俺は悲しみに暮れている陽葵を抱き寄せながら、セシルさんの亡骸と対面した。
陽葵は声をあげて泣いているので、悲しさのあまりに、その場に崩れるようにして座り込んでしまっている。
セシルさんの顔を見ると、魔族が突き刺した槍が鎧を貫通した状態で刺さっているのに関わらず、その表情は微笑んでいたから、俺は涙を浮かべながら、その亡骸に声をかけた。
「セシルさんさぁ…。女神様が死ぬなと仰っているのに、好んで約束を破ることはないでしょ?。ここで亡くなった人の全ての命を、俺は死ぬまで背負い込むのですよ?。これ以上、人生の宿題を増やさないで下さいよ。」
そこにトリスタンさまや、イジスさまやシエラさまも、重い足を引きずりながら、やっとの思いでやってきたのが分かった。
「おい、セシル!!。だれが女神様のお言葉を裏切って死ねと?。死んで嬉しそうな顔をするんじゃない!!。生き残ったキョウスケ殿や俺は、どうしたらよいのか!!」
こんな、悲しそうな勇者トリスタンの姿なんて、誰も見たことがなかっただろう。
女神アフロディーテは、その様子を見て、悲しい顔をすると、何も言えなくなったのだが、その一方で亡くなった人々を蘇生する手段がないか考えていた。
生死に関わることは、主神か、生死を司るハーデースやペルセポネーなどに頼むしかないが、ペルセポネーとはアドーニスの件で仲違いをしているから容易ではない。
しかも、ハーデースは死者が冥界から出て行くことに関しては、冥界の摂理が壊されてしまうことを気にしているから、余計な口出しが難しい。
ここにいる死者の魂は、その功績ゆえに、エリュシオンの野(天界)に行くだろうが、その前に女神アフロディーテは打つべき手を思案していたのだ。
女神アフロディーテは、辺りを見渡して、まだ魂が、この場に浮いているのを見て、討ち死にした死者たちの魂が、まだ彷徨っていることに気付く。
彼らは死んでから間もないので、冥界への入口にあるアケロンまで魂がたどり着いていないから、これならハーデースやペルセポネーが出る幕はないことに気付くと、皆に呼びかけた。
「皆の者よ、死者に向けてアケロンに渡る駄賃を渡すのはよせ。わらわらは用事があって、しばし天界に戻るから、すこし落ち着け!!」
女神アフロディーテは、皆にそのように告げると、すぐに姿を消す。
この世界では、死者を弔うときにコインと一緒に埋葬することになっているが、女神の言葉を聞いて、皆は死者を弔うことをやめて、その場で骸を安置することにした。
コインを一緒に埋葬するのは、死者の魂が冥界の入口にたどり着いたとき、カロンという渡し守に、冥府の入口にあるアケロンを渡るために、そのコインを渡す必要があるからだ。
女神がそのようなことを言ったからには、死した魂がアケロンを渡って冥界に行く前に、死者に向けて、何かやるべきことがあるのが容易に理解できる。
皆は、女神が再びここに降りるのを、悲しみに暮れながら待つことになった。
◇
俺と陽葵は、しばらくの間、多くの骸が安置されている場所から離れて、メリッサの入口付近にある、門番が使っている椅子に座って、悲しみをこらえて気持ちを落ち着かせている。
陽葵はしばらく泣き崩れていたが、ようやく少しだけ、気力を取り戻した。
「あなた…。まだ、この戦いで死した人の魂は、死んだばかりだから、アケロンを渡っていないのよ。アフロディーテ様には何かお考えがあると思うわ。」
「死んだ魂が冥界に行ったら、そこから先はハーデース様が魂を見るから、アフロディーテ様が、これから冥界に行く人々に、何かをしたいお気持ちがあるのだろうね。神も死したら冥界に行くわけだけど…。」
「そうよね、死者に関わることは、とてもデリケートなのよ。だから、戦いで斃れた人に何かをするにしても、主神に判断を仰ぐ必要があると思うわ…。」
陽葵が突然に俺との話を中断して、急に椅子から立ち上がると、とても驚いている様子だ。
「アフロディーテ様が帰ってきた…。…え???、主神様!!!」
陽葵がそう叫ぶと、亡くなっている人達が安置されている場所まで急いで向かったので、俺も陽葵のあとを追いかけるようについていく。
アフロディーテ様の隣には、神々しい立派な男性が立っていたが、俺は畏怖のあまり、それ以上、近づくことができないから、陽葵と一緒にひざまずくしかなかった。
すでに、王や王妃、それに勇者トリスタンパーティーの姿もあったが、同じようにひざまづくと、傷ついた人を含めて、生き残っている全ての人が、ここに集まって、ひざまずいた。
「皆の者、良く聞け。我は主神である。女神アフロディーテより全ての話を聞いておる。ここで類を見ないほどの、おびただしい数の魔族が襲いかかったが、大挙して押し寄せた魔族を打ち倒したことに感謝をしているぞ。」
皆は頭を下げて、主神の言葉に応えると、主神はさらに話を続ける。
「魔族が大挙して押し寄せる前に、それを察知した我は、アポロンと共に作った術式をアフロディーテに渡したわけだが、そこにいる恭介が知恵を絞って、皆と一緒に邪神龍と神殺しの砲台を殲滅させたことに礼を言いたい。それに、皆は、勇気をふりしぼって戦いながら、ここの地をよく守ってくれた。」
俺は主神の言葉に頭を下げつつも、そばにあったセシルさんの遺体に目が留まる。
主神は、ここにいる死者の魂に向けて礼が言いたかったために、魂を引き留めていたのかも知れない。
亡くなった方々が、冥界に行っても、主神がかけた言葉は、心強いものとなるだろう。
そして、さらに主神の言葉は続いた。
「我は、命を賭して魔族に斃された人々を想うと心が痛む。アフロディーテは我に、この場で死した者たちへの慈悲を願い出た。元を正せば、邪神龍がこの地に放たれたのも、我が過去に始末を忘れてしまったのが原因である。神殺しの砲台も、我が過去に一部を破壊したに過ぎず、後世の人間に後始末をさせてしまったので、これも、我の判断ミスによるものだ…。」
その主神話に、皆は息を呑んで聞いている。
主神が、ここで斃れた人々に向けて慈悲を向けられた上に、過去にあった自分のミスを認めることなど、異例中の異例であるからだ。
「そこで、ここで死したり、大きな怪我を負った者は、誰の責任でもなく、我の過ちによって起こったものと同然であるから、死した者は、我の力によって魂を体に戻し、大きく怪我をした者については、その傷を癒やそう。」
皆はそれを聞いて大きな喜びを露わにしたが、俺はその場でジッと頭を下げて、主神に感謝の意を表した。
「これは、死した者の魂が、まだ冥界にたどり着いていない今だからこそできる。少しでも遅かったら、我はハーデースから小言を言われて、何もできなかったぞ…。」
『まぁ、主神の思し召しとあらば、ハーデース様であっても逆らえないよな…』
王は、主神にお礼と感謝の言葉を述べた。
「大いなる主神よ、このたびは死者に対するお慈悲を賜り、この国を治める王として感謝しきれない思いであります。この国を末永く穏やかに治められるよう、微力を尽くしましょう…。」
主神は、王のお礼を笑顔で受け取ると、まばゆいばかりの光を放った。
あまりの光に目をあけていられなかったが、しばらくして光が収まると、今まで死んでいた人たちが一斉に起き上がっていではないか。
それを見て、悲しんでいた人達は一斉に喜んでいたし、生き返った人は、何が起こったのか分からずに、しばし呆然としている様子だ。
俺と陽葵は、主神から言葉をかけられた。
「恭介と陽葵よ、お前たち夫婦が、アフロディーテの目に留まらなかったら、邪神龍も神殺しの砲台も、人間たちの手で滅ぼすことができずに、この地は絶滅していただろう…。アフロディーテや我が力を使えば、この地は、人が住めぬ惨状になっていた。」
「主神よ、ありがたきお言葉です。しかし、あの殲滅させた術は、神の英知であって、人が及ぶような領域ではない事が身に染みてわかりました。そして、この戦いで斃れた人達を、この世に戻して頂いたことに、ありがたく思います。これで、少しばかり私の肩の荷が下りた気持ちです。」
俺は感謝の気持ちを主神様に伝えると、アフロディーテ様も主神様も微笑みながら、うなずいている。
その後、主神様が勇者トリスタンさまに何かを話していたが、主神様は勇者が持つ剣に手を触れると、まばゆいばかりの光が放たれた。
どうやら、勇者の剣の神気をさらに強くして、魔族との対決に備えるために色々と話をしていたような雰囲気だ。
そこに、アフロディーテ様が俺たちに近づいてきて、主神様が勇者トリスタンさまに、お力を頂いたことを俺たちに砕いて説明をしてくれた。
「あの宰相は、あの勇者にしか倒せないのだ。上級魔族でさらに、邪神の力が加わっているとなると、お主は邪神殺しの殲滅弾が一応は使えるが、他者から魔力を融通するほどの大魔術になってしまうから、一対一の戦いには向かぬからな…。」
しばらくすると、主神様は、勇者たちに何やら言葉をかけて天界へと戻ってしまった。
アフロディーテ様は、どうやら、ヴァルカン帝国が滅亡するまでの間は、地上に居続けるようだ。
陽葵やイジスさまが、アフロディーテ様と冥界やハーデース様のことで雑談をしている最中に、俺は生き返ったセシルさんから話しかけられる。
「キョウスケ、すまんな。主神様のお慈悲があって、この世に戻ってきたよ…。俺たちが、冥界に向かって歩いていたら、アケロンが遠くに見えてきたところでさ、川を渡るときの駄賃がなくて、どうしようかと皆と相談していたら、強い光に包まれて戻ってきたって訳よ。」
「セシルさんさぁ、女神様のお言葉を聞かずに、無視して死なないで下さいよ。こっちは、あれだけの死者を背負いながら生きていくのは、とても辛いですからね…。」
「その小言は、さっき主神様と話を終えたトリスタンにも痛いほど言われたわ。しかし、お前は相当に派手な魔法を繰り出したよな。俺は死んじまったので、見ていないけど、門の外側の惨状を見る限りでは、その凄さがよく分かるよ。」
「あれは魔法というよりは、天地創造神話に出てくる神の術ですからね。あんなのは、二度と使うべきじゃありませんよ。」
俺は生き返ったセシルさんと、亡くなった後に起こった出来事を順を追って話したところで、同じくアフロディーテ様と雑談をした陽葵が、セシルさんを見かけて駆け寄ってきた。
「セシルさん!!。もう死んじゃ駄目ですからね!!」
陽葵のストレートな言葉に、セシルさんが苦笑いをしている。
「まったく…、人妻だけどさ。こんなに可愛いヒマリちゃんに、そんなコトを言われちゃ、男として簡単に命を落としちゃ駄目だと分かったよ…。ごめんな。」
メリッサの街は、喜びに満ちあふれていたのである。
◇
俺と陽葵は、しばらく後にメリッサの中心にある宿に戻ると、部屋の中に女神アフロディーテ様と主神様が、微笑んで立って待っているから相当に慌てた。
突然のことに、俺も陽葵も驚いてなんと声をかけて良いの分からない。
主神が俺と陽葵に話しかけてくる。
「恭介と陽葵よ。この世界を救ってもらって助かった。もうしばらくしたら、また声をかけるから、この続きは後でな…。」
そうすると、部屋の空間が歪んだように揺れて、俺と陽葵は暗闇に包まれるようにして、何処かに飛ばされたような気がした…。