潮風とはこんなに痛いのか!とメインは思って瞬きをした。海風は潮を含んでいるので、目に染みる。レンカが羽織で避けようとしてくれたが、無駄だった。
「おい」
「私はオイではない。レンカだ」
「レンカ」
「レンカ様と呼べ」
「死ね、クソが」
「教養のない奴め」
「それよりもお前、高級品は隠すか捨てるかしろよ。これから先は目立つぞ」
アシュランは、レンカの衣類や持ち物が高級品であることを指摘した。その高級品は他国では目立つ。目立つそれは、一行の命を危うくさせる。メインは、そうですね、と感心したように言った。
港のある街について早々、レンカは地味で安い衣類を買い求め、着替えることになる。メインがアシュランが手伝った方がいい、と言い出すので、アシュランはレンカの買い物と着替えに立ち会った。
「なんで俺がオッサンの体を見にゃならん!」
「……お前、俺が幾つだと思っているんだ?」
「40」
「殺すぞ。俺はまだ29だ」
「……?」
「首を傾げるな。お前はまだ若いんだろうな。25くらいか」
「な、なんでわかんだよ!」
「分かるに決まっている。馬鹿にするな。俺はそれなりに多くの人間を見てきたんだ」
着やせするレンカは、アシュランが見立てたシャツが入らなかった。意外にも筋肉が厚いのだ。サイズを交換し、やっと彼は安いシャツを着用することができた。
「ちょ、じゃあ、姉ちゃん何歳なんだよ!」
「女性に年齢を聞くな。不躾者が」
「いや、お前が29だろ?それなら」
「その指、切り落とすぞ?」
アシュランが指を折って数えようとしたので、レンカは怒った。スイレンが30代であることは理解できたが、それにしては美しい女だった。神秘的な黒髪に浅黒い肌は、一度は抱いてみたい女の候補である。
「よし、着替えは済んだ。持ち物は捨てていく」
「売るなよ。売ると足がつく」
「ああ、分かった」
そう言ったところは、とても上手く取り込んでいくのがレンカだ。彼は金色の髪を軽く結った。こうすれば少しは見た目が変わるだろう、と彼自身が言うのだ。アシュランはまあそれでいいんじゃないか、と適当に返事をしたが、目の前にいるのはとても男前だ。
その顔だけでも目立ってしまう、とアシュランは思ったが、もう連れて回らねばならないのだから、仕方がないだろう。こんないい男が差別される国とは、どれだけ狂っていたのだろう、と思った。同時に、人間とはその美しさがどうではなく、自分たちの方が大事なのだ。
「行くぞ、アシュラン」
「呼び捨てすんな」
「俺の方が年上だ」
「知らねぇ」
「年上なのだから、いいだろう。お前にはレンカ様と呼ばせてやる」
「いやだ。オッサン」
「黙れ」
2人はそんなやりとりをしながら、店を出た。店を出ると、メインが待っているであろう場所を目指す。彼女は市場に売られているものが気になるから、と言って市場で売っている果物や野菜を見たいのだという。
市場へ行くと、メインの姿は見えなかった。どこに行ったのか、と思ってアシュランが思うと海の方から彼女の気配を感じた。どうしてわかるのか、と自分で思うと、花の香りがした。海から花の香り?
「あっち行くぞ」
「海の方か?」
「ああ。あっちから、花の匂いがする」
アシュランの言葉を聞いて、レンカは姉が言っていた言葉を思い出した。姉もよく【花の香り】を頼りに行動することが多かった。奴隷の契約を結んだことにより、アシュランにはメインの能力の一部が譲渡されているのだろう。
それだけ強力な奴隷の契約、とレンカには分かったが、きっとアシュランには分かっていない。この男は無知ではないが、経験がないことは分からない人間だ。体感や体験がないと、駄目なのだ。
「花の匂いがするのか」
「ん、まあな。たまに」
「そうか」
「あんだよ」
「いや。メイン様を見つけたら、食事にしよう。腹が減った」
「あー、それは俺も同意するわ。腹減ったよなぁ」
この世界は、魔力の高い者は一般人よりも腹が減る。魔力が高いというのは、魔力を使っているというわけではなく、ただ生きているだけで体の中を魔力が循環しており、その循環があるだけで体力を消耗するのだ。
食べるということで、その魔力は回復ができる、とは限らないのだが、とにかく腹は減る。減るものは減るので、彼らはとにかく食事量が多い。
「向こうの方だな」
「港だ」
レンカは港を久しぶりに見た。遠い昔に遠征で、少しだけ見たのを思い出す。大きな船、潮の匂い、行きかう人間たち。
「あ。ヤバだろ、あれ」
「どうし……!?メイン様!!!」
メインは屈強な男性たちに囲まれていた。男たちは、屈強な海の男ばかりだ。髪を刈り上げている者もいれば、丸太のように太い腕をした者もいる。こんな男たちに囲まれて、メインが危険ではないか、とレンカが間に入る。
「メイン様!!」
「あ、レンカさん」
「このお方は、俺の連れだ。何用だ!?」
「レンカさん、落ち着いて」
穏やかにしているのは、メインばかり。レンカは彼女を背中に隠し、周囲に敵意を向けていた。
「元気な兄ちゃんだなぁ」
男たちの中の1人が言う。落ち着いた低い声、腕には刺青を入れた、しっかりとした目の男。男と言っても、アシュランやレンカよりもだいぶ年上だと感じた。
「嬢ちゃんは、船の交渉をしてただけだぜ」
「船、もう出立するつもりですか、メイン様?」
「はい!」
少し安心して、レンカは態度を緩める。男性がレンカを見つめ、ニヤニヤしている。
「兄ちゃん、魔眼持ちだな。それも立派なもんだ。赤目の金髪といやあ、ここいらだけじゃなく、どこの国でも優秀な魔眼と聞くぜ」
「お、俺は……」
「まあ、海で魔眼はそんなに使わねぇけどな!」
笑う男は豪快で、とても清々しかった。悪い男ではない、と感じさせられる態度に、レンカは安心していく。
「詳しい話しは俺が聞く。俺の名はクイード。俺の持ってる店があるからな、こっちに来な!」
クイードと名乗った男性は、快く一行を店に連れて行ってくれた。
店までの距離は大して遠くもなく、港から近いので人も多く来るのではないか、と思う。店の中には妻と息子がいる。息子はクイードを若くしたかのように爽快な青年だった。
店で食事をもらいながら、メインは何を探しているのかを丁寧に説明する。そのすべての説明を聞き、クイードはため息をついた。
「ふむ、海の花か」
「海の民なら、花がどの海域に来るか知っているのではないですか!?」
「海の民は、俺らでもなかなか会ってもらえない相手だからな。嬢ちゃん、国花選定師だろ?」
「……分かりますか?」
「まあ海の花を欲しがる商人は多いが、アンタみたいに熱心で詳しい者はいない。国花選定師の依頼とありゃ、こちとら簡単には断れねぇもんなぁ」
2人が話をしている隣で、アシュランとレンカはしっかりと食事をしていた。おかわりまでしている2人を見て、クイードは笑っている。魔眼のことを知っていたところから、彼らの体質のことも彼は分かっているのだろう。
「海の民は、なかなか姿を現さない。だいぶ昔になるがなぁ、海の民を騙して、海の花を盗むだけじゃなく、色々と問題を起こしたヤツがいてな。それ以来、滅多に会えんぞ」
「元々警戒心の高い方々だと聞いています。会えるだけでも奇跡だと」
「そうだな……しかしさすがに海の民がいないと、海の花はすぐには手に入らん。偶然に見つけても、回収できない海域に飲まれることになる」
「うーん、困りましたねぇ」
「嬢ちゃん、薬ってのはすぐに作れるモンかい?」
急にクイードに尋ねられ、メインはそうですねぇ、と返事をする。国花選定師の作る薬は高値で売れるだけでなく、その効力は最大級だ。手に入れるだけで寿命が延びる、など妙な噂まで出るほどだ。
「1つ、薬を作って欲しいんだが、俺の条件を聞いてみないかい?」
クイードはここにきて少しだけ不穏な笑顔を浮かべていた。