あの花は、国王にとっても思い出深い花だった。美しいだけではなく、万能薬になってくれるとても重要な花だからだ。あの花を初めて見つけたのは、アインスの母。彼女が山岳地帯の部族と話し合い、やっとの思いで少量だけ収穫できたものである。
「あれは……あの花が好きだったからな」
「うぜーな、まじで。とっとと許可を出せ」
「分かった。アインスよ、お主」
「あん?」
態度の悪い息子を見ながら、国王は思う。その横顔にはかつて愛した人の面影があること。自分の色が強く出ているが、愛した人は確かにそこにいる。
「お主、国王になる気はないか?」
「てめぇ、呆けてんならぶっ飛ばすぞ?」
「やや呆け初めだが」
「笑えんわ!」
アインスが怒鳴る。怒鳴った顔を見て、国王は若い頃の自分もこうだったのを思い出す。先代の国王に歯向かって、遠い戦地にまで追いやられたこともあった。それでも生きて帰って、王位を奪うようにして継いだのだ。それがまるで昨日のことのように感じられる。
「不思議と、お前が一番私に似ておる」
「ならやめた方がいいな。こんな国にしちまうわ」
「辛辣だな~確かに私も昔そうだった~」
国王は自分の手で顔を覆い、真っ赤な顔をしている。老いてしまえばこんなもの、と国王は言いながら、またアインスを見た。
「息子たちは」
「てめぇ、何人息子がいるか把握してんのか?」
アインスに睨まれて、国王は困ったように笑う。
「途中から数えるのをやめたのだ」
「堂々と言うな!ったく、兄貴たちも苦労するだろうよ」
兄貴、というのはアインスにとっては異母兄、王位継承権を持った兄たちのことである。アインス自体も国花選定師の息子ということで立場があり、異母弟でありながら彼らを兄と呼んでいる。
「だからこその、お前だ!」
「押し付けんな呆けじじい!」
「お前だけが、私にそれだけ素直に接してくれるのだよ、アインス」
「あのな、誰が好き好んでそんなことしてると思う?俺は!アンタの!許可がなきゃ!国外にも出れねぇ立場なんだよ!」
国花選定師は国王の許可がなければ、国外に行くことはできない。どんな理由であろうとも、勝手に出てしまえば反逆罪に問われることもあるという。そのため、国花選定師は国外に出たい時は丁寧に許可を得て、国王の名の下に外へゆく。それが国で唯一の国花選定師を守る方法でもあった。
「なら、国王になればいいではないか!」
「自分で自分の許可出す国王がいるわけねーだろ!」
アインスの怒号は、王宮中に響いた。
カブルは、色々と準備をしている最中だった。特に山岳地帯となれば、携帯食や薬の準備が重要となる。今回は女性であるメインも同行するので、油断はできない。真剣な作業をしている時に、アインスの怒号が聞こえ、またかぁとため息をつきそうになった。
あの人は、いつも国王に対して【嫌な父親の権化】として当たり散らす。母が死んだのも父のせいだと思っているので、特にきつい。カブルはそれが、彼なりの哀しみの表し方なのだと知っていた。幼き日から、兄たちとも弟たちとも別者として育てられてきた。国花選定師になる運命しかないのに、本当は武人になりたくて、戦場に出たくてたまらないのに。そんな葛藤が若き日から続いているのである。
しかし国王はそんな繊細なアインスの気持ちになど、気づいてもいない。しかし周囲はアインスを見ると、それこそ国王の若き日にそっくりだと言った。アインスの顔や体格は、かつて先王に噛みついた若き日の国王そのもの。しかしそれが耳に入るとアインスは更に不機嫌になる。父親に似ている自分が嫌だ。父親に似てくる自分が嫌でたまらない。
逆にカブルは一切国王に似なかった。母親にの面立ちは、化粧でもすれば女性に化けられそうなくらいだ。しかし、そんなカブルでもアインスに鍛えられて小隊くらいならば1人で殲滅するように、と言われている。アインスに言われたのだから、それができなければ自分の命が危うい。どんなに異母兄と言っても、自分とは比較にならないくらい高位な存在なのだ。
「アインス様……また国王と」
国王と不仲であることは周囲もよく知っていた。しかしそれでも彼はアインスの側に立つ。彼は常に正しいことしか言わないし、それを貫く。そして、本当はとても心優しいのだ。自分の愛する人をもっとも大切にし、本当は国民みんなのことを大事に思っている。
最近、噂では聞いていた。アインスを王へ、と。国王も王位継承権を持つ息子たちよりも、アインスへ王位を渡すべきではないか、と言うのだ。しかしそんなことを彼が望むことも、受け入れることもない。国王と国花選定師の両立は不可能だ。
「メイン様、少しアインス様を見てまいります」
「はい!何かあったんですか?」
「きっと、国王陛下と何かあったと思います。いつものことなのですが……」
「アインスさん、国王が駄目ですもんねぇ」
メインは分かっているのか、そんなことを言って困ったように笑う。その笑顔はアインスのことをよく分かっている証拠。こんな女性がアインスと生涯を共にしてくれればいいのに、とも思った。だが国花選定師同士の結婚は許されていない。国の根底を揺るがす問題になってしまう。
「少しお待ちください。すみません」
「大丈夫ですよ!気にしてませんから!」
彼女は笑顔でカブルを見送ってくれた。
カブルは、アインスの側で多くを学んだ。強くあることは、相手に見せるべきものではないことも知っている。だから、基本的にカブルは大人しく過ごしていた。誰かに手を上げたり、戦闘に参加することはない。逆にアインスは武術の達人としても名高い。逆を行くのは、彼を支えるために重要なことである。自分まで目立ってしまっては身動きがしにくい、とカブルは分かっていた。
「アインス様!」
国王の部屋から飛び出してくるアインスを見て、カブルは驚いた。アインスの後ろにはアシュランとレンカが一緒にいるではないか。すでにあの2人を引き連れているということは、気心してたということだろうか。
「カブル!山行くぞ」
「は、はい!国王は……」
「じじいは黙らせた!アシュラン、レンカ、お前等も準備しろ」
不機嫌そうにアインスは突き進んでいく。カブルは子どもの頃から、こうやって彼の背中を追いかけてきた。今は守るために追いかけている。兄、と呼んだことはないが、それ以上の大事な存在だと感じていた。
「アシュラン様、レンカ様、準備はほとんど済んでおります。何か特別必要なものがございますか?」
「私はあまり山に詳しくないので……」
レンカは砂の国出身だ。そのため、山のことは詳しくない。普通に山を登って降りるだけならばできるが、そうではないのが今回だ。
「はい、では私が準備させていただいたものをご確認ください。見ていただければ、何かご意見が出るかもしれません」
「ありがとう、カブル」
この人は真面目で丁寧な人だ、とカブルは思う。手合わせをした時も、1つ1つの剣技が丁寧で、確実に入れ込んでくる。見た目よりも重い攻撃、魔眼の使い手ではないと聞くが、今後鍛錬を積めばさらに強くなることは目に見えていた。しかし、そのためにこの旅が必要なのだろうか。
「アシュラン様は」
カブルが呼びかけると、アシュランは後頭部で腕を組み、平然としている。
「んー、俺は特には。ああ、なんか短刀の予備はあった方がいいかもな」
「分かりました。予備を準備しておきます」
そう言ったカブルの顔を覗き込んで、アシュランは言う。
「お前さ、目が……母ちゃんの目なのなぁ」