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第53話

出て行ったアインスとカブルを見送り、メインは静かにシェヴェルナを見た。その瞳には未来が映っているのかもしれないが、必ずしもそうとは言えない。もしかしたら、彼女の経験則だけということも有り得る。

しかしあのアインスが信頼していること、お茶からも伝わるように土地が肥えていることなどを考えると、国花選定師の視線からも悪い判断はない。この土地、植物がシェヴェルナを受け入れているような感覚に慣れる。しかし、それはあくまでも国花選定師が植物から得た感覚の1つ。実際のシェヴェルナは何なのか、はっきりとは分からなかった。


「難しいことは、考えないことよ」

シェヴェルナがメインに聞こえるように言った。その真意は何なのか。それを考えた時、この女性が見ている世界がどんなものなのか、メインには把握ができないと思う。こういう人は、いるのだ。時々だけれど、確実に。この世界に点在している。もしかするならば、ただメインが理解できないだけかもしれないが。

「はい……」

「あなたは国花選定師として優秀。それは誰もが認めること。それでいいの。そのまま生きていっていいわ」

「それは……」

「迷いがあるの?何に対して?」

何、と問われてメインは押し黙る。迷いがないわけではない。しかし、明確に何が、とも言えない。だからメインは黙るしかなかった。

「あなたのだんまりは、凶器よ」

「そうでしょうか……些細なだんまりだと思うんですけど」

「いいえ、あなたが黙れば、まるで世界が静まり返ってしまったかのように感じるの。だから凶器よ」

その程度のことで、とメインは思ったが、それは自分自身だからだ。もしも相手の立場になったなら、自分は苦しいと感じるだろう。息ができないような、そんな感覚に陥る。

「人を傷つけるけれど、殺しはしない。まるで半殺しのような、深手を負わせる凶器ね」

「うう……そこまで」

そんな言われようをして、メインはますます言葉を失った。自分の中には言葉が浮かぶのに、それ以上は出てこない。どうして、と思った時にすでにシェヴェルナの口が開いているようなものだ。

「シェヴェルナ様、これ以上メイン様を責めるのはおやめください」

間に入ったのはレンカである。彼はしっかりとシェヴェルナを睨んでいた。そこにあるものは、何なのか。愛、忠誠、庇護、さまざまな言葉は浮かぶが、当てはまっては消えていくような。

「あなたは、この国花選定師さんの騎士になるのかしら」

「従者のつもりでおりますが……」

「故郷を捨てた従者なの?」

捨てた、と言われてレンカは言葉を失った。言い当てられたというのではなく、もっと深い意味。自分が心の奥底で感じていたこと、それは捨てた、ということ。生きるために捨てて、姉にだけすべてを押し付けてきたのではないか、ということだ。

姉は無事だと聞いたが、不安は残る。そして、いつか終わるであろう、この旅の果て。自分はどうすべきなのか。永遠にメインの従者を続けることは、敵わないだろう。ならば、自分はどうすることが正解なのか。いや、正解だったのか?

「故郷は、なくならないから故郷と呼べるのよ」

「私の、故郷は……」

「そして、そこには愛がなくてはならないわ。あなたの深い愛情は、誰からもらったものかしら?」

シェヴェルナの言葉がレンカを締め付ける。姉からもらったこの命を、別の人間に使っている。そういう感覚が自分の中に産まれて、産声を上げて、地に落ちる。

「姉に……」

「砂の国の国花選定師は、安定しているわ。あなたがいても、いなくても。寂しいかもしれないけれど。だって、それは彼女の人生ですもの」

その言葉は、レンカに突き刺さる。では自分はなぜ、将軍にまでなったのか。多くの差別や偏見を受けながら、やっとの思いで将軍になった。将軍になったというのに、姉を捨て、国を捨てた。しかし、姉は安定しているという。弟の存在がなくとも、彼女の人生だから。

「つまり、私は不要な……」

「そうとは言っていない。あなたは追加要素。いればもっといい。でもいなくても、あなたは気にしなくていいのよ」

何かを言い当てられているのか―――それとも。レンカにとって姉との関係は、生きていく上で重要なことだった。でもそれが、追加要素程度のことならば、とレンカは思うのだ。

「あのね、追加というのは、とてもいいものよ。溢れるわけでもない、いい状態になるんだから」

「そう、でしょうか」

この女の話は、的を射ていないような気がするが、心に刺さる。刺さったところから、血が出ないような、妙な感覚になるのだ。

「なあ」

その時口を開いたのは、アシュランだった。

「アンタは、俺たちに何を言いたいんだ?ソレは預言じゃねぇだろ?」

彼の言葉に、シェヴェルナはうふふ、と笑った。まるでそれを肯定するかのように。

「預言じゃないわね」

「じゃあなんだ?」

「ただの整理整頓よ。心のね」

それは、と思いながらアシュランは彼女を見ていた。彼の瞳に映る女性は、ただの女のように見えて、違う。

「アンタ」

「それ以上は、また今度。今は、花を探しましょうね」

「おい!」

子どものように扱われて、アシュランは一気に不機嫌になる。余所向いて、口を閉じ、言葉も閉ざす。しかしそこにあるのは、不快だけではない、もっと多くのこと。


メインは、アシュランの顔を見ながら彼の気持ちを探った。もしかしたら、自分の生まれ故郷を知ることができるのかもしれない、そんな淡い期待があるのかもしれない。彼にとって、初めての故郷。今まで血や争いに塗れていた世界に、光りが射したような感覚。

世界は、彼を歓迎しているのか。それとも、違うのか。まだ答えが出ていない、もどかしい今。だからこそ、彼は口を閉じている。メインには、それがヒシヒシと伝わっていた。


ここにいるものは、故郷を失っている。メインは母を、アシュランは生まれた場所を、レンカは姉を。自分自身を象ってきた故郷を失い、必死に探し続けているのかもしれなかった。


「さて、国花選定師さん。花はどちらの方角だと思う?」

「え、それはアインスさんにも意見を聞かないと……」

「いいのよ、王子様は。それよりも、あなたの感覚を聞きたいわ」

メインの感覚を求める理由は分からない。しかし、彼女は自分の心を植物に向けていく。それはこの部屋の外、空気の先、空の下。山の木々の間を抜けて、山地を駆けてゆく。世界がメインに通り道をくれるような、そんな感覚だ。

駆け抜けた先に、花を見る。まだ咲ききっていない、もう少しのつぼみ。美しく咲くと分かっていて、それはどうなってゆくのか、別の未来も感じさせる。


「向こうに」

「向こうとは?」

「もう1つ山を越えた、先に」

「そうね」

誘導されるように言葉を選ぶ。しかしそこに不快はなかった。今までのこととは違う、とメインは思う。


「向こうの山の先だと、思います」



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