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第52話 ぐっすり





 砂浜、ネットの向こう側。ビーチバレーを誘ってきた、あの中年男性の楽しそうな声が響き渡る。


「カ〜〜っ、負けちまったぁ!」


 夏怜、鈴佳、めるの複合チームと、中年男性3人組のビーチバレー対決は……。僅差で夏怜達のチームが勝利した。思ったよりも面白かった勝負を目の前で見ていた杏樹と岬は、緩く歓声を上げながら拍手をする。


「だはは、相手が悪かったなぁ」


「最近の子は強ぇのなんの……」


 酔いのせいや環境のせいにはせずに、相手を認める姿勢を見せた相手の男達。そこら辺の運動部より、遥かにスポーツマンシップがある発言だ。

 勝負がつくと、夏怜達は近くで見守っていた杏樹と岬の方へ近寄っていく。


「あ〜……想像以上に疲れたぁ……」


「お疲れ。皆頑張ってたな……」


 疲れたと口にした夏怜は勿論、鈴佳もめるもかなり疲れているようだった。そんな3人に、岬は優しく労いの言葉をかける。

 夏怜は当然の如く運動ができるし、鈴佳も九十九道場で修行を続けているし……。3人の中じゃ1番運動ができなさそうなめるも、日頃からランニング等をしてるおかげで割と動けている方だった。5人の中から誰が選ばれたとしても、きっとそれなりに試合にはなっていただろう。


「……明日筋肉痛確定、ストレッチしてから寝なきゃ……」


 試合が終わった直後でも少しだけ筋肉痛になってるのだから、次の日はかなり強い筋肉痛が確定してしまっている。明日は仕事だし、筋肉痛にはなりたくない……。めるは、杏樹の隣でその旨のことを呟いた。


「スるなら手伝ッてあげよッか?」


「ほんと? 助かる」


 そんなめるの言葉を聞いた杏樹は、下心等が一切なさそうな表情で手伝おうかと問いかける。表情を作るのが上手い杏樹のことだし、返答した相手が夏怜や鈴佳なら嘘の可能性もあっただろうが……。相手はめるだ。杏樹が嘘をついている可能性は限りなく低いであろう。

 疲れてはいるが、楽しそうに会話をしている杏樹達。そんな彼女らへ、中年男性達が近寄ってくる。


「ちくしょう、負けちまったもんはしょうがねぇな……」


「こんなおじさん達の遊びに付き合ってくれてありがとよ!」


「あそこで好きなもん買ってくれや」


 そう言って、海の家の方に体を向けている1人の男が、財布からお札を取り出そうとしたその時────。お札が見える前に、岬は男の腕を軽く掴んで動きを止めさせる。


「……金品を直接渡すと、賭博罪になるので。一旦ついてきてもらい、海の家で飲み物を買ってそれを渡す、の方がいいかと……」


 食べ物や飲み物……娯楽の品を賭けた遊びはセーフ。だが、財物を賭けた遊びは完全にアウト。立派な賭博罪だ。目の前で賭博罪が起ころうとしている状況を、岬は流石に見過ごすことができなかった。

 岬に腕を掴まれた男は、ぽかんと口を開きながらも財布を閉じる。


「お、おう。そうか、教えてくれてありがとよ。詳しいんだな……」


「一応、警察なので」


 ここが遊びの場であろうと、警察としての自覚を持ち、区別をつけて行動をする岬。後ろでそれを見ていた4人はおろか、中年男性2人も岬に感心してしまう。


「警察にもこんな別嬪さんはいるんだな〜……」


「知らねぇのか、史上初の女性警視総監……だったか? その人も中々美人だったぞ」


 注意をした岬を見て、後ろの方でポツリとそう呟き始める中年男性達。しっかりと「別嬪さん」という言葉が耳に入った岬は、少しだけ頬を赤らめながらも、海の家の方向へと体を向ける。


「さ、さぁ。早く行きましょう」


 照れながらそそくさと海の家の方向へ進んでいく岬を見て、そこに居た全員が同じ思考を浮べる。厳しそうな婦警にも、こんな可愛い一面があるんだな……と。

 先を行く岬に置いてかれぬよう、駆け足で背中を追いかける夏怜や鈴佳。マイペースに進む杏樹やめる、男達。こうして、5人は中年男性達と一緒に海の家へと向かうのであった。






 杏樹達が向かった海の家は、木造ながらも設備がかなり充実しており、多くの人が同時に入れる設計となっていた。清潔さもちゃんと保たれており、海の家としては最高峰であろう。

 ビーチバレーをした3人は、お礼として飲み物を中年男性に奢ってもらった。夏怜はソーダを、鈴佳はオレンジジュースを、めるは烏龍茶を。見ていただけとはいえ、付き合わせたのだから杏樹と岬にも奢るよと男達は言っていたが……。岬が丁重にお断りして、その話は無しとなった。


「じゃ、邪魔者になる前に俺達は行くから! 楽しんでくれよ〜」


 杏樹達がピッタリ5人分の席に着けば、そう言って去っていく男達。用が済んだら、無駄に長居せずに去っていく。それが雰囲気的に1番いい選択であることを、男達は知っていた。


「ありがとうございました〜っ!」


 去っていく男達に、陽気に手を振りながら礼を伝える夏怜。鈴佳もめるも、夏怜に合わせて軽く手を振る。それを見て、男達も手を振り返しながら海の家を出ていく。スポーツというのは、一瞬にして人を仲良くさせる効果があるようだ。

 3人が扉の方を向いて手を振っている中、岬は机に置いてあったメニュー表を先に開いて中を見ていた。


「……ほぉ、海の家にしてはメニューが豊富だな……」


 岬の言葉に釣られた3人と杏樹は、開かれているメニュー表へと視線を移す。料理屋より品数が多いなんてことはないが、それでもかなりの量の料理がメニュー表に書かれていた。

 大衆向けな料理であるカレーやラーメンは勿論、人によって好き嫌いが別れる海鮮系も安価で用意されており。大勢でつまめるようなポテトや焼き鳥等も置かれている。メニューの数々を見て、5人は何を頼むか悩んでいた。


「……私は……この、ざるうどんってやつにしよっかなぁ。冷たいのを食べたい気分」


 全員悩んでいる中で1番早くに声を出したのは、めるだった。指の先をメニュー表にピタリとつけて、これを食べるのだという意思表明をする。


「じゃあ〜……ボクはカレー!」


「……や、焼きそば。食べたことないし……」


 即決に近い早さで出されためるの言葉に釣られ、夏怜も鈴佳も素早く何を食べるか決めてしまった。他の人よりも子供らしい夏怜が、大衆向けなカレーライスを選択するのは予想ができたが……。鈴佳が好奇心で焼きそばを頼むなんてことは、誰も予想していなかったことだろう。鈴佳のこの好奇心は、夏怜から学んだものなのかもしれない。


「……杏樹、お前は?」


「あたし? そうだナァ〜……適当にパスタでいいや」


 隣に座る岬に問いかけられると、杏樹は目に映っていた適当な料理を選択する。特別好きな料理や食べ物があるわけではない杏樹。そんな彼女が何を選ぶかなんて、予想すらできないことだ。


「じゃ、私は海鮮丼にしとくか。他に頼むものは?」


「ないで〜す!」


 周囲の顔を見て、特に何もなさそうだと判断した夏怜は陽気に返事をする。


「了解、全員で買いに行くわけにも行かないから……杏樹、ついてきてくれ」


「ェ。……まァいっか、3人は今日頑張ッてたシ」


 立ち上がった岬に呼ばれた杏樹は、一瞬だけ不満気な表情を浮かべるが……。ビーチバレーを頑張っていた岬の気遣いだと思うと、そこに不満を表すこともできず。結局、納得して立ち上がるのであった。


「あ、清水さんっ! 先にお金渡してもいいですか」


 注文をしに行こうとする岬の背に、ポーチから財布を取り出しつつめるは声をかけた。


「いいですよ、奢らせてください。いつもお世話になってるお礼です」


 声をかけられた岬は、めるの方へと振り向いて、微笑みながらそう告げる。どちらも、几帳面であり優しすぎるという点は類似している。しかし、岬の方が年上であるせいか、どうやら岬の方が余裕があるようだった。

 言葉を告げれば、めるの否応無しに注文をしに行く岬。一度奢ると決めてしまえば、何も言わせずに去っていくそのさまは大人すぎるにも程がある。


「……あ、あんな大人になりたいっ……!」


 一部始終を目の前で見ていた夏怜は、目を輝かせながら呟いた。余裕がある大人は、なぜこんなにもかっこいいのだろうか? 杏樹も余裕はあるにはあるが、岬が持つ余裕さとはまた別のものだし……。


「ね〜……」


 夏怜に対する、共感の声。その声は、2つ重なっていた。なんと、鈴佳とめるの声が同時に発されていたのだ。イレギュラーな声の重なりに、思わず3人同時に笑いあってしまった。

 後ろで微笑ましい光景が広がっている中で、注文をしに行く杏樹と岬。ビーチバレーをしたことで、1番混みそうな時間帯を避けられたからか、注文をする人々で長蛇の列になっている……ということはなかった。


「そういえば、奢るのッてめるちゃンの分だけ?」


 少し待てばすぐに前へと進めそうな列に並ぶと、ふと杏樹が岬に質問をする。


「そんなわけないだろ、あの2人の分も奢るつもりだ。お前の分は悩んでるがな」


「ハ〜! 警察が仲間はずれですカ〜」


「はは、冗談だよ」


 いつもは冗談なんて言わない岬が、頬を緩ませながら冗談を零す。それが、どんなに素晴らしいことか。杏樹は思わず感動してしまう。まるで、我が子の成長を肌身で感じた親のように。


「……お、空いたな」


 会話をしていれば、時が過ぎるのは一瞬で。いつの間にか自分らが注文をする番になっていたのに気づいた岬は、店員の目の前へと進む。


「いらっしゃいませ〜、お伺いいたします」


「え〜、ざるうどんが1つ、カレーが1つ……」






 注文をし終わった杏樹と岬は、自分達が座っていた席の方へと戻っていく。どうやら、注文の多い客は店員が席へと持ってきてくれるようで……。番号が大きく書かれている立て札を持ちながら2人は歩いていた。


「だから言ってんじゃん、あんなおっさん達とも遊べるなら俺らとも遊ぼうよ!」


 席へ近づくと共に、大きく聞こえてくる男の声。まさかと思って、杏樹と岬は若干早歩きで席へと向かう。……嫌な予感は、的中した。

 席に座っている、める、夏怜、鈴佳の3人。彼女らに絡む、複数人居るチャラい男のグループ。大きな声の正体は、紛れもなくそいつらだった。


「ねぇ、ちょっとだけでもいいからさぁ」


「こっちの方が楽しいよ?」


 なんて、くだらない誘いを持ちかけてくるチャラい男達。3人共、紛れもなく不快そうな顔をしているが……奴らはそれに気づいてなく。それどころか、ナンパはエスカレートしていき。男達は、腕を3人の肩や腕に触れさせてきていた。

 ────その瞬間。男達の目に映ってすらいなかった杏樹が、とてつもない速さで男達へと駆け寄る。


「汚い手でみンなを触らないでくれるかナ」


 複数居る男達の中へと飛び込んだ杏樹は、そう言いながら、まずは夏怜と鈴佳を触っている2人の男の肩を掴む。


「ぐ、っ……!」


 肩を掴まれた2人の男は、肩が砕けてしまいそうな痛みに耐えかねて、後ろ側に崩れ落ちてしまった。その細身から出ているとは思えない、相当な握力だ。

 2人が倒れれば、次はめるを触っていた男の元へ。一瞬の出来事すぎて、隣のお仲間が倒れたことには気づいていないようだ。杏樹は、そいつの頭頂部を掴むと、下へ下へと沈めるようにグググと力を入れ始めた。


「な、なッ……!?」


 めるの肩付近を触っていた腕を離せば、刺激が加わっている自分の頭を抑えて、痛みに顔を歪めていく男。しばらくすると、立てなくなってしまったのか、隣の仲間と同じようにその場に崩れ落ちてしまった。

 倒れた男達……そして、取り巻き達。そいつらへと、杏樹は冷徹な視線を送る。逆らうならかかってこい、だが手加減はしないぞ。そんな殺気混じりの視線を送られた男達は、間抜けな顔を浮かべて後ろへと引き下がってしまう。


「……彼女達の肩を掴んだ時点で、暴行罪は成立する。その他、軽犯罪法や迷惑防止条例なんかに引っかかるな」


 そんな男達へ、杏樹と同じタイミングで戻ってきた岬は、睨むような視線でそう言う。いつもの、警視としての彼女に切り替わったのだ。


「面倒ごとはごめんだ、早く行ってくれ」


 しかし、警察としての彼女に切り替わったとしても、休暇中であるということを念頭に置いといるのか。岬は、男達を見逃すという判断を下した。

 杏樹からのとてつもない視線に加え、岬による厳しい指摘。それらを受けた男達は、冷や汗をダラダラと垂らしながら後退する。


「い、行くぞっ……!」


 人間を服従させる方法は、大まかに分けて2つ。1つは、今まさに岬がしたような、正論の荒波を相手に浴びせ続けること。……もう1つは、最も杏樹が得意とする、恐怖や力による服従。日本という国では、後者は絶対に禁止されている。

 しかし、それが許されてしまう局面が存在する。正当防衛というシチュエーションだ。杏樹が今したようなことも、暴行罪にはならず正当防衛となる。さっきは、たまたま正論と恐怖という2つの要素が合法的に合わさってしまった。男達のトラウマとなることは確かであろう。


「……ったく。治安が悪いったらありゃしない」


「みンな、大丈夫?」


 腕を組みながら席に座る岬と、人格が変わったかのように声色を変えて、問いかけながら席に座る杏樹。さっきもかっこいいと言ったばかりだが、3人はまたもや思ってしまう。この2人、カッコよすぎやしないか……と。











 場面は一転して、帰りの車の中へと差し掛かる。遅めの昼食をとった後も、5人は遊んで遊んで遊びまくって……。海を出たのは、陽が落ち始めてきた頃だった。


「……2人共、ぐっすりだ……」


 行きは騒がしかった、3列目の席。妙に静かだなと思って、めるは後ろを向く。……そこでは、夏怜と鈴佳が目を閉じて、寝息を立てながら寝ていた。その姿は姉妹のようで、めるは思わず笑ってしまう。


「まぁ、あんだけ遊べば眠くもなりますよね」


 運転をしている岬は、めるに優しい声色でそう言った。


「……ァ〜、あたしも眠くなッてきたカモ……」


「……そう言われると、私も……」


 欠伸をして、眠気を訴える杏樹。欠伸や眠気というのは、伝染してしまうようで。杏樹と同じように欠伸をしながら、眠そうに目を擦って呟くめる。3列目の2人の眠気が、2列目の2人にまで伝染してしまったのだろうか?


「ふふ、寝ててもいいですよ。到着したら起こしますし……」


 明らかに、2人共声が眠たそうになってきている。眠気を無理に堪える必要も無い、ここからは1時間程度はかかってしまう。寝ないようにしているめるを見て、岬はモロに笑ってしまいながらそう言った。


「…………じゃ、じゃぁ……お言葉に甘えて」


 もはや、杏樹は岬に何か言われるまでもなく寝てしまったらしい。もう眠気も限界だし、許可も出たことだし……。車が到着するまでの間だけ、めるは寝てしまうことにした。


「ええ、おやすみなさい」













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