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第36話 陽炎





「ぐ、ッ…………」


 取り残された2人の隊員の頭部が、ギャリアによって放たれた弾丸によって弾け飛ぶ。

 時は、桜李とドラコスが3階にて2人きりになる少し前まで遡る。2階では、既に夏怜とギャリアによる戦いが勃発していた。

 平和を維持する者と、革命を起こそうとする者。そんな対極にある2人の対決は、ギャリアが夏怜に向けた発砲によって動き出すのであった。


「貴女、警察ではないですよね。特殊部隊か何かですか?」


「…………ま、そんな感じかな」


 2丁の拳銃から放たれる弾丸を華麗に躱しつつ、夏怜はギャリアに返答をする。1丁相手なら、躱した後にすぐ反撃をできるのだが……。2丁相手ともなると、躱しても躱しても次の銃弾がやってきて、反撃をする暇がなくなってしまう。

 ひらりひらりと舞う夏怜の黒色のマントに、風穴が空いていく。少しずつ、ギャリアが銃の照準を夏怜の回避に合わせていっているのだ。


「体つきや声からして、20歳までいかないくらいですか。政府も下衆ですね、まだ若くて可愛い子を戦場に送り込むなんて」


「……それは違う。誰でもなく、自分の意思でボクはここに来たんだ」


 銃弾が、段々と自分の体に近づいてくる。その恐怖によって、動きが固くなってしまってもおかしくはない。……だが、夏怜は違った。ギャリアの狙いがよくなると共に、夏怜の動きも良くなってきていたのだ。

 ただでは当たってやらないという、強い意志。それを夏怜から感じたギャリアは、一度銃の乱射を止めた。弾切れでも起こしたか? なんて思いつつ、夏怜はこの隙にギャリアに攻撃を与えようとする。麻酔針は使ったところで避けられるだろうし、杏樹と戦った時に使った閃光……または他の武器。それを取り出して攻撃するつもりだったが、夏怜は攻撃ができなかった。見えたギャリアの顔が、とても悲しそうな表情だったから。


「……貴女の意思? 怪盗さんには、私達の正義を止めれるほどのそんな大層な正義があるんですか? その正義は、本当に説明できるんです?」


 向けた銃口を下ろし、ギャリアは少しイラついたような表情になりながら夏怜にそう問いかける。高圧的に、怒りの感情が宿った声色で。

 対話で解決できるのなら、越したことはない。それに、戦う意思もギャリアからは一時的に消え去っていたから。夏怜は、武器を取り出さずに口を開く。


「…………、ボクがやるべきことは、君達を止めることだから。それにボクの正義や価値観なんて、一切関係ない」


 夏怜は、ギャリアの問いに、完璧な回答をすることはできなかった。杏樹の言葉によって正義執行人になった夏怜だったが、元はと言えば彼女は怪盗。正義の敵である。元々そんな存在だった夏怜が、偉そうに正義について語るなんてこと、不可能であった。


「そんな中途半端な正義で、私達の邪魔をしないでくださいよ。……これ以上、私達みたいなあの都市の犠牲者を出さないためにも。この革命は、失敗してはいけないんです」


 首筋に汗を浮かべている夏怜を見つめながら、ギャリアは呟く。紅月は、単純な国家転覆という野望だけを追い求めたテロ組織ではなさそうだ。それは、ギャリアの瞳の奥に眠る感情が物語っていた。

 人一倍優しい心を持っている夏怜は、ギャリアの言葉を聞いて、少しだけ心を揺らがせてしまう。夏怜は、岬と同じように、こういった仕事が根本的に向いていないのだろう。加害者の感情を理解できてしまう人間だから。


「……たとえ君達が納得するような道理が無くても、ボクは絶対に君達の邪魔をする。それが、ボク達に課された使命。責務だから」


 しかし、そんな感情の揺らぎ1つで諦めてしまうほど夏怜は弱くない。まっすぐとギャリアを見つめて、夏怜は胸元からあるものを取り出しながらそう言い放つ。それは、戦いが再開する合図のようなものだった。


「……ぁは、ならば殺すまでですね」


 結局、対話なんて必要なかったか。ギャリアが夏怜に向けた物悲しそうな表情は、やがて殺意に変わっていく。そして、再度ギャリアは銃口を夏怜に向けて……。戦いの火蓋は、またもや切られたのであった。

 先に攻撃を仕掛けたのは、夏怜。ギャリアが弾丸を放つよりも前に、夏怜はギャリアに向かってカードを投げる。また同じ芸当か、面白みがない。ギャリアはそう思いつつ、そのカードを避けて最速で夏怜に弾丸を浴びせようとした。


「……ッ!」


 だが、それを行動にする前に、ギャリアは気づく。先程投げられたカードよりも、そのカードは微かに進む速度が遅く……直線的に進んできていないということに。凄まじい動体視力でカードの違いを認識し、先程よりも余分に距離をとるギャリア。

 その瞬間────。眩い光、閃光と同時に大きな音を放ったカード。そう。あのクリスマス・イヴ、杏樹に使ったカードと同じ物だ。怯みながら後ろへ下がっていくギャリアに、逃がさんとばかりに距離を詰める夏怜。


「くらえっ……!」


 スタンガンと同じような用途の改造された拳銃を胸元から取り出して、夏怜はギャリアの首筋にそれを撃ち込もうとする。この方法で、杏樹が居らずとも1人で事件を解決してきた夏怜。杏樹が異常だっただけで、この制圧方法は普通ならば効くのだ。夏怜は、勝ちを確信した。

 だがその時、夏怜の脳裏にある記憶が思い浮かぶ。クリスマス・イヴの記憶だ。杏樹と戦闘をした時も、こうやって勝ちを確信して、いつの間にか掴まれてあっという間に失神させられた。杏樹のような人間……そう、本当の強者には、効かないのではないか。


「……っ、!?」


 引き金を引く前に、夏怜はあるものを見る。それは、後ろの方向へと体が倒れていくギャリアが手に持っている銃。その銃口が、自分に向いているという光景。

 閃光カードの大音量によって傷つけられた鼓膜にさえ響き渡る、凄まじい火薬音。弾丸が、遂に怪盗の体を捉えた。

 ────はずだった。


「…………杏樹に、助けられた……」


 同じような敗北を喫した経験がある夏怜は、超人的な反応速度で命からがら銃弾を躱す。通過した弾丸は、夏怜の頭のすぐ横を通り過ぎていた。

 ダメだったか、なんて顔を浮かべつつ、片手で頭を抑えながら夏怜を見つめるギャリア。もしあの聖なる夜、杏樹に同じように処理されていなければ、確実に死んでいた。その変わりようのない事実が、夏怜の体をいつの間にか震えさせていた。


「……特注の眼鏡をつけてなきゃ、終わってました」


 1秒でもズレていれば、弾丸は眉間を貫いていた。その恐怖に震えてしまっている夏怜を睨みながら、ギャリアは呟く。聴覚はまだ治りきっていないが、どんなに強い光からでも目を守れるように作った特性の眼鏡によって、視覚は変わらず良好。


「さて。……もう小細工は通用しませんよ」


 視覚さえあれば、あとは充分。恐怖に心を蝕まれる夏怜と、そんな夏怜の手札を見切ったギャリア。どちらが勝つかはもはや明白というくらいにまで、夏怜は追い詰められてしまっていた。











「……何をしている?」


 刀は両手で握って、敵意は示せど、動き出そうとはしない桜李。早く来いと言わんばかりに、ドラコスは桜李に言葉を投げかける。


「……住んでる場所こそ離れてても、オレはお前のことを気にかけてた。相談とか、してくれてもよかったじゃねぇか」


 桜李は、冷や汗をかきながらドラコスにそう伝える。構えてる刀は、ドラコスを襲うための物ではなく、あくまで護身のための物。この刀を介して、桜李は対話を交わそうとしているのだ。

 しかし、桜李の言葉を受け取ったとしても、ドラコスは感情の揺らぎなんて1つも見せなかった。それが刀を振るう腕の重りや枷になるということを知っていたから。


「……同じことを言わせるな。俺はもう止まらない。俺を止めたいのなら、その命を賭して全力で俺を殺せ」


 決して動こうとしない彼女を見かねて、ドラコスは刀を構えながら桜李に突進する。突進といっても、猪のようなドタドタとした騒がしい突進ではない。光の如く速く、それでいて滴り落ちる水滴のように静かな接近方法。そんな突進で、ドラコスは桜李に一瞬で接近する。

 桜李が戦ってきた誰よりも、ドラコスは速かった。陸斗より、師である父より、かつての蒲生文規より────。桜李は、侮っていた。一度剣の道から離れたものは、心身ともに絶対に弱くなっていると思っていたから。しかし、違った。彼は、剣道をしていた過去の自分を置き去りにする程、純粋に強くなっていた。


「…………っ!」


 力は、速度に比例する。プロボクサーの拳を振り抜く速度が速いのと同じように、野球選手のバットを振る速度が速いように。速さは、力に直結しているのだ。

 ドラコスは、そんな所からじゃ届かないだろうという地点で、既に桜李へと斬りかかっていた。だが、桜李は本能で勘づいていた。これは危険だ、ということに。


「ぐ、ッ…………!」


 想像以上に伸びてくるような感覚がする、ドラコスの刀。左の首筋辺りを狙ったその刀に対抗するように、桜李は刀で刀を受け止めた。

 鋼と鋼がぶつかり合う、独特な音が3階に響き渡る。……桜李は、分かりきっていた。盾すら豆腐のように簡単に斬ってしまうドラコスの力が、弱くない訳がない。むしろ、力が強い桜李を遥かに超えている程には、強かった。


「この程度か?」


「……うる、せぇッ……!」


 ドラコスの刀とつば迫り合いをするだけでも精一杯な桜李とは対照的に、余裕綽々な表情で刀を桜李の体に振り抜こうとするドラコス。この時点でもう、力の差は歴然だった。男と女だからとか、そんなのは関係ない。

 目的のためなら誰でも殺せる決意をした心、その心を遂行するために培った技、その技を繰り出すために鍛え抜いた体。それらが揃っているドラコスに、まだまだそれが不充分な桜李が勝てるはずがなかった。


「……俺は、お前を過大評価し過ぎてたのかもしれないな」


 このまま鍔迫り合いをしていても、力の差で無理やり押し切られるだけだ。それを感じ取った桜李は、ドラコスから一度距離をとった。

 そんな弱気の行動をする桜李を見て、ドラコスは溜息をつきながら呟く。昔彼女と戦った時は、もっと凄まじい気迫があったし、力も自分とさほど変わらなかった。自分と同じ程の努力をしていれば、過去のように熱く戦える筈なのに、と。


「……ぁ゛〜〜、うぜぇうぜぇ。勝手に評価して勝手に見くびるんじゃねぇよ」


 自身の痺れる肩を気にしつつ、桜李は不機嫌そうに声を荒らげる。最近は子供達の指導ばかりで、自分を高めることをできていなかった……とはいえ。この数年間で、元からあった彼との壁が、もっと高く大きく強固になっていた。

 勝てるビジョンはおろか、まともに戦えるビジョンすら見つからない桜李。それでも、桜李は抵抗し続ける。かつての宿敵としての彼を、取り戻させるために。


「…………」


 だが、桜李の心の中に、ある疑念が浮かんでくる。先程ドラコスが言っていたとおり、彼には本当に止まる気がないのだとしたら────。彼を殺さない限りは、止まってくれないのだろうか? それこそ、何かに取り憑かれてしまった陸斗のように。


「何を考えている」


 勝負の最中なのにも関わらず、気が抜けてしまっている桜李。そんな桜李にも容赦なく、ドラコスは日本刀で斬りかかる。

 まずい、これ、当たるやつ────。ぼんやり考え事をしていた桜李は、ドラコスの刀を目で追いながら心の中でそう唱えた。


「……!」


 しかし、ドラコスの刀は、桜李には当たらなかった。桜李が、振り下ろされた刀から回避していたのだ。昔から回避という行動自体が苦手だった桜李。そんな桜李に見事な回避をされたドラコスは、瞳孔を開きながら意外そうな瞳で桜李を見つめる。

 そして、意外そうな表情を浮かべるのは、桜李も同じだった。「避けなきゃ」とか思う前に、力が入っていなかった体が勝手に動いたのだ。そりゃあ本人でさえ驚愕するに決まってる。


「……あぁ、…………。親父や陸斗が言ってた言葉の意味、少しだけ分かったような気がするよ」


 体から余計な力が抜け去った感覚。人生で初めてその感覚を得た桜李は、自身の手を見つめながらそう呟く。父や陸斗に言われ続けてきたこと。「お前は動きが硬すぎる」という言葉。硬くても勝てるのならいいだろと思っていたし、その硬さの意味も桜李は分かっていなかった。

 2人共居なくなって、桜李はその言葉の意味を知る。体に残る余計な力、それこそが硬さ。自分の力を100出し切ろうとするより、80出すくらいがちょうどよく、それこそがベストパフォーマンスなのだ、と。


「…………柳内から教訓でも得たか」


 ドラコスは、ガラリと空気が変わった桜李の背に、陸斗の姿を見る。


「ああ。……オレは、陸斗のことが今でも嫌いだ。超がつくほどに」


「…………」


 互いに見つめ合いながら、桜李は語る。


「……親父に顔向けできねぇけどさ。アイツを止めるためなら仕方ない。……今だけ狂ったお前の思いを借りるよ。死合いってヤツをな」


 死合い。それは、一種の殺人衝動。だが……、殺す気が無ければ勝てる訳もない相手だから、仕方ない。桜李は、自分を騙して、陸斗の言葉を無理やり自分の脳にインプットさせる。

 闇に体ごと飲み込まれてしまいそうな、強烈すぎる感情。今から人を殺すんだという自覚に、嘔吐すらしてしまいそうだ。それでも桜李は顔を上げて、刀の先をドラコスに向ける。

 殺す以外、止める方法はないのだから。


「殺せ」


 幻が、桜李の耳元で囁いた。











 杏樹1人で訪れた4階は、これまで通った2階や3階とは違った雰囲気の場所だった。部屋があったりする訳ではなく……、どちらかといえば、塔の中のような雰囲気。それもそうだろう。杏樹が訪れた場所は、中央塔という、名の通り国会議事堂の中央にある塔の内部なのだから。

 天井にあるライトが、部屋の中を薄暗く照らす。中央塔の内部には、等間隔で配置された窓がいくつかあって。その窓から、静かに外を見つめる者が居た。


「……キミが、紅月の首領ドン?」


 赤いマントが隠れてしまうくらいに長い、紅色が所々混じった黒い髪。確実だった。その人物こそが、この一連の事件の首謀者。紅月の首領、ということは。

 いつもの杏樹なら、不意打ちで背後から銃を撃っていたのかもしれないが……。なぜ撃たなかったのかといえば、赤いマントの彼女の周囲が歪んで見えたから。重力がどうこう、というよりは……あれに似ていた。夏、遠くを見た時に、空気が揺れて見える現象。陽炎かげろうだ。


「…………ああ」


 薄暗い空を見上げてから、彼女は杏樹の方へと振り向いて返事をする。写真で見るよりも何倍も強く感じる、あの男の遺伝子。特に、その瞳。誰に対しても厳しそうな金色の瞳による眼差しは、写真の男である大矢國男に酷似していた。


「正義執行人、朽内杏樹。貴様がここに来ることは予測済みだった」


 正義執行人という存在を知っていることは当然と言わんばかりに、彼女は随分余裕そうな表情で呟く。……最近は、その素性がバレることが多い。夏怜に、榎本に、そして今、紅月の首領に。

 面倒だ、なんて顔を浮かべつつ、杏樹はホルスターの高周波ブレードを抜く。榎本の件で唯一解決することができなかった、内通者の存在。またもやその存在が匂わされてきたのだから、面倒そうに思ってしまうのも当然だろう。


「……あたしのコトは知ッてるのに、1対1をお望みなンだネ」


「量より質。雑魚が何匹と群がったところで、戦力になりやしないからな」


 杏樹が高周波ブレードを抜いたのを見ると同時に、彼女は自身の腰に携帯していた西洋剣のようなものを抜く。日本刀は反りがあるが、彼女のその剣は反りなんてない真っ直ぐな剣だった。

 片手で持った剣の先を杏樹に向けて、彼女は瞳を杏樹と合わせながら口を開いた。


「遅れたな。私はフロガ、この国を変えるために貴様を倒す者だ」













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