アインスの母は、国花選定師の娘として生まれた。先の国花選定師は、彼女の父であり、母は庶民の出であったと聞く。詳しいことは知らないが、どうやら祖父は自分の弟子の中から、伴侶を得ていたようだ。そんな雰囲気の話を、アインスは幼い頃から母に聞いている。母は、そんな両親のことをあまり気にすることもなく、国花選定師としての人生を歩んだ。
しかし特殊であったのは、本来毒に耐性のあるはずの国花選定師でありながら、その耐性が非常に低かった。植物に触れればかぶれることも多く、何が原因かと問われれば、ただ彼女の体質がそうであるだけ。祖父はそういう国花選定師が稀に生まれることを知っていたし、それは特殊と言えるが逆に能力であるとも言った。
アインスの母―――リュシオルは、希代稀に見る繊細で敏感な国花選定師となる。彼女は植物と心を通わせ、その微細な変化を全身で感じ取る。彼女の作り出す薬は、特別高級品として扱われ、国の大きな収入源ともなった。
焚火を見つめながら、アインスは母のことをゆっくりと話し出す。幼き日から見てきた先代の国花選定師は、アインスにとって憧れというよりは、目標であり、母でありながら守ってやりたい人だった。
「親父はそもそも国のために、お袋に俺を産ませた」
国を掌握するために、国家を上手く動かしていくために、国花選定師に国王の子を産ませることは、とても重要なことであった。本来、倫理的にどうなのか、と思う国が多いので実現していないだけの話で、どの国の国王も、一度は考えたことがあるだろう。その点を考えると、あの国王は倫理など度外視、自分と国の利益が一番だった。
だから今、正妃から生まれた子にしか王位継承権を与えなかったことに、困り果てている。実のところ、正妃から生まれた子が悪いわけではなかった。優秀であり、将軍も任せられ、すでに孫まで生まれているほどだ。心根も澄んでいて優しく、国を守る意思もある。夫婦の関係も良好で、孫たちも健康。しかし、そんな優秀さとは違うところで、国王はアインスの才能を見てしまう。
国花選定師の母から生まれ、武人としても優秀であり、人として少しかけ離れた部分はあっても、性根は正しい。妻を持たないが、周囲からの信頼は厚く、ゆえに、国花選定師としての優秀さが際立つ。王位継承権を持つ兄弟たちとの関係も悪くはない。中には少し毛嫌いしている者もいるが、それでもアインスは平気だ。
それくらいの精神的な強さも持ち合わせ、他国へ顔を出すほどの好奇心、問題を起こさない理性さ、すべてを考えると、アインスが最も王にふさわしいと、誰もが思ってしまう。しかし当人がそれを一番嫌がっている。国花選定師の息子として生まれ、本来ならば武人になりたかったのになれず、母の急逝したから国花選定師を引き継いだようなもの。それなのに、なぜそこに国王の座がついてくるのか。
「俺は国王になりたいわけじゃねぇ。でも国花選定師になることは決まっていたことだ」
生まれによって決まる国花選定師。それは仕方のないこと、とレンカは知っている。姉がそうであり、自分はそうではなかった。だからよくわかる。最も近くで見てきた弟は、その辛さも決まりも、何もかもを理解していた。そしてそれは、カブルも同じである。母が違うだけで、アインスとカブルはまったく違う人生。同じ父を持ちながら、生まれだけでこうも違うのか、と2人を見た者は思っていただろう。
国王が側室を多く持つことはよくある話だ。気に入った娘がいれば、それを輿入れさせ、側室として置きたいのは、国王という存在の性なのである。そうなった時、不幸になるのは生まれた子であった。もしも国王が気に入って、王位継承権を与えるならばよし。しかし、普通は母親の身分によってそれは決まるのだ。だから、カブルは王の血を引きながら、王の息子にはなれない。
「国花選定師には特殊な能力が必要だからな。それは、鍛錬して身につくもんじゃねぇし、欲しくて手に入るもんでもねぇ。だから、気にするこったねぇわ」
揺れる焚火は、アインスの瞳にゆらゆらと揺れていた。カブルは、かつて自分を守ってくれた先代の国花選定師―――アインスの母であるリュシオルを思い出す。優しい笑顔の人で、この人が本当に薬を作っているのだろうか、と思ってしまうくらいに、優しい人だったのだ。植物を愛し、薬を作り、そして国と国王と、すべての人を愛してくれていた。それなのに、たった1つの毒によって命を落としたのだ。本来の国花選定師ならば、死ぬことのないごく普通の毒―――国花選定師であるならば、この毒で死ぬはずがない。しかし彼女は特殊な体ゆえに、命を落とした。
「アインス様」
「カブル、お前は少し寝ておけ。お前まで倒れちゃ困るからな」
「はい、承知しました」
毛布を取り出して、カブルはアインスの視界の端で休む。深い眠りは取れなくても、ゆっくりと体を休ませられる時間。あえて、彼はこの時間をカブルに与えてくれるのは、そこにカブルが弟ということも理解しているからかもしれない。普段はとても厳しく、時には殴られたり、鍛錬の間に吹き飛ばされることも多々あった。しかし彼は、そうやってカブルに生きる力を与ええくれたのだ。
若い頃、先代の国花選定師であるリュシオルから多くを教えてもらった。読み書きから考え方、作法や規律まで、王宮で暮らすに恥ずかしくないくらい、育ててもらったのだ。厳しいことはあったし、難しくて何度も何度も悩んだこともたくさんあった。それでも、リュシオルは諦めずにカブルのことを育ててくれて、アインスの側においてくれていた―――それを愛されていた、と言えばそうであるし、そう思えないのならば、それはカブルがおかしいのかもしれない。
本来なら、実母が死んだ時に自分も死んでおかしくなかった。だが、生かされた。それだけで奇跡に近いのに。それだけで、一生を捧げていいと思えているのに。本当はリュシオルが死ぬのではなく、自分が死ねばよかったのに、とまでカブルは思っていた。
「お前も寝ておけ、アシュラン」
「俺はいーよ」
「いや、お前は無理をすればメインに響く。ちゃんと考えておけ」
厳しい言い方ではあったが、それは正しいとアシュランは思った。この男、よくわかっているのだ。だから、従うしかない。アシュランはレンカの後ろへ下がり、目を閉じた。
本来山の中で眠るのは、命取りになる。しかし今は状況が違った。すべての者が倒れてしまわないように、代わる代わる休まねばならない。そのことの重要性を、この場の者は理解できた。だからこそ、アインスの提案の深さも理解できる。
「お前は平気か、レンカ」
「はい、まだ大丈夫です」
「そうか」
「アインス様は大丈夫なのですか。メイン様のようにはなりませんか」
レンカの問いかけに、そうだな、とアインスは言う。しかしそれ以上は言わなかった。
「俺は普通の国花選定師だ」
「国花選定師であるだけで、普通ではありません」
「お前が言うと実感あるな。姉ちゃんずっと見てきたか」
「……はい。姉も祖母も国花選定師でした。俺にもその血は流れていますが、これだけ見た目が違うと、やはり影響も少ないようです」
金色の髪に赤い瞳。白い肌。これは、姉とはまったく違う血筋からきていることを感じさせる。同じ血筋から生まれたはずなのに、と思うことは多いが、ここまで違えば諦めも持てた。
「お前にだけ話をしておくかなぁ」
不意にアインスはそんなことを言い、ゆっくりと煙草の煙を吐いた。