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第62話

母の名はリュシオルという。

穏やかな笑顔に穏やかな性格。まさに自然に愛された、真なる国花選定師だと、息子であるアインスは思っていた。そして、そんな母の想い―――それは、愛しい国王との愛情の物語。国花選定師だから、彼女は国王―――ガーシバルの出会いは、遠く昔にさかのぼる。それは、2人がどうやって出会い、どうやって人生を歩んできたのか、という話でもあった。


ガーシバルは、武人の国でも久方ぶりに生まれた、武人の中の武人と言える能力を持った男児であった。驚くことに生まれは、一番末の側室を母に持ち、驚くことにその上には姉しかいなかった、という奇跡のような話でもある。正室や位が上である側室たちは、多くの子を産んだが、驚くことにそのすべてが女児だけだった。こんなことが起きるとは、とガーシバルの父である先代国王は驚き、これこそガーシバルを跡継ぎにすべきとしての神からのお告げと受け取った。

こうして、ガーシバルは生まれることだけで【王になる】ことができたのである。それが、彼の始まり。


こうやって王になるために生まれた子どもは、気づけば本当に王位を継ぐためだけに育てられ、育った。父王からはその教育だけを受け、側室の母とは早くに引き離される。最後に母の姿を見たのはいつだったか。自分が母という存在の胎から生まれたことさえ、ガーシバルは忘れてしまったくらいだった。

唯一の王子は、唯一の王となるべくして、知性と武力を持つこととなる。遊ぶ時間など特になく、いつも家庭教師を迎えてさまざまな知識を頭に叩き込む。戦場に出ても命を落とさぬよう、体中が悲鳴を上げるほどの鍛錬を積まされる。それでも、ガーシバルは幸せだった。姉姫たちや、あとに生まれた妹姫たちは皆、望まぬ結婚、望まぬ国、望まぬ土地へ嫁がされる。小さくして生まれた妹姫さえ、辺境の老いた貴族へ最後の妻として送り出された。女に生まれたことが不幸であったのではない、とガーシバルは思う。


自分で運命を決める星のもとに生まれなかったからだ、と強く思った。だから自分は違う。唯一無二の王になるべく存在として生まれ、王になると自分で受け入れた。だから、ここまで生きてこれたのだ。


やがて、ついに父王がガーシバルへ王位を譲った。父王は血気盛んな男であったから、自ら戦場に立ち、多くの傷を受け、ついにはそれがもとで伏せたのだ。立派な男だとは思う。しかし、男児に恵まれなかったことだけを最期まで悔いていた。もしも男児がガーシバル以外にいたのなら、たとえ王位をガーシバルが継いだとしても、その重荷を分散してやれたのに、と。

死にゆく父の言葉が、当時のガーシバルにはよくわからなかった。王ならば、重荷など生まれた時から背負っている。背負わずして生まれてくることなど、できはしない。だから、ガーシバルにとって、王は重荷なのではなくただそこにあるものだった。

そして、この父の死がガーシバルと若き日のリュシオルを結びつける―――


余命幾ばくもない父の部屋には、息子であるガーシバルも入ることを嫌がった。戦場とは違う死臭が漂うからである。しかし、その死臭が和らぐ日もあった。それが、国花選定師の訪問日だ。当時の国花選定師はリュシオルの父、アインスの祖父である。国花選定師は、余命いくばくもない国王のために、痛みや苦痛を和らげる植物を持ってきてくれていた。

それが、死臭さえも和らがせていることに、ガーシバルは気づいたのである。そして、その男の国花選定師が連れていた娘を見た。線の細い、まるで今にも手折れてしまいそうな娘。次の国花選定師を約束されたその娘は、ガーシバルにとって、まるで自分と同じような存在だと感じられたのも事実。国王の次に国花選定師が国にとって大事なことは、ガーシバルもわかっていた。だから、自分の世代になれば、この娘が国花選定師として活躍するだろう。つまり、この娘と自分はこれから先も長く時間を共にするのだ。

まだ若かったガーシバルは、それならば、とリュシオルに話しかける。彼女は、ガーシバルに頭を下げて、あげようとはしなかった。

「おい、お前、名は何というのか」

「殿下、娘の名はリュシオルと申します」

話をしない娘に代わって、父親である国花選定師が口を開いた。しかしそれが気に食わないのが、武人というものである。

「俺は娘に聞いたんだ。口も聞けん阿呆なのか」

「殿下、そのようなことはございません。娘はまだ修行の身。どうか、お許しください」

目上の男性への礼儀を知らないのだ、とガーシバルは思う。頭を下げ、去っていく国花選定師の父娘。しかし、しばらくすると遠くでひどく怒った男の声がした。娘の頬をぶって、荒々しく怒るその姿は、ガーシバルが見たことのないひどい姿。

「お前は何度言えばわかる!国王や殿下にお会いしたならば、礼儀も知らぬか!」

何度かぶたれた娘は、それでも歩き出した父についていった。両目いっぱいに涙をこぼし、ただただ、大きな父の背中を追うしかない。


ひどいことをしてしまった、とガーシバルは思う。自分があんなことを聞かなければ、娘は叱られたとしても、ぶたれることはなかったかもしれない。子どもが親からぶたれるのは、ひどく傷つく。それは自分もそう育ってきたし、男児であるガーシバルはすでに父の正妃よりも目立っていたので、見知らぬ父の正妃や側室からぶたれることは何度もあったのだ。

そのたびに思った。早く大人になりたい、と。父から王位を譲り受け、この国を変えていく。強く、まっすぐにしていく。それが自分にできる精一杯のことだと思った。


ガーシバルは、父から王位を譲り受け、父も死んだ。父の死後、父の正妃や側室から、権限と地位を奪い去り、すべて故郷へ帰している。その時になって、自分の母が若くして故郷へ戻され、その先で静かに死んでいたのを知った。子どもだけ産んでしまえば、末の側室など不要なもの。男児を産んだからと言って、強い態度に出れなかったのだろう。そうすれば、もっとまともな暮らしもできただろうに、母はそれを取らなかった。取れなかったのではなく、自ら取らず、選ばなかったのだ。

不甲斐ない母の最期を知って、ガーシバルは自分の子どもには括りを設けようと思った。子どもはたくさん欲しい。たくさんいれば、その分この国を守る者が増える。先王のように、娘ばかりいても困るが、使いようがあるならば娘も手元で十分に育てよう。この国をさらに強固なものにするために、ガーシバルに必要なものは愛や希望ではなかったのだ。自分の血筋で縛り上げた、血の結束だと思うことしか、彼にはできなかった。


こうして、ガーシバルは正妃との間に男児を設けた。男児はこうも簡単に生まれるものなのか、と驚いたほどである。それから、側室たちにも子どもが生まれたが、王位継承権は正妃の子にしか与えなかった。そして。ガーシバルは再会するのだ。新たな国花選定師となったリュシオルと。


「陛下、先の国花選定師が息を引き取ったとのことです」

「そうか。では次の者を早く選出しろ。穴をあけるなよ」

「承知しました、陛下。次の国花選定師は実の娘でございます」

実の娘。その時になってやっと、あの娘を思い出したのだ。どれほどのものに成長したのだろうか、とガーシバルは思う。きっとあの頃のように、父親の陰に隠れる弱い娘のままだろう。


そう思っていたことが、間違えであったことを、彼は自分の目で知ることになる―――


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