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第58話

さっさと仕事を終わらせて、山を下りる、と言ったアシュランは、自分の心の中でシェヴェルナを母と思えないという気持ちでいっぱいであった。いっぱい、と言ってもそれはただそういう表現であって、特にそれ以上のことではない。例えば、子どものように母の胸を恋しがったり、抱きしめてもらいたいなど、そんな気持ちが全部消え去った気持ちなのだ。

メインに抱きしめられて、何かが変わった気がする。心のどこかで探し求めていたのは、故郷や親ではなかったのだ、と少し思えた。自分が探していたのはなんだったのか―――それは、きっと自分自身。この短期間でのさまざまな旅は、自分が傭兵として生きてきた時間とは違っていた。命の始まり、命の終わり。形を変えてゆく人生。そして辿り着いた先。それらを見て、アシュランは自分が進むべき道は、この山にはないのだと気づく。

「アシュラン、お前も成長したのだな!」

「うるせーな!オッサンには関係ねえだろ!」

「レンカ様と呼べ!」

「うっせーな、レンカ!」

名前を呼ばれて、レンカはその目を見た。自分と同じ魔眼であるはずなのに、この目は何かが違うとはっきり感じる。何かを見たんだな、とレンカはすぐに思った。かつて、姉から聞いた話だ。魔眼は使えば使うほど、精度を増す、と言う。しかし使いすぎれば通常の視力さえも失いかねない、諸刃の剣なのだ。しかし魔眼を持つ者は、その運命に生きる―――つまりは、魔眼を使い続けて生きていく運命。レンカはそれを受け入れ、将軍という立場に立った。だが、目の前の男は傭兵というなんとも言えない、何を求めているのか分からない存在でしかなかったのだ。しかし、メインとの出会い。それでこの男は変わることができたのではないだろうか。

「それで構わん。譲歩してやろう」

「はあ!?」

「お前は、私にとって弟分のようなものだ。許してやるのも兄の役目」

「アンタ、姉ちゃんしかいねーだろ!」

アシュランの頭の中には、大きな胸をした肌の色も見た目も違う、レンカの実の姉が浮かぶ。弟のため、国のためならば、他国の国花選定師を手にかけようとまでした、弟大好きな姉だ。あの姉にして、この弟なのか。それともその国によって、感覚の違いが大きいのか。

感覚の違いは大きいかもしれない、とアシュランは思う節もあった。武人の多い国では、礼儀や節度も重んじられるが、兄や弟、守る者と守られる者の関係も強くある。それが武人なのだ、とアシュランはアインスとカブルを見て思った。2人は片親ずつ同じであり、本来ならばどちらも王子で、異母兄弟。しかし、国王がそれを認めていないので、王子でもなければ、兄弟としても認められていないようだ。国王という存在がそんなに強く影響しているとは思えなかったのだが、アインスの様子を見れば、国王は強いもののようである。

それは、国王だから、ではなくその存在があることで、国が動いているからだろうか。しかし国王は、アインスを国花選定師とは認めても、王子とて、王位継承権は正式には与えていない。老いた今でこそ、優秀に育ったアインスを見て、自分の跡を継がせたいと思っているのだろうが、それを認めなかったのは過去の王だ。

自分で決めた縛りに、今頃になって悩まされている国―――そうとも言えた。

「姉は姉だ。私はお前を弟のように思っている。飯を食わせたじゃないか」

「ん、そうだな、飯は食わせてもらったな……」

「砂の国では、自分の自宅に招いて、特別な食事を与えるのは、親密な関係の者と決まっている」

「うっわ!今そんなこと言うなよ!?気持ちわりーな!」

「腹いっぱい食っておいてなんだ!嫌ならここで、吐き戻せ!」

そんな数ヶ月前のことをできるはずもない。アシュランは、砂の国の人間は、思い詰めるとなんでもするんだろうな、と思った。レンカは真剣な顔をしている。

「食事を共にするのは、特別なことだ。しかもお前は、俺のお気に入りの庭や池も見たじゃないか!女も入れたことがないのに!」

ゾッとした。アシュランは本気で、砂の国の感覚にゾッとしてしまう。そこへ割って入ってくれたのは、博識なアインスだった。

「砂の国では水が貴重だからな。そういったものを持てるんは、砂の国では高貴な印なんだわ。別にお前さんのことをどうこうしたいからじゃねえよ。あの国は、もてなし方が独特だからな」

飯はうめーんだけどな、と最後には丁寧に褒めてまでくれた。そんなアインスの話を聞いて、レンカは目を輝かせる。やはりレンカも故郷が恋しいのだろうか。故郷がはっきりしていれば、それが強さに変わっていくのか。

「おら、お前ら、出発だぞ」

「オッチャン!」

「あー?うっせーな、なんだよ?」

アシュランは、荷物をしっかりと背負ってアインスの横へ来た。

「アンタ、預言者のことを知ってるんだろ」

「まあな」

「……俺は、本当にアシュランなのか?」

「はぁ?」

「……俺は、アシュランって名前しか知らずに育った。もしかしたら、俺は違うのかと思ってな……」

それは、とアインスは思う。彼は本来の自分の知り、今の自分と融合させたいと思っているのかもしれない。それはつまり、彼が初めて魂の成長を選んでいるのだ。国花選定師は、植物のことがよく分かる。よく分かるからこそ、周囲の木々が、植物が、アシュランの成長を見ているのが分かった。

「アシュランってのは、遠くの海の先の国の響きだ。俺は行ったことがねぇけど、文献を呼んだことがある。鬼神の名だ」

「きじん?」

「遠くの国だからな、どんな存在かは俺も想像がつかねぇ。だが、見た文献には強い武人のような絵が描いてあった。荒々しく、強く、勇ましい守護神だ。だが、争いを好み、怒りの感情を持つとも言われる」

「あー、俺だな!」

その言葉を聞いて、アシュランは笑った。まさに自分ではないか。怒りの中で生き、争いを好んでいた。まさにその名前がぴったりだと思う。

「だがな、その鬼神は怒りや争いを好みつつ―――整え、抑え、治めることもできると言う」

アインスの言葉に、それは自分なのだろうか。それが自分に与えられた、本当の自分なのだろうか。もしかしたら、と思ってしまう。争いを治める子として生まれたのか。それとも争いを生む子として生まれたのか。

たくさんのことを考えながら、アシュランは黙ってしまった。


すると、横からレンカが寄って来た。正面を向いているが、アシュランとアインスに話をしている。

「俺の名は、花の名だ」

そのことを言った瞬間、アシュランはブッと吹き上げた。まさかこの男の名に、そんな意味があったなど。

「蓮華の花という意味だ。姉の名はスイレン。それも花の名だ。似ている花だが、違いがある」

「蓮華の花は文献にもあったが、ど偉い神様が乗る花らしいで」

レンカの話に、アインスがかぶせてきた。しかしその話を聞いて、レンカは目を輝かせる。幼き日から、褒められたことなどなかったレンカにとって、とても嬉しい言葉だったのだ。

「神様……!」

「オッチャン、レンカあぶねー方向に進んでんぞ?」

「ご機嫌になったならいいじゃねーか。ホレ、行くぞ」

2人は、アインスを先頭に、間にメインを入れる形で歩き出した。一番後ろはレンカとカブル。その前にアシュラン、メイン、先頭がアインスだ。ドンドン歩いていくアインスだが、メインのちょうどよいところで彼は立ち止まり、後ろを確認してくれた。

冷たい風が吹き続け、メインはその中に花の匂いを感じる。

「もう少し先でしょうか」

「だーいぶまだ先だわぁ、ホラよ」


メインは、アインスの先に広がる山々を見て、本当にこの先を越えていけるのだろうか、と不安になるのだった。


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