この水を飲ませたいのは。クイードは静かに言う。
「セインに飲ませてほしい」
「分かりました。お代は要りません。その代わり、早急に船を準備して欲しいです」
「分かった」
クイードはその水を受け取り、セインに差し出した。受け取ったセインは、震えながらその水を見つめる。
「これを飲むと、俺はどうなるの?」
まるで子どものように彼は不安がっていた。しかしメインは微笑む。元通りになるだけ、と。ただ浄化作用が強い水であるので、浄化以外のことは起こらないという。ただ、それに伴う排泄の量は極端に増えるだけだ。
「の、飲まなきゃ、ならない?俺って、そんなに、おかしい?」
「セイン、飲んでみろ。きっとお前は色々なことを思い出せるはずだ」
「思い出す?じゃあ、俺は何を忘れてるの?」
「……それは、俺では説明できない。お前が一番よく分かっていることだからな」
セインは、真剣な父の目を見て、ゆっくりと水を飲んだ。水は臭いもなければ、味も特に感じない。たまにこの周辺では水と言ってほんのり海水の臭いや味がすることがあったが、それもない。まるで空気を飲んでいるかのような、そんな感覚がするのだ。
同時に強烈な排泄欲求が、体を突き抜けた。セインは急いでトイレへ向かう。ちょうどその時、先に行っていた男2人が戻ってくるところだ。2人を見て、セインは驚く。違う、2人は清々しい顔をしているし、レンカなど、今まで以上に男前だった。
「メイン様、今まで何があっていたのですか」
「何ってことはないんですけど、2人は魔力が全身を巡っていますから、毒素の巡りも早いんです。通常なら何度も摂取して影響されるところを、一度の食事で影響が出てしまった、という感じですね」
そんなこともあるのか、とレンカは驚く。確かに、気持ちがとても晴れやかだ。先ほどの記憶はすべてあるが、なぜあんなに落ち込んでいたのか、と思ってしまう。姉の顔を思い出しても、懐かしさこそあれ、哀しいことはない。
「混ぜ物をしたのか」
レンカはすぐさまクイードに睨みかかった。その眼光の鋭さを見て、これが本来の彼なのだと気づく。凄まじい覇気、そこにあるのは何者も逃さない強い視線だけだ。
「レンカさん、クイードさんは違います。きっと国家単位での策略だと私は思いました。野菜の栽培時から、細工をされていると思うんです」
「メイン様……何か発見したのですか」
「はい。植物はすべて、土、水、太陽が必要です。簡単に細工ができるのは、土や水ですが、この土地では水は塩分が入っている可能性があり、適切ではないでしょう。そうなると、土になります」
土への細工となれば、肥料だと偽って国が配布しやすい。もちろん、土にも塩分が含まれている可能性があるが、水よりも扱いやすかったのだろう、とメインは推測した。
「野菜の味が違いました」
「お前、そんなんもわかるんか?」
「わかりますよー!色もちょっと違いましたし!」
アシュランの横柄な態度はあまり変化がないようにも見えたが、表情や声の質がまったく違う。クイードは本当に浄化がされたのだろう、と思った。
同時に国がこんなことをしていたなんて、と思う。確かにここまでするような国家であったから、自分はそこを出たのだ。家族を守る為、自分自身を守る為。
この国がこんな政策を始めたのは、今の王が政治を始めてからだ。流行り病で国民が一気に減った時期があり、それを知っている今の王は、これ以上国民が減らないようにと施策を出した。それはとにかく外に出さないことだ。外に出る為にはたくさんの申請が必要になる。
そして、外へ出ることへの危険性を何時間も教え込まれ、それでも外に出るのかと問われる。多くの者はそこで諦めるが、商人などはそれでも諦めないことがある。諦めずに外へ出ても、多くの税金と必ず戻ることを契約させられるのだ。
クイードは国がおかしくなっていくところをずっと見ていた。ずっと見ていたので、これがおかしいとよく分かっていた。教育の中身も偏り、考え方が国によって統一される。
唯一自由なのは、海に出ること。海に出て国の為に働くこと。漁業は土地の仕事よりも融通が利いた。また航海士など国の為に働けば、給金も多かった。しかし若者は海に興味を持たない。息子もあれだけ海の話をしてやったのに、忘れてしまっていた。
だが、その理由があった。
「国花選定師は、国の命を握れます。だから、何にも染まってはならないんです」
「アンタは……先代がいい人だったんだな」
「先代は、母です。でも母は流行り病の薬が足りなくて、死にました。自分の分まで人にあげちゃったんですよ」
彼女は少しだけ哀しそうな目をした。しかしクイードはそれこそが彼女の強さなのかもしれない、と思う。彼女はただその母を目指して、進んでいる。
「この国の国花選定師は、海が決める」
「海?」
「ああ。海から流れてきた子が国花選定師になるんだ」
アシュランとレンカは、その話が本当だったのか、と思う。セインが言っていた話だ。しかし海から流れてきた子どもが、なぜ国花選定師になるのか。
メインは本来国花選定師は世襲制であることを、知っていた。稀に親等が飛ぶ場合はあるが、ちゃんと血族ではある。スイレンなどは母を失ったので、先代は祖母になるらしい。男女の決まりはないが、血族である必要性はあった。
「では、先代の国花選定師はどうしているんですか?」
「そうだぞ、オッサン。前のが生きてるなら、そんなに問題がないだろ」
「いや、前の国花選定師が死んだら……流れてくるんだよ。あの島から」
「あの島……海の花の島ですか?」
海の花が咲く島。しかしそこへ行きつくことは誰もできない。
誰もできないから、いつしか人は諦めた。いや、とクイードは思う。もしかしたら、と思うことがあった。
「嬢ちゃん……もしかして、あの島が」
「え?」
「あの島に行かせない為に、国民を操ったんじゃねぇか?」
「そうなんですか?国民の皆さんはあの島に行きたがっていたんですか?」
「ああ、かつてはな……」
かつては、あの海の花が咲く島へ行くのが夢だった。海の花が貴重な花だと知られ、それを大量に手に入れたいと思うのは普通のことだ。海に出る者は、多くがあの花を探していたのだ。
しかし、気づけばそんな存在はいなくなっていた。誰もが普通に漁をしたり、貿易をする程度で終わる。冒険のようなことや旅をするようなことなど、誰も望まない。
「みんな、忘れちまったんだよ。希望のような、夢のようなことを」
「国花選定師になるべき子どもが流れてくる、というのが気になりますね。さすがに国花選定師でも子どもは作れません。どこかに親がいるはず」
「やっぱり親がいるはずだよな……」
「親がいるのは当たり前かもしれませんが、一番重要なのは知識です。国花選定師の知識はどうやって継承しているんでしょうか?」
メインの母のように、何か手記や記録を残しているのか。しかし能力は血族でなければ受け継がれることはない。そうなると、やはりあの島にすべてがあるのだろう。
「島に行くしかないでしょう、メイン様」
「レンカさん……」
「お忘れですか、こう見えて俺も国花選定師の血筋です。これがおかしいことは分かっています」
「あ、そうか、アンタもか!」
アシュランが生意気な言い方をしたので、すぐにレンカが締め技を決めていた。まるで兄弟のようにしている2人を見て、クイードはやはりこれが本来の姿なのか、と思う。
その時、奥からセインが出てきた。
「親父、俺……!」
「セイン!?」
「俺、なんか、変わったんだけど、その、なんていうか」
言葉では上手く説明できていないようだが、彼の目の輝きは子どもの頃のようだ。それを見てクイードは、やっと時間が動き出したと感じたのだった。