王から資金など必要な物を受け取り、まずは傭兵探しからだ。
信用の置ける傭兵は街の一角に集会所を作っているのでそこへ行けば早い。
王からもらった資金を数えれば数人は頼めそうだった。女性の傭兵もいると聞くので、女性もいて欲しいな、と思う。さすがに長旅になるので男ばかりでは心配なのである。
集会所へ向かっている途中、メインは荷物は何が必要なんだろう、と思った。彼女はこの国を出たことがないからだ。旅行の経験もなければ、長時間の外出もない。それだけ彼女はこの国で大事にされてきた。
右手には資金、左手には傭兵と交わす為の契約書を、しっかり握って歩く。契約書は魔術がかかっているので特殊なものだ。この契約書を使って契約をすれば、契約期間中に雇った人間から雇い主が殺されることはない。
そういう特殊で重大な魔法が刻まれていると、メインはあまり分かっていないようでもある。実のところ、彼女は魔術の難しいことは知らなかった。簡単なものならば少しは分かるが、多くは分からない。だから、国王からもらったその契約書の重大さが分かってはいないのだ。
花については誰よりもよく分かっているが、それ以外のことは無頓着、と言うのがメインの悪いところだった。
メインは、国外へ出られるので、嬉しくて足取りが軽い。だがその時。ドン、と後ろから押された。子供がごめんなさーい、と言って走っていく。
「もー!!危ないぞー!!」
子供は可愛いものだ、と思う。その時自分の手が軽いことに気づいた。右手が軽すぎる。おかしい。
「え……?ない?」
完全にスリにあっていた。さっきの子供はきっと囮だったのだろう。子供は何も握っていなかったが自分も何も握っていない。気づかないうちに盗まれたのだ。
困り果てたメインは、しばらく周囲を探し回ったがついに金は見つからなかった。絶望したメインだったが、これをこのまま王と―――あの恐い父に報告することができない。国のお金、民が一生懸命働いてくれたお金を失くしたのだ。自分でどうにかしなければ、と困り果てる。
集会所へ行ってみたがやはり傭兵は雇えなかった。彼女の持っている資金では無理だ、と言う話である。自己資金だけでは少なすぎるのだ。この前隣の国から珍しい植物を買わなければよかったな、と後悔する。
そんな彼女を見かねて横にいた冒険者風の男が話しかけてきた。ここに集まる者は正規で雇われることを前提にしているので、割といい人間が多いのだ。褐色の肌に禿げ坊主の男は、打ちひしがれるメインに説明してくれた。
「姉チャン、ダメ元かもしれねぇが裏路地の酒場へ行ってみなよ。そこでなら一人くらいは雇えるかもしれねぇぜ?」
「ひ、一人…」
「でも裏路地の酒場に集まるのは武闘派の傭兵ばっかりだ。一人でも雇えれば俺等と変わらねぇと思うヨ」
「そ、そうなんですか!?」
「ああ、でも気をつけ……って人の話も碌に聞かずに行っちまった」
一人でも雇えるなら、そう思ってメインは裏路地を目指す。それがどれだけ危険なことなのか想像もせずにとにかく急いだ。このまま失態を繰り返して国外へ出ることが許されなくなれば、自分は一生あの庭園の中で終わるかもしれない。
父は女の子なのだから、と言ってそれでもいいと思っているようだった。
しかし彼女は違う。
外の世界を見たい。
外に何があって。
どんな植物があって。
どんな環境になっているのか。
知りたいのだ。
世界を知りたい、その気持ちは幼い日からの彼女が抱く強い思い。彼女はまるで美しい庭園に種が飛んできた、タンポポのような娘だった。
◇◇◇
初めて来た裏路地。しかし彼女は瞬時に来たことを後悔した。馬鹿だった。あんな言葉を信じてくることが、大馬鹿だったのだ。
目の前には汚い看板の酒場。入る前から危険に満ち満ちた様子が見える。こんなところで雇った傭兵が真面目に自分を守ってくれるだろうか?そんな疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消え、最終的に消えなくなった。
こわい。
こんなところに女1人で入るなんて、恐いこと以外のなんでもないのだ。
しかし、これから旅立とうとする自分が、何を恐がっているのか。彼女は悪い意味でも前向きだった。危険を顧みず突き進む、いや突き進んでしまうような危うさも持っている。どちらにせよこれから危険な旅路に出るのだ、最初の一歩から危険でもいいだろう、と自分を納得させて彼女は前に進む。
汚いベトベトしたドアを開き、中に入る。中では昼間だというのに何人もの男が酒を飲み、大声で笑っていた。汚いし、臭い。男しかいない。むしろ男というよりオッサンか。汚い丸テーブルを囲み、巨体を小さな椅子に乗せて酒を浴びるほど飲んでいた。
彼女は震える足で彼らの横を抜けカウンターまで行った。
そこには店主がグラスを汚い布巾で拭き上げている。
メインを見て珍しいものを見たような目をした。
彼女のような女が来る店ではないのだから当たり前だろう。
突っ立って何も言わないメインを見て、店主はついに声をかけてきた。
「注文は」
「あの、よ、傭兵をや、や、やとい、雇いたくて!」
「そんなの置いてないよ」
「え、嘘!?」
「ここには勝手に集まってくるだけさ。自分で交渉しな」
自分で交渉するのか!?と思うと彼女はひっくり返りそうだった。こんなところに集まる彼らに自分から声をかけ、交渉し、契約し、旅立つというのか。
そんなことができるのか?彼女の頭の中は真っ白だった。
どうしよう、と困っていると後ろから声をかけられる。先ほど横を抜けてきた男たちだ。すでに酒がいい感じに回っている酔っ払いである。
「姉ちゃん、傭兵を探してるのかぁ」
「なんだよ、俺らがしてやるって」
「そうそう!夜のお相手もなぁ!」
下品なことを言って笑う声が響いた。やっぱり駄目だ、こんな人間相手に交渉できるはずがない。こんな奴らと国を出て他国を回るなんて、危険すぎる。
「い、いえ、やっぱり、その」
「気にすんなって。金が足りない分は姉ちゃんが体で払えばいいことだしよ」
「金がない奴は男でも女でもそうするモンなんだぜぇ」
「う、うそ……」
酒臭い息が鼻を突く。おかしくなりそうだ、とメインは思った。震える手と足で早く戻らねば、と思う。早く戻って、早く王様と父に謝ろう。正直に話して、正直に謝罪するのだ。お金を失くしてしまった、ごめんなさい、と。それだけでこんな恐い思いをしなくて済むのだ。男の手が彼女の手にかかる。毛深くて男臭い手が顔の横にあった。ひっくり返りそうなくらい驚いた。
「冴えない顔してるけど、まあ若いからいいだろよ」
「いえ、その、け、けっこうれひゅ…」
噛んでしまった、と思った時に男を見上げる。噛むつもりなんてなかったが、恐くて恐くて噛むのが当然のようになってしまったのだった。
こんな下品な奴ら、王城には一切いなかった。みんな紳士だったし、兵士だってこんなに汚くて酒浸りじゃない。ドラゴンを退治したという勇者様には一目だけ会ったが、金髪の素敵なイケメンだった。そして何よりも紳士だし、紳士だし……。メインの頭の中は、そんな言葉ばかりが繰り返される。
彼女は今まで王城の中で大事に育てられてきた。特に先代の国花選定師である母が死んでからは、とにかく大事にされてきたのだ。国花選定師のいない国は滅ぶ―――そんな言い伝えもあるくらいに、この仕事は名誉あることであると同時に、重要な存在なのである。
しかし王や彼女の父は、少し甘やかしすぎたかもしれない。メインは外の世界に、夢見る少女のまま大人になった。淑女としてのたしなみも大して学ばず、いつも草花に紛れ、靴や手に泥をつけて生活してきた。決して安い給料をもらっていたわけではない。むしろその辺の兵士よりも、ずっといい賃金が支払われていたはずだ。
それなのに。
「け、け、けっこうれひゅからッ…!」
こんな旅のスタートで本当に大丈夫なのか?メインは自分で旅の雲行きが怪しいことに、やっと気づけたかもしれなかった。