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第59話

見渡す限り、山道。山、森、自然ばかり。メインはそんな世界を見ながら、寒さをひどく感じていた。この山は冷えている。冷えすぎている山は、命が眠っている状態だ。そうなると、国花選定師とあまり相性がよくない。国花選定師は、生きた命への能力が高いからだ。眠っているだけならばいいのだけれど、とメインは思う。しかし同じことを考えているのは、アインスも同じようだ。周辺を見ながら、時々生えている木や植物を確認しているのは、命があるかどうかを確認しているのである。

「アインスさん……」

「行くぞ。気にするな。春が来れば、命はまた芽吹く」

「はい……」

周囲はとても冷たく、とても静かな空間。そう、まるで切り取られたかのような空間のように感じてしまう。

「ほれ、手」

「あ、ありがとうございます」

「滑るぞ」

「うわ!」

メインは、アインスの胸に飛び込んでいた。大きな胸は、昔と変わらない、と思ってしまう。子どもの頃、この人は自分に多くを教えてくれた人だ。彼にとって、自分はどんな存在だったのか。自分が感じている思いと、この人が感じていることは違うかもしれない。でも、それでも兄のように慕うのは、本心だ。


「レンカ、後ろに何もないか?」

メインを抱きとめながら、アインスは的確に周囲へ指示を出す。レンカは結った金髪を揺らし、周囲を確認した。

「何もありません」

「そうか。カブル、飯にするぞ」

危険の少ない場所で、食べられる時に食べる。それが大事なことだと、カブルも理解している。武人は食事をしなければ体力を失う。体力を失えば、危険な状況に陥る可能性は高まるのだ。だから、食べられる時に食べる。それがとても大事なのだ。

「アインス様、こちらで火をおこします。こちらへ」

「ああ。メイン、先に温まっておけ」

冷たくなった体に気づき、アインスはメインを先へ行かせてくれた。カブルのおこした小さな火は、次第に大きく燃え、メインの体が温まっていく。物理的に温めても、命の眠っている土地では芯から温まれない―――それは、メインが深く植物とつながる国花選定師だからだ。国花選定師のすべてがそうい能力を持っているわけではない。それぞれが、それぞれの特別な能力を持つ。その中でも、解毒作用が低かったアインスの母も、特殊な国花選定師であった。本来毒に強いはずが、弱い―――それは、返せば繊細で敏感であること。アインスの母は小さな芽吹きも一瞬で気づくほどの繊細な人だった。それがあの国王と恋に落ちたのだから、不思議なものである。

そして、メインは命の深さがわかるらしい。休眠状態に入ってしまうと、メインはその影響を受ける。眠った植物とともにいると、彼女もそちらに引っ張られる。つまり。

アインスは視線をアシュランへ向けた。彼はグラグラと船をこいでおり、レンカの肩にぶつかる。

「アシュラン?」

レンカはこの巨躯を支えたが、彼は寝たくはないのに眠くなっているようである。それを見て、メインもアインスの腕の中に倒れ込んだ。

「しまった……こんなに休眠状態だったとは」

「アインス様、これは?2人に何が?」

アシュランを引きずって横にさせ、レンカはアインスに理由を尋ねていた。

「メインの特殊能力だ。メインは、植物と深くつながる。このあたりは休眠状態の植物が多いからな、影響されたんだろう」

「でも、今まではそのようなことは……」

「この山がほぼ休眠状態なんだ。ふー……これが、お袋がここにこれなかった理由さ」

繊細で敏感な母は、休眠状態の山に入ることが苦痛でたまらなかった。精神が崩壊してしまうくらいの、苦しみなのである。だから、彼女はあの花を長く、多く、研究することができなかった。特殊な能力を持ち合わせている国花選定師の中でも、特別能力が高い者は稀に生まれ、それゆえに辛い人生を歩むとも言われる。アインスはその存在を目の前で見てきたので、自分にはないそれらを持つ女性たちの脆さと優秀さを理解していた。

「仕方あるまい。少し休ませて、それから先へ進む」

「戻る気はないのですね」

アインスの意思は固い。この機会を逃せば、次に花が咲くのは更に先になる。その時に自分がここに来れるという、確証も希望もないのだ。だから彼は、今の状況を持って後に引く気にはなれなかった。レンカはそんな彼の考えを見抜き、それが国花選定師のとるべき道であることも理解している。姉が国に逆らえなかったこと、それでも弟である自分を守りたかったことと同じだ。

国花選定師にとって、新たな植物の発見や研究は生涯をかけても足りないくらいのものである。時にそれは、死ぬ時までに成果が出ないこともしばしばだ。それでも彼らは先を目指す。自国と国民を守るために。守るべき存在のために。

「アインス様、こちらに洞窟があります。こちらでしばらく休まれてはいかがでしょうか。アシュラン様は体力的に大丈夫かもしれませんが、メイン様は寒さに弱いと思われます」

カブルの提案に、アインスは素直に従った。洞窟の中で再度火を起こし、近くにメインを休ませる。ただ眠っているだけのようだが、その冷たさはまさにこの山の植物と同じなのだ。

「アシュランには気付け薬を飲ませてやれ。特段濃い奴だ」

「承知しました」

アインスの持つ薬の中から、気付け薬を出し、カブルはそれをアシュランに飲ませた。するとたちまち彼は飛び上がって目を覚ます。

「どうだ、起きたか」

「起きるを飛び越して死ぬわ!」

「まあ、致死量ギリギリの濃さにしたんだろう、カブル?」

自信満々の顔で、カブルは返事をしていた。この男、さすが幼い日から国花選定師の小間使いをしているだけのことはある。致死量ギリギリの量や濃度なども把握し、アシュランの体格に合わせて与えたのだ。弟の教育ができているのか、カブルの頭の良さなのか、とレンカは同じ『弟』という立場から考えた。姉のしていることを理解できなかったのは、姉があまりにも国花選定師として優秀だから。レンカは体を鍛え、武勲を立てて、将軍になるしかなかった。ともに肩を並べて植物を育てたり、頭を使って何かをすることは、姉以外には許されていなかったこともある。同じ『弟』であっても、違う『生き方』の存在。しかし、レンカにとって、カブルはまるで自分の鏡のような存在だった。


パチパチと焚火が燃え、温かさが広がっていく。すっかり目を覚ましたアシュランは、眠るメインの顔を見て不思議そうにしていた。

「寝てやがる」

「ただの眠りじゃねーぞ。この山と同調してんだ」

「そっか、この山、静かだもんな」

アシュランは普通のことのように言ったが、アインスはこの男自身も、メインに影響されてとても感覚が鋭くなっているのだろう、と思った。もしくは、一時的なものか。一時的に契約によって、メインと同じ状況になっているとも考えられる。しかし今後、その契約が終わったのちにどうなるのかは、誰にも分らない。国王による契約は、どの国でもかなりの拘束力を持つ。通常ならば、使われることのないほど強力な契約だ。それだけ国花選定師であるメインの存在が大切であった、と考えられる反面、それをこんな傭兵1人に使っていいものなのだろうか、とも思わせる。

「今のうちに飯を食っておけ。これから先は長くて厳しいぞ」

「オッチャンは、これより先に行ったことがあるんだろ?」

「ああ、まあな。だいぶ昔だが」

「そんなに厳しいのか、道のりは」

「……山っちゅうんは、どこでもそうだろ。あの時は特に、お袋もいたからな」

「なあ、その何年かに一度しか咲かない花は、なんでそんなに長い間咲かないんだ?」


そう、その理由。

それを母は知りたがって、知ることのないまま―――天寿を全うしたのである。


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