出航するまでに大騒動が起きた。連れて行かないというクイードと、一緒に行くというセイン。親子喧嘩に巻き込まれて、結局2人は黙ってしまった。メインは困り果て、大きなため息をつく。
「時間がないんですけど」
「コイツが降りないからだ!」
「俺は行くって言ってるだろ、父さん!」
この繰り返しばかりで話が進まない。ついにレンカが提案した。逆に一切船から降ろさなければいいのではないか、と。どちらにせよ、船は誰かを見張りに残して停泊するものだ。港のように整った場所では全員降りてもよいが、これから先行くべき場所は、そう言った類のものではない。
こうして、セインも乗せて船は出航した。どこへ向かうのかは、クイードしか知らない。彼は海の花を見つけたことがあり、その先へ向かう。その先がどんなものなのか、誰もまだ知らなかった。
海の波は穏やかに感じられたが、まだ分からないとクイードは言う。厳つい彼の顔がさらに険しくなっている。逆に息子は初めての海に、感動していた。自分がそこから拾い上げられた、とはまったく知らずに。
そしてもう1人。メインも初めての海に喜んでいる。赤毛を風になびかせ、今にも船から落ちそうだ。
「落ちんじゃねーぞ!」
「落ちませんよ!」
アシュランとメインはそんな会話を繰り返している。しかし心なしかアシュランも、喜んでいるように見えた。
一方レンカは髪が痛むから、と言われてクイードに髪を括られた。気にしない、砂漠と変わらない、と本人は言うが、クイードは結い紐をくれた。
綺麗な金髪だが、レンカはあまり気にしないタイプのようだ。砂の国で生まれたせいか、髪はあまり傷まないようなのである。
「まだまだ進むからな!これから先は何があるかわからん!気を張れよ!」
海の男は、陸の男と違う。海に逃げ場がないことを知っているからだ。美しく偉大な海が、大きな災禍をもたらすことも知っている。
船はどんどん進んだが、ある程度進むと風がピタリと止まった。恐ろしいほどの静けさの中、メインは花の香りに気づく。
「花だ……」
海の向こうから、静かに流れてくる白い花。波はあまりないのに、船に近づいてくる。美しい白い花は近づくに連れて香りを増した。
メインは花を見ていたが、急に叫ぶ。
「触らないで!」
花に手を伸ばしていたアシュランが手を引いた。白い花は船にぶつかりながら、流れていく。
「毒があります」
「毒?」
「海の花が貴重なのは、毒性があって採取が難しいのもあるんです」
メインはそう言ったが、クイードは首を傾げる。そして自分の手を見ていた。それを見たメインは、彼の手を見せてもらう。海で荒れた手であるが特に変わりは見られない。
「もしかして、毒に耐性が?」
「耐性かどうかは知らねぇが、俺は花に触ってもなんともない。他の奴は特には聞いたことねぇけど」
「他の人も……?」
そんなに簡単に耐性ができるはずがないことを、メインはよく分かっている。だから薬を作ることはとても大変な作業であり、国家が動くほどのことなのだ。しかし目の前の彼や周囲では、この花の毒性が特に問題視されていない。
「詳しい理由は分かりません。でも、それが解明できれば、もしかしたら採取の量が増えるかも」
「増えるも何も、嬢ちゃん。花は毎年きっかり決まった数しか流れて来ないんだ。そうだな、ちょうど15だけだ」
「15だけ……」
「まあそのうちのほとんどが、国花選定師に献上されるからな。流通している数は少ないはずだ」
「え、ちょっと待ってください。それって、つまりは1回につき15個ってことですか?その季節に15個ではなく」
「そうだよ。船を出したら15個ずつ。そういうもんだと思っていた」
「じゃあ、花の終わりは……?」
「花の終わり?ああ、それはまあ雪が降りゃ終わりかな。そんなもんだろ」
そんなもの、というクイードは何がおかしいのか、とメインを見つめる。メインはこの花の異常さを感じ取っていた。これではまるで『誰かが栽培している』花のようではないか、と思うのだ。
伝説の神の島で、それが栽培されているというのだろうか。しかし栽培し、それを海に流す意味があるとは思えない。流すくらいならちゃんと貿易を行い、何かしら対価を得た方が栽培は長く続く。
それをしない理由とは何なのか。
「やはり、島に行かないと分からないことが多すぎますね……」
「なんだよ、俺らの常識はおかしいってことかい、お嬢ちゃん」
「おかしいというよりは、理由が分からないって感じなんです。常識ってそんなものですよ」
メインはクイードに微笑んだ。そして彼女がその少女のような見た目でありながら、やはり優秀な国花選定師であることを実感する。この子の頭の回転は速く、そして心は広い。誰がそう育てたのだろう、と想像してしまうくらいだった。
クイードは、海の花をどのように採取ているのか、メインに見せてくれた。海の花は海水に触れていないとすぐに枯れてしまう為、採取を目的とした船には必ず専用の箱もしくは樽を準備する。その中に海水を入れ、花を入れるのだ。
素手で花を取り、樽の中に入れていくクイード。特に体調の悪さなども訴えることはなく、彼は無事に15個の花を樽に入れた。
樽の中からは花の香りが流れ、メインはこの香りも不思議なものだと思う。海の潮風にも負けないほどの香りだからだ。こんなに強い香りでありながら、国花選定師の鼻には分かるが、普通の者には分からないようである。
「これより先は霧が深くなるぞ」
「霧……」
メインは生まれて初めて霧を見る。霧という温度の違いで発生するもののことは、知っていたし、原理も分かっているのだが、実際を見るのはこれが初めてである。
次第に周囲は霧に包まれ、船は立ち往生した。このあたりは海図もできていないらしく、下手に進めばどうなるか分からない。
「誰もこの先には進めないんだ」
「誰も……でも、花は流れてくる」
「ああ。誰もあの島には行き着けない」
しかしメインはそのクイードの言葉に、無念さを感じると同時にどこか、安堵のようなものを感じている気がした。どうして、と思った時に言葉は出ず、セインが口を開いた。
「メイン様、花の匂いがしませんか?」
「え?」
「海からです。それを辿って行けばいいのでは」
「ああ、そうですね!確かに……花の香りがします」
海から微かに漂ってくる花の香り。それを見つけたメインは、クイードに指示をして進んでもらうことにした。
セインの言葉を横で聞いていたレンカは、黙っている。その能力は、国花選定師のものだ。彼の姉も砂漠で植物を見つけたり、水を見つけることに長けた人だった。それが国花選定師も持って生まれたものなのである。
船は進んだ。霧はまだ晴れないが、メインの鼻を頼りに進んでいく。この先に何があるのかは、誰も知らない。誰も行きついたことがないからだ。同時にではその話は誰が最初なのか、と疑問が浮かぶ。
誰も行きつくことができない島なのに、なぜ『島』だと分かったのか。なぜ神様の島があると言われるようになったのか。子どもたちでさえも知っているようなおとぎ話と言われるが、その一番最初は何だったのか。
「おい、この鼻がひん曲がりそうな花の臭いをなんとかしろよ!」
アシュランが言っているのは樽の中にある花の匂いのことだ。鼻が聞く彼にとっては、なかなかに苦しい香りなのだろう。集まればこれだけの匂いになる。まるで目印のような花だ、とアシュランは思った。
しかし普通はこんなに臭いが強い目印など付けない。
なぜなら、そんなことをすれば誰もがそこに行きついてしまうから。