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第46話 研究者





「……もうこンな時間か〜……」


 千弦に仕事を依頼された、翌日。自室のベッドに寝そべっていた杏樹は、時計を見ながら呟く。今日は、ある場所へと向かう必要があるのだが……。まだシャワーも浴びていないし、ご飯も食べていない。面倒すぎて動けていないのだ。

 とはいえ、仕事のためには向かわなきゃいけない場所。仕方ない、面倒だけど少しだけ頑張ろう。そう思った杏樹は、大きく息を吸って、大きく息を吐いて、ベッドから起き上がった。


「おはよォ〜……ッて、もうお仕事行ッたのかナ」


 リビングへと行った杏樹は、めるに声をかける。……が、挨拶は返ってこない。もう午後に差し掛かってきているし、きっと職場へと行ったのだろう。

 机の上を見てみると、そこにはメモ帳サイズの1枚の紙が貼り付けてあった。杏樹は、気になってその紙を覗き込んでみる。


「ナニナニ? 『ご飯は冷蔵庫のやつ勝手に食べて』……か」


 紙に書かれてある内容を読み上げた杏樹は、少しだけ違和感を覚える。めるはもっと、文の最後に感嘆符をつけたり、料理の名前を書いたりと、可愛らしい文章を書くはず。める本人の字体だし、他の人が書いたとかそんな事件性は無さそうだが……。

 やはり、あの日のことをめるは怒っているのだろうか? 杏樹がハッキリ辞めないと言ったとき、めるはどこか衝撃を受けたような表情を浮かべていた。


「……そういえば、昨日も避けられてたようナ……」


 思い返せば、昨日岬の車で帰った際も、めるは杏樹にあまり話しかけてこなかった。精々、おかえりとかおやすみとか、ご飯食べる? とか。あくまで事務的な言葉のみ。

 めるのことだけを思うのなら、正義執行人は辞めた方がいいのだろうが。生憎、杏樹はめるのことを死ぬほど一途に思っているわけではない。千弦も言っていたとおり、杏樹が正義執行人を続けるのは、最早呪いで枷のようなことなのである。


「……ま、いッか。1週間もすれば機嫌も直るでしョ」


 少しだけ進退について考えてしまったが、考えるのも無駄なこと。杏樹は、気持ちを切り替えて外出の準備をすることにした。











「……ふぅ。さすがにお腹が空いた……」


 都内某所、ある小さな家、その地下室。丸い眼鏡をかけた紫色のミディアムヘアの女性が、そう呟く。瞳は、髪の色と同様に紫色で。どことなく不思議で、それでいて綺麗な雰囲気を醸し出していた。

 地下室は、異様なまでに白く。その様は、裏社会の巨大な研究組織、SPJT:Oの研究所を彷彿とさせる。


「いい所だが、ご飯は食べなきゃ頭が回らない」


 独り言を呟いて椅子から立った女性は白衣を羽織っており、この地下室が研究所か何かの代わりであるということを物語っていた。

 椅子から立った女性は、遅めの昼食を摂ろうと、居住スペースへと繋がる階段を上がっていく。自分が今までしていた作業の進捗状況を確認しながら。地下室から出て、リビングへと向かうと……そこには。


「……ォ。や〜ッと出てきた、那乃なのちゃン」


 なぜか、杏樹が椅子に座っていた。


「…………はあ? キミ、なぜここに居るんだ」


 杏樹に那乃と呼ばれた人物は、思わず口をぽかんと開いてしまいつつそう呟く。

 この、杏樹の目の前に居る簑手みのて那乃という人物。彼女は、杏樹のメインウェポンである高周波ブレードを作った研究者である。最終学歴は、東京大学工学部。那乃は大学を卒業後、表の研究界には進まずに独学で色々な研究をしていた。

 なぜ杏樹と出会い、なぜ杏樹に武器を提供しているのか……それはまた、別の機会に。


「まァ色々頼みたいコトがあッて〜……」


「既読がつかずに1ヶ月。すっかり死んだものだと思ってたけれど、こうして僕の元にいきなり現れるとは」


「うン、まァ半分死んでたみたいなもン」


 唖然としているのも時間の無駄と考えた那乃は、とりあえず杏樹の存在を受け入れて食品棚をゴソゴソと漁り始める。


「それで、用というのは?」


 棚からカップ麺を取り出すと、那乃は杏樹に用件は何かと問いかけた。取り出したカップ麺を机に置くと、ポットに水を入れて、スイッチを押して……。水が沸騰するまでの間、杏樹の話を聞こうと対面する形で椅子に座る那乃。


「単刀直入に言うと、高周波ブレードをまた作ッてほしくて……」


「あぁ、なんだ。もっと無理なことを言ってくるかと……」


「2週間以内に……」


「は〜ぁ?」


 倫理観が欠如している杏樹でも、那乃がそのような反応をするのはさすがに察せていたようで。下手に出ながら高周波ブレードの製作を頼む……が、那乃は無理だと言わんばかりの表情を浮かべる。


「キミねぇ。いきなりそんなこと言われても困るよ、僕にだって今製作途中のモノがある」


「存じておりまス……」


 心から申し訳ないとは思っていないが、とりあえず反省している雰囲気を出す杏樹。


「大体、月1のメンテナンスはどうしたんだ。それを怠るから……」


「いや、それなンだけどネ? この前、国会議事堂で事件起こッたじゃン。その時にブレード壊されて、ついでにあたしも1ヶ月半くらい昏睡シちゃッてたらしくてサ」


 ここで杏樹は、那乃の言葉を遮り、つらつらと事実を並べ始める。那乃の同情を誘って、怒る気を無くさせるという作戦だ。そんな彼女の思惑どおり、那乃は杏樹の言葉を聞いて怒る気が少しずつ薄れてきてしまう。


「…………まぁ、そうだったとしても。2週間以内というのはね……」


 ため息をつきつつ、那乃は呆れたような表情で杏樹に話しかける。さっきも言っていたとおり、那乃にだって研究したいものは山ほどあるし……なにより、高周波ブレードのような繊細な武器を2週間で仕上げることは不可能に近い。

 それに、杏樹が先程何気なく零した、ブレードが壊されたという言葉。なんでも振動によって斬れるという武器が、いったいどうやって壊されたのだろうか────? 那乃は、静かにそんな疑問を抱いていた。


「ネ〜、お願い。『博士』が作ッた『かッこいい』武器じゃなきャ、全然力出ないしサ……」


 眉間に皺を寄せつつ考え事をしている那乃に、杏樹は両の手のひらを合わせてお願いをする。杏樹が今放った、「博士」「かっこいい」という言葉。それは、那乃を手懐けるために1番手っ取り早い言葉である。

 キーワードが耳に入った那乃は、ふと丸い眼鏡を触り始め、軽く咳払いをしながら口を開く。動揺……というより、心が動いている証拠だ。


「…………まぁ、この僕の手にかかれば! 従来どおりの設定のやつなら作れるけれど」


 高らかにそう宣言する那乃を見て、杏樹は思う。やっぱりチョロいな、と。


「……けれど、だよ。僕が懸念してるのは、期日のことだけじゃあない」


 このままコロッと作ってくれる流れになるかと杏樹は思っていたが、那乃はなにか別のことを案じているようだった。


「高周波ブレードが壊されたということは、それを超えるモノが現れた……そういうことだろう? それが出てきた以上は、キミの命を担う武器を作る人間として、今までと同じ武器を作ることはできない」


 難しく並べられた言葉。簡単に言えば、こうだ。その武器で斬れないモノが現れた以上、それすらも斬れるような改良を加えた武器しか、自分は認めないから作らない。

 なにも、那乃のプライドが高すぎるというわけではない。自分の研究によって、杏樹に死ぬ可能性が生まれる。そんなことは、可能性だとしても絶対に認められないのだ。1研究者として。


「ン〜……。つまりは、2週間以内に今までを超える武器を作れればイイッてコトだよネ」


「あぁ、そうさ。けれど、そんなことは今の僕の技術じゃできやしない」


 認めたくはないが、今の自分の力量を認めることも研究者としては大事なこと。大見得を切って失敗してばかりでは、一流の研究者にはなれない。那乃は、それを知っていた。


「どうシたら2週間以内に凄い武器を作れル?」


 杏樹は、机に肘をつき、掌に頬を乗せるようなポーズになりながら那乃に問いかける。


「……そうだね。2週間という短期間で0から1を作り出すのが難しいだけで、参考になるものさえあれば、作ることは容易なんだけど」


 創造は難しくとも、模倣ならば簡単。那乃がそう返してきたのを聞くと、杏樹は笑みを浮かべて立ち上がった。

 立った杏樹は、邪魔にならない場所に置いていたある物を手に取り、那乃の目の前の机にそれを置いた。


「そう言うと思ッて、ちゃンと持ッてきたヨ」


 一般家庭の机には似つかわしくないような、細長い刃物。そう。杏樹が今机に置いたのは、先日警視総監の千弦に渡されたミカヅキブレードである。

 このミカヅキブレードこそが、杏樹を苦しめた最強の武器。那乃が先程言った、「参考になるもの」なのである。


「…………はは、随分用意周到だね」


 ミカヅキブレードを一目見た那乃は、言われずとも察していた。この剣こそが、高周波ブレードを上回った物であると。見ただけでも研究者としての意欲が湧き出てきて、那乃は思わず笑みを零してしまっている。


「どォ? コレがあれば2週間以内にできたりしなイ?」


「……確実にできる、とは言いきれないが。成功の確率がグッと跳ね上がったのは確かだ」


 ミカヅキブレードという、誰が作ったかも分からない、最高峰の武器。そんな餌を前にした那乃は、好奇心に駆られ、興奮気味に立ち上がった。

 立ち上がるとほぼ同じタイミングで────。カチリ、という音がリビングに響き渡る。ポットの中に入れた水が沸騰して、それを知らせるための音が鳴ったのだ。


「…………ご飯を食べてから、研究を始めさせてもらおう」


 ポットでお湯を沸かしていたのを完全に忘れていた那乃は、軽く咳払いをして落ち着きを取り戻す。


「ホント? ふふ、楽しみにしてるネ」


 カップ麺に熱湯を注ぎ入れていく那乃を見ながら、杏樹はそう呟いた。






「……さて。早速始めようか」


 カップ麺を平らげた那乃は、ミカヅキブレードを持って地下室へと向かった。久しぶりに会ったことだし、どうせ暇だし。家に帰る理由が見つからなかった杏樹は、那乃と一緒に地下室へと向かう。


「確認しておきたいんだけど。これは分解してしまってもいいの?」


「ン〜……いいッちゃいいケド。名残惜しいシ、完全にバラされるのはイヤかも」


「……なるほど。大丈夫、少し中を覗くだけだし。パーツを拝借したりはしないよ」


 杏樹の許可を得た那乃は、机にミカヅキブレードを置くと椅子に座り、早速工具を持って分解をし始めた。その様子を見つつ、杏樹は壁に寄りかかりながら地下室の床にぺたんと座る。壁や床はひんやりとしていて、心地が良い。

 一度集中し始めると、全然手を止める気配がしない那乃。そんな那乃の特徴を、杏樹はしっかりと理解している。邪魔にならぬように、話しかけたりはせず……。杏樹は那乃の様子を見守り始めた。


「…………杏樹。これは誰が作ったのかわかるかい?」


 5分程度の時が経った頃。独り言以外は研究中に話さない那乃が、後方に居る杏樹に声をかけた。

 那乃に話しかけられるなんて思ってもいなかった杏樹は、珍しいな……なんて顔を浮かべながら口を開く。


「誰が〜……とかは分かンないケド。紅月は知ッてル?」


「紅月……あぁ、知ってるよ。ニュースや新聞を見ない僕でも、さすがにね」


「その紅月のボスが使ッてた武器。だから、紅月の構成員……もしくは、紅月と協力関係にあッた組織によッて作られた武器だろうネ」


「……ふむ」


 杏樹の答えを聞いた那乃は、手に持っていた工具を机に置き、頬杖をつきながらミカヅキブレードの内面部をまじまじと見つめる。


「……驚いたよ。こんな技術を持った人間が、この世に存在するとは」


「ェ、そンなに〜?」


 誇張ともとれるような那乃の言葉に、杏樹は自分の耳を疑って、思わず聞き返してしまった。たしかに、ミカヅキブレードは高周波ブレードを上回った武器。けれど、それは存在を疑うほど凄いことなのだろうか……?


「振動させた瞬間、振動量も熱量も多すぎて、武器が壊れてしまってもおかしくはないようなつくり。そのつくりを打ち消すように置かれた、部品の数々。どれもこれも、出鱈目のように置かれているように見えるけれど……武器が壊れないように正確に置かれている」


 杏樹に聞かれたことについて、長々と答えを並べ始める那乃。分かりずらくはないし、むしろかなり分かりやすい部類だ。


「正確ッて言われても……。那乃ちゃンはソレを作れないノ?」


「作れるか作れないかで言われたら、長い時を経た上で作れるのだろうけど……作りたくはない。……1回でも大きな衝撃が加えられて部品がズレてしまったりしたら、1ミリ単位で緻密に並べられているせいで壊れるのはほぼ確定してしまうし」


 少しでも振動以外の衝撃が加わえられてしまえば、壊れてしまうであろう武器。そんな武器を、フロガは難なく使いこなしていたのである。

 那乃は、そんな武器を作った人物に。杏樹は、そんな武器を使っていた人物に。それぞれ凄さを見出していた。那乃にはできない攻めた研究、杏樹にはできない完璧な剣での戦い方。2人共、その凄まじさに思わず鳥肌を立たせてしまう。


「……表だけを生きていたら、こんな武器を作ろうとは思わないだろうね。異常だ」


「へ〜。つまりは、紅月のバックに裏社会の研究組織がついてるッてコト?」


「ま、僕はそっち方面について詳しくないから断言はできないけど。これを作った人間がまともな人間じゃないということは、確かだと言える」


 ……凄い研究者が居る裏社会の研究組織と言われて、杏樹が思い浮かべるのは……。やはり杏樹が関わったことがある、SPJT:O。あの組織には、凄い研究員がゴロゴロ居るだろうし。……しかし、あの組織が紅月に協力をするだろうか?

 SPJT:Oは、あくまで研究を目的とした組織。下部組織のRATのように研究を悪用したりと、そんなことはしない組織だと杏樹は思っているが……。


「……まァ、クラウンの連中を皆殺しにスるのがあたしの目的だシ。別にいッか」


 考えるのに辟易してきた杏樹は、そう呟いて思考をシャットダウンする。正義執行人の仕事は、警察に与えられた任務を遂行すること。ミカヅキブレードを作った人間を探せ、なんてことは言われていない。面倒なことをするのはよそう。


「……内部も覗き終わったことだし、これを少しだけ参考にして本格的に作っていくとしよう。キミは帰っててくれ」


 椅子に座ったまま振り向くと、床に座る杏樹を見つめながら那乃はそう告げた。


「ェ、見学不可〜?」


「不可。一晩で完璧に作ることなんてできないし、見られてると思うと集中できなくなる」


「え〜……」


 文句を垂れようと思ったが、自分のせいで完璧な高周波ブレードを作れなくなるのはなんだか申し訳ない。そう感じた杏樹は、大人しく引き返すことにした。


「……ンじゃぁ、完成したら連絡してネ。もし2週間以内に完成できなイ感じがシたら、早めに連絡ちょうだイ」


「あぁ、分かった」


 那乃の返事を聞けば、杏樹は立ち上がって、那乃の家の地下室を後にした。













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