「もうその辺にしときなよ、アンタら。お嬢ちゃんは国花選定師さんだよ。手ぇ出したら国家反逆罪だろ」
「え、マジか!そりゃヤベェな」
店主が助け舟を出してくれた。男の手が離れていく。
彼女がホッと安堵した瞬間、その男の体がグラリと揺れて倒れた。何があった?と彼女が思った瞬間、男の向こうから剣を持った存在が現れたのだ。
「え?え、え?なに?」
倒れた男は斬られていた。殺されている。死んでいるのだ。こんなことがここで起きるなんて、メインは想像もしていなかった。
「お嬢ちゃん、こっちに来い!」
店主に呼ばれて彼女はカウンターの裏に隠された。汚い床の上に座り込み、怯えてガタガタ震える。何が起きているのか全く理解できなかった。店主は少し頭を出して向こうの様子を確認している。
「ったく、うちの店で暴れるな!」
顔を歪めて叫んだ店主の方へ酒瓶やナイフが飛んできた。間一髪で避けた店主は大きなため息だ。こんなことが今までもあったのか慣れている様子も感じられた。しかしメインは大違いである。
こんなことになるなんて……!
後悔の嵐が頭からつま先まで、駆け抜けている。どうしてこんなことになった。どうして、を繰り返しながら、メインは答えも出せなければ、行動も起こせない。
「お嬢ちゃん、国花選定師なんだろ?魔術かなんか使えないのかい?」
「うう、私は植物とかそれに関連することにしか使えないんです~!!」
「はぁぁ、そうかい、聞いた俺が悪かったよ!」
すでに半分泣いているメインと、荒らされる店を見て嘆く店主。傭兵たちが何人か戦っている様子だが詳しいことはメインから見ることはできなかった。少し状況が落ち着いたのか、店主が彼女の肩を叩いた。
「アンタになんかあったら、王サマに顔向けできねぇからな。アンタは逃げな!あっちが裏口に繋がってる廊下だよ」
「で、でも、店主さんは!」
「俺は店が可愛いからなぁ。見捨ててはいけねぇよ」
メインは頷き、走ろうとした。でも、滅多に走ったことのない娘が、急に走れるはずもなく、転がっている空き瓶を踏んでバランスを崩した。それは、それは、見事に彼女は転んでいた。空き瓶を踏むだけでも珍しいことなのに、バランスを崩して、そのまま人にぶつかるなんて有り得るだろうか。
彼女は、目の前にやってきた男性に突っ込み、顔面をぶつけてしまう。
「ってぇな」
「ひぃ、ひぇッ」
「あー、ブスはどっか行ってろ」
バランスを崩したメインを支えてくれたのは、血だらけの男だった。髪の正面は紫なのに、後ろ毛は黒、瞳は深い藍色の男だ。異国の血が流れていることは、すぐに分かる。異国を知らないメインでも、この系統は国外からきていることを知っていた。
その男は、とても大きくて、彼女からすれば巨人のような男だ。鍛えられた筋肉と、もとから身長も高くて、大きい。国の兵士とはまた違う筋肉の付き方で、それが『傭兵』なのだと彼女は知る。
(今まで見た、人と、違う……?)
メインは傭兵にも様々な者がいるのを、知らないのだ。国外から流れてきた者もいれば、国内のみで動くものもいる。国外から流れてきた者は、各地を転々として、金が稼げると他所へ行くというのが流れだ。
何かトラブルでもあれば、すぐにその場を去っていく。噂が回った頃には、すでにそこに存在しない、というのが当たり前。目の前の男もそういう流れの男であろうが、メインにはまったく分からなかった。
男は飛んできたナイフに気づき、メインを押しのける。ナイフは彼の背中に次々と突き刺さった。飛び散る血がメインの視界に入った。ヒィ!と悲鳴が漏れて、自分が刺されたわけでもないのに、血の気が引いた。この人このまま死んじゃうんじゃないか…そうとしか思えない。
そんなことを考えていると、男はナイフを引き抜く。血が飛び散って、メインは頭がグラグラした。なんてことだ。なんてところに、自分は来てしまったんだろうか!メインはそんなことばかりを考えて、逃げることをすっかり忘れてしまっている。
「クソがッ!!」
男はナイフの飛んできた方へ走っていき、数名の男を殴って倒した。背中から抜き取ったナイフを使って、相手を倒していく。店の中はもう滅茶苦茶だ。テーブルはひっくり返り、酒瓶は割れて、グラスも飛んでいく。マスターはガッカリしているが、被害を受けないように上手に場所を移動していた。
全てが静かになった時、男は出血多量で立っていることが不思議なくらいの状態だ。血だまりが足元にできている。
「あー、今回はひでぇな。こりゃ」
「アシュランちゃん、大丈夫かい」
「駄目だわ、マスター。ごめん、迷惑かけんな」
「いーってことよ。お前ならちゃんと弔ってやるよ」
店主の腕の中に男は倒れていく。弔い、と聞いてメインは彼が瀕死の重傷なのだと思う。自分を助けてくれた人だ。少しくらい恩返ししても罰は当たらないんじゃないか、でもブスって言われたしな、と頭の中が整理できない。しかし、このままでは彼は死んでしまうのはないか、とメインは思う。
荷物の中から薬草の入ったポーチを出す。止血できるものはあるが間に合わない。解熱剤も今は意味がないだろう。痛み止めも同じだ。助けられない、と思った時メインは床に転がっている契約書に目がいった。
「こ、この人と……契約します」
「はぁ?お嬢ちゃん何言ってるか……そうかい、その手があったか!」
店主は彼女が握る契約書を見て思った。この国の王は魔術が得意だ。だからこそ、ただの契約書を彼女に持たせたわけではない。彼女の身の保障、安心を担保する魔術を施した契約書なのだ。そのあたりにある手書きの契約書とも違う。安い魔術師が作った契約書とも全くの別物だ。
「噂では聞いたことがあるけどな、主と魂の契約をさせるってやつだろ」
「そ、そう聞いてます」
「命は助かるだろうが……」
「いいんです!そうしなきゃ、この人死んじゃうでしょ!?」
少し呆れたような顔を店主はした。先ほどまでカウンターの向こう側でガタガタ震えていたのに、人が死ぬかもしれないと分かると度胸が出てくる娘。国花選定師がこんなことをする必要はないはずだ。王城で大切にされていればいいだけの話。しかし彼女はその道を選ばなかった。
血だらけで倒れている男の胸に契約書を広げ、彼女は言葉を唱える。契約書が一人でに開き、男の胸の上で魔方陣を浮かばせながら輝いた。
「我、ここに居る者との契約を欲する。契約期間は一年。それまでの期間、主の魂は契約者に、契約者の魂は主に」
契約書に名前が浮かび上がった。直筆などしなくても魂に刻まれた名前がそこには出てくるのだ。血と同じ赤い文字を見て、彼女は確かめる。ここで間違えがないことを確認して頷いた。彼女の額から汗が一筋流れて落ちていく。
「我が名はメイン。国花選定師。これよりこの者と契約を開始する」
契約書は男の体内へ消えていった。次第に傷口が閉じ、彼の顔色が戻っていく。それを見て店主は国王の魔術が凄いこと、それを扱える彼女が本当に国花選定師であることを感じ取った。
「これで契約完了かい?」
「は、はい。店主さん、おせわ……に……」
「あ、お嬢ちゃん!?」
契約の効果は早速現れたようであった。アシュランの傷は塞がったが大量の出血は回復できていない。その負荷が彼女にも回ってきたのだ。魂の契約とはそういうことになる。彼女は遠のく意識の中でこういうことか、と理解した。早まった、もう少し何か準備しておけば、と頭の中ではグルグル考えが回っていくがそれ以上のものは出てこない。
視界が真っ暗になり、彼女はそのまま床に倒れ込んだ。
「こいつはどうせ死なないからな。仕方ないお嬢ちゃんから先に寝かせるか」
年頃の娘がこんなオッサンしかいないところで意識を失うなど、実際は命取りだ。何をされてもいいくらいの覚悟がなければいけない。しかし店主はほんの少し自分を助けてくれた、名前も知らなかった傭兵の為に命を張った彼女に敬意を払う。
「アンタが作ってくれた薬があったから、女房は言われたよりも長く生きたんだよ」
抱き上げた娘の重さを感じながら二階の部屋に上がる。ドアを開ければ、そこには古びたネックレスがベッドの横に置いてあった。
「感謝しなきゃな、この若い国花選定師さんに……」