「……よし、全員日焼け止めは塗ったな」
ビーチパラソルの下で、本格的に遊び始める前に日焼け止めを塗っていた5人。それぞれ塗り終わったのを目で確認すると、同時に岬は言葉でも確認しておく。
「こっちはオッケー!」
「ン。こッちも大丈夫」
岬の確認に対して、元気な声で返事をする夏怜といつもの気だるげなテンションで返事をする杏樹。早く遊ばせろ、なんて言わんばかりにキラキラと目を輝かせている夏怜を見て、岬は思わず笑ってしまいそうになる。
「じゃ、こっからは自由行動……だが。もしものことがあっても大丈夫なように、二手に分かれるとしても複数人で行動するようにしようか」
「は〜い!」
岬の言葉を聞いた夏怜は、早速海の方へと勢いよく走っていく。餌を目の前にして、“待て”をされた後の犬のようだ。よほどこの日を楽しみにしていたのだろう。
「ほんと元気なんだから……」
駆け出した夏怜を見ると、言葉とは裏腹に楽しそうで嬉しそうな表情を浮かべながら背中を追いかける鈴佳。互いの背丈も相まって、その姿は親子にすら見えてしまいそう。
やはり、10代というのは若いものだ。猪突猛進の如く進んでいく2人に置いていかれた3人は、ぼんやりとそう考える。
「……とりあえず、私達もあっち行こっか」
「そうですね」
「お任せするよン」
このまま何もせずに日差しを浴び続けるだけでは、海に来た意味も日焼け止めを塗った意味もない。結局、3人も海へ足を運ぶことにしたのであった。
ドン引きするほど人がいるというわけでもないが、それなりに人はいる。砂遊びをする人、日焼けするために椅子の上で寝そべる人、浮き輪でぷかぷかと海の上に浮かび続ける人……。海遊びというのは、多種多様だ。
「……海は好きだけど、いざ入るぞって瞬間は少し苦手なんだよね。肌寒く感じるっていうか……」
一面に広がる青色の目の前で屈むと、めるは指先に水を触れさせてそう呟く。人間が水を冷たいと感じる温度は、大体20度弱。この海の海水の温度も、やはりそのくらいであった。
指先から徐々に慣らしていこうとするめるとは対照的に、どんどんと海水の中へと進んでいく杏樹。太腿くらいまで水に浸かると、杏樹は振り向き、軽く腕を広げながら口を開く。
「そンな慣らさなくても、気温が高いから気持ちいいくらいで済むと思うヨ。ほら、おいで」
真夏に舐めるアイスクリーム、真冬に食べる鍋。それらが異様なほど美味しく感じるのと同じように、こんな暑い日に海水に浸かるのは気持ちいいことなのだ、と。杏樹は、めるを誘う言葉を発した。
「…………それなら」
杏樹の言葉を聞いためるは、ゆっくりとその場に立ち上がり、恐る恐る水の中へとつま先を沈ませていく。……やはり、杏樹の言うとおり。慣らしていかなくとも、危惧していたほどに水は冷たくなかった。
下半身は冷たいけれど、上半身は暖かい。海でしか味わえないような独特の感覚に、思わず変な声が出てしまう。そんなこんなで進んでいけば、いつの間にか杏樹の目の前まで来ていためる。
「ネ、全然余裕だッたでしョ?」
「……う、うん」
そんなめるを見れば、杏樹はにんまりと笑顔を浮かべてめるの両手を握った。……今日の杏樹は、なんだか距離が近いような。一度そう感じてしまえば、照れてしまうのは当然で。めるは、少しだけ顔を赤くしてしまう。
「……ふふ。仲が良くて何よりです」
手を繋いでいる2人を見た岬は、優しく微笑みながら言葉を発する。岬の存在なんて完全に気にしていなかっためるは、岬の声を聞くと、ビクッと体を跳ねさせて杏樹に掴まれている手を無理やり離させる。
杏樹からしてみれば普通の距離感なのかもしれないけど、全然そんなことはない。あんなの、恋人同士がするような距離感だ。それを岬に見られたのだから、めるは先程よりも顔を赤くして口を開いた。
「ふ、普段はこんな近くないですけどねっ!!」
ただ事実を知らせているだけなのに、言い方と顔の赤さのせいで、照れ隠しのようになってしまっているめる。微笑ましい光景だなぁ、と思いつつ岬も海の中へと足を進めていく。
顔が見えなくても、真っ赤な耳や
「ェ〜、隠さなくてもいいじゃン。岬ちゃンは信頼できる人間だヨ?」
杏樹は意地悪な笑みを浮かべつつ、後ろからめるに軽く抱きつきながら喋りかけた。とんでもない悪戯だ。せっかく岬に誤解されぬように言っておいたのに、これじゃ完全にその言葉が水の泡。
「ほんとに違いますからっ!!!」
岬へと必死に弁明をしようとする、めるの大きな声。杏樹の冗談だと理解してるからか、岬は全く笑いを堪えきれていない。……もう、すっかり元の調子に戻っているようだ。心配する必要もないだろう。それを感じ取ると、杏樹はパッとめるから離れる。
「ハハ、ごめンごめン……」
────その頃、夏怜と鈴佳はというと……。3人からは近すぎず遠すぎずの場所で、2人っきりで遊んでいた。
どう遊べばいいかなんて、2人共分からなかったけれど。泳いでみたり、水をかけあったり、どちらの方が長く潜れるか対決してみたり。そんなことをしているだけなのに、楽しくて楽しくて、仕方がなかった。
「……ぁ、遊ぶのに夢中で気づいてなかったけど……びしょ濡れだ」
ふとした瞬間、夏怜は自身の髪がびちょびちょに濡れてしまってることに気づく。いつもふわふわしている髪が濡れて、水をかけられた犬のようになってしまっている。海の中に潜ったりしているのだから、そりゃあ濡れてしまうのも当然のこと。
たしかに……、意識こそしてなかったから気づかなかったが、周りの髪が長い人は皆髪を縛っている。濡れた髪が肌に張り付くのもなんだか嫌だし、普通なら長い髪は縛るのがルールというか、マナーなのだろう。それに気がついた鈴佳は、軽く自分の髪についた水気を切りながら口を開く。
「夏怜ちゃん、こっちこっち」
手招きをしながらそう言うと、鈴佳は腕に付けていたヘアゴムで自身の長い髪を縛り始めた。
「あ〜、ボクも縛ればよかったのか……」
綺麗な黒髪を縛る鈴佳を見ると、やらかしたという顔を浮かべて呟く夏怜。生憎、ヘアゴムなんか夏怜は持っていない。髪を縛るのはあまり得意ではないし、そもそも髪を縛ったりしないし。
髪を縛り終わった鈴佳は、少し暗い表情の夏怜に近寄ったかと思えば、そのまま彼女の背後の方まで移動していく。
「前、髪縛るの苦手って言ってたから。お揃いにしたら可愛ええよ」
夏怜の髪からも同様に水気を切りつつ、鈴佳は後ろから夏怜に向けてそう口にした。……前、何気なく言った言葉。覚えてくれてたんだ。それだけで、夏怜はなんだか嬉しくなってしまう。
鈴佳の対応は、どこか絵本の中の家族みたいで、姉妹みたいで。口角が自然に上がっていくのを感じながら、夏怜は鈴佳に喋りかける。
「……実は、ボクさ。家族とか友達とか、そういう人間が周りに居なくて。蛇川さんも血が繋がってるわけではないし……」
夏怜が放った言葉の内容は、こんな遊びの場で言うようなことではなかった。いきなりにも程がある、夏怜のカミングアウト。それを聞いたとしても、鈴佳は変にリアクションしたり、相槌を打ったりはしない。ただ、黙って話を聞きながら夏怜の髪を縛るのみ。
「だから、鈴佳ちゃんが居てくれて本当に嬉しいんだ。初めてのお友達が、鈴佳ちゃんみたいないい子でよかったな〜って」
一緒に住んでいる蛇川を除けば、鈴佳は1番いつもそばに居る人物。友達の域を超え、もはや親友の域へと達しているが……。これまで友達なんか1人も居なかった夏怜がそれに気づくのは、ほぼ不可能なことだった。
家族が居ない苦しみは、鈴佳もわかる。家族と無理やり別れさせられ、知らない男と住まされた約1年間は、とても辛かったから。まだ本当の家族というものを鈴佳は知っているが、夏怜はそれすら知らないのだから……。これまで辛かったことだろう。
「……ここに来ての初めての友達は、私だって同じ。夏怜ちゃんが居てくれなきゃ、私はひとりぼっちだったかもだし……」
鈴佳は、優しい笑みを浮かべながら夏怜の髪を次々と縛っていき……。最後にキュッとゴムを締め付けて、鈴佳は言葉を零した。
「いつもありがとう、夏怜ちゃん。これからもよろしくね」
友達同士だと、なぜか言いづらいような言葉。ありがとう。鈴佳が零した言葉は、それだった。
鈴佳から言葉を受け取った夏怜は、少しだけ頬を赤らめつつも、満面の笑みを浮かべて元気な声で言葉を放った。
「こちらこそ、ありがとっ!」
それからは、5人集まって泳いだり、スイカ割りをしたり……。色々な方法で海を満喫して、もうそろそろ昼食の時間にしようと、海の家へ向かおうとした時。
「なあ、そこの嬢ちゃん達!」
砂浜を歩く杏樹達に、話しかける何者かが居た。全員が全員可愛いし、よくあるナンパかと思って、杏樹は4人を守れるようにあらかじめ前へと出ておく。
杏樹達へと声をかけたのは、中年の男性3人組だった。……そういえば、あの壁の中でもこんなことがあったような……。なんて思いつつ、杏樹は話を聞く姿勢を見せた。
「今よ、ビーチバレーの相手探してんだけど! もし負けたら飲み物代くらい奢っちゃるから、3人くらい貸してくれねえかな」
先頭に立っている中年の男は、両手を合わせながら杏樹達にお願いをする。……本心を完全に見抜いているわけではないが、ナンパが完全な目的ではなさそうだ。後ろに居る男はふわふわしたバレーボールを持っているし……何より、顔の赤さやテンションを見る限り、3人共酔っていそうで。きっと、酔いが回ったノリで誘ってきたのだろう。
奢りというのは有難いが……どうする? といった表情を、杏樹は後ろに振り返って向けてみる。
「いいじゃんいいじゃんっ、楽しそうだしやりた〜いっ!」
散々はしゃぎ回った後でも、勢いは留まらず。夏怜は乗り気に答えてみせる。
「私はどっちでもいいです」
「私も鈴佳ちゃんと同じかな〜」
めると鈴佳は、とても疲れているわけではないし、どっちでもいいというスタンスの言葉で答えた。
「賭博罪にはギリギリならない……とはいえ、私は賭け事はしないつもりだからな。見学にするよ」
岬に関しては、自分のポリシーによって参加をしないことを決めたようだ。食べ物や飲み物を賭けた遊びは、刑事罰に適応されない……とはいえ、割とギリギリのライン上。そんな遊びに、警視という警視庁内でも偉めな立ち位置の人間が参加してはいけない。そう思ったのだろう。
「じャあ、あたしと岬ちゃンはすぐ近くで見学しとくから3人でやッてきなヨ」
それぞれの言葉を把握すると、杏樹は岬を除いた3人にそう告げた。
「ん、わかった!」
杏樹の言葉を聞けば、鈴佳とめるを引き連れて中年男性3人組の元へと向かう夏怜。すぐ近くにはビーチバレーのコートがあり、そこで夏怜達は試合をするらしい。
少しだけ会話をしてからビーチバレーのコートへと入っていく3人を見ると、杏樹と岬はコートのすぐ横へと歩いていく。
「お前なら、奢ってもらうために誘いに乗ると思ったが……見学は意外だな」
てっきり杏樹は出場するだろうと思い込んでいた岬は、なぜか見学を選んだ杏樹の隣でそう呟いた。
「あたしが出ると、瞬殺シすぎてつまンないじゃ〜ン? 今日は楽しむ日だからネ」
岬が呟いた言葉に対して、杏樹は明確な言葉をぶつける。たしかに、海に来てるこの5人の中じゃあ、杏樹がずば抜けて身体能力が高いが……。
「……お前って、そんなに空気が読める人間だったか?」
「エ、ド直球な失礼発言〜」
目の前ではビーチバレーの試合が始まってきている中、相手が杏樹じゃなかったら失礼極まりない発言をする岬。その発言に、杏樹は傷つくどころか驚いてしまう。
「私が知るお前は、空気なんて全く読まず、容赦なく最適解のために動く奴って感じだったが……」
「そンな怖い女じゃないです〜〜」
容赦なく浴びせられる岬の言葉に、杏樹は口を尖らせてブーイングを浴びせ返す。
岬の言うとおり、杏樹は最近性格が丸くなってきている……皆、そんな気がしている。古くから杏樹と関わってきている警察陣なんか、特に思っていることだろう。
「そういう岬ちゃンこそ、昔に比べたら全然丸くなッてる気がするケド〜?」
「……む。そうか……?」
「うン、こういう遊びに来るイメージとか全然無かッたシ」
試合の観戦をしながら、岬だって自分と同じだと言う杏樹。岬も岬で、この1年という短い期間のうちに変わりつつあった。プライベートの時間を杏樹関係に割くなんて、昔ならば絶対になかっただろう。
「……まぁ、前までなら来なかったかもだが……。『行ける時に行っとけ!』って遊馬さんに諭されてな」
「ハハ、あの人の言葉なら説得力あるワ」
とても忙しい警視長の遊馬が言うなら、その言葉は信じておいた方がいいのだろう。剣幕がある岬による遊馬の真似に笑ってしまいつつも、杏樹は岬の判断に納得する。
「それに、優秀な部下もできたことだしな」
「あ〜、黒音ちゃン? たしかに、真面目だよネ〜」
「ああ。部下全員があいつ程真面目だったらどんなに楽だったことか……」
叶わない妄想に思いを馳せる岬には、正論なんか言ったりしない杏樹。昔の杏樹ならきっと、無駄なことを言って思いを馳せる余裕すら作らせなかっただろう。
5人の海遊びは、もう少しだけ続きそうだ。