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第53話 護衛





 海での休暇の1日もあっという間に終わって、夏が終わりに差し掛かってきた頃のこと。毎度の如く岬に呼ばれた杏樹は、エンジンの音を鳴らしながら警視庁へと向かっていた。

 今回は、何やら重要な案件らしく。遅刻とかも控えてほしいんだとか。というわけで、いつも遅刻をするのが定番化している杏樹は、余裕を持って10分前に家を出ていた。


「……ォ、居る居る。みンな元気してた〜?」


 いつもの部屋のいつもの扉を開くと、そこには既に岬と夏怜が座っていた。

 あの海の日以降、直接顔を合わせることが少なかった3人。特に杏樹と夏怜なんかは、正義執行人の仕事を一緒にする日がこれまでなかったから、かなり久しぶりの再会である。


「久しぶり〜、元気してたよっ! 杏樹は?」


「あたしはまァぼちぼちだッたかナ」


 夏怜と会話を交わしつつ、杏樹は彼女の隣へと座る。対面に座っている岬の顔は、いつになく険しめの表情。きっと、文でも言っていたとおり、今回は本当に重めの事件でも起きたのだろう。

 これまで自身が解決してきた事件を思い返しながら、杏樹は次に起きた事件を予想する。去年の今頃は……たしか、バスジャックの事件を解決したっけ。それから、櫻葉を殺したり、レナを捕まえようとしたり……。あのバスジャックを解決してからは、とても濃密な1年間を送っていた。


「……さて、早速だが本題に移ろうか」


 杏樹が席に座れば、岬は閉ざしていた口をとても重そうに開いた。

 これまで起きた大きな事件といえば、規模的に考えて2つ。1つは、「RAT」が起こした、黒死病を国にばらまこうとした事件。もう1つは言わずもがな、紅月が起こした国会議事堂爆破事件。それほどまでに大きな事件が、今岬の口から語られるのかと思うと、早くも杏樹は面倒くさそうな表情を浮かべてしまう。


「2人は、ウリフって国を知ってるか?」


 岬が最初に口にしたのは、事件の概要ではなく……ある1つの問いかけだった。

 ウリフ。正式名称、ウリフ共和国。それは、西ヨーロッパに位置している国だ。日本との関係はかなり良く、ニュースでも観光サイトでも最近はよく聞くような国となってきている。公用語は英語とフランス語。ウリフ独自の言語はないらしい。


「詳しいコトは知らないケド……名前くらいなら」


「ボクもまあ、名前は聞いたことあるけど……って感じかな?」


 てっきり、事件の概要について説明されると思い込んでいた杏樹と夏怜。結論からはっきり言う岬が、まさか最初に質問をしてくるなんて、2人共思っていなかったから。杏樹は不思議そうな顔を浮かべているし、夏怜に関してはぽかんと口が開いてしまっている。


「……実はな。そのウリフのお偉いさんが、日本に『護衛の人間がほしい』と要請してきたらしい」


 岬は、イマイチ納得がいってないというか、詳細が完全に分かりきっていないといった顔で2人にそう告げた。空いた口が塞がってない夏怜の横で、杏樹はそう来たかと思考を浮かべる。

 護衛。起こった事件を解決するのではなく、起こりそうな事件を未然に防ぐこと。まだ正義執行人になって1年も経ってない夏怜は勿論のこと、杏樹もしたことがないような依頼の内容だ。


「詳しく言えば……世界でもトップクラスの財閥である、『ヴェルデ財閥』の子孫2人を護衛してほしいとのことだ」


 ヴェルデ財閥。ウリフという小規模な国なのにも関わらず、世界中に根を張っている財閥である。銀行、鉄道会社、不動産会社等……。ヨーロッパのそこら辺の会社は、元を辿ればヴェルデ財閥が関わってきているというケースも少なくない。

 そんなヴェルデ財閥は、ウリフ共和国の政治に深く関わっているのだとか。それをよく思わない者達が、一族の血を絶やそうと動き出してもおかしくないため、常に護衛は必要とされるのである。


「そ〜ンな大きな財閥のクセに、護衛すら雇えないワケ?」


「護衛は居るんだが、ずば抜けた能力の護衛が毎回1人は必要らしくてな。たまたま依頼された日はそいつが見つからなかったらしい」


「……へェ」


 違う国へ向かうとかと明言されてはいないが、たとえその舞台が日本だとしても面倒なのは確定している。1日中その護衛をする人物のために動き続ける上、財閥の一族の子孫なんか、嫌味ったらしくて金持ち自慢をしてきて……。杏樹は、絶対にそんな仕事は受けたくないという思いを表情に出しまくった。


「…………こんな日本とウリフの外交関係に関わるような重要案件、私の口から伝えたくはなかったよ。政府が強引に押し付けてきたからな。そう睨まないでくれ……」


 杏樹の表情から、気持ちを存分に読み取った岬。彼女の言うとおり、これは岬程度の立場の人間が頼むような事案ではない。警視総監の千弦が伝えたとしても、まだ足りないくらいだ。だって、この護衛をするかしないかによって、日本とウリフの関係が悪くなってしまうかもしれないのだから。お願いをするのは、外務大臣なんかが最適であろう。


「……夏怜ちゃんは、随分と嬉しそうというか楽しそうだな」


 杏樹の隣に座っている夏怜の表情を見た岬は、その表情に驚きつつもそう呟く。面倒そうな表情の杏樹とは正反対、夏怜はとてもワクワクしていそうな表情であった。

 岬に感情を見抜かれると、そんなに表情に出てたかな……なんて自身の頬を触る夏怜。正直な人間は、思っていることが表情に出やすいとよく言われるが……。夏怜はその典型例であろう。


「ま、まぁ! ちょっとだけ心が踊っちゃったっていうか……」


 夏怜がワクワクしている理由は、そこら辺の子供の思考と同じ。外の国とか、財閥とか、護衛とか。聞いただけでもテンションが上がってしまうような言葉を、一気に伝えられたからだ。

 勿論、その仕事が国として重要な意味を持つものであるということを理解はしている。万が一護衛に失敗したりすれば、ありとあらゆる信用がガタ落ちしてしまうということも。……それでも、子供心は留まることを知らなかった。


「……できれば、今日この場で依頼を受けるか破棄するか決めてほしい。なんせ、1週間もしたらすぐロシアに出発らしいからな……」


 護衛をするとしたら、その舞台はロシアになると岬は言った。どちらかと言えば、そこまで治安が良いというイメージはないロシア。入国制限をしているような国でもあるので、質のいい護衛が見つからなかったのもそれが理由かもしれない。

 そんな国へ行くとなれば、護衛は必須。だが、あくまで選択の権利は正義執行人2人にある。警視庁が正義執行人に「行け」と言ったなら別だが、今回ばかりは違う。建前上には警視庁という組織を挟んで、ウリフ共和国という1つの国が2人の女性に依頼をしているのだ。


「……ン〜」


「う〜〜ん…………」


 面倒なシチュエーションが思い浮かぶから反対寄りの杏樹と、秘めた好奇心で賛成寄りの夏怜。なんとも言えないような雰囲気の中、2人は自身の意見すら決めあぐねていた。


「……ちなみに」


 眉間に皺を寄せながらひたすら考えている2人を見た岬は、机の下に置いていた鞄の中を探りながら2人に声をかける。岬が鞄の中から取り出したのは、まとめられた数枚程度の資料だった。


「ヴェルデ財閥は、依頼を引き受けてくれるのであればそれなりに報酬を出すとのことだ。日本への報奨金は勿論、個人への報酬もな」


 言葉を発しつつ、対面に座っている2人に資料を見せる岬。

 ……その資料には。高額な絵画や宝石の写真が印刷されていた。ヴェルデ財閥が所持している、数々の秘宝達である。依頼を引き受け護衛に成功したならば、ここに記載されてある秘宝を授けるという意味合いの資料であろう。


「……こ、これは……! 200年前に紛失したと言われる伝説の宝石、マレンのダイヤモンドに……。廃館に取り残されて、いつの間にか誰かに盗まれたとされる名画『冬季草』……」


 目の前の資料に記されている物を見れば、それに釘付けになる夏怜。世界レベルの財閥となれば、取引が上手なのは当たり前のようで。夏怜をその気にさせるための撒き餌を、財閥自らが用意していたようだ。

 目を輝かせてる夏怜の隣で、杏樹は提示されている資料を見ながらも口を開く。


「……あたしは宝石とか興味ないシ〜、どンなに額を積まれようとムリなもンはム……」


「まぁ待て」


 杏樹が依頼を否定しようとした────、その時。岬は、この雰囲気になることを見透かしていたかのように、杏樹向けの資料を取り出して手渡しをした。

 岬に手渡された資料を、仕方なしに見る杏樹。……資料に記されていたのは……。


「その2人が、今回護衛する……」


「やります。むしろやらせてくださイ」


 資料を見た途端、意見を180度まるっきり変える杏樹。資料に記されていたのは、今回護衛をする対象である、ヴェルデ“姉妹”の2人だった。財宝も、名声も、全く要らない杏樹。そんな彼女が欲するものといえば……ただ1つ。可愛い女の子、である。











「……お〜イ、夏怜ちゃン。起きて」


「ん…………、」


 場面は、一気に飛行機の中へと移り変わる。約10時間に渡るフライトが終わりを迎えようとしている中、寝ている夏怜を起こす杏樹。モスクワ行きの飛行機は、もうすぐ目的地へと着陸するようだった。

 今回、ロシアへと向かったメンバーは……たった2人。護衛をする正義執行人の杏樹と夏怜、2人だけである。岬のような、保護者の立ち回りの人間はついてきていない。今回に限り、杏樹がその役割を担うことになっている。


「……ぉ、おわ〜〜っ!! 気づいたらロシアだ……」


 杏樹に起こされた夏怜は、窓の外をまじまじと見ながら言葉を発する。一目見ただけでわかる、日本とはどこか違う雰囲気。閑散としているような、冷たそうな空気が流れている。


「あたしも国外で仕事とか初めてだシ……新鮮だワ」


 正義執行人になってから、こういった仕事を請け負うのは初めてのこと。北は青森、西は大阪……。その他にも、色々な土地へと足を運んだことがある杏樹。そんな彼女でも、国外へ出向いてまで事件を解決するのはしたことがなかった。

 飛行機から出ていいとの許可が下りると、他の乗客達に紛れて外へと進んでいく2人。日本からロシアへ帰国してきたであろう人や、逆に観光をしに来たであろう人が沢山いる中……。異質な目的で、彼女らは空港内へと足を進めて行った。


「……す、すごいなぁ。昼に日本を出たのに、まだ夕方にもなってない……」


 空港へと進んでいく中、空の色を見て驚く夏怜。外国に初めて行った人が驚く、あるあるな事象だ。フライト時間は10時間経ち、日本では今頃夜の時間帯だが……。ロシアのモスクワ付近は、日本よりも6時間の時が遅れている。いわゆる時差というやつだ。

 この時差は、人間の体内時計を狂わせてしまうことがある。国内外を頻繁に移動するスポーツ選手等がなりやすい、時差ボケだ。夏怜は、空の色で時差ボケを目の当たりにしていた。


「なンか気持ち悪いネ〜、世界ッてすごいワ」


 スーツケースを片手に、会話をしながら飛行機を降りていく杏樹と夏怜。空港に到着すれば、まずすることは入国手続き。一般人であれば、この入国手続きを避けて入国することはできない。正義執行人の彼女らが一般人であるかは、少し複雑ではあるが……。

 無事に入国の手続きを終えると、すぐ近くの大きな時計の下へと向かう2人。どうやら、そこで2人は誰かと待ち合わせをしているようだった。


「……っと……居た居た。こんにちは、朽内さんに丹波さん」


 杏樹と夏怜を見つけては、日本語で彼女達に話しかける待ち合わせの主。岬には、「日本語が喋れる案内人が居るらしい」と聞いていたが……ここまで綺麗な日本語で話しかけられると、思わずここが日本なのかと錯覚してしまう。


「あ、こんにちはっ!」


「……どうやら英語を話す必要は無さそうだネ」


 日本語で話しかけられると、元気に挨拶をし返す夏怜に、面倒ごとが減ってよかったと安心する杏樹。

 話す日本語の流暢さに似合わず、日本人とはまた違うような容姿の彼。身長は高く、筋肉量もそれなりにあり。髪色は明るい茶で、かけている眼鏡の奥の瞳は碧色。それだけで、彼がただの日本人なんかではないということが見て取れる。


「少し遅れて申し訳ないです。今回貴女方を案内させていただく私の名前は、鷲津わしずシュレイダー勇飛ゆうひ。気軽になんとでもお呼びください」


 やはり、純日本人ではなかったようで。シュレイダーというミドルネームを持つ彼は、2人に軽い自己紹介をした。どこか厳しそうな雰囲気の鷲津だが、彼の雰囲気に気圧されることはなく口を開く夏怜と杏樹。


「鷲津さん、よろしくっ! 知ってるかもしれないけど、ボクは丹波夏怜! 呼ばれ慣れてるから、夏怜って呼んでほしいな〜」


「……シュレイダー、か。いい名前だネ、かッこいい。あたしは朽内杏樹、その呼び方のままで大丈夫」


 自己紹介をしていく流れの中で、2人は薄々気づいていた。この鷲津という男の、練り上げられた殺気に近しい気の起こりを。

 岬によれば、彼は長きに渡ってヴェルデ財閥の護衛を務めている人間らしく。日常生活でも周りでなにか異常がないかを気にしてしまう、そんな職業病を持っているのだろう。


「お褒めいただきありがとうございます。本格的な仕事は明日からですので、今日はごゆるりとホテルにてお過ごしください」


 2人に対して低姿勢で話し続ける鷲津もまた、彼女らの能力を改めて把握し直していた。

 噂には聞いていた、日本の正義執行人。てっきり、化け物みたいな体格をしている男がそれを担っていると思っていた鷲津。しかし、蓋を開けてみれば、2人の細身の女性が噂の正義執行人らしく。実際に会うまでは、ヴェルデ財閥の護衛に相応しいかが把握出来ないなと思っていたが……。

 会って話してみれば理解できる。彼女達は、本物だ。杏樹の方は、死臭そのものが染み付いており。夏怜の方も、何にも恐れずに向かえそうな空気が出ている。

 なにより、彼女達の顔。三流は緊張を隠せないまま出し、二流は緊張を欺く表情を見せる。一流はというと、緊張なんてせずに、完璧にリラックスする。彼女達は、その緩和状態が無意識にできていた。


「それでは。車までご案内を」


 彼女達ならば、信頼して護衛の仕事を任せられるであろう。鷲津は、心配なんて必要ないことを確認しつつ、2人をホテルまで案内していく。

 今日は、空気に慣れることが目的。本題は────、明日。ロシア国内を観光するヴェルデ姉妹を、しっかりと護衛しきれるか。それは、ちょうど今現地入りした正義執行人2人に委ねられるのであった。













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