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第40話:悲しみに暮れても前に進まなくてはいけない。

 俺たちは、城壁の上にいて、呆然とその様子を見ているのが精一杯だった。

 この状況について、心の整理がついていない状態だから、体が動かないだ。


 城壁の上からあたりを見渡すと、幾人かの後方支援の兵士が、怪我をした騎士や遊撃自警団員に手当をしているのが見える。


 俺が魔力を少し回復させたら、回復魔法で手当をすべき人が沢山いることを認識したのだが、今は状況把握につとめた。


 いまだに城壁に留まっている理由の1つに、数多くの魔物が生き残っていたのなら、ヴァルカン帝国の魔物が態勢を立て直してメリッサに攻めてくる危険性があるからだ。


 そうなれば、俺たちは再び剣を手にして戦わなくてはいけない。


 俺も勇者トリスタンさまも、草原のほうを見ようとしたが、爆発が起こった直後だから、煙や砂煙が立ちこめていて、先が全く見えな異常に少しだけ苛立ちを覚える。


 しかし、アフロディーテ様には、爆発が起こった草原のほうの様子が、手に取るように見えていたのだろう。

 女神様は眉間にしわを寄せて険しい表情をしながら、少し重い口を開く。


「4万の魔族は、恭介の作戦通り、全滅に等しいぞ。今の魔族は10を残すのみだ…。」


 しばらくして、少しだけ強い風が吹いて、煙が風に乗って消え去ると、その様子が露わになる。


 まず、草原には、無数の魔物の死体や肉片が飛び散っていて、爆風によって飛んできた大きな岩や、様々な残骸が草原や街道に散乱していた。


 絶対障壁がなかったメリッサとローラン城を繋ぐ道や、草原は、ところどころが大きく陥没していて、これでは街道を修繕しなければ、人も歩けないだろう。


 アフロディーテ様は、あたり見て少しだけ溜息をつくと、右手で指をパチンと鳴らした瞬間、道や草原にあった、魔物の肉片や、おびたたしい血がなくなっている。


 さらに草原の奥を見渡すと、血まみれのヴァルカン帝国の宰相が見えて、その後ろに、傷だらけのネクロマンサーや、足を引きずっている上級魔族などを9体連れて、小さな転送魔方陣を使って、ヴァルカン帝国に逃げる準備をしているのが見えた。


 勇者トリスタンは、急いで宰相を追いかけようとしたが、アフロディーテ様にすぐに止められる。


「勇者よ!!待て!!!。それ以上の後追いは危険だ!!。お前が、奴らの前に出ることによって、また、多くの命が奪われる!!。ここは他の国とも連携して、徐々に魔族どもを追い詰めよ。袋小路に入った魔族は、おぬしが思っている以上に強いぞ!!」


 勇者トリスタンは、女神アフロディーテによって、これ以上の追撃を思いとどまったので、皆が安堵の表情を浮かべていた。


 そのあと、予想していなかった草原の一角に、少し大きな魔法陣ができて、1万はいるであろう、魔物とともにヴァルカン帝国の皇帝の姿が見えたので、俺たちは、次の戦いを決意した瞬間だった…。


 アフロディーテ様は、何も唱えることなく、瞬時に強大な神気を作り出すと、ヴァルカン帝国の皇帝が率いる魔物に向けて強力な神気を放つ。


 それと同時に、爆風を避けるために何処かに避難していた2匹のドラゴンが、草原に戻ってきて、次々と魔物を倒していった。


 もう、5分も経たずに、ヴァルカン帝国の皇帝が率いた1万の魔物や上級魔族たちは、数千まで減らしているから、俺たちが戦いに出る幕がなかったのである。


 ヴァルカン帝国の皇帝や宰相は、戦況が悪すぎることを察すると、転移魔法陣を慌てて発動させて、生き残った魔物達と一緒に瞬時に消えていった。


 女神アフロディーテ様は、それを見て、長い溜息をついている。


「勇者よ、だから言っただろう?。おぬしは、あそこにいる多くの亡骸を見て、何も思わぬか?」


 アフロディーテ様が指を差した先には、先ほどの戦いで命を落とした、数多くの兵士や騎士、魔術師や遊撃自警団員たちが、安置されているのに俺も気がついた。


 涙を流して、亡くなった兵士に呼びかけている人の姿も見えるし、皆は何とも言えぬ表情を浮かべているのが見えて、悲しみが込み上げてくる。


 アフロディーテ様がテレポーテーションを発動させたときに、戦いで斃れた死者も全て転送させたのだろう。


 勇者トリスタンは女神アフロディーテに諭される形で、それに気づくと、うなだれて、その場から動けないでいた。


 俺は、少し目を閉じて心を落ち着かせると、城壁から降りて、亡くなった遺体が安置されている場所まで歩いて近寄った。


 亡くなった人たちに対して、お詫びを込めながら祈りを捧げるのが精一杯だ。


 みんなも、徐々にその場に集まってきて、各々が祈りを捧げている。


 イジスさまは聖騎士らしく、亡くなった人たちに丁寧に祈りを捧げながら、それに向き合っているし、王と王妃は、どこからか摘んできた花を手に取って、亡くなった人と向き合って花を添えて祈りを捧げているのが目に留まったが、声をかけるような状況ではない。


 そして、俺は隣にいた女神アフロディーテ様に今の思いをぶつけた。


「アフロディーテ様、私はもっと早く術が唱えていれば、魔物によって討たれて亡くなった人が減ったかも知れないと思うと胸が痛むのです。そして、この人々が亡くなったのは、私のせいなのかと、自問自答をしています。」


 そばで俺の想いを聞いた勇者トリスタンさまは、涙を流しているし、隣いたシエラさまも、トリスタンさまに抱きつきながら、嗚咽を漏らしていた。


「…恭介よ、人は何が正しいのか時として迷う。それが人としての試練なのだよ。少なくても、おぬしは、この者たちを手にかけた訳ではないし、おぬしに罪はない。それを問うなら、神である、わらわがついていながら、これだけ多くの人間を死なせてしまっているから、わらわも罪に問われるだろう。」


 そして、隣で涙を流しながら黙ってそれを聞いていた陽葵が、俺に向かって、今の感情をつぶさに打ち明ける。


「あなたと一緒に術の構築を手伝っていて、あなたが命を落とす人を横目で見ながら、早く術を発動させようと、必死に頑張っている心を感じ取っていたわ。でもね…、やっぱり、わたしも悲しい。もっと、あなたを強く支えるような強力な魔力をもっていれば…。」


 女神アフロディーテは静かに首を横にふって陽葵に優しく言葉を掛けた。


「神が、あのレベルの術を発動させるのは容易いが、人間の中で、あのような改良した神術を、あの時間で正確に唱えて正しく発動させるのは類い希な存在だ。これ以上は神の英知になるがゆえに、人が及ぶような領域ではない。」


 俺は、女神様からの慰め言葉に、亡くなった者たちの分まで、それを背負いながら生きるべきだと心に誓ったのだ。


 陽葵は悲しそうな顔を向けて、俺に抱きつくと、大粒の涙を浮かべている。


「セシルさんも命を落としたのよ。キョウスケとわたしがこれだけ頑張っているから、俺たちは命を張って踏ん張らないと駄目だな…なんて。あなたと一緒に術を構築しているときに、少しだけセシルさんの声が聞こえていたのよ。でもね…」


 陽葵は、悲しみに暮れて、それ以上の言葉が出ない。


 俺は術を発動している時に、陽葵が悲しみを打ち殺すために、あえてトランス状態になって、俺に神気を流し続けたことに気付いて、何とも言えぬ感情が押し寄せてくるのをグッとこらえていた。


 そして、俺は、悲しみをこらえて、陽葵の頭を優しくなでることしかできない自分を大いに悔やんだのだ…。

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