「ババアが言うにはよ」
寒空の下を歩みながら、アインスは口を開く。出て行く息がすべて真っ白になっていて、凍っていくのではないかと思うほどである。山に入れば入るほど気温は下がり、景色はよくなってきたが肺が凍りそうなほどの寒さを感じていく。
落ち葉を踏み、道なき道を歩みながらアインスは過去の話をしてくれた。
「ババアが言うには、部族には代々預言者つーんがいるんだと」
「巫女のようなものですか、アインス様」
レンカはそういったことに多少知識があるのか、すぐに尋ねてきた。そうだな、とアインスは言ってから空を見上げる。
「仕組みはよう分からんが、その預言者ってのがその部族を整えたり、指示を出してるらしい。巫女よりは権力が上のような感じみたいだな」
「では何か特殊な関係性があるのかもしれませんね」
「砂の国にはそんなモンがあるもんな。もともと砂漠で飢饉になりやすいから、祈り事は仕事になるしなぁ」
他国のこともよく知っているアインスの姿は、まさに王とは言わずとも、王子のようである。本来取り決めていた王位継承権を変更してまで、アインスを後継ぎにしたがる国王の気持ちも、間違ってはいないだろう。
カブルは2人のそんな話を聞きながら、周囲への警戒を怠らなかった。ここから先は、何があるか分からない。攻撃を受ける可能性は高いだろう。無事に追い返されるくらいなら幸運と思える。
「巫女は正式な職業として定着しております。ですが、誰でもなれるものでもなく……才能、と言いますか」
「まあ、なりたくてもなれない奴がいるってだけだろうな」
カラッとした声でアインスはまた別の話を始めた。それは今回の目的である花のことだ。
「ババアが交渉して守ってもらっている花だが、そもそもはこの山のものだ。だから正直な話、国のものなんだが……部族が移り住んでからは、あまり干渉しないようになっている」
「やっぱり、危ないんですか?」
メインの問いかけは、その場の誰もが疑問に思うことだ。危険とは何を指すのか。何があって、そんな事態になってしまうのか。
「……花は咲く時間が短い。効能は花全体にあるから、花弁でも茎でもなんでもいい。だが、まったく同じ場所に同じようには咲かんらしい。少しでも場所がずれなければ、咲かない」
「花がそれを覚えている、とは考えにくいと思うのですが」
「そこなんだわ、今回俺が調べてぇのは。まあ簡単な予測はしとるがな。前回咲いた時に地中に何か細工があると思う」
「確かに……そういった方法ならば、確実に場所を変えることができますよね。でもそんな習性の植物、珍しい」
珍しいからこそ、今回花を探しに行くことになった。しかも国花選定師2名を連れてとなれば、かなりの大掛かりだ。国花選定師を動かすことだけでも大変であり、そこに護衛や費用も発生する。アインスの場合は武人としても有能なので、多少の無理がきく。しかしメインは違う。国外の若い、しかも女性の国花選定師を連れていくとなれば、何かあった時に国家間の問題にもなりかねない。
そのため、今のメインのように国々を回って勉強をしたり、他国の国花選定師と交流を持つことは、珍しいのだ。アインスの場合は、先代と共に他国を回ることを許されることが多く、彼は特殊と言えた。国王と国花選定師の間に生まれた子。王位継承権を持たぬ、王子でありながら国花選定師。
メインは、アインスと共に時間を過ごすことが好きだった。彼は幼い頃から世話になっている人だし、優秀。何かと厳しいことを言われたりもするが、それはそれで受け止めている。そうやって言ってもらえないと、人は成長できないこともよく分かっていた。
山道を進み、少し経つと集落が見えてきた。交渉はアインスがする、とのことだったがアシュランがソワソワとまるで子供のように落ち着きがなくなってきた。何事かとレンカが見れば、その目が興奮しているようだ。
まさか、自分の中に眠る何かに気づき、興奮しているのか。魔眼が暴走でもしているのか。どちらにせよ、あまり無理はさせられない、と思った時にアインスの指示で集落の奥へと入ることが許される。
集落は、簡単な造りの小屋ばかりで、ここがとても貧しい場所であり、自然と共に生きている証だと感じさせられた。メインはアインスの後ろを歩き、彼の背中以外を見ないようにする。外から入ってきた女を見て、集落の男たちだけでなく、多くの人間が自分を見ているような気がしたのだ。
正直、恐い。初めてここまでの恐怖を味わった。どうして他国と違うのか、どうしてこんな人たちばかりなのか―――気にはなったが、聞くこともできず、ただアインスを見失わないようにするしかなかった。
案内された小屋の中には、女がいた。年の頃は40かそれ以上か。しかし妖艶な笑顔と美しい肌などは、部族の他の人間と違うことを感じさせる。
「いらっしゃい、国花選定師のお2人さん」
「久しいな、シェヴェルナ」
アインスがそういうと、メインは2人に面識があると知って安心した。
「そうね。昔はあんなに小さな坊ちゃんだったのにね、王子様」
「俺は王子じゃねぇって、何度も言ってるだろ」
「あら、でも星はあなたを選んでいるようよ?」
うふふ、と笑う顔は妖艶で美しい。
「あのな、預言者の力を無駄に使うんじゃねぇよ、ババア」
美しい女性を前にして、アインスは平気でババア、と言った。なんて男だ、とレンカとカブルは驚いている。しかしアシュランだけはその女を見つめ、固まっていた。
「あら、とんでもない客を連れてきたのね、王子様」
「やっぱり、分かるのか?」
「分かるって、何の話かしら?」
シェヴェルナはまたうふふ、と笑ってお茶の準備を始めるのであった。