです」
「案内しますので」
「あらためて」
三人は雲井にも応えた、だが。
ここでだ、一行の前にだ。
十人程の無頼な身なりの男達を引き連れたざんばら髪の若い男が出て来た、細面で髭がなく細く鋭い目をしている、鼻が高くやや赤ら顔だ。
着ているのは忍装束にだ、上から毛皮を羽織っている。右手には鎌、そして左手には鎌の付け根についている鎖と分銅がある。
その男を見てだ、三人は恐縮した態度になって言った。
「これはお頭」
「来られていたのですか」
「今こちらの方々を案内しようと思っていたのですが」
「熊を退治に来たのじゃが」
お頭を呼ばれたその鎖鎌を持っている男は三人に低い鋭い声で応えた。
「しかし鉄砲の音と何かが倒れる音がしたと思えば」
「わしが倒したぞ」
穴山は男に顔を向けて告げた。
「今しがたな」
「御主がか」
「うむ、そうじゃ」
「見ればもう死んでおるな」92
男はここでその熊の骸を見て述べた。
「それも右目に鉄砲の後がある、そして」
「わかるな」
「うむ」
男は穴山の手の鉄砲、その銃口から出ている煙も見て述べた。
「御主がやったな」
「わしは嘘は言わぬ」
「右目から脳を撃って一撃で倒したか」
「そこまでわかるか」
「見ればわかる、しかし口で言うのは容易いが」
しかしというのだ。
「実際にするのは難しい」
「そこからわしの腕もわかるな」
「御主、相当の手練じゃな」
男は穴山にはっきり言った、そして。
幸村と雲井も見てだ、こうも言った。
「そちらの二人も。共に武芸者の様じゃが」
「こちらの方はわしの主じゃ」
穴山は幸村を恭しく手で指し示して男に話した。
「真田幸村様じゃ」
「何と、この方がか」
男は穴山の紹介を受けて驚いて応えた。
「あの智勇兼備と名高い」
「そうじゃ」
「そうか、成程いい目をしておられる」
男は幸村の目も見て述べた。
「澄んだ、それでいて強い光を発するな」
「そうであろう、この方は間違いなく天下に名を馳せられるぞ」
「そうじゃな、わしもそう思う」
男は穴山の言葉に頷く、そして。
幸村達を案内していた三人がだ、ここで男に言った。
「お頭、それでなのですが」
「あっし等は真田家に誘われまして」
「その」
「そうか、なら仕えるがいい」
男は三人の言葉を受けてすぐにこう返した。
「真田家にな」
「許して頂けるんですか」
「賊を抜けて」
「そうして」
「何時までもここで賊なぞやっていても先がないわ」
男は三人に語った。
「だからじゃ、御主達も仕官先があるならそこに行け」
「ですか、では」
「これまでお世話になりました」
「いや、本当に」
「うむ、達者でな」
「よければ」
男と三人の話が一段落してからだった、幸村が言って来た。
「貴殿達も如何でしょうか」
「それがし達もですか」
「当家は今人を探していまして」
「だからですか」
「はい、貴殿達もどうでしょうか」
「お頭、ここはです」
賊の一人、男のすぐ右にいた者が言って来た。
「お言葉に甘えては」
「我等全員がか」
「はい、この三人も真田家に仕えますし」
「わし等もというのじゃな」
「はい、どうでしょうか」
「ふむ、幸村様もお声をかけて下さっておるしな」
男は腕を組み考える顔で述べた。
「それならな」
「ここで賊をするよりいいかと」
「真田家はいい家と聞く」
小さい家だが武名を馳せている、しかも家臣を新しく入った者であっても篤く遇する。このことは天下でも評判になっていることだ。
だからだ、ここで男達もこう話したのだ。幸村の申し出を受けて。
「それならな」
「幸村様から誘って頂いていますし」
「うむ、是非もないな」
「では」
「そうさせてもらおう、それでは」
男は決めた、そのうえで。
幸村に対してだ、こう申し出た。
「ではお願いします」
「わかり申した」
「すぐに上田に向かいますので」
男はこう幸村に答えた。
「上田で再び会いましょうぞ」
「さすれば、ただ」
「ただ、とは」
「見たところ貴殿は相当に腕も立ち忍術の心得もありますな」
「おわかりになられますか」
「身体から出されている気や動きを見れば」
「そこからおわかりになられるとは」
男は幸村の眼力に感嘆した、そしてその感嘆の声で言った。
「それがしが思っていた以上の方ですな」
「実は父上からそれがし直率の家臣となる天下の豪傑を何人か集めよと言われております」
「その最初の一人がわしじゃ」
穴山は男に誇らしげに笑って言った。
「この穴山小助じゃ」
「天下一の鉄砲の使い手というのは御主か」
「そうじゃ、それで御主は何というのじゃ」
「うむ、由利鎌之助という」
男はここで名乗った。
「天下一の鎖鎌、そして風の術の使い手である」
「そうか、ではその天下の鎖鎌使いとしてどうする」
「是非もない」
由利は微笑み答えた。
「それがしでよければな」
「ではこれより」
「お願い申す」
由利は幸村の前に膝をついた、他の賊の者達も。こうしてだった。
由利鎌之助も幸村の家臣となった、賊の者達は上田に向かい幸村は穴山、由利と共にさらに人を探す旅を続けることにした。その幸村にだ。
雲井は微笑んでだ、彼に言った。
「またしても家臣の方を手に入れられるとは」
「それがしは果報者でごわすな」
「そう思います、どうやら幸村殿は」
雲井は幸村のその澄んだ目を見つつ言った、由利が言う通り実に澄んでおりしかもその光の輝きは強い。
「人を惹き寄せる方ですな」
「人をですか」
「不思議なまでに」
「左様ですな、それがしもです」
由利も言うのだった。
「幸村様を見てすぐに惹かれました」
「左様ですな」
「死ぬまでいたいとさえ」
「思われていますか」
「お会いして間もないですが」
それでもだというのだ。
「まことに」
「そこまでの方に会われるとは由利殿も果報者ですな」
「全く以て」
「無論穴山殿も」
雲井は穴山にも述べた。
「これは幸村殿は末はまことに豪傑に囲まれた国士無双の方になられますな」
「国士無双ですか、それがしが」
「はい」
その通りだとだ、雲井は幸村にも答えた。
「なられます」
「そうなりたいですな、天下万民を助け義を貫ける」
「義をですか」
「はい、全ての義を」
「義、ですか」
「仁義、礼儀、信義、忠義、孝義とありますが」
そうした義をというのだ。
「貫いて生きたいのです」
「戦国の世であってもですか」
「例え戦国の世でも義は欠かせぬもの、そう思うからこそ」
「大変なことだと思いますが」
「難儀なぞものともしなくては」
そうでなければというのだ。
「何事も貫けぬかと」
「そうも思われていますか」
「はい、ですから」
「左様ですか、義ですか」
「そうです、それがしはその為に生きたいです」
「例え難しくとも」
雲井は感嘆する様にして言った。
「そうされますか」
「何があろうとも」
「ではその様に生きられて下さい」
雲井は微笑み幸村にこうも言った。
「何があろうとも」
「義、でありますか」
由利もここで幸村に言った。
「幸村様はそれを貫かれたいのですか」
「左様じゃ」
「この戦国の世では大変ですが」
「それは承知のうえじゃ」
雲井に話した通りというのだ。
「拙者もな」
「それでもですな」
「拙者は義に生き義に死ぬつもりじゃ」
「ではその義にそれがしも一緒に進んで宜しいでしょうか」
「無論それがしも」
穴山も言って来た、幸村に。
「お供させて頂きます」
「頼むぞ」
幸村に二人の者が来た、まずは二人だった。幸村は諏訪においてまずは二人の掛け替えのない家臣を得たのだった。
巻ノ二 完
2015・4・18