舞い上がる砂は、アシュランの口の中に入って気分が悪くなる。レンカは子どものように真顔で殴ってくるし、コイツ馬鹿じゃねぇのか?としか思えない。最初はスイレンとメインが止めようとしたが、あまりにもレンカが真顔だったので危険だと判断して諦めている。
諦めるんじゃねえよ、ブス!と言おうとしたら、鼻を殴られて鼻血を噴いた。アシュランももう我慢がならない。レンカの綺麗な横に真っすぐ拳を入れた。
コイツ、剣だけじゃなくて腕も立つ、と思った時にはもう遅い。お互いボコボコに殴り合って、やっとお互いが膝をついた時、レンカの顔は腫れていた。アシュランの顔は鼻血だらけだ。
「アシュランさん、まだですか?」
「うるせぇ、ブス!」
「いや、今は自分の顔を鏡で見た方がいいと思います」
メインはこの殴り合いの先に何があるのか、少しだけ分かったような気がした。お互いの気持ちが晴れて、最終的に結果が出そうな気がするのだ。
スイレンは怯えていたが、弟が殴られる度に見ていられなくて、目を瞑る。殺せなかったというのは、事実だろう。こんなに綺麗な人に、弟殺しの業を背負わせても平気な王とは、何なのか。国による思想の違い、国家の仕組みや成り立ちの違いなのか。
「じゃあもう、死んだっつーことで、お前もついてこいよ!」
我慢が終われば、新しい道が開ける。メインはアシュランのその言葉を聞いて、そうだな、と思う。本来ならな複数人の護衛を雇って旅立つはずだったのだ。それなのに、自分がスリにあってしまったから。
「黙れ!貴様と同じと思うなよ!」
「あんまりかわんねーよ!!説明できねーけどな!!」
似た者同士だ、とここにいる全員が分かっていた。しかしそれを認めれば、レンカはこの国にいられなくなる。大事な姉も、育った国も失うことになる。
「逃亡じゃなく、ここで死んだことにしましょう、レンカ……」
「姉さん……!しかし、それではいつか花の状態で王に全てが露見してしまうのでは」
「それは大丈夫ですよ、レンカさんとアシュランさんの血液を与えておけば、花はそれなりに育ちます!」
メインはそんなことを言い、アシュランはうげぇ、と舌を出した。しかし彼女は気にしない。
「スイレンさん、死体をここに運ぶ度に、整えていたみたいですから!むしろ、レンカさんを花に与えたら、魔力が増えすぎて花は枯れてしまいます」
「そ、そうでしょうか、メイン様……」
「はい。元は水分だけで育っていた花です。偶然にも死体の養分で花を大きくしましたが、それは偶然の産物。元々は特に魔力を必須とする植物ではありませんから!」
その小さな体に、膨大な知識。メインが国で大事にされる理由はそこだ。スイレンは、自分がまだまだ未熟な国花選定師であることに気づかされる。同時に、彼女を持つ国の恐ろしさを感じた。彼女がいれば、薬や魔術の流通が大きく変わるだろう。そうなれば、民は……と考えて、口にするのは控えた。あまりにも恐ろしすぎたからだ。
「アシュランさんは、ちょうど鼻血も出ていますし!」
「うるせぇ!」
「それに、私もレンカさんが旅に同行してくださるなら、心強いです!」
つまり、メインはこの旅にレンカの同行を許すというのだ。つまりそれは、最悪の場合反逆者をかくまうことになる可能性がある。しかし、メインはその危険を理解しているのだろうか。
レンカは、この国から自由になって、メインと共に旅に出ることができたらな、どれだけ嬉しいか、と思う。彼女のように心根の優しい女性と、昼夜を問わず共に過ごせるのだ。むしろ、男としての威厳を保てるか不安になってしまうくらいに、嬉しい。
「ニヤニヤすんなよ、ムッツリスケベが!」
「なんだと!!」
2人はまるで兄弟のように取っ組み合いばかりだ。舞い上がった砂を払いながら、メインはスイレンを見る。
「スイレンさんはどうします?」
「え?」
「スイレンさんも、一緒に行きますか、旅に」
「わ、私ですか!?」
まさか自分が誘われると思っていなかったスイレンは、目を丸くして驚いた。驚くのも当たり前である。彼女もこの国から一歩も外に出たことがない、国に飼われた国花選定師なのだから。
幼き日から、弟とともにこの国に囚われてきた。外の国など知らなくていい、知ることなど何もない、そう育てられ、命令されてきたのだ。だから、彼女はこの国を出れる機会を得て、とても嬉しくなる。しかし。
「いいえ、メイン様」
「どうしました?」
「弟だけ、連れて行ってください……」
「スイレンさん……」
「私は残り、レンカが死んだと王に申し上げます。そうすれば、少しはあの子が遠くへ行くことができるでしょう」
自分の人生は恵まれている、と思わねばならない。レンカのようにこの国では滅多にない容姿に生まれなかったことを感謝し、生きるだけ。全ての災はすべて、あの弟が背負ってくれたと思わねば。
ならば、最後に弟の為にできることは。スイレンは、弟を自由にすることだ。たとえそれが、遠い将来に反逆であると言われても。弟が他所の国に根を下ろしたとしても。
「レンカ、あなたはここで死んだ。姉さんが貴方を殺したの」
「ね……」
「私はこの国の国花選定師です。その職務を全うし、人生を捧げます」
砂漠の砂は、涙さえ奪い去る。朝日の中で微笑む姉は、その両目からたくさん涙をこぼし続けながら、弟の幸せを願った。
こうして、レンカはメインの旅に同行することが決まった。必要なものを握り、雇っていた婆のことは姉に任せて屋敷を出る。その前に、と思ってレンカは中庭にある池の水門を全開にした。
魚たちはもともと自由に出入りができていたが、全開にすればさらに自由に行き来ができる。この美しい池の中で一生を終える必要はない。
気に入りの馬を連れ、アシュランにも馬を与えた。メインは馬に乗れないという。アシュランが嫌な顔をしたので、レンカが気にせず自分の前に乗せた。
「おい、変態」
「聞こえん」
「聞こえてんじゃねーかよ、変態」
「聞こえん」
「芋娘乗せてそんなに嬉しいんかよ、変態」
アシュランは、メインを乗せるのは嫌がったくせに、レンカが実際に乗せるとそれも嫌がった。チクチクとレンカに文句を言っては、変態だの言ってくる。最初こそ相手にしていたレンカだったが、だんだん面倒になってきた。
「メイン様、お疲れではありませんか?」
「大丈夫です、平気ですよ!」
「それはよかった。ですが、本当によかったのですか、私を連れて……」
「全然平気です!」
その花のような笑顔は、レンカが愛しいと感じてしまうような笑顔だ。しかしそれを横から見て、アシュランは面白くない。
馬に乗せられた途端、メインは真っすぐ進む。今までは短距離でもすぐ植物を見つけては寄り道をしていたというのに、なんて女だ。アシュランはそう思って、面白くない。
「次はどの国を目指しておられますか?」
「国と言いますか、海の民のところへ行きます!」
「海の民……では、海の花を探しに?」
「そうです!」
レンカは国花選定師の弟だ。だから多少は知識がある。海の花は古代から薬になると言われて、高値で取引されている。花は時期が来ると海に浮かんでいるものを収穫するのだが『自生している島』へ行くことはできないとされている。
「ですが、海の花の島には行けないのでは?」
「そうなんですよねぇ~、でも行ってみたいと思っています!神様が咲かせた花だなんて、素敵だと思いませんか!」
「確かにそうですね。子どもなら誰もが知る伝説の花です」
子どもなら。そうレンカが言うのがアシュランの耳に入る。しかしアシュランはそんな話を聞いたことはなかった。つまり、少なくともレンカは幼い時に愛されて、大切にされたことがあるのだ。
大切にされない子には、寝物語すら聞かせてもらえないのだから。