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第40話 夢





「……離せィ」


 右の胸に残る、灼熱感、異物感。……体を刺されるとはこんな感じだったかと、杏樹は記憶を巡らせる。

 このままミカヅキブレードを左右上下にでも動かされたら、その場合は内臓や脊椎せきついが分断されておしまいだ。それを阻止するために、杏樹はほんの一瞬だけ再び脳のリミッターを外し、強大な力でフロガを無理やり引き剥がした。


「…………ッ、っ……」


 引き剥がされたフロガは、血反吐を吐き出しながら後退する。首からは未だ血が流れ、杏樹の体を貫通したミカヅキブレードは、自身の心臓を突き刺すに至っていた。首と胸という、人間が攻撃されてはいけない2つの場所に傷がついたフロガは、もはや限界だった。

 中央塔の壁に背中がつくと、フロガはそのままその壁にもたれかかるように倒れる。


「…………1センチでもズレてたら、死なずとも一生車椅子だッたカモ」


 よろよろと後退したフロガを追うように、杏樹はミカヅキブレードを胸に突き刺したまま歩く。その刃物は常に震えてる上とても熱く、常人ならば間違いなく悲鳴を上げてしまうような痛みだったが、杏樹はなんとか顔を歪ませるだけ歪ませて呟くのみだった。


「…………人がその友のために、自分の命を捨てること。……これよりも大きな愛は、……ない」


 ヨハネによる福音書、十五章。青白い顔で、フロガは静かに独り言を呟く。

 いつからだろうか? 気づけば、中央塔に嫌な匂いが充満してきていた。ガソリンの匂い……それから、何かが燃えている、煙の匂い。たちまち、その炎は中央塔の中に広がっていく。どうやってかは分からないが、誰かがこの中央塔に火をつけたのだろう。


「……は〜ァ、」


 倒れているフロガを見下すと、杏樹は大きなため息をつく。今すぐ倒れ込みたいくらいの疲れが一気に蓄積したのだから、ため息をつくのなんて当然だ。


「…………朽内」


 フロガは、自分の死期を既に悟っているのか、杏樹をぼんやりと見つめながら彼女の名を囁いた。


「はぁイ、?」


「……私達が目指した楽園は、……間違いだったんだろうか」


 あの時に目々澤も呟いた、楽園という言葉。彼女もまた、その言葉を大切そうに呟く。


「…………無数の屍の上に立って作った、誰も傷つかない楽園で、私は上手く笑うことができただろうか」


 血を吐きながら喋るフロガに、杏樹は言葉を返すことができなかった。言葉が出てこなかったから。杏樹はただ、笑みを浮かべてフロガの死にゆく様を見守るだけ。


「……考えるのも、もう無駄か」


 もう何もかも手遅れだということを自覚したフロガは、自身を鼻で笑ってそう呟く。


「……今まで戦ッた人の中で、1番強かッた。あたしにそンなセリフを言わせるンだから、誇っていいヨ」


「……そうか。敵にこう言われては、もう終いだな」


 中央塔を包む炎も、随分広がってきた。……頃合いだ。夏怜や桜李を助ける役目も、自分にはある。衰弱してきたフロガに背を向けて、杏樹は下の階へと進んでいく。


「………………地獄で待ってるぞ」


 立ち去る杏樹に、フロガは声をかける。……最強の敵らしく、散り際も立派だ。

 完全には振り向かず、不敵な笑みの横顔をフロガに見せながら杏樹は口を開いた。


「長い付き合いになりそうだネ」





















 だだっ広い草原で、目が覚めた。

 その懐かしい光景に、思わず目を疑ってしまう。


「……何が、起きてる」


 日が出ているにも関わらず、どんよりと暗い空気を纏ったビルの数々。そのビル郡を囲んでいる、高い高い灰色の壁。教会から徒歩10分で到着するこの草原から見る景色は、子供だった自分にはとても美しく見えていた。


「あ、あそこ! 居ましたよっ! ……お〜いっ、美蘭!」


「おい、はしゃぎすぎるとまた転ぶぞ。明日架」


「も〜、文規くんはいちいちうるさいですね」


 草原にぺたんと尻をついて座っていた自分の背後から、少し幼いが聞き慣れた声が聞こえてくる。

 振り向くと、そこには自身の方へと走ってくる明日架と文規が見えた。


「……明日架。文規。……なんで、?」


 ありえないその光景に思わず衝撃を受けて、その場に立ち上がってしまう。

 そこで、やっと気がついた。自分の体が幼くなっている、ということに。


「なんで、って……もうすぐお昼の時間ですし」


「どうせお前のことだから、ここに居ると思ってな」


 無邪気な2人の顔を見てしまったら。胸の内に秘めていた感情が、これまで我慢してきた、2人に対する感情が。零れ落ちてしまう。

 気づけば、近づいてきた明日架と文規を強く抱きしめていた。強く瞑った目から、大粒の涙が溢れ出す。


「冷たく当たって、ごめん。まだやり直せるかな」


 分かっていた。これが夢だということ。現実なんかじゃないということ。

 それでも、問いかけたかった。やり直せるのならば、やり直したいから。本当は、笑って、泣いて、同じ時をずっと過ごしたかった。


「……美蘭、どうしたんでしょう?」


「……さぁな。怖い夢でも見たんじゃないか」


 情けない顔を浮かべる自分に、2人は優しく接してくる。抱きしめられ、背中を優しく叩かれ。

 ────勘違いしていた。壁の中にだって、幸せはあったんだ。どんなことが起きたって、3人揃えば幸せだったんだ。


「……それから、巻き込んでごめん」


 それなのに自分は、明日架と文規の気持ちを勝手に汲み取って行動していた。そんな行動なんて、必要なかったかもしれないのにも関わらず。

 取り返しのつかないことをしたのに、自分を包む2人の手は温かい。2人の手は、たしかにいつだって温かかった。自分は、その温もりにずっと気づいていなかったのだ。

 涙を手で拭いて、落ち着いてきた頃。どうしても伝えたいことがあって、口を開いた。


「……叶うかは分からないけど────。どんな不幸が私たちを襲っても、ずっと一緒に、幸せに生きていこう」





















「……さて。……一度抱いた女を助けなイわけにはいかないネ」


 ミカヅキブレードは胸に突き刺したまま3階へと下ってきた杏樹は、あらかた予想どおりの光景を見る。それは、ドラコスが桜李を倒している光景。

 切断されたと思われる腕の近くで、うつ伏せに倒れている桜李。そして、その桜李を黙って見つめているドラコス。杏樹の声が聞こえると、ドラコスは杏樹が立つ階段の方へと目線を向けた。


「…………フロガは?」


「殺したよ〜ン」


 杏樹は、ドラコスに少しずつ近づきながら彼の問いかけに答える。杏樹の胸に刺さったミカヅキブレードを見た時点で、ドラコスは薄々その事実を察していた。信じたくはないが、信じることしかできない。


「……そうか」


 返事自体は単調だが、その一言を呟くドラコスのオーラは、強く重くドス黒いものへと変わってきていた。ずっと行動を共にしていた、フロガ……否、大矢美蘭という人物。その人物の死を受け入れることは、事実上紅月の敗北と同じだから。

 大将の首を取られた時点で、普通ならば戦いは終わる。それでも、ドラコスは戦うことを止めようとしない。普通の部下ならば止まったが。

 1人の友人として、ドラコスは行う。フロガの仇討ちを。


「…………思ッてたんだよネ。この中で1番強いのは、きッとメガネちゃンでもフロガちゃンでもなく、キミだ」


 刀を片手に握って近づいてくるドラコスを見ながら、杏樹は笑みを浮かべてそう伝える。夏怜と戦ってるであろうメガネの女の子も一目見ただけでわかる独特な強さがあったし、フロガなんて杏樹を追い詰めたんだから強いというのは確実。

 それでも、杏樹にはわかる。あの2人とは違って、ドラコスは極地に達している。それこそ蛇川や、九十九豹仁のような、達人のオーラ。ドラコスはその域にまで行っていた。


「…………そうだな。俺は、1番強い」


 間合いに入ったドラコスは、刀を両手に持ち替えて杏樹にそう告げる。


「……お前を殺して、俺はアイツの意志を継ぐ。……紅月は、俺が護ってみせよう」


 そう宣言したドラコスの紫色の瞳に、フロガと同じような強い焔が宿る。その焔こそが、フロガの意志そのものだ。

 開始の合図も無しに、ドラコスは杏樹が居る方向へと駆け出してくる。


「……」


 杏樹は正直、満身創痍。脳の制限を外す能力ももう使えないし、胸に刺さったミカヅキブレードが邪魔で充分なパフォーマンスで動くこともできない。それに比べて、ドラコスはまだまだ余裕そうだ。桜李にくらった攻撃は、顔を少しだけ斬られた一撃のみなのだから。

 ……最悪、死んでしまいそうだ。ぼんやりとそんなことを考えながら、杏樹はドラコスの太刀筋を見ていた。


「ッ、!」


 ────その時。攻撃をしようとしていたドラコスの動きに、異変が起こる。

 足の動きを止めて、ドラコスは片手で自身の胸を抑えながら眉間に皺を寄せる。その突然の出来事に、思わず杏樹も困惑した。音が無かったから発砲ではないだろうし、病気か何か……?

 杏樹が考えているうちに、ドラコスはふらつきながら背後へと振り向いて。窓の外かどこかを強く睨みながら、そのままドサッと倒れてしまった。


「……狙撃……か、でも出血はしてなイ」


 倒れたドラコスに近づいて、様子を見つつ杏樹は呟く。背中に銃痕はあるが、出血はしていない。自分も見たことがないようなその銃痕に違和感を覚えつつ、杏樹はラッキーと思いながら倒れている桜李に近づく。


「……相当だナ、腕もくッつくかわかンないシ……失血死してもおかしくないナぁ」


 もう少し遅れていたなら、桜李は確実にこのまま死んでいただろう。落ちている桜李の腕を右手に、桜李の体は左腕で担いで、杏樹は2階へと降りていく。

 ……流石に、両手が塞がっている状態で戦うことは不可能。どうにか夏怜が勝っていてほしいが、その期待は望み薄。どうなっているか……と思いつつ杏樹が2階へと降りれば、そこには大勢の警察や救急隊が居た。


「……夏怜ちゃン、やるじゃン」


 2階にこんなにも警察が居るということは、夏怜があのメガネの女の子をどうにかしたということ。正直、ギリギリ耐えるくらいで夏怜が勝つなんて思っていなかった杏樹は、その光景に驚いてしまう。

 ある顔見知りの警察官が居るのを確認すると、杏樹はその警察官に近寄って声をかける。


「……ォ〜い、遊馬さン」


「……朽内! お前が無事ってことは……、」


 声をかけられた警視長である遊馬は、その方へと振り向く。そこに居たのは、右胸に灰色の剣のようなものが突き刺さっている、痛々しい傷を負った杏樹だった。


「うン、終わッた。もう上に行ッても大丈夫、きッと」


 普通ならば、喜ばしいはずなのに。遊馬は、素直にその感情を出すことができなかった。いつもは傷なんて負うことなく帰ってくる杏樹が、瀕死といっても過言ではないような状態で帰ってきたのだから。


「……遊馬さン。この子、お願いできル?」


 近くに救急隊員も居るし、担架もあるし。もし誰も居なかったら桜李は厳しかったかもしれないが、きっと大丈夫だろう。

 杏樹は、担いでいる桜李と桜李の腕を遊馬へと引き渡しながらそう言う。お願いできるか聞いているものの、それは半ば強制的なお願いだ。


「……わかったけどよ、お前はどうすんだ」


 失神している桜李の体を両手で持った遊馬は、杏樹のことが心配で思わず問いかけてしまう。


「あたしは自力で歩けますンで〜。……ほら、早くしないと死んじゃうヨ」


 心配をしてくれるなんて、随分優しくなった。遊馬に対してそう思いつつ、杏樹は笑みを浮かべる。そして、杏樹は遊馬に背を向けて、桜李の処置を急かしながら1階へと歩いていくのであった。


「……ゥわ、鼻血? 最悪」


 1階へ下りていく途中、杏樹は自身の鼻から液体が滴り落ちてくるのに気づく。疲れすぎて鼻血なんてあるのか……なんて思いながら、杏樹は血を手の甲で拭き取る。

 2階が大丈夫ならば、1階も大丈夫ということ。3階から2階に下りてくる時よりは、かなり気が楽だ。杏樹が鼻血を拭きながら1階に下りてくると、そこには2階と同じように多数の警察官や自衛官が居た。


「……救急車はドコかナ〜」


 人混みを避けて、杏樹は玄関へと歩いていく。……あんなに居た構成員でも、これだけの時間があれば対処できるものなのか。日本という国の密かな武力に感心しつつ、杏樹が外へ出ようとしたその時。


「杏樹!」


 次は、杏樹が誰かに呼び止められる。古くから知っている、落ち着く声だ。杏樹は、ゆっくりと後ろへ振り向いた。そこに居たのは、岬だった。


「大丈夫か、それ」


「ン〜? 大丈夫大丈夫、少しでも動かしたら多分ヤバいケド」


 心配そうな顔で見つめてくる岬を可愛いなんて思いつつ、杏樹は優しく微笑みながら口を開く。


「イヤ〜、普通に苦戦しまくッたワ。あの狙撃が無かッたらどうなってたコトやら……」


「狙撃? ……とにかく。大丈夫なんだな」


「うン、だいじょう」


 傷は負っていても、いつもと全く変わらない杏樹の態度。そんな杏樹を見て、少しだけ岬は安心する。きっと杏樹は、強がったりするタイプではないし。彼女が大丈夫というなら、本当に大丈夫。


「ぶ」


 瞳を閉じて、胸を撫で下ろしていた、その時。岬の目の前に居た杏樹が、いつの間にか姿を消していた。

 嫌な予感がして、岬は視線を下ろす。そこには、右向きに倒れた杏樹の姿があった。













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