「作れる薬ならいいですけど、あんまり言わないでくださいね?場合によっては王様の許可がいる時もありますし……失敗して被害が出ることもありますし」
「構わねぇよ、俺が頼みたいのは、昔の薬を再現してもらいたいんだ」
「昔の、くすり……?」
それは、過去の国花選定師が作った薬であることはすぐに分かった。しかしその薬はきっと―――封印されたか、作り手が何らかの理由でいなくなった薬。そんな薬の再現が自分にできるだろうか、とメインは思う。
「薬の配合は分かるんですか?」
「ああ、詳しいことは分かっている。でもな」
「はい……」
「人魚の薬なんだ」
人魚、と聞いてアシュランが食べていた物を噴き出して笑った。彼は笑って、笑って、馬鹿にする。
「オッサン!人魚なんか、いるわけねーだろ!」
「いいえ、アシュランさん……人魚はいます。いえ、正確には絶滅した」
「はぁ?人魚ってのはあれだろ、足が魚の!」
「それだけではありません。エラ呼吸ができて、水かきや気圧の調整もできる。絵本の話じゃないんです!」
メインが真面目に語ると、レンカが口を開いた。
「人魚は数が少なく、確か海に謎の病が流行って、絶滅したと、姉が言っていた……」
「え、マジなんか?」
「姉さんが,
嘘を言うはずがないだろ」
殺されそうになっていたくせに、よく言うな、とアシュランは思った。メインは、クイードにさらに詳しい話を聞いた。薬の配合は細かいところまである、しかし作れる者がいない。
「でも、人魚の薬を誰が使うんですか?」
メインが尋ねると、アシュランもそうだな!とやっと気づく。レンカは分かっていたのか、食後の紅茶を飲んでいる。薬を作ることができても、使う相手が誰で、何の為に使うのかで、話は変わる。
クイードは少し黙り、それから妻を呼んだ。呼ばれた妻は、穏やかな笑顔を持った女性である。
「どうしました?」
「お前の薬を作ってもらおうと思ってな」
「え!」
妻は驚いたように目を丸くさせる。そして彼女はスカートに隠した足を見せた。そこには鱗が薄っすらと浮かぶ足がある。
「鱗病ですね」
「ああ。コイツの何代か前が人魚なんだわ」
「え、それは凄い!でもそれって、ちゃんと申請すれば国が保護を……」
「保護をしてもらったら、コイツはここで暮らせなくなる」
「そ、そうですね……」
国は、人魚や人魚の血を引く者を保護対象としている。しかし保護対象となった場合は、保護地区という場所で決められた生活しかできなくなる。同時に監視と実験の対象になってしまう。
人魚が全滅してしまった原因は、これもあった。保護されることを拒否した人魚たちは、次々病にかかって死んだ。その中の少しばかりが、人間と交配し、陸でも暮らせる子孫を残したという。
人間と人魚では、人間の遺伝子の方が強いらしく、人魚として生まれる子どもはほとんどいなかった。しかし稀に、先祖返りをする子や、鱗を持って生まれてくる子、大人になって急に人魚の特徴が出てくる者もいる。
「すごく、綺麗……」
「見た目は綺麗だけどな。乾燥すると割れて、出血する。まだ足だけだからいいけどな、過去には全身に広がって死んだ者もいる」
「奥様は、今、足だけですか?」
クイードは妻の足をメインに見せた。足の裏まで鱗が広がっており、海藻の軟膏でなんとか潤いを保っているらしい。しかし1日に何度も薬を塗り直さねば、保湿が保てない。一度乾いてしまうと、まるで硝子のように鱗は割れてしまうらしい。
「今はどんな薬を塗っているんですか?」
「これを」
妻が持ってきた薬は、海藻の潤いと保湿時間の長さから作られたものだ。民間療法に近いものだが、もとは人魚がこれを使っていたらしく、妻の足には合っていると言えた。
「悪い薬ではないですね。でも、根本的な治療にはなっていない……」
「ああ。鱗状の肌にならない薬があるらしいが、それを作れる人魚はもういない。国に頼めば、国花選定師が作ってくれる可能性あるが、そうすれば……」
人魚の末裔として、妻は連れていかれてしまう。クイードはそれを防ぎたいのだ。妻とは最後まで連れ添う、と決めている。
「その薬の配合を教えていただいていいですか?」
「ああ。おい、この人を部屋へ」
「分かりました。こちらへ、どうぞ。昔の本がたくさんあるんです」
メインは妻に連れられた、奥の部屋へ消えた。
男たちは残されたが、レンカは静かに彼女を待つつもりであるが、アシュランはそうはいかない。こんな時間がとにかく嫌いだ。
「今日の海は荒れるだろうな」
窓から外を見て、クイードは言う。レンカが彼のことを見た。
「分かるのか?」
「ああ。雲の動きや風の温かさ、荒れる前はこんな感じだな」
「そうなのか……俺の国には、海がなかったからな」
「砂漠の国か?」
「あ、ああ……知っているのか?」
「少しな。アンタの見た目は砂漠の国では珍しいが、血が混じればよくあることさ」
そう言われて、レンカはこれが外の世界なのか、と思う。あの国に居続けたらな、こんな気持ちにはなれなかった。きっとクイードの妻には人魚の血が混じっているからだろう。それを目の前にしているから、彼は血が混じり、様々な子が生まれても気にないのだ。
「オッサン、あの雲は荒れるだろ」
アシュランの言葉を聞いて、クイードは顔を上げた。まさか、と思って窓に近づくと遠くに暗い雲がある。いつもとは違う、荒れる雲。この雲が分かる人間はそう多くはない。自然の中で生きてきたか、とても勘の鋭い奴か。さすがは国花選定師の護衛だな、とクイードは感心する。
「あの雲ならば酷い雨だろうな」
「なんだよ、オッサン雨が嫌いなのかよ」
「オッサンではない。レンカ様と呼べ」
「うるせぇな」
「雨は嫌いだ。雨季は国を脅かすからな」
レンカは雨季によって自分の国が大きな被害を受けてきたことを、よく覚えていた。その度に姉が植物を育てる為に、寝ずの番をして、それでも大雨がすべてを流してしまう。それが雨であり、それはレンカにとって愛すべきものではない。
「恵の雨っつーんじゃねぇの?」
「大雨は確かに恵を運ぶこともあるが、多くを奪うものでもある。お前はあまり雨の被害を受けたことがないのだな」
「んー、まあ土砂崩れに埋まったことはあるけどな。ガキの時」
「それならどうして、被害が分からん?馬鹿め」
「うるせぇな。仕方ねぇだろ、自然なんだからよ!」
自然。アシュランはそう言って、また窓の外を眺めた。遠くにある雨雲は明らかにこちらに近づいてきており、そのうち大きな風が来るだろう。
親がいなかったアシュランは、それこそ自然の中で生きるしかなかった。どうにか自分の命をつなぎ、幼いながらに日々を食つなぐしかなかったのだ。
「オッサン、どちらにせよ、俺らは当分ここに留まるわ」
「構わねぇよ。薬の代金にしちゃ安すぎるくらいだ。海の花も回収できるように船を手配する」
船の調達をしてもらえれば助かる、とアシュランは思った。その横からレンカが出て、クイードを見る。
「あなたも来ていただけるのだろう?」
「俺は」
「あなたは航海士だ。現役ではないだろうが、それも国家直属の航海士ではないのか?」
この2人、切れ者すぎる、とクイードは思い、同時に諦めた。妻が人魚の末裔であることも話してしまったのだから、これ以上隠すことはできない。
「よく分かったな。確かに俺は、航海士だ。しかも国に所属していた」
「航海士は腕に刺青が入っている。隠しているようだが」
レンカの言う通り、クイードにはその刺青が入っていた。衣類で見えないようにしていたが、確かに胸元に紋章のようなものが入っている。
海を愛し、海の路を知る者の証。
海の国の一等航海士には、その刺青が与えられるのだ。