知っている、と言われてわずかな期待と、わずかな絶望、そして虚無を味わう。なぜなら、今までそんなことを考えたことは、なかったからだ。世界の中で、自分の何かを知ることは、悪いことではないと感じつつ、自分の始まりを知ることはいいこととは思えなかったのだ。
人を傷つけ、奪い、獣のように生きてきた。そんな自分に、父があり、母があり、血のつながった存在がいるということが、受け入れがたい。本当にいいのだろうか。真実を知ってしまって。その真実は自分をどうしていくのか―――アシュランは、シェヴェルナを見る。
「あなたは、知りたいのね」
「別に」
「いいえ、知りたいの。知っていい時が来たのよ」
知ってもいい時がきた。それはどういう意味なのか、問いかけようとして、アシュランは止まってしまう。ここでそれを問いかければ、自分が知りたかったということを認めてしまうからだ。
認めたくない、と自分では思っているのだから、問いかけるわけにはいかない。しかしそんなアシュランの気持ちさえ、預言者はすでに見透かしているような顔つきだった。
「かつて、遠き地より1人の騎士がこの土地へやってきたわ。傷つき、倒れる寸前だった存在よ。けれども、それを助ける者はなかなかいなかった」
まるで、その話はおとぎ話のように進められる。アシュランは、聞いてはならない、と思ったが、聞かねばならない。話が止まらないからだ。この女は、彼が止められないと分かっていて、話を続けているのではないか。
「その時、1人の娘が彼を助けたわ。そして恋に落ちた―――とても短い時間の、まるで一瞬だけの恋。けれども燃え上がる恋は2人を止めることはできず、そこで生まれたのがあなたよ。私はあなたの母親をよく知っているわ」
「は、母親……!」
顔も知らない母親が自分にもいたのか。それがアシュランにとっては信じられなかった。いるのならば―――どうして、捨てた。どうして、手放した。アシュランは母への思いを、自分を手放した理由に換えて、知りたいと願う。
「あ、アンタが知っている俺の母親って、どんな女なんだ?」
「とてもよく知っているわ」
「じゃあ、教えてくれよ、どんな女なんだ!」
アシュランが必死になって尋ねると、目の前の女は穏やかに笑う。彼の瞳をのぞき込んで、その中に自分を映す。
「目の前にいるじゃない」
その言葉を聞いて、彼は息を飲んだ。まさか、自分は預言者の子だったのか。信じられない。どうして。様々な気持ちが重なり合い、どうしようもない渦が自分の中に集まってくる。
「お、俺のことを……」
「私が愛した人は、他国の騎士で、魔眼を持つ一族だった。その人は外に子を持つことを許されていなかったのよ。でも、それでも持ったのは……これから起こる未来、あなたの存在が必ず必要だったから」
なんの話だ、とアシュランは思う。自分は何のために生まれてきたのか。父親のこともよくわからず、アシュランは混乱しかなかった。
産まれてくる新しい命に、そんな大役を押し付けるような輩が父親だと言えるのだろうか。そもそも、愛があって産んだ存在ではなく、これから来る未来のために何かしらの道具として自分を作ったのではないだろうか。
そんな悪いことばかりを考えてしまう。いや、それしか考えられないだろう、とアシュランは思った。
「あ、アンタは……アンタが、俺の、俺の……」
母だと思えない。預言者の能力があり、母であるならば、なぜこんなことをしたのか。我が子の幸せだけを願って生きることはできなかったのか。そんなことばかりがアシュランの中をグルグルとめぐっては、消えていく。
「アシュラン、あなたは生まれるべくして誕生した。魔眼を持ち、山岳の一族の血を引いて屈強な強さを持つ。そして、国花選定師の守り手となった」
「お、俺が、俺が望んだことじゃねぇ!」
「そうよ、あなたの望みではない。でもこの世界の望みだわ」
シェヴェルナの顔は、真っすぐに彼を見ていた。しかしそれを受け入れるわけにはいかない。受け入れてしまえば、アシュランは自分のすべてを【自分以外のモノ】に決められてしまう。そんなこと、嬉しいはずがない。
アシュランは、シェヴェルナに背を向けて、走り出す。子どもの頃、こんな風に走っていたような気がする。見つかることのない、手に入るわけがないと分かっていた自分のことに嫌気がさして、自分から逃げ出したくなったのだ。でも逃げ出せなくて―――ただ闇雲に走り抜く。それは大人になった今でも、子どもの頃も、変わらない。世界の中に自分だけ。自分を見つけてくれる人なんていない―――そう思っていた。
「アシュランさん!」
その声に気づいて、アシュランは足を止める。上がった息を抑えようとしたが、できない。こんなこと、今までなかったのに。たくさんの命を殺し、それを糧として生きてきた。そうすることでしか、生きていく方法を学べなかった。強い力と見通す目は、自分にとって負担ではあったが、それ以上に大きな力をくれた存在でもある。
でも、それゆえに。それゆえに、自分は誰からも見つけてもらえない、そういった存在なのだ、と思うしかなかった。でも。
「メイン……!」
「どうしたんですか、アシュランさん!汗だくですよ?」
その赤毛の娘は、暗闇の中でも美しい緑の瞳をしている。その美しい瞳の中に、子どものような顔をしている自分がいた。幼い頃から何も変わらない、自分を探し続ける自分だ。
メインは、そんなアシュランを見つめながら、不安そうに声をかけてくる。契約によってお互いの感情が流れ込むことが多くなっていて、その影響を受けているのかもしれなかった。
「俺……」
「何かありましたか?」
「いや、俺は……」
赤い髪は柔らかく、そこに感じるものは、温かさと清々しい花の香り。アシュランは初めて、メインを抱きしめていた。彼女の髪と肩に顔を埋め、自分の不安を理解してもらいたいかのように、強く彼女を抱きしめる。少しだけ彼女の足が浮き上がって、その体格差が簡単に理解できるくらいだ。メインはついにつま先立ちにまでなってしまったが、アシュランの背中を優しく抱きしめた。
「何かあったんですね」
彼女の問いかけに、返事はない。しかしメインにもこの感情は、よく分かっていた。母が死んでしまい、名目上は幼くても国花選定師になったメイン。母が残してくれた植物や研究結果、資料から学ぶしかなかった幼い頃。助けてくれる人はたくさんいたけれど、それでは抑えられない自分の気持ちがあったのだ。父にも言えず、国王にも相談できず、メインは涙をこらえて生きるしかなかった。
「大丈夫ですよ。きっと、アシュランさんを助けてくれる人がいます」
メインの言葉は、彼女の経験からの言葉だ。メインは、必死に前を向いて生きていた時、アインスと出会った。他国の国花選定師が、わざわざ足を運んでくれたのだ。どうして、と思う前に、嬉しかった。幼い彼女は国花選定師という立場は重すぎたのだが、それすら言えないほどに、メインを取り囲む世界は厳しかった。
国花選定師がいなければ、国は倒れる。多くの物流が止まってしまい、特に医療や食料に関して、国民の生命を支えるものに支障が出てしまう。だから、幼くとも国花選定師でなければならなかった。小さな少女は、その少女時代を奪われて、国を守るという使命を背負ったのである―――
「アシュランさん」
抱きしめてくれる小さな手。それを感じながら、アシュランはこれから自分がどうなるのか―――今までで一番の不安を感じているのであった。