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第17話

海の国の一等航海士は、数がとても少ない。試験が難解であること、経験年数が必要であること、などさまざまな条件があるからだ。だから一等航海士になれば一生安泰だと言われるほどに、なりたいと思う者は多い。しかし実際にその中から一等航海士になれるのはごくわずか。


しかしクイードはどう見ても一等航海士の格好はしていない。ただの船乗りのような、汗と潮の匂いが染みついた、汚い格好なのだ。実際の一等航海士ならば、立派な衣類や制服などが与えられる。


「だが、もう一等航海士ではないのだろう」

「……アンタもそれなりの立場みたいだな。そこまで知っているのは、街の人間じゃそういないぞ」

「俺も立場を捨ててきた。今はただの旅人だ」

「旅人にしちゃあ、顔がよすぎる。アンタみたいないい男は、行く先々で女が覚えちまう」


クイードはレンカの顔を見て少しだけ笑った。馬鹿にしたわけではないが、今まで容姿で差別を受けてきたレンカにとっては不満である。クイードから視線を逸らし、レンカは黙ってしまった。


「俺は、アイツと出会ったからさ。国の船には乗らねぇって決めたんだ」

「船なんてどれも一緒じゃねぇのかよ?」

「はは、国の船は戦争をする為の船だ。一等航海士はもれなく殺人者。俺はそんな船に乗って、大好きな海に出たくはなかったわけよ」


アシュランは、船の違いなど知らなかったし、分からなかった。確かに上等な船があるのだろう、とは思ったが、それまでである。


「人殺しなんざ、海でも丘でも、薬でも変わらねぇだろ」


それは人を殺したことがある人間の台詞だ。彼は、きっとそうやって生きてきたのだろう、とクイードは思う。戦場を知っている人間は、そうやってどこに行っても同じ考えになる。たとえ丘の上でも、海でも。国はそういった精神の人間を求めているのだろうが、クイードはそれになれなかった。


「そうかもな」

「オッサン、海の花が咲くって海域はどこにあるんだ?」

「海の花が流れてくる海域だ。自生している島には行けねぇぞ」

「そうなのか?」

「島の神様が人間を受け付けない。島で咲いた花を少しだけ海に流してくれるんだ。それを回収するだけだ」

「俺は海のことをあんまり知らねぇからな。レンカは知ってるか?」


アシュランの問いかけに、レンカは嫌そうに答えた。彼は砂の国の出身だから、詳しくはない。知識として姉から教えてもらったことや、その関係者が砂の国に立ち寄った時に聞いた話などを知っている程度だ。


「レンカ様と呼べと言っているだろう!」

「うるせーな!」

「お前ら、兄弟じゃなかったんだな」


クイードの発言に、2人は目を丸くする。まさかこんなに見た目が違う2人に対して、兄弟という存在がいるとは思わなかったからだ。


「なんで俺がこんな奴を弟にしなければいけないんだ!」

「俺だってお前みたいな奴が兄貴だなんて、ごめんだね!」

「似てるじゃないか。色形は違うが、目なんか特に似ている」


それは、とレンカは思った。魔眼のせいだろう、と。レンカのように強い魔眼は色が赤く出る。しかし混血している場合は赤くはないこともあるのだ。魔眼は割と男児には受け継がれることが多く、同じ血筋でない場合でも持っている場合が多い。

アシュランとレンカに血縁関係はないのだが、似たような一族の血筋なのかもしれない、とレンカは思っている。レンカの父方は何代か前に、魔術を扱う一族と混じったことがあると聞いていた。それもあって国花選定師としての役職を姉が引き継ぐのは容易であったのではなかろうか。

ああ見えて、姉には魔術の素質が強くあった。気弱なところがあったし、何よりも植物が好きだったので魔術師のようなことはできなかったが、彼女の中には素質があったのである。

生まれるべくして生まれた人。自分とは違って、すべてが国花選定師になるべくして生まれた姉。あの人から離れて、少しばかり恋しいと思ってしまう自分がいることに、レンカは心に引っかかっている。


「コイツには姉ちゃんいるけどさ。こう乳がでっかくって、いいオンナなんだわ」

「貴様、姉さんのことをそれ以上いやらしい表現で口にするなら、二度と喋れないようにしてやるからな」

「ほーら、馬鹿みてぇに姉ちゃん好き」

「表に出ろ。その舌を抜いてやる!」


クイードは、目の前で繰り広げられる若い男同士のやり取りを面白そうに見ていた。レンカの様子から、姉はきっと立派で美しい人なのだろう、と勝手に想像している。


「若いって、いいねぇ」

「コイツはもう若くねーぞ」

「剣を抜け、馬鹿者!貴様を切り捨ててやる!」


若いことはいいことだ。限られた人生の中で、時間がまだあるということ。かつて自分もそうだった、とクイードは思う。若い時、妻と出会う前、海は自分の庭のようだった。船に乗り、晴天の時も、嵐の日も、すべてが楽しい人生のひと時だった。

それから妻と出会い、また世界が変わった。今度はその世界を守り抜きたい、と思うくらいに変化したのだ。


「親父、仕入れに行ってくるぞって、お客さん殴りあってるじゃん!?」

「やらせておけー、若い時はそれくらいが必要だ」


奥から出てきたのは、クイードを若くしたような立派な青年だった。しかし、年齢の頃は10代の後半か、成人したばかりくらいではないだろうか。働き者なのか、颯爽と仕入れに行ってしまう。


「あれ、息子」

「なんだよ、オッサンの息子かよ」

「ああ。やっと20歳になってなぁ。店を任せても、まあ大丈夫だろう」


クイードはとても優しく笑った。それが2人には知らない父親の愛情であることを目の当たりにする。両親を知らないアシュランと、両親から愛されなかったレンカ。2人にとって、クイードはまるで父親のように感じられた。


「俺も、仕入れってのに行くわ」

「俺も行ってみよう」


おい、とクイードが言った時には遅く、2人は息子のあとを追って出て行っていた。行動派だな、と思いながら、そうでもなければ国花選定師を守りながらの旅などできない、と思う。


「はは、当分は家の中が騒がしいかもなぁ」


クイードはそう言って、開店の準備を始めるのだった。


一方、メインはクイードの妻であるシーラと話をしていた。シーラは、祖母が人魚であり、母親には一切人魚の兆候はなく、自分にだけ出ている、と言った。

人魚の兆候は女性にしか出ないらしい。特に妊娠出産や、怪我、病気など命の危険があった後に、出てくることが多いという。数が少ないのではっきりとは言えないが、女性にしか現れないということで、子孫が続く限りは有り得る話、とシーラが言った。


「生まれたのが息子でよかった……でも、私に出たのなら、あの子に娘が生まれたり、孫娘が生まれれば、同じことが有り得ます」

「そうでしょうね。混血は血が薄くなると言っても、体に様々なものが残っていると聞きます。何代も前なのに急に出現することも、あるかと。出てしまうものを阻止することは難しいので、治療する薬を作る方がいいかもしれませんね」


メインはシーラが持ってきた本などを開いた。中にはただの汚い紙なのではないか、というものさえも含まれている。


「これを残したのは、どなたですか?」

「母が祖母から。祖母のことは詳しく知りませんが、海辺で祖父にこれを残したと言います。海の中で本は書けません。人魚は口伝だそうです」

「だから、知識が広まらず、残っていることが少なかったんですね。人魚の薬のことは、国花選定師でも詳しい者はいません。でもこれからは、どうにかして薬の作り方を残していかないと……」

「だから、祖母は残してくれたんじゃないでしょうか……丘の人を愛したのだから、その責任を果たす為に」


メインはシーラの複雑そうな顔を見て、静かに返事をするだけだった。



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