「指切りげんまん。知ってる?」
「……知らない」
「約束を守るための、簡単な儀式みたいなもの。こうやって小指を引っ掛けて……、指切りげんまん。嘘吐いたら針千本呑ます」
「……本当に呑むの?」
「約束を破ったなら、それ相応の罰は受けなきゃネ。私は君を守ること、君は──────を守ること。それが約束」
「……わかった、けど。もう1つ約束して。もし私に何かが起きたりしたら、その時は────。」
ぼやけて見える、妙に気持ち悪い白色の天井。休日の、あれだ。ダラダラしすぎて、12時間以上寝てた時に起きる、独特の倦怠感。体がどんより重くて、全然思いどおりに動かせない。
5分くらい経って、ようやく意識が鮮明になってきて。体も、節々が痛むが少しずつ動かせるようになってきた。
「…………、ん……」
────杏樹が、遂に目を覚ました。フロガとの戦闘が終わり、岬と会話している時に倒れてから、実に49日と4時間の月日が経った深夜のことだった。
繋がれた点滴と、自身が着ているダサい服を見て、杏樹はようやく自覚する。ここが病院だということに。
「……スマホは……無いシ、時計も見当たらなイ。田舎かッてノ」
近くの机を見ても携帯なんて見当たらないし、壁に時計が置いてあるわけでもない。窓の外を見れば、今が深夜なことくらいわかるが……とにかく不便だ。
腕に刺されている点滴の管をブチブチと抜いて、杏樹はベッドから起き上がる。……その場に立つのも、杏樹にとっては随分久しぶりの感覚だ。普通の人間ならば、1ヶ月寝たきりの生活を続けていたら筋力が衰えて、立つことなんてできやしない。しかし、杏樹は難なく両足で立っていた。彼女が普通の人間ではないということは周知の事実だが、こういうささやかな所でもその効果は発揮されている。
「……ン〜。とりあえず……こッから出るか」
近くの机には、色々な見舞いの品が置いてある。花とか、ゼリーとか、お菓子とか……。自分にお見舞いをしてくれる人なんて居るんだな〜、なんて思いつつ、杏樹は病室を出ていこうとする。
が、そんな杏樹の歩みは病室の扉の前で止まった。血相を変えた看護師達が、杏樹の病室の扉を開けて入ってきたからだ。
「エ。なになに?」
息を切らした看護師達は、困惑している杏樹の姿を一目見て安心する。杏樹の容態が急に変化してここまで来たのだから、看護師達は無論嫌な想像をしていた。もし死んでしまっていたら、もし誰かによって連れ去られてしまっていたら────、という想像を。
しかし実際は、杏樹が勝手に点滴等の装置諸々を抜いただけ。それすら問題なのだが……。ひとまずは、よかった。杏樹が目を覚ました、という事実だけに事態が収まって。
「……朽内さん、まずはベッドに戻ってください」
「ェ〜〜。あたしのスマホは?」
「後ほど持ってきますので」
先頭に立っていた看護師が、冷静に杏樹の対処をする。深夜、正義執行人は遂に目を覚ましたのであった。
杏樹が目を覚ましたという情報は、翌日の朝、ごく一部の人間にのみ知らされた。正義執行人を管理している警視庁の幹部陣、同じ正義執行人である夏怜、そして……杏樹の同居人のめる。伝えられたのは、この3種類の人間だけ。
連絡を受け取っためるは、杏樹が入院している病院へと急いで向かった。仕事が休みで本当によかった、なんて思いつつ、杏樹の顔を見るために病院へと急ぐめる。
「……あの。朝に電話を受け取った琴崎ですけど……」
「琴崎さんですね、お話は伺っております。ご案内いたします」
病院についためるは、早く杏樹に会いたいという一心で受付の看護師に声をかける。病院内で既にその話は出回っているらしく、めるの言葉を聞いた看護師は丁寧に病室まで付き添いをしてくれた。
正直、何度も何度もお見舞いに来ているせいで付き添いなんて要らなかったが……断るのもなんだか申し訳ない。看護師の先導の元、めるは杏樹の病室へと早歩きで向かう。
「こちらの部屋でございます」
杏樹の病室の前に到着すると、看護師は病室の扉を開きながらめるにそう伝える。
ありがとうございます、という言葉をか細く呟いて。めるは、病室の中に飛び込むように入っていった。
「お、めるちゃン。久しぶり〜」
病室に入ってきためるを見るや否や、平然とした表情でそう呟く杏樹。ベッドに座ったまま呟いた彼女の姿を見ためるの心の中には、様々な感情が溢れ出していた。目を覚ましてよかったという安堵感、なぜそんなに平然としていられるんだという焦燥感。
それら全ての感情が混ざった涙が、めるの瞳から吐き出される。
「久しぶりじゃないわよ、バカ」
手に持っていた鞄をその場にぽとりと落として、嗚咽を漏らしながら杏樹に抱きついためる。そんなめるを安心させようと、杏樹は優しくめるの後頭部を撫でる。
杏樹がこうなるなんて初めてのことだったから、めるは杏樹が居ない間、不安に押し潰されそうになっていた。その溜まりに溜まった不安を解消するかのように、めるは杏樹の胸の中で泣き続ける。
「……ごめンねめるちゃン、『絶対帰ッてくる』とか言ッたのに全然帰れなくテ」
めるの呼吸が落ち着いてきた所で、杏樹はめるに声をかける。ベッドで寝ている時の杏樹からは感じられなかった温もりに包まれてる、ということに気づけば、めるは思わず再び泣き出してしまいそうになった。
「…………それも最悪だけど、……この際もういいわ。起きてくれてよかった」
杏樹の胸から顔を離して、めるはそう答えた。その際、めるは気づいてしまう。部屋の隅で気まずそうにしている、岬の存在に。
岬と目が合っためるは、涙を流したせいで赤くなってしまっていた顔を、もっと赤くしてしまう。自分と杏樹以外誰もいない空間だと思っていたし、大号泣を見られてしまっていたのだから……。恥ずかしくなってしまうのも当然だ。
「……お邪魔でしたか」
「…………し、清水さん。……お見苦しいところをお見せして申し訳ないです……」
耳まで真っ赤にしながら、杏樹のすぐ隣に膝をついて座っているめるは岬にそう伝える。
なにも、めるが泣いているタイミングで岬が病室へと入ってきたわけではない。岬は、めるが来るよりも早く杏樹の病室に来て、杏樹と業務の話などを済ませていた。そこにめるが来て、杏樹の姿を見ためるの視界には岬が映っておらずにこうなってしまった……という状況である。
「アレ、めるちゃンと岬ちゃンって知り合いだったッけ?」
めるが岬の苗字を呼んだことを、杏樹は聞き逃さない。もしや、自分が寝てる間に2人がいつの間にかデキているんじゃ……!? なんて思いつつ、杏樹は2人に対して質問をする。
「……まぁ、知ってはいたけど……ついこの前ちゃんと話した感じ」
「あぁ、そんな感じだ」
「ふ〜ン……。そっかそッか」
2人の言葉を聞いた杏樹は、納得した表情を見せた。
杏樹が寝ている間、積もりに積もった話をしたいのはめるだって岬だって同じ。しかし、それで争うようなことはしない。2人共優しいから。
めるが杏樹のベッドから離れると同時に……、杏樹の病室へと急いで向かってくる足音が聞こえてくる。その足音は、どうやら2つ重なっているようだった。
「杏樹〜〜っ!!」
「おい、病院では静かにしとけ」
病室の扉が開かれるなり、めるや岬とは違って少し幼めの声が病室内へと響き渡る。
入ってきたのは、足音の数と同じで2人。1人は、正義執行人として杏樹の同業者である夏怜。もう1人は、岬の上司にあたる警視長の遊馬だ。童顔の夏怜と
「んね、大丈夫なの杏樹っ!? めっちゃ心配したんだけどっ……」
「大丈夫大丈夫。ちょ〜ッと長めの休憩もらッてたみたいなもンだヨ」
起きている杏樹の姿を見ると、夏怜は思わず感極まって涙目になってしまう。そんな涙目で近寄ってきた夏怜を慰めるように、杏樹は夏怜の頭を優しくポンポンと撫でた。
撫でられている夏怜を見つつ、やれやれ……といった表情で岬に近寄る遊馬。
「……ったく。心配かけさせやがって」
「あれ、今日は朝から予定が入ってるって言ってませんでしたか」
「本部まで帰る途中にここを通るから、ついでに立ち寄っただけだ」
「なるほど」
まったく、素直になれない人だなぁ。遊馬に対してそう思いつつ、岬は相槌を返す。
ベッドに座る杏樹を見ていると……、遊馬はあることに気がつく。夏怜の背後に、見知らぬ女性……めるが立っているということに。めるが今立っている場所は、入ってくる時には見えない場所。夏怜も遊馬も、気づかないのはある意味当然だった。
「……こんにちは、急に入ってきてすみません。遊馬と申します」
下手くそな笑みを浮かべて、胸元のポケットから取り出した警察手帳を見せながら遊馬はめるに挨拶をする。
「ん、ぁ。はい。こちらこそ、杏樹がお世話になってます……」
「ンふはッ! フフ、っく…………。遊馬さン、笑顔下手くそすぎ!」
めるの言葉を遮って、杏樹は吹き出してしまう。遊馬の下手くそな笑みを見て、耐えきれなくなってしまったのだ。
「お前に言われたかねぇよ……」
めるに対して浮かべていた表情とは一変して、杏樹を強く睨みながら呟く遊馬。たしかに遊馬の言うとおり、杏樹も遊馬に負けず劣らず笑顔を作るのが下手くそ。自分とさほど変わらない杏樹に煽られるなんて、遊馬には許容できなかった。
遊馬が挨拶をした方向……自身の背後へと、夏怜は振り向く。そこには可愛らしい女性が居て、夏怜は涙を一気に引っ込めて目を輝かせた。
「こんにちはっ、杏樹のお友達の方ですかっ……!」
初対面の人だろうと関係なく、誰とでも仲良くなれる特性を持っている夏怜。めると目線を合わせて、夏怜は質問をする。
「友達、なのかな……? 杏樹と一緒に住んではいるけど」
「え、一緒に住んでるんですかっ! い〜なぁ……。……あ、私は丹波夏怜です! 杏樹の友達!」
まさに、マシンガントーク。めるに喋る隙を与えないほどの早さで、夏怜は話し続ける。
「夏怜ちゃん、よろしくね。私は琴崎める、適当に呼んで」
「めるさん……、めるちゃん? ん〜、迷うっ……」
夏怜とめるの話が盛り上がっている間に、遊馬は岬に耳打ちをする。
「…………なんでアイツが起きたか、知ってるか」
それは、杏樹についてのことだった。
起きたという知らせはもらったものの、なぜ起きた等の概要は警視庁にすら届いていない。杏樹の世話係のような岬なら何か知っているかと思って、遊馬は岬に問いかける。
「何も知りません。なぜ倒れたかすら分かっていないので……」
「……そうか」
なぜ起きたかはおろか、なぜ倒れたかすら不明な杏樹。倒れた時には、肉体全体に強烈な負荷がかかっていたということは明らかになっているが……。そんな疲労で1ヶ月半以上も昏睡というのは、医者でも聞いたことがない事例らしい。
謎が多すぎる、朽内杏樹という人間。杏樹についてのこと……過去や性格を、警視庁の幹部陣は把握しているが……。その把握している知識は、あくまでも彼女の中のほんの一部なのかもしれない。
「あ。…………すみません」
ピリリリ、と携帯の着信音が鳴る。それは、岬のズボンからだった。
画面に映るその人物の名前を見ると、この電話は断れないと思ったのか、岬は一言を残して病室から出ていく。
「すみません、ちょっと電話出てきます」
「おう」
「いッてらっしゃ〜イ」
岬が居なくなった病室。少し静まった病室で次に口を開いたのは、饒舌な夏怜ではなくめるだった。
「あの、遊馬さん」
「はい?」
自分が話しかけられるなんて思ってもいなかった遊馬は、少し驚きながら返事をする。
「……詳細はあんまり分かってないですけど。杏樹の仕事、辞めさせてもらえないですか」
その言葉は、誰も予想できないような衝撃的なものだった。
夏怜も遊馬も……、杏樹でさえ目を見開いて驚く。最近は、杏樹の仕事について口を挟むことはなかっためる。そんなめるが、直談判のような言葉を話すなんて思ってもいなかったから。
「……え、え〜……。それは……」
めるに質問された遊馬は、言葉を詰まらせてあからさまに困ってしまう。正義執行人ということは知らずとも、その仕事についてめるが知ってしまっている。それは、一般人が国家機密を知っているのとほぼ同じようなこと。
めるに直接質問をされていない夏怜も、遊馬と同じように汗を垂らしながら硬直してしまっていた。遊馬と同じように、めるが杏樹の仕事について知っていることに驚いて。
めるが正義執行人によって過去解決された事件の被害者ということを、2人は知らない。そりゃあ驚いて当然である。
「……辞めろッて言われンなら辞めるケド。少なくとも、あたしの意思では辞めないヨ」
遊馬が答えられない、停滞した空気。そんな空気を破ったのは、当人である杏樹だった。
「今日さ、久しぶりに夢を見たンだよネ。その夢を見て、あたしは思い出したンだ。この仕事は、罪滅ぼしであり罰だッて」
あの、決戦の日。フロガに質問された時に答えた、罪滅ぼしという言葉。それに付け加えて、杏樹は罰であるとも答えてみせた。
自分が死んでしまうかもしれないのに、自ら墓場へと進んでいこうとする杏樹の意思。今度は、なんと言われようとも杏樹を守るために動く。そう考えていためるだが────。守ろうとしている本人に反対されたならば、やっぱり気が引けてきて。めるは、言葉を
「……ごめん、私帰るね」
感情を抑えきれなくなってしまいそうで。めるは、床に置いていた鞄を手に取り、言葉を吐くと同時に病室を出ていってしまった。
その際、めるは電話をし終わった岬とすれ違って、ぶつかってしまう。落ち着いているなら、一言謝ったりできたのだろうが……。全然落ち着けていないめるは、衝突した岬に何も言うことなく去っていってしまった。
「……すまない。……杏樹、喋ってもいいか」
気まずい空気が流れる部屋へと、戻ってきた岬。めるの様子もおかしかったし、その変な空気を感じとった岬は、何か話している最中だったら申し訳ないと思って一度杏樹に断っておく。どうやら、岬は杏樹に何か話したいことがあるようだった。
「ン、ど〜ぞ」
「3日後。あの方がお前をお呼びだ」
あの方。それは、めると夏怜には伝わらず、杏樹と遊馬には伝わる言葉。
「遂にお呼びかァ……」
「3日後までに必要な検査を終えて、部屋に来いとのことだ」
電話で伝えられた文言を、岬は杏樹に伝える。
岬に電話をかけた主……それは。日本最大の警察組織である警視庁の長。警視総監だ。