「いい水でしょう?何もかもから浄化してくれるんですよ!」
メインの笑顔を見て、セインはそれがとても眩しいと思った。今までどんな女性を見ても大してなんとも感じることはなく、むしろ女の何がいいのか、と思うほどだった。時期が来れば年齢の近い誰かと結婚して、所帯を持てばいい。それくらいにしか思っていなかったのである。
だが、今は違う。目の前にいる赤毛の女性がとても美しい。可愛らしい。そう思っていた時、目の前に何かが立ちはだかった。なんだ、と思って顔を上げれば、そこには男が立っている。そう、男。金色の髪に赤い瞳をした男が、こちらを睨みつけているではないか。この人とは先ほどまで話をしていたが、こんなに恐い人だっただろうか。
「その薄汚い目でメイン様を見るな」
「レンカさーん、将軍出てまーす」
将軍、と聞いてクイードは思い出す。砂の国にはその国の人間とは思えぬほどの美貌を持った、美しい将軍がいる、と。金色の髪に赤い瞳。その赤い瞳は魔眼であり、戦禍ではその目だけが頼りになるらしい。
一度だけ何かの集まりで見かけたことがあるが、あの時の青年がこんなに成長したのか、とクイードは驚いた。それだけ世間にもまれ、努力してきたのだろう。真面目そうな顔の奥に、彼はきっとつらかったことを隠しているに違いない。
「すみません、メイン様」
「レンカさん、将軍出ると恐いですよ!」
「善処いたします」
礼儀正しい真面目な将軍だと、聞いていた。砂の国の国花選定師の血族とも。しかし今の彼はなぜ、他国の国花選定師についてきているのだろうか。
「クイードさん、船はどれくらいで準備ができますか?」
「貸してくれる奴に話をつけてくるよ。船長はなしだが、俺が船長と航海士を兼任する」
「そうしていただけると助かります。お願いできますか?」
「ああ、構わん。必要なものも準備しよう。だが、食い物は無理そうだな……」
「値は張りますが輸入品にしましょう。それなら安心です」
「そうか、その手があったな。日持ちするのも考えると、そっちがいいか」
「はい!さすがに他国の食べ物にまでは干渉できなかったんじゃないでしょうか。それが効果がまばらであることの理由だと思います」
本当に頭のいい娘だ、とクイードは思った。国花選定師はその国の象徴である。レンカのように将軍、クイードのように一等航海士という者が存在していても、それ以上に国花選定師は手厚く扱われる。
しかしその理由が分かった気がした。こんなに知識が深く、人とも深く関われる存在ならば、どれだけ立場を与えても足りないくらいである。この娘1人で国家転覆も可能であることを考えると、彼女ほど恐ろしい存在はいないかもしれない。誰にでも分け隔てなく接する姿は、まるで可憐な花に舞う蝶のようだ。しかしその蝶はどこへいくのか分からない。
花が枯れれば、蝶も死ぬのか。
クイードはレンカを伴って船を借りに行くことにした。レンカを連れて行けばクイードが嘘をついていないという証明になるだろう、と彼自身からの提案だ。レンカはそれを飲み、2人は店を出て行く。
レンカはクイードの行動を見ながら、彼が本当に一等航海士であり、なぜそれを辞めたのか、と思う。体は屈強で、国家に毒されず、人魚の薬が必要な妻を持つ。どこにでもいる男か、と言われれば、そうではない。だからと言って、とても特別かと言われれば、そうでもないのだ。
「お前さん、砂漠の将軍だよな」
「それはもう捨てた姿だ」
「ほう、国を捨てるほどのことがあるなんて、余程だ」
「……捨てたというよりは、捨てられたのかもしれん。死んだことにしてある。国には姉を残しているしな」
「国花選定師の姉だろ」
「あなたは本当に詳しい人だな。なぜ一等航海士を辞めたんだ?その地位があるならば、この国では何も苦労することはなかろう」
この国の一等航海士は、とても重宝される。それはまるで将軍並みの扱いだ。地位や名誉、金も与えられ、海にも自由に出られるはず。しかしクイードはそれを捨てて、港町の小さな食堂兼酒場を経営するに至った。その理由がレンカにはまったく理解できない。
「一等航海士は、海の上では殺戮者だ」
「それは俺も変わらない」
「そうだろうな。でもな、別の国から逃げてきた難民や助けを求める船であっても、国が駄目と言や、駄目なんだ」
「難民を殺してきたのか」
「ああ……息子と変わらない年頃の子どももいたさ。海ではどうやって殺すと思う?」
不意に問われて、レンカは口にしなかった。水死体として上がらないようにすることが、一番よい殺し方だからだ。つまり水死体が上がる場合は、素人の仕業。上がらない時こそ、本来の殺し。
「できるだけバラバラにする。海の中で生き物たちが食いやすくする。海流の激しい場所に投げ込んで、2度と上がってこないようにするんだ」
「……砂漠も似たようなものだ。砂に埋めてしまう。高熱で死体はすぐに腐乱し、通常よりも早く白骨化する」
「海の殺しを俺はもうしたくなかった。妻と息子に背を向けるような仕事は嫌だった。それから」
それから、と続けるクイードはレンカに言う。拾ってしまった、と。その言い方はまさに絶望のような顔だった。
「……俺は拾っちまったのさ」
「拾う?」
「ああ。この国の次の国花選定師。神の島から流れてきた子どもを」
次の国花選定師になるであろう子。その存在を海から引き揚げた時から、クイードは恐怖を感じていた。伝説であったはずのことが、伝説ではなくなってきている。おかしくなってきている。
こんなことがあるはずがない。伝説の神の島から、花とともに流れてきた子。それが次代の国花選定師だとはどうしても思えなかった。ただの捨て子ではないか。ただの、捨て子ではないか。
その言葉を繰り返すクイードを見て、まさか、とレンカは言った。
「その赤子は」
「ああ」
「セインか……」
「妻は子どもを産んだが、流行り病で死んじまった。その頃に、あの子を海で拾ったんだ」
だから、クイードは船から降りた。国から出ることはできないと分かっていたから、死んだ息子と拾った子を入れ替えた。セインは本来ならば、国に育てられ、国花選定師としての学びを受けなければいけないのだ。
「なんてことを……見つかれば、罰せられるぞ。死よりも厳しい罰を与えられるはずだ。もちろん、夫婦そろって……」
「死んだ子の髪と目によく似ていたんだ。だから今までばれなかった。誰にも気づかれず、過ごしてきた。でも妻に人魚の鱗が出て、初めて気づいた」
自分の犯した罪の大きさに。国から国花選定師を奪うということは、その国を潰すことと同じだ。大罪などという言葉で片付けられるようなものではない。
むしろ、それで片付けられる程度であれば、国花選定師など誰がなっても同じなのである。
同じではないからこそ、意味がある。血族による能力や特殊な伝承、伝えられてきたもの。そのすべてが、国花選定師を作り上げている。そこからセインを奪えば、どうなるか。苦しむのは国だけではない。成長してから与えられた使命に、セインは苦しむことになる。
「……それを話す為に俺を連れてきたんだろう」
「ああ。あんたの姉が国花選定師だと分かっていて、話した」
「どうするつもりだ。代わりの人間など、いないんだぞ」
「お願いだ、島を探してくれ。島にいる人間に頼んで、誰か次の国花選定師になって欲しいんだ。セインは俺の息子だ。手放すなんざ、できやしねぇよ!」
レンカはその目を知っていた。弟を殺せと命じられ、別の誰かを殺そうとした時の姉の目。追い詰められた家族は、家族を守るために何をするか分からない。
それが家族なのか。
それが血筋なのか。
レンカは分からなくなっていた。