那乃によって期日以内に作られた、高周波ブレードの改良版。それを貰った杏樹は、東京から斜陽都市がある県まで、バイク1台で夜通し向かっていた。
普通なら、遠くの県に行く時は、新幹線や飛行機を使って移動する。青森県の仈湧村に移動した時のように。金は警視庁が負担してくれるし、バイクに乗る意味なんてないように思えるが……。
「……は〜ァ、やッぱ久しぶりの長距離運転は気持ちイイ……」
黒色の髪を靡かせながら、杏樹は静かに呟く。夜、バイクで長距離運転をすること。実は、それはこの杏樹という女のささやかな趣味の1つだ。趣味なんて全然なさそうな人間味のない杏樹でも、そんな趣味は存在している。
夜の長距離運転が好きな理由は、単純明快。ひんやりとした夜風を浴びながら走るのが、気持ちいいから。
「……お、ッと。……見えてきた」
夜が明けてきて、光がじわじわ昇り詰めてきた頃────。杏樹は、ずっと遠くに、ある建造物を見る。
それは、高い高い灰色の壁。スラム化した都市と近隣の都市を隔てる、人権なんか完全に無視している壁。杏樹の目には、映っていた。紅月の幹部連中が育った、壁の中という生き地獄を作る壁が。
「ォ〜……壮観。違う国に来たみたイ」
簡易的な手続きを終えて、壁の中へと入った杏樹。壁の中では比較的標高が高い、草原のような場所に出た彼女は、斜陽都市の景観を見て徐にそう呟く。
中心部に広がる、ビルの数々。壁内で抗争でも起こったのか、所々に崩れたビルなんかも見受けられる。
「アレが……、クラウンのビルかァ」
警視総監の千弦に聞いた話だと、斜陽都市の中心にある、1番大きなビルがクラウンのアジトらしく。そのビルを認識した杏樹は、ビルから放たれている独特のオーラに飲み込まれず、むしろ久々の仕事に心が踊っているかのような表情で草原の上を歩いていた。
草原のエリアを抜けると、杏樹の目には衝撃的な光景が飛び込んできた。
「…………ホントに日本か〜? ココ」
何かの拍子で壊れてしまったまま、舗装なんてされていない道路。日が差しているのにも関わらず、どんよりとした空気がそこらに漂っている。コンクリートの隙間から咲いている植物でさえ、すっかり萎れてしまっているほどの重い空気だ。
街を進んでいく度、杏樹は路地裏に見かける。生きているのか死んでいるのか分からない、孤児やホームレスの姿を。ここが日本か杏樹は疑っているが、外国ですらこんな光景は滅多に見かけることができないだろう。
「……まァ、日本とは考えない方がいいノかナ」
異質な街に、異質な女が1人。杏樹は、笑みを浮かべながら都市の中心部へと向かっていく。すれ違う人々は皆、杏樹の方を一度振り向いた。髪に艶があり、着ている服は古臭くなく。……なにより、彼女から滲み出ている、死臭。都市を生きる人々は、全員杏樹からそれを感じていた。
中心部に向かうほど、すれ違う人の人数が減っていく。当然だ。都市の中心には、クラウンという巨大な犯罪組織のアジトがあるのだから。できることなら、そんな場所には誰もが近寄りたくはない。
……そんな中、すれ違ったわけではないが、都市の中心部へと向かう杏樹を目撃した何者かが杏樹に声をかける。
「…………おぅい、そこの嬢さん」
「……ン? あたしのコト?」
杏樹に声をかけたのは、杖が無かったら歩けそうもない立ち姿の老人だった。右手で杖をつき、左手には買い物袋をぶら下げ、首には十字架がついたペンダントをかけている……。そんな老人に話しかけられた杏樹は、振り向いて首を傾げる。
「そっちは、危ないよ。行かない方がいい」
杏樹に近寄りながら、老人は呟いた。すれ違う人々と同様に、老人も杏樹から何かよくない気は感じていたが……。そのよくない気を感じて尚、老人は声をかけるのを辞めなかった。
まさか声をかけられることはおろか、注意をされるなんて思ってもいなかった杏樹は、新鮮そうな顔をしながら老人を見つめる。
「心配は有難いケド、大丈夫。こッちに用があるから」
「……儂は、そう言って消えた人を沢山見てきた。あんた、外の人だろ? 奴らは思ってるよりも……」
上目遣いで杏樹を見つめながら、忠告を続ける老人。細身の女性と杖をついた老人という、一見弱々しそうな2人が話している。
「よし、行くぞっ……!」
「おう」
そんな2人に忍び寄る影が、3つ。薄暗い路地裏から飛び出してきた3人の男が、杏樹と老人に襲いかかる。老人が持っている買い物袋を見て、強盗という行為に出たのだろう。
「……お爺さン、離れてて」
老人の背後から忍び寄ってくる影を察知した杏樹は、老人を守れるような位置へ瞬時に移動して呟いた。
見たところ、刃物は無し。銃器も無し。握られた6つ分の拳を見る限り、奴らはきっと、女と老人相手なら素手でも勝てると踏んだのだろう。
「素手には素手が礼儀……ッてやつかナ?」
格闘技の経験者というわけでもなさそうだし、新しい高周波ブレードを使うまでもない。そう判断した杏樹は、中指の第二関節だけを尖らせる珍しい握り方で拳を握り、男達の対処をする。
「先鋒なンだから、もッと勢いよくかかッてこないと。0点」
「ぐッ……!!」
まずは、1番先頭に立っていた男。覚悟が決まりきっていないのか、少し動きが遅い男の、鼻と口の間。いわゆる人中という人体の急所を、杏樹は尖らせた中指の第二関節で攻撃する。ボクシングでいう、ジャブと同じような技術だ。
急所を攻撃された男は、人中を両手で抑えながらその場に倒れ込む。
「てめッ……!」
仲間が倒れたのを見た、真ん中に立っていた男。彼は、憤慨しながら杏樹に襲いかかる。
「次鋒……勢いはいいケド、興奮してちゃ勝てなイ。5点」
「ッ…………〜〜っ!!」
次は、興奮して襲いかかってきた男。興奮していては、避けれる攻撃も避けれない。その隙を見逃さなかった杏樹は、特殊な握り方だった拳を普通の握り方に変えて、男の
1人目と同じように、急所を攻撃された男。言葉にすらなっていない悲鳴をあげながら、彼は前のめりに崩れ落ちる。
「……大将が逃げようとしちゃダメでしョ〜。マイナス100点」
「ぐッ…………!!」
最後に、仲間が2人共やられてしまった男。その男は、杏樹の強さを目の前で見てしまったからか、怖気付いて無意識に後ずさりをしていた。握った拳は既に解け、怖さのあまりに震えてしまっている。
そんな震えを、杏樹が見逃すわけもなく。男に近寄った杏樹は、つま先で思いっきり男の
「……さてさて。未遂に終わッたとはいえ、罪には罰を与えないとネ」
倒れている男達を見回しながら、杏樹は呟く。逆恨みで、またいつか老人に会った時に暴行を加えるということも考えられるし……。正義執行人の仕事ではないから命までは奪わずとも、手の指を何本か折るか、アキレス腱でも切っておくか。そう考えて、杏樹は高周波ブレードを抜こうとするが……。
「嬢さん、もうやめておきな」
杏樹を静止しようとする声が、閑散としている都市の道路に響き渡る。声の主は、杏樹が守ろうとしていた老人であった。
「……コイツら、またお爺さンに会ッた時とかに襲ッてくるかもヨ? 外の世界じゃそういう奴はたくさン居る」
「……主が人々にパンを分け与えたように、儂らは助け合って生きていかなきゃならない。でなきゃ、いつまでも苦しみの連鎖は止まらない」
離れていた老人は、倒れている男達に少しずつ近寄りながら杏樹を諭す。そして、悶え苦しむ男の目の前で屈めば、老人は買い物袋からパンを取り出して、男の目の前に差し出した。
「…………ぁ、ありがとうございます……」
男が差し出されたパンを受け取れば、老人はまた別の倒れている男の元へと近づき、再びパンを分け与え始める。
老人が言っていることを、杏樹は理解できなかった。助け合うなんて行為は、無駄でしかない。たとえ助け合ったとしても、誰かの苦しみが途絶えることはない。そう思っていたからだ。
「ま、そう思うコトは自由か。じゃあネお爺さン、あたしは先を急ぐヨ」
「……考え直した方がいいよ、嬢さん」
自身に背を向けた杏樹に、老人は声をかける。男3人を易々と倒した実力を見たとしても、杏樹を止めることはやめない老人。汚い人間が蔓延るこの壁の中でも、人を想う心は失わないまま生きてきたのだろう。
「あたしが生きて帰ッてきたら、今よりもう少し平和に過ごせるかもネ」
杏樹は、一言だけ残してその場から去っていってしまった。
「……ココがクラウンの本拠地? 意外と警備は浅いなァ」
中央にあるビルの近くに到着した杏樹は、ビルの周囲を歩きながら独り言を漏らす。主にビルを囲い守っているのは金網のフェンスで、そのフェンスには有刺鉄線が巻き付けられているようだ。
東西南北に開かれている計4つの出入口には、黒いスーツやタンクトップの警備員が複数人立っており。ビルに入るためには、そのうちのどこかをどうにかして通らないといけない。
「ン〜。入口がアソコなら……そこでいッか」
ビルの主な入口があると見受けられる、東側のフェンス。他と比べて警備員の数も多いし、安全に行くのなら他の出入口を襲うか、高周波ブレードでフェンスを壊して入るのだが……。今回の目的は、クラウンの殲滅。どうせ皆殺しにするのなら、最初から人が多い方を選んで早く終わらせたい。そう思って、杏樹は東側のフェンスへと向かうのであった。
「……通行許可証をお見せください」
杏樹が近づいてくると、10人弱居る警備員の内の1人が杏樹に話しかける。壁の中を生きている人の服装とはとても思えないし……何より、纏っているオーラが常人のソレではない。客人か、もしくは敵と考えるのが自然だろう。
話しているスーツの男以外からは、明確な殺意が漏れ出ている。何が起こっても対処できるように。そんな殺意を、杏樹は把握しきっていた。
「許可証は……今から作るよン」
殺意を向けられたとしても、杏樹の落ち着きは変わらず。素早く高周波ブレードを抜いた杏樹は、目の前の男の首を掻っ切った。昏睡明けという大きなハンデを背負っていた杏樹だったが、そのハンデを諸共しない程の正確さだ。
「殺せェッ!!」
一瞬にして仲間が殺された警備員達は、懐からナイフや拳銃を取り出して応戦する。場は、一瞬にして戦場と化した。
杏樹にとって、屈強な男達を相手にするのは、苦ではなかった。むしろ、かなり容易いこと。たとえ目の前の男のような人間100人が相手でも、杏樹からしてみれば、強烈な武器や個性を持った敵1人と戦う方がハードな課題である。
「ン〜。皆そこそこだけど……強くはないワ」
気づけば、杏樹に襲いかかっていた警備員は、全員杏樹によって殺害されてしまっていた。1秒につき1人のペースで、約10秒間の殺戮劇。
新しくなった高周波ブレードの斬れ味は……、まぁ普通? 言われてみれば、少し斬りやすいかな……というくらい。だが、実感はできなくとも、ミカヅキブレードと同等の振動量にはなっているらしい。
「……ァ、てか。新機能、使うノ忘れてた〜……」
高周波ブレードについた血液をピッピッと振り払いつつ、杏樹は新たに搭載された機能を思い出す。これまでの高周波ブレードには、人を斬る場合に使う通常モードと、強固なものを破る場合に使う溶融モードの2つの機能があった。
しかし、新しく作られたこの高周波ブレードには、これまでの機能にプラスしてもう1つ新しい機能があるようだった。
「ま、いッか。この状況で使うようなもンじゃないシ」
銃声を聞き付けたクラウンの構成員達が、続々とビルの中から出てくる。そんな光景を見ても、杏樹は怯えることなく、いつもどおりの表情を浮かべて呟いた。
「お手並み拝見と行こうじャないか……なンてネ」
「……おい、おいっ! 起きろ!」
「……ん……、なんだよ」
クラウン本拠地、仮眠室。眠るための部屋には相応しくないような、騒々しい声が響き渡る。
「何やら、たった1人に襲撃されたって話だから応戦しろって……」
「……はぁ? 寝ぼけてんだろ、うちの警備がそんなザルなわけ……」
さっきまで夢の中に居た男は、伝えられたことを信じることができなかった。クラウンは、この壁の中では最も強い組織。強い人間が居たならそいつをスカウトするし、たかが1人の人間に警備が破られるなんてことすら考えられない。
「嘘じゃねえって! クソッ、あの方が今日出てなけりゃもっと円滑に…………」
だが────、いくら信じられなかったとしても、それは現実。2人が会話をしている最中、仮眠室の扉が何者かによって勢いよく開かれた。
「ハロー。貴方は死神を信じル?」
扉を開いて現れたのは、クラウンの仲間なんかではなく────。絶望や死神といった単語が具現化したような女。正義執行人、朽内杏樹。
扉を開くと同時に、杏樹は仮眠室に居た2人の男の頭を撃ち抜いた。フロガとの戦闘で壊された拳銃も、高周波ブレードと同様に実は復活していたのだ。
「……ァ〜、疲れた。何人居るンだか……」
仮眠室に殺した男達以外の人間が居ないことを確認すれば、杏樹はため息をつきながらベッドに座る。この仮眠室に辿りつくまで、杏樹はざっと150人程度の構成員を殺してきた。強者が居なかったからサクサクと進んでこれたが、さすがの杏樹でも連戦ばかりでは疲れるようだ。
そんなクラウンの襲撃も、まもなく終わりを迎える。この仮眠室は、最上階の1つ下の階にある部屋。杏樹は、この階層までの全ての部屋を巡り、全ての構成員を殺害した。つまり、残るは……クラウンのボスが居るであろう最上階。
「…………ん、〜。……今のところは紅月の方が全然強かッたって感じかナ……」
ほんの少しだけ休憩をした杏樹は、ベッドから立ち上がり、体を伸ばしながら呟く。フロガは杏樹と互角だったから言わずもがな。ドラコスは桜李を殺したようなものだし、夏怜はギャリアにかなり苦戦したと言っていた。
紅月の3人は、首領や幹部らしく強者であったが……。それに比べると、クラウンはなんだか見劣りしてしまう。幹部らしい人間は出てこないし、笑えないくらいに全員が弱いし……。杏樹はむしろ、ここが本当にクラウンのビルなのかを疑ってしまう。
「……ま、間違えてはいないだろうシ。あたしが強すぎるだけ?」
新しい弾倉を拳銃にセットしながら、独り言を呟く杏樹。たしかに、杏樹が強すぎるのもあるだろうし……。レナや蛇川、フロガ等、ここ最近は強い人間と戦いすぎたのもあるだろう。きっと、強者と戦いすぎて感覚が少し麻痺しているのだ。
「ヨシ、……そろそろ行ッとくか〜」
弾倉をセットして、新しい高周波ブレードにもこれまでの戦闘で慣れきって。まさに万全の状態な杏樹は、仮眠室の扉を開き、最上階へと向かった。